2008.08.02.

ボヘミアの深い森
01
横尾茂明



■ ロマンチック街道1

もう18年にもなるだろうか…。
当時、コンサルティングスタッフとして龍太はドイツに駐在していた。

その日…フランクフルトの渋滞を抜けたのが11時、ドイツロマンチック街道に入ってからは以外と道は空いていた。
 
龍太は暗くなるまでにミュンヘンに入りたいと思い、ただひたすら走り続けた。

道の要所にはカモシカ注意の看板が有り、昨年の秋に友人が大型のカモシカに体当たりして車を大破させ、大怪我をしたことを思い出す…。

龍太は思う、ドイツの道はガードレールも少なく、道の修理もいつやったのか判らないほど酷い…日本の高速道路のすばらしさを外国に来て知るなんてな…。

丘の上に古城が見える、このあたりは針葉樹の間に城が点在し、ドイツ旅情を醸しだしていた。
初夏の陽光が周りの景色を鮮やかに浮き彫りにしている…龍太は唐突に思いついた今回の旅の想いを陽春の中に巡らせていく…。

(しかし腹が減ったナ)
龍太は朝にトースト1枚を食べただけを思い出す。
(何か食べるか…)
時計は12時を少し回っていた。

街道の右脇に古ぼけたレストランを見つけた。
龍太は一瞬逡巡したが…後続車にせき立てられ、しかたなく急ハンドルを切り、レストランの駐車スペースと言うには余りにも無造作な広場にBMWを滑り込ませた。

車に鍵を掛け、自然生えの色とりどりの花を見ながらレストラン入り口を探す。

朽ちかけ…少し傾いた扉を見付ける。
一瞬躊躇ったが、空腹には勝てず…不気味な音のするドアを押して店内に足を踏み入れた。

案の定…店内は閑散として薄汚れていた。
客はといえば汚れた店の暗い隅に融け込むように座っている老女と13〜14才の少女の二人のみであった。

二人はまるで単調な作業でもしているかのようにハムとジャガイモの粗末なランチ口に運んでいる。

龍太は少し明るい窓辺の椅子に腰掛け、ウエータが来るのを待ちながら遠くの丘の古城を眺めた。

フランクフルト空港での1年間、システム構築コンサルと仮認証を週末に終え、月曜には認証登録手続きためロンドンに戻る予定であった。

しかしロンドンのマネージングディレクターから登録手続きには時間がかかるから、この際休暇を取ったらどうだと連絡があり、遅れて今回の成功報酬として2週間の休暇と2万ドルのボーナスを与えると伝えてきた。

龍太はフランクフルトのアパートで、休暇が明けるのをただ漫然と待つのも3日で飽き、急にミュンヘンの旅を思い立ったのである。

龍太はふと我に返る。
ウエータが現れない、店に入ってからもうに20分は経とうとしていたのだ。

少し苛立った…そして大声で店奥に声をかける。

すると肥えた年増女が機嫌悪そうに現れた。
「今日は何にも無いよ!」とぶっきらぼうに答える。

(ハー助けてくれよ、だったら店なんか開けるなよデブ!)

「いいから! 何にか食わせてくれよ」

「ハムとイモしか無いよ!」

「ああーそれでいいや!」
龍太はいいながらも店隅でランチの消化作業を続けている老婆と少女を見やって憂鬱になっていく。

女は店奥に引っ込むと大皿にハムを乱暴に切ったのと、冷めたマッシュポテトのてんこ盛りを乗せ、龍太のテーブルに放り出し「400ペニヒ」と言う。

(何て言いぐさ、腹の立つ脂肪の塊め!)

「ついでにパンとピルツナーも持ってきてよ」と言い年増女に20マルク紙幣を握らせ「釣りはいらない!」とそっけなく言った。

女は急に愛想笑いを浮かべ、すぐに大きな塩パンと汚れたグラスにピルツナーをなみなみと注いで運んできた。

(調子のいいオンナだ!ったく)

ドイツ人はどうもアジア系をバカにする傾向が有る
初めてフランクフルトの空港で物流ネットワークDRを始めたときも
嘲り似た小声の囁きがあちこちで聞こえたことを今も鮮明に思い出される。

(しかし…不味い!)
ドイツのパンの不味さは日本人には耐え難い苦痛と龍太はいつも思う。

(俺の嗜好がおかしいのかな?)

