試練
『お姫様みたいだ』
 オルテガの娘である勇者、エマ・レージェンシーを初めて見た時のアダルバートの頭に浮かんだのは、そんなありきたりで間抜けな感想だった。
「私と共に、魔王を倒してくださる方を、探しているんです」
 酒場中の注目を浴びながら、エマはひどく頼りなげな風情でルイーダにそう言って小首を傾げた。
 腰まで伸びた黒蒼に艶々と光る髪はさらさらと少女が身じろぎするたびに揺れるほど軽い。彫りが深くそれでいてつぶらな印象の眼の中で紫紺の瞳が潤んだようにきらめいている。体はどこを見ても驚くほどに均整がとれ、黄金比的な絶妙の配置で見事な曲線を描いていた。顔貌はそれこそ芸術品のように――いや、どんな彫刻家でも画家でも彼女のような至高の芸術品を創り上げることはできないであろうと思うほどに整っている。
 美しい――そんなありきたりの言葉では表せないほどの絶世の美少女。アダルバートはなにも考えられなくなってエマの横顔をぼうっと見つめた。顔が熱い。自分が呆けている自覚すらなかった。ただ、とにかく彼女を、エマをいつまでも見つめていたいと体が魂が叫ぶのだ。
「おい、アドル。ぼーっとしてんじゃねぇよ」
 どん、と小突かれてアダルバートは我に返った。
「先輩……」
「俺らは勇者の仲間になるために城に休職願いまで出してきたんだぞ。あの娘になんとか仲間にしてもらわねぇと帰れねぇぞ、わかってんのか」
「は、はいっ!」
 アダルバートは勢いよく立ち上がった。そうだ、なんとしてもあの娘の仲間に加えてもらわなくては。あんな娘をたった一人で魔王と戦わせるなんて、絶対に駄目だ。
 アダルバートは城の兵士見習いだった。本当ならば自分のような仲間内でもさして強くもない者が勇者の仲間になんてなれるわけがなかったろうが、王が宣言したのだ。『オルテガの娘、エマ・レージェンシーの旅に同行する者には同行中の期間の給料を倍にする』と。
 それに興奮した先輩に誘われて同行したいなら集まれと言われたルイーダの酒場に来ているのだが、そこにはすでにもう数百人もの人間が集まっていた。王のお触れが街中に広まっているためだろうか、全員とは言わないまでも八割はエマの仲間にしてもらおうと集まってきた奴らだろうと見当がつく。
 最初先輩に誘われた時は気が進まなかったが、エマを一目見た瞬間考えを変えた。あの娘を守りたい。あんな若く美しい娘をたった一人で旅に出すなんて絶対に許しちゃいけない。彼女を救わなければ。自分が。
 立ち上がってエマに近づく――だがそれよりもエマの周囲で立ち上がった者がエマに声をかける方が早かった。
「よう嬢ちゃん、魔王を倒そうってのは本気か? そんな細っこい腕してよう。無理無理、そんななりじゃ。俺を仲間に加えろよ、助けてやるからさ」
「黙れ下郎。お嬢さん、私をあなたの仲間にしてはいただけませんか? 私は命を懸けてあなたをお守りいたしましょう」
「いやそれよりも勇者殿、僕を。あなたが傷ついた時は必ず僕が癒してみせましょう、我が神にかけて誓います」
「いや私が」
「いや俺が」
「いや自分が」
 次々立ち上がりエマに近づく男たちの群れに、アダルバートは必死に割って入ろうとした。このままではエマにまともに挨拶することすらできずに終わってしまう。
 と、エマが少し不思議そうな顔をして首を傾げた。思わず心臓がどきりと跳ねる。あまりに清らかで可愛らしい、女の子らしい仕草だったからだ。
「みなさん、私と一緒に来てくださるのですか?」
 一瞬自分と同様に息を呑んだ男たちは(ほとんど店の中の男すべてだ)、口々に応と大声で答えた。アダルバートも必死に「俺も、俺も行きます!」と叫んだのだが他の男たちの声にまぎれて聞こえたかどうかは定かでない。
