「きゃー!なにすんのよ!」
「オルテガの子、ロゼッタ・エンヴィよ! 我アリアハン国王はそなたを勇者として認めよう!」
「ありがとうございます」
 ロゼッタは静かに答えて頭を下げた。
 特に感慨はない。十六歳の誕生日に勇者の資格を得ることは、ロゼッタの中でも母の中でも既定事項だった。万一一発合格に失敗でもしていようものならこれまでにも増して激烈な特訓の日々が続くことになっただろうが、ロゼッタは失敗する可能性などほとんど考えていなかった。
 自分はそのためだけに――勇者の役割を果たすためだけに生きているのだから。
「オルテガの子であるそなたは、例年の勇者資格取得者と比較しても特に優秀な成績の持ち主である。そこで、特別に宮廷魔術師団から供の者を出そう! 若いが、優秀な魔法使いだ」
 王の数人を挟んだ隣に立っていた、まだ少年とすら呼べそうな年頃の男が進み出て頭を下げる。
「アマルティス・ヘベルナと申します。ティスとお呼びください、ロゼッタ殿」
「……よろしく」
 供の者をつけられることも既定事項だった。優秀な成績で合格した人間には宮廷に仕える人間から供の者を出すというのはあくまで習慣であって不文律ですらないのだが、母が旧知の仲である国王に働きかけたのを知っているからだ。オルテガがそうであったように、ロゼッタも供をつけられるほど優秀であったと皆に思われねばならないのだから、と母は言っていた。
「では、オルテガの子、ロゼッタよ。父の宿願であった魔王征伐、見事果たしてくるがよい!」
「は」
 一礼して立ち上がり、退出する。そのあとをアマルティスが慌てたように追ってきた。
 特に感慨はない。旅立ちも、旅の供も、王の言葉も。まだ不確定な未来である魔王征伐を成したとしても同様だろう。
 なにかを感じたところで、ただの刃にはまるで意味のないことだ。

「陛下も、無神経ですよね」
 城を出てしばらく歩くと唐突に言われた言葉に、ロゼッタはわずかに眉をひそめて疑問の意を表した。
「いえ、ロゼッタ殿に呼びかける時、いつもオルテガの子≠ニつけるじゃないですか」
「ああ」
 ロゼッタはそれを聞いてもまだ意味がわからず、訊ねる。
「それが?」
「だって、お嫌でしょう? オルテガは確かに大変立派な方であったようだけれども、子供だからっていつも比較されなきゃいけないなんて。今旅立とうとしているのはオルテガではなくロゼッタ殿なのに。オルテガの子としか見られないなんて、どう考えてもおかしいですよ」
「……ああ」
 そういうことか。
「でも、俺はロゼッタ殿をオルテガの子とは」
「どうでもいい」
 あっさりと言い放ったロゼッタに、アマルティスは絶句した。
「……どうでも、いいって」
「オルテガの子としか見られなくても、私はどうでもいい。私には関係のないことだから」
「関係ないって……」
「関わる必要のないことだから。だからどうでもいい。なにも感じない」
 それで会話を打ち切って、ロゼッタは再び歩み始めた。固まっていたアマルティスもはっとしてついてくる。
 そう、どうでもいいことだ。オルテガの子であろうがなんであろうが、自分は生まれた時から勇者として生きることしか許されていないのだから。
 自分は刃だ。いくらでも取替えのきくただの刃。
 刃は考えない。いかに効率よく敵を屠るか以外のことはすべて刃には瑣末事だ。
 刃は感じない。なにかを感じる必要など刃にはない。
 刃は迷わない。使い手の意思にひたすら従うただの道具なのだから。
 オルテガの子としてあの家に生まれた時から、自分はそう育てられてきた。それ以外の生き方は、自分には存在しないのだ。

『ルイーダの酒場』と看板が出された異常に大きな酒場に入っていく。酒場は初めてだったが特に戸惑いは感じなかった。
 酒場一階の一番奥、カウンターのところに立っている年齢不詳の美女。そこにロゼッタは迷わず歩み寄った。
 煙管で煙草を吸っていた美女はふ、と煙を吐き出し、こちらに顔を向ける。
「ここはルイーダの店。旅人たちが仲間を求めて集まる出会いと別れの酒場よ。お嬢さん、仲間をお探し?」
「そう」
「どんな仲間を?」
「どんな人間がいるの?」
「そうねぇ、お薦めは……」
 と、ルイーダが帳面をめくり始めたとたん、妙な感触がした。
 胸になにかが触れている感触。というより、撫で回されているような。いや、むしろ揉まれているような……?
