内側の世界
天乃大智:作

■ 第8章 青蓮と紅蓮2

僕の意識は、今、天井に居たのであった。
僕の体が、見えた。
首に掛けたネックレスの鏡の部分が、蛇が鎌首を持ち上げる様にして、浮いている。その鏡の部分が、光を発していた。
その光が、球状の輪となって広がる。その球状の光の輪は、青白く光り輝き、青蓮の放った気砲を弾き返したのが見えた。
弾き返された気砲は、二匹の悪鬼を貫き、一瞬に消滅させた。そして、気砲は青蓮を襲った。
青い石像の獅子口が、恐怖に歪む。
独角鬼王の胸に、その気砲は当たった。
光の奔流が、吸い込まれた様に見えた。
血と肉が、跳び散る。
青蓮は重傷を負って、倒れた。胸を押さえて、喘(あえ)いでいた。
二匹の悪鬼が、魔鬼副将軍の「死の盾」となって、青蓮を守った事になる。きよしちゃんは、青蓮に近付くと、話し掛けた。
「山間(やまあい)で助けてくれたのは、青蓮、お前か? 」
「・・・」
独角鬼王は、それには答えずに起き上がって、膝を突いた。
じっとしている。
ハアハアと肩で息をしている。胸に当てた掌(てのひら)と胸の間から、血が滴り落ちた。
ゲボッ。
青蓮は、血を吐いた。
傷が、痛むらしい。
「一緒に来ないか? 」
 きよしちゃんが、青い石像の、大きな肩に手を当てた。
「俺には、守らなくてはならない義理がある。お前にも、そんな義理の一つや二つ位、あるだろう?」
 碧眼の独角鬼王は、途切れ途切れに、そこまでを言葉にした。掠(かす)れた小さな声であった。きよしちゃんは、黙ったまま、青蓮を見詰めた。
「まあ、良い。礼を言っとくぞ。・・・行け」
 きよしちゃんは、苦痛を堪(た)える様な声を吐き出しながら、そっぽを向いた。
「早くしろ、これで借りは、返したぞ」
 青蓮は手で胸を押さえながら、よろよろと立ち上がり、また、膝を突いた。そして、すっと、消えた。
突然、下から引く力を僕は感じた。僕の意識が、引き寄せられたのである。そして、体に吸い込まれるように、元に戻った。
それは、遙(はる)かな体験であった。
それは僕を混乱させた。
今まさに宇宙と溶けあおうとする時、この果てしもなく軽く引き続ける力は、眼下の有限の世界へと僕を縛り付けようとする。
膨張(ぼうちょう)し続けた僕の魂は、ゆっくりと波が引くように縮んでいく・・・自分の肉体に、自分の中に・・・
僕は、待った。
この体験が意味することに、その答えが見いだせるかのように・・・僕は、横たわって、僕が僕自身の中で僕自身である瞬間がくるのを、待っているのだ。
そして、再び僕は肉体のあらゆる感覚、あらゆる知覚を認識する。
それは、融合であった。
それは、僕を受け入れてくれた。
血色の気泡、暗い洞窟、湿っぽい迷路、そのどれもが、僕を抱擁(ほうよう)し、呑み込んでくれた。
それ自身の中に、今、僕は入ったのだ。
僕の魂が、神経繊維に繋(つな)がり、肉体と交信を開始した。
 しかし、何かが、変だ。
何が変わったのか、僕には分らなかった。それは僕を混沌(こんとん)とさせ、錯角(さっかく)を生み出した。
僕は、間違って違う人の体の中に潜り込んでしまった様な錯覚に陥った。
初めての乗り物なのに、操縦の仕方を知っていて乗り心地が良い。しかも愛着がある。
そんな感じ。
デジャヴ―既視感。
一度も経験したことのないことが、いつかどこかで既に経験したことであるかのように感じられるのである。
初めて入った家なのに、家の中の配置や家具の事を知っていて居心地が良い。何となく懐(なつ)かしい。遠い記憶の中に見えるような気がする。
そんな感じである。
不思議な感覚であった。
 この肉体は、どうなったのだ?
 僕は、やっぱり死んだのか?
 ここは、あの世かもしれない。
