称号
 なんで俺がやんなきゃなんねーんだ。
 ずっとそう思っていたし、今もそう思っている。
「よくぞ来た! 勇敢なるオルテガの息子、ユーリーよ!」
 アリアハンの王城、王宮近衛隊やら軍楽隊やらが立ち並ぶ謁見の間でアリアハン王までざっと二十歩という位置でひざまずきながらも、俺はまだ思っていた。
 なんで俺が魔王バラモスを倒すために旅立ったりしなきゃなんねーんだ。ただオルテガの子として生まれたっていうだけのことで。
「お前もよく知っておろう通り、そなたの父オルテガは戦いの末火山に落ちて非業の死を遂げた。しかしその父の跡を継ぎ、旅に出たいというそなたの願いしかと聞き届けたぞ!」
 うるせぇクソボケジジイ、俺は一度だって旅に出たいなんて望んだことねぇ。
 勇者の跡なんて継ぎたくなかった。勇者になんてなりたくなかった。自分に一方的に課せられた使命も、物心ついた時から出来上がっていた周囲の環境も、嫌で嫌でしょうがなかった。
 あの時から。自分は本当は勇者と呼ばれるべき存在ではないのだと知った時から。
「勇者オルテガの息子であるそなたなら、父の遺志を継ぎ、世界に平和をもたらしてくれるであろう!」
 俺は恭しくひざまずきながら、ぎりっと奥歯を噛み締める。勇者オルテガの息子。そう呼ばれるたびに、俺は相手をぶっ殺したくてたまんなくなる。
 だって俺は、女なんだから。

 最初は、戸籍登録の際の手違いだったらしい。
 俺、ユーリー・ドゥブロヴィンはその規格外の強さと、世界中の危険な魔物を倒したり紛争を仲裁したり国家転覆の危機を救ったりといった功績をいくつも持つことから、勇者の称号を国家とダーマ教会から正式に授与された男、オルテガ・ドゥブロヴィンとその妻ソフィーヤとの間に生まれた。俺が生まれた時オルテガはひどく驚いたらしい。傭兵の子として生まれ、子供の頃からずっと戦うことしかしてこなかった男オルテガは、自分の子なのだから男が生まれるものと決めてかかっていたのだそうだ。
 たぶんそれが戸籍登録の際手違いが起きた原因なのだろうが、とにかく俺は女なのに戸籍上は男として届出されたのだそうだ。そしてそれに俺が三歳になり、オルテガ死亡の報が届くまで誰も気付かなかった。オルテガが方々に『息子が生まれるんだ』と言っていたこともあり、周囲にも当然男の子が生まれたのだと思い込まれていたのだ。
 俺の母親はもともと非社交的な性格で、オルテガが自分を置いて旅に出たことで情緒不安定になり、俺が赤ん坊の頃体が弱くてしょっちゅう死にかかっていたせいもあってずっと家に引きこもって暮らしていたためその思い込みを修正する機会がなかった。その上俺を取り上げた産婆はその後すぐ死んだとかで、俺の母と、出産前後の数年腰を痛めて寝たきりだった祖父(ちなみに母方だ)以外には俺が女だと知っている人間がいなかった。
 そんな状況でオルテガ死亡の報を聞き、精神錯乱状態だった俺の母親が言っちまったわけだ。
「まだこの子がおります。オルテガの子、ユーリーが」
 誰がどう考えたってむちゃくちゃな話だ。当時三歳だった俺に頼るより、他に当てになる人材がいくらだっていただろう。そもそも最初っから魔王対策をオルテガ一人に任せてたわけじゃないわけだし。
 だけど父親の跡を継いで幼い子供が戦う、というお涙頂戴の物語に感動しちまった馬鹿がいた。それがアリアハン王だったってのが、俺の運の尽き。
 オルテガの子が成長したならば勇者としての称号を与えよう、なんぞと宣言しちまったもんだから俺の母親と祖父はなんとしても俺を勇者としてふさわしい人間に育てないわけにはいかなくなった。もうダーマの方にも金とコネ使って働きかけ始めてたんだから、あれはちょっと脳味噌があったかくなってたから言っちゃっただけなんですー、なんぞと言おうものならそれこそ首が飛ぶ。
