優等生の秘密
アサト:作
■ 51
「妊娠、してますね……」
壮年の医師は気まずそうに、低い声で言うと、診察室に重い空気が流れた。普通なら、おめでとうございますとか、そういった言葉が出る場面だが、医師は、聡子がレイプされたと知っていたためか、医師はそういうセリフを言わなかった。
「どう、なさいます?」
その問いに、聡子に付き添っていた母親が心配そうに聡子の顔を覗きこんだ。
「……考えさせてください。」
「聡子……?」
聡子の答えに、母親は少し戸惑ったようだった。だが、聡子は迷いのない目で母親と医師を見据えていた。
家に帰り着いてからも、母親は戸惑いを隠しきれずにいた。
「堕ろした方が、いいんじゃない……? 産んだら、学校だって行けなくなるし……」
「ねぇ、お母さん……私、もう学校へは行けないわ。だって、レイプされたって……きっと、学校中に噂広まってる。」
聡子はそう言って哀しげに俯いた。そんな娘に何と言っていいのか分からず、母親は口をつぐんだ。
「どっちにしろ、学校へは行けないんだったら、殺したく、ない……」
聡子の思いつめた表情に、母親はまだ何か言いたげだった。その時、玄関のチャイムが鳴った。母親は沈んだ表情の聡子を気遣いつつ、玄関へ出た。
「どちら様……康介さん……それに、京君も……」
玄関から聞こえてくる母の声が、聡子の耳に届く。京介の父を呼ぶ声が嬉しそうだったが、京介がいると分かった途端にそれを隠そうとするのが滑稽でならなかった。
「聡子……」
京介は、聡子の姿を見るなり、今にも泣き出しそうな表情で聡子を抱きしめた。その腕は、微かに震えていた。
「ごめん……守れなくて……」
「ううん……いいの……」
聡子はそれだけ言って、京介の背をしっかりと抱いた。その瞬間、今まで抑えていた涙が、とめどなく溢れ出した。聡子は嗚咽を漏らしながら、京介の胸に顔を埋めた。
どのくらいの間そうしていたかは分からない。だが、かなり長い間聡子は泣き続けていた。
ようやく落ち着いた頃、京介は聡子を隣に座らせ、優しく肩を抱いた。そして、成り行きを見守っていた自分の父親と、聡子の母親に向き直り、口を開いた。
「父さん、おばさん……お願いが、あります。」
いつになく真剣な表情の京介に、二人は思わず息を飲んでしまった。
「俺は、聡子を守りたい。お腹の子も含めて。だから、俺達の結婚を許してください。」
京介はそこまで言って、二人に深々と頭を下げた。突然の事に、二人だけでなく、聡子も困惑していた。
「結婚って、京介……お前、まだ高校生だろう……?」
「お腹の子供もって……京君の子供じゃないのよ……?」
二人は心配そうに京介を見つめながら言った。だが、京介は迷いのない目で二人を見据えていた。
「分かってます。だから、籍を入れるのは、俺が高校を卒業してからでいいです。」
「お腹の、赤ちゃんは……?」
不安そうに尋ねる聡子の母を、京介はじっと見つめた。
「俺の子供として、育てます。勿論、戸籍上もそうするつもりです。」
「でも……」
まだ何か言おうとする聡子の母親に、京介は首を横に振った。
「聡子の子供である事に、変わりはありません。」
京介の態度に、二人はすっかり気圧されてしまっていた。そして、反論できないまま時間だけが流れ、結局京介の言葉を受け入れることになった。
その後、お互いの親はどこかへ出かけ、家の中には聡子と京介の二人が残される事になった。
「京介……お腹の赤ちゃんは、きっとあなたの子供よ……」
「……分かってる。」
京介は申し訳なさそうに呟いて、聡子を抱きしめた。昨日までとなんら変わりないこの身体に、もう一つ命が宿っていると考えると、京介には、聡子の身体がとても神聖なものに思えた。二つの命を慈しむかのように優しく抱いて、京介は聡子の艶やかな髪を撫でた。
「……聡子が、レイプされた事実を隠れ蓑に使うなんて、卑怯だとは思ってる……でも……」
「いいのよ。そのうち、母さんたちにはちゃんと説明するわ。勿論、京介が卒業してから……」
聡子はそう言って、京介の頬に口付けをした。京介も、それに応えるかのように、聡子の頬に、額に、瞼に、そして唇へと、キスの雨を降らせる。激しいものではなく、慈しむような、優しい口付けだった。
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