ロマリア〜カンダタ――5
「……ロマリア国王は、もしかしたら本格的に国内統一事業に乗り出す気かもしれんな」
「は?」
 怪訝そうな顔になるフォルデに、ロンは少し馬鹿にしたように(この少し≠フ配分が難しいのだ)微笑みかけてやる。
「おや、お前、知らんのか? ロマリアのお家事情」
「……っせーな、アリアハンにいたのにんなもん知るわけねーだろっ!」
 顔を真っ赤にしてふんっとそっぽを向いてしまう。フォルデからいかに自分の思うような反応を引き出すかは最近のロンのお気に入りの遊びだった。
 ロマリアを出て、三週間近く。その間、全員睡眠時間は最低限で、時間ぎりぎりまで街道を歩きまくっているのだ。楽しみがなければやってられない。
 これはセオの提案だった。いつものごとく泣きそうな顔をしながら、それでも強硬に主張したのだ。
「少しでもっ、カンダタの被害を減らせるように、頑張って早くシャンパーニの塔に向かったほうが、いいって……」
 ラグもロンも(自分はかなり渋々とだったが)その主張を受け入れ、シャンパーニの塔までは聖水を絶やさず撒いて全力で移動することに決まった。フォルデも仏頂面ながらも反対はしなかった。
 フォルデ――彼はセオを殴って逃げ出したあと、しばらく街中をさ迷い歩いていた。気配に聡い盗賊という職業でありながら、自分がつけているのに気づかないぐらいどっぷりと落ち込んでいるのが傍目にもわかった。
 おそらくフォルデは、セオの言葉がたまらなく悔しかったのだろう。
 フォルデには、あんな言葉をかけてくれる人はいなかったのだろうから。
 まぁそんなことはセオには関係のないことだし、迷惑な八つ当たりではある。だがそれは当人が一番よく知っていることだろう。そうでなければあれほど落ち込みはしない(なんのかんの言いつつフォルデは自分の弱さを憎む型の人間ではあるし)。
 だからフォルデがこのあとセオにどんな態度を取るかわくわくしていたのだが、フォルデは一刻ののち自分からセオたちのところへ戻っていっても、しばらくセオとは口を利かなかった。
 要するに気まずいから無視することにしたのだろう。自分の中のわだかまりをセオのせいにして。
 ラグは注意していたようだったが、そんなことをしなくてもフォルデは数日でなし崩しに元のような口を利くようになっていった。
 ああいう奴がそうそういつまでも人を無視するなんて根の暗いことできるわけがないのだ。セオは彼特有の論理で、無視されるのも当然だという顔をしていたが。
 それはさておき、旅へ出る日まず自分たちはロマリア国王の手のものの尾行を撒くためにキメラの翼で近くの村まで移動した(そこまでならはっきりした記憶があったのだ。ロンはカザーブやシャンパーニ方面まで行ったことはあったが、もう昔のことで記憶も薄れている、キメラの翼で複数を運べるほどはっきりした形象化はできなかった)。ロマリア国王の腹積もりとしては豪奢な式典を行いセオの顔と目的を宣伝することで、自国の勇者であるがごとく扱うつもりだろうということで意見が一致したからだ(ロマリア王宮に入った時から監視をつけていたのも、セオがロマリア王の使命で旅に出ているという噂を周囲にばらまくためだと思われた。おそらく放っておけば旅に出てもついてきただろう)。
 だから自分たちを逃がすのは歓迎すべからざる事態だろう。ロンとしては監視されているということ自体が気に食わず、とっとと逃げ出してやると王宮に上がった時から心に決めていたのだが。
 ともあれ自分たちは今頑張ってシャンパーニの塔を目指しているところなのだ。とりあえずの目的地はカザーブ領の主都カザーブ。街道はそこからシャンパーニ領に向かっている。
「セオは知ってるよな? ロマリアのお家事情」
「え、えと、その、はい。で、でもっ、それは俺がたまたま勇者で、世界中のことを知らなくちゃならなかったからで、本当なら他国の詳しい事情なんて知らないのが普通で」