 そしてオルテガの葬式の際に戸籍を調べて、俺が男として届けられていることを知り。周囲もそう思いこんでいることを知って、もう引っ込みがつかなくなったことを悟った。俺が女だということをなんとしても知られてはいけない。男らしく、勇者らしい人間に育てないといけない。幸い国王は教育を自分たちに任せて見守るつもりのようだ、ならばなんとか旅立つ時までごまかせないことはないだろう、と考えたわけだ。
 そこらへんのことは全部あとから聞いたことだ。俺の記憶は、まだ木刀もちゃんとつかめないのに必死の形相のジジイに稽古をつけられているところから始まっている。
 強くなれ、男らしい男になれ、勇者と呼ばれるにふさわしい男になれ。学校にもろくに行かせてもらえず、会う人間といえば母と祖父しかいない環境で、俺はそう教えられて育った。だから俺は当然のように自分のことを男だと思っていたし、男の体は自分とは違うのだということは知っていたけれど、それはまだ俺が勇者にふさわしくないからで、もっと強くなれば自然に俺も同じ体になると当たり前のように思い込んでいたんだ。
 それがとんでもない間違いだと知ったのが、十二の時。
 その頃から俺は毎日剣術の道場と魔法使いの私塾に通うようになっていた。理由は簡単、ジジイじゃもうとても俺の相手にならなくなっていたからだ。俺は自分を心の底から男だと思い込んでいたし、外見も性格も男としか見えないように育っていたから、ジジイやババアも気を抜いたんだろう。
 生まれて初めて外の世界を知った俺は、もう楽しくてたまらなかった。ずっと家に囲い込まれて育ってきたんだから当然だろう。道場や私塾に通ううちに俺を気に入ってくれる友達や先生もできて、一緒に遊んだりもするようになって、俺は毎日訓練も遊びも楽しんでいた。なんで俺が、という気持ちをまだ表面化させず、体を勇者のものにしなきゃいけないからしょうがないか、くらいに思うくらいには。
 けれどその日、俺はそれまでの自分の人生が砂上の楼閣だったと知った。
 その日、俺は友達たち数人と街外れの廃屋へ探検に行った。元は貴族の屋敷だったというその廃屋は、大きくて少し不気味で、俺たちの冒険心を否応なく掻き立てたんだ。
「なぁなぁユーリー、ここ誰か住んでんのかな」
「なに言ってんだよ、誰もいねーからこんなボロボロなんだろ?」
「でもよ、夜ここの窓から明かりが見えたって俺の兄ちゃんが言ってたぜ?」
「気のせいだって」
 友達と喋りながらも俺はちょっとびくついていた。暗いところとか実は少し怖かったし、友達と怪談とかした時俺は怖いものとか嫌なんだとわかってしまったから。
「もしかしたら魔物とか出るかもな」
「こんなとこに出るくらいの魔物だったら俺たちで倒せるさ」
「おー、言うじゃん、さっすが未来のユーシャサマ」
「別にそーいうわけじゃねーけど……」
「しっ」
 突然、仲間内で一番落ち着いた奴が声を上げた。
「どうしたんだよ」
「なんか、声が聞こえた」
『え』
 俺たちは揃って固まった。
「こ、声ってどんな。どこから」
「なんか、悲鳴みたいな……かすかだけど。あっちの方から聞こえた気がする」
『…………』
 本当は俺は行きたくなかったけど、男として退くわけにはいかなかったし、好奇心もあった。だからみんなと一緒にそろそろと声がしたという方へ向かった。
『アッヒーィ……』
「! 聞こえた、俺も聞こえた!」
「な、聞こえただろ!?」
 小声で口々に言い合いながら、俺たちはそろそろと歩き、何度も聞こえてくる悲鳴にドキドキビクビクしながらそっと小さく、声の聞こえてくる扉を開けて中をのぞきこんだ。
 そして全員固まった。中では若い男と女がヤってる真っ最中だったんだ。
