商売第一
「えぇいっ!」
 渾身の力で棍棒を振り下ろして、スライムを叩き潰しアドリエンヌははぁはぁと息をついた。ルイーダの店に冒険者として登録しているとはいえ、まだ商人見習いとして働き始めたばかりのアドリエンヌは当然戦いなんてこれが初体験だ。相当に緊張していたらしく、棍棒を握る手がひりひりぎしぎしと痛んだ。
 アドリエンヌの数歩先で、こちらは華麗に魔物を切り倒していたヴァレリーは、す、と優雅な挙措で剣を鞘に収めると、すたすたとこちらに向かって歩いてきた。ひ、と思わず顔を引きつらせ、おろおろとうろたえるアドリエンヌにかまわず、ヴァレリーはす、とアドリエンヌの手を取る。
 アドリエンヌはひ、と小さく悲鳴を漏らして硬直した。ヴァレリーの顔が目の前にある。何度もこっそり見つめて憧れてきた、王子様のような美しい顔が目の前で、自分の手を見ている。そして、素手で自分の手を、触って、撫でて――
「力の入れすぎだな。もう皮が破れてる」
「え」
 言われて初めて手がひりひりずきずきと痛むことに気がついた。筋肉が痛んだのか、腕自体も軋むように痛む。
 痛いと意識するとどんどん痛くなってきた。痛い、痛い痛い痛い痛いと頭の中でがんがん声が鳴る。いつも誰からも目を逸らして生きてきたアドリエンヌは喧嘩なんてものもしたことがなかったので、今までの日常ではありえない痛みは意識するとひどく神経を責めさいなんだ。
「ま、初めての戦闘ならこんなものか。ほら」
 もしかして回復してくれるのだろうか、と顔を上げかけ、固まる。差し出されているのは薬草ではなく、竹だった。目算で二尺三寸程度の長さの細い竹。それをヴァレリーは差し出している。
「あ、の」
「これを今日から毎晩千回振れ。掌の中に隙間ができるような状態で素振りをしろ。最初はゆっくりと。何回も繰り返して思いきり棍棒を振り回すのと同じ感覚で振れるようになっておけ」
「…………」
「力一杯振らなくとも棍棒で風を唸らせることができたなら、第一段階クリア、というところだな」
 冷静、かつ冷徹な口調でそれだけ言ってアドリエンヌの横を通り過ぎていく。アドリエンヌの傷になど、見向きもせず。アドリエンヌの痛みになどまるで頓着せず。
 そう考えたら頭がかぁっとして、思わず声を上げていた。
「あ、のっ!」
「なんだ」
「……、薬草、使っても、いいですか」
 せめてもの抵抗だった。自分はこの人にとっては回復する価値のある人間ではない。それがわかっているから、自分にもひどい仕打ちに対抗する意思はあるのだと、ヴァレリーの思うがままに動く存在ではないと言ってやりたかった。
 だが、ヴァレリーはアドリエンヌのそんな心の動きを読んでいるかのように、ふん、とおそろしく優雅に唇の両端を吊り上げた。
「使うな。体を少しでも痛みに慣れさせろ。余裕があるうちにな」
「…………」
「破れたところは消毒して、この包帯を巻いておけ。手を破るのが嫌なら何度も素振りしてさっさと掌を固くしておくことだな」
 ぽいと投げ捨てるように包帯をこちらに放りながら、それだけ言ってこちらに背を向け、「フィデール! 手を見せろ!」と去っていってしまう。アドリエンヌはぎゅ、と奥歯を噛んだ。
 わかっていたことだ、わかっていたことだ。自分はヴァレリーにとっては守るべき存在ではない。ただ使える可能性があるから仲間にしただけの、いくらでも替えがきく駒。だからわざわざ傷を治したり気遣ったりはしない。
 そうだ、自分はお姫様にはどう頑張ってもなれない。勇者に愛される存在にはなれない。だって、自分はこんなにも醜いのだから。
 ひどく不恰好に伸びる自分の腕を見つめもう一度ぐ、と奥歯を噛み締めて、アドリエンヌは魔物たちの躯があった場所へと小走りに近づいた。

