狂牙
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■ 第3章 転換の兆し17

 千佳は、良顕に指示を出され直ぐに行動に移した。
 データを乙葉から受け取り、全ての内容を記憶すると、昌聖の自宅に向かう。
 良顕から直接の接触は避けるようにと、厳命を下されていたが、千佳にはその意味が計りかねていた。
 資料に有った昌聖の容貌が、余りにも茫洋としていたのが原因で有る。
 良顕の手駒として鍛えられていたが、千佳はまだ18歳の子供だった。
 修羅場と言うものを潜っておらず、まだ経験も未熟で緊張感に欠けている。
 この時、千佳の頭に有った物は[良顕に褒められる]だけで、功名心に突き動かされていた。
 そのため、こう言った行動時、常に行動を共にするよう指示されている、伊藤 啓介(いとう けいすけ)にも声を掛けていない。

 千佳は、昌聖の自宅が有る商店街に向かっていた。
 商店街に入ると、千佳はすぐに有る違和感を感じた。
 それは、極微細なものだが、良顕の元で幾人も同じ人種を見ているから感じた事だ。
(うわぁ…、この商店街。変態率高〜い。あのお姉さん…、綺麗だけど完全にマゾね…。あの魚屋さんは、奥さんがサドで、旦那さんがマゾ…。うわ、こっちも…、あそこもそう…)
 商店街の7割近くが、SM嗜好者なのである。
 千佳はその事実に、興奮気味でキョロキョロと辺りを見渡した。
 そんな中、肉屋の店主がスッと店の奥に引っ込んだ。

 肉屋の店主は携帯電話を取り出すと、番号をダイヤルしコールする。
「もしもし、[ご隠居]ですか?[迷子]が[庭]に入って来ました。[子猫]です」
 数度のコールで出た相手に、肉屋が告げると
『ほう、[飼猫]か?』
「どうですかね…動きから見ると、そこそこの[躾]はされていると思いますが。[庭を荒らす]程では有りません」
『ほうほう、[毛並み]はどうじゃ』
「くっくっくっ、ご隠居も好きですね…。[上]は有りますよ」
『ひへへへっ…、爺の元まで案内せい。直に検分しちゃるわ』
「案内の必要は無いかもしれません。どうやら、目的地のようですね。真っ直ぐそっちに歩いています」
『はあ? そりゃ随分、せっかちさんだ…。なら、持て成しの準備でもしてやるかの』
「ご随意に…。私達は、[御用聞き]に掛かります」
 肉屋の店主は、通話を切ると
「おい、ちょっと出掛けてくる。店頼んだぞ〜」
 奥に向かって、大きな声で告げながら、携帯電話を操作し、メールを配信する。

 メールを受け取った魚屋、八百屋、酒屋、惣菜屋、クリーニング屋がほぼ同時に店を出て、車やバイクで真っ直ぐ1km進み、商店街を中心に縫うように走り回る。
 ただ、グルグルと走っているように見えるが、上空から見ると6人の動きは、完全にシンクロしており、ほぼ同じ間隔で町内を移動していた。
 6人が商店街に戻ってくると
「おう、肉屋さん[注文]は有ったかい? うちは空振りだ」
「いや、不景気なのかね。うちも空振りだった」
「うちもですよ〜」
 お互いに収穫が無かったことを話し合い、それぞれの店に戻る。

 肉屋は店に戻ると、携帯電話を取り出し、リダイヤルすると
「もしもし[飼主]は居ませんね。[リード]も付いてないみたいです。どうします?[保健所]に連絡しますか?」
『おいおい、そんな可愛そうな事を言うもんじゃない。ここは、遊ばせて上げなさい。今、店の前に居るが…、中々楽しめそうじゃわ…』
「はぁ〜…、ご隠居…。程々にして下さいね…。怒られるのは、私達なんですから…」
 肉屋が溜息を吐くと
『ふぉふぉ、それも修行じゃろ。まぁ、悪いようにはせんて…』
 電話の相手は、楽しそうに告げて通話を切った。
「全く…、エロ爺なんだから…。歳を考えて欲しいよ…」
 肉屋は携帯電話を見詰め、ボソリと呟く。

 肉屋達が御用聞きの報告をする少し前、千佳は目的地に着いていた。
 商店街のほぼ真ん中に有る、狭い折れ曲がった路地の奥にその店は有った。
(何…。この妖しげな店…。コレで、良く客が来るわね…)
 千佳の目の前に有る店は、誰の目にも[いかがわしい物]を売っている店だった。
 2階建ての建屋で、向かって右手に入り口が有り、左側はショーウィンドーに成っている。
 だが、その入り口は黄色い幌で覆われて、入り口が直接見えない構造で、ショーウィンドーは真っ黒なフィルムが貼って有り中は確認できない。
 入り口の黄色い幌は、庇の幌から延びていて、[各種ローター・SMグッズ、オーダーメード承ります]と赤字で大書きされている。
 そして、庇の幌には、黒の大きな文字で[KO.堂]と屋号が書かれていた。