『…………!』
 みんな顔を赤くしながらも、扉にへばりついて中をのぞきこんだ。ごくりと唾を飲み込んで、息を荒げて、欲情してるんだって一目でわかる顔で。
 だけど、俺だけは、衝撃で固まっていた。
 中に見える光景は俺にはひどく気色悪いものに思えた。男と女が、その性をさらけ出している光景。男が性器をおっ勃てて、女の性器にぶち込んでる光景。
 俺は男だと心はいうのに、俺はひとかけらもその男に共感できなかった。ヤりたいとかぶち込みたいとか、それどころか性への好奇心に息を荒げることすらできなかった。
 俺は、俺の体は、その光景を嫌悪し、恐怖していた。ヤってる男の顔が怖かった。自分にない大きな男の性器が恐ろしかった。体の奥には熱くなっている部分も確かにあったけれど、その部分は、ドキドキしている体は、男に惹かれているんだと心より体が理解していた。ドキドキしているのは、怖かったけれどそれだけじゃなく好奇心を持って眺めていたのは男の体で、俺は女の体には茫漠とした不安と奇妙な共感しか持てなかったんだ。
 俺は、男じゃないんだ。
 それを体から先に、知らされた。
 そのあと俺たちはそのヤってる二人に見つかり、怒鳴られて逃げ出して、その時はそれで終わった。だけど俺は、それまでのように友達と遠慮なくふざけることはできなくなっていた。
 だって俺は嘘だから。俺の心は嘘でできているから。男だと認識していたはずの自分の心は、本当ならそうなるはずだった俺の心を嘘で塗り固めてできたものだから。
 女が、男だと思い込んでできた、いびつで醜いものだから。
 その時から、俺はすべてを呪うようになっていった。世界も周囲も運命も。俺をこんなにいびつな存在にしたなにもかもを。
 俺はどうしたって男にはなれない。どんなに胸が平らで、月のものすらなくて、誰からも一度も疑われたことがなくたって俺の体には男の形をしていない。だけど女にもなれない。俺の心は男であるよう形作られているんだ。
 なんで俺が、魔王を倒さなきゃならないんだ。
 なんで俺が、こんな存在にされなくちゃならないんだ。
 なんで俺が、なんで俺が。
 苦しかった。今でも苦しい。だけど、俺はいまさらやめることはできないんだ。
 だってやめたって、勇者なんてもう嫌だって言ったってそれから俺はどうすりゃいいんだ。未来の勇者としてしか、男としてしか生きてこなかった俺が、それ以外にどう生きられると。
 他にどうしようもない。俺にはそれ以外道は残されていない。どうすればいいのかわからない。
 だから、俺は呪う。命懸けて魂懸けて。世界が、今すぐ、滅びて消えてくれないか、と。

「ユーリーよ、魔王バラモスを倒してまいれ! しかし一人では、そなたの父オルテガの不運を再びたどるやもしれぬ。そこで、ルイーダの酒場――冒険者ギルドに命じ、そなたのために仲間を三人用意した」
「え」
 俺は思わず目を見開いてしまった。仲間? なんだそれ。そんなの聞いてない。冗談じゃない、なんでこんな旅に仲間なんて連れてかなきゃならねーんだ。いちいち女とバレねぇように細工するなんて面倒くせぇことしろってのか。
 そんな俺の心中など当然斟酌せず、アリアハン王は笑顔で朗々と告げた。
「来るがいい、我らが選びし勇者の仲間たちよ!」
 謁見の間の脇の部屋からぞろぞろと、仲間たちとやらが出てきた。男が二人女が一人だ。
「まず、ナターリヤ・ポドプリゴラ。年はまだ十八歳と若いが、すでに司祭級の魔力を持っている高僧だ。癒し手として大いに働いてくれるだろう」
 青い髪の、俺より一寸くらい背の高い女がにっこり微笑んでぺこりと頭を下げる。髪を長く伸ばして、優雅にたたずむその姿は、三百六十度どっから見ても死角なしの美少女だ。法衣の上からでも立派に出てるとこ出て引っ込むとこ引っ込んでるのがわかって、意味もなくムカつく。
