二話 妖夢

  
 ふと気付くと、摩耶は何処とも知れぬ場所を一人彷徨っていた。
 いや、僅かに見覚えはある。しかし、何処かは分からない。
 やけに高い草をかき分け、歩いていく。
 いや、歩かされていく。
 何故かそれは、自分の意思では無い。あたかも誰かに歩かされている様だ。
 或は――誰かの見ているものを、見させられているのか。
 そうしている間に、目指す場所にたどり着く。
 そこは、鉄条網で囲われた、工場の様な場所であった。
 彼女は金網の破れ目をくぐり、入り込む。
 辺りを伺い、施設内を奥へと向かう。
 建物の影から影へと渡っていく。
 あたかも、誰かを探す様に。
──誰を探しているんだろう……
 他人事の様に思いつつ、摩耶は歩を進める。物陰に隠れて人をやり過ごし、慎重に歩を進めていく。
 そうしているうちに、一番奥の棟にたどり着いた。そこは、あまりに異様な雰囲気の場所であった。
 薬品の臭いが漂う、古ぼけた二階建ての鉄筋コンクリートの建物。ひびの入った壁には所々崩れ、小さな窓にはめられた窓ガラスはほとんど割れている。廃墟といってもいいだろう。
 かつて火事にでもあったのであろうか。その二階部分の壁には焦げ跡とおぼしき黒ずみすら見える。
──何なの、ここは…… それに、この臭い……
 すくんだ様に、足が止まる。
 だが、探している“誰か”は、この中にいるはずだ。
──入ろう。
 そう決意した時、既に彼女は歩き始めていた。
 半ば朽ちた扉の隙間を潜る。
 黴臭いホールには、全く人気がない。そして、そこから続く仄暗い廊下の奥には、何か人ならぬものが潜んでいそうな雰囲気である。
 彼女はさすがに躊躇する。が、おそるおそる歩み出す。
 淀んだ空気を掻き分け、奥へ。
 と、彼女はある事に気がついた。
――足跡?
 厚く埃の積もった床上に、幾つもの足跡があった。しかも、新しいものが。
――誰かいるの?
 不安にかられ、立ち止まった。だが、再び歩を進める。
 目指すものはこの奥、と心の奥で何者かが囁いた。
 そして……
――光!?
 廊下の奥、突き当たりの壁から漏れる光。それは、明らかに人工のもの。
――この奥に……
 後少しで扉にたどり着く。
 その時、
――!?
 視界が暗転した。
――何!? 何なの……
 同時に、布のようなものが頭からかぶさり、身動きが取れなくなる。
 足掻けば足掻く程手足に布が絡まり、身動きが取れなくなっていく。
 そうしているうちに、背後に人の気配がした。
 身体を強ばらす彼女。
「またこいつか! 何度追い払っても入ってきやがる……」
 頭上からの声。
「ああ、あの“サンプル”と一緒に捕獲しちまった奴か。へへっ……丁度いい。一緒の部屋に入れてやれ」
 また別の声。
――いつの間に? でも、“サンプル”って……
「いいのか?」
「丁度良いエサだ。奴はかなり飢えてるだろうしな」
 笑いを含んだ、冷徹な声。
――私、食べられるの!?
 彼女の心は、恐怖に震えた。
 そして、意識が暗転し……

 気が付いたとき、摩耶は薄暗い部屋の中にいた。
「誰だ……」
 か弱い声が聞こえる。彼女はその声に聞き覚えがあった。
――圭吾!?
 彼女は叫ぼうとした。しかし、声にはならない。
 声のした方を見る。朧げに浮かび上がってきたもの。それは……
 昏い瞳の少年が、そこにはいた。
 圭吾だ。
 薄汚れ、着ていた制服はボロボロになっている。
「圭吾!」
 彼に駆け寄る。いや、既に摩耶の足は駆け出していた。
「駄目だ!」
 拒絶する様な叫び。
 摩耶は思わず立ち止まる。
「それ以上来るんじゃない!」
 彼は何か……自分の中のモノに怯えている様に見えた。
 制止する様に彼女に向かって突き出された腕が、突然二つに裂ける。
 そして、分たれた腕の先の指は、更に伸び、触手へと変化していく。
「やめろ……やめてくれ!」
 彼の悲痛な叫びが、摩耶の耳を打つ。
 彼女の身体は、蛇に睨まれた蛙の様に動かない。
「あ……ああ……」
 悲鳴を上げようにも、喉や口が麻痺してしまった様だ。
 そうする間にも触手が迫り……
「な……何!?」
 彼女は右手の変化した触手に絡めとられてしまった。
「嫌! 圭吾、やめて!」
 だが、彼はもはや、自分の身体の抑えがきかない様だ。
 悲し気な瞳で彼女を見ている。
 きっと、裏山で自分を犯したときも、こうだったのだろう。
 摩耶は我知らず、泣いていた。
 全身に触手が絡み付き、飲み込まれていく。
 そして、彼女の意識は、再びそこで途切れた。