「!」
 ロゼッタはようやく自分の胸を横から伸びてきた手に揉まれていることに気付き、閃光のようと剣術の教師にも褒められた速さで剣を抜いた。素早く揉んでいる相手に突きつける。
「おお、見事な抜刀術だ。なかなかいい腕をしているな、ご令嬢」
 相手――ロゼッタより頭ひとつ近く高い中年の、僧服に似つかわしくない無精髭を生やした逞しい男だった――は少しも慌てた様子もなくからからと笑った。剣を突きつけられても怯えた様子もなく、ロゼッタの胸を揉み続ける。
「なっ、なっ、なにをやってるんだあんたは――――っ! 痴漢、変態、ロゼッタ殿から離れろぉぉっ!」
「いやいやなにを言う少年、拙僧はただ自らの職分を全うしているだけだぞ」
「職分……?」
「そう、我が神ルビスの教えは愛の教え。心から愛を感じたならばそれを表現するのにためらうことはないと教えておられる」
「……だから?」
「だからこのご令嬢の乳に拙僧が感じた愛を、こうして積極的に表現しているわけで……」
「ただのスケベ心を愛とか言うな変態親父っ、ロゼッタ殿から離れろと言ってるだろうがーっ!」
 ロゼッタは胸を揉まれながら全身を緊張させていた(その間にも男はロゼッタの胸をもみもみと揉み続けている)。胸を揉まれていること自体はどうでもいいとしても、この男はロゼッタに、猫が忍び寄ってくるのすら察することができるロゼッタに、まるで気配を感じさせず接近してきた。力のある存在は警戒対象だ。この僧侶らしい男は最大級の警戒が必要な相手だとロゼッタは認識した。
「ちょ……ダク! なにやってんだよ、女の子の胸引っつかんで!」
「おおロット、遅かったな。いやなんというかこのご令嬢の乳は揉み応えがありつつも微妙な柔らかさがあり……」
「そーいうこと言ってんじゃない! やめろって、ほらっ!」
「おっとっと」
 ふいに声をかけてきたロットと呼ばれた銀髪の男はダクと呼んだロゼッタの胸を揉んでいる男を引っ張ってロゼッタから離した。ダクの喉元には鋭く研がれた鋼の剣が突きつけられているというのにだ。場慣れしている上、この男もまるで気配が感じられなかった。この男も警戒対象だ。
 ロットは困ったような笑みを浮かべて頭を下げた。
「ごめんね、お嬢さん。この人可愛い女の子見るとすぐ痴漢する変態親父だからさ。斬られるのは困るけど、二、三発ぐらいなら殴ってもいいよ」
「…………」
「二、三発で足りるかっ! ロゼッタ殿の、む、胸をわしづかみにしておきながら……!」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
「そうだぞロット、このご令嬢は可愛い系というよりはむしろ美人系だろう。うむ、まさにわしの好みだ」
「なっ、なっ、な――――っ!」
「ダク! 挑発するなよ」
「なぁに、若い男はこうして叩かれて成長するものだ。惚れた女をわしのようないい男に奪い取られるという経験も若いうちなら実になるさ」
「な、な、なななななななっ!?」
「ダク……」
 やれやれ、とロットが苦笑した、と思った瞬間、今度は尻に手の感触がやってきた。
「!」
「ほほう、尻もよいなぁ。鍛え上げられた、それでいて女子の柔軟性を失っていないよい尻だ。この揉み心地、まさに極楽……」
「きっ、きっ、貴様ぁぁぁぁっ! 炎よ、世界に満ちたる熱の粒子よ――=v
 アマルティスが呪文を唱え始めた。こんなところで呪文を唱えては衛視に咎められるのでは、という危惧を抱くより早く、ダクが一言唱える。
「我封ず=v
 紫色の霧がアマルティスを取り巻き、アマルティスが固まる。マホトーンの呪文だと見当がついた。あの一瞬で呪文を構築するとは、並みの実力ではない。やはりこの男は危険だ、と背中を取っているダクに剣を突きつけようとした、刹那。
「あっ……」
 ダクの指がある一点を撫でた、と思ったら声が漏れていた。
「………!?」
「ほほう、ご令嬢。あなたは尻がいいのか。よきかなよきかな、感じたならば素直にそう言うのが神の教えにもかなうことだぞ? ほれほれ、もっと揉んで進ぜよう」
「っ!」
 ロゼッタは全力でダクから距離を取った。なんだ。なんだ今のは?
