幸せな恋人達の平穏な日々


 P3~5の下段途中 
 
 ラダマンティス様がカノンにたぶらかされている!!

 最近、冥界のあちこちでささやかれている噂である。
 噂ではなく事実であると、真剣に懸念している者達も少なくない。
 特に、百八人の冥闘士の内、ラダマンティス配下の間では、その話題が誰かしらの口に出ない日はなかった。


「こんにちはー、ラダマンティス、俺の愛しいラダマンティス、会いに来てやったぜー!」
 そして今日も、カイーナの事務室の扉が、豪快な音をたてて開かれる。
 それは、ほぼ一日おきに見られる光景だ。
 室内に誇らしげに響き渡る声は、双子座のカノンだ。
 正式な双子座の黄金聖闘士は、今では双子の兄のサガであるらしいが、冥界においては、双子座というとカノンを思い浮かべる者がほとんどだ。それは、かつての聖戦の時、輝かしい双子座の聖衣を纏って冥界を駆け抜けた、その姿があまりにも知れ渡っているからだ。
 とは云っても、カノンとサガの見分けがつくものなど、この冥界に、ラダマンティス以外にはいないのだが。
 黄金聖衣と同じほど、鮮やかにたなびく金色の髪、輝く瞳の色は深い海の青。
 そして何よりも、ラダマンティスに向けられるその顔は、頬を薔薇色に染め、唇も花びらのように艶めかせ、まさしく一途な恋の表情だ。
 これが他の人間であれば、この室の誰もが、素直にその気持ちを認めたであろう。
 しかしこれが、悪名高き双子座のカノン、もしくは、海龍のカノンとなれば別である。
 神をもたぶらかした男、とは、奇しくも聖戦の時、ラダマンティス本人がカノンを呼んだ言葉だ。
 そのカノンは今、冥界において、ラダマンティスをたぶらかした男、と、密やかに呼ばれている。
 けれども、その、ラダマンティス本人はというと。
「おお、カノン! 来てくれたのか、さあ、入ってくれ。遠くまでわざわざ、疲れただろう。」
 即座に席から立ち上がり、ラダマンティスは嬉々として扉へと向かった。
 彼の、厳しくいかめしい、聖戦前ならば緩むことなどなかった鉄面皮が、これまた、恋する男の顔と化しているのだ。
 その様子は、聖戦までの重厚で寡黙な恐ろしい上官ではなく、見た目からは判断できない実年齢の若々しさだ。
「遠いだなんて、一度も思ったことはないさ。ラダマンティスがここにいると思えば、その道のりなど一瞬だ。……でも、不思議だな。帰る時には何故だかいつも、果てしない道のりに思えるんだ……。」
「……カノン……。」
 ふわりと笑うカノンに、ラダマンティスが全力でときめいているのは、誰の目から見ても明らかだった。
「会いたかった、ラダマンティス。」
「俺もだ、カノン。来てくれてとても嬉しい。」
 手を取り合って一心に見つめ合う。その瞳には、互いしか映っていない。
 そもそもどうして、カノンは毎日のように、のうのうとここに来ているのかと、誰もがそろそろむなしくなってきたつっこみを心の中で繰り広げる。
 海界はほぼ閉鎖、聖域では兄のサガが正式な双子座の聖闘士だからと、実はカノンは今、半ばフリー状態だ。しかし女神とサガが断固としてカノンを離す気はないと全力で証明しているので、籍としては聖域にあるらしい。
 けれども本人はふらふらと、冥界に通ってきている。
 それは聖戦後のどたばたのうち、いつのまにかカノンが、ラダマンティスとつきあいはじめてしまっていたからだ。
 忙しいラダマンティスの元に、暇人のカノンはせっせと通ってくる。
 また、冥界の方でも、ハーデス、タナトス、ヒュプノスの三神は、聖戦での傷を癒すために長い眠りについてしまった。
