1話 暗闘 
  
  

 宇宙(そら)の彼方より来たりしもの。永久(とわ)を踏み越え来たりしものよ。
 汝、星辰のかけら、光蒔く風……
 目覚めよ。
 光と闇。生と死。その全てがここにある……

 篠突く雨が、アスファルトを叩く。
 白暮と共に降り始めた雨は、夜半を過ぎていよいよ強くなり、豪雨となっていた。
 その雨の中、帰宅を急ぐ一人の若い女がいた。スレンダーな体つきに、170センチを超える長身。長いウエーブのかかった髪に、眼鏡をかけた理性的な顔立ちの女性だ。二十代半ばといったところだが、年齢以上に落ち着いて見える。
 彼女の名は、水無瀬結花。清和学院大学考古学部の研究員だ。
 やや疲れた様な表情を浮かべ、足早に家路を急ぐ。
「……!?」
 と、その足が止まった。
 彼女はいぶかしげな表情で、辺りを見回す。
 微かな足音が聞こえたのだ。
 が、誰もいない。雨音だけが、響いている。
「気のせいかしら……」
 疲れているせいだろう。
 そう彼女は結論づけた。
 最近、職場の同僚が何人か事故にあったりしている。自分の身にも何か災いが降り掛かるのではないか。そういった事もあり、神経質になっているのも事実である。
 嫌な考えを振り払う様に一つ頭を振り、歩みを早めた。後僅かで自宅である。そしてやや広い通りを折れ、彼女のマンションが面した道に入ると、わずかに歩調を緩めた。
 振り返る。が、やはり背後には誰もいない。
――考え過ぎね。
 安堵の笑みを浮かべると、また足を速め……
 と、再び彼女の足が止まった。
 暗闇の中、一つのシルエットが彼女の前方に浮かび上がったのだ。
 黒いスーツに身を包み、サングラスをかけた大男だ。やけに手足が長く、蜘蛛の様な印象を受ける。
 この雷雨の中、傘もささず、黙したまま歩み寄ってくる。
「……水無瀬結花だな?」
 抑揚の無い声で男は問い掛けた。軋るような、嫌な響きの声だった。
「…………」
 水無瀬は無言のまま後ずさった。
それを肯定と受け取ったのか、男は彼女に掴みかかろうとする。
「助けて! 誰か!」
 彼女は悲鳴を上げ、男に傘を投げつけると、身を翻した。
 男は無造作に傘を払いのけるとその後を追い、歩き出す。
 ゆっくりと歩いているようにも見えるが、歩幅が大きいせいで、水無瀬が必死に逃げているにもかかわらず、引き離せない。
 周囲は寝静まっているのか、何事も無かったかの様に静まり返っている。
 彼女は恐れおののく顔で背後を振り返ると、セカンドバッグから携帯電話を取り出し、キーを操作しようとした。
「!」
 と、彼女の手から、遭えなく携帯が滑り落ち、乾いた音と共にアスファルトに落下した。
 彼女はあわてて拾おうとするが、あせって手を滑らせてしまう。
 ようやく拾い上げた彼女の目の前に、男が立ち塞がった。
「そこまでだ」
 男が声をかける。
「もう、逃げられん。“太陽の雫”に関わッた事を後悔するがいい……」
「ヒッ……」
 か細い悲鳴が水無瀬の口から漏れる。
 震えながら後ずさりするが、塀に行く手を阻まれてしまった。
「あ……ああ……誰か……」
 彼女は絶望に討ちひしがれたようにへたり込んだ。
 男は彼女の襟首をつかんで無理矢理立たせると、その細い首に手をかける。
 しかし、唐突にその動きが止まった。
 遠くで微かにバイクのエンジン音が響いたのだ。
 男は水無瀬の首に手をかけたまま、のっそりとした動きで背後を振り返える。
 と、次の瞬間、飛来した光弾がその肩を穿った。
 水無瀬の首から手が離れ、男は微かに呻く。
 彼女は地面に放り出され、へたり込む。逃げようとする気力すら、無い様だ。
 男はちらと彼女に目をやったが、構わずに振り向いた。無表情のまま、闇の向こうを見る。
――カツ、カツ、カツ……
 雨音に混じり、足音が路地に響いた。
 「とうとう姿を現したか」
 若い男の声。雨と闇の向こうから、歩み寄る。
「何者だ?」
 男が問うた。
 次の瞬間、閃く雷光が一つの影を、水飛沫に煙る夜の帳の中浮かび上がらせる。
 皮のジャケットと細身のジーンズに包まれた、長身の引き締まった体躯。濡れぼそった髪が顔を半ば隠しているため表情まで窺い知ることは出来ないが、鼻口や顎のラインから端正な顔立ちであることが窺い知れる。しかし、髪の間から覗く鋭い眼光とは裏腹に、口元にややあどけなさが残る。十代後半の少年と言った所か。そしてその胸には、深紅の石をはめ込んだペンダントが揺れていた。
「……亡霊さ」
 少年は微かに唇を歪め、嗤った。
「ふん、ふざけた事を。……そうか、我らをこそこそ嗅ぎ回っていたのは貴様か。こんなガキとはな」
「あの人を張っていた甲斐があったよ。例の遺跡の関係者ばかりが襲われているからな」
 少年の、髪の間から微かに見える眼が、金色の鋭い光を帯びた。男から二メートル程の所で立ち止まる。
「それで、貴様一人でどうするつもりだ?」
 男はあざけるように口の端を歪めた。
 しかしそれも束の間、
「グハッ!?」
 少年が一足飛びに男の懐に飛び込んだ。下から潜り込む様に突き上げる肘の一撃が、男の鳩尾を突き上げる。男は呻くと数歩、よろめく様に後退した。
「どれほど出来るか……試してみるかい?」
「ほざけ!」