「次に、アルノリド・コスィフ。魔法使いの名門コスィフ家の継嗣、魔法使いギルドの若き俊英だ。魔法戦の要として活躍してくれることだろう」
 黒髪に、珍しい真っ赤な瞳をしているにやけた男が気取った仕草で一礼する。なんかふにゃふにゃした奴だ。いかにも夜ごと盛り場で女の尻追っかけてそーな。俺こーいう男嫌い。
「最後に……んむ、バコタ・イリージアンだ」
 呼ばれても、最後の男は微動だにしない。なんだ、と思ってそっちを見ると――ばちっ、と、思いのほか強い瞳と目が合った。
 檸檬のように、爽やかな黄色の瞳だった。すらりとした長身の上に乗っている小さな頭に伸びる珍しい銀の髪を短く刈ったその姿には、しかし微塵も爽やかさはない。顔つきと肌の艶にもうおっさんくささが漂っているくらいの年だ、というのもあるが、なにより雰囲気が今まで会ったことのある人間とはまるで異質だった。
 殺気。そう言うのが一番近いだろう。敵意というのとも憎悪というのとも違う。ただ、人を殺せるほどの強烈な気迫を周囲に漂わせてこちらを見ている。しかも殺気を漂わせているのに、その視線には睨むというくらいの意思もない。木石を観察するような淡々とした視線で、なのにその上には気の弱い奴なら震え上がるくらいの気迫が乗っているのだ。
 猛烈にカチンときてぎっとそいつを睨んだ。こいつがこん中でいっちゃんムカつく。なにガン飛ばしてんだ、余裕ぶっこいときながら。俺をなんだと思ってんだコラあぁん?
 そいつは相変わらず殺気を視線に込めながらこちらを見てくる。俺はうぜーんだよボケタコ死ね、と思いながら睨み返す。さっと冷えた空気の中で、王が気まずそうな口調で言った。
「あ、んー、この男はだな。職業としては、盗賊なのだが。戦闘能力がルイーダの酒場に登録されている者の中でも随一でな、戦力になると、まぁ、ルイーダから推薦されてな」
「…………」
「…………」
 俺たちは相変わらず無言で睨み合う。
「え、えー、まぁとにかく、お前にはアリアハンの勇者としてささやかではあるが支度金が出る。装備を整え旅の資金にするがよかろう」
 うやうやしく進み出て袋を手渡された。軽い。このボケ王本気でささやかしか出さねー気だな。まー俺を勇者扱いするなんて国王の酔狂みてーなもんだから国家予算からは出せねーんだろーけどよ。
「では、また会おう! ユーリーよ!」
 そう言って国王は謁見の間から逃げ出し、俺たちも自動的に退出することになった。

「はじめまして、みなさん。ユーリー・ドゥブロヴィンと申します。まだ若輩ではありますが、魔王バラモスを倒せるよう精励恪勤するつもりですので、どうかご協力お願い申し上げます」
 俺はジジイとババアに叩き込まれた勇者スマイルで優雅ににっこり笑ってやった。こんな奴らに素顔を見せてやる気なんてさらさらねー。俺の必殺勇者ぶりっ子で猫かぶってりゃ、こいつらだって下手に出てくるだろう。そこを俺の思い通りに動かしてやる。仲間なんて俺にとっちゃ面倒でうっとーしー代物なんだ、そんくれーしなきゃやってられっか。
 ナターリヤって女は「はい、よろしくお願いいたしますね」とにっこり笑ってうなずき(あーこの女マジ意味もなくムカつく)、アルノリドって男は「ま、よろしく」と変わらぬニヤケ面でうなずいた。
 が、バコタって男は。
「どっちだ?」
「は?」
 ぽん、と無表情で(こいつさっきから表情が全然変わんねー)言われ俺がきょとんとすると、そいつは無表情のまま続ける。
「お前は俺がその程度の演技でごまかされるほどの馬鹿だと思ってるのか? それともお前自身が馬鹿なのか?」
「な……」
 こ……んにゃろ、なんだってんだ、超ムカつく………!
