ロマリア〜カンダタ――4
「おはようございます! 旅の準備の進み具合はいかがでしょうか?」
 朝食の席。セオたちの背後から突然そんな声がかけられた。
 みんなの邪魔にならないようにと小さくなりながら朝食を取っていたセオは、びくんと震えた。おそるおそる振り向くと、そこには派手な式典用衣装を着けたロマリア兵士たちが五人、にこにこと笑みながら立っている。
 もしかして俺が足を引っ張ったこととか準備が遅いとかでお叱りがあるのか、とさーっと顔から血の気を引かせたセオは、泣きそうになりながら頭を下げる。
「ごめんなさい……全部俺が悪いんです、俺が至らなくて、馬鹿ばっかりやってるせいなんです、だから他の人たちは責めないでください、お願いです……!」
「は……? いえ、そういうことではなく。単にいつ頃ご出発なさるのかなど伺いに参ったというだけなのですが」
 なんだそうなのか、とセオはほっとしたが、そんなこともわからずに相手に居心地の悪い思いをさせてしまった、とまた泣きたくなって頭を下げた。
「ごめんなさい……」
「てめぇ意味もなく謝ってんじゃねぇよこのボケタコっ!」
 ドカッ、と椅子の足を蹴られて、セオは恐怖のあまり耐えきれなくなってぽろり、と涙をこぼした。
「ごめ……ごめんなさい……!」
「だから意味もなく謝ってんじゃねーって……!」
「フォルデ。使者の前だぞ」
「う……」
 ばつが悪そうな顔をして、ふんっとそっぽを向いて椅子にどかっと腰を下ろすフォルデ。また怒らせてしまった、どうして自分はこうなんだろう、と毎度お馴染みの後悔にさいなまれながら、セオは必死に涙をこらえる。
「……お使者殿。そのようなことは、このような場所で話せることでもないと思うのですが。いかがか?」
「おお! これは失礼いたしました! では、是非城にお越しいただき王の御前で話していただきたい。招待を受けていただけますな?」
「…………。どうする?」
 ちらりとこちらを見るロンに、まさか自分に聞いているのではあるまい、だけどこっちをちらっと見たし、答えないと悪いのではないか、とセオは頭をぐるぐるさせた。フォルデはそっぽを向いたままふんっと言う。
「俺はごめんだぞ。行くんだったらお前らだけで行ってこいよ。その間に準備しといてやる」
「ふむ。つまり、じきご出発なさるのですな?」
「申し訳ない、ここでは少々耳目があるゆえ」
 ロンがにっこり笑いながら言うと、フォルデは少し不思議そうな顔をしてロンを見た。セオも不思議だった。自分たちは情報隠匿に関しては素人なのだから、カンダタの手下を捕まえたという情報はとうに裏の世界に知れ渡っていることだろうに。
 確かにおおっぴらに言うことでもないが、カンダタがロマリアを翻弄するほどの人物なら、とうにロマリアに潜ませた密偵から情報を受け取っている頃だと思うのだが。
 あとは早さ。いかに素早く、カンダタが逃げ出すより早くシャンパーニの塔にたどり着くかが問題で、セオとしては最初からロマリア王にシャンパーニの塔まで運べる魔法使いを手配してもらうつもりだった。確実性を高めるため、時間さえ間に合えば兵を出してもらうべきだとまで考えていたのだ。
 それは全員承知済みのことだと思っていたのだが――
 ――ロンは違うのだろうか?