 レーベにたどり着いたのは、アリアハンを出て二週間は経ってからだった。いくら街道を通ったといっても、魔物は出るし宿場町も数えるほどしかない。しかもその間毎晩素振りをさせられてきたのだから、体にはずっしりと疲労がのしかかっている。
 一刻も早く柔らかいベッドで休みたい、と訴える体をふらふらしながら動かしているアドリエンヌと違って、ヴァレリーは平気な顔をしてレーベの土埃の舞う道を堂々とすたすた進む。さすがは勇者様というところだろうか。
 だが意外にも、こうもふらふらになっているのはアドリエンヌだけのようだった。メリザンドもフィデールも、少し疲れたような顔はしていたが特にふらついたりはしていない。
 それはやはり冒険者としての経験、というものなのだろうか。戦闘でも二人は自分より役に立っていたし(フィデールは自分より少しはマシに動けるという程度だったが、メリザンドは巧みに呪文を操って適度に敵を倒していた)。
 それを思うと少しばかり心が沈む。ここまでの道では(素振りで夜の自由時間は完全に潰れたので)ろくに話せもしなかった仲間とはいえ、自分と同類だと――もちろん自分ほど醜くはないにせよ、大別すれば同じ種類に分類される人間だと思っていた相手も、勇者の仲間として自分より上だなんて。
 いいや、とアドリエンヌは首を振った。仲間としての貢献度は戦闘だけで決まるものじゃない。自分は自分にしかできないことで役に立てばいい。
 それしかない。その道しか、自分には残されていないのだ。
 アドリエンヌはヴァレリーについていくために仕事をやめた。国を挙げてバックアップしている魔王を倒す勇者への随行。それは確かに名誉なことだったが、アドリエンヌがやっていた仕事とはまるで関係のないことだった。
 見習いとはいえアドリエンヌはすでに仕事をある程度任されていた。醜いがゆえに女の子として見られることも好かれることもなかったが、仕事相手としてはある程度の地位を勝ち得ていたのだ。
 だから当然退職すると言った時には相当に難色を示された。雇い主からも、家族からも。
『君が勇者の仲間にぃ? なんの冗談だね、君はまだ商人見習いだろうに』
『あんたねぇ、あんたなんかが勇者の仲間になってやってけると思ってんのかい? 夢見てんじゃないよ、最後までついていけるわけないだろう』
『せっかく大きな店に就職できたってのに馬鹿なことを言い出すんじゃない。なんのためにお前を育てたと思ってるんだ、お前は勇者の仲間なんてものには向いてない』
 たぶん。アドリエンヌは思う。自分が美しい少女だったら、そうでなくとも普通程度には可愛らしい少女だったら、もう少し周囲に肯定的に受け止めてもらえたのだろう。
 誰も言わなかったが目が雄弁に真実を語っていた。『お前みたいなブスが勇者の仲間? 似合わない』。周囲の感想はそんなところだっただろう。
 人は勇者という優れた存在に対してはそれにふさわしい容貌を求める。ヴァレリーはその点でも申し分のない勇者だったが、だからこそ仲間に対しても同様に美しい人間を求める。特に女はそうだ、勇者と結ばれる相手としては一番確率の高い存在なのだから。アドリエンヌ自身がそうだから、そのくらい簡単に想像がついた。
 自分の顔ではあまりに勇者には不釣合いだ。自分はお姫様にもヒロインにもなれる顔じゃない。普通程度ならまだどこかに可愛らしさを見出すこともできただろうが、自分は豚よりもはるかに醜く可愛げのない顔と体をしているのだから。
 つまりは、ブスだから。醜いから。自分で選んだわけでもなんでもないことで、『問題外』といつものように判定されたのだ。
「…………」