「………うるせーっ! てめぇ俺のこと馬鹿にしてんのかそれとも回りくどい自慢してんのか! 知ってるなら堂々と自慢すりゃいいだろうがよ無駄にへりくだってんじゃねぇぇっ!」
 うむ、やっぱり怒った、とロンはほくそえむ。セオが絡むと本当にフォルデは決まりきった反応しかしない。セオの態度が変わらないのだから当然だが。
「ま、せっかくだから教えておいてやろう。セオ、説明してやってくれ」
「え!? お、お、俺、がですか!?」
「てめぇ自分で話ふっときながら投げっぱなしにする気かよ!」
「お前たちに交流してもらおうという親心だ。セオ、それともこいつに説明するのは嫌なのか?」
「そ、そんなことっ! ……わかりました、説明、します……」
 セオはフォルデに向き直り、泣きそうな顔になりながらおずおずと説明を始めた。
「あ、あの、ロマリアっていうのは、本来、いくつかの、有力な国が集まってできたものなん、です。有力な国が覇権を巡って争い合って、疲弊した結果、ある人の、それらの国が集まってひとつの統一連邦を創り出すという提案が、受け入れられました。その人がロマリアの初代国王、なんです」
「………だからなんだよ」
「だ、だからっていうか、ロマリアは王権が弱くて諸侯の力が、強いんです。侵略行動に出られないのは、そのせいって言われてる、くらいで」
「だからなんだってんだよ!?」
 セオは目に涙を溜めながらも(フォルデもこの二ヶ月でそのくらいのことにはすっかり慣れたようだ)、必死に説明する。
「だ、だからっ、ロンさんは、国王は、王権を強めるために、勇者を引き入れて、ロマリア直轄領の国力を高めようと、してるんだと、考えてるんだと、思います。軍事強国って言っても、ロマリア直轄領、つまり王族の人たち、なんですけど、この人たちの持ってる軍の中核は、傭兵ギルドの傭兵たちです、からっ」
「………ふーん」
 いまひとつぴんときていないような顔はしながらも、フォルデは黙った。そこにロンが軽い声をかけてやる。
「ちなみにロマリアが豊かなのは各種ギルドが強い力を持っていて競争が活発だからって理由もあるんだそうだ。そこらへんは盗賊として押さえておくべきところなんじゃないか?」
「うるせぇてめぇにゃ関係ねーだろーっ!」
 即座に叫ぶフォルデに、ロンはくくっと笑い、セオはまた泣きそうになっておろおろとした。まぁここら辺の反応はいつも通りなわけだが、それはそれで面白い。
「おーい、みんな。ちょっと提案なんだが」
 薪を集めてきたラグが薪を置くと、ひょいと手を上げて注目を集めた。
「んだよっ」
「思い出したんだが。ここからちょっと行った先に、すごろく場があるんだ。ものは試し、ちょっと行ってみないか?」
『すごろく場?』
 フォルデとセオは声を揃える。だがその次の反応は正反対だった。
「すごろく場ってあれか、自分を駒にしてすごろくして、勝ったら宝が手に入るってやつか! 面白ぇ、ぜってー宝手に入れてやるぜ!」
「あのっ、そのっ、俺なんかがこんなこと言う資格ないってわかってるんですけどっ、あの、今は、カンダタを捕まえることに、集中すべきなんじゃないかって……ごめんなさい………」
 また泣きそうになってうつむくセオに、フォルデはまた怒り心頭に達したという顔をして怒鳴る。
「馬鹿かてめぇは、言いてぇことがあるなら最後まで自信もって言いやがれタコッ! ぐだぐだ情けねぇ面晒してんじゃねぇボケッ!」
「まぁまぁ、フォルデ、落ち着け。――セオ、君の言いたいこともわかるけれど、この一ヶ月俺たちはずっとひたすらに歩き詰めだったろう? 気分転換も必要だと思うんだ。それに、すごろく場で宝物を得ることができればこれからの旅に役立つし、ね? どうだろう?」
「………ごめん………なさい………!」
