後編
(前編)
誰かが摩耶の身体を優しく拭っている。
優しく、撫でる様な手つき……
彼女は、初めて圭吾と結ばれた時の事を思い出していた。
行為の後、ぐったりした自分を介抱してくれた、あの優しい手……
「ん……」
彼女は身を起こそうとした。どうやら鞄を枕に、草の上に寝かされているらしい。服は、着せられている。濡れたままの下着が、少し気持ち悪い。
と、同時に周囲の変化に戸惑った様子で辺りを見回す。
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。空には星が輝いていた。
その時彼女は、何者かが立ち去ろうとする気配を感じた。
そちらに目をやる。
暗闇の中に、何かが浮かび上がる。しかし、はっきりとはしない。
「圭吾?」
彼女は思わずその名を呼んでいた。
びくりと影が動きを止める。
「圭吾、なの……」
しかし、それには答えず、再び影は去ろうとした。
「待って!」
彼女は必死に追いかける。
その姿に、諦めた様に影は立ち止まった。じっと彼女を待っている。
そして摩耶と影は、間近で向き合った。
その姿が星明かりの下、朧げにその姿が浮かび上がる。
それは確かに、人の姿をしていた。しかし、目は猫の様に妖しい光を放ち、獣の様な剛毛で全身を覆われていた。そして、身体の各所から生えた、触手。
「なっ……」
彼女は絶句した。
それでも、“それ”に歩み寄る。先刻の異常な体験のせいで、感覚が麻痺しているのだろう。
“それ”は、その身を恥じる様に、後ずさった。
が、顔を隠すその一瞬、
その腕の間から見えた貌は……
「圭吾!?」
明らかに彼の面影があった。
「圭吾なのね!」
沈黙。肯定の証か。
「あ……あぁぁぁぁぁ――――――!!」
摩耶は叫んでいた。
喜び。悲しみ。愛しさ。嫌悪。驚き。嘆き……
あらゆる想いがないまぜになり、口から奔る。
泣いた。ただひたすら……。摩耶はくずおれ、泣きじゃくるしか無かった。
彼女を、圭吾であった“それ”はただ悲し気な瞳で見下ろしていた。
「圭吾……」
ひとしきり泣いた後、摩耶は涙を拭い、“それ”を見上げた。
何か言おう。……しかし、言葉が出ない。
その視線を避ける様に、“それ”は身を翻した。
「待って!」
呼び止める彼女。
その時――
銃声が響いた。
彼等の傍らの木の枝が折れ飛ぶ。
「何、何なの!?」
呆然とする摩耶。
が、“それ”は、彼女を突き飛ばした。
その直後、再び銃声が響いた。その胸に穴があき、血――あるいは体液――が吹き出す。
「嫌!? 圭吾――!」
摩耶はぐらりと頽れる“それ”に駆け寄る。
だが“それ”は彼女に、近寄るなと言いたげに首を振る。
しかし、構わずに彼に駆け寄った摩耶の胸に――
銃弾が命中した。
「な……何、コレ……」
呆然と摩耶は呟く。
血が吹き出て制服を汚し、激痛が全身を駆け巡る。口からも、血が溢れる。心臓を貫通し、肺に血が溢れたのだろう。
そして、摩耶はかつて圭吾であったものと折り重なって倒れた。二人の血と体液が混ざり合い、お互いの身体を汚した。
――これが、死?