 その時の感情を思い出して、ぎゅ、と拳を握り締めた。ぐ、と奥歯を噛み締めて、ふらつく足を必死にしゃんとさせて顔を上げて歩く。
 負けるもんか。負けるもんか。あんな奴らに負けるもんか。
 絶対に見返してやる。最後までついていって、勇者の仲間として崇められる存在になってやる。自分を問題外と判定した奴らすべて、地面に頭を擦りつけて謝らせてやるんだから。
 必死に顔を上げて(フードはまだ深々とかぶっていたが)歩くアドリエンヌを、ヴァレリーがちらりと見て、わずかに口の端を笑ませたことには、アドリエンヌは気付かなかった。

「ここで鎖鎌と亀の甲羅を三人分、革の帽子を全員分、ブロンズナイフを一人分買う」
 レーベの宿、朝食のあとにヴァレリーが宣言した。慌てて脳内の財布の中身を思い出す。個人用の財布はまた別だが、パーティの財産は基本的にアドリエンヌが管理していた。
 結果。現在のパーティ用の財布の中身は336ゴールド。そして購入予定物の値段の合計が2350ゴールド。
「……全然お金が足りないと、思うんですけど……」
 おそるおそる言うと、ヴァレリーはふん、と嘲るように鼻を鳴らした。
「お前はそれでも商人か? 俺をあまりがっかりさせるなよ」
「え……」
「金がないなら稼ぐ方法を考えろ。そして実行してみせろ。全員でなんとしても三日の間にその分の金を稼げ。それがリミットだ」
「みっ……」
「できないと認めるならそれでもかまわないが? その時はその程度の腕の持ち主だと判断するだけだ」
「…………」
 呆然とヴァレリーを見るアドリエンヌの脇で、メリザンドが不機嫌な顔で言う。
「あなたはその三日の間なにをするのよ。私たちを働かせてその間宿で高いびき? だいたいあなたは国を挙げて援助を受けている勇者様なんでしょう、仲間の装備をそろえる甲斐性もないの?」
 苛烈なほどの敵意を込めた視線で睨みつけられても、ヴァレリーは小揺るぎもせずに笑ってみせる。
「まさか。やろうと思えばここの領主からまとまった金を引き出すぐらいできるさ。が、この程度のことで領主の金を使わせるのもなんだろう? しかもたかだか2350ゴールド、そこらの店の手代の月給程度でわざわざ国に頼るなぞ、わざわざこちらを軽く見せようとしているようなものだとわからんか?」
「っ……」
「お前らが自分たちにはその程度の金を貯める能力もない、と認めるのなら、俺が労を執ってやってもいいが?」
 にっこり、と美しい笑顔で微笑みかけられ、メリザンドはぐ、と唇を噛みながらヴァレリーを睨みつけ、だんっと音を立てて立ち上がった。
「いいわ、やってあげようじゃない。三日で二千ゴールド稼げばいいんでしょう。私がこの年までただ遊んでいたわけじゃないところを見せてあげる!」
「楽しみにしておこう」
 平然とした顔でそう答えるヴァレリーをきっと睨みつけてから、メリザンドはずかずかと床を踏み鳴らしながら宿を出ていく。アドリエンヌはさっと顔から血の気を引かせた。今の自分たちにできるもっとも手っ取り早い金稼ぎは魔物を倒すことだ。というか、三日という時間制限の中ではそれしかあるまい。なのに自分たち三人の中で一番の戦力であるメリザンドがいなくては、魔物との戦いで死ぬ危険すら生まれてくる。
 呼び止めようか、でも怒られるかも、という一瞬の逡巡の間にメリザンドは姿を消した。ヴァレリーは自分たちをふん、と嘲笑うように見てから立ち上がる。え、と思わず見上げると、見下すように見返された。
「お前らはどうするんだ? 自分たちにはできません、と泣きついてみるか?」
「………っ」
「あ、あの、その……」
 見下してくるヴァレリー。泣きそうな顔で自分とヴァレリーを見比べるフィデール。首の後ろがひどく熱くなって、気がついたらアドリエンヌは立ち上がって低く言っていた。
