「カローラ」 第三章「父と母」 4



あっという間に一年が過ぎた。
季節は秋を迎え、裏山の木々は既に紅くなりはじめている。

一年経った今も夕歩は相変わらず入院していて、本格的な治療も少しずつ始まっていた。順にはよく分からなかったが薬の副作用というものがあるらしく、見舞いに行っても夕歩は昼間から眠っていたり、起きていても気分の悪そうな顔をしていることがたまにあった。
そんな時は、順はすぐ帰ることにしている。
夕歩に負担はかけたくないし、どんなに具合が悪そうでも夕歩の顔が見れればそれでいいのだ。

最初の頃こそ、辛そうにしている夕歩を見て順はおろおろするしかなかったが、最近では上辺だけでも笑顔を浮かべることができるようになってもいる。ただでさえ具合が悪いのに、自分の沈痛な顔なんて夕歩だって見たくはないだろう。

(夕歩はひとりで頑張ってるんだから、せめてあたしが元気づけてあげなくちゃ)

不本意ではあるが、最近では夕歩が入院していることにも慣れてきて、当たり前のようにもなってきている。
だけど、それはそれでいいのかもしれない。夕歩は病気だからといって、腫れ物を扱うようにされるのは嫌みたいだ。もちろん心配する気持ちは変わっていないが、できるだけ普段どおりに接しようと順は思った。

(明日は何を話してあげようかなー)

少しでも夕歩を楽しませたくて、毎日毎日面白い話を探す。そんなある日のことだった。
順は自分と両親の関係を知らされた。



 *

順がいつものように家の道場で稽古をしていると、父が神妙な面持ちで現れた。

「順。そこに座りなさい」

父は稽古の時はいつも真剣だ。しかし今日の父の気配は、稽古の時のそれとはまたどこか違っていた。

きっと何か話があるのだろう。父は順に何か大事なことを話す時は、いつもこうやって道場で向かい合って話すのだ。
察した順は、どこか緊張しながら板張りの床に正座した。ひんやりとした板の感触が、胴着越しに脚に伝わってくる。

「順。これから話すことは、お前にとっては酷なことかもしれない。だけどいつまでも隠しておくわけにはいかない大事なことなんだ。心して聞いてほしい」
「はい」

「隠しておく」ってなんだろう。
今まで何かを隠されていたのだろうか。
いつもと違う父の様子に、順の心は波立った。

「俺とお前と、そして母さんのことなんだが――」

父は自分と母のこと――そして順のことを静かに語った。
順の目を見てゆっくりと語るその様子から、自分を傷つけまいとして言葉を選んでいるのがよく分かった。「お前の父は俺ではない」、そう言った時の父は、今まで順が見てきた中で一番辛そうな顔をしていた。

父の話が終わると、道場はひんやりとした静寂に包まれた。外界と遮断されたようなその静けさは、今この世界に存在しているのは自分と目の前の父だけ、そんな錯覚を順に与える。

(父さんが、父さんじゃない……)

目の前にいるこの父と血が繋がっていないと言われても、よく分からなかった。
本当の父子ではないのだと言われても、実感がわかなかった。
もしかしたら「認めたくない」という気持ちがあるせいなのかもしれなかったが、それすらも今の順には分からなかった。

ただ、色々なことに合点がいった。

夕歩の母が順に時おり見せる、どこか冷たい態度。二人の間に感じる、確かな壁。静馬のことを代々守り支えてきた久我家の娘に対する態度にしては、どこか疎むようなものも感じていた。
順はそれがずっと不思議だった。

今のこの時代、そうそう危険なことなど起こるとも思えなかったが、それでも順はいざという時には静馬のことを――夕歩のことを守るために、一生懸命修行もしている。
それになにより、夕歩のことが大好きだった。夕歩だって自分のことを好いてくれているという自信もある。疎まれる覚えなど何もないのに。

だけどその理由が今日分かった。
全部、そういうことだったのだ。

「母さんは、このことでずっと苦しんできたんだ」

母は昔から、ひとりで部屋に閉じこもりがちだった。母が楽しそうに笑っている顔は順もあまり見たことがない。

「母さんのことは、責めないでやってくれ」

責めるという気持ちは起こらなかった。ただ今まで分からなかった色々なことが、順の中で繋がっただけだった。

もっとよく考えて整理しなければいけないはずなのに。そうと分かっていても、なんだか頭がぼんやりして上手く考えることができない。
今はただ、夕歩の顔が見たかった。



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