2006.03.18.

母はアイドル
03
木暮香瑠



■ アイドルが家にやってきた3

 耕平は二階に上がると、自分の部屋の隣のドアを開ける。この部屋は、使われていないはずの部屋だ。耕平が目にしたのは、パステルカラーのカーテンとベッド、化粧台。ベッドには女の子らしいピンクのベッドカバー……。慌ててオヤジの部屋も覗いてみる。同じパステルカラーのカーテンが窓を飾っている。帰宅時感じた違和感は、この所為だったんだ。

 耕平は、父親の机の上に飾られていた写真立てが無いのに気付いた。十二年前に他界した浩二の妻・耕平の母親の写真が飾られていたはずだ。その写真が部屋に見当たらない。十二年間、ずっと同じ場所に飾られていた写真がないのだ。
(オヤジ……、本気なのか? 俺より年下だぜ、星野奈緒……)
 アイドルが同じ家に住むという。普通の高校生にとったら、こんな幸運はないだろう。しかし耕平には、その幸運を素直に喜べなかった。
(かあさんはどうなるんだよ。もう忘れちゃったって言うのか?)
 年下のアイドルが、自分の親父の再婚相手になると言うと話の方が衝撃的だった。

 耕平は、混乱を振り払うように頭を降りながら自分の部屋に入った。部屋の隅には、母親の形見でもあるエレクトーンが置かれている。母の思い出が詰まったこのエレクトーンがあったから耕平が音楽に目覚め、今、バンドでキーボードを担当している。そのエレクトーンの上には、母親の在りし日の写真が飾られていた。写真の中で微笑む母親、笑顔の母親の記憶は、今ではこの写真だけである。楽しかった思い出や笑顔の母の記憶は、年を追うごとに薄れていく。

 親が急性骨髄性白血病で亡くなったのは、耕平が六歳のときだった。小学生になったばかりの耕平には、母親が死ぬという実感が無かった。母を亡くした耕平のお母さんに対する思い出は、ベッドの上で泣いている母の姿だった。
「もうすぐ、耕平ちゃんのママでいられなくなっちゃうね。ごめんね」
 ベッドの上で、チラッと見せた母の涙。泣き顔を見せないように背を向けてすすり泣く母。母親の悲しそうな表情を見るのは初めてだった。初めて見る母親の涙を、耕平は今でも覚えている。それほど衝撃を耕平に与えたのだ。いつも笑顔だった母親の顔はいつものことで、十二年も経つと色あせた。六年間の記憶は、十二年の月日を経てどんどん風化していく。しかし、母の涙を、泣いている母の背中を鮮明に覚えている。辛い思い出だけがより鮮明に純化していき、楽しかった思い出を覆い隠していった。

「ママ、……」
 耕平は母親の泣く姿を思い出し、当時呼んでいたように写真に向かって呟いた。
 どんなにかわいい娘でも、たとえどんなにやさいい人でも、耕平は母親になることを認めることは出来なかった。ベッドの上で涙を見せないようにすすり泣く写真の中の母親だけが、耕平にとって母親であった。



「まさみ、お母さんには会ったのか?」
 耕平のいなくなったリビングで、浩二はまさみに話しかけた。
「ううん、会ってくれなかった。でも、電話で話したよ」
 まさみは、必死の笑顔を作って答えた。
「そうか、まだ会ってくれないのか」
「うん、会うとわたしの人気に支障が出るって……。母親が水商売してることが世間にばれたら、わたしに都合が悪いって……」
 まさみは悲しそうに目を伏せた。
「お母さんも君の事を心配してるんだ。解って上げようね」
 浩二は、まさみと母親双方を気遣う。
「うん、判ってる。わたし、先生といられるから心配ないよ。泣いたりしないから」
 浩二の優しさが、まさみには嬉しかった。まさみは瞳を腕で拭い、ニコッと微笑んだ。

 母親が会わない理由は、まさみも理解していた。やさしさから会わないことにしているのが、痛いほど判る。父親のいないまさみを、たった一人で育ててくれた母。二十歳そこそこの年齢で、子供を育てるには水商売くらいしかなかった。強くないお酒を呑まされることも我慢して、けっして愚痴も言わずにまさみを明るく育てた。母親の優しさを感じることができたからこそ、まさみも道を外すことなく育つことが出来たのだ。

 浩二は話題を替えた。
「どうだい? 我が家の雰囲気は……」
「家族が出来るのって嬉しい。だって、わたしいつも一人だったもん」
 家庭に入った嬉しさと、寂しかった過去を思い出すように語り始める。
「わたしが家に帰ると、お母さんが仕事に出かけるの。仕方ないよね、わたしを育てるためだもん」
 小学生の頃を思い出し、まさみは寂しそうに呟く。
「いつも一人でテレビを見てた。あの中に入りたいって思ってた、テレビの中に……。凄く楽しそうだった。だからアイドルになったの。あの中には入れるんだって……」
 母親の優しさを受けていたと言っても、そこは幼い子供だ。母親と接することが出来るのは、朝と休日に限られていた。やはり寂しかった。テレビだけがまさみの友人だった。