「やります。2000ゴールド集めてみせます」
「ほう。ならやってみろ。一応は期待しておいてやる」
「行きましょう、フィデールさん」
「は、はい……」
 まだおろおろと自分たちを見比べるフィデールにひどく神経がイラッとして、手をぐいぐいと引っ張って宿を出ていく。ヴァレリーは笑みを浮かべながら自分たちを見送った。
 フィデールの手はひどく生暖かくて湿っていて、惨めな気分に一瞬泣きそうになった。

「基本的な方針としては、ひたすら魔物を倒して貯める、ということでいいですか」
「あの……はい」
 ひどくおどおどとしながら受け答えるフィデールに、ひどく苛つく。自分も居丈高に出られるとすぐおろおろしてしまう方だが、こういう風にむやみやたらにおどおどされるとひどく苛々するものだと初めて知った。しかもフィデールは、醜い顔といい自信のなさそうな雰囲気といい、構成要素のすべてがいちいち人を苛々させるのだ。
 醜い。見ているだけで気持ち悪い。そばにいてほしくない。気色悪い。ヴァレリーのような美しく非の打ち所のない勇者とは比べ物にならない。こんな相手しか頼る相手のない自分がほとほと惨めだった。
 当然だ、自分は醜いのだから。生まれた時からずっと、醜い≠ニいうだけで冷たい扱いを受けてきた自分ですら、ここまで醜い人間はそばにいるだけで苛々するのだから、自分がひどい扱いを受けるのも当然だろう。
 こんな、醜い≠ニいうことは自分で選んだわけでもなんでもないと誰よりもよくわかっているくせに、醜い存在に嫌悪感を抱くような、心も体も醜い自分など。
 ぎゅ、と唇を噛みながら、買い込んだ薬草を持ってレーベから出る。値切りに値切って45ゴールドで六個。そのために道具屋の主人にひどく嫌な顔をされ他の客にも軽蔑したような目で見られた。
 負けるもんか。負けるもんか。なんとしても、絶対に三日で2000ゴールド稼いでやる。
 先頭に立ってずかずかとレーベの周囲に広がる森をうろうろする。この時代、街に張られた結界を一歩出れば魔物が出てくる危険があるのは常識だ。今までの旅程でも何匹も魔物が出てきたから、魔物が出てくる可能性については心配していなかった。
 だが、三日で出てくる魔物で2000ゴールド稼げるか。それはかなり心配だった。これまで戦った魔物から得たゴールドは、最高でも一角兎四匹で合計12ゴールド。2000ゴールド稼ぐには、三日で四十八時間戦うとしても、ざっと十五分強につき一回は魔物と戦わなくてはならない。しかも、そのすべてに一角兎が四匹出たとしての話だ。
 これまでの魔物との遭遇率はざっと一日に二〜三団体。それだけでも普通の旅人にとっては洒落にならない率だが、魔物を倒してなんぼの勇者からしてみれば心もとないことこの上ない。
 倒した魔物から最大限に金を掠め取って、魔物から得た宝を最大限に高く売り払って、と必死に皮算用をしていると、「アド……!」とフィデールが悲鳴のような声を上げた。
 え、とはっとして顔を上げると、目の前にあるのは針のように毛の逆立った毛皮と、自分の腕ほどもある巨大な爪。
 直後に、激痛と共に世界は暗転した。

 目が覚めた瞬間目の前にあったのは、フィデールの、鼻の頭はてかてかしているのに肌の色艶の悪い、ふけのついたぼさぼさの髪の毛がちょうどまずい具合に顔にかかった、気持ち悪い形に目の細くなっている、今にも泣き出しそうな顔だった。
 思わず口元を押さえて吐き気を堪える。悪いとは思うが、ひどく体がだるいところに見せられたその顔は正直厳しかった。だがフィデールはアドリエンヌのそんな反応にも心底ほっとしたような顔をして(その顔もやはりあまり見て気持ちのいいものではないのだが)、顔を上げ叫んだ。