「てめぇ阿呆かいっぺん死ね謝りゃいいってもんじゃねぇって何度言やわかんだよボケタコッ!」
「フォルデ。……一緒に来てくれるかい、セオ?」
「………はい………」
 涙を溜めながらうなずくセオに、フォルデは不快げに鼻を鳴らしラグは軽く笑ってぽんぽんと頭を叩く。
 ロンは特になにも反応せず無言で立ち上がった。その方がセオが怯えていい表情を見せてくれるとわかっていたからだ。

 すごろく場というのは、古代遺跡の一種だ。
 古代帝国時代に作られたいわば遊技場で、巨大なすごろくの上を自らが駒となって移動する。止まったマスによって能力が上がったり下がったり、魔術によって作り出された魔物の幻影と戦うことになったり(実際に傷すら負うほど現実的な幻影なのだが)、上がった時とはまた別の宝物が手に入ったりする。
 この宝物は全て古代の驚異的に強力な魔術で創られた、遊び手の心の中の宝の具象化だ。だから人によって得られる宝はまったく違うし、宝がなくなることもありえない――遺跡に付与された魔力が消えない限り。
 ただ、一人の人間は同じ場所から二度宝を得ることはできない、と決まっていた。上がった時の宝もすごろくの途中で得られる宝も、だ。つまりすごろく場の宝を隅から隅まで探索してしまえば、その人間にとってそのすごろく場はやってもほぼ無駄、ということになる。
 だがそれでも誰にでも手軽にスリルと冒険が味わえ商品も得られるといううまみから、一度やってみる価値はある娯楽としてすごろく場は有名だった。
 すごろく場で遊ぶにはすごろく券という券が必要になる。これはすごろく場の魔力を起動させる魔法具であり、魔力を付与された紙切れだ。もちろんすごろく場で売ってはいるが、かなり割高なので庶民は市場に流通しているものを使う。
 なぜか魔物の中にはすごろく券を懐に忍ばせているものが多く、市場にもわずかだが流通しているのだ。冒険者たちはたいてい魔物から直接手に入れたものを使った。今回自分たちが使うのも、ここまでの道中で魔物から手に入れたものである。
「………はー………」
「ふわー………」
 フォルデとセオはすごろく場に入ると、感心したように周囲を見回した。すごろく場は城館のような外観に違わず、内装も雰囲気も派手で豪奢だ。サイコロをかたどった黄金のオブジェに銅像。部屋の中に池やら花畑やらを配置していたりする。
 そこら辺を歩いている人々もいかにも金を持っていそうな派手な人ばかり。アリアハンという質実剛健な気風の国でしか生きてこなかった少年たちには、こういう雰囲気は珍しかろう。
「わぁ……この絨毯とか蝋燭とか花とか、全部ロマリアが管理してるんですよね……すごいなー」
「その分儲けているからな。すごろく券代に中での食事代。すごろく場直通のルーラ便の利益だけでも相当なもんだ」
「ふーん……くくっ、こーいうとこ来ると腕が疼くぜ。どいつもこいつも馬鹿面晒した金持ちばっかだ」
 笑って指先をわきわきさせるフォルデに、セオは一瞬なにか言いたげな、切なそうな顔になる――だが、結局口をつぐんだ。じろりとフォルデがセオを睨む。
「なんか言いてーことでもあんのかよ」
「いえ、あの……その、いえ、ない、です………」
「けっ」
 フォルデはふんと鼻を鳴らした。まぁセオのような子にしてみれば盗みは罪悪だろう。そうでもしなければ生きられない人間のことも、この子はその頭のよさで理解しているのだろうが。
 そういえば、ラグが前に『セオは自分が食うに困らない暮らしをしてきたことにも罪悪感を抱いている』とか言っていたな、と思い起こし始めた時、階段が目の前に現れた。広々としたつくりの螺旋階段だ。
 豪奢な細工が施された階段を上ると、人が騒がしく群がっている間から人間大ほどの高さまで伸びる建造物が見える。それが、すごろく場だ。
「お! これがすごろく場か!」
