城戸清春的友情事情
 キヨはシューズの紐を結び直すと、もう一度試合場を見回した。
 ついに、ここまで来た。
 全国大会、決勝戦。全ての中学生バスケプレイヤーが憧れる最高の舞台に。
 ここに来るまで、いろいろなことがあった。本当にいろいろ。
 鷹鳥二中に入ったらバスケ部員は自分と暁だけだし希望を胸に鷹鳥一中に移ってきたら暁はFに落とされるし暁と試合しなくちゃいけなくなるしなのに暁は笑ってるし――
 でも。
「どうしたの、キヨちゃん?」
 今、隣にはこいつがいてくれる。
 もちろん中二の時より背も伸びてはいるけれど、その声変わりがまだなんじゃないかと思われるほど柔かい声と太陽みたいな笑顔はずっと変わらない。
 いつもと同じにこにこ顔で自分の顔を覗きこんでくる暁の頭をポンポンと叩き、キヨも暁に笑みを返した。
「なんとなく、『来たな』ってジーンとしちまってさ。ガラにもねえだろ」
 暁はその言葉にゆっくり首を振ると、心臓のところに手を持ってきた。いつもと違う、とても静かな笑みを浮かべながら言う。
「ううん。わかるよ、気持ち。ぼくも、ここんところにうわーっとすごくいろんなものが広がってる」
「暁……」
 暁は目を閉じて、とつとつと語る。
「いろんなことがあって……本当にいろんなことがあって、つらかったこともいっぱいあったけど……でも、ここに来れた。ずっと夢に見てた場所に……キヨちゃんと一緒に」
「……暁」
 暁は目を開けて、優しく微笑んだ。
「キヨちゃんがいたから。たとえ別々のチームにいても、キヨちゃんもがんばってるって思えたから、ぼく、ここまで来れたんだ。キヨちゃんのおかげで……あのね、キヨちゃん」
「……なんだ?」
 暁はこれまで見た中でも一、二を争うんじゃないかというほどの輝いた笑顔で笑って、言った。
「ぼく、キヨちゃんのこと、大好きだよ」
 キヨはその言葉にふっと笑うと、暁の頭をクシャクシャにした。
「バーカ。恥ずかしいこと言ってんじゃねえよ」
 集合の笛が鳴った。暁とキヨは顔を見合わせて走り出す。
「行くぞ、暁。絶対――――」

「一緒に優勝だあーっ!!!」
「んー、何に優勝するのかなあ、城戸くん?」
「……へ?」
 キヨはその時ようやく自分の状況に気がついた。
 場所は教室、自分の席。授業中。回りの席にもみんな生徒が座り、自分の方を見てくすくす笑っている。
 ――夢オチかよ! しかもめちゃくちゃ恥ずかしいじゃねえか叫んでるよ俺ーっ!!
 キヨは内心絶叫したが、再び声をかけられてはっとした。
「どうしたのかなあ城戸くん? もしかして居眠りとかしてた? そうじゃないんだったら今やってるところの次の行、読んでくれるかなあ?」
「………げ」
 教壇に立っている教師を見てキヨは青ざめた。
 ――やべえ、ヘビイチゴの授業で眠っちまったーっ!
 北山一子。通称ヘビイチゴ。担当教科は英語。
 31歳という年齢のわりに若々しく、わりと美人で、授業もわかりやすく生徒にも親切なことから生徒たちの間でも人気が高い。
 ただし、授業中の居眠り等に関しては非常に厳しく、そういうことをした生徒を放課後呼び出して説教――という名目でからかいまくるので、思春期の少年少女(特に体育会系)からは非常に恐れられている教師でもある。
 ヘビイチゴは目を細めてにっこり笑う。
「どうしたの城戸くん? 先生の言うこと聞こえなかった? 次の行読んでくれないと先生困っちゃうなあ」
「う……その……」
 キヨは慌てて暁の席に向けて声をかけた。
『…おい! 暁、今何行目だ?』
 返事がない。
 訝しく思って暁の様子を見た。
 ――寝てるしーっ! しかもすんげえ満ち足りた表情でー!
 暁のバカヤロ―! などと心の中でののしっても暁は覚醒してくれない。
 ――仕方ねえ、他の友達……
 と思いかけて、はっと気付いた。
 ――いねえよ! 羽深は別のクラスだしー!!
 余暇の全てをバスケに注ぎ込んで来たキヨは、クラスには友達がいなかったのだ。
 ――ううう、しょうがねえ、あいつにはあんまり頼りたくねえけど海老原……
 と思いかけて思い返した。
 ――席遠いんだよあいつっ!
「城戸くーん? ちゃんと答えてくれないと先生怒っちゃうわよ?」
「ううう……」
 仕方なく、キヨは『すいません、居眠りしてました』と言わされ、『東野くんと一緒に放課後私のところに来るように』と呼び出しを受けたのだった。

