惚れた方の負け
「ええいっ!」
 アルテは全力で剣を振り回して、大烏の頭蓋骨を砕く。とりあえず目の前の敵を倒したことに思わずふぅ、と息をつくが、その隙に死角から飛び込んでくるスライムへ対処することはできなかった。
「きゃっ!」
 スライムの体当たりをまともに受けてアルテは倒れる。や、即座に「アルテぇっ!」と甲高い絶叫が辺りに響き、ごしゃめすぅっ、という鈍い響きがしたかと思うと、まだ棍棒にべったりと貼りついたスライムの死体を落としもしないまま、ゼフィラが目の前で微笑んだ。
「もう大丈夫よ、アルテ。あなたを傷つける不届きな魔物には、私がきちんと天罰を与えておいたから」
「う、うん……ありがと、ゼフィラ」
 ほっとしてにこっと微笑むと、ゼフィラはにっこりと微笑み返してから、そのまますぅーっと後ろに倒れた。どうやら気絶するほどの傷を受けていたのを、気力だけで保たせていたらしい。
「ちょ、ゼフィラ? ゼフィラーっ!」
「あー、こりゃまたアリアハンに戻ってアルテの家行きだね……回復役が倒れちゃったんじゃー」

 いつも通り、旅立つ前とほとんど変わらない自分の部屋。そこで目を覚ましたアルテは、はぁ、とため息をついて起き上がり、鏡台の前へ向かった。いつも通り髪を梳かして、顔のチェックをして、水分補給して洗顔して化粧水をつけて、といった身繕いをする。
 そうしているうちに三々五々仲間たちも起き始めた。朝に弱いヴェータはまだベッドの中で寝息を立てており、ゼフィラはアルテの脇で身繕いの順番待ちをしつつ鏡の端を使って髪や肌を弄っているが(鏡台の使用は早い者勝ち)、クセニアは身繕いをまるっきりせずに外に出ようとする。
「ちょ、クセニア! ちゃんと肌とかのお手入れしないと!」
「なんでよー、めんどくさい。あたしは別に男捕まえる気とか全然ないんだからいーよそんなの」
「馬鹿ね、そういう問題じゃないの。女ってものはいつどんな姿を見られようと美しさを保ってなくてはいけないの! 馬鹿な男どもみたいなクズに女を侮らせるなんてあってはならないことでしょう? ほら、あなたも髪ぐらい梳かしなさい!」
「やーっ、もうっ」
 そんないつもの掛け合いをしつつ、自分たちは身繕いを終えた。ヴェータはまだベッドの中でごろごろしている。ヴェータとしてはこの家には男がアルテの祖父しかいないのだから見栄を張る必要はないし、なにより朝に弱く朝食はまず取れない体質を改善するなんて絶対ムリ、なのだそうだ。
 なので三人でお喋りしながら下に降りると、すでに朝食の準備は完璧なまでに整っている。いつもながらヴァレンティナの家事の腕は天下一品だ。アルテとしてはたまには私もお手伝いしたいんだけどなぁ、くらいのことは思うのだが、今のところ料理の練習以外の目的でヴァレンティナがアルテを台所に入れてくれたことはない。
「おっはよー、お母さんっ」
「おはようございます、おばさま」
「おはよっ、ヴァレンティナさん」
「あら、おはよう。ヴェータさんはまだ上かしら?」
「ええ。今日も朝食はいらないと言っていましたわ」
「そう? 準備していなくてよかったわ」
「……のうっ、アルテ。それにゼフィラちゃんにクセニアちゃん! そろそろわしにも声をかけてくれてもいいんじゃないかのう、のうっ」
「あはっ、ごめんごめん、おはよう、おじいちゃん」
「あら、そこにいらしたのですか、気づきませんでしたわおじいさま」
「うっさいなー、あんたみたいなエロジジイにいちいち挨拶してやる義理ないっての」
「年寄りをいじめるでないっ。まったくお嬢ちゃんときたら、こんなにも無防備に太ももむき出しにしよって……」
「……お義父さん?」
「すいません調子に乗りました」
 へこへこ頭を下げる祖父に笑って全員席に着く。すぐににぎやかに会話が交わされる。
「ヴァレンティナさんのご飯ってほんっとおいしいよね。アルテのご飯もおいしいけど、やっぱ熟練度の違いってヤツ?」
「あらまぁ、ありがとう。褒めてくれて嬉しいわ」
「ちぇーっ、やっぱり経験の違いかなぁ。ね、お母さん、今日のお弁当私が作ろっか」
「おおう、アルテのお弁当か! それは楽しみじゃのうっ、わはははっ」
「……おじいさま? このようなことは言うまでもないですけれども、アルテは私たち仲間のため、仲間が戦う活力を得るためにお弁当を作るのですよ? それをご承知なら、まさか自分の分も作れというような余計なプレッシャーを与えるようなことはありませんわよね?」
「なっ、そんなっ、それはあまりに殺生すぎるぞゼフィラちゃんっ、本当にゼフィラちゃんはきれいな顔をしていつもツンツン」
「ありませんわよね?」
「……はい……。ううっ、わしのアルテの手作り弁当、うっうっ」
「誰が、あなたの、アルテ、ですの?」
「いいよゼフィラ、一人分増えるくらい大した手間じゃないし。おじいちゃんが喜んでくれるんだったらそのくらい」
「おおうっ! アルテは本当に優しいのうっ、ゼフィラちゃんのよーな氷の女とは大違いじゃっ」