 だが俺も四年間も猫かぶりを通してきた身だ。この程度ではがれるほど俺の面の皮は薄くねぇ。にっこり笑って言ってやる。
「バコタさん。あなたがなにを言っているかよくわかりませんが、あなたは陛下に俺の協力者として使わされた身でしょう? そういう口の利き方はやめていただけませんか?」
「どうやらお前自身が馬鹿だったらしいな。本気でそう思ってるのかどうかは知らんが、臆面もなくそんな台詞を吐けるとは、それだけで程度が知れるというものだ」
「っ……少なくとも初対面の人間にそーいうことをつらつら吐ける人間が人の程度をどうこう言えると思ってるならあなたも相当だと思いますが?」
 そこでバコタとかいう奴は初めて表情を動かした。わずかに肩をすくめ、フン、と小さく鼻を鳴らしたのだ。こっちがすっげー馬鹿だとでも言いたそうな、っつか思いっきり言ってる顔で!
「それは悪かったな。まさか勇者と呼ばれるのを受け容れておきながら、人の忠言を素直に聞くこともできないほど低脳な人間がいるとはさすがに想像の埒外だったもので」
 ――ぶっつん。
「うるせぇボケ野郎っ、しれっとした顔でぺらぺら偉そうなことほざいてんじゃねえぇっ! ぴーちくぱーちくさえずりやがって、んなでけー口叩けるほどてめーは偉ぇのかよっ! 上等だコラ、俺とどっちが強ぇかガチンコでやってみっかコラ、余裕ぶっこいてっとドタマかち割って脳味噌刺身にすっぞクソボケタコ!」
 しーん、と周囲が静まり返ってから、俺はさーっと顔から血の気を引かせた。やべぇ! またやっちまった!
 俺普段猫かぶってるしその皮は相当厚いつもりだけど、実はぶち切れたり気を抜いたりするとぽーんとその皮を脱ぎ捨ててしまうことがあった。それで城の兵士とか同じ道場の門下生とか何人かに本性バレたこともあって、必死に隠してきたんだけど……。だー国王に知られたらまたジジイとババアにどやされる……!
 あわあわと俺が周囲の奴らの顔を見回していると、バコタはふん、とまた鼻を鳴らして肩をすくめた。
「なら、試してみるか?」
「へ?」
「俺の実力がどの程度のものか知りたいんだろう。なら、試してみるか。お前は城の兵士たちの訓練にも参加していたそうだからな、兵士たちの修練場でも顔馴染みなんだろう?」
「う、ま、まー、そーだけど……」
「ならそこで試してみればいい。俺の力がどれほどのものか。お前に偉そうなことを言えるほど強いのか、をな」
 俺は一瞬なににだかはよくわかんねーけど呆気に取られて、それから猛烈に腹を立ててうなずいた。
「面白ぇじゃねーか。やってやるぜ。ぜってーこてんぱんに負かして泣き入れさせてやっかんな!」
 ぎっと睨むと、バコタはまた呆れたように肩をすくめて、面倒くさそうにうなずいた。
「楽しみにしておく」

 城に付属している兵士の修練場。そこにはさほど人はいなかった。責任者のおっさんに挨拶して一角を使わせてもらうように頼み、俺とバコタは数間の間をおいて向かい合った。
 俺は木剣を構え、バコタは鞘をつけたままの短剣を握り自然体で立っている。構える必要もねーってのかよ、舐めやがって。
 こいつがどんだけ強ぇかは知らねーが、俺だって道場で切紙までいってんだ。その上相手は短剣。間合いがまるで違う。ぜってー負けねー。負けっこねぇ。
 他の奴らやら居合わせた兵士どもやらの視線を浴びせられる中、審判を買って出た責任者のおっさんが告げた。
「はじめっ!」
「はぁっ!」
 俺は即座にバコタに向かい突撃した。道場で修業して慣れた動作だ、踏み込みと同時に振り上げた木剣をバコタにめがけ振り下ろす。
 だが、その動きは空を切った。
「!?」
 なんだ。あいつの、バコタの姿が見えない。いきなり目の前から姿が消えた。なんで、どうして、どうやって?
 と俺が混乱した一瞬、首筋に後ろからぴたりと革の感触が触れた。
「今、お前は死んだぞ」
「………っ」
 ばっと振り向きながら木剣を振り回す。だがバコタは軽やかな動きでそれをかわし、短剣を構えてみせた。その顔は相変わらずの無表情だ。
 このやろ、馬鹿にしやがって……!