 するとエマはにこりと、優雅に、優しく、どこか頼りなげに微笑んだ。
「みなさん、私、無力でなにもできない愚かな女ですけれど……私を助けてくださいますか?」
『…………』
 沈黙のあと、ルイーダの酒場は沸いた。

 結局エマはその場にいた仲間になりたい人間全員を仲間にすると宣言した。総勢ざっと三百人はいる。ルイーダは驚き、「そんなにたくさん連れてってどうするんだい。だいたいそんな大人数を養えるだけの金があるのかい?」と訊ねたがエマは微笑んで、「王様から軍資金はいただいていますから」と言ったそうだ。
 そう教えてくれたのは自分と同じ班に振り分けられたエジーディオと名乗る盗賊だった。エマはルイーダの酒場で全員を自分の仲間として登録させながらこれからの旅の道程を説明した(魔法の玉はもうもらっているので、レーべを越えていざないの洞窟に直行しロマリアに移動する、うんぬん)。その時三百人の仲間たちを一つ三人の班に分けて、班単位で行動するよう言ったのだ。
 そしてそれからずっとエマの顔が見れていない。
「あーっとにたっりぃなー、せっかくチョー美人な勇者ちゃんと一緒にたのしー旅ができるかと思ったのに、なーんでこんな隅っこで野営しなきゃなんないわけぇ?」
「そんなこと言ってる暇があったら手を動かせよ」
 エジーディオにはそう言っているものの、アダルバートも内心同感だった。三百人もの人間を引き連れているのだから当然といえば当然だが、自分たちの行動はほとんど軍の行軍のようだった。一兵卒には指揮官――エマの存在などどこにいるかなにをしているかすらわからないのだ。今はアリアハンを出て、一日行軍し、班ごとに支給された天幕を張って街道の脇で野営しようとしているところだ。
「レベル高い奴らに囲まれちまってさー、まともに話もできねぇんだもん。こんなんじゃ一緒に旅してるなんて言えなくねぇ?」
「仕方がないですよ、エマさまは勇者でいらっしゃるのですから。我々のようなレベルの低い未熟者を同行させてくださっているというだけでよしとしなければ」
「…………」
 エジーディオ同様同じ班の、僧侶のジャスパーの言葉にアダルバートは返事を返すことができなかった。確かにそうだ。自分のようなまだレベルの低い人間など、仲間の端くれも端くれ、あくまでついでに連れてきたにすぎないのだろう。
 でも、自分は、エマを。あの美しい人を、自分の全力で守ると決めたのに。弱く未熟な自分だけれど、あの人のために全力を尽くしたいと心の底から願ったのに。
 それでもあの人に会うこともできないのだろうか。勇者の名を冠された人の姿は、ここからはひどく、遠い。
 と。
『ギャオォォォンッ!!』
「うわぁぁっ!」
「魔物だっ、魔物だーっ!」
 絶叫と悲鳴と咆哮。アダルバートもエジーディオもジャスパーも声のした方を見た。
 そして絶句した。
 凄まじい数の魔物が街道の向こうから続々とやってきていた。アリアハンでは見たことがないような強そうな魔物が地を埋め尽くすかと思えるほどの大群で、自分たちの野営している場所に押し寄せてくる。
 慌てて腰の鞘から剣を抜く。すでに仲間たち(なにせ三百人なのでそういえるほど知っているわけではないが)と魔物たちとは戦いを始めていた。それぞれ武器を振り回し、呪文を唱える。
 アダルバートはごくりと唾を飲み込んだ。戦場は、それも人と魔物とが戦う戦場は、初めてだ。
 だけど怯えていちゃいけない。震えるな手足。俺は決めたんだ。あのお姫様みたいにきれいな女の子を見た瞬間から。あんな子に一人で魔王と戦わせちゃいけない、絶対に守ってやるんだって!