龍太はパンを一口囓り渋面で放りだし、次いでハムでポテトを包んで口に運んだ。

(あっ、少しはましか)
(しかし不味いもので空腹を満たすなんてナ)
(金は有るんだからもう少しましなレストランを探せばよかった)
レストラン入り口の…色とりどりの花につられて入ってしまったことに龍太は後悔する。

そのとき龍太は目端に視線を感じた、その視線を追うように店隅に目を転じる。
先程貪るようにハムを頬張っていた少女が微笑みながらこちらを見ていた。

龍太は眼をこらして少女の風貌を見ようとしたが、明るさに慣れた眼には輪郭も朧で妙に眼の印象しか捉えられない。

(俺のどこが面白いのか…)

龍太はムッとした思いでただひたすら不味い飯で腹を満たすことに専念したその間…相変わらず視線は感じたままだった。

店を出て車に近づくと先ほどの老婆と少女が大きな鞄を抱えて店から飛び出てきた、そして龍太の前まで走り寄ると少女が微笑んで立ち止まり。

「おにいさん! ミュンヘンに行くの?」と訛りの強いドイツ語で聞いてきた。

少女はチェックの黄シャツにオーバーオール、ひさしの長い帽子を被り澄んだ碧眼で龍太の言葉を待つ。
帽子のひさしの影も手伝っているのか少女の顔は薄汚れて見えた。

「うん、行くけど乗せないよ!」
思わず口をついて出た即答であったが…我ながらなんて冷たい返答と感じた。

老婆と少女の服装はみすぼらしく、ロマであることがすぐに見て取れたからだ。

少女は急に曇った顔になり、老婆の方をみて何事か話し始めたが龍太には何語なのか見当もつかなかった。

老婆は頷いて道の遠くを見つめ大きくため息をついた、そして重そうな鞄を抱え少女の手を取って歩き始める。

午後の陽光が二人と周囲の花々を浮き上がらせた…
瞬時、龍太の脳裏にモネの風景画と重なりあって色が美しく流れた。

龍太は寂しげな二人の後ろ姿を見つめながら車の取手に手を掛ける…
と、その時心が動いた。
二人の後から「おいでよー!」と声をかけていた。


道は相変わらず空いており、車は軽快に疾走しローテンブルクにさしかかった。
しかしあれから1時間余り、老婆と少女は寝たきりである…
龍太はこいつらは何なんだと、乗せたことを後悔し始めていた。

(しかしなんて可愛い子なんだろう)

龍太は二人を乗せたときは感じなかったが、途中ガソリンスタンドで少女が顔を洗い、帽子を脱いだとき…ハッとするほどの眩しさを感じたのだ。
あれからバックミラー越しに幾度となく少女の寝顔を見てみた…。

(少し手を入れればとびっきりの美少女になるのに勿体ない…)
(こんな娘ならなにも行商などやらずともいくらでも稼ぎ先はあるものを)
龍太は少し淫らな想像に耽る。

(スーザンは今頃どうしてるんだろう)
(まだあの街に住んでいるんだろうか)

龍太の脳裏にスーザンとのマンハッタン・アッパーイーストでの蜜月がよぎる。

(あれからもう2年も経つのか)
(これが人肌が恋しいという感情なのかな…)

(もう一年以上もオンナの肌に触れていない計算になるなー)
(飾り窓のオンナ…)
(その気になればフランクフルトの場末でとびっきりのウィーン美少女が安く買えたが…)
(朝に運河に浮かんでる…なんて嫌だからねー…)

少女の捲り上げた黄色のチェックシャツからのぞく二の腕は透けるように白く、その肌は赤ん坊のようにきめ細かい、表現で言えばプニプニといったところか…。

時折長い睫が揺れる。
(夢を見てるのかな…)

(起こすのは可哀想だが、ここで少し休みたいな…)
(ここの血のソーセージは旨いと聞いたから土産話に食べてみたいのだが)

龍太は城壁内に車を進める。
まるでおとぎ話に出てくるような建物が次々に目に飛び込んで来た。



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