 少し不安になりながらロンを見つめるが、ロンは笑みを浮かべながら兵士たちと会話していてなにもその横顔からは読み取れなかった。
 結局、セオとロンがロマリア王宮に赴いて報告を行い、ラグとフォルデが旅の準備をするということで決まった。

「よくぞ参った、勇者セオ・レイリンバートル! カンダタの配下の者を捕らえたそうじゃな?」
「え、いえ、あのっ。俺がやったんじゃなくて、フォルデさんや、ロンさんが、したことなんです、けど」
「それを導いたのも勇者であるそなたの功績であろう。なかなかやるではないか、セオ・レイリンバートル!」
「いえ、そんな、違います、本当に俺なんかの功績じゃなくて、仲間のみんなの――」
「で、いつシャンパーニの塔に向けて旅立つのだ?」
「あの……そ、そのことなんですけどっ」
 セオは必死に声を張り上げた。王は自分とばかり話している。となれば、でしゃばるようで申し訳ないけれども、自分が言うべき場面ではないか、と思ったのだ。
「シャンパーニの塔か、その近くまで、ルーラで運べる、魔法使いの方をっ、手配していただきたいんですけどっ」
「………ほう」
 ロマリア王はにぃ、と笑顔を浮かべた――そしてセオは一瞬びくつく。自分などが感じていいことではないのだろうが、ロマリア王の顔が、まるで怒っている猛禽のように鋭く見えたからだ。
「カンダタの件を一刻も早く解決しようということか。心がけは立派だがな。残念ながら我がロマリアの魔法使いギルドにはシャンパーニの塔まで行ける魔法使いがおらんのだ」
「え……じゃあ、その近くまで行ける、方を」
「残念ながらそれも出払ってしまっていてな。お前たちには悪いが、一歩一歩自分の足でシャンパーニの塔へと向かってもらいたい」
「そ……」
 そんな! とセオは声を上げたくなった。ここからシャンパーニの塔までは街道を通ってもざっと二千五百里はある、徒歩では二ヶ月近くかかってしまうだろう。そんなに時間をかけてはまた新たな犠牲者が生まれる、それどころか逃げられてしまう可能性の方がはるかに高い――
 言わなくちゃ、はっきり言わなくちゃ、と必死に自分に命令して口を開こうとする――が、まさに言おうとした瞬間、ぐ、とロンの手がセオの腕を握った。引き止めるかのように。
 一瞬パニックに陥りかけたが、すぐにロンさんにはなにか考えがあるのだ、ということに思考が至った。なら、自分などが邪魔をしてはいけない。
 口を閉じてロマリア王を見ると、ロマリア王は笑顔を哄笑に変えながら宣言した。
「旅立つ際はわしに申し出に来るように。見送りの儀式を行うゆえな」
「そ、んなこと、しないでくださ……」
「わしが、行いたいというておるのだ。そなた、わしの意に逆らうと申すか?」
 ぎろり、と睨まれてセオは泣きそうになったが、でもこれだけは、と必死に主張する。
「俺なんかのっ、ためにっ、いろんな人の時間を使ったりっ、お金使ったりするなんて、絶対、絶対駄目だと思い、ますっ。だから、お願いですから、そんなこと、しないでくださ……」
「わしがよいと申しておるのだ。それに逆らうというか!」
 ロマリア王が怒りの表情を浮かべて玉座から立ち上がる。セオは恐怖のあまり目に涙を滲ませながら、それでも主張した。
「俺なんかに、そんな価値ないんですっ、俺なんか本当に、本当なら生きる価値もないような人間なんですっ。だから、そんな、出発を祝うような価値、本当に……」
 ロマリア王はぎっと凄まじい目でセオを睨んだが、すぐににっこりと笑みを浮かべた。それでもセオの目には怒っているように見えたが。
「ならば、こう考えるがよい。わしはそなたのために行うのではない。そなたの仲間のために行うのだ。それならばよいであろう?」
「え……」
 セオは顔面蒼白になった。馬鹿だ、俺は。どうしてそのことに気づかなかったんだろう。俺なんかを祝うような価値はないけれど、自分の仲間たちは十分以上にその価値のある人間なのに!
