雨宿り
横尾茂明:作

■ 雨宿り10

一郎は淑子に逢えぬまま東京を離れた。
そして海軍二等水兵となり、昭和十九年二月海軍兵科第一期予備生徒に採用され旅順に赴いた、このとき最後に淑子に逢えなかったことが痛いほど後悔された。

旅順海軍予備学生教育部で初級将校としての基礎教育を受け、更に各術科教程を経て同年十二月海軍少尉候補生を拝命し直ちに任地に赴く。
翌二十年六月には海軍少尉に任官し各所に転戦するも敗戦は色濃く感じられ、日本に残してきた淑子と母の安否が分からず苛立つ日々を送った。

終戦の翌年…一郎は舞鶴に降り立った、前年の東京大空襲で母が亡くなったのは戦地で知らされたが淑子の消息は皆目判らなかった。

すし詰めの東海道線で一睡も出来ずに東京の地を踏む…麻布界隈は浅草、本所、深川ほど酷くはなかったが一郎の家も淑子の家も焼失していた。

一郎は数ヶ月の間…淑子の消息を求めてさまよい歩いた、そして2ヶ月目に赤ん坊をおぶった淑子が品川の軍需工場で働いていた事を突き止めた、しかし…その後の消息はようとして判らなかった。

麻布の屋敷跡に小さな小屋を建て、一郎は待つことにした、淑子が生きていれば必ずここに来るはず…。

(淑子が赤ん坊をおぶっていた…あぁぁ俺の子だ…淑子…お前はどんなに心細かったことだろう、どうか俺を許してくれ)

歳月は光陰とともに流れ一郎の記憶から少しずつ淑子の面影は色あせていった。


(さっ…雨は上がったな、やはり驟雨だったか)
路地裏の古ぼけたお屋敷の格子門の軒下…今にも淑子が笑顔で出てくるのではと妙な妄想で雨上がりを待った老人であったが…。

老人は軒先を放れ一度空を見た、少し歩き出してから雨宿りの軒先をふっと振り返る…あの日のように淑子が軒下で手を振っているような気がして…。

老人は振り返り振り返り大通りに向かう、そして涙を拭った。
≪おわり≫


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