■ そんなの嫌……
そうして、真由子ちゃんは先生の所へ行きました。
やっぱり緊張するのか、真由子ちゃんは教卓の横で先生と向き合うまで、ずっとうつむいたままでした。そのせいか、元々細身で華奢な体つきの真由子ちゃんが、ずっと儚く見えました。
真由子ちゃんの白い清潔なブラウスの背中に、下着のラインが透けて見えました。まだブラジャーをしていない真由子ちゃんは、制服の下にインナーかスリップを身につけています。今日は、ブラウスと同じ純白のインナーを選んだみたいです。
「森川さん、ブラしないの?」
クラスの子に聞かれて、真由子ちゃんはちょっと恥ずかしそうに、「わたし、まだ小さいから……」と答えていました。
そういえば、真由子ちゃんが初潮を迎えたのは、二年生に上がってからだそうです。わたしにナプキンをくれた時、「内緒だからね」と言って、こっそり打ち明けてくれました。人より発育が遅いということを、少し気にしているみたいです。
でも、真由子ちゃんも思春期の女の子らしい胸の膨らみは、ちゃんとあります。確かにそんなに大きくはないけれど、探せばAくらいでちょうどいいサイズのブラがあると思います。
もしかして、お母さんが入院しているから、今まで相談する機会がなかったかもしれません。こういうことって、なかなか自分からは人に言えないものです。
「今度、ブラ買いに一緒に行ってあげようか?」
わたしが体育の時に言うと、真由子ちゃんは少し恥ずかしそうにしながらも、なんだかうれしそうでした。
「あっ、じゃあ……お願いしようかな」
黒板の所で、真由子ちゃんは先生の話を聞いていました。目を見上げて何度かうなずきながら、「はい」というふうに唇が動きました。
時計を見ると、あと五分で授業が始まる時間になっていました。そろそろ準備しなきゃと思って、バッグから教科書とノートを出して、机の上に置きました。
昼休み時間も残り少なくなって、トイレに行こうと席を立つ子が増えてきました。わたしも手だけ洗いに行こうかなと思ったけれど、真由子ちゃんのことが気になって、その場から動くことができませんでした。
見ていると、真由子ちゃんは何か指示をされているみたいでした。真由子ちゃんの方も、時々先生に何か聞いて、答えてもらったりしていました。
真由子ちゃんの表情は、普段とあまり変わらないように見えました。集中して授業を受けている時の、真面目ないつもの真由子ちゃんでした。
よかった、そんなに心配することなかったんだ……
少なくとも怒られている雰囲気ではなかったから、少しほっとしました。やっぱり、先生が真由子ちゃんを叱るなんて、まずありえません。
でも、それなら真由子ちゃんは、どうしてあんなに悩んでいたんだろう……
やがて、先生の話が済んだのか、真由子ちゃんがこっちを振り向きました。でも、なぜか席に戻ろうとはしないで、その場から動きませんでした。
わたしを見ると、真由子ちゃんはふいに、とても悲しそうな顔をしました。そして、真由子ちゃんの愛らしい薄いピンク色の唇が、「ごめんね」というふうに動きました。
えっ、真由子ちゃん……?
その時、列の一番前の方で、女子の一人が立ち上がりました。
「先生、いくらなんでもそれは森川さんが可哀想です」
このクラスの級長で、わたしと同じバレー部の絵美でした。真由子ちゃんに先生が何を言ったのか、列の一番後ろのわたしには聞き取れなかったけれど、絵美には聞こえていたみたいです。
「森川さん、転校してきたばかりなのに、教室でパンツだけになれなんてひどいですよ」
ぱっ、パンツだけ? 教室で、真由子ちゃん……裸になるの?
ざわめきが、教室のあちこちで起こりました。女子の間から、「きゃっ」「やだぁ」って、悲鳴みたいな声が上がりました。クラスのみんなの視線が、一斉に、真由子ちゃんの所に集まりました。
真由子ちゃんは、まだ教卓の横に立って、叱られた子みたいにうつむいていました。女の子が、男子もいる教室で服を脱がされるなんて、普通はありえないことです。
でも、真由子ちゃんがそんなことを指示される理由は、なんとなく分かりました。この学校では、確かにそうしなきゃいけない時があるんです。だとしても、真由子ちゃんにとっては理不尽なことに変わりないけれど……
「静かにしろ、島本」
先生が、うんざりした顔で言いました。
「この学校は、身体測定の時はそういう決まりなんだから、仕方ないだろう」
思った通りでした。真由子ちゃんは、これから身体測定を受けるように言われたんです。
そして、先生の言った通り、うちの学校にはそういう決まりがあります。身体測定の時は、男子も女子も教室で服を脱いで、パンツだけになります。スリップも、ブラも、だめなんです。
他の学校の子に言ったら、信じられないって顔をされます。「拷問だよ、そんなの」とか言われたりします。
でも、わたしは我慢できないほど嫌というわけではありません。この学校の子は、ほとんどが幼なじみです。小さい頃、一緒にお風呂に入った男子もいます。だから、確かに恥ずかしいけれど、まぁいいかなって思うことができます。
女子の中には、わりと平気だっていう子も結構います。むしろ、男子の方が照れているくらい。わたしは、一応胸とかは隠すようにしているけれど……
ただ、それは慣れているわたし達だから言える話です。中学生になって初めて脱がされる子にとっては、こんな状況はそれこそ拷問です。真由子ちゃんは、もしかしたら下着さえ男子に見られたことがないかもしれません。
「森川さん、この学校に来てまだ二週間なんですよ」
絵美が、真由子ちゃんの傍に寄って言いました。
「私だって、転校したばかりでこんなことされたら、耐えられないです。今だって、結構恥ずかしいのに……」