「………アルテのおじいさまと思ってあえて言わないでおいたのですけれど……」
「アルテー、このジジイやっぱいっぺんシメといた方がよくない?」
 などと食事をしながら声が飛び交う中、ヴァレンティナはゆっくりとスープをすくっていたスプーンを置き、告げた。
「アルテ。お弁当はお母さんが作るわ」
「え、でも」
「少なくとも、あなたには今、お弁当を作るより先にやらなきゃならないことがあるんじゃないかしら?」
『っ……』
 ヴァレンティナの言葉はアルテとゼフィラとクセニア、全員の痛いところを突いた。ヴァレンティナは穏やかに微笑みながら、淡々と次々厳しい言葉を吐いてくる。
「少なくとも、陛下が旅立ちの許可を与えてから一週間経つのにまだアリアハンから旅立つことができない、というのが旅の旅程として順調ではないのはわかっているわよね?」
「は、はい……」
「それで、その対策はなにかしているの?」
「えっと、できるだけ早くレベル上げしようって、街の周囲で頑張って戦って……」
「それで、どのくらいまでレベルを上げられたの?」
「えっと、あたしが3レベルで、ゼフィラとヴェータが4レベル。クセニアが5レベル……」
「ずいぶんと効率の悪いレベル上げをしているのね。一週間で、最大5レベル? それじゃあ勇者の力を得た意味、ほとんどないんじゃないかしら?」
「う……それは、だけど……」
 仲間たちが深刻な傷を負わないように、アリアハンの周辺で少しでも深い傷を負ったら家に戻るようにしているだけだ。ゼフィラが自分の身を挺してアルテたちを守ってくれるから結果的に回復役がいなくなることが多いせいで、確かにレベル上げのペースはゆっくりしているかもしれないけれども。魔王征伐なんて桁外れの仕事に、焦って取り組んで大失敗するより結果的にはいいと思っていたのだが。
「で、でも、無理をしてもう二度と甦れないような状態になったら、取り返しがつかないし……」
「あなたたちはアリアハン周辺の魔物にすら二度と甦れないくらいボロ負けするほど弱いの?」
「う……でも、だけど……」
 なんとか反論しようとするアルテに、ヴァレンティナはあくまで冷静な口調で告げる。
「のんびりペースで冒険を進めるのが悪いと言っているわけじゃないわ。ただ、あなたたちの意気込みに反している、と言っているのよ。あなたたちは、確か世界を守るために全力を尽くす、みたいなこと言ってなかったかしら?」
「う……それは」
「魔王を倒すまでアリアハンには戻らない、みたいなことも言ってたわよね?」
「ううう……そう、だけど……」
 体力も魔力も尽きて家に戻って休まざるを得なくなってから、もうほとんどその言葉を言ったことからすらも目を逸らしていたというのに。いつもながら、ヴァレンティナはどんなことも忘れない。
「でもでも、なんていうか、街の外の魔物って本当強いっていうか、みんな一生懸命やってるんだけどなんでかうまくいかないっていうか」
「あなたたちはそれぞれ魔物相手の戦闘訓練も行っているでしょう? なのにアリアハンから二日以上離れることもできないの?」
「うううう……」
 そうだけど。そうなんだけど、なんでかうまくいかないんだからしょうがないじゃないか。そりゃ確かに戦士の職業訓練校の実習とかよりはるかにお互い行動が噛み合わないけれども、それはただお互い慣れていないだけのことのはずで。ゼフィラが真っ先に倒れちゃうのとか、ヴェータが全然まともに戦ってくれないのとかだって、もっと経験を積んでいけばどうにかなることのはずで。
 だけどそんな情けないことをヴァレンティナに言ったらお説教が倍になって返ってくるので、アルテはしゅんと黙るしかできなかった。実際、自分たちのペースが相当にのんびりしているのはわかっているのだ。
 ゼフィラとクセニアも顔を上げない。そんな自分たちを見て、ヴァレンティナがはぁ、と息を吐いた。
「仕方ないわね……あなたたちには、少しまともな訓練をほどこした方がよさそうね」
「え……訓練?」
「そう。あなたたちが少しでもまともに戦えるようになるような、実戦訓練」
 にっこりとヴァレンティナは笑顔を浮かべたが、その顔が明らかに不穏なものを含んでいるのは十六年間付き合っているアルテならずともよーっくわかっただろう。

「……で、ナジミの塔かぁ。まぁ、定番っちゃ定番だけど」
 オービット城から続く抜け道を歩きつつ、クセニアは頭の後ろで腕を組みながらちろりとアルテたちを見た。そのなにか文句を言いたそうな顔に、アルテはきょとんと首を傾げてみせる。
「クセニア、ナジミの塔じゃ、なんか駄目なこととかあるの?」
「いや、ナジミの塔自体は別にいいんだけどさ。あたしも職業訓練校の手伝いに駆り出された時とか来たし。たださぁ……」
「通路の門番を色仕掛けで落として通してもらえ、っていうのは正直どうかと思うわ」
 あからさまにぷりぷりした顔でゼフィラが言うのに、ヴェータはくすくす笑いながら肩をすくめる。