 憧れの芸能界に入ったが、そこでは競争社会だった。同年代の友達もできたが、やっぱりみんなライバルだった。親しそうにしていても、表面上だけの付き合いだ。影では平気で悪口を言われ傷つけられた。そんなまさみを勇気付けてくれるのが浩二であり、ファンの励ましのファンレターだった。ファンに励まされ、浩二に癒される。その二つがあったからこそ、ここまでがんばって来れた。

 しかし、ファンには弱気になったところは見せられない。まさみが寂しい思いを語れるのは、浩二だけだった。浩二の持つ包み込むような優しい雰囲気が、まさみを素直にさせる。父親のいないまさみにとって浩二は、初めて素直に接することの出来る男性であり、父親のような存在だったのかもしれない。慕う気持ちが、一緒にいたいと思うようになった。その気持ちがどんどん大きく膨らみ、今日に至ったのだ。

 まさみは話題を変えた。寂しい過去より、これからのことを考えるようにした。
「耕平君、認めてくれないのかな。私がママになること……」
 浩二と一緒に暮らせる喜びと背中合わせの不安が気に掛かる。耕平より自分が年下なことが気になっている。
「そんな事ないさ。あまりにも急だったんで驚いてるだけさ、今は……」
「そうかな。わたしのこと嫌いなのかな?」
 まさみが不安げに俯く。母親と認めないと言い残し、二階に上がっていった耕平を気にしている。
「そんな事ある訳無いじゃないか。弱気だな、まさみ。君らしくないぞ」
 浩二もまさみのそんな不安に気付き慰めた。
「君が真剣に、誠意をもって接しれば耕平だって認めてくれるよ。時間は掛かるかもしれないけど。君は素晴らしい娘なんだから」
「うん。ありがとう、先生……」
 まさみは顔を挙げ、嬉しそうに口元を緩めた。
「わたしが悩んでいる時、いつも先生が励ましてくれた。レッスンに着いて行けなくて悩んでた時も、失敗して落ち込んでいた時も……。でも、先生の声を聞くと勇気が湧いてきた。先生の声を聞くと、立ち直れた。先生、大好き!」
 浩二の首に両腕を廻し抱き付き、頬にチュッとキスをした。

 やっと見つけた家庭である。まさみは、この暖かさを失いたくないと思った。どんなことがあっても我慢できる。どんな辛いことでも耐えていける。この家庭を守るためなら……。



 浩二は、自室で椅子に腰掛けクラスを傾けていた。寝酒に、少量のブランデーを喉にゆっくりと流し込む。
「まさみも今日は疲れたのかな? 気が張ってたんだろうな……」
 隣の部屋で、すでに眠りについたまさみを思いながらグラスを傾けた。

 浩二は、机の引き出しの奥に仕舞っていた写真を取り出した。数日前までは、机の上に飾られていた写真である。まさみが来ることになった夜に引き出しの奥に仕舞い込んだ。
「奏子……、これでよかったんだろうか……」
 浩二は、写真の中で微笑む奏子に呟きかけた。

「一年間待つことにしたのは、俺に自信が無いから? そうかもしれないね。彼女の私への思いは、憧れや尊敬なのかもしれないって……、家庭への憧れなんだって思うこともある……」
 一人になり、まさみとの結婚に対する不安を口にした。まさみの自分に対する気持ちが、愛なのか……、憧れではないのだろうかと不安になることがある。

「歳が違いすぎる……、彼女は二十六歳も年下だ。普通の高校生らしい生活もして欲しい。同じ歳の男の子と触れ合う機会も出来るだろう、わたしの家で暮らせば……。本当の愛を見つけられることも出来るかもしれない」
 静かな口調で語りかける。しかし、問いかけても、写真の中の妻は何も言わない。

「もし彼女が他の男……、歳の近い男を好きになったらそれはそれで良いと思ってる、そのほうが彼女にとって幸せだって……。もしそれが、耕平なら……、私は喜んで受け入れるつもりだ」
 お酒が進むにつれ、浩二はいつもは言えないことを口にした。
「これって恋なのかな?」
 まさみの幸せだけを願っている自分に気付き、浩二は苦笑した。そして真剣な顔になり、写真に語りかけた。
「もし、一年経っても私を好きでいてくれたら、その時は迷いも無く彼女を受け入れるだろう。私は彼女を愛してる……」
 まさみに対する思いが愛だと言う確信を得るために、まさみの愛が本物だと言う確信を持つために籍を入れるのを一年待つことにしたのだ。写真の中の妻は、浩二を気持ちを認めているように微笑んでいた。



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