■ 事前連絡
その少女と最初に顔を合わせたのは、三日前の朝のことでした。一時間目の授業が始まって半分が過ぎた頃、少女は級友の女子生徒に付き添われて、少しおぼつかない足取りで保健室に来ました。
「体がだるいのかな? そこの椅子にかけて」
「はい…」
か細い声が返ってきたので、少し心配になりました。
付き添いの生徒を教室に帰した後、私は少女に体温計を手渡して、熱を計るように言いました。少女は私の指示に従って、ブラウスのボタンを二つ開けて、体温計を腋の下に差し込みました。
率直に、かわいい子だなぁって思いました。あまり目立つタイプの子ではないけれど、ぱっちりとした瞳がかわいらしくて、肩にかかるおさげ髪もよく似合っています。
初対面だったので、私は軽く自己紹介をした後、相手の名前を尋ねました。
「保健室に来るのは初めてだよね。名前、なんて言ったっけ?」
「森川真由子といいます。先週、転校して……」
そこまで言って息が苦しくなったのか、真由子は強く咳き込みました。
「ああ、ごめんなさい。無理してしゃべらないで」
私は真由子の背後に回って、背中を軽くさすってやりました。その時、真由子の衣服をはだけた胸元がちらっと見えました。まだブラジャーはしていないらしく、ブラウスの下に薄地の白いタンクトップがのぞいていました。
「……大丈夫です、ごめんなさい」
呼吸が落ち着くと、真由子はかすれた小さな声を発しました。
三十九度近い熱があったので、私は真由子をしばらく休ませてから、熱が下がり次第早退させることにしました。よほど体が辛いのか、真由子はベッドに寝てからも何度か咳き込んだり、汗をびっしょりとかいたりしていました。
それでも二時間くらい経つと、真由子は自分でベッドから起き出してきました。
「あら、もういいの? もう少し休んでていいのよ」
「平気です。さっきよりは、だいぶ楽になりました」
もう一度体温を計らせると、七度六分程度にまで下がっていました。
「ありがとうございました」
真由子は私に礼を言って、体温計を返しました。 それから、おさげの髪が少し乱れていたので、壁掛けの鏡を見ながら、髪留めのゴムをはずして結い直しました。
この少女に、私はあることを伝えなければなりませんでした。
「真由子さん」
「はい」
名前を呼ぶと、真由子は髪を結う手を止めて、頬に少し笑みをたたえてこちらを振り向きました。真由子 の無垢な微笑みに、私はそのことを伝えるのをためらいました。 今年で十三歳になる少女にとって、それはあまりにも辛いことだったからです。
「先生?」
私の気持ちを読み取ったのか、真由子はいぶかしげな目をこちらに向けました。
やっぱり言わなきゃいけないよね……
私は、自分に言い聞かせました。もし黙っていたとしても、どのみち三日後には少女の身に現実として起こることなのです。それなら、事前に伝えて心の準備をさせるのが、せめてもの配慮です。
「真由子さん、あのね……」
私はためらいを振り払って、目の前の少女にそのことを話しました。
「……分かりました。言われた通りにします」
意外な返事が返ってきて、私はとても驚きました。真由子は、これから自分の身に起こる耐えがたい恥辱を、あっさりと受け入れたのです。
「本当にいいの?」
私はそう聞かずにはいられませんでした。
「あなたはまだ転校してきたばかりだから、せめて場所を移してもらえるように、担任の先生に相談してもいいのよ」
「いいんです、本当に……」
真由子は、スカートの膝の上に両手をのせて、二、三度大きく首を横に振りました。
「他のみんなも同じようにやってるから……転校生だからって、わたしだけ特別扱いされたくないです。平気では、ないですけど……」
さすがに動揺しているのか、真由子は両手をぎゅっと握りしめて、小さく肩を揺らしました。
自分だけ特別扱いされたくない。それが、この少女が屈辱を受け入れる唯一の理由でした。今時珍しい、生真面目な性格の子です。
「わかったわ。そこまで言うなら、最後まで付き合ってもらうわよ」
言いながら、私は体温を診るために、真由子の額に手を当てました。
「泣いたりするのはいいけど、後になってやっぱり嫌だって言ったり、逃げ出したりしちゃダメよ」
私が念を押すと、真由子はこくっとうなずきました。
「そんなこと、しません」
真顔でそう答えてから、真由子は少し苦笑いを浮かべました。
「でも、想像したら結構大変ですね」
なんだか他人事のように、少女はぽつりと言いました。
「こんなこと、初めてだから……恥ずかしいです」
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