「ったく、まーだ言ってる。あんたたちってホント、無駄に男嫌いだよねぇ」
「男嫌いに無駄もなにもあるわけがないでしょう!? あるとしたら男という奴らの存在そのものよ! ああまったく汚らわしい呪わしい、私たちを見た時に走らせた視線の卑しいことといったら! まったく、アルテには悪いけれど、ヴァレンティナおばさまは確かに女性として尊敬できる人だとは思うけど、あの男を当然のように女と関わらせようとするところは我慢がならないわ。はっきり言ってしまうけれど、時代遅れ以外の何物でもないわよ」
「けどあたしの色仕掛けで実際門番さん落とせたじゃん? 使えるもんは全部使うのが冒険者の心得だと思うけどぉ?」
 からかうように笑ってみせるヴェータに、ゼフィラはふんっと鼻息も荒く顔をそむけた。クセニアも唇を尖らせ、アルテも恥ずかしさのあまり顔を赤くしてうつむく。
 そう、色仕掛け。普段専用の鍵≒秘密通路を通れる資格のある人間がいなければナジミの塔への直通通路は通れないのだが、ヴァレンティナはそれを『色仕掛けでなんとかして通してもらいなさい』ときっぱり言ったのだ。『今日の午前の門番はまだ若くて職業意識も低い子だから、きちんとやれば肌身を許すことなく通させることができるはず』と。
 アルテもゼフィラもクセニアも、揃って懸命に抵抗したのだが、『少なくともナジミの塔はアリアハン周辺よりずっと効率よくレベル上げができると思うけど?』『女だけで旅をしている以上その程度の男性操作術心得ていなくてどうするの』『無理、じゃないのよ。お母さんはやりなさい、って言ってるの。わかる?』などと背後に迫力のオーラを背負ったにっこり笑顔で言い負かされてしまったのだ。
 仕方がないので、オービット城の地下通路前までやってきて、門番が一人になった隙を狙って色仕掛けを……ヴェータにしてもらった。だってゼフィラとクセニアは男嫌いだし、アルテだって色仕掛けなんて恥ずかしいことを男の人にするなんて絶対無理だ。それに万一男の人に襲われたら怖くてろくに動けなくなってしまうと思うし、それ以上にゼフィラとクセニアが『アルテはそんなことしちゃダメ』と声を揃えて主張したので、仕方なくヴェータの出番となったわけだった。
 そしてヴェータはその役目を見事に果たし、あっさり通路を開けさせてくれたわけだが。
「……ごめんね、ヴェータ。私のせいで、嫌な役目押しつけちゃって」
「気にすることなんてないわ、アルテ。普段役に立たない遊び人なんてやって足を引っ張ってるんですもの、こういう時くらい働くのは当然よ」
「ちょっとー、それ曲がりなりにもパーティメンバーに言う台詞? ……ま、気にすることないってのは確かだけどね。こん中じゃあたしが一番適正人材だろーとも思うし。アルテの場合はマジで身の危険あるかもだし、ゼフィラやクセニアじゃー色仕掛けしよーにも売る色気がないし?」
「ヴェータ……あなた、つまり私たちに喧嘩を売っているのかしら?」
「べっつにぃ? 事実じゃん。男に対して色気なんて出したくないんでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
「あなたの言い方だと私たちが男ごときに下に見られるような存在みたいに感じられて不快なのよ」
「だっからそーいう男蔑視女至上な考え方もある意味相当時代遅れだと思うんだけどね〜……」
「なにか言ったかしら。ああそれから私、喧嘩相手には時々ホイミをかけ忘れることがあるからそのつもりで」
「うっわ、あんたそれ僧侶どころか人としてヤバくない? ……はいはいわかりましたあたしが悪かったですよっと」
「あ、あはは……あ」
 割って入っていいものかわからず苦笑しながらヴェータたちの言い合いを眺めるしかできなかったアルテだが、通路の行き止まりに扉を認め、剣を鞘から抜いた。ここから先はナジミの塔、少しの油断が死を招く戦場だ。
 気合を入れなくちゃ、と一人うなずいていると、背後からぎゅっと剣を握る手を上から細くしなやかな手で握られる。
「大丈夫よ、アルテ。あなたのことは、なにがあっても私が絶対に護るから」
「え……いや、このパーティで一番の前線要員って私だし、ゼフィラは後ろから回復に専念しててほしいんだけど……」
「私は大丈夫、私の命はあなたのために在るのだもの。命に代えてもあなたを死なせはしないわ」
「え、えっと……」
「アルテー、一度はっきり言った方がいいよー。ゼフィラって無駄に押し強いから油断してたら押し倒され」
「なにか言ったかしら?」
「……はいはい、黙ってますよっと」
「え、えと……じゃあ……いい?」
「ええ、もちろん」
「いつでもいいよ」
「まぁ、あたしは戦闘では基本身を守ることしかできないし」
 それぞれに声を返してくる仲間たちにうなずいて、アルテは先頭に立って扉を蹴り開けた。

「はっ……はっ……はっ……」
