2006.06.15.

The Report from a Fallen Angel
03
ぽっけ



■ 03

ガラッと勢いよく扉が開く。

「よ、サブちゃん!」
「久しぶりじゃのぉ」

一体、これはどうしたことか。
先ほどの玄さんに続き、馴染みの客が顔を出す。
それも、この二人は久しく来ていなかった客である。
この間なんかは、自分の出した食事の最中に

「サブの作る飯は不味くてかなわね。表通りにでけた食堂は数倍ぇはうめぇっぺ!」

などと大声で悪態を付いた二人である。

「いらっしゃいませ、お好きなお席へどうぞ?」
「この子だっぺな? 玄が言ってた娘っ子ってのは」
「しっかりした子だぁ。お好きなお席へどうぞってか」

二人はゲラゲラと笑いながら壁際の席についた。
絵美子は少しも気分を害した風もなく、そのまま彼らに付いていき注文を取る。
その後もそつなく仕事をこなし、二人の馴染み客は満足げに店を出て行く。

「ありがとう御座いました」
「また来るでな。絵美子ちゃん、こげなぁボロちぃ店、辞めたくなったんとちがうかぁ?」

その一言にドキッとした。
確かに、こんな店で、こんな薄汚い男にからかわれて、彼女がここを辞めたくなったとしてもおかしくはなかった。
だが、彼女は大きく首を横に振った。

「いいえ、お仕事はとても楽しいです。私はこの店におじ様達がまた来てくれるのを楽しみにしています」
「おじ様ときたかぁ!」

二人は大笑いしながら店を後にする。
絵美子はそんな二人を最後まで笑顔で見送ってから食堂に戻ってきた。
なんとも不思議な子だ。
いつも不機嫌な顔を並べて、代金と共に決まって2、3の文句を垂れていく気難しい馴染み客の気分を損ねることなく、仕事をこなしてしまった。
その後も、彼らから彼女の噂を聞いたのか、暫く姿を見せなかった馴染みの客が店に顔を出した。
そのすべての客が彼女の言葉に一喜一憂し、例外なく満足な顔で帰っていった。

終わってみれば11人。
これだけの客が来たのは、両親が死んでからは初めてのことだった。

「絵美子ぉ」
「はい? なんでしょう」
「給料だぁ。すくねぇがうけとってけろ」
「え……こんなに……私、受け取れません……」

絵美子は差し出したニ枚の百円札を受け取ろうとはしなかった。

「恥ずかしい話だけどもなぁ。オラの店、こんなに客さ来たの初めてなんだぁ。全部、おめぇさんのおかげだべ」
「でも、こんな大金……」
「明日も同じだけ払えるかどうかはわかんねぇ。いや、たぶん、払えねぇと思う。だけ、今日だけは貰ってくんろ。おめぇさんの好きなもんさ買うてくるとええ……」
「……分かりました。ありがとう御座います」

絵美子は百円札を大事に自分のポケットに仕舞って、大きく頭を下げた。

「本当に利口な子だぁ」

再び店の掃除を始めた彼女を見て、そっと呟いたのだった。



次の日、まだ完全に開ききっていない眼をこすりながら食堂に降りていくと、彼女が卓上で何かしているのが目に入った。

「絵美子、おめぇさん何してるべ?」
「はい、メニューを作ろうと思いまして」
「めにゅー?」

彼女は紙に向かって何かを書いているのだ。
誰かが何かを書くという作業を見たのは、生まれて初めてだった。

「壁のメニューは随分古くなっていますし、それに、このテーブルの一つ一つにメニューを置いたら便利だと思うんです」
「だども、おめぇさん、その紙とインクはなじょしたぁ?」
「はい、これは昨日頂いたお金で買ったんです」
「なんとっ!?」

この子はせっかく貰ったお金を自分のために使わずに、この店のために使ったというのか……

「おめぇさん、字うめぇなぁ……」
「そんなことないですけど、できるだけ綺麗に書きますね」
「だども、字が読めるようなやつぁ、この店にはこんでよ……」
「ここに絵を描いたら分かりやすいと思うんです」
「絵ぇだぁ?」

よく見ると文字の下には、確かに何やら絵のようなものが描かれていた。

「ほぉー、これは卵焼き定職だっぺ?」
「そうです」
「こっちは、えびふらい定職かぁ。こいつぁーおもしれぇなぁー」
「ありがとう御座います。皆さんにここの定食の名前を少しづつ覚えてもらいましょう。すぐに、文字が読めるようになります」

少女の妙案に舌を巻く。
彼女の睨んだとおり、新しい献立表は客に馬鹿受けだった。
「○×定食だっぺ?」と勝ち誇った表情の客に、嬉しそうに「正解です」と答えてやる絵美子。
そんなやりとりはもう何十回と続いているはずなのに、彼女は嫌な顔一つせず完璧に接客していく。

