2話 襲撃
  
  

 薄暗い闇の中、絡み合う二つの肢体があった。
 茶金の髪の逞しい体躯の男と、妖艶な青い髪の美女。
 男の指や舌が彼女の身体を愛撫するたび、女は豊満な胸を揺すって身悶えた。
「“彼”が見つかった様だよ、ジュメイラ」
 男は女の耳元で、そっと囁く。
「“彼”?」
 ジュメイラと呼ばれた女は、男の愛撫に身を任せつつ、気怠気に言葉を返した。
「おいおい、忘れてしまったのかい? 可哀想に……」
「覚えていないもの……」
 上の空の答え。彼女は快楽に没頭している。
「まあいいさ。それより、あの男も戻ってきた様だし、また忙しく……」
「ん……」
 その台詞を遮る様に、ジュメイラは男の首に腕を絡め、唇を重ねた。男は微かに苦笑しつつ彼女を抱き寄せると、その唇に舌を差し込み、絡ませる。
「……ハァ……」
 二人の唇が離れると、涎が糸を引いて、切れた。
 男はそのまま首筋、右胸へと舌を這わして行く。
 弾力のある、豊かな胸の先端を口に含み、舌で転がす。同時に、左胸を揉みしだいた。
「あぁ……」
 熱い吐息が女の唇から漏れた。
 そのまま男の指が、そっと女の股間へとすべりこむ。
「ンッ!」
 びくん、と女の身体が跳ねた。
 淡い茂みの奥の、神秘の泉。熱くぬかるんだそこを、優しく愛撫する。
「ああ……メセドゥ!」
 ジュメイラは愛おしそうに男の頭を抱き、その名を呼んだ。
「メセドゥ、か」
 名を呼ばれた男は、何故か苦笑する。
 そして今度は、彼女の足を抱え上げ、愛液で濡れた秘所へ舌を這わした。
「あっ……もっと……」
 快楽に身体を震わせ、女は白い喉を反らす。
「溢れてくる……。相変わらず、感じやすいな」
 メセドゥは彼女の反応を楽しむ様に、舌で舐り、時には奥へと突き入れる。
 その度に、彼女のそこから蜜が溢れ出す。
「入れて……お願い」
 彼女は切なげに潤んだ金色の瞳で男を見た。
「もう、我慢できないのかい?」
 笑いを含んだ声で男が問う。
「お願い……欲しいの」
 彼女は白く細い指で、赤く充血した花弁を開いて見せた。
「焦らさないで……お願い、早く!」
「分かったよ」
 男は女の唇を奪うと、その花芯に取り出した自分のモノを宛てがう。
 そして、ゆっくりと焦らす様に突き入れた。
「ああっ……入ってくる。メセドゥ! もっと、奥まで……」
 女の脚が、男の腰に絡む。引き寄せ、より奥へと誘う様に。
 メセドゥは、それに抗う事無く更に奥へと腰を勧める。
 そして、彼女の一番奥まで到達した。
「いい……固くて、熱い……」
 悦びに震えた声。男の首に腕を回し、引き寄せる。
 男はゆっくりと腰を動かし始めた。
――ぐちゅ……ぬちゅ……
 淫らな音が、闇に響く。
「ン……ああ……」
 男の耳にかかる、熱い吐息。
 彼女が喘ぐたび、その秘所は彼を締め付ける。
「ジュメイラ……熱くて、きつい」
「あ……ああっ! いい……気持ちいい……。もっと、もっと突いて。私を感じて……」
 囁く男の首を抱き、彼女は嬌声を上げる。
「メセドゥ……もっと……」
「分かったよ」
ズン、と深く突き入れる。
「あんっ!」
女の白い身体が美しい弧を描いてのげ反った。
「ああっ!」
さらにもう一突き。
 逞しいソレで、女の一番奥を抉り、突き上げる。その度ごとに、泡立つ蜜が飛び散った。
「いい……もっと……もっとぉ……」
「相変わらず貪欲だな、お前は」
 男は彼女から身体を離す。
「そんなっ!?」
 女は手を伸ばし、男を引き止めようとした。
 メセドゥは、それには目もくれずに彼女の腰を掴むと、半ば強引に俯せにした。
「あっ!?」
 戸惑う声を上げる女。だが、それにも構わず腰を上げ、一気に突き入れた。
「ああ〜っ!」
 女の胸がぶるんと震える。
 そのまま腰を抱え、幾度も幾度も突き入れる。
「あっ、ああっ、あ〜〜っ、激しい……感じすぎちゃう!」
「激しいのが好みなんだろ? ジュメイラは」
「でも……あうっ!」
 腕を回し、その豊かで弾力のある胸を、無茶苦茶に揉みこねる。
「駄目! ああっ、もう……イく! イっちゃう!」
 さえずるような声。突く度に蜜が溢れ、太腿を伝ってシーツに染みを作った。
「いいぞ……俺ももう……」
 メセドゥは一際強く突き上げた。
「あひっ! ああっ、あっ、あ〜〜〜〜!!」
 びくん、と女の身体が震え、青い髪がざわめく。そして、一際強烈な締め付けが男を襲った。
「っ!」
 流石にこらえきれず、彼もまた熱いモノを女の中に放っていた。
「あ……熱い……。メセドゥのが……メセドゥのが、中に……」
 ベッドに頽れつつ、女はうわ言の様に呟いた。

