「脱ぎなさい」「はい……」
ドロップアウター:作

■ 転校生の女の子2

 その時間、元々は外で体育の予定でした。でも、今日はずっと雨が降り続いているから、代わりに保健の授業に変更されていました。
 先生が教室に入ってくると、真由子ちゃんはびくっと肩を揺らして、表情をこわばらせました。
「どうかしたの?」
 さすがに気になって、わたしは真由子ちゃんに聞きました。
「あっ、うん……わたし、体育の先生に呼ばれてるみたいなの。授業の始まる時でいいって聞いたんだけど、いつ行けばいいんだろう」
 なんだか慌てたような口調で、真由子ちゃんは答えました。
「怒られることでもしたの?」
「うん、そうかも。反省文とか書かされたりして」
 おどけた言い方だったけれど、真由子ちゃんの頬は少し引きつっていました。冗談のつもりだったのに、ひょっとして図星なのかなって思いました。
 先生は、黒板に何か書いたりして、特に変わった様子はありませんでした。
「うそ、本当に?」
「やだ、信じないでよ」
 わたしが心配すると、真由子ちゃんは少し笑いかけて、首を横に振りました。
「たぶん、昨日まで休んでたから、何か課題を渡されると思う。でも、なんかショック。わたし、利香ちゃんから見てそんなに悪いことしそうに見えるんだ」
「まさか。むしろ逆だよ。真由子ちゃんがそういうことするの、全然想像つかないから。先生に怒られるところ、ちょっと見てみたいかも」
 知らず知らずのうちに、わたしは真由子ちゃんとの会話を引き伸ばそうとしていました。どうしてか分からないけれど、真由子ちゃんをこのまま先生の所へ行かせてはいけない気がしたんです。
「でも、前の学校ではよく注意されてたよ。わたし結構おっちょこちょいだから、よく廊下で滑って転んだりしてたの。養護の先生に、女の子なんだから、怪我しないようにもっと気をつけなさいって」
「あぶなーい。でもそれ、怒られたうちに入る? あたしなんて、しょっちゅう居眠りとかして先生に怒られてるし。真由子ちゃん授業の時いつも真面目だから、すごいと思う」
「わたし、それしか取り柄ないから」
 真由子ちゃんは、そう言って苦笑いを浮かべました。
「利香ちゃん、部活頑張って疲れてるんだよ。少しは休まないと、体持たないよね」
「分かってくれる? 真由子ちゃんが先生ならよかったのに」
「うん……」
 ふいに、真由子ちゃんが気のない返事をして、ちらっと先生の方を見ました。やっぱり何かあるんだなって、その時分かりました。
 わたしの視線に気づいて、真由子ちゃんは少しうつむきました。気まずい空気が流れて、一瞬どうしていいか分からなくなりました。
 その時……先生がわたし達の方を見て、言いました。
「森川真由子、来てるか」
「はい」
 そう短く返事して、真由子ちゃんはすぐ席を立ちました。
「筆記用具を持って、先生の所へ来なさい」
「はい……」
 先生に指示されて、真由子ちゃんは筆箱を開けて、シャーペンを一本取り出しました。


「取り柄なら、他にもあるよ」
 わたしがそう言うと、真由子ちゃんは怪訝そうな顔をしました。
「その髪。おさげにしてるの、よく似合ってる」
「ああ、これ……」
 真由子ちゃんは、束ねた髪の一つを軽くなでて、うれしそうに言いました。
「ありがとう。この髪型、自分でも気に入ってるの。お母さんが、してくれたから」
 真由子ちゃんのおさげは、髪を頭の後ろで二つに分けただけの単純なものです。でも、それが真由子ちゃんの素朴なイメージにぴったりで、すごくかわいいんです。
「今度、違う髪型もしてみたら? 真由子ちゃん、三つ編みとかも似合うと思うし、あたしみたいに思い切ってショートにするのもいいかも」
「小学校の時は、三つ編みにしてたこともあるよ。でも、しばらくはこのままにしときたいな。お母さんが、一番好きな髪型だし……」
「お母さん……?」
 少し考えて、「あっ」と思いました。真由子ちゃんのお母さんは、病気でもう長いこと入院しているんです。
「入院する日の朝、『当分できないから』って、結ってくれたの。お母さんも、この髪型が一番似合ってるって言ってくれて。今なかなかお見舞いにもいけないから、せめてこれぐらいはお母さんの希望通りにしようと思って」
 真由子ちゃんは、少し寂しそうに言いました。
「でね、前の日久しぶりに、一緒にお風呂に入ったの。ちょっと恥ずかしかったけど、小さい時みたいに背中を洗いっこしたりして。わたしの体を見て、お母さん、『真由子も大人になっていくんだね』って。なんか切ないよね」
 そこまで言って、真由子ちゃんは小さく舌を出しました。
「ごめん。わたし今日、しゃべり過ぎだね。ほんとどうしちゃったんだろう」
 話を聞いて、わたしも少し切なくなりました。今の真由子ちゃんにとって、そのおさげだけが、お母さんとつながっていられる唯一の証なのかもしれません。
「気を使わなくていいから、好きなだけしゃべってよ。言いたいことはちゃんと言わないと、体に毒だよ」
 わたしは、ちょっとおどけて言いました。
「そのおさげ、道理で似合ってるはずだよね。お母さんなら、娘のことよく知ってるはずだし」
「あっ、そうなのかも。利香ちゃん、良いこと言うね」
 そう言って、真由子ちゃんはまたうれしそうに微笑みました。
 話が長引いてしまっているから、わたしは気になって、ちらっと先生の方を見ました。そろそろ何か言われるかなと思ったけれど、先生は別に急がせるつもりもないらしく、わたし達を気にする様子は特にありませんでした。
「じゃあ、そろそろ行ってくるね」
 シャーペンを手に取ると、真由子ちゃんは筆箱を机の中にしまって、わたしを振り向きました。
 真由子ちゃんの不安を聞き出すことが、わたしにはどうしてもできませんでした。真由子ちゃんは、あまり人に心配をかけたがらない子です。言いたくないのなら、そっとしといてあげようって思いました。
 でも、本当にこれで良かったのかな……
「利香ちゃん」
 ふいに名前を呼ばれて、わたしははっとしました。顔を上げると、真由子ちゃんがとても穏やかな目で見つめていました。
「すぐ戻ってくるから、待ってて」
 そう言って、真由子ちゃんは優しく微笑みました。まるで、心配しなくていいよって、言ってくれているみたいに。
「うん……」
 わたしは、ただうなずくしかありませんでした。

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