「ごめんなさい……!」
 思わず土下座して床に頭を擦りつける。しーんと謁見の間が静まり返るのがわかった。
 ああ本当にどうして俺はこうなんだろう。いつもいつも人に迷惑ばかりかけて、嫌な思いばかりさせて。なにひとつ、本当になにひとつ返すことができない――
 そんな風に落ち込んでいたところに、退出の合図があり、セオは下を向いたままロンと退出した。
「儀式は行うぞ」
 ロマリア王の最後の宣言も耳に入らないくらい落ち込みながら。

「……不機嫌そうだな、フォルデ」
 朝の商店街を歩きながら、ラグは苦笑しつつ訊ねた。
「……悪ぃかよ」
「悪い……というか。普通は一ヶ月も経てば馴れてくるものなんだが、なんて思ってな」
 ぎっとフォルデはこちらを睨んだ。まったく、この男は本当に気が立っている小動物のようになんにでも噛みつく。
「馴れてたまるか。俺はあくまで借りを返すために一緒に同行してるだけなんだからな。あんなクソボケ勇者なんぞと馴れ合うほど落ちぶれちゃいねーんだよっ!」
「だが、そういつまでもつんつんと棘を剥き出しにしていては疲れるだろう。まぁ、俺はお前さんのそういう気迫と体力を買ってるわけだが、お前としてはもう少し流すことを覚えた方が楽なんじゃないか?」
「……………………」
 フォルデが急に黙り込んでそっぽを向いた。なんだ、と思ったが、耳がわずかに赤いのを見て照れてるのかと納得する。
 なんというか、本当にわかりやすい奴だ。
「……そういや聞いたことなかったな」
「なにがだ?」
「あんた、どうして俺を仲間にしてもいいって思ったんだよ」
「ああ」
 ラグは苦笑した。もう少し早く聞かれるかと思ったのだが。
 まぁこいつと二人きりで話す機会なんてそうなかったし、こいつは基本的に目の前しか見えないタイプだからしょうがないのだろうが。
「お前はなんでだと思う?」
「……知るかよ。わかんねーから聞いてんだろ」
「そうか……まぁ、ひとつには単純に腕だな。お前は年にしてはかなりのレベルだった。努力を怠らない性格らしいのはわかったし、まだまだ伸びるだろう。その伸びしろも考慮して、足手まといにはならないだろうと思った」
「………ふーん」
 フォルデはそっぽを向いたままだが、耳がぴくぴく動いている。フォルデは嬉しい時耳を動かす、とこっそり心の帳面に書きとめた。
「もうひとつには、お前のその性格だ」
「……性格?」
「お前は気に入らないことにはすぐ噛みつくだろう。それも真正面から堂々と自分なりの筋を通そうとする。セオにも初対面からがみがみやっていたし。――セオの成長には、そういう人間も必要だろうと思ったんだ」
「………ほー。そーかよ」
 ふんっ、と鼻を鳴らして一瞬ぎっとこちらを睨み、フォルデは足を速めた。ああ予想通り不機嫌になったなぁ、と苦笑しながらラグはそれを追う。
「フォルデ」
「なんだよっ」
「言っておくが、俺にとってはお前も大切な仲間なんだからな。セオにもロンにも、もちろん俺にもできないことができる奴だと思ってる。信頼してるぞ」
「……………………」
 フォルデは一瞬黙り込み、それからぐるっと振り向いて顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そーいうこと軽々しく口にすんじゃねぇこのオタンコナス! てめぇには恥じらいってもんはねーのかよっ」
 ラグは苦笑した。こいつは本当にまだまだ子供だ。
「俺はこういうことは機会があれば口に出して言うことにしてるんだ。――ある人の教えでな」

 城から出てしばらく歩き。まだ落ち込みを続けているセオの肩にロンがぽん、と手を置いた。
「セオ。さっきの俺の行動の説明をしたいんだが?」
「……え? え……あの、はい………」
 その言葉でセオははっと我に返ってロンを見た。自分などに説明をする価値はないようにも思うが、ロンが説明したいというなら自分に止める権利はない。セオとしても、聞けるものなら聞きたい、と思っていたし。
 ロンはセオの横を歩きながら、こちらを見ずに説明を始めた。
「まず、俺が止めたのはな。カンダタ討伐は急いでも意味がない、というのがひとつある」
「………え?」
 思ってもみないことを言われ、セオは目を白黒させた。ロンは指を振りながら説明する。
「セオたちは細かい尋問になると席を外してもらっていたから知らんだろうが。カンダタ一味というのは、予想よりはるかに阿呆な奴らの集まりらしい」
「え……? 阿呆、って」
「あのカンダタの配下から聞き出した限りでは、だが。カンダタは基本的に無計画で行き当たりばったりな盗賊らしいんだ。あらかじめあちこちの都市に潜ませている部下たちに適当な家を探させて、キメラの翼でシャンパーニの塔まで迎えにこさせ、そこからまた目をつけた家に戻って夜闇に乗じて皆殺し。そういう決まりきった手口で犯行を働く奴だそうだ」
「で、でも、ただそれだけならとっくに捕まって」
「それが捕まらないんだそうだ。驚異的な幸運でな。カンダタの口癖は『俺には神の加護がある』だそうでな。どんなにずさんな計画を立ててもそれが失敗したことは一度もない、とか」
「そんな……」
 そんなことがありえるのだろうか。いくら運がいいからといって、無計画に王宮にまで進入して、誰にも見られないで帰ってくる、なんてそんなことができるものなのか?