――暫し後
 シャワーを浴びたメセドゥは、身支度を整えていた。
 仕立ての良いスーツに袖を通し、髪を撫で付ける。
 いかにもエリートビジネスマンと行った風体だ。
 窓際に向かい、僅かにカーテンを開けた。
 窓の外に広がるのは、高層ビル群。
 24時間眠らぬ街。
「フン……」
 無表情のまま、暫し眺める。
 そして、未だベッドの上にいるジュメイラの所へ向かう。
 彼女は既に、寝息を立てていた。
「ん……」
 童女の様な、幸せそうな寝顔で彼女は寝返りを打った。
 メセドゥの、彫りの深い端正な顔にかすかな笑みが浮かぶ。
「おやすみ、ジュメイラ。いずれ、彼と対峙しなければならない日が来るだ ろうから、せめてそれまでは……」
 そっと彼女の髪を掻き上げる。
「…………」
 男の目に、一瞬鋭い光が宿った。
 彼女の白いうなじで鈍い光を放つ、黒い金属片。
「セイカ……」
 悲しげに呟くと、男はジュメイラにそっと毛布をかけ、ベッドを離れた。
 男が去った部屋には、ジュメイラの安らかな寝息だけが聞こえていた。


――翌日
 抜ける様な青空を、雲が流れていた。
 昨晩降り出した雨は昼前には上がり、桐山市の空は、そこを取り巻く血生臭さい空気と裏腹に、青く澄んでいた。

――私立桐花学園高等部
 秋晴れの空に、溌剌とした声が木霊する。
 グラウンドでは、少年達がサッカーをしていた。
 一人の少年にボールが渡る。
「鷺宮だ! 気をつけろ」
 誰かが叫んだ。
 その声を尻目に、鷺宮と呼ばれた少年はドリブルを開始する。かなりのスピードだ。フェイントで次々とデフェンダーをかわし、敵陣右奥へと切り込んで行く。そして、ゴールラインの直前で、中央にボールを折り返した。
 そのボールは完璧なタイミングで、ゴール前まで走り込んでいたチームメイトの頭上に到達する。
 そして、ヘディングされたボールはゆっくりと弧を描き、キーパーの指先をかすめてゴールに吸い込まれた。
 ホイッスルが鳴る。
「ナイスシュート、雅士!」
 鷺宮は、シュートを放った少年に駆け寄る。
「サンキュー! お前のおかげだ」
 二人はハイタッチを交わすと、自陣に引き揚げていった。

――同刻 グラウンドを見下ろす校舎 2ー4の教室
「はぁ……」
 その姿を見つめる、一人の少女の姿があった。
 昴の姉、奈緒である。
 授業は上の空、ぼうっと外を見ている。
 と……
「え〜、では……次の所を読んでください。鷺宮さん」
 教師の突然の指名。
「え……えぇっ!?」
「……もしかして、聞いてなかったんですか?」
 教師は半ばあきれ気味に彼女を見る。
「……136ページ。右から五行目」
 後ろから囁く声。クラスメートの上村裕子(かみむら・ゆうこ)だ。
「き、聞いてました! 読みます。ええと……」
 内心冷や汗まみれになりつつ、彼女は教科書を朗読し始めた。

――休み時間
 奈緒の席に、数人のクラスメートが集まっていた。
「ああ……危なかった。ありがとね、ユッコ」
 机に突っ伏し、奈緒はため息をつく。
「ど〜いたしまして。でも、高くつくわよ」
 応じたのは、ユッコこと上村だ。
「あうぅ……」
「幾ら退屈だからって、外ばかり見てるからよ」
 横から口を出したのは、同じくクラスメートの地堂美矢(ちどう・みや)だ。
「だって奈緒は昴クン一筋だもんねぇ〜〜」
 上村が茶化す様に言う。
「そ、そんな事……」
「だって、さっきも授業中、ずっと目で追ってたじゃない。容姿端麗、スポーツ万能、成績優秀。こんな子が身近にいたら、他の男が目に入らなくなっても不思 議じゃないよねぇ」
「でもさ、何でそんな昴クンが超常研なんかに出入りしてるんだろね。最近 はそうでもないみたいだけど……」
 と、地堂。
「よく分からないけど……。その前は、天文学に興味があるとか言って科学部に出入りしてたし……」
 奈緒は思わず頭をかいた。
 十年の付き合いにも関わらず、未だに彼の事を理解しきれていないのだ。
 その割に、こっちの考えは、ほとんど読まれてしまう。それが、腹立たしい。
「う〜〜ん、よく分からないわねぇ……。でも、そんな謎めいた所がいいよね」
「ちょっと、ユッコ!」
「そんなにムキにならなくてもいいじゃない。何も取ろうだなんて言ってないんだし」
 彼女は意味ありげに笑う。
「でも……さっきのお礼、昴君とのデートでいい?」
「駄目! それだけは絶対駄目!」
 奈緒は思わず叫ぶ。
「……このブラコン」
 そんな彼女に、地堂はぼそりと言った。