とてもしっかりしていて、誰からも頼りにされる子だけれど、絵美はよく男子に泣かされます。やっぱり意地悪をする子が何人かいて、測定の時、裸の絵美に「ちび」「幼児体型」とか言ってからかったりするんです。だから、同じ思いをさせたくないのかもしれません。
それに、一度絵美がコンタクトを廊下に落としてしまった時、真由子ちゃんが一緒に探してあげたことがあります。その時、わたしもその場にいました。結構時間がかかったけれど、真由子ちゃんは見つかるまで探すのを手伝ってくれました。
あれは確か、真由子ちゃんが転校してきた当日だったと思います。もちろん話すのも初めてだったから、絵美と二人「あの子、優しいんだ」って、びっくりした覚えがあります。
絵美も、ちょっと気は強いけれど、優しい子です。だから、自分に親切にしてくれた友達が泣かされるのを、きっと見たくないんです。
それは、もちろんわたしも同じです……
「森川さんも森川さんだよ。どうして『はい』ってしか言わないの?」
絵美は、今度は真由子ちゃんに言いました。
「『どうして脱ぐんですか?』とか、『せめて場所を移してもらえないですか』とか、少しは言えばいいじゃない。転校生だから遠慮してるの? 黙ってたら、森川さん、裸にされちゃうんだよ」
すると、真由子ちゃんは目を見上げて、じっと絵美の顔を見つめました。でも、まだ唇を結んで、さっきからずっと押し黙っています。
「気持ちは分かるがなぁ、島本」
先生はそう言って、ため息をつきました。
「転校生だからって、もうこの学校の生徒である以上、特別扱いはできないんだ。もしそうすれば、後で本人が辛い思いをするかもしれないだろう。気の毒だが、森川には従ってもらうしかないんだ」
「でも、これはそういう話じゃ……」
そこまで口にしかけて、絵美は何も言わなくなってしまいました。
確かに先生の言った通りです。嫌な思いをしている子は、他にもたくさんいます。ここで真由子ちゃんに何か配慮すると、「どうしてあの子だけ?」って思う子もいるかもしれません。
でも、それくらいは許してあげていいと思います。うまく言えないけれど……やっぱり、真由子ちゃんが可哀想です。
それに、真由子ちゃんが今指示されていることの方が、よっぽど不公平です。授業中、みんなの見ている前で服を脱がされるなんて、誰も経験したことないんだから……
わたしも何か言わなきゃ。そう思って椅子を立とうとした時、授業始めの合図のベルが鳴りました。
その時、真由子ちゃんがふいに、絵美のブラウスの袖をくいっと引っ張りました。
「島本さん、もういいから……」
まだ少しうつむいて、小さなかすれた声を発しました。
「ありがとう。でもそれ以上言ったら、島本さんが怒られちゃうよ。気持ちはすごくうれしいけど……」
ふと声を詰まらせて、真由子ちゃんはちらっと先生を見ました。そして、また絵美の方に目線を戻しました。
「わたし、みんなと同じように受けるから」
真由子ちゃんは、あっさりと言いました。あまりにも簡単に言うから、わたしは真由子ちゃんがどんな意味で言っているのか、一瞬分からなくなりました。
「本当に……いいの?」
絵美に聞かれると、真由子ちゃんはこくっとうなずいて、悲しそうな顔をしました。
「恥ずかしいけど……そういう決まりなんだから仕方ないよ。みんなだって、同じ思いしてるんだし」
「森川さん、私達に気を使ってるの?」
絵美は、真由子ちゃんを少しにらむ目で言いました。
「これぐらいでひいきとか、誰も思わないよ。ていうか、そんなの森川さんが気にすることないじゃない」
「ちがう……そうじゃないの」
真由子ちゃんは、首を横に振りました。
「みんながどう思うかとか、そんなのは関係ないよ。ただわたしが嫌なだけ。自分だけ逃げるなんて、そんなの嫌……」
そう言って、真由子ちゃんはまたうつむき加減になりました。
絵美は、たぶんやりきれない気持ちなんだと思います。何も言わずに、ただ真由子ちゃんの背中を軽くぽんぽんと叩きました。
うつむいたまま、真由子ちゃんは絵美に言いました。
「大丈夫。そんなに心配しなくても……一応心の準備はしてきたし」
その言葉を聞いて、わたしは真由子ちゃんの様子がおかしかった理由がやっと分かりました。それと、さっき先生に裸になるように言われて、どうしてあまり表情を変えなかったのかも。
「なんだ、知ってたのか」
先生は、不服そうに言いました。先生なりに、こんなことを女子生徒に言うのは嫌だったのかもしれません。
「はい。三日前、養護の先生に……この学校はそういう決まりなんだよって、教えてもらいました」
わたしは、すぐ思い当たりました。三日前、真由子ちゃんが熱を出して、わたしが保健室まで付き添った時のことです。あの後言われたんだって分かりました。
きっと、真由子ちゃんはそのことで頭がいっぱいだったんです。人前で裸にならなきゃいけないって言われて、平気でいられる女の子なんていません。
「島本。分かったら、席に戻りなさい」
先生が、諭すように言いました。
「森川だって納得してるんだし、もし嫌がったとしても、どのみち従ってもらわなきゃいけないんだ。お前が色々言ったところで、かえって森川を悩ませるだけだぞ」
絵美は、一瞬先生をにらむように見たけれど、黙って席に着きました。真由子ちゃんとすれ違う時、絵美は少し励ますみたいに、もう一度背中をぽんと叩きました。
そして、先生は……真由子ちゃんの方を見ました。
「森川も、分かったな」
先生は、強く念を押すように、低い声で言いました。
「じゃあ、ここで……脱ぎなさい」
真由子ちゃんは、顔を上げて、しっかりとした声で返事しました。
「はい」
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