狂気の住処
ビーウスの友:作

■ 1

 鬱蒼とした森に浸食され見る影もないが、男達が屯するこの地域は旧日本軍の野営所として使われていた。
 今や至る所に苔生したコンクリート製の建物が軍の宿泊施設に利用されたものだろう。二階造りだが、一階からの階段は崩れ落ち、二階へは梯子を渡して入ることができる。随分荒れ果てているが、屋根は健在で雨風の凌ぎくらいはできる隠れ家だ。
 廃墟の中には見張り番を任された男達が二人、座っていた。猛獣ようなガタイのいい男とそれとは対照的に痩せ型の男である。
 二人の男達は白熱したババ抜きを格闘中だった。
「おい、下等。負けた方が今日の運搬作業に従事するて約束、忘れてないよな?」
 大月が向かいにいる加藤を睨んだ。
 大月の鋭い目線は冗談めかしくあっても充分凄みが利いている。
「わ、わかってますよ…」
 加藤は小便をちびりそうな弱った顔で何とか言葉を返した。せめてもの男のプライドというものだ。
「お前の番ださっさと抜け。下等」
 大月は加藤のことを「下等」という意味合いを強めてそう呼ぶ。おそらく加藤という人間が傍から見ても明らかなほど小心者であるからに他ならない。
 差し出された大月の厚ぼったい指先に摘まれているカードに皺ができている。
 加藤は縒れたカードの一枚に手を伸ばす。大月はババを取らせようと加藤にトラップを仕掛けるに違いない。取れとばかりに掲げたカードがババかそれともフェイクか。加藤の指先が一枚のカードを地雷にでも触れまいとする慎重さで突いた。
「おお…っ」
 大月が唐突に奇声を上げた。驚いた加藤は慌てて手を引っ込める。
 大月は加藤の機敏な反応を面白がっていた。黄色く変色した歯を一杯に剥いて、笑い上げる。
「下等、お前は本当にどうしようもない奴だな。今日はお前が最初に女を抱けるよう、リーダーに申し込んでやるよ」
 法螺吹きの大月は気前のいいことを言うが、実行にうつすことは少ない。
「いいんですよ。どうせ僕は今日も女を抱けず仕舞だ」
 加藤が大月からカードを抜き取った。ババではなかったのが、加藤の安らぎようでわかる。
 大月はこめかみに血管を浮き立たせた。
 大月の殺気立った瞳孔をトランプの隙間から垣間見た瞬間、加藤にはこの先の結末が推測できたのかも知れない。

 ババ抜きにどちらが勝とうと、「下等」と罵られる加藤が大月から強制的に運搬作業を押し付けられる悲しき定めは変わらない。

 昼下がりに加藤は海岸に出た。肌を炒り付けるような熱線がお構いなしに加藤の頭上に降り注ぐ。
 加藤は手を翳し、海辺の船を探した。大方この時間帯に仲間のボートが物資の輸送に表れるはずだ。しかし如何せん、その姿は発見できない。数十分後、加藤は力尽きたように木陰に身を横たえた。

 しばらく静かに時間は経った。日はもう暮れかけている。
「おーい! 見張りはどうした!?」
 彼方から聞こえるメガフォンの怒声に加藤の身体は反射的に飛び起きた。水平線に一隻の船が見える。草臥れたビーム、塗料の剥げかかったフレーム、間違いなく仲間の船だ。目を凝らすとありありとその様相は浮かぶ。
 加藤は手を大振りに揺すって、モーターボートを誘導した。船体が近付くと加藤は海水に足を漬かった。減速して岸辺に向かうボートの船首を抑える。
 フェリーから男が飛び下り、加藤に顎を振って船倉の荷物を運び出すよう促した。加藤は波打つ海水に足を取られながら、男の指示通り積載物を諄々に岸へ放った。
「おい。大月はどうした?」
 男に聞かれ、加藤の手が止まる。
「多分廃墟で寝てると思います」
「ふん…」
 男はポケットから煙草を取り出すと、唇に挟んだ。火元を探す男の仕草に、加藤は荷物から取り出したマッチを男にやった。男が薄ら笑う。
「加藤、また大月にやり込められたのか?」
 男は火の灯ったマッチを煙草の先端に宛った後、海に捨てる。
「角田さんは大月さんと一緒にいてそんなことはありませんか?」
「俺とお前を一緒にするな。大月は従属関係てのを弁えているのさ。加藤お前はこそこそしてるから嘗められるんだ」
 角田はスモークを鼻から噴き出すとけらけら笑った。
「それより、今日のおかずが何になるかお前はきにならないか?」
 角田が口角を釣り上げた。加藤が首を傾げている間、フェリーから荷物を担ぎだす。
「僕は腹がふくれるものなら何でもいいですけど…」
「食い物の話じゃない。女だ、おんな」
「あ」
 今宵、初めて加藤の頭に女の裸体が描かれた。
 ぼっと立ち尽くす加藤に角田は眉を顰める。
「何をぼんやりしている。さっさと荷物を運べ」

 角田に下知を浴びさせられながら、加藤はそそくさと荷物を運び出していくのだった。

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