――桐山署 会議室
 二十畳程の部屋に十人程の男達がテーブルを囲んで座っている。
中心に座っているのは署長の的場。五十前後のがっちりした体格の男である。
 そして、その隣でホワイトボードで細かい指示を出しているのは捜査一課の課長、柴田哉(しばた・はじめ)である。
「……以上が昨晩の事件の概要だ」
 ペンを置き、一同を見回す。
 そこに浮かぶ顔は一部を除き、疑念、戸惑い、苦笑といったものだった。
 それはそうだろう、と柴田は思う。
 にわかには信じがたい事件なのだ。怪物が出現したなどという事は……
「怪物、ですか? 比喩などではなく?」
 発言したのは、刑事官の警視、村松だ。30歳の、自称エリート刑事である。経験の浅いキャリア組であるにもかかわらず、事件の現場に顔を出しては嫌味を言い、署の大半の人間に嫌われている。おそらく、出世争いに遅れを取りかけているとの焦りがあるのだろう。
「ああ。そうとしか、言い様がない」
 柴田は仏頂面で答えた。
「怪物の覆面を被っていたとかではなく? あるいは恐怖で幻覚でも見たのでは?」
 言葉に揶揄の響きが混じる。これは、桂木に向けられたのもだろう。
「残念ながら、事実だ。……この写真だ。現物は、鑑識に回してある」
 一切表情を変えず、柴田はホワイトボードに一枚の写真を張り出す。
「これは……」
 一同は、息を呑んだ。獣とも、人ともつかぬ腕。昨晩、青い髪の少年に斬り落とされた“ダルガ”のものだ。村松は何やら口中でモゴモゴ言っているが、発言する気は無い様だ。
「一体どんな生物の腕なんです?」
 桂木の同僚、牧村が発言する。
「どんな、か……」
 柴田は一瞬眉間に皺を寄せた。
「少なくとも、既知の生物ではない」
そういうと彼は、重村に指示し、モニターにスイッチを入れさせた。
「実際に見てもらおう」
 やや古くさい、ブラウン管のモニターに映し出された画像。それは、桂木の携帯電話で撮影されたものであった。
 青い髪の少年とダルガの、凄まじい戦いが、かなり不鮮明ながらも映し出された。
「まさか、こんな連中が実在するとは……」
 思わず呻いたのは、村松と同じ本部の刑事、塚田だ。
「ですが、これは一連の事件の犯人の目撃証言と一致します」
 彼は、的場に視線を向ける。
「まず間違いない、と見て良いだろう。一連の事件の被害者は、とても人間業ではないやり方で殺害されている」
 的場は重々しく頷いた。
「ええ。それに、被害者も――といっても、今回は無事だった訳ですが――は、全て例の遺跡の関係者です。これは同一線上の事件でしょう」
 塚田の言葉には、もはや動揺の影は無かった。手早くメモにペンを走らせている。
「それに、この少年だ」
 柴田はモニターを一時停止した。
 不鮮明ながらも、少年の姿が大写しになる。
「恐らくこの少年も何か知っているだろう。参考人として、探し出す必要がある」
「とりあえず、手当り次第に聞いて回るしか無いでしょうね」
 牧村が頷いた。
「そうだな。とにかく、聞き込みを続けるしか無いな。地味な仕事だが、仕 方あるまい」
「ええ。鑑識の結果が出るのはまだ時間がかかるでしょうし、何より次の事件を防がなければなりませんからね」
 柴田と塚田が応じた。
「ふむ……とりあえず、今日はこんな所か。では、これにて散開とする」
 的場は一同を見回す。
「……では、頼むぞ」
 一同は頷き、席を立った。

――廊下
 会議室から出た刑事達は、各々の持ち場へと散っていく。
 あるものは、自らの部署に。またあるものは、外回りへ。
 桂木もまた、重村と連れ立って聞き込みへと向かう。
「やれやれ……とんでもない事件ですね。夢だったら良いんですけどねぇ……」
 苦笑しつつ、ぼやく。
「そりゃそうかもしれんが……これは紛れもない現実って事だ。行くぞ。あんな連中がうろついてるんだ」
 桂木は一つ大きく息を吐き、脚を速めた。
 重村も、肩を竦めるとその後を追った。