 再び気が付いた時、摩耶は暗闇の中にいた。
  空気が、何か液体の様に肌にまとわりつく。
 闇の中を見回す。
 と、彼女の前方に微かに蠢くものが見えた。
「……何?」
 目を凝らす。
 それは、触手の塊。
 その中に埋もれる様に、圭吾がいた。
 四肢を絡みとられ、虚ろな瞳で彼女を見ている。
 これは、彼の心の中なのだろうか。
「圭吾……」
 摩耶の頬を涙が伝う。
 あの時彼は、まさにこんな状態だったのだ。
 摩耶は思った。
 意識を何者かに奪われて、自分を襲った。
 彼は、どんな思いで自分の行為を見ていたのだろう……
 救い出さねば。
 意を決して彼に近付く。今度は彼女自身の意思で身体が動く。
 一歩。また一歩。歩を進める。
 と、触手が彼女に反応し、蠢き始めた。
――しゅるっ!
「!」
 その一つが、彼女の脚に絡み付く。
 そして、そのまま引きずり込まれた。
 腕、脚、腰……次々に絡み付き、彼女の身体の自由を奪っていく。
 次々と服が引き剥がされ、見るも無惨な姿となる。
 それでも摩耶は、彼に近付こうと足掻く。
 絡み付いて来る触手を何とか手で払い、必死に彼の方へと手を伸ばす。
「圭吾!」
――目を覚まして、お願い!
 必死の叫び。
 しかし、彼の瞳は虚ろなままだ。
「圭吾、目を覚まして……ングッ!?」
 太い触手が彼女の口を封じる様に、喉まで侵入する。
 次いで服の残骸を引き剥がして胸を。そして……下腹部――彼女の秘所へ。
「!?」
 繊毛の如く細い触手が敏感な場所を這い回り、熱い疼きが彼女を責める。
「ああっ!?」
 びくん、と彼女の身体が震えた。
 恐怖に震える彼女の心とは裏腹に、その身体は官能の疼きに悶えていた。
――嘘っ!?
 彼女は心の中で叫んでいた。
――こんな、あたし……
 彼女の思いとは裏腹に、その秘所は熱い潤みを帯びつつあった。
――ツ……
 太腿を垂れる、一筋の蜜。
――濡れてる……感じてる!? こんな事されて、あたし……
 愕然とする彼女。
 その瞬間……
「んぐっ!?」
 太い触手が、彼女を貫いていた。
 熱くたぎる粘膜を掻き分け、触手は彼女の一番奥を犯していた。
 痛みと、そして……
「あ〜〜っ!」
 それを上回る、快感。
 神経を直接犯されているかのような強烈な感覚。
 脳の中枢までもが快感に酔い、おかしくなってしまいそうな……。
「だ、駄目……何とかしないと」
 喘ぎ、抵抗を試みる。
 だが……
 それをあざ笑うかの様に、次の触手が這い寄る。
「えっ!?」
 そこは、彼女の秘花の下。小さなすぼまりである。
「嫌!」
 侵入を拒もうと、力を入れる暇もあらばこそ……
「ひっ!?」
 一気に貫かれた。
「〜〜〜!!」
 先刻を上回る、強烈な快感。神経まで犯され、痛みまでが快楽に置き換えられている。
――ぬちゅ……
 奥へ。更に、奥へ。
 蠕動しつつ、這い入っていく。
「あ……ああ……」
 放心した様に、彼女は宙を見る。
 前の触手が注挿を繰り返す度。後ろの触手が蠕動する度。
 止めどなく蜜が迸った。
 それは太腿を伝い、足下に滴った。
――駄目……。堕ちる……堕ちちゃう……
 快楽に溺れ行く自分に、彼女は恐怖した。
 その時……
――美味イ
――!?
――美味イゾ……
 触手の声無き声。
――喰っている!?
――私の恐怖を。苦痛を。……そして、快楽を。
 彼女は恐れた。
 そして、それもまた触手の糧になる。
――ゆらり
 圭吾の頭上に黒い影が現れる。
 おそらくそれは、触手の“本体”。
 ゆらめきつつ姿を変え、やがて手足の長い男の様な姿をとった。
「……!」
 記憶の底。
 忘れていた……否、忘れようとして自ら封じていたモノ。それが、封印の扉をこじ開け、現れようとしていた。
「あの時の……」
 数年前、彼女達は下校途中、黒ずくめの男に襲われた事があった。或は、学校の裏山に現れたあの男達の同類だったのかもしれない。その時は、警官が現れた為に事なきを得たが、その恐怖は未だにトラウマとなって彼女達を苦しめている。あの事件に関する記憶の大半に、もやがかかった様に曖昧にしか思い出せない部分があるのだ。
 だが、あの時の恐怖だけは、はっきりと覚えている。
――ゆらり
 それに反応する様に、更に影は姿を変える。
 あたかも蜘蛛の如き姿へと。
「――――!!」
 声にならぬ絶叫。
 それは、悪夢の中の怪物。
 彼女はその正体を悟った。
 これは、人の精神の奥底に眠る、“イド”そのもの。
 圭吾の……そして、摩耶の中に潜むモノ。
 それは、摩耶の記憶に刻み込まれた恐怖の姿を借りて意識の中に顕現したのであった。
 これに食らい尽くされれば、“ヒト”の理性を失った怪物と成り果てる。
――それは、嫌!
 心の叫び。
 理性が必死に抵抗をしている。
 それを打ち崩すべく、触手の更なる猛攻が襲った……
「あっ……ああっ!」
 触手が彼女の最奥を突き上げる。
「ひあぁっ!」
 繊毛が彼女の肌を妖しく這いずる。
「やあぁっ!?」
 小振りだが形の良い胸が絞り上げられる。
 押し寄せる絶頂の度、彼女の身体が弧を描いて反り、秘所からは蜜が幾度ともなく迸る。
 肌は上気し、瞳は欲情に曇る。唇から溢れるのは、官能の喘ぎのみ。
 何度意識が弾けただろう?
 何度快楽の淵に沈んだだろう?
 それでも彼女は、最後の理性の一欠片にしがみついていた。
 しかし、それももう……
――駄目……もう、このままじゃ……
 彼女の掌から、零れ落ちる意識。
 しかし、最後の“何か”がかろうじて引っかかっていた。
 彼女は、その名を叫んだ。
「……圭吾!」
 一瞬、触手の動きが止まる。
――?
 見れば、黒い影も僅かにその姿を乱していた。
――もしかして……
 僅かな希望が生まれる。
 彼女はそれにしがみつく。
「圭吾! お願い、正気に返って!」
 必死の呼びかけ。
 その時……
「ま……や?」
 うつろな表情の圭吾の唇が、彼女の名を紡ぐ。
「圭吾……」
 摩耶は必死で手を伸ばす。
 だが、触手はそれを許さない。
 彼女の身体を絡めとり、犯し続ける。
「あぐっ!? ああっ!」
 次々に触手が彼女の身体に殺到し、秘所に、蕾に潜り込む。
 彼女のそこは、信じられぬ程に拡げられてしまった。
 腹部は異様に膨れ、触手のうごめきが皮膚の上からでも分かる程だ。
 苦痛と、それを上回る快楽。
 気も狂わんばかりの中、彼女は必死で圭吾の這い寄った。
「圭吾……圭吾!」
「摩耶!」
 圭吾の瞳に、意思の光が宿る。
 そして、その手が摩耶に伸び……
 しっかりと握り合った。
 その瞬間……
――!
 声無き叫びを上げ、触手、そして黒い影が消滅していった。