「だから配下には全員にカンダタ一味という刻印の入った首飾りなんて持たせているし、散らばらせた配下が小遣い稼ぎをするのも見逃している。幸運とやらを信じきり、官憲をまるっきり舐めているのさ。――カンダタも一味の奴らもな」
「…………」
「だから、奴らが居場所を変えることは絶対にない。どころかこちらに居場所がバレているということすら気づかないだろうよ。つまり、急ぐ必要はないわけだ。わかるか?」
「………で、も………」
 セオはこんなことを言ってロンが気を悪くしないかと思いながらも、おそるおそる主張した。
「それは、カンダタ一味の人たちが、また犯行を重ねない理由には、なってない気が、するんです、けど……」
「……やっぱり君は頭は悪くないな」
 ロンに微笑まれ、セオは慌てて手を振った。
「そ、そんなことないです! 俺、本当に、頭悪いし、要領もすごく悪いし……」
「それはともかくとして。――宿屋に行こう。人に聞かれるとまずい話になる」
 ロンが真剣な顔で言う――セオは、ごくりと唾を飲み込んでうなずいた。

 宿にはもうラグたちが買い物を済ませて帰ってきていた。ロンは全員を集めると、セオに隠行の結界を張るよう指示した。セオは結界術は一通り習得しているので、その指示に従ったのだが。
 ロンの最初の一言に、思わず仰天した。
「――ロマリア王は、セオを自分の部下にしようと考えてる」
「え!?」
「はぁ!?」
「……なるほど」
 ロンはそれぞれの反応を返す三人を、落ち着いた目で眺めながら続ける。
「ロマリアには現在、勇者がいない。まぁもともと勇者の出にくい土地柄だってこともあるんだろうな。とにかく、他国の侵略に踏み切れないのと、版図は世界最大なのにもかかわらず列強の中でどうしても今ひとつでかい顔ができないのは、それが理由なわけだ」
「で、でも、だからって、俺みたいな、奴……」
「確かに君は卑屈だし扱いにくいが、ロマリア王は思い通りに動かせる自信があるんじゃないか。自分の言うことを聞くのが当然みたいな顔してたし。卑屈なら自分の言う通りに動くだろうなんて甘いことを考えてたんだろう」
「……つかさ。他の国の勇者を王が奪い取るなんてことできるのか?」
「普通はできない。勇者は国の最大戦力だ、どんな国だって手放すわけがない。だが、アリアハンでのセオの評判は最悪だ。王にすら信頼されていないと聞く。それなら奪い取れないことはない、と自信過剰な奴なら考えるだろうな」
「……どうしてそう思ったんだ?」
「ひとつにはセオをやっきになって歓待しようとするその態度。他国の勇者というのはどこも基本的に敬して遠ざけるという態度を取るのが普通だ。歓迎するというよりセオが自分の陣営にいるとアピールするようなその態度は、そうでも考えなければ説明がつかない」
「……それから?」
「カンダタの居場所がわかったというのに、積極的に掃討作戦を進言するどころか魔法使いを出すのを拒んだ点。――ありゃ、ロマリア王はカンダタを倒してこいなんて思ってないぞ。むしろ失敗しろと思ってるな」
「は? なんでだよ」
「そうすればセオに借りができて、つけこむ第一歩になるからさ」
「―――――!」
 セオは顔面蒼白になって立ち上がった。ラグとロンとフォルデがセオの顔に視線を集中させる。
「どうした?」
「それ……それ……本当、なんですか?」
「俺の推測だからな。本当のところはわからんが、さほど的外れじゃないと思う」
「そんな―――そんな―――」
 セオは堪えきれなくなって、ぼろっ、と目から涙をこぼした。目をこすりながら、うっくうっくと泣く。
「おい……てめぇ。なんでそこで泣くんだよっ!」