「ヴァレリーさん! アドリエンヌさんが目を覚ましましたよ!」
「見ればわかる」
 そっけない声がしてからつかつかと足音が聞こえ、ひょいと顔をのぞきこまれる。アドリエンヌはく、と唇を噛んだ。悔しいが、悔しいけれども、傲慢で高慢で鼻持ちならない人間なのにも関わらず、ヴァレリーはやはり、見惚れるほどに美しい。
 ヴァレリーはふ、と女性的ではないのに優美にすら感じられる顔で美しく笑み、言った。
「街を出て最初の戦闘で全滅した気分はどうだ?」
「全……滅?」
「……大アリクイの群れに不意を衝かれて……集中攻撃を受けて、アドリエンヌさんが……それから、直後に、僕も……」
「そしてめでたく全滅して、魔物が去っていったあとに、レーベから魔物の討伐以来を受けて街周辺を巡回していた俺がお前たちを見つけ、教会に運んだわけだ。状況はつかめたか?」
「…………」
 アドリエンヌは呆然としながら体を起こした。確かに自分が寝ているのはレーベの教会だった。簡素な聖堂に見覚えがある。つまり、自分は、死んだのか? それは聖呪を使えば呪文を使うよりたやすく蘇生ができると聞いてはいたが。
「無様だな」
「っ!」
 思わず顔を上げる。ヴァレリーが上から冷たい目でこちらを見下ろしていた。ゆっくりと自分とフィデールを等分に見渡しながら言う。
「お前ら、これまでの魔物との戦いでなにを見ていた。魔物の出てくる場所で警戒を怠ればどうなるかもわからなかったのか?」
「っ……」
「それともレーベ周辺の魔物がよそ事を考えながら倒せるとでも思っていたのか? お前たちだけで? それは世の冒険者たちも甘く見られたものだな。旅に出て二週間のお前らが、しかも商人と遊び人が、二人だけで魔物を片手間にあしらえる、か。それはまた大した自信だな。まぁ、意味がなかったわけだが?」
「…………っ」
 ヴァレリーは冷たい目でつけつけと言い募る。フィデールは涙目になって(その顔もけして美しくはない)うつむく。アドリエンヌは顔の下がかぁっと熱くなるのを感じ、反射的に怒鳴っていた。
「それは! あなたが、三日で2000ゴールドを稼げ、なんて言うから!」
「ほう」
 ヴァレリーはにっこりと、ひどく優雅に笑ってみせた。アドリエンヌの背中がぞくり、とする。世界のなにより美しく、恐ろしい、勇者の暖かみの微塵もない微笑。
「面白いことを言うな。俺のせいだ、と?」
「だ、だって! そうじゃないですか! 旅に出て二週間の私たちに、三日で2000ゴールド稼げなんて言うから、私たち必死になって」
「なら聞こう。だったら自分の力を省みもせず魔物に突撃していいのか」
「っ……!」
「2000ゴールド稼げ、と言った時にやってみせると言ったのはお前だ。なら現実的にその方法を考えて実行するべきだろう。魔物と戦うという案はともかく、それなら死なないように慎重の上にも慎重を期して実行するべきだし、少しでもリターンが多くなるように街で依頼を受けるとかできることはいくらでもあっただろう。それをせずに、頭に血の上ったままなにも考えずにフィデールを引っ張って街の外に突撃したのはお前だ。それで当然のように、全滅した」
「だ、けど……!」
「俺に言い訳をするのは自由だがな。魔王は言い訳を聞いてはくれんぞ」
「だけど……っ」
 ふん、とヴァレリーは鼻で笑い、顔を間近に近づける。こんな状況だというのに、アドリエンヌはカッと頬を熱くした。ヴァレリーのたまらなく美しい、カッコいい顔が、目の前にある。
 ヴァレリーは氷のように冷たい、けれど美しい瞳でアドリエンヌを見つめ言った。斬りつけるように優しさのない口調で。