 パンドラは、聖戦時の裏切りが知れ渡り、その座を追われている。
 なので今は、文字通りに三巨頭が冥界の指導者だ。
 その一人、ラダマンティスはこの通り。
 天貴星グリフォンのミーノスは、人の恋路の邪魔はしませんよー、っていうか、ラダマンティスはおもしろいですねえ。と、得体の知れない笑みを浮かべて、おもしろがりまくっているだけだ。本当に困った状態になれば出てきて下さるのだろうが、それまではよい見せ物代わりにされている模様であり、また、どこまでの事態になればあの方が心配なさるのかと、誰もがあきらめムードである。
 最後の一人、天雄星ガルーダのアイアコスは、最初は単純な、堅物な仕事仲間の恋愛事情に興味津々な様子だった。しかしその好奇心はいつのまにかミーノスに云いくるめられた様子で息を潜め、傍観の体である。むしろ、書類仕事嫌~いと、執務をラダマンティスとミーノスに投げた彼は、今、冥闘士達の鍛え直しに忙しい。
 ……そう、その厳しい修行の強制も、元はといえばカノンのせいである。
 いつでもひょいひょいとカイーナに現れるカノン。
 しかし、冥界にだって、警備兵はたくさんいるのである。ハーデスの結界だって、かつてよりは随分弱くなっているもののまだ張り巡らさせているし、案内もなしにカノンが冥界の深層まで訪れられる筈は本来ないのだ。
 最初は多くの者が、カノンを問いつめた。もちろん、ラダマンティスもだ。
 けれどもカノンは、不思議そうに首を傾げて、こうのたまったものである。
「え、警備なんてあった?」
 ……と。
 曰く、それらしい人はいたけど、呼び止められなかったし、誰も彼に気付かなかったし、自分は聖戦でこちらで大変暴れ回ったので、恨まれてたりして絡まれるのは嫌だから人通りは避けたけど、普通にまっすぐカイーナ目指して一直線に走ってきただけだぜ? だそうである。
「俺がラダマンティス恋しさに夢中で走っているのを見て、見逃してくれたのかな?」
 はにかんで、ぺろ、と舌を出すカノンを、ラダマンティスは顔を真っ赤にして抱きしめていたが、そんな可愛らしいものではない。絶対にない。
 気配を消す技は天下一品、そして、エイトセンシズにまで目覚めたカノンが、小宇宙を燃やして光の速さで駆け抜けるのだ。
 気付かれないようにしてるんだろう! という、冥闘士一同の言葉に、怒りは別の方向から訪れた。アイアコスである。
 聖闘士の侵入に気が付けないとは、全員たるんでいる! カノンを捕獲できるようになるまで、この俺が直々に鍛え上げてやる! と云う方向に進んでしまったのだ。
 ましてや相手は、聖衣もない、ぼろい訓練着一枚のカノンである。
 軍備強化は、ラダマンティスもミーノスも反対する理由は全くないので、アイアコスの思うようにやってくれと一任されてしまった。
 元々、冥闘士や海闘士は、星の定めによってその闘衣を与えられるものであり、聖闘士達のような厳しい修行は積んでいない。
 なのでアイアコスはわざわざ聖域にまで脚を運んでレクチャーを受け、また時には、黄金聖闘士が指導に派遣されてくるようになった。
 黄金聖闘士の中でも指導に適正のある、弟子持ちの水瓶座のカミュや、雑兵・候補正の指導に熱心な獅子座のアイオリアや牡牛座のアルデバランが主ではあるが、時々は癖の強い乙女座のシャカや蟹座のデスマスクなどもやってきて、冥闘士達を全力で混乱させている。
 そんな訳で、泥のように疲れ果てた冥闘士達の微妙なカノンへの逆恨みも混じりつつ、その同行が、あーだこーだと取りざたされているのだった。