 男の拳が唸りを上げて少年を襲う。しかし、それは空を切った。
 直後、強烈なカウンターの一撃が男の顎を直撃。
「! ……う、ぐぅ……」
 男はがくりと膝をつく。
 そしてすかさずそのこめかみに強烈な蹴りが入った。
 男はもんどりうって地面に倒れる。
 大きな水飛沫が上がった。
 少年はすかさず懐中から銀色のピストルに似た形の銃を取り出し、男に向って連射する。
――ボシュッ!
 一発が男の腹に命中。しかし、二発目は地面に穴を穿った。
 男が跳ね起き、少年に飛びかかったのだ。
「!」
 鋭い抜き手が少年の頬を霞める。
 僅かな血が宙を舞った。
 直後、少年の左の拳が男の脇腹を捉える。
 交錯の後、二人は距離をとってにらみ合う。
「……流石に一発では駄目か。まだ改良の余地があるな」
 頬の血を拭うと、少年は僅かに口元を歪めた。
 視線の先、男の腹は、服が焦げ、直径五センチ程の穴があいていた。
 しかし、その下に覗いた皮膚は……
 甲虫の外骨格を思わせるものであった。
 男は嘲る様に、にやりと笑った。
「くく……その程度か。蚊に刺サレた程モ感じヌ。しかシ、そノ銃……コの星ノ物では無いナ」
 と、その声が突然くぐもったものに変化し、言葉の語尾が聞き取れなくなっていった。口吻部が変形して喋りづらくなっているのだ。それと同時にそのの姿も異形へと変貌していく。
――ぶちぶち ずるり
 男の身体が一回り大きくなり、服がちぎれ飛ぶ。その下からは、硬質な殻と剛毛で覆われた奇怪な身体が姿を現す。顔は巨大な複眼に覆われ、口元も鋭い牙に変化していた。
 その姿はまさに、悪夢の中から抜け出た蜘蛛の化け物だ。
――きちきち、きちきち……
 耳障りで奇妙な軋む様な音を、その口吻が立てる。
「ヒッ……ヒィィッ!」
 女の悲鳴。へたり込み、呆然と二人を眺めていた水無瀬が、異形の姿を目にして我に返ったのだ。
 異形の男が彼女に視線を向けるが、少年は男を牽制する様に間合いを詰める。
 男は彼女を目で追うものの、興味を失った様に少年に向き直った。
 彼女は転げまろびつ、逃げて行く。
「クク……ツマラヌ仕事ト思テイタガ、思ワヌ獲物ガカカッタ様ダナ。シカシ、コノ“だるが”ニタッタ一人デ戦イヲ挑ムトハ、ズイブントナメラレタモノダ。……面白イ。ヤッテミルガイイ!」
 言うや否や、“ダルガ”と名乗った怪物は斬り掛かる。
 が、その一撃は空を切った。
「オノレ、何処ニ!?」
「ここさ」
 背後からの声。何時の間にか少年は後ろに回り込んでいたのだ。
 そして次の瞬間、強烈な蹴りが背中にヒットする。
 ダルガは低く唸ると向き直り、斬りかかった。
 一方の少年は、胸の前で拳と掌を叩き合わせる。そして、構えをとった。
 「遅イ!」
 ダルガは爪を振り下ろす。
 しかし、その一瞬――
 少年の胸のペンダントがまばゆい光を発し、その姿が眼前から掻き消えた。
 そして次の瞬間、背後から飛来した光弾が命中する。
 ダルガは思わぬ一撃によろめいた。
 振り返った視線の先には、少年の姿があった。
 しかし、その姿は先刻とは違う。
 青い髪をなびかせ、瞳には金の光。銀地に青と金の流体金属の装甲が肩と胸、腕と脚を覆う。右手には熱線銃――銀色のピストル――が、微かに銃口から硝煙を上げていた。
 「貴様ハ……“らいざーど”ノ!?」
 ダルガの貌に、動揺が走った。
 「ハッ!」
 銃を納めると、ひるんでいるダルガめがけ、少年は跳躍する。
 慌てて身構えるダルガに空中から拳を叩きつけると、着地と同時に足払いを放った。
 彼はよろめきつつも体勢を立て直し、拳を振り回す。
 その拳が、半ば偶然少年を捉え、薙ぎ倒した。すぐさま右手の爪を、地面に倒れた少年めがけて振り下ろす。
しかし、一瞬早く跳ね起きた彼は、大きく踏み込み肩でダルガの腕を受け止めた。
「ぐっ……」
「ナッ!?」
 少年は微かに呻く。しかし、次の瞬間にはダルガの肘関節に拳を叩き込んだ。ごきり、と鈍い音がする。
「オノレ……味ナ真似ヲ!」
 しかしダルガは、関節を痛めたにもかかわらず、その腕を振り回す。
 鋭い爪が、少年の頭をかすめた。
 真っ赤な血が糸を引き、一房の青い髪が宙を舞う。
「……!」
 だが、少年は怯む事なく踏み込み、脇腹に拳を叩き込んだ。
「ガフッ!?」
 そこは、先刻熱戦銃の命中した箇所であった。
 一瞬動きの止まったダルガの顎に、強烈なアッパーが炸裂した。
「ア……ガ……」
 脳を揺さぶられ、ダルガはよろめく。
「……止めだ!!」
 少年は拳を放ってダルガをつき放つと、左腰のベルトに装着された筒状の物に手をやった。
 それを引き出すと、その後端から伸びる、1メートル程の鞭の様にしなやかな帯状の金属板が姿を現した。そして、全てを引き出すと、筒の後端にあるスイッチを押す。と、金属板に火花が散った様な光が走り、硬質化して長い棒の様に――いや、それは緩やかなカーブを描く、鋭い刃と化した。
 少年はそれを、青眼に構えた。胸の装甲の中央の発光体――ペンダントにはめ込まれていた石であった物――が一瞬輝きを発し、同時にブレードにも光が走る。
 「ハァ!!」
 彼は裂帛の気合とともに地面を蹴る。
 銀色の閃光が、ダルガを襲った……