 アルテは荒い息をつきながら構えた剣を揺らした。次にどこから魔物が現れてくるか、まるで予想がつかない。
 最初の頃は(いつもと同様)うまく戦うことができていたのだ。真っ先にアルテが突っ込み、クセニアが横から援護し――ヴェータは後方で身を守るしかしていなかったが(遊び人という職業の特性上仕方がないことではある)。自分たちの戦力自体は、ナジミの塔の魔物たちともなんとか戦えるぐらいには成長していたのだし。
 だが、それもアルテの傷が深くなっていくまでだった。自分たちのパーティの戦術上、アルテはこのパーティの中で一番傷を負いやすいのだが、それをゼフィラが過剰に心配するというのがこれまでの戦いでもすぐにアリアハンに帰らなければならない理由のひとつだった。
 少しの傷でもすぐにホイミをかけてくる、というだけでなく、場合によっては身を挺してアルテを守ろうとしてくる。何度頼んでも、少しもやめてくれそうになくて、正直困り果てていたのだ。
 今回もそれがまずく働いた。アルテが魔物に襲われたところを庇おうとしてきたゼフィラを、守らなければと無理に前に出た結果、クセニアがあらかじめ場所を特定しておいた落とし穴の罠に引っかかってしまったのだ。
 その罠は自分を落とした後すぐに閉まってしまったので、仲間たちと連絡を取ることはできない。ならば移動しない方がいいのか、とも思ったが、前衛が専門でもないクセニアしかいない状態というのは不安すぎる。なのでなんとか上に戻れるよう歩き始めた――が、そう簡単にはいかなかった。
 道順はだいたい覚えていたつもりだったのだが、一人でナジミの塔を歩くには、アルテの腕はまだまだ未熟すぎたのだ。戦うたびに半死半生になるほどのダメージを受けるので薬草はとうに使い切ってしまったし、勝てないと思った時には必死に全力で逃げ回ったため、もう自分の現在位置がどこかもわからなくなってきてしまった。
 どうしよう、どうすればいいんだろう、とアルテは泣きそうな気分で頭の中をぐるぐるさせる。どうすれば逃げられる? アリアハンまで戻れる? 仲間たちを助けて、一緒に脱出できる?
 混乱した頭をいくら回転させてもいい考えは浮かんでこない。ただひたすらに荒い呼吸を突きつつ、周囲を気ぜわしく見回しながら、塔の中をうろうろするしかできない――
「おい」
 ――なので、こんなぶっきらぼうな声を聞いた時には、「ひゃぁっ!」と悲鳴を上げて剣を振り回してしまった。
「っ、と! てめぇ、なに考えてんだ、やめろこらっ」
「やっ、やぁっ、来ないでっ、こっち来ないでーっ」
「バカヤロ、見ろ、俺だ俺っ、ハヴィ! 幼馴染の、ハヴィ・イグレシアス!」
「……え……?」
 アルテはぽかんと相手の姿を見上げ、それが間違いなく思いきり顔をしかめたハヴィであることを確認すると、思わずへたへたと内股で尻餅をついてしまった。本来戦士としてはあるまじき行動だ、というのはよーくわかっていたけれども。
「ったく……なんなんだよ、お前は。いきなり塔の中に現れたかと思ったら剣ぶん回して暴れやがって……お仲間はどうしたんだよ? 他の人を仲間にする気はないとか偉そうなこと言っといて、お前本当昔っからいちいち抜けてるっつーか危なっかしいっつーか……」
 がりがり頭を掻きながら、仏頂面で近づいてくるハヴィ――それをしばし呆然と見つめたのち、アルテはぼろり、と瞳から涙をこぼしてしまった。
「……うっ」
「うっ?」
「うっ、わぁーんっ! ひっ……ひっ……わぁぁんっ、ひっ、ぐすっ、ひっ、わぁぁんっ」
「ちょ……おま、なに泣いてんだよ!? んな……こんなとこで……状況考えろよ、なに考えてんだおいっ」
 ハヴィはわたわたおろおろと慌て、助けを求めるようにばっばと周囲を見回したが、当然こんなところで助けてくれる人などいるわけがない。焦りに焦った顔でしばらく唇をかみしめ考えて、「し……っかた、ねぇ、なぁっ」とひどく上っ調子な声で言うと、ずいっとアルテに向けハンカチを突き出した。
「ひっ……ぅ?」
「使えよ。別に、鼻かんでもいいから。こんなとこで、いつまでもぐじぐじ泣いてんじゃねぇ」
「ひぐっ……」
 きつい言葉にアルテはまた泣き出しかけたが、そっぽを向きながらハンカチだけを突き出しているハヴィの耳や頬が、真っ赤に染まっているのに気づき目をぱちくりとさせた。
 もしかしてハヴィ、ものすごく恥ずかしいのを我慢してハンカチを渡そうとしてくれてるんじゃないだろうか。そう思ったらなんだか心の中がほわっとして、まだぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、素直にハンカチを受け取る気になれた。
 ハンカチにひたすら涙を吸わせることしばし。ようやく心が落ち着いてきて、たぶんひどい形相になっている顔でハヴィを見上げ(体勢は尻餅から三角座りに変えている)、ぺこりと頭を下げた。
「ハヴィ……ありがとね。あと、迷惑かけちゃってごめん……」