 俺はぎりっと奥歯を噛み締め、師匠にも何度も褒められた突きを放つ。体全体の重みを乗せて、一気に踏み込んで心臓を狙う。
 だがそれもかわされた。しかも最小限の、まさに紙一重でぎりぎりかわせる程度の小さな動きで。
 そしてそのままの動きでこちらに踏み込み、ぴたりと喉元に短剣を突きつけてくる。
「また死んだ」
「…………っ!!!」
 俺はムキになって必死に木剣を振り回したが、バコタはそのことごとくを平然とした顔でかわしてみせた。そして俺には捉えられないような動きで俺の急所にぴたりと短剣を突きつけてくる。ただ当てるだけ、あれだけこっちに殺気放ってたくせに傷つける気もねぇみてぇに。
 十分くらいそれを繰り返して、俺が息を荒くしてまともに動くこともできなくなってから、バコタは肩をすくめて言いやがった。
「まだ続けるか?」
「…………っ………」
 ちくしょう。悔しい。悔しい。こんな奴に負けるなんて。今まで俺訓練ばっかりやらされてきたのに、負けるなんて。
 なんでだ。力がないから? 体格がよくないから?
 女だから?
 これまで実は何度も感じてきたその思考を辿ると、思わずうっと泣きそうになってきた。こんな奴の前で泣いてたまっか、とぎゅっと唇を噛んで立ち上がる。
「まだまっ……」
 そのとたん俺は足を滑らせてこけた。ずってんどうと、頭から。後頭部直撃の痛烈なやり方で。
「おおおぉぉお……!」
「うっわー、見事なコケっぷり」
 思わず後頭部を抑えてごろごろと転がる俺に(下は砂が敷かれているが痛いもんは痛い)、アルノリドとかいう奴が呟く。俺はぐっとまた唇を噛んだ。
 なんで、俺がこんなことしなきゃなんないんだ?
 俺は好きでやってるわけじゃないのに。ババアやジジイに無理やりやらされてるだけなのに。
 勇者になれるような存在じゃ、本当はないのに。
 本当は、俺は。
 俺は頭をぐりぐりと砂地に押し付けながら、必死に泣くのを堪えた。いまさら女になりたいわけじゃない。スカートとか履きたいなんてちーとも思わねーし化粧とかうぜーしドレスなんて死んでもゴメンだ。
 だけど、俺は勇者の息子じゃない。今の自分は、正しい姿じゃない。
 そう思うと、今の自分が、どんな魔物よりも醜い、みっともないものに思えて、ならないんだ。
 体を起こし、うつむいてふるふる震えていると、ふ、と小さくバコタが息をつくのが聞こえた。
 こいつも馬鹿にしてんのかよ、と思うとまた涙の発作がまぶたを襲ったが、涙がこぼれる前にぽん、と肩に手が置かれた。
「思ったより、動けるな」
 え、と見上げると、バコタは今にもため息をつきたそうな顔で、視線を微妙に逸らしながらぼそぼそと言ってくる。
「その年にしてはなかなかやる。相当な訓練を積んだのはわかった」
「…………」
「だが、まだお前の技も体も磨かれていない。細いが、せっかくしなやかできれいな筋肉をしているのだから、無理に筋肉をつけようとせず、剣を振るう技を極めれば」
 まだ続くバコタの言葉も耳に入らずに、俺はぼっ、と顔を赤らめた。頭にすごい勢いで血が上ってくるのを感じる。顔が熱くてしょうがない。
「な、ななな、なななに言ってんだよぉっ!?」
「なに、と言われても……」
「そんな、しなやかとか、きれいとか、馬鹿じゃねぇの!? ばかばかばーか! お前なんかばーか!」
「…………」
 ふ、とまたため息をつくバコタに、俺はどうしようもなく心臓を高鳴らせていた。だって、こいつがさっき言った言葉は。俺を睨みつけてきたこいつが言った言葉は。
 勇者の息子じゃない、そのまんまの俺を認めて、褒めてくれたみたいに思えたんだ。
 それがどうしようもなく恥ずかしくて、照れくさくて、俺は真っ赤になりながらばーかばーかと繰り返した。
 そんでそのあと仏頂面で「脳味噌の方は最初の印象通り不自由なようだがな」と言われぶち切れるんだけど。

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