――数日後 夕刻 桐花池公園
 日の暮れかかった公園を歩く人影があった。少年が二人。少女が一人。この近所にある桐花台中学の制服に身を包んでいる。
「全く……ツイてないぜ。黒木のヤツ、俺ばかり当てやがんの」
「藤島……お前ね、いい加減に授業中の居眠りを止めたらどうだ? 先生に気付かれない様に起こす身にもなってみろ」
「あの時の先生の顔、面白かった〜。こめかみに血管浮いてたもんね」
 他愛の無い会話。授業の事、部活の事、友人の事……
 彼らが池の周囲の遊歩道に差し掛かった時、突然少年の一人が周囲を見回した。
「……工藤、どうした?」
 藤島と呼ばれた少年が、いぶかしげに声を掛ける。
「ん? ああ……ちょっとな。なんか、“奴”が出そうな雰囲気なんで」
 彼は声を潜める。
「出る? “奴”って何だ?」
「聞いた話なんだけどさ……最近ここらで妙な男が出没するってさ」
「へぇ……何だよそれ?」
 藤島が、興味を引かれた様に身を乗り出した。
「ああ、何でも黒いスーツを着てグラサンかけてるっていう話だ。かなり背が高いらしい」
「ふ〜ん? ヤクザか? それともメン・イン・ブラック? どっちにしても、関わりたく無いな。そういえば、この間の火球だっけか? UFOだの何だのって噂もあったけど……まさかな」
 彼は少しおどけた様に、肩をすくめる。
「あ、それ聞いた事がある。同じクラブの子が見たって」
 それを聞き、少女も口を開く。
「ふぅん……どの辺で?」
 藤島は、興味を引かれた様に少女に続きを促した。
「二丁目の陸橋の下だって。薄暗い場所だったから、余計に気味が悪かったって。後、片腕がないみたいだったって言ってたけど……」
「へぇ……それこそ、いわくありげだな。何してたんだろ?」
「うん……どうも、誰か探してるみたいに道行く人をじろじろ見てたみたい」
「らしいね。しかも、何処から来たのかも分からない。気が付いたらそこにいた、って。しかも、慌てて奴の横通り過ぎた後遠くで振り返ったら、もう何処かに 行ってしまったとか……」
 工藤が言を継いだ。
「それに、顔を見た筈なのに、どんな顔だったか全く覚えてないとか」
「おいおい、まるで幻を見たみたいじゃねぇか」
「それだけだとな。でも昨日、刑事に声掛けられたんだけど、今の話の黒服の大男を探してるみたいだったぜ」
「へぇ……。じゃあ、実在するんだ。何か事件起こしたのかな?」
「う〜ん、それ以上は何も聞けなかった。あ、それともう一人」
「どんな奴?」
「何でも、180センチぐらいの身長に、肩までの髪、十代後半の男でだってさ。後、バイクに乗ってる人だとか」
「十代後半で、180センチねぇ……大体そんなん、高校のバスケ部やバレー部行けば、ゴロゴロしてるぜ。バイクに乗ってるのだって、結構いるだろうに……」
 藤島は首をひねる。
「で、髪が肩まで伸びてて細面だとか……」
「う〜〜ん、それでもなぁ……。俺が知ってるだけでも、五、六人いるぜ。笠城先輩とか……」
「鷺宮先輩!」
 少女が口を出す。
 やっぱそれか。……あれ? 鷺宮先輩って、バイク乗ってたっけか?」
「そう言えばこの前、何か古いバイク乗ってたけど。えぇと……スズキハスラーとかいうの」
 工藤は一瞬複雑な表情を少女に向けるが、気を取り直して答える。
「シブいの乗ってるなぁ……」
「親父さんの譲ってもらったらしいよ。カリカリにチューンしてあるってさ」
「へぇ……、そんなのよく乗るなぁ……。でもさ、警察が捜してるって事は、何かヤバい事やったのかな?」
「分からないけど……何でも、髪を青く染めてるらしい」
「青い髪? う〜〜〜ん、そんな妙なのは見た事無いぞ。どうせゾクかチーマーかな……ん? どした」
 少女はふと後ろを振り向いた。たった今通り過ぎたばかりの、無人のベンチ。特に理由があった訳ではない。なんとなく気になって視線を向けた……ただそれだけの事だった。
「あ……あれ」
 少女の強ばった声。
「?」
 二人の少年は不思議そうにその視線を追う。そこには……
 闇が凝り固まっていた。
 闇は人の形を取り、先刻誰もいなかったはずのベンチに腰掛けて彼らを見ていた。
 ぼさぼさの頭髪に、頬が痩けた細面の貌。丸いレンズのサングラスをかけ、黒いスーツに身をつつむ。そして、そのスーツの片袖は、潰れたまま力無く垂れ下がっていた。
 その姿は、まさしくたった今話していた男そのもの。
 三人は、その場に凍り付いた様に動けない。「噂をすれば影」というが、まさに今目の前に現れる事など、予想だにしていなかったのだ。 しかも、突然現れたが如くに。
 幻でも見ているのかと、三人は我が目を疑った。
 しかし、それは紛れも無く現実であった。
 戸惑い、不安げに視線を交わす三人を尻目に、人影は立ち上がった。手足がやけに長い。何となく、蜘蛛の様だ、と三人は思った。
 そしてゆっくりと彼らに歩み寄ってくる。
 あと二歩、というところで男が立ち止まった。そして三人の顔を一瞥し、嗤った。底冷えする様な冷たい笑顔。剥き出しになった大きな犬歯がやけに目立つ。
「何だ、あんたは……」
 工藤は呻く様に問う。気圧されているのだ。
「……面白そうな話だな」
 男が囁く様に言った。軋るような、嫌な響きの声だった。
「少し聞かせてくれないか?」
 男はサングラスを外した。
 その下から現れた、三白眼。虹彩と瞳孔の区別のない漆黒の瞳で、三人を見やる。
 と……
「!? か、身体が……」
 三人の身体は、あたかも金縛りになったかの様に、指一本動かすことができなくなった。
「クク……心配する事は無い。少し、脳を“覗く”だけだ。記憶も消しておく。お礼にちょっとしたプレゼントをしてやろう」
 男の手が伸びる。長く鋭い黒い爪が、鈍く光った。
「まずは……」
「ヒッ!?」
 男の手が、少女に伸びた。
「摩耶!」
 工藤が叫ぶ。
 が、どうする事も出来ない。首から下が、まるで彫像にでもなってしまった様だ。
「畜生!」
 彼は己の無力に歯噛みした。
 しかし、その時……
「そこの男、何をしている!?」
 二人の警官が走り寄ってきた。二十代と三十代か。二人とも、背の高いがっちりとした体格である。
 男の動きが止まった。
 と、同時に少年達の呪縛も解ける。工藤は必死で摩耶の手を引いた。
 男はわずかな笑みを浮かべたまま、警官達を見る。
「少し話を聞きたい。署まで同行願えるか?」
 三十代の警官が、三人と男の間に割って入った。もう一人は、少年達を男から引き離す。
 が……
「邪魔だ」
 男が無造作に腕を振るう。
――バッ!
 鮮血が舞った。
 男の腕の一振りで、声を掛けた警官の肩が切り裂かれたのだ。
「うわぁ!」
 何がおこったのか分からない様子で、斬られた警官は肩を押さえ、がくりと膝をつく。
「なっ!? ……貴様!」
 同僚は思わず銃を構える。
 が、男は全く意に介した様子もなく、警官達に飛びかかった。