 フォルデは軽く背伸びをして人の間からすごろく場の姿を垣間見ようとする。その顔は好奇心に満ち、彼が未知の体験に胸をときめかせているのは誰が見てもわかった。
 まぁ、ここは楽しませておいてやるか。たまには飴を与えるのも悪くない。
「こっちに並ぶんだ。一個しかないとはいえ同時に何人も遊べるからな、そう待ちはしないですむぞ」
「お前ここに来たことあんのか?」
「ああ、一度だけな。ラグもあるんだろう? ここのすごろく場は比較的来やすい……というかロマリア〜カザーブ間の街道からすぐだしな」
「まぁな。一応上がって宝物をもらってる」
「へー! なにもらったんだよ?」
「今持ってる盾」
「……って、鉄の盾? ……意外としょぼいな」
「その頃は駆け出しだったからな、それでもずいぶんありがたかったんだ。……まぁここのすごろく場は上がってもまず宝物と呼べるほど価値のあるものは手に入らないが、旅に役立つものはあると思うぞ。途中で掘り出し物があるかもしれないし」
「ふーん……よし、じゃあ並んでくっか」
 フォルデは道具袋からすごろく券を取り出し、袋をラグに渡した。ラグはそれをセオにそのまま渡す。
「え、あの、え?」
「セオもやるだろ? すごろく券はまだ予備があったから遊んでくるといいよ」
「え、え、でも」
 慌てたようにセオは周囲を見渡し、泣きそうになる。大方またいつものように『自分なんかがすごろく券を使っちゃ駄目だ』とか言いたいのだろう。さっきまでフォルデに負けないほど目を輝かせてすごろく場に見入っていたのに。
「……いやなのかい?」
「い、いやじゃ、ない、ですけど、俺……そんなこと、していい、奴じゃ……ごめんな……」
「……あーっ! もううっぜーな!」
 フォルデががーっと頭をかき回して、ぎろりっとセオを睨んだ。当然のようにセオは泣きそうな顔で怯える。
「てめぇやりてーのかやりたくねーのか! どっちなんだはっきりしてみろこのボケ勇者っ!」
「あ、あの、俺、……そのっ」
「くだんねー気遣いとかしてる暇があったらさくさく自分の意見口にしてみやがれこのスッタコ野郎! どっちなんださっさと言えボケッ!」
「ご、ごめんな……やりた……ですっ」
 半泣きになりながらセオが言うと、フォルデはふん、と鼻を鳴らしてすごろく券を差し出した。
「……あの………?」
 不思議そうな顔になってフォルデを見上げるセオに、フォルデはぎっと殺気をこめてセオを睨んで怒鳴る。
「とっとと受け取りやがれてめぇ状況把握もできてねぇのか俺が手に入れたすごろく券山分けだっつってんだよタコ!」
「は、はいぃぃっ」
 セオがおそらくは反射的にすごろく券を受け取ると、フォルデはふん、とまた鼻を鳴らして列の並びに向かった。
 ラグが少し呆れたように言う。
「あいつ、もしかしてあれで謝罪の意を伝えたつもりじゃないだろうな?」
「いや、本人は意識してないだろ。セオに謝るなんて真っ平ごめんって思ってるだろうからな。でもなんとなく後ろめたいから、普段より少し親切なんだろ?」
「………あの………なんで、フォルデさんが、俺に謝るんですか?」
 不思議そうな顔でセオが首を傾げる。予想通りの台詞にラグとロンは苦笑した。
「フォルデが君に八つ当たりしたからだよ」
「そ……んなこと、フォルデさんはしてません」
「したさ。君とは関係のない理由で君を殴った」
「え!? だって、あれは、俺がいけないんです、俺が甘いから、俺が怒られて当然のことを言ったから――」
「だが君はそれが間違っているとは思っていないんだろう?」
「………………は………い」
 ぎこちない動きでうなずくが、すぐばっと顔を上げて言い募る。
「でも! 俺なんかがあんなことフォルデさんに言う資格なかったんです、俺なんかが言っちゃいけないことだったんです、だってそのせいで、フォルデさんは、傷ついて――」
