2013.01.20.

走  狗
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■ 第1章 出来事1

 俺の名前は叶良顕(かのう りょうけん)、当年取って29歳。
 坊主だった親父が、跡を継がせるために付けた名前だ。
 だが、そんな夢を見ていた親父は、突然失踪した。
 まあ、事前に連絡のある失踪って、聞いた事はないが…。
 当時から、今の仕事をしていた俺は、住職不在の寺を維持していく事も出来ず、碌々檀家も居ない寺をとっとと手放した。
 寺の土地と法人株を売った金で、都内にマンションを買った。
 そこで、結婚したばかりの妻と妹の3人で、慎ましく暮らしていた。
 それこそ、平穏無事を絵に描いた様な、ごく普通の生活だった。

 だが、そんな俺の暮らしは、長く続かなかった。
 2年前単身赴任で、アメリカに渡っていた時、家で事故が有って2人共死んじまった。
 今の俺は、天涯孤独でアル中の入った不良刑事。
 2年前の事故のショックから、未だ立ち直る事が出来ない。
 赤門の法学部を出て上級職を通った俺が、今じゃ所轄の係長。
 年を食った部下から、なじられる毎日を送っている。

 頭の上で目覚ましが鳴る。
 どうでも良い事なのに、毎日ガナリ立てる。
(はいはい、起きるよ。また、10歳も上の部下に怒られんだろうな)
 スーツを着て家を出る。
 ユラユラと揺れる鍵穴に、なかなか鍵が入らない。
 溜息を吐いて、頭を持ち上げると、その拍子で目の前がグニャリと歪む。
 俺は、鍵を掛ける事を諦め、手に持った鍵束をポケットに落とす。

 酒臭い息を吐きながら、電車に揺られ、職場に着いた俺を、いつものように見つけ、怒鳴り散らす部下。
「キャリアかなんだか知らないけど、階級付いてるんだから、ちゃんとしてくれよ!部下に言われて恥ずかしくないのか!」
 朝の恒例行事。
(こいつは、きっと俺に文句を言う事で、自分をアピールしてるんだ。くだらない仕事、くだらない毎日、誰か俺を殺してくれ)
 いつもの様に頭の中で、力無い俺の声が響く。

 今日も何もしないで、一日が終わった。
 帰り支度を済ませて、玄関に向かう。
 玄関先で年食った部下が、俺のスーツの袖を掴み、引き留める。
「叶係長…。あなた本庁では、逮捕術の指導員だったんですって…。一度手解きして頂けませんか?」
(嫌な笑いを浮かべて、俺に話しかけるな)
「こんどね…」
 捕まれた腕を振り解こうとしたが、部下は頑として離さない。
(仕方ねぇ…。こいつ、ボコるか)
 部下に引かれるまま、俺は道場に行った。

 俺は、たっぷり20分間、年上の部下にボコられた。
(アルコールの抜けてない身体じゃ、無理か。身体が…、思うように動きゃしねえ)
 挙げ句の果てに、捨て台詞まで貰った。
 覚えちゃいないけどな。

 痛む身体を引きずって、家まで帰って来た。
 玄関の扉を開けようとした時、扉に白い紙が貼ってある。
 俺は紙をひったくり、その内容を読もうとしたが、いかんせん暗くて読めない。
 取り敢えず家の中に入り、電気を着けた。

 見渡す部屋の全貌。
 ゴミばかりで反吐が出そうだ。
 俺は、ポケットに突っ込んだ紙を見る。
 其処に書かれて居るのは、たった一行のURLだった。
 俺は、鼻で笑ったっが、妙に気になってパソコンの電源を入れた。
 実に、1年4ヶ月ぶりの起動だ。
 パソコンの起動音の後、OSが立ち上がる。
 俺は、パソコンをネットに繋いで、紙に書かれたアドレスを打ち込んだ。
 その時、パソコンのメール着信を知らせる音が響いて、俺はメールボックスを確認した。

 新着メールが、73通。
 1年4ヶ月で多いのか少ないのか解らない。
 そこら辺が俺の交友関係の範囲だろう。
 今着いたばかりのメールを見ると、単身赴任時代の女の同僚だった。
 [今の仕事を辞めて、渡米して来ないか?]との誘いのメール。
 よく見ると、メールの1/3は、彼女の物だった。
 苦笑混じりに、他のメールをチェックすると、1年前から毎月1日に、差出人不明のメールが届いている。
 俺は、その律儀さが気になって、一番古いメールを開いた。
 メールの中身は、URLが一つだけ。
 新手の詐欺かとも思ったが、玄関に貼っていた紙と、符合する点が気に成って、クリックした。
 ここから、俺の人生は、大きく音を立てて崩れて行った。
 いや、既に崩れていた人生の方向が、変わったのだ。

 ネットに飛んだパソコンの画面は、再び一つのURLを示し、それを再度クリックする。
 すると、「女子高生暴行鬼畜飼育1」と安っぽいタイトルに、サンプルとダウンロードのボタンが現れた。
 アングラDVDだと思ったが、妙な手の込み方に苛立ちすら覚えて、サンプルのボタンをクリックした。
 ソフトが立ち上がり、いきなりパソコンの画面いっぱいに、町の風景が移った。
(あん?ここ見覚えが有るぞ…)
 そう思っていた時には、下らないナレーションが入り、物語は核心に入って行く。
 少女拉致暴行物だと、俺はすぐに理解した。
 普段なら職業柄、俺はこういう物は見ない。
 しかし、こればかりは無視できなかった。
 暴行される女子高生を見た時、俺はパソコンの画面に大声で叫んでいた。
「香織!」
 2年前死んだ、妹の名を…。