彼女の噂は予想外に広がっているようで、今日に限っては開店から閉店まで客足が途絶えることはなかった。
馴染み客だけではなく、この店に初めて訪れる客も相当数いた。
まるで、この食堂で小さな祭りでも開かれているかごとく、次々と顔を覗かせる町人達。
彼らは皆、この14歳の少女の魅力に引き込まれるがごとく、店に集まってきたのだ。

「あんれまぁ……これはどうしたことだぁ……」

昨日と合わせると37人の客がこの店に来たことになる。
途中で二度、買い出しに行かなければならなくなったのも今となっては納得できる。
そう、彼女に魅せられているのは客だけではない。
自分もまたその一人なのだ。
だからこそ、時間を忘れて仕事に没頭している。
どんなに忙しくても、彼女の元気な声が聞こえれば、苦痛など感じないのだ。

昨日と今日だけで三千円近い収入。
これは先月の一カ月分の収入にほぼ等しい。

「おめぇは、天使様みたいだぁ……」

今日は彼女もかなり働いたので、疲れているはずだった。
にも関らず、自主的に掃除をしている絵美子。
本当に利口な子だ。
愛想もあって、仕事にもミスがない。
会計の計算も正確で、自分のように客におつりを余分にくすねられることもない。
彼女とならこれからも上手くやっていけるかもしれない、いや……必ずやっていける!

ガラッ!

突然、入り口の扉が開く。
絵美子の噂を聞きつけてやってきた客だろうか?
それにしては来るのが遅すぎる、のれんはとっくに引っ込めてしまっているのだ。

「いらっしゃいませ、まことに申し訳ありませんが、本日は閉店してしまいました」
「んあ?」

その人物を見て、思わず固まってしまった。

「あ、安藤の旦那ぁ……」
「くくく、なんだよ、サブ。てめぇ、随分景気がいいじゃねぇか。いつの間に従業員雇えるほど儲かるようになりやがった? あぁ?」

絵美子はこちらと安藤を交互に見ている。
どうやら、二人の関係を図りかねている様子だ。

「絵美子、おめぇ、奥にすっこんでなぁ。もう、片付けはええげ」
「…………」

絵美子にしては珍しく、素直な返事が聞かれなかった。
彼女は一向に動く気配を見せず、目の前の無粋な大男を睨みつけている。

「くくく、そうか、そうだったなぁ。普通の従業員が雇えねぇから、ガキを雇ってるわけだ」
「お客様……」
「なんじゃ、コラァぁ?」
「申し訳ありませんが、本日は閉店しました。また、改めてお越しください」
「この店では、遠路はるばる来たお客様に向かって、そんな態度を取るんかぁ? あぁ?」

ズンッ、ボゴッッ!!

安藤は身近にあった卓の一つを思い切り蹴飛ばした。
卓は勢いよく吹っ飛び、壁にぶち当たり真っ二つに割れてしまう。

「やめてください。それは大切な店の備品です!」
「だったら飯を出しな」
「もう、出せるものがないんです。材料が底を付いてるんです」
「材料切れだァ?」
「ええ、今日仕入れた材料は全て使い切りました」
「は、はははっっ! 笑わせるっ! サブの作った飯が売り切れたっていうんかいなっ!?」

絵美子は大男の乱暴な物言いや態度にも怯んだ様子は微塵も見せない。

「はい、ですから、食事をされるのなら、もっと早く来てください」
「まぁ、ええ、サブの不味い飯なんかどうだってな。俺は出すもんさえ出してくれればすぐにでも帰ったる」
「出すもの?」

絵美子は首をかしげながらこちらを見た。
彼女にはこんな格好悪いところを見せたくはない。

「絵美子ぉ、ええから、部屋に戻ってなぁ」
「サブ、いいじゃねぇか、このガキにも聞かせてやろうぜ。俺とお前の切っても切れない関係の話をな」
「どういうことですか?」
「いいか? こいつはなぁ、俺達ヤクザ者に多額の借金をしてるんだ」
「本当ですか?」
「ああ……」
「利息を含めたら、五十万の借金を払ってもらわなきゃいけねぇ。ま、この男にそんな金払えるわけねぇが……ん?」

安藤は今日の売り上げの三千円の方を見てニヤリと笑った。

「なんだよ、あるじゃねぇか。サブも人が悪いぜ。きちんと用意してるならそう言ってくれればええだろうが」
「そ、そいつぁ……」
「あんだぁ? なんなら、明日このボロ屋をぶっ壊して、土地をそっくりそのまま返済に充ててもいいんだぜ?」
「……う、うぅ……」

安藤は奪った札束でパンパンと頬を叩いてくる。

「借りたものは返さねぇとな、ま、これでも到底足りねぇが……そうだな、残りの分は……」

安藤の目が怪しく光る。
と、同時に強烈なパンチが顎に命中した。

「っぐぁ!」
「サブさんっ!!」
「へへへ、また来てやるぜ。せいぜい頑張って働きな!」

安藤はそのままピシャリと扉を閉めて出て行った。



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