――同刻
 昴と奈緒の二人は、学校から帰宅する途中であった。
 それは一見、普段と何の変わりもない日常の一コマ、のはずであった。
 しかし……
『敵の波動をキャッチした』
 突如、昴の脳裏に閃く声。
――何だと!? 何処だ?
 昴もまた、思念波で応じる。
『そこから北に百メートル、西に三百メートル程の地点だ』
――すぐそこだな……
 昴は思わず振り返った。
「ど……どうしたのよ!?」
 突然の弟の振る舞いに戸惑う奈緒。しかし、昴は意に介さない。
「ごめん。先帰ってて!」
「あ、ちょっと!?」
 呼び止める彼女の声も聞かず、昴は駆け出していた。

――ドサッ
 二人の警官が全身を朱に染め、地面に崩れ落ちた。
 わずかに呻くのみで、最早立ち上がる事すら出来ないであろう。
「ふん……この姿では、少々やりにくいな。それに、邪魔が入った……」
 その二人を興味無さげに一瞥した男は、中学生達に向き直る。
「予定変更だ……モう貴様等ニ用は無イ」
――きちきちきちきち……
 その顔は、徐々に人の姿を失って行く。全身から軋みがきこえる。それに合わせるように、男の体が大きくなっているようだった。男の顔が巨大な複眼に覆われ、口元も鋭い牙に変化していた。
 巨大な化け物が、少年たちの前に立っていた。先日、青い髪の少年に片腕を切り落とされた異形、ダルガだ。
 人間と蜘蛛を組み合わせたような体躯の怪物。その姿はまさに、悪夢の世界の住人である。
「美味ソウダナ……。傷ヲ癒スノニ丁度イイ。情報ハ、脳ヲ喰エバイイ」
 いまや完全に変化した口で、ダルガが呟いた。体をたわめ、電光の速さで少年たちに向かって飛び掛かる。
――なっ……何だ、コイツ!?
――ばっ……化け物!
 中学生達は、驚愕し、凍りついたようであった。 目の前で起こっている異常な事態に、再び精神が麻痺状態に陥っているのだ。助けを呼ぼうにも、満足に声すら出すことが出来なかった。
 そして、動けぬ彼らに牙が迫り……