「……それは、まぁ、いいけどよ。なんでお前、こんなとこにいんだよ」
 問われて、アルテがこれまでの経過を話すと、ハヴィはあからさまに呆れた顔になった。
「お前、いくつだよ。っつか、曲がりなりにも勇者のいるパーティが、んなにあっさり分断されるとか……っつか、特定できてる罠に自分から突っ込んでくって、お前それでマジに勇者試験通ったのか?」
「う……そうだよね、ホントに……私、いくらなんでも未熟すぎるよね……みんなに、いっぱい迷惑かけちゃってるよね……」
 全力でしゅーんとすると、ハヴィはまたわたわたと慌てて周囲を見回してから、ぶっきらぼうな声で偉そうに言ってきた。
「別に。んなの、いまさらだろ。お前に迷惑かけられるのなんぞ、学校に通う前からもう慣れてたっつの」
「え? 今私が迷惑かけてるって言ったの、ハヴィじゃなくてゼフィラとクセニアとヴェータのことなんだけど……」
「………………」
「え、ハヴィ!? なんでいきなり壁に頭突きするの!?」
「うるせぇ、黙れ、喋るな」
 すさまじく不機嫌な顔と声で言われ、アルテは「ごめんなさい……」としゅんと小さくなる。ハヴィを怒らせてしまうのはいつものこととはいえ、こんな不安な状況でそういう顔をされるのは、さすがに心にこたえた。
「……集合場所とか、ねーのか」
「え?」
「だから、集合場所! パーティメンバーの奴らと、はぐれた時どこに集まるかとか決めてねーのかよ」
「う、ご、ごめん、特には……旅の間にばらばらになることになったら、ルイーダの酒場に集合、っていうのは決めてあるんだけど」
「なら、一度ルイーダの酒場に戻った方が早いな。行くぞ」
「え!」
「んっだよ」
「あ、あの、ルイーダの酒場まで戻っちゃうの? 他のみんなまだこの塔の中にいると思うんだけど、探した方がよくない?」
「アホ。危険区域で、お互い戦力に不安のある者同士が相手を探してうろうろするなんてのをマジにやるってのはな、もう魔物に殺してくれっつってるようなもんだぜ。不意討ちし放題、どころか真正面から戦っても勝てるか怪しいんだろうが」
「う……そ、そうだけど……」
「だったらひとつの場所にじっとしてるか、安全な場所まで逃げるかするしかねーだろーが。んで、お前の場合ひとつところにじっとしてたらすぐとんでもねー失敗しでかして大量の魔物に襲われるとかやりそうだからな」
「そ、そんなことないもんっ、私だって……」
 抗弁しかけたが、場所を特定済みの罠に突っ込んでパーティメンバーとはぐれてしまったという現状を思い出し、アルテは「ううー……」と唸りつつしょぼんとうなだれた。ハヴィが言うほどいつもいつもドジばかりはしていないとは思うのだが、ここぞという時にドジをしてしまうという癖があるのは確かなので、正直うまく言い返せない。
「わかったら、行くぞ。……おら」
「え?」
 ハヴィに手を差し出され、アルテは思わずきょとんと首を傾げてしまった。この手は、いったい?
「……お前放っといたらすぐ走り出して罠にはまりそうじゃねーか! だからっ、俺がっ、て、て、手……繋いでやるっつってんだよありがたく思いやがれオトボケ女!」
「オトボケ女って……ひどいなぁ、もう……でも、ハヴィ。私思うんだけど、手とか繋いでたら戦いの時、危なくない? 敵の攻撃かわす時とか、私にもハヴィにもお互いの存在が邪魔になりそう」
「ぐっ……! た、戦いの時は放すんだよ! 当たり前だろーがなに考えてんだてめぇ!」
「あ、そっか……でも、普通に動いてる時でも危ないと思うな。ナジミの塔って、罠がいくつも動いてるんでしょ? 下手したら私が引っかかった罠、ハヴィも巻き添えにしちゃうかもしれないし……」
「っ……だっから、それは……俺が……全部……って、やるって……」
「? ハヴィ、聞こえないよ?」
 きょとん、と首を傾げると、うつむいてぼそぼそ呟いていたハヴィはいきなりがばっと身を起こし、「がーっ!」と顔を真っ赤にしてがりがり頭を掻きながら叫んだ。
「そーかよわかったよ好きにしやがれこのドンガメ女! ヘマこいてヤバい罠に引っかかっても助けてやんねーからな!?」
「え、うん、もちろん。だって、助けようなんてしたらハヴィの方も危ないもんね」
 当たり前のことを言われうなずくと、ハヴィは「ぐぐぐぐっ……!」とぎりぎりと奥歯を噛みしめてから、「行くぞ!」と言ってずかずかと歩き出した。アルテはえ、罠とかある塔なのにそんなに不用意に歩いていいのかな、と思いつつも慌てて後についていく。
 ……しばし、沈黙が下りた。ハヴィがいかにも腹を立てていますというようにずかずかと歩くので、アルテも話しかけたら怒られそうな気がして口を開けない。
 以前はこんな風じゃなかったのにな、とアルテは少し物悲しい気分で昔のことを思い出した。子供の頃は、本当に自分たちは仲がよかった。毎日のように一緒に遊んで、転げまわって笑いあって、自分が危ない時にも、それこそ身を挺して護って、「大丈夫か?」と明るく笑いかけてくれたのに――
