鎖音
動くたびに、チャラチャラと鎖が擦れる音が耳につく。 ライトの指がパソコンのキーボードを叩くたびにチャラチャラ。 竜崎が書類を指先でつまんで頭上に掲げるたびにチャラチャラ。 チャラチャラ、チャラチャラ・・・ 「あぁっもうっ。鬱陶しい!」 だんっ! 机の上を拳で叩いて、咽喉から搾り出すような怒声を発したライトを、隣に座っていた竜崎が呆れたような表情で見やる。 「何を今更。それほど大きな音でもありませんし、もう慣れたはずでしょう?」 「夜中とか、時計の秒針が動く音に苛立ったことはないか? どんなに小さな音でも、耳につき出すと気に障るんだ」 ライトのほうは憮然とした表情で、好戦的な眼差しで竜崎の視線を受け止める。 「だからって、机や私に八つ当たりしても始まらないでしょうに」 やれやれ、というように肩をすくめて、竜崎は机の引き出しを探って、何やらゴソゴソし始めた。 また鎖がチャラチャラと音を立てる。 「あったあった」 机の中から赤い小箱を取り出し、嬉しそうに蓋を開けるとそこには小粒の高級そうなチョコレートが並んでいる。 三分の二ほど減っているが、どうやら竜崎の隠しおやつらしい。 「ここだけの話ですが、あんまり甘いものばかり続けて食べているとワタリが、いい顔をしないのです。内緒にしておいて下さい」 チョコレートを目の前にした竜崎は、心なしか嬉しそうに見える。 「つまらないことで神経を尖らせるのは甘いものが不足しているからです。今日は特別に一粒だけ分けてあげます」 言いながら慎重に吟味して、1番粒が小さいと思われるものをつまみあげると、もったいなさそうに差し出してきた。 「・・・そりゃどうも」 竜崎が自分の甘味を他人に分け与えるなど、すごく珍しいことなのでライトは素直に好意を受け取ることにした。 「それにしても意外だな」 もらったチョコレートを口に放りこむと、舌先に溶ける甘い芳香が広がる。 目の前では同じようにチョコレートを含んだ竜崎の幸せそうな顔があって、それにつられるみたいにしてライトの機嫌も少しだけ回復した。 「竜崎に苦手な人間なんていないと思っていたけど、ワタリさんには弱いんだ?」 脳裏に、ワタリの姿が思い描かれる。 一見では柔和で温厚そうに見えるが、闇の世界で生きる人間特有の冷徹さも併せ持っているとライトは考えている。 言葉遣いや態度は丁寧で、場合によっては慇懃無礼に感じられることはあるが、基本的には腰が低くて仕事は的確で素早い。 立場的にはアイバーやウエディと同じく、竜崎が信認している部下の1人なのだろうけれど、その風貌や言動から思わず『セバスチャン』と呼びたくなってくるような老紳士だ。 「ワタリは私に口では適わないと知っているので、黙って実力行使に出るから性質が悪いのです」 拗ねたみたいに目線を伏せる竜崎に、ライトは少なからず驚いた。 いつでもどこでも竜崎には絶対服従していそうな人物なのに、逆らうことなどあるのだろうか。 疑惑の目を向けてられて、「嘘じゃありません」とでも言いたそうに竜崎は語気を強めた。 「こっそり、おやつから糖分を引くんです。ケーキの予定が普通の果物に変わったり、量が少なくなります」 「・・・それが実力行使、か?」 悲しげに語る竜崎の言葉をどこまで信用していいものかと考えあぐねながら、おそるおそる訊いてみるライト。 「ええ、ひどいです。更に怒らせると、メロンの甘さを台無しにする塩辛い生ハムを乗せたりするんですよ、どう思います?」 竜崎の幼稚な言い分が、あまりにも馬鹿馬鹿しくて。 『えー? そう言われてみれば僕と竜崎が二人で作業していたら、ワタリさんが生ハムメロン差し入れてくれたことがあったな。 たしかに生ハム残してたような記憶がある。 でも竜崎は、いつもショートケーキの苺も最後に食べるために残すから、生ハム残してたのも最後の楽しみにするためだと思ってたよ。 そういえば、あの時は別の作業が飛び入りで来ちゃったから最後まで食べられなかったっけ? 作業を終えて戻ってきたら、食べ残していたメロンもワタリさんが既に片付けてしまった後で、竜崎は無表情で残念がってたな』 などと、どうでもいい感想がライトの頭の中を吹き抜けていった。 竜崎のほうも口に出してしまってから、ライトが微妙に呆れているようなのを察知して、ぴたりと口ごもった。 「まあライト君にはどうでもいい話ですけどね」 指の腹を噛むのは竜崎の癖なので、今回も自然と指は唇に向かった。 チャラチャラと鎖が音を立てて、そこでライトは再び不満を思い出した。 「なあ竜崎。2人でいるときくらい手錠を外さないか? 僕は逃げも隠れもしないから」 「ダメです。いかなる理由があろうとも、私が納得しない限りは外せません」 頑なに拒む態度に、せっかく納まりかけていた苛々が、あっさりと復活してしまってライトは声を荒げた。 「いい加減にしろよ竜崎。そもそも、どうして繋がれているのが僕なんだ?」 手錠の存在を誇示するように、わざと繋がれた鎖に音を立てさせながら語気を鋭くする。 「第二キラと疑われているミサのほうが、第一キラには備わっていない能力を保持していると判断されている分、危険だろう?」 それなら、どうして竜崎に繋がれている鎖の先にいるのがミサではないのか。 「ミサさんは女性ですから。若い男女を2人きりにさせられないでしょう」 「嘘だな」 空々しいことを言ってみせた竜崎を、間髪入れずに否定する。 「竜崎にとって興味ある対象はキラであって、性別や年齢や性格なんかは二の次だ」 「ライト君。私のとっての『キラ』は、私を翻弄させた知能犯である最初のキラ・・・つまり、あなただけです」 仕方ない、というふうに竜崎は首を振ると、真っ直ぐにライトの目を見据えた。 「他のキラも、それなりに脅威ではありますが『キラ』ほどではありません」 その言葉は甘い痺れを伴って、毒のようにライトの心に沁みてきた。 「光栄だね、そこまで想われているキラは」 素直な気持ちだったが竜崎は鼻先で笑った。 「そのキラはライト君の内にいて私を欺くチャンスを狙っているのです。 いつかまた逢える。そして私を倒そうとするでしょう。やれるものならやってごらんなさい。私は負けませんから」 ライトに向かってキラに語りかける竜崎の声は、どこか恍惚として聞こえた。 「判った手錠は我慢する。だから僕じゃない僕に話しかけるのは止めてくれ。気が滅入る」 自分が自分ではなくなるような気持ちに陥って戦慄を覚えたライトは、得体の知れない恐怖から逃れようと頭を振ると、再びパソコンに視線を戻した。 竜崎も何も言わず、チョコレートの小箱を大事そうに引き出しの奥に隠しなおすと、何事もなかったかのように書類に手を伸ばす。 2人の間で揺れる手錠の鎖は、途切れることなくチャラチャラ音を立て続けた。 チャラチャラ、チャラチャラと、いつまでも。 【終】 |
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