「うおおぉぉぉっ!」
 銅の剣を振りかざして、アダルバートは鈍色をした鎧を着た魔物に突撃し――
「ぐはっ」
 あっさり振り払われて頭を打ち気絶した。

「……アダルバートさん。アダルバートさん」
 揺り動かされてアダルバートはのろのろと目を開けた。明るみ始めた空が見える。
「大丈夫ですか、しっかりしてください」
 この声は。
「……ジャスパー……?」
「そうです! 気がついたんですね? 痛いところはありませんか? ホイミはもうかけたんですが」
「ホイミ……」
「あなたが寝ているところを見た時には、魔物に殺されてしまったのかと肝が冷えましたよ」
「言っただろー、単に頭打って気絶してるだけだって。っとにだらしねぇなぁ」
「エジーディオ……」
「なにを言ってるんですか、命があっただけでも僥倖だと思わなければ」
「……わかってるよんなこと。これだけの人が死んでんだからな」
「死……」
 アダルバートはその瞬間我に返った。
「エマさんはっ!?」
 跳ね起きてそう叫ぶアダルバートに、エジーディオとジャスパーは顔を見合わせ、ため息をついた。
「生きてるし、怪我もねぇよ」
「ただ……とてもショックを受けてらっしゃったそうです」
「え……」
「見てみろよ」
 言われて周囲を見てみると、そこはまさに死屍累々を絵に描いたような状況だった。腕を噛み千切られた者、頭蓋を叩き割られた者、首を跳ね飛ばされた者。下半身しか残っていない者、体を真っ二つに断ち割られた者、もはや人の原形をとどめていない者――
 凄まじい血臭と人の肉が焦げる匂い。胃の腑がねじれるような感覚を覚え、アダルバートは耐えきれず近くの木の下まで駆けて吐いた。アダルバートは実戦で仲間が死んだのを見るのは、これが初めてだったのだ。
 背中を撫で下ろしながらエジーディオとジャスパーが重い口調で説明する。
「魔物どもはあの勇者ちゃんを襲ってきてたみたいなんだよ。あの子は何度も街の外に出るたびに魔物に襲われてたんだってさ。勇者を殺そうとする魔物どもに」
「エマさまは自分のせいでみなさんを死なせてしまったとひどくお嘆きになられて……今、生き残った者たちに回復呪文をかけてまわっていらっしゃいます。……我々は正直、ろくに戦いの役に立たなかったので、せめて手当ては自分たちでと思い……」
「………っ」
 二人の言葉にアダルバートは吐きながら拳を握り締めた。エマは、彼女はそんなにも過酷な生を生きてきたのか。街の外に出ただけで魔物に襲われるほど。あんな、あんな可愛らしくてきれいな子が。
 そしてあの子がそんなにも頑張っているというのに、自分はなんの役にも立たずここでこうしてゲロを吐いているだけだなんて。
 ちくしょう。ちくしょう、ちくしょう。俺はあの子を守るって誓ったのに。
 ちくしょう………。

 それからも何度も魔物の襲撃は繰り返された。そのたびに仲間たちの数は確実に減っていく。
 エマはそんな中でも、気丈に仲間たちの士気を支えていた。食事や休憩のたびごとに笑顔を振りまき、怪我をした者に回復呪文をかけ、一人一人に優しく話しかける。
 だがアダルバートはまだ一度もエマとまともに話すことができていなかった。エマはいつも自分などよりはるかにレベルの高い人々に囲まれていて、顔を見ることさえろくにできなかったのだ。
 自分とさしてレベルの違わないエジーディオとジャスパーとの三人で、いつも隅っこの方で弱い敵を必死に倒す。そのくらいしか自分にできることはなかった。足手まといにならないようついていくので精一杯だったのだ。
 少しずつ数を減らしながらレーベにたどり着き、宿を取る。逃げ出した者もいたが、それでもまだ二百人近い仲間たち全員が入れる宿はさすがになく、アダルバートを含むレベルの低い者たちは天幕を張って野宿することになった。
 アダルバートはエジーディオたちと湯屋で久しぶりに汗を流したあと、剣の稽古をするべく街外れに向かった。せめてもう少しでも強くなって、エマの役に立ちたかったのだ。
 基本の型を繰り返し、目の前に敵がいることを想像して剣を振るう。アリアハンの兵士見習いをしていた頃毎日のようにやっていたように。