 一瞬、さっきの一瞬、体に電撃が走ったような衝撃があった。未知の感覚。今まで感じたことどころか想像したことすらなかったような、不思議に甘やかでけれど激流のように心身を翻弄する感覚。
 わけがわからない、けれどそれを与えたのが目の前のこの男だというのは絶対的に確かで。ロゼッタは混乱と驚愕に満たされながら、呆然とダクを見た。
 ダクもこちらを見返す。微笑んでいる。瞳まで柔らかく笑んで、じっとこちらを見ている。ロゼッタは恐怖すら感じながら(そんなもの自分はとうに感じなくなったはずなのに)ダクをひたすらに見つめた。なんなんだ、なんなんだこの男は?
 と、ダクはおもむろににこり、と笑みを深くし、ぽんと手を叩いた。
「ご令嬢。あなたは旅に出なさるのですな? そして、仲間を探していらっしゃる?」
「…………」
「なにを言っているんだお前はっ、この方はロゼッタ・エンヴィ! 英雄オルテガのご息女にしてご自身も勇者なんだぞっ、今まさにこれから魔王征伐の旅に……」
「ほうほう、そうかそうか。では、その仲間に拙僧たちを加えるというのはいかがかな?」
「!?」
 ロゼッタは愕然とダクを見る。ダクはにこにこと続けた。
「自慢ではないが拙僧はこの酒場の中にいるどの人間よりも強い。僧侶としての実力もそれに劣らず。相棒であるロットも並みの腕ではない」
「ってちょっと、ダク、あんたなぁ……」
「どうだ、ロゼッタ。わしらを仲間にしてはみないかね? 今なら貴女に毎夜神の教えをじっくりしっぽりと説いて進ぜよう。実技指導で女としての喜びも同時に味わえてしまうおまけつきだ。どうかな?」
「貴様あぁぁぁぁっ!!」
「………………」
 ロゼッタは混乱した。この男は警戒対象。わけがわからない存在。よくわからない存在は敵。そんな存在が仲間になる? わけがわからない。
 けれど、実力は本物だ。おそらくこの男は自分よりも強い。連れて行けばこの上ない旅の助けになるだろう。
 なにより、この男。なんだか、気になる。
 生まれて初めて思った。この男を、さっきの感覚を。怖いけれど、震えそうに怖いけれど、もっと、知りたい。
「……わかった」
「ロゼッタ殿っ!?」
「まぁまぁ。ダクとロットはこの酒場でも随一のレベルの高さを誇る二人組よ。聞かれたら私もこの二人を推薦するつもりだったし。ダクも女好きだけど相手が嫌がることはしないし、旅の仲間としては申し分ないと思うけど?」
「しかし!」
「ティス。決定権は、私にある」
「………ロゼッタ殿……」
 絶句するアマルティスに、ロットは苦笑してダクは朗らかに笑った。そしてすっと手を伸ばしてくる。
「わしの名はダクリル・ゲーゲンシャフトという。よろしくな、ロゼッタ」
「……よろしく」
 利き手ではない方の握手だったので応じようと手を取り、その瞬間「あふ……」と声を漏らしてしまった。ダクの指が、これ以上ないほど精妙な動きでロゼッタの指と手を這い回った瞬間、先刻の妙な感覚がまた体を走ったのだ。
「ふむふむ、指もなかなか。これは仕込むのが楽しみであるなぁ」
「きっ……貴様――――っ!」
「ダク……あのなぁ……」
 つかみかかるアマルティスを笑いながらあしらうダクを、ロゼッタは呆然と見つめていた。やっぱりこの男、怖い。わけのわからない感覚を簡単に自分に与え、翻弄する。力でもきっと自分はかなわない、ダクが自分になにかしようと本気で思ったなら自分はそれに逆らえないだろう。生まれて初めて感じるほど、怖くて、怖くて――
 たまらなく胸が高鳴る。ロゼッタはぎゅっと、まだ甘い痺れが残る指先を握り締めた。

戻る   次へ