――ガツッ!
 絶体絶命と思われた瞬間、突如飛来した石がダルガを直撃する。
「グヘェッ!? ……何ダト!?」
 空中でバランスを崩し、もんどりうって倒れる。ダルガは少年達の目前で、無様にひっくり返った。
「無事か!?」
 遠くから駆けてくる昴の声。
 棒立ちだった少年達は我に返った。
「鷺宮先輩!?」
「逃げろ! そいつから離れるんだ!」
「は……はい!」
 三人は、立ち上がりかけた男から慌てて離れた。
 そして昴は、ダルガの前に立ちはだかる。
 三人は、混乱しながらも昴の言葉に従い、その場から逃げ出した。
「キサマ……ヨクモ!」
 ダルガは、怒りに燃えた瞳で昴を睨んだ。
「か……怪物!? ……逃げて、昴!」
 と、その時背後から聞き慣れた声がした。奈緒だ。恐怖に引きつりながらも、昴の元に駆け寄って来る。
「姉さん、みんなを逃がしてくれ! 僕は……」
 昴はダルガの放った一撃を回避すると、再び前に出た。
 そして、鋭い下段の足刀を相手の左の膝頭に叩き込む。
「こいつを食い止める!」
 一瞬、怪物はぐらつき、後退した。
「す……昴!?」
「先輩!」
「早くしろ!」
 昴は、横目で姉が後輩達を連れてこの場から逃げていくを確認すると、慎重に少しづつ怪物との間合いを詰める。
「ズイブン勇マシイナ……。一番最初ニ殺サレタイノハ、貴様カ?」
 怪物は右腕についた巨大な鋭い爪を昴の鼻先に突きつけ、ニヤリと笑う。その爪が不気味に輝く。
「残念ながら、そんなつもりは無いな。倒されるのは、貴様だ」
「フン……大シタ度胸ダ」
 昴は両の拳と掌を、胸の前で叩き合わせた。
 その時、彼の瞳に微かに金色の光が宿り、ざわりと髪が逆立つ。その髪が、根元から色が変化していく。深い海の色……青へと。
「ムゥ? 貴様ハコノ間ノ! …………殺ス!!」
 次の瞬間、怪物は昴の懐にもぐりこんでいた。
 そして…………
 ドスッ!!
 怪物の爪が、昴の体を貫いた。
 いや、違う。
 貫かれたのは、上着と鞄のみ。
 昴自身は……
「何ダト?」
「ここだ」
 頭上からの声。
 振り仰いだ怪物の、複眼と牙ばかりが目立つ頭部に強烈な飛び蹴りが炸裂した。
「ウグッ……貴様!」
 ダルガは逆上し、昴に襲いかかった。右腕の爪を振りかざし、突進する。
 しかし、その一撃はむなしく空を斬った。
 昴は身を屈めてかわしたのだ。そして、その状態のまま、前へと踏み込む。
「ハァッ!」
 カウンターの正拳が怪物の右脇腹に突き刺さった。
 怯んだ所に、前蹴りが鳩尾を襲う。
「グァァ!?」
 ダルガは大きくよろめいた。
「この程度か? ……今度は右腕を斬り落としてやろうか?」
 昴は挑発的に笑う。
 怪物は怒りの咆哮を上げると、再び突進した。
 が、昴はそれをいなすと、突如身を翻した。
「貴様……逃ゲルカ!?」
「さあな」
 そのまま走り去る。
 怪物はその後を追って走り出した。

――その頃
「どこだ!?」
「この向こうの道です!」
 奈緒と少年達は、警官達を連れて公園へと戻って来ていた。
 携帯電話で通報しても取り合ってくれない為、近くの派出所に駆け込んだのだった。怪物の事はなかなか信じてくれなかったが、切り裂かれた警官二人の事もあり、すぐに駆けつけてくれたのだった。
「あれか!?」
 警官の一人が叫ぶ。
 目にしたのは、血だまりに倒れる同僚の姿。
「おい……どうした!? 誰にやられた!?」
 慌てて同僚に駆け寄る。
「例の、男……。怪物、に……」
 口の端から血をにじませつつ、言葉を紡ぐ。
「昴は!?」
 奈緒が問う。
 警官は朦朧とする意識の中、ダルガと昴の向かった方向を指差す。
 しかし、そこまでだった。彼は、力つきたかの様に崩れ落ちた。
「あっち……」
 奈緒はその方へ目を向ける。だが、彼女が目にした物は、無惨に切り裂かれた上着と鞄のみであった。
「昴? ……嘘!?」
 駆け寄った奈緒は、上着を抱きしめると呆然と呟いた。