 一緒に稽古に付き合ってくれていた自分を勇者との旅に誘ってくれた先輩は、もうここまでの間に死んでしまっているけれど。
 ふっと浮かんだその思考を頭を振って追い出し、剣を振るう。もっと鋭く。もっと力強く。もっと激しく――
 体中にしとどに汗をかきながら懸命に剣を振っていると、ぱちぱちと手を叩く音と、声がした。
「熱心、なんですね」
 え、と反射的に声のした方を向いて、それから仰天した。そこに立っていたのはエマだったからだ。
「エ、エマさま!」
 兵士見習いとして叩き込まれた階級意識の悲しさ、アダルバートは即座に膝をつき頭を下げる。とても顔など合わせられない。一瞬ちらりと見えたエマの顔は、ルイーダの酒場で見たものと同様、美しく愛らしかった。
「そんな、頭を下げないでください。あなたも私を助けてくださるかけがえのない戦士でいらっしゃるのですから」
「いえっ、その、俺は、じゃない自分は、まだまだ未熟でして、みなさんの足を引っ張ることはなはだしくっ……」
「でも、初めての戦いの時よりずっと戦力になってくださっています」
 エマのふんわりと優しい声に、アダルバートは思わず顔を上げた。
「エマさま、まさか、俺のこと、知って……」
「もちろん存じています。アダルバート・ヴァーノンさん。戦士でいらっしゃるんでしょう? 少しずつ経験を積んで、今では一角兎も倒せるようになっていらっしゃるのですよね」
「…………」
 アダルバートは感動に震えていた。自分を、話しかけられたことなど一度もない自分を、この人は見ていてくれた。認めてくれているんだ。
 たまらなくなって、アダルバートはほとんど平伏するように頭を下げながら、エマに向かい叫んでいた。
「エマさま! 好きです!」
「……………………」
 必死の思いで告げた言葉に沈黙で返され、アダルバートはあれ、そんなに変なこと言ったっけ? と眉を寄せ、気付いた。
 ――間違えたっ!
「す、す、す、す、すいませんエマさまっ! 間違えたんです、間違えました! いやそりゃ俺がエマさまのことを好きなのは間違いないんですが、じゃなくて俺エマさまが大切だってことを言いたくて、エマさまに俺のこと知っていてもらえてすごく嬉しいってことを言いたくて、本当にただそれだけで、妙なこととかよけいなこととかはちょっとしか考えて、ってそうじゃなくてっ!」
 言い訳におおわらわになって必死で喚くアダルバートに、エマはしばし呆然としたような顔をしてからにっこりとどこか切なげに微笑んだ。
「ありがとう、アダルバートさん。私に好意を持ってくださって、とても嬉しいです」
「エマさまっ……」
 もうほとんどアダルバートは泣きそうだった。自分などに好意を伝えられても嫌な顔もせず微笑んで、優しい言葉をかけてくださるなんてなんて優しい人なんだろう。
「だけど、私は今は勇者として魔王を倒すことに全力を注がなくてはならない身。今お返事はできません」
「エマさま、そんな、俺のことなど気にせず」
「だから、魔王を倒すまで、私が倒れないように守ってくださいますか?」
 にこ、と美しい顔に優雅で頼りなげな微笑みが浮かぶ。アダルバートはたまらず拳を握り締め、叫んだ。
「俺の命がどうなろうとも、エマさまは絶対にお守りします。守ってみせます!」
「ありがとう」
 そう微笑みながらうなずいて、背を向け去っていくエマの背中を、アダルバートは陽が暮れてエジーディオとジャスパーが迎えに来るまで見送っていた。

 それからの旅も過酷だった。特に、いざないの洞窟においての魔物の襲撃は熾烈を極めた。
 次から次へと襲いくるおそろしく強い魔物たち。仲間は次々殺され倒れていく。その死体を葬る暇もなく次の魔物が襲ってくる。
 アダルバートは必死に戦った。魔物の主戦力は自分たちよりずっとレベルの高い人々が受け止めてくれていたが、それでもアダルバートたちも何度も命の危機を感じた。レベルの高い人々とて自分たちを助ける余裕などないのだ。
「でりゃあっ!」
