優等生の秘密
アサト:作

■ 44

 父親が向かったのは、貢太が近寄った事のない居酒屋だった。商店街の普段遊んでいる通りから一本外れた、少し寂れた印象を受ける通りの隅にある、あまり目立たない居酒屋である。
「いらっしゃい、おぉ、仲原さん。」
「大将、とりあえずビールを。こいつにはウーロン茶でも。」
 家では考えられないほど快活な口調でそう注文し、親指で貢太を指す。貢太は初めて見る父のこんな姿に戸惑いを隠せなかった。
「あいよ。息子さんかい? 今時の若者って感じだなぁ。」
 居酒屋の店主らしき壮年の男は豪快に笑って貢太を見た。その目には、不良を見るような偏見などは一切ない。貢太はこの店の雰囲気に少し癒されるような感覚を覚えていた。
「奥の席、空いてるよ。」
「どうも。」
 父親と共に、店の一番奥のテーブル席に座る。周りは仕事帰りのサラリーマン風の人間ばかりだったが、皆いい具合に酔いが回っているのか、少しこの場から浮いた貢太の存在を気に留めるものは居なかった。
 父親のオススメだと言う料理をいくつか注文し、貢太はウーロン茶を、父親はビールを飲む。しばらく話題がなかったが、口を開いたのは父親の方だった。
「貢太、学校……退学になったらしいな。」
「……あぁ。まぁ、やった事が事だから、仕方ないよ。」
 貢太はそう言って、ウーロン茶をぐび、と飲んだ。これが酒だったら様になるんだろうなと、頭の隅で考えていた。
「そうか。」
 父親はそれ以上何も聞こうとはしなかった。だが、その表情は何かを決意しているような、そんな表情だった。
「なぁ、貢太。お前は、多分俺に似なかったんだろう。我慢強くて、頭もいい。」
「そんな事……」
「まぁ、最後まで聞け。」
 酒が入り、少し饒舌になった父親が貢太の言葉を制止した。思わず、言われたとおりに黙ってしまう。
「貢太がこのまま不良を続けたいんなら、それでもかまわない。けど、俺としては、大検受けるなりして、大学に通って欲しいと思ってる。俺が、今まで仕事しかしなかったのは、お前がどんな人生を歩もうとも、サポートできるように貯金していたからなんだ。」
 父親はそこまで言うと、ビールを口に含んだ。少し気恥ずかしいのだろうか、貢太と目をあわせられず、目線は貢太の方を向いたままふらふらと彷徨う。
「お前の躾とか、進路とか、母さんに一任していたのは、俺の逃げだと認める。こんな事になるまで、お前と向き合えなかったのも、だ。」
「親父……」
 貢太の胸に熱いものが込み上げてきた。こんな息子なのに、父親は否定するどころか、受け入れてくれるのか。目頭が熱くなるのを感じた。
「……俺は、酒が入らないと自分をさらけ出せない、弱い男だ。お前みたいに……まぁ、暴力的なのは問題だが、自分の感情をストレートに表現できるのが、正直、羨ましい。」
 そこまで言って、父親はジョッキを空にし、おかわりを注文した。
「……大学、受ける気はないか? お前の頭なら、大検ぐらいどうって事ないだろう?」
「……ごめん、親父……今は、まだ、そんな気分になれない。」
 聡子が妊娠したという事実を耳にしていただけに、彼女の未来予想図を大きく狂わせてしまった自分に、そんな資格があると、貢太は到底思えなかったのだ。
「そうか。じゃあ、その時が来るまで、気長に待つよ。」
 父親はそう言ってにっこりと微笑んだ。それは、貢太が忘れかけていた父の笑顔だった。確か、昔、誕生日やクリスマスにプレゼントを買ってくれた時、父は確かに微笑んでいた。まさしくそれは、父親の顔だったと言うのに、どうして今まで忘れていたのだろう。
 ふいに零れ落ちた涙を気付かれまいと、父親から顔を背けて貢太はその涙を拭った。
 それから、二人は今まで全く会話がなかったのが嘘のように色々なことを話した。仕事のこと、学校のこと、趣味のこと……だが、一番多かったのは母親に対する不満や愚痴だった。
 ほろ酔い気分の父親を支え、家に帰る頃にはもう日付が変わりそうになっていた。家の灯かりは消えていて、母親はもう眠っているようだった。起こさないように、おたがいそっと自室へと戻っていった。
 貢太は父親が最後に自分に対して言った、
「いきなりこんなに態度が変わったら、不審がられるから、またいつも通りの親父に戻るよ。」
という言葉が忘れられなかった。貢太もそれに対して、
「俺ももう少し不良やってみる。いろんな人傷つけるかもしれないけどさ。」
と返事をした。
 そう、もう少し、不良をやる。貢太はそれを決意表明のように心の中で呟いて、ベッドに身体を投げ出した。なんともいえない満足感が貢太を優しく包み込んでいた。

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