「だって……だって! うっ、王様が……ぐすっ、自分の国を、国民を守る役目を負ってる王様が、ひうっ、そんな、国民を守らないなんてそんな――そんなの……駄目なのにって……う、うう――っ」
「だからっててめぇが泣いてどうすんだ! なんの役にも立たねぇ上にウザいだけだろーがボケッ!」
「う……ごめんな、ごめ、ごめんなさいぃぃ……」
 心から申し訳ないと思うのに、泣き止まなくちゃと思うのに、涙が止まらない。ひどく、たまらなく苦しくて悲しかった。王が、人々を守るべき存在が。盗みに入った家の人間を皆殺しにするような人間を放っておくなんて。人々を裏切るなんて――
 そんなことはありえないはずのことだったのに。
「……俺、ロマリア王に、もう一度会いに行ってきます」
「………はぁ!?」
「ロマリア王と話して、そういうことはしないでくださいって、説得しに行ってきます」
「………こんの、クソボケタコガキ………!! てめぇは阿呆か、そんな話王族なんぞが耳を貸すわけねぇじゃねぇかっ! あいつらは自分が間違ってるなんて死んでも認めねぇ人種なんだからな!」
「そういうお前もかなり自分の間違い認めん人種だと思うが」
「んだと!?」
「………セオ。君がそういうことを許せないと思う気持ちは尊いものだと思うよ」
 ラグが立ち上がってぽん、とセオの肩に手を置いた。自分が間違っていると説得しようとしてるんだ、とまた泣きそうになる。
「だけどね。ロマリア王宮の腐敗は、ロマリアの人間が正さなくちゃならないことだよ。君の問題じゃない」
「………………」
「一人の人間、ことに王族の性根を叩き直すなんていうのは、そう簡単にできることじゃないよ。一人の人間が一生をかけてもできるかどうか難しいってくらいの難問だ。君はバラモスを倒すために旅に出たんだろう。なのにこんなところでこんな問題にかかずらっていても、いい結果はもたらさないと思うよ?」
「…………でもっ…………」
 セオはやはり堪えきれずぽろぽろと涙を流しながらも、必死に訴えた。自分が間違っているのだろう、それはわかっている、自分にはすべきことがある。だけど。
「俺………放っておくの………いや、ですっ………!」
「………甘ったれたこと言ってんじゃねぇこのクソボケガキ!!!」
 がつん、という衝撃。
 セオが泣き濡れた目で見上げると、フォルデが立ち上がって息を荒げながら拳を突き出しているのが見えた。ひどく激昂した目でこちらを、セオを睨みつけている。殴られたのだとわかった。
「てめぇ何様のつもりだ。え、てめぇみてぇなガキになにができると思ってやがんだよっ! てめぇが勇者だからなんでもできると思ってんのか、ふざけんじゃねぇぞクソ野郎! てめぇごときがなにしたってなんも変わりゃしねぇんだ、それもわかんねぇで夢みてぇなこと言ってんじゃねぇっ!」
 フォルデは怒っていた。これまでにも何度も怒っていたが、そういうのとは桁違いに怒っていた。
 なんだかよくわからないけど――フォルデは自分の言葉で、傷ついている。
「ごめ……」
「……っ! 謝るくらいなら最初から言うんじゃねぇこのクソッタレ野郎っ!」
 ばぎっ、とまた全身の力を込めてフォルデがセオを殴る。セオの鼻からぶふっと鼻血が噴き出た。
 だがそんなことはどうでもいいことだ。なにか言わなきゃ、言わなくちゃ、と必死に頭を回転させて、か細い声で懸命に頭に思い浮かんだことを伝える。
「ごめんなさい……でも、俺………放っておくの、嫌、なんです。俺なんかが嫌なんて思ってもぜんぜんどうでもいいことだと思うんですけど、放っておいちゃいけないって、思うんです。放っておくのはよくないことだって……だから、俺なんか本当に、大したことはできないでしょうけど、できることがあったら、しなくちゃって……」