 アルミラージを死ぬ気で斬り倒し、アダルバートは膝をついてはぁはぁと息をした。今すぐ倒れこんでしまいたいほどの疲労が体にのしかかる。洞窟に入ってからもう二十体は魔物を斬り殺しただろう。銅の剣にも魔物の体液がべっとりとへばりつき、もはや斬るというよりは叩き潰すために使った方がマシな代物になっている。
「しっかりしろ、アドル!」
 エジーディオが無理やりアダルバートを引っ張り立ち上がらせる。この一ヶ月で愛称で呼び合うくらいエジーディオとジャスパーとは親しくなっていた。そうだ、こんなところで倒れてはいられない、とアダルバートは自分を叱咤して立ち上がる。
「走れ、走れ! 旅の扉までもう少しだ! ぐふぁっ!」
 叫んでいた男が爆炎に飲み込まれて倒れる。「くそっ!」と吐き捨てつつも、走るしかなかった。助けようなどと思おうものなら自分が真っ先に殺される。
 次の部屋に入ると、エマがひどく悲痛な顔で戦士たちに守られているのが見えた。旅の扉のある部屋に続いていると思われる通路を、いかにも強そうな魔物どもがふさいでいる。
「全員密集陣形を取れ! 突撃して血路を開くぞ!」
 リーダー格をやっている戦士が叫ぶ。アダルバートはふらつく体を必死に立て直して、剣を構えた。
「みなさん……」
 エマがひどく悲しげな顔で全員を眺め回す。胸の前でぎゅっと拳を握り締め、切々と訴えた。
「どうか……どうか、ご無事で」
 アダルバートは思わず笑んだ。この状況になっても、この人は自分の身よりも自分たちの命を心配してくれるのだ。
 その言葉があるのなら、自分は笑って死んでいける。いいや死なない、死ぬものか。自分はこの人を守るのだから。
 心は同じなのだろう、仲間たちは小さく笑んでうなずきあい、武器を構えた。
「突撃ーっ!」
 戦士が叫び、アダルバートは絶叫しながら走る。
「うおぉおぉぉっ!」
 亀と竜を組み合わせたような魔物に突撃したアダルバートは、あっさりと攻撃を鱗で止められた。そして軽く首を動かされただけで体を振り回され、床に叩きつけられる。
「ぐはっ」
 骨がさらにまた折れたようだった。大して力を入れたようにも見えないのに、それほど敵の魔物と自分との間には力の差があるのか。
 必死に立ち上がろうと手足に力をこめる。だが体がうまく動かない。目の前では激しい戦いが繰り広げられているというのに。
 仲間の戦士たちが次々魔物を斬り倒し、道を切り開いていく。だが被害も甚大だった。どころか、こちらの戦力はほとんど殲滅されようとしていた。魔物の凄まじい剛力に、骨を砕かれ首を飛ばされ体を食いちぎられ斬り飛ばされる。
 エジーディオたちは自分に敵を近づけないように必死に牽制してくれているようだった。確かに自分たちでは必死に頑張ったところでその程度がやっとだろう。自分たちとこの敵の魔物たちとはレベルが違いすぎる。
 だけど。
 アダルバートは剣を杖にして立ち上がった。足が、体中の骨がいっせいに悲鳴を上げる。それでもアダルバートは立ち上がり、ちらりと後方を見た。
 魔物の届かないところで、エマはひどく悲しげで頼りなげな表情でこちらを見つめている。こちらを心の底から案じて、自分たちの死を悲しんでくれている人の顔だ。
 アダルバートはふ、と笑んで、魔物たちの方を向いた。俺は、どうしようもなく弱いけど。これまでずっと負け組の情けない人生だったけど。
 でも、あなたを守りたいと思う。あなたを初めて見た瞬間から、そう決めたんだ。
 そのためになら――命ぐらい、いくらだって懸ける!
「うおおおぉぉぉおおっ!!」
 気合の声を上げて駆ける。その瞬間エジーディオたちをのぞく最後の仲間の首が飛んだ。自分たちの生き残る確率は零に近くなったが、それでも、それでも。
 エマだけは守ってみせる。
 そう渾身の力を振り絞って剣を振り上げ――
「――原初の力よ、轟き叫べ=v
 た瞬間、強烈な爆発が周囲を覆った。
「………!?」
 アダルバートは仰天して周囲を見回す。これは、誰かが唱えた呪文? 自分たちが傷ついていないことからすると、仲間の?
 でも、仲間はもう、自分をのぞけばエジーディオとジャスパーしか残っていないはずなのに。エジーディオは盗賊だし、ジャスパーは僧侶だ。しかもどちらもレベルはさほど高くない。
 じゃあ、誰が?