 パソコンからは、サスペンスドラマで、緊迫感を煽る時に掛かる音楽が流れている以外、音がしない。
 香織は、何処かの廃工場のような場所で、2人の男達に追い掛けられ、回り込んでいた別の男に捕まる。
 押し倒され、馬乗りに成られた香織の頬が、2発、3発と張られ、制服のブラウスが引き裂かれた。
 そこで、サンプルは終わった。
 カメラアングルが変わる所を見ると、少なくとも後2人は関係して居るんだろう。
 俺の目は、パソコンの画面に張り付いたまま動かない。

 そして、俺の手はいつの間にか、ダウンロードのボタンをクリックしていた。
 ダウンロード先を求めるウィンドーが立ち上がり、俺はハードディスクに落とした。
 ダウンロードを開始するメッセージが現れ、咄嗟に容量を確認する。
 データ量は4.2Gも有る。
 俺は、タスクバーからメールソフトを呼び出し、もう一つの差出人不明メールを開く。
 同じようにURLが一つだけだ。
 それをクリックすると、全く同じように2度エクスプローラーが開き、タイトルとボタンが現れる。
 違う所と言えば、今度はタイトルの数字が[2]に成っているのと、サンプルのボタンが無くなっている事だった。
 俺は、同じようにダウンロードのボタンをクリックし、ファイルを保存する。
 この動作をその後、10回やった。

 俺のパソコンは、本庁のハイテク犯罪防止班の友人が作ってくれた物で、かなりの高性能らしい。
 2年経った今でも、スペック的に現行のレベルは、優に有るみたいだ。
 そのパソコンが、今悲鳴を上げている。
 一挙に大量のデータをダウンロードし過ぎたのが、原因かもしれない。
 俺にとってパソコンは、[不思議な小箱]の領域を出ないから、無茶をさせたのだろう。
 動きの固まったパソコンは、無理矢理触るなと、固く友人に言われていたから、俺は立ち上がりシャワーを浴びる事にした。

 シャワーを浴びながら俺は、さっきのサンプル映像を思い出す。
 身体の奥から、怒りがこみ上げて来て、俺の身体はブルブルと震えた。
 熱い湯と水を交互に浴びながら、頭に上った血を冷ます。
 1時間程掛けて、シャワーを浴びた俺は、パソコンの前に立った。
 パソコンは、かすかに動いている事を確認出来た。
 癇癪を起こして、止めなかった事を、この後神に感謝するとは、この時は夢にも思ってなかった。

 俺は、台所に行き、レトルトのカレーと飯を鍋に突っ込んで、湯を沸かす。
 10分程沸かした後、そのままレトルトの飯の容器に、カレーを掛けて晩飯にした。
 床に転がった焼酎の瓶に目をやったが、今は飲む気になれない。
 食い終わった容器をその場にほったらかすと、俺はパソコンの前に戻った。
 どうやら、[3]までのファイルはダウンロードを終えて居るみたいだ。
 俺は、不要なエクスプローラーを終了させてゆく。
 すると、ダウンロードの速度が、少し速くなった。
 俺は、友人の言葉を思い出し、不要な常駐ソフトも終了させる。

 ダウンロードの早さが、格段に早くなった。
 調子に乗って画面をいじっていた俺は、メールソフトのURLをクリックしてしまった。
 エクスプローラーが立ち上がり、現れた画面には[このURLは、失効しています]と言う文字が書かれているだけで、二度とダウンロード画面には繋がらなかった。
 どうやら、メールから飛んだ先のサイトは、一度クリックしたら、その存在を消す仕組みに成っていたようだ。
 全部のダウンロードを、選んでいた事を神に感謝した。
 要らない事をして、パソコンが止まるのが怖くなった俺は、大人しくダウンロードが終了するのを待つ。
 更に3時間が経ち、ようやくダウンロードが終了した。
 俺の手には、玄関に張られた白い紙が握られている。

 心なしか、紙に書かれているインクが薄くなっているようだった。
 んっ…気のせいじゃない!本当にインクが薄くなって行く。
 俺は慌てて、URLをパソコンに打ち込み、ネットに繋ぐ。
 するとそこには、日にちと時間と店の写真と場所が書かれて居る。
 俺は、急いでメモを取った。
 早くしないとこれも消えてゆくと、俺の勘が囁いた。
 その勘は、全く持って正しかった。
 メモが只の紙に成った後は、二度とそのサイトは現れなかった。

 自分の取ったメモと、パソコンを見比べながら、このメモの差出人は、俺に何を言いたいのだろうか考えた。
 だが、そんな事は、無意味だと直ぐに止めた。
 俺は、全てのデータをDVDに焼き、バックアップを取る。
 これも友人の言葉だった、何でもバックアップは基本らしい。
(ふっ、これを送り付けてきた人間は、どうやら、いろんな物を消すのが、好きなようだしな)
 全てのバックアップを取り終えた俺は、「女子高生暴行鬼畜飼育1」のファイルをダブルクリックした。
 メディアプレイヤーが立ち上がり、映像が流れ始める。



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