P15の上段途中~16の下段途中
 
 服を選んだ後、女神がくれた物の中には、大量の貴金属やら高級腕時計やらがあって、結局、ラダマンティスだけでは選びきれず、サガにも手伝ってもらって、随分と頭を悩ませることになったりした訳だが。
 宿泊予定は、女神の取ってくれた超高級ホテル。ディナーはそこのレストランだったりして、全て女神の支払いである。
 幾分ラダマンティスは臆してしまったが、こんな時カノンは、非常に大胆だ。
 予約名が城戸沙織の名であったのと、何よりもカノンの美貌、そして身につけているのが、服からアクセサリー、靴に至るまで、どれもこれも超一流の物ばかりだからだろうか。レストランでは一番よいと思われる席に通された。
 ラダマンティスもかつて人間時代に名前だけは聞いたことがあったような、高名なブランド品ばかりだ。
 女神は本当にカノンがお気に入りで、カノンのためならば、できることは何一つ惜しまないのだ。
 神としてだけではなく、人間としての彼女は、大財閥の当主でもある。カノンがある意味判っていないからというのもあるが、カノン越しにその恩恵を受けることも少なくないラダマンティスは、女神・城戸沙織の太っ腹ぶりには頻繁に度肝を抜かれている。
 カノンは存在自体が豪華なので、回りの客達からも、憧憬や感嘆の視線ばかりが向けられてきていた。
 しかしカノンは値段や格式、人の視線を気にも留めず、おいしいと喜んで料理を食べている。
 そして、ラダマンティスを見てはにこにこして、一緒にお出かけできて嬉しいと、そんな態度を崩さない。
 ラダマンティスには、カノンがとても素直にデートを楽しんでくれているのが伝わってきた。
 だからラダマンティスもそのうちにリラックスしてきて、きちんと食事を楽しめたと思う。
 とはいえ、その後に入った部屋がこれまたすごくて、ラダマンティスはびっくりしてしまったのだが。
「こんな広い部屋……、良いのだろうか。」
 ふたりきりになった室内を見渡して、ラダマンティスはしみじみと呟いた。
 高層階の部屋だけあって、調度は豪華、窓も非常に大きく作られ、夜景がやけに美しい。
「ラダマンティスの部屋より狭いし、ベッドも小さいだろうが。」
 カノンは早速室内を探検している。どんなホテルでも、わくわくと好奇心いっぱいにあちこちを開けて回るカノンを、ラダマンティスはかわいいと思う。
「大きさの問題ではなくだな。」
「おまえといられるなら、広くても狭くてもいいんだけどな。……まあ、ベッドから落ちるのは嫌だから、それだけはそこそこ広い方がいいけど。」
 カノンはベッドに飛び乗り、軽く体を弾ませながら笑った。良くスプリングが効いているようだ。クイーンサイズのロングタイプだろうか。ラダマンティスの寝室のベッドは、カノンが横に寝れるほど広いので、それに比べれば小さいけれども、これだけの広さがあれば、大柄な二人が睦み合うには充分だ。
 いつも散々しているくせに、この後のお楽しみをほのめかされて、ラダマンティスは照れて顔を赤くしている。
「また女神に甘えてしまったな。何もかもしていただいてしまって申し訳ない。どうお礼を申し上げればいいのか。」
 しかしそれはそれとして、魔性に呼ばれるまでは一般人の庶民だったラダマンティスだ。
 冥闘士としての日々も普通ではないが、こんな部屋に泊まることだって、かつてのままならばありえないような贅沢である。
 普通の人間ではなくなり、かつての夢も生活も無くしたが、そのためにカノンと出会えたことや、こうして恋人になれたことを思えば、今ある何もかもをラダマンティスは受け入れる。
「だったらその分、俺のこと大事にしてくれたら、女神も喜ぶと思うぜ。」
 手招かれてラダマンティスもベッドに乗ると、カノンは更にベッドを弾ませながら、にっこりと笑った。
「それは、云われなくてもだ。」
 ラダマンティスはきっぱりと云うと、カノンの手を優しく握ってくれる。
「おまえは俺の宝物だ、カノン。」
「……ありがと。」
 その手のあたたかさに、カノンはふわふわと浮き立つような気持ちになった。それは決して、ベッドの上で跳ねているからだけではないと思う。




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