The Report from a Fallen Angel
ぽっけ:作

■ 9

この店だけは失えない。
四年前はこんな店は畳んでしまえばいいと思っていた。
だが、今は違う。
彼女と一緒に頑張ってきたその苦労を台無しにするわけにはいかなかった。
彼女との思い出が詰まったここを失うことだけはできなかった。
あるいは、そんな願いが通じたのか、意外にも安藤は小さく頷いた。

「ええだろう……」
「ほ、本当だっぺか!? 本当に店を続けてもええんだすか?」
「ああ。ただし、条件がある」
「じょ、条件……?」

安藤は僅かに口元を歪めて、絵美子を見た。
嫌な予感がした。

「この女をウチで働かせたい」

安藤が絵美子を?
駄目だ! 絶対にそんなことはできない!!
安藤が絵美子を働かせる場所だなんて、いかがわしい所に決まっている。

「許してくだせぇ。絵美子はこの店に必要な子なんだす……」
「そうか、だったら、この店は今から、ワシのもんじゃ……」
「く……」

唇を噛み締める。
何を迷っているのか……
そうだ、最初から答えは決まっている。
この店を失うのは身を引き裂かれるように辛い……
けれど、今の自分にとって一番大切なのは彼女だ。
だから「分かりました」と答えるつもりだった。
だが、その言葉は他ならぬ彼女の口によって発せられていた。

「分かりました」
「絵美子?」
「この店を失うわけにはいきません。私があなたのところへ行って働きます」
「え、絵美子!?」
「ほほう、ええ度胸じゃ……なぁに、心配はいらん。ウチでの仕事はこげなボロい食堂よりよっぽどええ仕事じゃ……すぐにヤミツキになるよって……」

馬鹿なっ、絵美子の奴、何を……

「絵美子ぉ!! それはいかんっ!! もう、ええっ!! こげな店、捨ててしまおうっ!!」
「サブさん、私なら大丈夫です。私が戻ってくるまでこの店を絶対守ってください……」
「え、絵美子……」
「私が貴方の所に行く代わりに一つだけお願いを聞いてもらえますか?」
「お願い? まぁ、ええ。言うてみぃ……」
「一週間に一回、サブさんへの手紙を書かせてください」
「なんや? それは……一体、何の意味がある? 大体、サブが字なんか読めるもんかいな……」
「サブさん……これからも字の勉強を続けてください。私、必ず手紙出しますから……サブさんも私に手紙ください……」
「駄目じゃ、絵美子ぉ……行ぐなぁ……行ってはいかん……絵美子ぉ……」

そんな俺達の様子を見て、安藤は呆れたように言った。

「まぁ、ええ……手紙くらいは許したる」
「良かったですね、サブさん。私、これで寂しくありませんよ? サブさんも寂しくないですよね?」
「絵美子ぉ……」
「ただし、手紙にはその一週間にあったことを全てありのまま報告するんや。嘘が少しでも混じってたら、手紙は没収や。全部チェックするでの」
「……わかりました」

安藤に連れられて店を出て行く絵美子。
入り口のところで立ち止まり、小さく礼をした。
それは自分に向けてのものなのか、それともこの店に向けてのものなのか。
その日から絵美子は食堂から姿を消した。


四年間で築き上げたものが全て幻だったかのように、店の経営は悪化した。
最初の一週間は「絵美子はどこだぁ? 何処さ行った?」という客からの質問が耐えなかった。
そんな客には、ただ一言「辞めた」と答えた。

「笑っちまうよなぁ……」

結局、この四年間、頑張ってきたのは全て彼女だったのだ。
一週間で食堂の中は空っぽになった。
まるで、彼女がここに来る前のように……ただ一人きりで、誰もいない食堂を眺めていた。

客が来なくなったことなどどうでも良かった。
その代わり、狂ったように字の勉強をした。
それは彼女との約束でもあった。
今日は金曜日……初めて彼女から手紙が届く日だった。

「来たぁ!」

郵便を受け取ることなど生まれて初めてだった。
封筒に書かれた綺麗な字はまさしく彼女の書いたものだった。

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