――同刻 やや離れた路上
 新興住宅街を走る、一台の国産セダンの姿があった。
 その車内には、若い二人の男の姿がある。
「……しかし納得いかん。上の連中は一体何を考えているんだ? 今回の一連の事件は尋常じゃ無いというのが分からんのか?」
 明るいグレーのスーツに身を包んだ、長めの髪に、不敵な面構え。鋭利な刃物のような青年、桐山署捜査一課所属の刑事、警部補である桂木孝哉(かつらぎ・たかや)は、運転席の同僚にぼやいた。
 二人は別の場所で起きた事件現場の現場検証からの帰りなのだ。
「変ですよね。俺達の知らない所で何か動いてるのか……」
 桂木の相方、ダークグレーのスーツを着た、色黒のやや彫りの深い顔立ちの瓢悍そうな温和な目つきの青年――やはり警部補の重村達也(だいどうじ・たつや)――は首を傾げる。
「それに、この事件はあまりに手口が異常すぎますからね」
「とても人間の仕業とは思えねぇ……と言っても、今までもそんな事件も無い訳でもなかったが」
「全く……。ホラーやらスプラッター映画なんかより現実の猟奇事件の方がどれほど恐ろしいことか……」
「確かにな。あの殺され方は只事じゃ無い。しかも犯人の手掛かりすら無いときた」
 恭将は事件現場の悲惨な状況を思い出し、苦い顔をした。
「猛獣がやったなんて言う人も出て来て、犯人が人間かどうかすら今だ掴めてませんからねぇ……。結局は今回の聞き込みも空振りだ」
 重村はうそ寒げに首をすくめた。彼等は職業柄、幾つもの惨殺死体を目にしているのだ。
「ま、地道にやるしかないさ。怪物だか何だか見たって噂もあるが、実際怪物ってのは人間の心の中に潜んでいるもんかもな……。ま、月並な表現だが、その方が説得力はある」
 桂木は少しおどけてみせる。
「そうですよ。リアルに怖いのは、実体のない幽霊よりも人間ですしね」
「全くだ」
 二人は苦笑した。と、その時……
『緊急事態発生! 付近を走行中の車両は至急現場へ急行せよ! 暴漢が女性を襲っている模様。場所は桐山市桐花町内。繰り返す……』
 突然の無線の声。事件の発生を告げる。
「……桂木先輩!」
「……近いな。また事件か!? 急ごう。頼むぜ!」
 桂木は前方に鋭い視線を向けた。
 そして、彼等を乗せた覆面パトカーは、鋭いスキール音と共に一気に加速し、走り去って行った。