摩耶は、心の中で呟いた。
今まで最も遠い存在だと思っていた死が、今訪れようとしている。その事に今更ながらに気付き、愕然としながらも心の中で苦笑していた。この期に及んで
も、実感が無かったからだ。あまりに唐突過ぎた。
そして、彼の温もりを感じながら、彼女の意識は薄れていった……
駆け寄ってくる足音。あの男達のだろう。まだいたのだ。そして、彼女の声を聞きつけて……
そっと“彼”の首に手を回し、震える腕で、抱き寄せる。
――ごめん、圭吾。一緒に、死のう……
その呟きは、声にはならなかった。
それから起きた事を、摩耶はほとんど覚えていない。
“彼”は、倒れた彼女を抱き、立ち上がった。
……何処にそんな余力があったのか。男達が後ずさる。
そして、その触手が摩耶の胸の銃創に潜り込み、血を止めた。
怒りにぎらつく瞳で男達を見据えた“彼”の右腕が、放たれた矢の様に触手となって伸び、一人の男の胸を貫く。
――どさり
男は何が起きたか理解せぬまま、地面に頽れる。
そして、更に横に振り回されたそれは、男達の持つ銃を跳ね飛ばしていた。
ただ呆然と立ちすくむ男達。
信じられないといった表情で、自分の手と二人を見比べている。
彼は、摩耶の胸の傷を塞ぐ触手を自分から切り離し、ぐったりとしたその身体をそっと地面に横たえた。
そして、一瞬ちらと彼女に目をやった後、男達に向き直る。
その左手から鈎爪が伸びる。
そして“彼”は、地を蹴って黒服の男達に襲いかかった。
男の一人が慌てて銃を拾い、構える。が、“彼”の爪が腕ごと弾き飛ばしていた。そして、間髪入れずにその喉を切り裂く。
そして、その返り血を浴びつつ触手が翻った……
爪が切り裂き、触手が絞める。“彼”は怒りの咆哮を上げ、獣の様な動きで男達を倒していった。
見る間に五人が倒され、二人が傷を負いつつも逃げ去った。
“彼”はそれを追わなかった。いや、追えなかったのだ。
摩耶が出血多量により危険な状態に陥り、“彼”もまた力尽きようとしていた。
“彼”は摩耶を抱き上げると、何かを訴える様に彼女を見た。
二人の視線が一瞬絡み合い、彼女は無言で頷く。
その意図は、分からない。しかし、摩耶は無条件で彼の意思を受け入れたいと思った。
それに応じ、彼の触手が動く。
しゅるしゅると摩耶を包む触手が蠕動する様に蠢き、彼女の身体を優しく愛撫する。
「あ……」
微かに息を吐く。
と、その口に、何かが差し込まれた。触手だ。
「んっ……かはっ!」
一瞬息が詰まり、咳き込む。しかし、侵入は止まらない。
咽頭から肺にまで触手に侵入されてしまっているが、何故か息苦しさは無い。
それだけではない。
ショーツの股間の部分をずらして、再び触手が体内に侵入する。
「んぁぁ!」
突然の乱入者に、彼女は悲鳴を上げた。
そして、触手の侵入は、更に続いた。
耳、鼻と次々に入り込む。
しかし、感じるはずの痛みは、無い。
触手から分泌された粘液の様なものが、痛覚を麻痺させているのだろう。
ただ、快感だけが彼女を溺れさせた。
そして、とうとう……未だ誰も触れた事が無い、彼女の後ろの穴や、もう一つの前の穴にまで、入り込む。
――嫌! それだけはやめて!
しかし、彼女の叫びは声にはならない。
「ん゛――!! んっ! ふぅっ……むぐぅぅぅ――!!」
絶叫。
更に、責めは続く。
触手の表面から繊毛の様なものが生え出し、皮膚の上を蠢く。
まさか……
摩耶は恐怖に身体を強張らせた。
次の瞬間、繊毛は彼女の皮膚――毛穴、汗腺に潜り込んだ。
全身の皮膚を犯されている。
おぞましさと、剥き出しの神経を嬲られる様な強烈な快感。
全身を愛されている。
そんな風にも思えた。
或はこれは、快感に溺れた脳の導き出した、狂った結論なのかもしれない。
圭吾……圭吾……圭吾!
