アイノカタチ
白楽天:作

■ 2章「調教開始」5

疎らに立つ街路樹が時折、思い出したかのようにその青々とした葉と揺らし、ざわざわと音を立てる。
だがそれも長くは続かず、ひたすらに照りつける太陽に降参するかのように再び沈黙を決め込む。
梅雨もとうに明け、連日の空模様は7月のあたまでありながら刻々と真夏へと近づいているのだと、人々に感じさせていた。

佳奈はそんな日差しを避けるようにルノワールの横、ちょうど日陰になっている場所に立ち、左手を少し上げて腕時計を見た。
11時30分。
章介との待ち合わせの時間にはまだ30分もある。
初めてのデートなんだからちゃんとしないと、と休日だがいつもどおりに目覚ましをかけ、シャワーを浴び、昨夜悩みに悩んで決めた服に袖を通し、髪やアクセサリに試行錯誤し納得いくものに辿り着いた所で家を出た。
(ちょっと……早すぎたかな……?)
だが、腕時計の秒針が文字通り刻一刻と進むにつれて待ち合わせの時間も近づき、こうして相手を待つというのも楽しいと思える。

ほどなくして、シルバーの自動車が近づいてくるのが視界の隅の方に見えた。
普段はもちろんのこと、先ほどから通過していく他の車には気にも留めなかったのだが、そのときだけは何故か意識が向いた。
俯きがちだった顔を上げ、ふと車の方を見る。まだ離れているが運転席の人が見えた。
章介だ。
章介もこちらを見ている佳奈に気づいて右手を軽く上げて小さく手を振る。
(しょ、章介さん・・・!)
(服、変じゃないかな・・・皺とか乱れとかないよね・・・・?)
予想以上に速い章介の到着にどぎまぎしてしまい、佳奈は慌てて自分の格好を確認する。
そうしているうちに、章介の運転する車は徐行しながら近づき、やがて佳奈が立つすぐ傍の路肩に止まった。
佳奈は手櫛で髪を改めて整えながらゆっくりと、章介の車へと歩みを進める。
「おはよう、佳奈。」
章介は車から降りて、佳奈の方へと足を向けつつ声をかける。
「お、おはようございます、章介さん。」
いかにも緊張していると分かるトーンがついつい口から出てしまう。
だが、それを自覚している脳は以外にも冷静なのに佳奈は内心驚いた。
「やっぱり、佳奈は来るのが早いね。」
章介にも佳奈の緊張が見て取れるのだろう、それを宥めるようにゆったりとした口調で切り出した。
「まだ佳奈のことはよく知らないけど、佳奈は真面目そうだし待ち合わせの時間前にはちゃんといるような性格な気がしたんだ。」

章介は、佳奈は真面目なだけでなく“ある性格”、つまり、『自分も応えなければいけない』であるとか、『初めてのデートなんだからちゃんとしなければいけない』といった、“相手を立てる、相手に尽くす義務を無意識に自分に課す性格”があると感じていた。
相手のためにと、ある種の義務のような、無意識の自分によって課せられた責務に対して従順に動き、相手に奉仕する。
しかも嫌々“やらされている”のではなく、自発的な“尽くしたい”という意思の下で。
実際、佳奈自身は自覚していないものの、佳奈にはそういった献身的性格や行動が章介に出会う前から顕著に見られていた。
最も、周囲の人間は『優しい』、『いい人』程度の評価しか下していないのだろうが、佳奈を愛奴に仕立てるつもりの章介にとってはそれ以上のものであることは間違いない。
章介にとっては佳奈のその献身さは初めから聖人君子のそれとは違うのだ。

「約束の時間とかに遅れるの、なんか好きじゃなくて…」
佳奈は首を少し傾げながら恥ずかしそうに微笑む。
「いいことだと思うよ。……さあ、乗って。」
章介は微笑み返しながら助手席のドアを開け、佳奈を誘導する。
車内は程よくクーラーがかかっていてとても快適だった。
助手席側のドアを閉めると章介も運転席側に乗り込む。
「これ……章介さんの車なんですか?」
「そうだよ。日産のスカイラインっていうやつでね。ドライブ、結構好きだからさ。」
そう答えながら、章介は慣れた手つきでシートベルトを右肩の上から引き伸ばしてそのまま左側の留め金部分に固定した。
佳奈もそれを見て、倣うように自分もシートベルトを取り付ける。
「佳奈はショッピング、好きかい?横浜にドライブがてらに行こうと思うんだけど。」
佳奈がシートベルトを取り付け終えるのを横目で追いながら章介が切り出す。
「しょっちゅう行くわけじゃないけど、好きです。横浜でショッピング楽しそう!」
胸の前で手を合わせて眼を輝かせるその様は昨日のリツコのパスタの時の喜び方と同じで、普段落ち着いている佳奈だけに、その歳相応のはしゃぎ様は佳奈を尚更に可愛らしく見せる。
まだ横浜行った事ないんです、と言いながらも幸せそうな微笑を浮かべる佳奈を一瞥してから、章介はアクセルを踏んだ。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