「…………っ! いっぺん死んでその脳天気な頭の中身入れ替えてこいこのボケタコ野郎っ!!」
 がづん、とフォルデはもう一度セオを殴り、顔を真っ赤にしながらどすどすと部屋から出て行った。ロンがすかさず立ち上がる。
「一刻で戻る」
「わかった」
 ラグも立ち上がり、荷物から布を取り出して宿が用意した水に浸し、軽く絞った。それからセオに向き直る。
「見せてごらん。傷が深かったら薬草使うから」
「え……! そんなの駄目です、そんなことしなくて大丈夫です、俺なんかのためにそんなことする必要ぜんぜん――」
「もう言ったと思うけどな。――俺は君を仲間だと思っている。だから君も、俺たちを仲間だと思ってくれないか」
 セオは呆然と、歩み寄って鼻血を拭くラグを見つめた。仲間だと思ってくれ? どういうことだろう。自分にはラグたち三人以外に、仲間なんていないのに。
 ラグは鼻血を拭き、傷を確認してにこっと笑った。
「うん、大丈夫。ちょっと鼻の中が切れただけだね。――痛かった?」
「は、いえ、そんなことないです、俺なんか……それよりフォルデさんの方こそ拳傷ついてたらホイミしてあげなくちゃ――」
「やめておいた方がいいよ。フォルデはしばらくは君に助けられたいとは思わないだろうから」
 セオはうつむいた。やっぱり自分などが偉そうにあんなことを言ったから、フォルデに嫌な思いをさせてしまったのだ。
 でも――どうしてフォルデは、傷ついたのだろうか。自分などがフォルデを傷つけられるほど大きな存在だとは思えないのに。
 落ち込みながらも首を傾げるセオに、ラグが落ち着いた、優しい声で告げる。
「セオ。なんでフォルデがあんなに怒ったのか、わかるかい?」
「………い、いえ。俺、頭、悪いから」
「君は頭は悪くないと思うよ。――だから、考えてごらん。フォルデがなんであんなに怒ったか。……まぁあれは俺は半分くらいは八つ当たりみたいなものだと思うけど、それでも君があいつの感情を心の底から気遣うことは悪いことじゃない。君にもいい経験になると思うよ」
「…………」
「それから、ね」
 ラグはぽんぽんと背中をたたきながら、にこりと笑う。
「カンダタを倒す時までに、ロマリア王にどう対処するか、それについても考えておこうよ。俺は役に立たないと思うけど、必要ならいくらでも協力するから」
「え、でも」
「俺は俺が言った言葉は正論だと思う。出会った問題全てに首を突っ込んでいたら、いくら体があっても足りない。その人の問題はその人自身が解決すべきものだ」
「…………」
「でも、君が放っておきたくないと思う気持ちも、ロマリア王のやり口が気に食わないって思う気持ちも、俺はわかるつもりだから。君ができる範囲でなんとかしようとするなら、協力するよ」
「…………ごめんなさい……ごめんな、さい……ごめ、ん、な、さい…………!」
 セオは顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。ラグが慌ててセオの頭を撫でつつ聞く。
「ど、どうしたんだいセオ、俺、なにか悪いこといったかい?」
「ちが……ちがいま……」
 泣き声ばかり漏れて会話にならない。だが、セオはそのくらい申し訳なくて申し訳なくてしょうがなかったのだ。
 自分がどれだけわがままで、自分勝手で、思い上がっているか、フォルデの言うより何倍ひどい人間かわかっているのに――それでも、ラグの言葉が嬉しくて嬉しくてたまらなかったから。

戻る   次へ
『君の物語を聞かせて』 topへ