 千佳はそのいかにもな店構えに、噴出しそうに成った笑いを押さえつける。
(こ、これが実家だったら…。私、絶対に隠し通すわ…。無理、絶対人に見せるの無理…)
 千佳はデーターの昌聖の顔を思い浮かべ
(あんな、根暗そうに成ったのも、無理ないわね…。何よKO.堂って…)
 その生い立ちに同情しながら、笑いを堪えるが、幌に書かれている屋号の秘密に気付き、爆笑を始める。
[KO.堂]の[.]の部分に筋が入っている事に気がつき、マジマジと見詰めた千佳は、[.]と思えたのは、実は小さな[N]の字だった。
 すなわち、この店の屋号は[KON堂]が正しい読み方だったのだ。
(ま、まんまじゃん…。ひぃ、おかしい〜…)
 笑いのツボに入ってしまった千佳は、暫く腹を抱えていたが、気を取り直して気合を入れる。

 この時、千佳にもう少し知識が有れば、この建物周辺が異様だと気付いた筈だった。
 ショーウィンドーの屈曲率や壁面のタイルの光沢、入り口に至るまでの、建物の配置や建材、それら全てが通常使われる物では無いと、判断できただろう。
 妖しい造りの店構えを覆うタイルは薄汚れているが、一切傷が付いていない。
 ハイパーセラミックは、高耐熱で、超硬質のため風雨程度では、傷が付くはずも無い。
 ショーウィンドウも厚さ20oの多重防弾ガラスで、同じようなものだ。
 路地の入り口を形成する、空き店舗と酒屋の倉庫の外壁は、全てハイパーセラミック製で、2箇所の曲がり角部分は、ボタン一つで壁がスライドし、分断されるように成っている。
 そして、最も重要なのは、路地の手前に、この店を知らせる看板が出ていないと言う事だ。
 商店街の通りから、直接見る事の出来ない店に、来店すると言う事は、この店の存在を知っている以外に無い。
 つまり、この店を訪れる人間に[偶然]は無く、全てが[必然]だった。

 千佳が扉を開き中に入ると、店内に所狭しと並んだ、アダルトグッズに圧倒される。
 バイブやローターはもとより、怪しげな媚薬やローション、本格的なボンテージやコスプレ衣装、数々の鞭や拘束具、その他様々な小道具から大道具。
 その数は、数え切れない量だった。
(うわっ! 凄…。何この数…。それに、思ったより広い…)
 千佳は圧倒的な量に驚きながら、辺りを見渡す。

 千佳はショーケースに並ぶ、バイブレーターに目を奪われ、目的を忘れ見入っていた。
(うわ〜…、何この数…。品揃え豊富ねぇ〜…。あっ、アレ凄い…うわ、これも…。え〜っ、コレどんな風に動くの〜…)
 新旧ギミックマスター(昌聖はまだ候補)の渾身作に目を輝かせる。
(こんなの、見た事無い…。あぁ〜ん…、ご主人様に使われたい〜…)
 実際のところ、マテリアルと組織では、奴隷の目的が違うため、淫具に関しては組織の方が、かなり進んでいた。

 頬を赤く染め、ショーケースを見詰める千佳に
「ふぉふぉふぉっ、可愛らしいお嬢さんが一人、ウインドゥショッピングかな?」
 老人が声を掛ける。
 その声に驚いた千佳は、声の方を向くと、年齢70前後の杖を付いた背の高い老人が、千佳に笑いかけていた。
「あっ、あの…」
 老人の気配を全く感じなかった千佳は、突然の事に声を詰まらせる。
「おうおう、驚かしたようじゃな…。済まん済まん…、始めてみる可愛らしいお穣ちゃんが珍しくての。思わず声を掛けてしもうた」
 ニコニコと皺に隠れた切れ長の目を優しげに細め、老人が千佳に告げた。

 千佳は老人の温和な雰囲気に、驚きを消し
「あっ、お店の人ですか?」
 問い掛ける。
「ふぉふぉ、こんな生臭い店に、儂みたいな乾涸らびた爺さんが通う筈も無かろう。店主じゃよ」
 老人は楽しそうに、千佳に答えた。
(えっ! って事は、家族? やばいかな…。[近づくな]って言われてたのに…)
 千佳は内心の焦りを面(おもて)に出さないように
「えっと…。これ見せて貰って良いですか?」
 客を装いショーケースの中のバイブを指さす。
「ああ、構わんよ。埃避けにガラスが付いとるだけじゃ、いくらでも手に取ってみると良い」
 老人が微笑みながら、頷いた。

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