光梨の奇妙な日常
煙突掃除屋さん:作
■ PM19:30 下校〜夜の始まり1
PM19:30 下校〜夜の始まり
結局、光梨が帰途についたのは7時を過ぎてからだった。恭子の怒り方は尋常ではなく、生徒指導の別の先生が宥めてやっと開放された程だ。脚はもちろん身体中に力が入らない。それほどハードな居残り特訓だった。
グラウンドから部室に戻る時はまだ生徒会室の灯りがついていたのだが、着替えて部室から出て来たときにはもう消えていた。美咲も一足先に帰ってしまったようだ。待っててくれてもいいのに……八つ当たりだとは分かっていながら、膨れっ面をしてトボトボと自転車を押す。
「こんなに遅くなるなんて…」
駿介は多分待っていてくれるだろう。そろそろ夕食の時間だから屋敷に戻っているに違いない。しかし、自分が先に帰って色々と準備をしたかったのに…。
梅雨に入ろうかという今の時期は湿気も多い。汗をたっぷり吸ったタンクトップとショートパンツがやけに重く感じて光梨はパタパタと裾を風に泳がせた。少女の汗の匂いが辺りに充満する。
「……せめてシャワーだけでも浴びたかったのに〜」
自分の汗の匂いが鼻について光梨はしかめっ面をした。だが、本人にとっては嫌な匂いも他人にとってはそうでない場合もある。増してやうら若い少女の体臭ともなれば喜ぶ者は多い。同じ方向に帰宅する生徒達や、すれ違うサラリーマンが光梨の方を振り返るのには彼女は気付かなかった。
光梨の意識の中で『駿介に抱かれる時は身奇麗にしておく』という不文律が確固として存在していたのだ。ペットとして。
そう、駿介の愛玩動物の1人として……。
(あ…れ? 駿ちゃん? ……と、誰?)
屋敷へ帰る最後の角を曲がると、少し先の電信柱の灯りの下に駿介らしき人影が誰かと談笑している様子だ。光梨は疲れきった身体を引き摺るように駿介の元へと近づいていく。
「あ! 光梨! 今、帰ってきたの?」
もう1人の人影は光梨の姿を認めると小さく手を振った。
「…美咲? なにしてんの? こんなトコで…」
「うん。ちょっと前に学校出てココを通ったら従兄弟さんと会ってね。色々と話してたのよ。」
「早く帰らなくていいの? もう7時過ぎてるよ?」
美咲の家は躾にも厳しいと聞いた事がある。門限が何時かは知らないが、美咲が夜遊びをしない事から見ても夜間に出歩くのは許されていないのだろう。
「だぁ〜いじょうぶ! 今日から5日間は両親が仕事で日本にいないのよ。ずっと1人だから誰にも文句言われないし。」
そう言えば美咲の両親は何か有名な外資企業で務めていると聞いた事がある。
「そうなんだ。じゃあ晩御飯はどうするの?」
「うん。適当に外食してってお金渡されちゃった。ひっどいよねぇ」
そういうと美咲は小さな財布をパタパタと振って見せた。
「じゃあ美咲ちゃんもウチで食事すればいいじゃないか。何なら泊まっていけばいい」
(え…?)
駿介の唐突な提案に光梨は驚いた。そんな事をしたら駿介との時間が…
「そ…そうだよね! 美咲、ウチにおいでよ! 一緒にご飯食べよ!」
しかし誰もいない家に美咲を帰してしまうのも可哀相な気がする。そう口に出してから光梨は少々切ない気分になる。
「……ご迷惑じゃない?」
「大丈夫だよ。光梨も美咲ちゃんが来てくれた方が嬉しいだろう?」
「う……うん」
美咲は暫く考え込んでいたが、やがてカバンを持ち直して2人に丁寧にお辞儀をした。
「じゃあ…一晩だけお世話になります。…でも、着替えとか持って来てないんで一度家に戻ってから来ます」
そういうと、もう一度頭を下げて家の方向に走っていった。2人は美咲が曲がり角を曲がるまで見送った。気が付くと光梨のすぐ傍に駿介が佇んでいる。美咲が角を曲がるのを確認すると2人は歩みを進めて屋敷の正門に入った。
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