 だめだめ、こんな後ろ向きな考え方しちゃ、とアルテは首を振った。母の教え、その7(ぐらい)。現実は冷静に見極めつつも、考え方はいつも前向きに。昔を懐かしんでる暇があったら、少しでも今をいい方向に持っていく努力をしなくっちゃ。
 なにかいい話題ないかな、とうんうん考えて、アルテはあ、と思いついた。
「ねぇ、ハヴィはなんでこの塔にいるの? ハヴィは別に、勇者のパーティに加わってるわけでもなんでもないんでしょ? 一人で魔物と戦いながら修業とか、危ないと思うんだけど」
「……お前、やっとかよ……」
「え?」
「フツー会ってすぐ疑問に思うもんだろーがんな当たり前のこと。お前ってっとに粗忽だよな」
「う、うー、だってぇ……」
「……そんだけ俺はこいつに相手にされてねぇってことなんだろーけどよ……」
「え? なんて言ったの?」
「なんでもねぇよっ! ……ったく」
 あぅー、やっぱり怒られた、とアルテはしゅんとなる。それからしばらくは二人とも黙って歩いていたが、ふいにぼそりとハヴィが半ば呟くように言った。
「危なかろーが、修業にならねーってことはねーだろ」
「え?」
 一瞬きょとんとして、すぐにそれがアルテのさっきの問いに対する答えであることに気づく。無駄にしばしわたわたと慌ててから、姿勢を正して言葉を返した。
「え、えっと、それってつまり、ハヴィはここで修業をしてるの?」
「ああ」
「……どれくらい?」
「十六になってからだから……だいたい一年ちょいかな。そんくらいになってから城から続く通路の扉を開けられるようになったからさ」
「あ……」
 そうか、ハヴィは盗賊。鍵開けの技術も持っているはず。普通の扉ならばそれに合った鍵などを作ってしまうこともできたはずだ。
「え、で、でも、一年も……一人で? 仲間もなしで? 勇者のパーティとかにも、加わらないで?」
「ああ。悪いかよ」
「わ、悪いっていうか……ホントに危ないよ? 勇者の加護がないんだから、基本的に死んだらそれまでだし。ここの魔物けっこう強いし。勇者のパーティにいないと、魔物を倒してさくさくレベル上げっていうのもできないんだよ?」
「知ってんだよ、そんくらい。けど、それでも俺はここが一番修業に効率がいいって決めたんだ」
「こ、効率って……」
 ハヴィの声はいつも通りにぶっきらぼうだった。苛立たしげというか、腹立たしげというか。ものすごく面白くなさそうな――けれども、その中にひどく固い意志を秘めた声。
「レベルが上がらなくても盗賊の専門技術や、戦いの技術の訓練は積める。で、どんな訓練が一番身に着くかっつったらそりゃ命懸けのもんしかねーだろ。この塔は魔物がそこらじゅうにうろついてるし、罠もそこらじゅうに仕掛けてあって、いくら解除してもすぐに元に戻ったり、場合によっちゃ新しい罠まで仕掛けられてたりする。しかもアリアハンからは秘密通路ですぐだ、特訓場所としちゃもってこいだろ」
「で、でも、ここの魔物けっこう強いよ? 勇者のパーティじゃない人が戦うのとか、大変なんじゃ……」
「薬草を惜しまず戦やあ、ここの魔物相手でも一匹二匹ならなんとかなる。……言っただろうが、命懸けだって。俺ぁ真剣に、命懸けて特訓してるんだよ」
 その言葉からは苛烈な迫力が感じられた。自分たちのような、アリアハン周辺をただうろうろするのとは桁の違う、本当に命を懸けている者の真剣さ。
 アルテはぞくっと身を震わせて、おそるおそる訊ねた。
「なんで、そこまでして……強く、なりたいの?」
 今度の問いへの答えには、少し間があった。
「……普通、勇者のパーティに加わるには、それなりの強さと経験が必要なんだよ」
「えぇ!? ハヴィ、勇者のパーティに加わろうとか考えてたの!?」
 仰天して叫ぶと、ぎろりと不穏な視線で睨まれた。
「悪いかよ」
「う、ううん、悪くない悪くない! 全然悪くないけど……なんで? そんなこと全然言ったことなかったじゃない!」
「……っつか、言う前にお前あの女どもとパーティ組むって宣言しやがっただろーが……」
「え? なに、聞こえないよ?」
「なんでもねぇよっ!」
 大声で怒鳴り、アルテをひゃっと小さくさせてから、ハヴィはぼそりと言った。
「俺はただ……強くなりてぇだけだ」
「え……強く?」
「ああ」
「……なんで?」
 この問いに答えが返るには、さっきよりさらに長い間があった。
「……護りたい奴を、護るには――勇者のパーティに加わって、とんでもねー高レベルとかになんねーと、無理そうだから……さ」
「………? それって……」
 さらに問いかけようとするや、びちゃり、びちゃり、と前から粘液が滴るような音が聞こえ、アルテははっと身構えた。予想通り――通路の曲がり角から、バブルスライムとフロッガーがのそりのそりと現れる。
「魔物……!」
「……下がってろ」
「え?」
 唐突なハヴィの言葉に、アルテはきょとんとしてしまった。なんでこの状況でそんな言葉が出てくるんだろう?