心の中で絶叫する。
と、それに応えてか、触手達の動きが激しくなる。
“彼”の姿が崩れ、触手の塊になった。そして、摩耶を包む様に絡み付く。
そして、触手達は更に細かく分岐し、全身のあらゆる穴から彼女の身体に潜り込んだ。
「〜〜〜〜!! ――――――――!!!!」
摩耶は弓の様に身体を反らし、声にならぬ絶叫を上げた。
全ての触手達が私の中に消え、彼女は開いた穴からあらゆる体液を垂れ流して二度目の絶頂を迎えた。
自分が、何か別のものになっていくのを感じながら……。
――またそれからどれぐらい経ったのか
ふと気付けば、摩耶は自分の家の前にいた。
呆然と、自分の身体を見下ろす。
制服をきちんと着、鞄も手に持っている。
流石にブラジャーは破けたままであり、制服は血や色々な体液で汚れてしまっていたが……。
それは、先刻の事が夢では無かった事を物語っていた。
しばし躊躇った後、家に入る。
腕時計に目を落とすと、もう九時を回ろうとしていた。
彼女のあまりの惨状に、驚愕のあまり卒倒しそうになる母親をなんとかなだめすかし、自室に戻る。
汚れた制服を脱ぎ捨て、タオルで身体を拭うと、自分の身体を見る。
胸の中央の銃創は塞がり、新しいピンクの皮膚が盛り上がっている。
そして、全身に残る、赤いすじ。触手の跡だ。
肩に残るそれを、そっと指でなぞる。
「圭吾……」
彼女の唇から呟きが漏れ、消えた。
疲れがどっと彼女を襲い、ベッドに身を投げた。
どさっという音が、やけに大きく響く。
我知らぬうちに、涙が溢れた。
「摩耶! とりあえず、お風呂入りなさい……」
「は〜い!」
母親の躊躇いがちな声。彼女は心配かけまいと、極力元気な声で応えた。
――脱衣場
「ふぅ……」
彼女は風呂から上がり、一つ息を吐く。
身体を洗い、微かに残っていた残滓を洗い流したが、何か皮膚の感覚に違和感が残っている。
自分の身体では無い様に感じる。
皮膚の下で、何かがざわめく様な……
彼女はクラスメートに聞いた話を思い出していた。
クスリをやった人が、体中を蟲が這い回っている幻覚を見ると聞いた事があるが、それに近いものなのか……
あんな異常な体験をしたのだ。トラウマが残っても不思議ではない。
彼女は一つ頭を振り、その考えを振り払った。
「考えてもしょうがないか」
そうつぶやいて身体にバスタオルを巻くと、いつもの様に体重計に乗る。
液晶表示は、彼女のベスト体重を表示するはずであったが……120キロ。
120キロ!?
「何よこれ〜〜〜!!」
彼女の絶叫が家中に響き渡った。
大声を出したせいか一瞬気が遠くなり、バランスを崩して倒れそうになる。
が、何かにぐいと引っ張られ、危うくそれを免れた。
「どうしたの!?」
「お姉ちゃん!?」
彼女の母親と妹の香奈が、慌ててやってくる。
「へ……蛇!?」
二人は凍り付いた様に彼女の背後を見ていた。
「え?」
摩耶は、訳が分からないと言った風で二人の方を見る。
そのとき、しゅるっ、と摩耶の背後で何かが蠢き、がくんとその身体が傾いた。
慌ててタオル掛けに手をかけるが、もぎ取ってしまった。
当然そのまま倒れる。
「痛ぁ〜〜」
頭をさすりつつ、起き上がる。
「だ……大丈夫!?」
「うん。……あれ、どうしたの?」
彼女は心配げに問う母と妹に、照れ隠しに問い返した。
「どうしたの、って……」
「何か叫んだから……」
母親と香奈が顔を見合わせる。
「そういえば、蛇!」
香奈が慌てて摩耶の後ろを見る。
「って、……いない。もう逃げたのかな?」
「蛇……いたの?」
「『いたの』って……だからあんな声出したんじゃないの?」
「あっ……それ? いや、そうじゃなく……」
彼女は慌てて首を振る。
「どうしたの? 分からないでしょ」
極力冷静を装い、母親が問う。
「あ、いや、あの……ちょっと、体重計が壊れて……」
摩耶はしまった、と言いたげな顔をしたが、もう遅い。
「…………」
一瞬の沈黙。
「壊れた? これが? さっきはちゃんと……」
そう言って、香奈は体重計に乗る。
「何よ……変わらないじゃない。まさか……お姉ちゃん、太った?」
「はは……」
摩耶は曖昧な笑みで、誤摩化した。
二人はあきれた様に顔を見合わせ、去って行く。
しかし……体重計が壊れてなかったという事は……
彼女は一つ、頭を振る。
――何か、いるんだ。私の中に……
きっとさっきの“蛇”は、その一部なのかもしれない……
震える肩を、彼女は抱き締めた。
一話完