「………セオ」
 ラグはまた苦笑し、ぽんぽんとセオの頭を叩いた。
「そういう風に、自分を軽んずるのはよした方がいい。自分にも、相手にも失礼だよ。フォルデだって君を大好きとはいかないかもしれないけど、君が一個の人格であることはちゃんと認めてるんだから」
「………え………」
「なに勝手なこと言ってやがるラグっ!」
「おや」
「フォルデ……?」
 ぜーはーと荒い息をつきながら背後から怒鳴ったのはフォルデだった。手にはすごろく券を握り締め、激しく息を乱しながらもぎろっとこちらを睨みつける。
「勝手にわかったようなこと抜かしてんじゃねぇ、たかだか二ヶ月一緒にいたくらいでてめぇらに俺の何がわかるってんだっ!」
「二ヶ月も一緒にいればだいたいの性格くらいはつかめると思うが……フォルデ。お前、もう落ちたのか?」
「…………っ!」
 フォルデはかーっと顔を赤くして怒鳴った。
「ほっとけっ!」
 そしてどすどすと足音も荒くすごろく場の列にもう一度並ぶ。
「おやおや、ムキになってまったく」
「あの、落ちる、って……?」
「ああ、すごろく場の中にはな、落とし穴があるんだ。そのマスに止まったりとか、特に何もないところで足元を調べてみると落とし穴ができるマスとかがな。だからうかつに足元を調べたりしない、というのが上がるための鉄則なんだが……」
「てめぇんなこと言わなかったじゃねーかっ!」
「こういうことは自分で体験して知るのが醍醐味だろう」
 列のほうから怒鳴るフォルデにしれっとした顔で返す。
「ほら、セオ。君も並んできたら? 早く行かないといつまで経っても遊べないよ?」
「あ、え、あの、う………じゃ、ちょっとだけ、行ってきます………」
 またも泣きそうな顔になりながらも、セオはすごろく場の列に並んだ。自分などが楽しんではという罪悪感でいっぱいになりながらも、好奇心は抑え切れずちらちらとすごろく場の方を見ている。
「わかりやすいな」
「あはは……まぁ、素直な子だから」
 ラグは苦笑して、ひょいと自分を手招きした。
「観覧席に移動しよう。あの二人の戦いっぷり、見てみようじゃないか」
「そうするか」
 すごろく場は脇からのぞくこともできるが、その辺りはすごろく場の研究をしようとする人々で混んでいる。観戦するには一段高い観覧席から全体を見渡しつつ、というのが常識だ。
 観覧席は幸いさほど混んでいなかった。最前列の席に座って階下を見下ろすと、ちょうどフォルデがサイコロを振り始めたところだ。
「フォルデの奴、いきなり魔物との戦闘か。あいつ何気に運が悪いな」
「確かに……いや、見てみろ。相手は大烏だ。あいつの動きの速さなら……ああ、やっぱりほとんど傷を負ってない」
「ふむ。棘の鞭で一掃か。まぁ大烏なら当然だが……あいつも少しは腕を上げたようだ」
「まぁ、ロマリアに入ってからもけっこう魔物は出たからね。聖水を撒いても完全に魔物を追いやることはできない……いやむしろ勇者の魔物を呼び寄せる力なのか」
「……お」
「……あー、また落ちたか……あいつの怒る顔が目に浮かぶな」
「早いな……学習能力がないのか運がないのか」
「ロン、それフォルデに言うなよ。一番自分に腹を立ててるのはあいつなんだから……お、セオの番だぞ」
「どれどれ」
 ラグとロンはセオの方に視線を向けた。セオは緊張と興奮を7:3で混ぜ込んだ顔でサイコロを振り始める(すごろく場のサイコロは意思に反応して振られる魔道具だから手で振るわけではないが)。
「お、サイコロを増やすマスに止まった」
「ラッキーだな」
「なんにもないマスを……足元を調べずに通り抜けてる。なかなか要領がいいな、セオは」
「……お、宝箱のマスだ。セオ、すごろく場運がいいじゃないか」
「そうだな……見ろ、魔物が出たぞ」
「どれどれ」
 二人はセオに注目する。いろんな意味でセオがどう戦うか見ておきたい。
