緑色の復讐
百合ひろし:作

■ 第三話3

「今何時ですか?」 暫く経って遥は時間が気になったので少し前に乗り出す体勢になって聞いた。運転手の初老の男性は自分が聞かれてる事に気付き、答えようとしたが、霞は彼が答えるよりも前に、
「当ててみて」
と言った。前の席と後ろの席はお互いの声が聞こえるだけでそれ以外は全くの異世界であった。前席は外の様子が見えなければ当然運転等出来ないので、街灯やら前の車のテールランプやら対向車のヘッドライトやら沢山の光が入って来たが、後席は全く違った。確かに車の上品な走行音、対向車がすれ違う音や時々パトカーや救急車のサイレンの音等様々な音は聞こえて来るが、殆んど真っ暗闇───。さっきから色々話しかけてくるから隣にいる霞の存在を認知出来るが、全く何も話して来なければ、実はこの車は呪い車で貴方の行く先は死後の世界でありますよ、と優しく言われても、はい分かりましたお願いします、と言いたくなってしまう世界なのであった───。逆に言うと人間の感覚の中で視界が占める割合はそれだけ高い、という事であった。
「20時……45分?」
遥は答えた。幾等霞と話していたからといってもこんなに真っ暗な空間に閉じ込められては時間の感覚も狂って来る───。霞が、当ててみて、と言った以上は後部座席には少なくとも時計は無かった。
「19時50分でしょ」
霞が言った。遥は自分と霞の感覚のズレに驚いた。すると初老の男性運転手は、
「霞様が大体合っています。今は19時54分ですよ」
と答えた。遥は、
「貴方どうしてわかったの?」
と左に"座っているだろう"霞の方を見た。遥の目には霞の姿は見えなかった。しかし、
「遥お姉ちゃん、今こっち向いたでしょ?」
と言った。遥は、
「え……?どうして……?見えてるの───?」
と聞いた。霞は、
「あたしには見えてるよ───。そういう特訓してるから。それに今は遥お姉ちゃんの動きを読むのに集中してたから、見えてなくても判ってた。遥お姉ちゃん、"そーゆー風に"動いたから」
と答えた───。遥は霞の能力は解ったが、それと時間を大体いい当てられたのはどうしてかが繋がっていなかった。すると霞は、
「あと、時間が解ったのもそういう訓練してるから。小さい頃からね」
と言った。それから霞は今までとはうって変わって静かになった。外の音に耳を傾けると、今までとは異なり、この車の走行音しか聞こえて来なかった。随分外れまで来たのだろう、と遥は思った。

そして、
「着きました、麓に」
初老の男性はそう言って車を停めた。そして遥の席の方のドアを開けた。すると車の中の闇を追い払うが如く夜の光が入って来て、前席と後席が再び一つの世界で再会した様な感覚に包まれた。
霞も車から降り両腕を目一杯広げ、
「明るいでしょ?街灯無ければ月も出てないのに」
と言った。背後は小高い山であり、川の流れる音も聞こえてきた。そして今停まってる道は───高級車がすれ違うのは厳しい位の細い道で一日にどれ位の車が通り過ぎるのだろう、と数えるには両手の指で間に合いそうな感じだった。
そんな灯り一つ無い田舎───処か山の中まで来たのである、たった二時間で。

「じゃあ、ジイジ。行って来るから待ってて」
と霞は言った。そして初老の男性に見送られる中、遥の手を引いた。そしてガードレールの隙間から道の外に出た。
「気を付けてね遥お姉ちゃん」
霞は注意を促した。遥は、
「はい」
と言って霞と同様にガードレールの隙間から道の外に出た───。
外は原生林そのもので、獣道を奥へ奥へと歩いていくと、一歩進む度に小枝や葉っぱが遥のミニスカートから出る太股にも当たり、少し切った気がした。しかし、前を進む霞もデニムの半ズボンで太股を晒しているが全くその様な感じには見えなかった。相変わらず音を立てずに進んでいた。
「遥お姉ちゃん、きっとあちこち切ってるだろうな」
霞は思った。それはそうだ。霞は音を立ててない、ということは小枝や葉っぱを避けて進んでるのに対し、遥は音を立てまくっていたから。なので霞は自分と遥の距離も測れ、更には遥が軽く皮膚を切ってる事位は予測出来た。

遥は、制服は兎も角スニーカーで良かったと思った。まさかこんな山の中に来る事になるとは思ってなかったが、もし、革靴だったら靴はボロボロで足をくじいていたかも知れない、と思った───。

どのくらい来たのか解らなくなった。と思った時、霞が止まった。見るとそこには錆びて壊れかけた門があった。そしてその門を幾重にも鎖が掛っていて、その鎖に札がついていた。そこに書いてある文字───。

私有地につき立ち入り禁止 天宮

遥はその文字を見て、一体どれだけの人が来るのだろう、と思った。
「え?天宮───?」
遥は呟いた。すると霞は、
「そう、先はうちの土地」
と言って腰につけてるポシェットをヒップアタックする要領で門柱にタッチした。すると鎖が緩んで落ち、通れる様になった。錆びた門を押すとギギギ……と音を立てて開いた。
霞と遥が通り、門を閉めると再び鎖が上がって通れなくなった。
「もうすぐ着くから」
と霞が言い、更に歩いた後少し見晴らしの良い所に出ると、腰のポシェットからライトを取り出し今来た方に向かって向け、それから小さく一回回した。するとそちらの方からも小さく光の信号が帰って来た。
遥が不思議に思って聞くと、
「ジイジからの返事だよ。つまりあそこから来たの」
と霞は答えた。遥はその移動距離に驚いた。態々こんな距離を歩いて来てこんな私有地───天宮家の庭───に来る物好き等居るのだろうか、と。いや、その物好きは今こうして霞についてきている遥自身なのだが。

川の上流でありながらまるで中流の様な河原があった───。そこから空を見るとまるで吸い込まれそうな夜空が山と山の間に見えた。星空の両脇を固める山はまるでなんの表情も持たない岩の様にしか見えないが、川を流れる水の音以外にやかましい程に響いて来る自然の営みは紛れもなくこの無表情な両脇の山から来るものだった───。目に見える物が全てだと思ってしまうとこの矛盾に頭がパンクして恐怖してしまう。そこに立つ一人の女性はそう思った。ここに来る度にそう思っていた。
今日はお客さんが来るというのだが、そのお客さんはここに来る前に少しばかりそういう事を体験してきたのだろうから、帰ってもらう前にそういう事をもう少し覚えて貰った方がいいのだろう、と思った───。そしてその女性は河原にある手作りに見える小屋に入ってドアを閉めて小さなランプを着けた。
小屋の中にあるのは机、椅子、ハンガー掛け、ランプ、全身を見ることが出来る鏡、後は調理器具一式だった。机の上にはハンガーと髪を束ねるゴム、不思議な色を放つ仮面だけが置いてあった。女性はその面を手に取り顔に着けた。女性はいわゆるモデル雑誌に出て来る様な美人であったが、仮面を着けた瞬間にその顔は消え、無機質な七色の光を反射する姿になった。そして長く美しい髪を手でまとめ、机の上のゴムを手に取り後ろ一本に束ねた後、ハンガー掛けを手前に引き寄せた───。

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