「え、あの、なんで? 私も一緒に戦うよ?」
「……足手まといだっつってんだよ。邪魔だから下がってろ」
「もー、なに言ってるの? 私だってこれでも勇者なんだから。うちのパーティじゃ一番の前線要員だし……ていうか、たぶんハヴィよりも強いと思うよ?」
「…………! っのっ、仲間とはぐれたぐらいで泣きそうになってた奴がでかい口叩いてんじゃねぇっ!」
「そ、それとこれとは別問題じゃないっ。とにかく私だって戦うもん、たぶんハヴィだけじゃ倒せないと思うし……」
「…………っ!! このアマ……っ、少しは格好つけさせろよ人が必死こいて修業して……!」
「え、なんて? ……っ!」
 喋っている間に魔物たちは突っ込んできた。アルテは慌てて武器を抜いてばっと間合いを取るが、ハヴィは逆に懐から素早く抜いたナイフ一丁で敵に向かい突っ込んでいく。
「ちょ……ハヴィー!? 危ないよそんな真っ向からっ」
「黙ってろっ!」
 怒鳴りながらハヴィは地を這うバブルスライムを素早く斬り裂く。うまく急所を突いたのか、その一撃でバブルスライムはぐずぐずと崩れた。
「!」
「ギャェエェッ!」
「へっ、トロいトロいっ!」
 フロッガーが舌を伸ばして攻撃してくるが、ハヴィは素早い動きで跳び退り、巧みにそれを防ぐ。さらに今度はフロッガーに向かい突っ込んでいくので、アルテも慌ててそれに続いた。
「らぁっ!」
「ギャシュッ!」
「つっ!」
「えぇいっ!」
 武器の鋼と魔物の肉体が交差する。フロッガーは、喉元を斬り裂かれながらも死なずにハヴィに棍棒のように強靭な舌で痛打を与え、そこに斬りかかったアルテの一撃で塵に返った。ほ、と思わず息をついてから、はっと慌ててハヴィの方に向き直る。
「ハヴィ! 大丈夫っ!?」
「へ……ったり前だろ、バカ。この程度の怪我、何千回もしてきたっつーの」
 憎まれ口を叩きながら、ハヴィは明らかに色がおかしくなっている腕に軽く触れた。おそらく激痛が走ったのだろう、ひどく顔をしかめてから、革の鎧の内側に仕込んであるポーチから包帯を取り出す。
「待って、ハヴィ」
「……なん、だよ」
 おそらくこれは骨が一本やそこら折れている。下手をすれば砕けているかもしれない。そんな怪我でも薬草をきちんと使えば治すことはできるが、それよりも。
「……飢えし者に聖餐を、渇きし者に聖水を。傷を受けし者へ癒しの手を、ここに……=v
 アルテの差し伸べた手から、ほわっ、と蒼白い光が立ち上る。その光はハヴィの傷を、身体を包み込み、一瞬だけ眩しく煌めいた、かと思うや霧散した。
「……どう、かな? 痛いの、少しはなくなったと思うんだけど……」
 ぽかん、としていたハヴィは、アルテの言葉に慌ててぶんぶんと傷を受けた腕を振ってみせ、仏頂面を作った。
「……もう、全然痛くねぇ」
「そう……? よかったぁっ、実は私、ホイミさっき覚えたばっかりで、一回も使ったことなかったからちゃんと効くか不安だったんだ!」
「へっ、なんだよ、俺は実験台かよ?」
「そ、そーいうわけじゃなくて、ただ私、修業とかするんだったら時間かけて治すより、呪文で治した方がいいんじゃ、って」
「………。……、………。ぁ、あー、あ〜〜〜………」
「あ?」
「ぁりがと、よ」
 仏頂面で小さくそれだけ言って、ぷいっとそっぽを向いてしまう。その耳が見事に真っ赤に染まっているのが銀色の髪の間から垣間見えて、アルテは思わずくすっと笑った。
「ハヴィって……こういうとこ、変わってないなぁ」
「……なんだよ、それ」
「最初に無茶な勢いで突っ込んでったの……私を守ろう、って思ってくれたんでしょ?」
「…………」
 ハヴィはなにも言わない。だが、耳がさらに赤く染まるのは見て取れた。
「昔も、こういうことあったよね。一緒に遊んでて、私の不注意で井戸に落っこちたのを、下敷きになって庇ってくれて。その時も、はたから見ててもすごく痛そうで、実際僧侶さんを呼ばないとならないくらいの怪我だったのに、別に平気だいって、このくらいの怪我どってことねぇなんて言っちゃって」
「…………」
「私が泣き出したら、なに泣いてんだよって笑って、笑顔で励ましてくれて。それどころか、私が必死に手当てしようとハンカチ包帯みたいに巻いたら、ありがとな、とか言ってくれて。意地っ張りで、時々意地悪だけど……やっぱり優しいよね、ハヴィは」
 にこにこっ、と笑みながら言うと、ハヴィはそっぽを向いたままぽそぽそと呟く。
「……別に、誰にでもって、わけじゃねーよ」
「え?」
 きょとん、と首を傾げると、ハヴィはぐおっと、真っ赤な顔でこちらにつかみかからんばかりの勢いで向き直る。
「アルテ! 俺はなっ」
「アルテ――――っ!!!」
「わひゃっ!」
「むぎゅっ」
 ハヴィの後方からすさまじい勢いで現れたゼフィラは、その勢いのままハヴィを踏み倒し、上に乗ったままアルテをぎゅっと抱きしめた。ぽかんとするアルテをよそに、ハヴィを踏みしめたまままくしたてる。
「ああよかったアルテ無事だったのね本当によかったわっ、あなたの髪の毛一筋でも傷つけられていたらこの塔の魔物ども全員皆殺しにしなくちゃ気がすまないところだったわ!」
「え、えと、ゼフィラ……? ハヴィのこと、踏んで」