 呆然と呪文の打撃にのたうつ魔物たちを見ながら考えていると、声がした。
「まったく、この程度の敵にここまでてこずるなんて。やっぱりアリアハンの戦士なんてみんな弱いわね」
「…………!?」
 なんだ、この声。冷たく、鋭く、それでいてひどく艶麗な声。
 聞いたことのない、でも確かに知っているこの声は。
「エ……エマ、ちゃん?」
 エジーディオが呆然と呟く。煙の向こうから姿を現したのは、その通り、エマだった。
 エマは、今まで見てきたエマとはまるで違う、氷のような眼差しでこちらを見る。
「まったく、残ったのがこんな雑魚どもとはね。少し計算が外れたわ。まさかアリアハンで私が戦わなければならないことになるなんてね」
「な……」
「邪魔よ。引っ込んでいなさい」
「なっ!」
 エジーディオが怒りの声を上げる。だがエマはそれを無視して呪文を唱えていた。
「万物を構成せし極小の粒よ。我、汝に呼びかけ産声を叫ばせん。万物に宿りし始原の爆発を今ここに再び蘇らせよ。いざ、我が呪にて原初の力よ、轟き叫べ!=v
 どごんっ! と再び爆発。それが終わったとたん、見事なまでの静寂が訪れた。魔物たちは全滅したのだ。
『………………』
 絶句するアダルバートたちにもはや見向きもせず、エマは旅の扉のある部屋へと歩き出す。それを呆然と見守るしかないアダルバートの前で、エジーディオが立ち上がった。
「おい、待てよ!」
 エマが足を止め、こちらを向く。その表情はひどく面倒くさそうで、うざったそうで、こちらに話す価値を認めていないことが誰にでもわかるもので、今までエマがそんな表情を浮かべるなど想像したこともないようなものだった。
「どういうことだ、これは?」
 エジーディオが震える声で訊ねると、エマは面倒くさそうに答えた。
「なにが?」
「あんたは、俺たちよりはるかに強かったのか?」
「弱いなんて一言も言ってないわ」
「そういう問題じゃねぇ。本気になれば俺たちをいつでも助けられる力があったのに、なにもしなかったのか? って聞いてんだ」
 はぁ、とエマはため息をついた。
「馬鹿ね、あなた」
「なっ!」
「いくら私が強いからといって、これだけの魔物の大群とまともに戦えると思ってるの? あっという間に力尽きて殺されるわ。だから私には自分を守ってくれる存在が必要だった。力を温存し、いざという時だけに使うようにね」
「そのために……自分の力を温存するためだけに、俺たちを騙して、煽り立てて、必死にお前を守らせてきたってのか!?」
 エマはふ、と笑い、肩をそびやかした。
「私は別に嘘はついていないわ。自分の身を守るのにあなたたちが必要だったのは本当、守ってほしかったのも本当。そしてどうせ守ってもらうなら気分よくやってもらった方がいいだろうとか弱げな素振りをしてあげただけよ。それのどこが悪いっていうの?」
「悪いだろ! あんたは……あんたは、救うことができた仲間たちを見殺しにしたんだぞ!?」
 は、とエマは笑う。
「馬鹿馬鹿しい。言ったでしょう、これだけの魔物の大群と戦ったら私だって殺されるの。命を守るためには力を最大限に効率よく使わなくちゃならないの。そして魔王軍を油断させるためにもあなたたちの士気を高めるためにも、私は強者であってはならなかった。これは私にとっては殺し合いなのよ。どんな手だって効率がよければいくらでも使うわ」
「だからって、だからって……」
「私が強者だと知っている者は少なければ少ないほどいいの」
 エマがすぅっと、こちらに向け一歩を踏み出す。アダルバートたちは思わず震えた。
「ちょ……あんた、まさか、俺たちを……」
「…………」
 エマはすらり、と剣を抜いた。アダルバートたちは硬直して動けない。
 エマは剣を振り上げ――
 そばに転がっていた魔物に振り下ろした。まだ息があったのだ。
 エマはふ、と笑んでこちらに背を向ける。