――数分後
 桂木はパトカーを降り、捜索を開始した。傘を手に、雨の中を駆ける。
「恐らくこの辺りか? ……おい、そっちはどうだ?」
 携帯を取り出すと、パトカーの重村に問う。
『まだ見つかりません。とりあえず、こっちの通りを探してみます』
「そうか……ん?」
 と、寝静まった市街地に、雨音に混じり微かに悲鳴が聞こえた。
「まさか!」
『どうしました?』
「悲鳴だ。近いぞ、三丁目だ!」
 彼は急いで悲鳴のした方へと走った。
 一つ向こうの狭い路地に入ると、ずぶ濡れのまま、道端でへたり込んでいる一人の若い女がいた。水無瀬だ。
「だ、誰か……」
「どうした? 一体何があった!?」
 傘を差し出しつつ、問う。
「化け物が……化け物が、私を……」
 彼女は半ばパニックを起こし、言葉は要領を得ない。
「化け物だと……何者だ? そいつはどうした? 何処へ行った!?」
 桂木は、彼女を落ち着かせるようにゆっくりとした口調で問う。
 その問いに、ようやく彼女は震える手で曲がり角の向こうを指差した。
「あっちか!」
 その方向から微かな物音が聞こえて来る。人が殴りあうかの様な音だ。
――また、誰かを襲っていやがるのか!?
 重村に水無瀬の場所を告げると、再び彼はその方向へ走った。
 薄暗い一角にその音の主はいた。大小二つの人影が格闘している。
 少年とダルガである。
 桂木は警察手帳を取り出すと、二人を制止する為歩み寄る。
 「待て、そこまでだ! 警察だ。事情を……」
 しかし、彼は台詞を最後まで言う事が出来なかった。
 彼らの姿と凄まじい戦いに圧倒され、呆然と見ている事しか出来ない。
 己の目を疑ったが、紛れも無く現実であった。
 無線で応援を呼び、ふと気付いて携帯電話を取り出す。カメラで彼等の姿を捉えておく必要があると感じたからだ。
 戦いは一進一退を繰り返していたが、やがて、少年が纔な隙を突き一撃を加え、ダルガをよろめかせる。そして、一呼吸おくと、信じ難い跳躍力で宙に舞い、一気に斬り掛かった。
――ドシュゥゥゥ!!
 鮮血が舞い、肉を切り裂き、骨を砕く音が響いた。
 勝負は決まったかに見えた。
 しかし、その斬撃は纔に狙いを逸れ、怪物の左腕を切り落としたのみだ。
「ウグゥゥゥ……」
 斬られた腕を押さえ、ダルガは呻く。と、殺気だった目が桂木を捉えた。
「!!」
 本能的に拳銃を構えた桂木に、ダルガは襲いかかっていった。
 第一撃はとっさに横に跳び、身をかわした。しかし、そこにもう一撃が来る。
――だめか!!
 彼は死を覚悟した。
 しかし、少年の横からの蹴りの一撃でかろうじて難を逃れた。
「逃げろ!!」
 少年が叫ぶ。
「しかし……」
「いいから早く!」
 桂木は頷き、後ずさった。
 それを見届けると、少年は左腰のホルスターからもう一振りの光剣を取り出す。
 不意打ちとはいえ、蹴りの一撃でブロック塀に叩き付けられたダルガは、一声唸ると牙を剥き出し突進しようと身構えた。
 しかし、突然その動きが止まる。
 多数のパトカーのサイレンが近付いてきたのだ。
「チッ、ジャマガハイッタカ……」
 ダルガは忌々しそうに呟くと、身を翻す。身軽な動作で屋根伝いにジャンプし、去って行った。
「……!」
 虚をつかれたせいか、少年はわずかに身じろぎしただけであった。
 桂木は、少年に近付いた。
「君は何者だ? それに奴は一体……」
 彼はためらった様に一、二歩後退すると、やおら身を翻し走り去った。
 後には斬り落とされた腕が残されているだけであった。
 桂木には、さっきの出来事の衝撃で、追おうとする気力は既に無かった。
 そして、呆然と立ち尽くす桂木の元に、重村ら同僚が駆け寄ってきた。


――桐山市をおおう事件の影。
 それは、過去の幻影か。或いは未知なる恐怖か。
 闇夜を彷徨う、異形の影。それは、悪夢の使徒か。
 今、一人の少年が闇を駆ける。それは、闇を切り裂く光なのか。
 ここで何が起こるのか。この時誰も知る者はいない。

  

2006/7/22掲載 2007/11/11修正版up

  

  

SLM 2話