 屋根の上、ビルの屋上、電柱の上……
 追うダルガと、追われる昴。
 ともに人とは思えぬ跳躍力で疾走する。
 幾人かに目撃されはしたが、皆あまりに現実離れした光景であるが故に、己の目の錯覚だと思った様だ。
 やがて、昴はあるビルの前に着地した。
 そこは、建設途上で放棄されたマンション。バブルの崩壊で業者が倒産し、以来誰も手をつける事無く放置されている。
 彼はチラと追いすがるダルガに目をやると、入り口のフェンスを乗り越えてビルの中に入った。
 それを見たダルガも後を追う。

――ビル内部
 昴を追い、ダルガは扉を砕いて侵入した。
 しかし、待ち構えていたかの様にホールに立つ昴を見、戸惑った様に立ち止まる。
「ここなら良いか」
 昴はかすかな笑みを浮かべ、ダルガを見やる。
「……何ノツモリダ?」
「ここなら思う存分戦えるって事さ。……行くぞ!」
 その台詞が終わるや否や、昴は大きく跳躍した。
「!?」
 鋭い足刀蹴りが、怪物の胸にヒットする。次いで、そのまま空中で身体をひねり、逆の脚で回し蹴りを放った。さらに、着地と同時に回転脚払い。怪物はもんどりうって倒れた。そして最後に、斜め上方から叩き付ける様な踵落としが、起き上がろうとした怪物にヒットした。
「グワッ!?」
 ダルガは腹を押さえ、転げ回る。
 そして壁際までたどり着くと、壁に手をつきようやく立ち上がった。
 そこを狙い、昴は熱戦銃を構えて撃つ。
「!」
 間一髪。
 ダルガは横に飛んでかわした。
 しかし、足下はふらついたままだ。
 そこに、昴が突進した。
 彼は、ダルガの胸と顔面に駆け上がる様に連続蹴りを叩き込むと、その脳天を踏み付けて更に大きくジャンプした。驚くべきバランスと跳躍力である。
 そして再び、空中で構えて銃を撃つ。
 今度はかわしきれず、脇腹に直撃。
 焦げ臭いにおいと白煙が上がり、傷口からは赤黒い体液がしたたる。
「ちっ……出力が安定しないか」
 昴は舌打ちし、銃をしまった。
 銃創は浅く、表層を打ち抜いただけだ。
 その隙にダルガが襲いかかった。
 薙ぎ払うような一撃で、昴は反対側の壁際まで吹き飛ばされる。
 昴は空中で反転、壁を蹴って体勢を整えて着地する。
 そこにダルガが突進して来た。
 左に側転。かろうじて回避する。
 ダルガはそのまま突撃し、一撃で壁を砕いた。まともに食らえば、命はあるまい。
 白煙とともに、コンクリートの欠片が宙を舞う。
 ダルガは目標を見失った。
「ヌゥ……」
 白煙の中から飛び出す影。昴だ。
「クッ!」
 とっさに右腕を振り回す。
 半ば偶然にヒット。
 昴はもんどりうって倒れる。
 その昴に右腕を振り下ろす。
 が、一瞬早く彼は跳ね起きていた。その右肘に、左右から同時に掌打と拳を叩き付ける。
 ごきっと関節が砕けた。
 絶叫が上がる。
 次いで昴は、左膝の側面に下段の回し蹴りを被せる様にヒットさせた。
 最初の一撃で痛めた所を更に蹴りつけられ、こちらも関節が悲鳴を上げる。怪物はがくりと崩れ落ちた。
「そこまでか?」
「マダダ!」
 ダルガは咆哮する。
――ずるり
――ぶちぶち
 耳を覆いたくなるような音を立てて、男の両脇腹を突き破り、二対の細い棒状のものが飛び出した。それは、体液にまみれた、巨大な昆虫の足。こっちは恐らく、外骨格なのだろう。
「ふん……蜘蛛の様な顔だと思ったら、本当に蜘蛛男なのか。……糸でも出 すのかい?」
「ホザケ! コレカラダ」
 怪物は脚を更に伸ばすと、腹這いになった。歩行出来なくなった脚の代わりに、新たな脚で、昴に迫る。
「……」
 昴は、バックステップして距離をとる。間合いを取りづらいのだ。
 そして、左腰の筒状パーツに手を伸ばし……
「!」
 直後、上方から何かが、昴めがけて飛来する。
 高い天井の梁に蠢く、狼程の巨大な蜘蛛。明らかに自然界の存在ではあり得ない。
「手下か……だが、無駄な事だ!」
 跳躍すると、糸をかわす。そして時間差で放たれたもう一条もかわし、ダルガに迫る。
 しかし、
「何!?」
 突如左方から飛来したもう一条の糸に絡めとられてしまった。
「もう一体だと!?」
「俺様ノ可愛イ手下ダ。貴様ヲ餌ニシテヤロウ」
――きちきち、きちきち……
 耳障りな音を立て、ダルガが嗤った。
「くっ!」
 昴は、体にまとわりつく糸から逃れようと、足掻く。しかし、動けば動く程、糸は彼の体に食い込んでいく。
「シャシャリ出テキタ貴様ノ愚カサヲ呪ウンダナ!」