「死にたくなければ、全力を振り絞れ。頭も体も心も技術すべて限界まで使え。戦う前になにが必要か、どうすれば勝てるか生き残れるか、死ぬ気で考えて実行しろ。それができないのなら、お前は、いらない」
「…………っ!」
「それだけだ。期限まではあと六十五時間だぞ」
 すい、と身を起こし、ヴァレリーはうなだれるアドリエンヌをあとに残し教会を出ていく。と、扉を開ける直前に、冷たいままの口調で言った。
「それから、フィデールに感謝することだな。お前の遺体を必死に庇って、蘇生したあともお前のことをひどく心配していたんだぞ」
 そして教会を出ていく。アドリエンヌはぐ、と唇を噛んで必死に泣きたくなるのを堪えた。
 なんで。なんであんなに冷たいことを言われなくちゃならないんだろう。
 自分がもっと美しければ。可愛ければ。尊重されるほどに愛らしければ、きっとヴァレリーだってもっと優しくしてくれた。周囲も手を貸してくれた。そもそもヴァレリーがあんなことを言い出すことだってなかっただろう。
 でも、自分は美しくない。醜い。そばにいるだけで吐き気を催すほどに。
 ならば、ヴァレリーの言う通りにするしかないのだ。役に立たなければ放り出される。誰も助けてくれない。生き残れる方策を考えて、実行しなければならないのだ。
 だけど。だけどなんで、私ばっかり、こんなに、こんなに。
 アドリエンヌはたまらなく惨めな気分で何度もそんなことを考えていたので、フィデールが泣きそうな顔でこちらの様子をうかがいおろおろと手を動かしていたのに気付いたのは数分はあとのことになった。
 そして、気付いて礼と詫びを言ってからも、「自分にはこんな奴しか助けてくれる人はいないのか」という惨めな気分は消えなかった。
 そんな気持ちがひどく驕った、間違っているものだということは、わかっていたのだけれど。

「で。報告をしてもらおうか」
 ヴァレリーが部屋の中で一番いい椅子にゆったりと腰かけ、優美さすら感じられる形に足を組んで言った。メリザンドが真っ先にぶっきらぼうに言う。
「私は、ロマリアで魔物討伐の依頼を受けて八百ゴールド稼いできたわ」
「ほう。では、他の奴は?」
 フィデールがおろおろと手を彷徨わせる。アドリエンヌは唇を噛んだ。
「……合計、66ゴールド、です」
 ぎりぎりまで頑張っても、それだけだった。死なないように全力を振り絞って魔物を探しても、一日に三団体以上は魔物は出なかったし、そのたびに傷を負ったので薬草を使わなければならず、魔物から得た薬草も使わねば体力が持たず、宿に泊まらず野宿して魔物を狩っても、商人の能力で魔物から得たゴールドを足しても、それが限界だったのだ。
 ふん、とヴァレリーは鼻を鳴らした。
「つまり、全員の分を合計しても二千ゴールドには足りないわけだ」
「……はい」
 く、とヴァレリーは喉を鳴らした。これが嘲笑だとしたら、恐ろしいほどに効果的に、嫌味たっぷりに美しく。
「わかった。お前たちの能力の程度はその程度だということだな」
「っ! 私は自分の分は稼いできたじゃない!」
 メリザンドがきっとヴァレリーを睨みつけて怒鳴るが、ヴァレリーは表情を動かしもせずメリザンドを見つめ言った。
「お前は『三日で二千ゴールド稼げばいいんでしょう』と言っていたと思ったが? 明らかに自分だけで二千ゴールド稼いでくるつもりだったように聞こえるがな」
「……っ」
「それに、俺はこう言った。『全員でなんとしても三日の間にその分の金を稼げ』。それに対しお前は一人で稼ぎに行って、八百ゴールド稼いだだけで帰ってきた。他人との連携を取らずに突っ走るという冒険者しては失格の行動を取って、結果的には駄目だったわけだ」