「そうしてもいいけれど、あなたたち程度の発言力しかないレベルも低い冒険者にまでいちいち口を封じて回る必要もないでしょう。あなたたちはとっととお家に帰りなさい。私の悪い噂を流したければ好きにするといいわ、でも命の保証はしないし信じてくれる望みも薄いでしょうね。私とあなたたち、世の人々はどちらを信じると思う?」
 そう言って剣を鞘に収め、歩き出した。
「じゃあね。せいぜい長生きしなさい」
 そしてすたすたと旅の扉のある部屋へと入っていく。こちらにまるで興味を失ったかのように。
 しばしの沈黙ののち、エジーディオは「くそったれ!」と叫びながらどすんと腰を下ろした。
「なんだってんだチクショウ、弱い振りをしてただぁ? ざけんなよ、人の命をなんだと思ってんだ!」
「……今までのエマさまは、まさに勇者にふさわしい、聖女のようなお方でいらっしゃったというのに」
 ジャスパーがふらふらと崩れ落ち、う、と涙ぐむ。心底からエマに幻滅し、嘆いているのがわかった。
 それはわかっていたけれど。
 アダルバートは剣を杖に、のろのろと歩き始めた。エマが姿を消した、旅の扉のある部屋へ。
「ちょ……おい、どこ行くんだよアドル! まさかあの女のあと追おうってんじゃねぇだろうな!?」
「……そのつもりだよ」
「おい、待てよ……なに考えてんだよ。あいつは三百人以上いた仲間を見殺しにするような女なんだぞ!?」
「でも、俺たちを助けてくれた」
「な……」
「本当ならあの人は、俺たちが殺されるまで待ったっていいはずだよ。そっちの方がずっと後腐れがないんだから。でもあの人は俺たちを救ってくれた。秘密がバレる可能性もあるのに」
「だからって、お前……」
「あの人が嘘をついてないのだって本当だし、自分の命を守るためにやったことだったのも本当だと思うんだ。あの人は、俺たちを騙したわけじゃない」
「騙してただろ! あいつは救える人間を救わなかったんだぞ、勇者のくせに! あんな悪女……」
「悪女があんな優しく笑えるはずない!」
「………はぁ?」
 呆れた声を上げるエジーディオ。確かに呆れた話かもしれない、でもアダルバートは真剣だった。
「あの人は俺に笑ってくれたんだ。とっても優しく。あの人の行動が全部嘘だったわけじゃないって俺は信じてる。俺はあの人を信じたいし、信じてるし、だったら守りたいって、自分のできる限りの力で守りたいって思うんだ……」
『………………』
 エジーディオははー、とため息をつき、ジャスパーもふ、と息をついた。呆れてるんだろうな、とアダルバートは思う――でも、それでも思うのだ。エマは、あの人は、悪い女の子じゃないって。本当はすごく優しい、いい娘なんだって。
 奥へと向かい歩き出すアダルバート。エジーディオとジャスパーは顔を見合わせ、それからふっと笑んでアダルバートに両側から担ぐように肩を貸した。
「エジーディオ、ジャスパー……?」
「ったく、しょーがねぇなぁ、お前は」
「危なっかしくて、とても放っておけませんね」
 二人とも顔に笑みを浮かべている。アダルバートは信じられず問うた。
「まさか、一緒に来てくれるのか……?」
「仲間を見捨てるのは神の御心に背くことでしょうしね」
「そーそー。あの女はともかく、お前はいい奴だし、仲間だって思ってるし。放っておけんべさ」
「エジーディオ、ジャスパー……」
 アダルバートは思わず瞳を潤ませ、頭を下げた。二人の存在がたまらなく心強くて頼もしくてたまらなかった。
「ありがとう……」
「まー、命がマジヤバくなったら俺とっとと逃げるし」
「え!? エジーディオさん、そんな、ひどいですよ! それは神の御心に背く行為……」
「だって俺盗賊だもーん。神の御心関係ないしー」
「エジーディオさんっ!」
 二人の喋りに苦笑しながらも、アダルバートは思っていた。エマさん――俺は馬鹿で、あなたの俺たちを救おうって気持ちを無駄にしてるのかもしれませんけど、それでも――
 俺は、あなたを守りたい。
 そう心の中で言葉にし、拳を握り締めた。

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