 僕の意識は―精神かもしれないが、自由であった。不可能な事はない様に思えた。僕の肉体は、無限の広がりを見せていた。力が漲(みなぎ)っている感じであった。自分と周りの世界が、一つになった。
今まで僕の周囲に存在しなかったものが、急に溢(あふ)れ出してきた。僕の周りには、エネルギーと言うか、パワーが、無尽蔵にあった。
「うおおおーっ」僕は、雄叫(おたけ)びを上げた。
そして、目を開けた。周囲が、急に明るくなった。朝焼けを見るようであった。暗い洞窟が、朝焼けに照らし出されているのであった。そう、僕は感じたのであった。
しかし、現実には朝焼けは存在しないのだ。でも、周囲が明るくなったのである。僕は、目を瞬(またた)いた。やはり、明るいのである。昼間のように明るいのであった。投げ出され、まだ燻(くすぶ)っている松明が、小さな太陽のように輝いていた。
それでも、僕は、生きていた。
きよしちゃんの顔があった。それは、眼を見張った顔であった。
「度アップは、止めてくれ。きよしちゃんの鼻が、俺に、閊(つか)えるよ」
「全く生気がないから、心配したよ」
僕は、きよしちゃんをじっと見詰めた。
「分かってるよ。俺は鬼神に背(そむ)いた。重罪を犯した。鬼神は公平な人だが、罪は許してはくれない。俺は、覚悟が出来てるよ」
「俺が言わなきゃ、分からないよ」
「いや、天の鏡のネックレスが、全てを映し出してしまう。今、お前の命を救ったネックレスだよ」
僕の首に掛かったネックレスは、まだ、ほんのりと温かかった。
「そして、お前を、化身させた」
 僕は、ゆっくりと自分の頭を触ってみた。額の真ん中と両サイドに、合計三本の角があった。まだ、小さく可愛らしいものであった。
 僕は上半身を起し、ネックレスを首から外そうとした。引っ張ったり、引き千切ろうとしたり、首から抜こうとして、もがいた。でも、どうしても外せなかった。
「天の鏡のネックレスは、鬼神でないと外せない。そういう呪が掛かっているのさ」
 僕は、立ち上がった。
「それじゃ、僕が、魔界に行かなければ―」
「それも駄目だ。気にするな、キーボー。俺は、鬼神に忠誠を誓ってるんだ。鬼神の信頼を裏切る訳には、いかないのさ。急ぐぞ。お前が鬼神の息子だと、ばれた以上、追っ手が来る」
 膝を突いていた、きよしちゃんも立ち上がった。
「鬼が島は魔界への入り口だろう? あと、もう少しで魔界へ行けるんだろう? 」
 僕は、眉間に皺(しわ)を寄せた。
「内側の世界(インサイド・ワールド)まで地下道を、あと、5,000q行かなければならない。しかも、狭いから飛ぶ訳にもいかない」
「え〜、まだ、そんなにあるの? 」
僕は、目を丸くした。
「あれ〜」
ふと、魚の新鮮な匂いが漂っている事に気付いた。僕は、匂いの元に駆け寄った。闇の中を走った。再び祭壇(さいだん)まで戻っていた。
それは、水際(みずぎわ)にそっと置いてあった。魚介類であった。
「魚人防人(ぎょにんさきもり)の贈り物だな―」
きよしちゃんが言った。僕は、きよしちゃんを見詰めた。
「誇り高き魚人防人の贈り物を受け取らなかったら、きっと、魚人は、怒るんだろうな? 」
僕はきよしちゃんに、哀願の目を向けた。
「・・・分かったよ。最後の晩餐(ばんさん)だな」
 祭壇が、即席の調理場に変身した。僕は、秋刀魚(さんま)と鯵(あじ)を焼き、栄螺(さざえ)を壺焼(つぼや)きにした。
僕は、ムシャムシャ食った。これが、本当に、美味しかった。きよしちゃんも、何の事はない、美味しそうに食べていた。
僕は、最後の一匹、鯛の丸焼きに取り掛かった。きよしちゃんは、伊勢海老を平らげた。

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