 く、とヴァレリーが笑みを深くする。
「お笑いだな」
「…………っ!」
 メリザンドは顔を真っ赤にして殺意すら篭もった目でヴァレリーを睨む。だがヴァレリーは涼しい顔で自分たちを見回した。
「お前たちの能力はわかった。周囲と連携を取ることを知らない自尊心だけが高い魔法使い。自分の能力を知らない冷静さの持ち合わせがまるでない商人。自分の意思というものを持たず周りに流されるしか能がない遊び人、か」
 一人ずつと視線を合わせ、全員に目を伏せさせてから、ヴァレリーはきっぱりと言った。
「クズだな。お前らは」
 かぁっ、と体中が熱くなる。言われるかもしれない、と思っていた言葉ではあったが、それでも頭に血が上った。
 メリザンドが真っ赤な顔で口を開き、言葉の見つからない様子で閉じる。フィデールが泣きそうな顔でうつむく。アドリエンヌは、ぎゅっと唇を噛んでヴァレリーを睨んだ。自分ばかり理不尽な状況に置かれる怒りで、必死に顔を上げる。
 ヴァレリーはそんなアドリエンヌを見返してふん、と笑い、懐から薄布に包まれたごくごく小さな石を取り出してテーブルの上に置いた。反射的に視線をやって驚く。これは。
「ダイヤモンド……!」
「ああ。親父の形見だ」
 え、と視線が集中する。ということは、勇者オルテガの形見?
「ま、親父の形見は家に帰れば一山いくらであるから別に珍しいものじゃないがな。土産好きな人だったから。が、こういう金になる土産はそう数はない」
 思わず脳内で鑑定を始める。傷は少ない。カラット数はざっと1カラットはある。しかも裸石とはいえオルテガの形見という付加価値がある。それは鑑定書がないのだから割り引いて考えるとしても、これなら捨て値でも3000ゴールドは固い。
「持っていけ」
「え」
 思わずヴァレリーを見た。ヴァレリーは明らかに、こちらを嘲るような瞳で見つめて言う。
「それを売って金を工面しろ。そのくらいのことはできるだろう?」
「な」
「せいぜい高く売ることだ。武器防具を購入した分の差額はお前らのものにしてかまわんぞ」
「え」
 呆然とヴァレリーを見つめるアドリエンヌに、ヴァレリーはにや、と嘲笑を浮かべて言った。
「どうせ商人の技で余分に手に入れた金もお前のものにしてたんだろう?」
「………っ」
 図星だ。商人という職業に就く者にはことあるごとに余分に金を得る能力が与えられる。敵を倒して懐を探る時もどこからか、ごくわずかにとはいえ余分に金を手に入れられる。それはよく知られていることだ。
 だがアドリエンヌはパーティの財布を任されているのをいいことに、その金を着服してきた。誰からもなにも言われなかったから大丈夫だと思っていたのだ。冒険者としての心得としては間違っているのはわかっていた、だけど、それは、ただ。
「その分の金が旅に必要ないと思ってそうしたんだろう?」
「…………」
「なら俺は別になにも言わない。好きに貯めればいいさ」
 すい、とヴァレリーは立ち上がった。高みからアドリエンヌを見下ろし、口元に嘲りの笑みを浮かべつつ、瞳は氷よりも冷たくこちらを見据えながら冷徹な口調で囁く。
「恵んでやる」
「っ!」
「恵まれるのが嫌なら強くなることだな。俺を鼻であしらえるほどの力を持つことだ」
 力? 勇者を鼻であしらえるほどの力? そんなもの、ただの商人が持てるはずが。アドリエンヌのそんな思考を読んだかのようにヴァレリーは鼻を鳴らす。
「まさかわかっていないわけじゃなかろうな。権力、財力も立派な力だろうが」
「…………」
 だけど、勇者を鼻であしらえるほどの権力や財力だなんて。
「それもできない、と? 自分にはできません、と諦めるわけか? 自分はブスだから、もう年を取っているから、能力がないから、と言い訳して?」
