内側の世界
天乃大智:作

■ 第6章 夜空(やくう)4

「はい、はい、分かりましたよ」
 僕たちは、山間(やまあい)の谷間に降り立った。小さな滝が、谷間に流れ込む岩棚である。谷底からは、数十メートルの高さがある。
きよしちゃんは、人目に付かない場所を選んだようであった。
僕は、岩棚のちょうど腰を下ろすのに都合の良い岩を見付けた。
そこに、腰を下ろした。
バックパックから、母さんの作ってくれたお弁当を出して食べた。
得意のおにぎりであった。
母さんのおにぎりは、塩加減が抜群である。
海苔や具などは、一切必要ない。
本当に美味しい。
きよしちゃんは、流れ出る水を少し飲んだだけで、立ったまま、遠くを眺めて、何も、話そうとはしなかった。
テレパシーか、レーダー波でも、使っているのだろう。
「悪魔は、今では、都会に住んでいる。人間の社会の中に、溶け込んでいる。こんな山間に居るはずはないんだけどな・・・、嫌な予感がする・・・」
きよしちゃんが、独り言のように言った。
何かを感じているようであった。
「さ、出発だ」
「まだ、食べたばっかりだよ」
僕は、抗議しながら、沢庵(たくわん)をこりこり齧(かじ)った。
「お前は、ぶら下がってるだけだろう? 」と言って、きよしちゃんは、僕を抱えて飛び立とうとした。
その時、であった。
きよしちゃんの体は、一旦は浮き掛け、何か強い力に引き戻される様に、がくん、となった。
岩棚の中から巨大な、赤い手が出てきた。きよしちゃんの足首を掴んだのであった。
「悪魔だ。逃げろ」
きよしちゃんは、僕を、突き飛ばした。
突き飛ばされながら、トンボを切った。
僕の目に見えたものは、途轍もなく大きな赤鬼であった。
僕は岩棚の端まで吹き飛ばされ、危うく谷底に転がり落ちそうになった。
何とかバランスを保って、前を向く。
その赤鬼が、地中から這い出てきた。
きよしちゃんの足首を掴んだまま、である。
巨大な肉体から、水と土砂が地面に落ちる。
背丈は人間の倍は、ある。
途中から折れて、曲がった様な大きな二本の角が、カールした長髪の中から、ぐねぐねと伸びている。
二本角、つまり、悪魔であった。
その角は、金色ではなかった。
黒色であった。
悪魔の背後に、その巨体の何倍もの大きさがある蝙蝠の様な翼が付いている。
それを、ゆっくりと動かしていた。
赤い瞳。
赤い瞳が、憎しみに燃え、赤い炎を映し出している。
赤い鬼火の様であった。
唇から突き出た黄色い牙から、唾液が垂れる。
その口を大きく開いた。
獅子口(ししこう)―能面の一つ。口を大きく開き、牙を剥き出した凶暴な面相のもの。石橋(しゃっきょう)の獅子など―である。
シュー、と言う毒蛇にも似た呼気を吐き出した。
赤い長い舌が、ちろちろ動く。まるで、赤い蛇のようであった。
左の頬に四筋の傷跡があった。
肩から腰に掛けて、動物の薄汚れた毛皮をまとっていた。その下から伸びて大地を踏みしめた足は、山羊の足であった。
蹄(ひづめ)である。
下半身は、山羊の体毛に覆われている様であった。
圧倒的な存在感が、有る。
僕は、着地して振り向いた。
赤い悪魔の肉体から風が沸き起こり、山の空気に乱れを生じさせていた。赤い悪魔から暴風が、僕に吹き寄せた。
僕は、岩棚から落ちないように、足を踏ん張り懸命に耐えた。それでも、バランスを崩して落ちそうになる。
僕はしゃがみ込んで、足下の岩にしがみつく。
むっとする獣臭が、鼻を衝いた。
他の臭いも混じっている。
硫黄の臭いである。
それは、地獄の臭いでもある。
僕は地べたに這い蹲(つくば)り、やっとの思いで踏み止まった。その暴風に逆らって岩にしがみついているのが、やっとであった。
僕は腕を顔の前に掲げ、視界を確保しようとした。
突然、暴風が止んだ。
きよしちゃんは、両足首を掴まれ逆さ吊りにされていた。
手足をジタバタさせている。
きよしちゃんの顔はむくみ、逆流した血潮で赤く染まっていた。
悪魔の恐ろしい声が聞こえた。
「オマエハ、ダレダ? 」
 地の底から響いて来る様な、直接、僕の脳味噌にソケットを差し込んで流し込まれる様な声であった。
反抗出来ない、威厳があった。
きよしちゃんが、テレパシーで話し掛けて来た。
「逃げろ、早く。お前の敵う相手じゃない」
「ウルサイ」赤い悪魔が唸る。
「あっ」僕は叫んだ。
悪魔は、片手で、きよしちゃんの両足首を掴んだまま、大きく振り上げ、そして、岩棚に叩き付けた。
ズコっ。
気持ちの悪い音がした。
肉体が硬いものにぶつかる音。
張り裂け、骨の折れる音。
僕は、動けなかった。
半ば岩棚に、減(め)り込んだきよしちゃんは、静かになって、動かなくなった。
「きよしちゃん! 」僕は、叫んだ。
すぐさま赤鬼は、舞い上がった。
また、暴風が僕に吹き寄せる。
この暴風は、空気の流れではない。
僕は直観した。
「気」の流れであった。
赤い悪魔が発散する異形の「気」。その「気」の流れが、僕に怒涛となって押し寄せているのであった。
物凄い速さで、僕に、近付いて来た。
あっ、と思って目を閉じる。それよりも早く水飛沫(みずしぶき)が目に入る、そんな、人間の反射神経の速度を超えた動きであった。
僕には、速すぎて、為す術がなかったのであった。
それでも僕には、その瞬間がスローモーションの様に見えた。
他にも、二匹居る。
悪魔は、奇獣であった。
半分が鬼であり、半分が獣であった。
ヒト型の生物。
無限にパワーを秘めた生命体であった。
やられると思った、その刹那、僕の周りが光で、照らされた。
真っ白な世界。
遠近感のない、純白の光の世界。
そして、無重力の空間に落ちていった。
僕は、何も見えなくなり、そのまま、意識を失くしてしまった。
その時、きよしちゃんの後ろで、巨大な青鬼が、こちらに、手を伸ばしているように見えたが・・・岩棚に阻まれて、見えなくなった。
そして、そのまま意識は、薄れた・・・僕は、谷底に落下して行く。

悪夢の続きが、始まった。
悪霊の顔は、よく見えなかった。
靄(もや)が掛かっているのである。
僕は、その邪悪なる存在に気砲を撃った。
力の限りに僕は気砲を撃ったが、僕の気砲は、悪霊には届かなかった。
万事休すだ。
これで、終わった。
僕は、力尽きた。
もう、どうする事も出来ない。
僕は、エネルギーを吸収しようとしたが、無駄であった。
深い海底に取り残されたような、絶対的な、身動きの出来ない絶望感に陥った。
真っ白い灰となった僕は、静かに倒れた。
邪悪なる存在が近付いて来る事が分かったが、僕は、肉体の無い意識だけの存在になっていた。
自分の意思で、体が動かせない。
肉体の感覚が、ないのだ。
邪悪なる存在は、僕を引き摺り上げた。
悪魔の赤い目が、僕の目を覗き込んだ。
何か言ってる。
何て言ってるんだ・・・?

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