 ダルガの脚が、昴の頭に迫る。
「殺シテヤロウカトモ思ッタガ、ソレデハ収マラン。貴様ノ脳ニ、“種”ヲ植エ付ケテヤロウカ? 貴様ハ一生、我ラノ僕ダ」
「た……種だと!?」
「聞キタイカ? コレヲ植エツケレバ、我ラノ思ウガママノ操リ人形トナル。既ニ実験デ実証済ミダ。逃レラレン」
 ダルガの脚が伸び、昴の頭に迫る。
 しかし……
「ハッ!」
 突如、ダルガの脚が斬り飛ばされた。
「ナ……ナニ!?」
 糸の固まりから突き出た昴の右手。それには、光剣が握られていた。
「ヌ……グゥ……。何故ダ」
 呆然とするダルガ。その目の前で光剣が振るわれ、糸が切り裂かれていく。
 見る間に昴を覆っていた糸は、跡形も無くなっていた。
「中から焼き切ったのさ。セイバーに手をかけていたからな。……さあ、もう終わりだ」
「オノレ!」
 諦めずにダルガは昴に襲いかかろうとするが、それをかわして光剣が一閃する。
 怪物はどうと倒れ伏した。
「何故ダ!? 何故貴様如キニ……」
 脚を失いながらも、なおも立ち上がろうと足掻く。
「貴様らを倒す為に、俺は……この惑星に潜み、十年間ずっと一人で牙を磨き続けてきたんだ!」
 昴はゆっくりと光剣を青眼に構える。その刃は、柄の先端から僅かに伸びているだけだ。これは、エネルギーの消耗を最小限にとどめる為である。斬り掛かる 瞬間のみ刃は出現するのだ。
「ググ……」
 ダルガは低い唸り声を上げると、がくりと力を失った様に脚が落ちる。
「止めだ」
「!」
 近づく昴。
 それを狙い、ダルガは死力を尽くして跳ね起き、飛びかかる。鋭い爪が、牙が昴に迫る。
だが、その動きは昴に読まれていた。
 紙一重で身をかわすと、光剣の柄をダルガの胴に押し当てる。そして、一気に刀身のエネルギーを解放した。
――――――!!!
 声にならぬ絶叫。
 ダルガの全身から、プラズマ化したエネルギーが吹き出す。
 昴は飛び退ると、残心の構えをとった。
「グ……ガ……」
 昴を求めてか、宙をさまよう脚。ずるずると、身体を引きずって歩き出した。一歩、また一歩。だが、それまでであった。ダルガはがくりと膝を突き、次いで 地面に倒れ伏した。
 そして、ぴくりとも動かない。完全に息絶えたのだ。
 主が死んだ為か、いつの間にか手下の蜘蛛達も姿を消している。
 昴はそれを確認すると、ようやく構えを解いた。
 光剣は、一瞬弾ける様な光を発し、消えた。
 彼は、その柄を、無造作にポケットに突っ込んだ。
「貴様如きに破れる訳にはいかないのさ……みんなの敵を討つまではな」
 その時、パトカーのサイレンの音が近付いて来た。
「来たか……そろそろ退散するか」
 昴は身を翻し、その場を後にした。
 その直後。
「動くな!」
 半壊したドアを蹴破って、数人の警官達がなだれ込んで来る。
「……!?」
 その彼等の目に飛び込んできたものは、腐臭とともにグズグズと溶解していく怪物の姿であった。

――暫し後
 街を見下ろす小高い丘、そこに昴の姿があった。
 彼は、夕焼けが消えかかり、星が輝き始めた空を見上げていた。
 晩秋の空には、秋と冬の星座が姿を現しつつあった。
 彼の視線の先には、牡牛座の一等星アルデバランが橙色の光を放ち始めていた。そして、彼の名の元となる、散光星団プレアデス――昴――も姿を見せている。
 しかし、彼が見ているのはそれでは無い。
 昴は無言で拳を空に突き上げた。
「父さん、母さん、姉さん……カイ兄さん。見ていてくれましたか? 僕は ……あなた達の……皆の敵を討つ為に戦います。お護り下さい……」
 昴の言葉は、折からの風に流され、消えていた。

  

2007/11/13掲載

  

  

SLM 3話