夢魔
MIN:作

■ 第19章 出張33

 居間で溝口が煙草を咥え、イライラとしている。
 それが辺りに移っているのか、隣にいる長橋と岩崎もソワソワと落ち着かない。
 由美子達はどうして良いのか解らず、オロオロとしていた。
 バーンと机を叩いた溝口が
「もうかれこれ、1時間だぞ! 金田の奴は何をしてるんだ!」
 誰にともなく怒鳴り声を上げた。
「ご主人様…まだ40分です…もう少しお待ちになって下さい…」
 由美子が怖ず怖ずと溝口を諫める。
 由美子の言葉に、きつい視線を向け何か言いかける溝口の口が、開いたまま動きを止めた。
 金田の消えた副寝室の方から、ペタペタと足音が響いてきたのだ。

 金田が梓に導かれ、ヨタヨタとペンギンのような歩き方で、居間に入ってくる。
 梓は金田の手を引き、顔を覗き込みながら、金田を誘導していた。
 金田の顔は痴呆のように力が抜け、何も見て居らず時折薄笑いを浮かべる。
 溝口が訝しみながら、金田に声を掛けようとして、息を飲む。
 金田を座らせ、梓が振り返り、自分もその横に座る。
 その梓の表情、雰囲気を一言で現すと[凄艶]だった。
 その場で、気を揉んでいた誰1人、梓を見詰め口を開けない。
 金田は薄笑いを浮かべ、呆然と夢の中を彷徨っている。
 梓の本気のSEXが、金田を夢の世界の住人にした。
 その声、その反応、その仕草、その快感が金田を蕩かせ、夢に閉じこめる。
 その中で、唯一梓だけが、せっせと金田のためにお茶を入れ、ソッと差し出し
「ご主人様…お茶が入りました…」
 鈴を転がすような美声で、金田の耳元に囁いた。
 金田の身体がビクリと震え、油の切れたロボットのようなぎこちなさで、首を梓に向ける。
 梓に向けられた金田の瞳が、徐々に焦点を結び、頭を縦に数度振り、手を湯飲みに伸ばした。

 金田は梓の入れた玉露を、水のように一息で、喉を鳴らして飲み、大息を吐くと机に置いた。
 金田は湯飲みを置くと焦点の戻った瞳で、ジッとその湯飲みを見つめ、ぼつりと呟く
「凄い…」
 金田の呟きに、溝口が金縛りが解けたように、動き出して
「な、何がだ?」
(言われなくても解ってる…この梓さんは…本当に凄い…)
 溝口は分かり切った、答えを求めるように、金田に問い掛ける。
 だが、金田の言葉は溝口の予想した物とは、全く違っていた。
「溝口…俺は産まれて50年。初めて、本当のSEXをした…。今までの、経験が全部児戯に思える…」
 金田は真剣な表情で、真っ直ぐ溝口を見詰め、力強く言った。
 しかし、金田がその言葉を言った瞬間、溝口の形相が変わる。

 溝口の顔が真っ赤に染まり、眉根がキリキリと吊り上がった
 肩は力を込めているせいか、プルプルと小刻みに震えて居る。
「金田…まさか…、まさかとは思うが…お前、あの状況で梓さんを連れて行って…一発やって来たんじゃないだろうな? 泣き崩れる梓さんを、強引に押し倒すような真似をしたんじゃないだろうな? 心配する俺達を余所に…そんな事は、まさかしてないよな?」
 怒りを噛み殺し、金田に向けて問い掛ける。
「金田さん…私もお聞きしたいんですが、今お姉様…金田さんの事を、ご主人様とお呼びじゃなかったですか? まさか、そんな事まで強要なさったんですか?!」
 由美子の目が、キリキリと吊り上がり、金田を睨み付ける。
 居間の雰囲気が、あっと言う間に高電圧を帯びたように、ピリピリとし始めた。
 だが、今の金田にそんな事に構っている、気配りは皆無だった。
「ああ、梓は素晴らしい…本当に、女の中の女だ! こんな女を作り上げるなんて、やっぱり彼は凄い…」
 金田は惚れ惚れとした目を梓に向け、破顔する。
 その金田の言葉を聞き逃さなかった者が、居間に2人居た。
 梓と溝口である。
 そして、梓は迂闊にもドキリと驚き、梓の雰囲気が収束し始めた。
 それを見た溝口は、確信を強め、推理を始める。
(金田が[彼]と言った…その後の梓さんの反応からすると、[彼]が間違い無く、梓さんのご主人だ…。金田の性格から言うと、あいつが[彼]と呼ぶのは、年下で尊敬できる能力の者だけだ…この捻くれた男の中で、そんな男は確か数人しかいない筈だ…)
 流石に30年付き合いがあるだけ、溝口の分析は的を得ていた。
 だが、やはり常識の範疇として、50歳のサディストを凌駕する、16歳が居るとは思いも寄らなかった。
 この後、溝口の[梓の主人捜し]は迷走する。

 そんなピリピリとした居間の雰囲気を打破したのは、勿論梓だった。
「みなさんお考え違いを為さらないで下さい…ご主人様…便宜上金田様とお呼びさせて頂きますが、金田様は私のご主人様に申し出られて、今回の私の罪を、変わりに償われたのです。私は、その感謝の気持ちとして、誠心誠意金田様にお仕えする事を誓い、それを許されたのです。その、寛大なお心に感謝し、私は金田様の事を、ご主人様と呼ばせて頂くお願いをして、許可を頂きました」
 梓は凛とした姿勢を保ちながら、あでやかな微笑みを浮かべ、居間の全員に説明した。
 梓の説明を聞いて金田を除く、居間の全員が呆気に取られる。
「じゃ…何かい? 梓さんは本当に、本気で、この醜男の奴隷になって、仕えるって事? それも自分で望んで?」
 溝口が、遠慮会釈無しに問い掛けると
「溝口様…ご友人と言えど…金田様を愚弄される発言は、お控え頂けませんか? 私…我慢成りませんわ…」
 梓の声のトーンが、冷気を帯び始め溝口に叩き付けられる。
「ごめん! すいません…気を付けます!」
 溝口が慌てて、謝罪すると梓の冷気が急速に引いて行く。
「お願いいたします。金田様を傷つけるようなご発言は、どうかお控え下さい…」
 梓は深々と頭を下げ、溝口に依頼した。
 その時の梓の姿は、さながら金田を守る雌ライオンのように溝口の目には写った。

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