「…………っ」
「一生言い訳し続けて負け続けて、勝とうと思う程度の強さも持てないというのなら、お前らはクズだという言葉すら生温い。ブスだということに、オールドミスだということに、クズだということに負けた、自力で生きる根性もない世界の滓だ」
「………っ!」
「四時間後にレーベの北門で待っている。その間に装備を揃えてこいよ」
 ヴァレリーが優雅な挙措で身を翻し、宿を出ていく。アドリエンヌはうっとりするほど美しいその後姿を拳を全力で握り締めながら見つめ、ぐっと唇を噛んで立ち上がった。そっとダイヤモンドを再び薄布で包み、懐に入れ、踵を返す。
 向かう先は宝石屋だった。1ゴールドでも高くこれを売って、できるだけ安いところで装備を揃えなければ。
 悔しい。
 悔しい、悔しい、悔しい。悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。
 なんで私が。私ばっかり。可愛ければ。美しければ。勇者に不釣合い。そんなことはわかっている。だけど。
 負けたくない。あんな奴に負けたくない。
 見返してやりたい。あんな奴に負けたままでいたくない!
 きっとアドリエンヌは顔を上げ、必死に歩を進めた。

「カンダタから我が金の冠を取り戻したならば、そなたを勇者として認めよう!」
 笑顔で言ったロマリア王の前に、アドリエンヌはずいっと進み出た。
「まさか、報酬が勇者として認めること、などとはおっしゃいませんよね?」
「貴様、無礼であろう!」
「アリアハンとダーマの認めた勇者に対して勇者として認めるための試練を出すなどとおっしゃられた王の国の方のおっしゃることとは思えませんね。私はしがない下賤な商人なので、利がなければ動かないんです。具体的には金銭的な報酬ですね」
「むう……では、五千ゴールドほどでどうか」
「五千ゴールド? 世界に名高い大国ロマリアの国王が、アリアハンの勇者に直々に依頼された仕事の報酬が五千ゴールドですか。なるほど、ロマリアはアリアハンの勇者をその程度のものだと考えてらっしゃるわけですね」
「い、いや、で、では一万ゴールドではどうかな?」
「それに加えて国宝の風神の盾の贈与ないし貸与もお願いします。世界を救うとダーマに予言された勇者に対する報酬なんですから、そのくらいはしていただいてもよろしいですよね?」
 周囲から明らかに軽蔑の視線が降り注ぐのを感じながらも、アドリエンヌは歯を食いしばって交渉を続けた。
 アドリエンヌはフードを上げて、その醜い顔をあらわにしていた。ひとつにはその方が交渉に有効だと考えたからで(軽蔑される方がある程度の報酬は引き出しやすい、と思ったのだ)、もうひとつには意地だった。負けない、という。
 自分はブスだ。だから当然のように周囲の人間に蔑まれる。軽んじられる。嫌われる。
 だから金が要るのだ。自分で選んだわけでもない、ブスということだけで自分を蔑む奴らを見返し、自分を守るために。
 自分はブスだ。だから誰も守ってくれない。庇ってくれない。大切にしてくれない。だから自分で自分を守るしかないのだ。そのためには力が、金が必要なのだ。
 だから金を得るためには、商売には全力を振り絞る。死ぬ気で。そうしなければ自分は、ずっと当然のように踏みつけにされたままなのだから。
 そう目を血走らせて報酬交渉をするアドリエンヌの背中を見つめながら、ヴァレリーがごくごくわずかに優しく口の端を笑ませたことには、当然アドリエンヌは気付いていなかった。

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