「あー、っとによかったー……ばらばらになってる間に襲われたりしたらシャレにならないもん。魔物に見つからないよーに、かつ急いでアルテ探すの、大変だったんだかんね?」
「特にゼフィラを抑えておくのがねー。もーまさに暴走状態で手がつけらんなかったし」
「クセニア、ヴェータ……?」
 ゼフィラの横から現れた二人の名を呼んでから、思わずほうっ、と息をつく。よかった、三人ともひどい怪我はしていない。
「よかったぁ……みんな、無事だったんだね」
「ええ、もちろん! あなたに心配をかけるような真似はしないわ」
「ま、魔物と戦わなかったからね。あたしが頑張って警戒してたからー」
「まぁしょーじき危ないとこだったけどねぇ。ゼフィラがもう暴走全開だったからさぁ」
「……てめぇら、人踏みつけときながら頭の上で和やかに喋ってんじゃねぇよ」
 下から響いてくる不穏な声に、アルテはハヴィのことを思い出して反射的に蒼褪めたが、ゼフィラは涼しい顔で無視をしてアルテの手を握る。
「でも本当によかったわ、アルテ。汚らわしい蛆虫にも触れられずにすんだようだし。いい、アルテ、いくらあなたが優しいとはいっても、あなたの体を狙う穢れたゴキブリに関わるようなことをしては駄目よ? 声をかけることはもちろん、視線を向けることも厳禁よ」
「あ、あのゼフィラ、蛆虫って……?」
「……人のこと好き勝手にむちゃくちゃ言ってんじゃねぇーっ!」
 ぐおおっ、と無理やり体を起こしたハヴィの上からゼフィラは淑やかに飛び降り、そのついでにぐりっとハヴィの足を踏みつけた。「いっでぇっ!」とハヴィが叫ぶのを軽やかに無視し、ぐいぐいとアルテの手を引っ張る。
「さ、行きましょう、アルテ。こんな地虫にも劣る醜悪な存在と、これ以上同じ空気を吸っていてはあなたが穢れてしまうわ?」
「っっってめぇこのクソ女っ! 前々から人のこと言いたい放題言いやがって、いい加減俺もキレんぞマジでっ!」
「あら嫌だ、害虫の羽音がうるさいわ。さぁ、アルテ、急ぎましょう」
「てめぇマジ殺すぞこのアマっ!」
 ハヴィは大声でぎゃんぎゃん喚いたが、ゼフィラにぐいぐい引っ張られるアルテを追ってきはしなかった。それに少し寂しいような気持ちを抱きながらも、アルテは必死にハヴィの方を振り返って叫ぶ。
「ハヴィ! あのっ、今日はほんとに、ほんとにありがとねっ!」
「………おう」
 アルテが声をかけるや、ハヴィは静かになって、ぷいっとこちらに背を向ける。それもやっぱり少し寂しくはあったけれども、それでも真っ赤な耳元を見ると、自然に顔が笑んだ。
「……根っこのところは、変わってないんだよね」
「……アルテ、なにか言ったかしら?」
「ううん、なんでもっ」

「……それでぇ? あの盗賊少年くんと、二人っきりの間になにがあったわけぇ?」
「うひぇっ!?」
 さぁ修業を再開しよう、という時になって唐突に飛び出したヴェータの発言に、アルテは思わず顔を赤らめた。いや別になにかがあったわけじゃ全然ないしそもそもハヴィ相手になにを考えてるのとしか言いようがないのだが、そんな言い方をされると恥ずかしくなってしまう。
「お、反応アリ。これはひょっとして、ほんとにひょっとしちゃう?」
「ち、違うよぉ! ただ急にそんな言い方されたからびっくりしちゃったの!」
「びっくりねぇ〜……なんか、告白とかされそうになってるみたいに見えたけど? 再会した時」
「ふぇっ!?」
「ちょっとー、アルテー。まさかあんたあんな馬鹿男相手にする気じゃないだろーね? あんたみたいな子があんなハンパヤロー相手にするなんてもったいないこと、絶対に許さないんだからねっ」
「え、ハヴィって、そんなに半端なの?」
「……半端っていうか、そもそも盗賊って職業を選んだ動機が『勇者のパーティの一員になるため』ってのだから……よくいるんだよ、そういう奴。本当に勇者のパーティに加えられる奴なんてほんの一握りだってのに。そーいう奴らって、みーんなルイーダの酒場でくだ巻いて、ろくに盗賊の仕事もしないってのがほとんどだからさ」
「そうなんだ……ハヴィも、そうなの?」
「……あいつは、一応、それなりに訓練とかしてたけど……半年ぐらい前から、やたらムキになったみたいにきつい特訓とか始めてたけど……っていうか、そんなことどーでもいーじゃん! あたしが言いたいのはぁっ」
「さあ、アルテ、特訓を再開しましょう! 私たちには遊んでいる暇なんてないんですものね、私たちは私たちだけで頑張らなくてはならないわ、私たちの間の絆をより強くするためにも!」
「う、うん。そうだよね」
 ゼフィラにうなずいて、仏頂面で先頭に立って罠を警戒するクセニアのあとについて歩きながらも、アルテは頭の中でぼんやりハヴィのことを考えていた。半年ぐらい前から、きつい特訓始めるようになったのか。そういえば、私がゼフィラたちと一緒に旅立つことをハヴィに言ったのもそれくらいだったっけ。もしかして、なにか関係が……? 職業を選んだ動機が、勇者のパーティの一員になるためって、もしかして……
 そこまで考えて、アルテはまさかね、と苦笑して首を振った。普段はあんなに意地悪なハヴィが、そんなこと考えたりするわけない。

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