「あ……」
 彼女は、圭吾に抱きしめられている自分に気付き、赤面した。
「圭吾……」
 呼びかける。
 だが、彼は微笑むだけ。
「……?」
 彼女が再びその名を呼ぼうとした瞬間……
「あっ……」
 圭吾の姿は、光となって消滅した。
 彼女の身体にぬくもりを残したまま。
「そんな……」
 頽れる摩耶。
 次の瞬間、黒い竜巻が彼女を襲い、その意識は暗転した。
 
 意識が薄暗がりの中から浮上していく。
 誰かにその手を引かれる様に。
 “水面”に顔を出した意識は、つい先刻までの記憶をその中に残し、這い上がる。
 そして……光が溢れた。

「朝……」
 摩耶は、ベッドの中で目覚めた。
「ン……」
 一つ大きく伸びをする。
 身体に活力が溢れる。何か自分が生まれ変わった様な気分であった。
 だが、ふと気付く。
 頬を流れる雫。
 そっと指で拭う。
「涙?」
 彼女は泣いていたのだ。
「夢……」
 どんな夢か思い出そうとする。
「悲しい夢……」
 それ以上は思い出せ得ない。
 朧げな、はかなく消えゆく夢の記憶。
 しかし、不思議と今の彼女には悲しみは無かった。

  

  

クロス・バインド

三話