「で? 夢の中で何に優勝するつもりだったの?」
「……バスケです」
 職員室のヘビイチゴの机の前にキヨと暁は立たされていた。
 二人とも、一応神妙な顔を作っている。
 ヘビイチゴは目を細めつつ、椅子の背もたれに背中を預けた。
「そうでしょうねー、城戸くんバスケ部だもの。いいわねえ、汗と涙、努力と勝利。青春ねえ」
「…………」
「……で、誰と?」
「はっ?」
 キヨはすっとんきょうな声を上げてしまった。
「『一緒に優勝だー』って言ってたじゃない。城戸くんは夢の中で誰と一緒に優勝したかったのかなあ?」
「な、な、な……んなこと関係ないでしょうがっ!」
「……夢って、願望が現れるのよねえ……」
 ぎく、とキヨは硬直した。
「心の中で傍にいてほしいひとが傍にいたり、言ってほしいことを言ってもらえたり。心の中で大きなウェイトを占めている人が出てくるのよ。……で? 城戸くんの心の中の一緒に優勝したい人って誰なのかなぁ。先生に教えてくれる?」
「しっ、失礼しますっ!」
 キヨは暁の手を引っ張って、職員室を飛び出した。

「キヨちゃん、北山先生の話まだ途中だったよ? いいの?」
「いいんだよっ! あのオバハンは、よーするに俺たちをからかって面白がってるだけなんだからな!」
「そうなのかなあ……?」
 首を傾げる暁の手をまだ引っ張っていることにも気付かずに、キヨはブツブツと口の中で呟いていた。
 ――何が願望だっ。……そりゃ、暁と一緒に全国大会に行けたらとは思うけど……俺は、あんな夢見がちじゃねぇ! 大体暁はあんなに喋ったりしねえし……
 そういえば。
 キヨははっと気付いた。
 最近、暁からあんなにはっきりと気持ちを聞いたことがあっただろうか。
 キヨは立ち止まって、暁の顔を見た。暁は「何?」という顔で見返してくる。
 こいつは、いつも笑ってる。辛い時も苦しい時も笑ってる。それでも自分はこいつの事ならなんでもわかってるって思ってたけど、本当にそうなんだろうか。
 じっと暁の顔を見ているうちに(まだ手を握っていることには気付かずに)ポロっと口から言葉が飛び出してきた。
「暁……おまえ、俺のこと好きか?」
「え?」
 きょとんとした顔の暁を見て、キヨははっと我に返った。
 ――何言ってんだ俺は―――っ! これじゃまるで俺が変態みたいじゃねえか――――っ!!
 猛烈に恥ずかしくなり取り消しの言葉を発しようとした時に、暁が笑って言った。
「急にどうしたの? 変なキヨちゃん」
「……………」
 だから口が滑っただけなんだよ気の迷いなんだよ本気で言ったんじゃねえよまともに受け取るんじゃねえ頼むから。
 そう言いたくても強烈な恥ずかしさで舌が動かず口をパクパクするしかないキヨ。
「そんなの、決まってるよー」
「え」
 暁はいつもと同じ、だけど夢よりずっと眩しい笑顔で笑って言った。
「ぼく、キヨちゃんのこと、大好きだよ」
「………」
 キヨは自分の顔がカーッと赤くなっていくのを感じた。まともに暁の顔が見れない。
「バ……バカ言ってんじゃねぇっ!」
 そっぽを向いてそんなことを言ってしまう。
 ちくしょう、夢の中では余裕で対応できてたのに。
「んー、いいわねえ、思春期の少年の甘酸っぱい友情。照れくさくて素直になれない男の子。でも本当はあなたのことが大好きなのよときめきフィーリング」
「どわあっ!」
 キヨは文字通り跳び上がった。ヘビイチゴが目を細めてにこにこ笑いながらすぐ傍でこっちを見ていたのだ。
「あ、いいのよ先生にかまわず続けて。ずっと一緒にいたいと思ったあいつ、それはもしかして愛かもね」
「な、な、な……なに言ってんだよっ! 愛ってなんだ愛って!」
「あらー、城戸くんは何を考えているのかなあ? ただ先生は手をぎゅっと握り合ったまま好きかと聞かれて大好きだよと答えてしまうような今時の中学生男子の友情に感心していただけよ?」
「……へ?」
 そこで初めてキヨは自分がずっと暁の手を握り締めていたことに気がついた。
「……………」
 顔の赤みがいっそう濃くなったかと思うと、キヨはバッと手を離して走り出した。
「あっ、キヨちゃん、どこ行くの!?」
「どちくしょおぉぉぉぉぉ!!!」
 たちまち遠ざかっていくキヨの背中を見て、暁はぽつんと呟く。
「どうしたんだろ……大丈夫かな、キヨちゃん」
「んー、心配ないんじゃない? 青春してるわねぇ、恥じらいとためらいと戸惑い、友情愛情全部ぶつけて夕陽にダッシュよ青少年」
「先生、まだお日さま高いですよ?」
「青い空なんて大っ嫌いだー!」
 遠くからキヨの絶叫が聞こえてきた。

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