 その考えは、期待以上にかなえられた。
「…………なるほど」
「セオはこういうのだとためらいがないんだな。容赦なく魔物を斬ってる」
「魔物の幻影を、な。要するに彼が厭っているのは殺すことじゃなくて命を奪うことなんだろう」
「……お、うまい。同時に三方向から攻撃される直前一歩退いて同時攻撃を防いだ」
「そしてタイミングのずれた攻撃をひとつずつ盾で防御、か。やるな、セオ。あの年齢でよくもまああそこまで修練を積んだもんだ」
「旅に出るまで実戦に出たことはないといっていたが、とてもそうは思えないな。――やっぱり、彼は強い。あの年にしては破格なくらいだ。毎日の訓練も熱心にやってるし……訓練の時でも生き物と向かい合ったらその能力は極端に落ちるけどな。……おお、マミーを銅の剣で一撃で斬り倒した」
「他人に勝っちゃいけない、傷つけちゃいけない、か。お……最後の一匹を倒す前にぎりぎりまで回復してる。なるほど、もうすごろく場の仕組みを理解したか」
「あの子は頭がいいな……能力自体は本当に、勇者って呼ばれてもおかしくないようなものなんだが」
「ま、完璧な勇者なんぞに俺はついていく気はないからな。ああいう子のほうが面白いさ」
「お前な……」
「お前だってあの子がああいう子だから一緒に行こうと思ったんだろう?」
 涼しい顔でそう言ってやると、ラグは苦笑した。
「……まぁ、そういうことなんだが」
「母性本能か父性本能か。それとも趣味か、意地か、誇りか? 面倒なことだな、ラグ?」
 ラグの笑みが一瞬ひどく苦く、自嘲的になる――自分を少し驚かせながらもラグは笑んだまま言う。
「――自己満足だよ」

 結局フォルデは自分の分のすごろく券を使い果たしても上がることができなかったが、セオは一度目であっさりあらかたの宝箱を開けつつ上がってしまった。フォルデが鬼のように機嫌が悪くなったのは言うまでもない。
 上がった時の宝は鋼鉄の剣と500ゴールド。鋼鉄の剣はセオに渡された。
「だ、駄目ですっ、俺なんかがこんな、宝物もらっちゃっ……」
 と当然のようにセオは涙目で反対したが、
「てめぇが手に入れたんだからてめぇが使いやがれボケ!」
「パーティとして一緒に旅している以上、手に入れたものは一番有効に使える人間が使うのが当然だよ。それがパーティの戦力増強になって、全員死ににくくなるんだからね」
「というかお前さん以外に使える人間いないだろう。ラグは今持ってる鉄の斧の方が強力だし」
 と説得されて泣きながら(嬉しいのか嫌なのかわからんなぁとロンは思った)受け取った。ラグは苦笑したしフォルデは怒ったが、ロンはセオの泣き顔が見れて少し楽しい思いをした。
 あまりに宿賃が高いので外の宿には泊まれず、薪を置いた場所に戻って野宿となったのは正直面白くなかったが。

 カザーブ領の主都、カザーブ。山間の盆地の中に広がる宿場町。
 交通の要所にあるだけあって人の数はかなりに多い。ただしその半ばは旅人で、この街の住人の多くは宿屋を経営しているか、細々と農業・林業・鉱業を営んでおり、それほど富んでいるわけではない。
 カザーブ領にはシャンパーニ領やノアニール領ほどの特出的な産業がなく――目立つほどの鉱山も豊かで広大な土地も広大な森林も存在しないので――、財貨を稼いでいるのは大半が交易、それも海路の存在により盛んというには流通量がやや少ないレベルのものでしかない。つまり基本的にカザーブ領は貧乏で、街並みもロマリアなど他の都市に比べればかなり田舎くさかった。
 だがカザーブという街には常に活気があり、ロマリア国内でも確固たる発言力を保有している。その理由のひとつが、ここが武闘家の聖地であるという事実だった。
 かつて偉大なる武闘家が一門を築いたこの地では、それに触発されてか様々な武闘家の門派が乱立しそれぞれに名を遺している。カザーブの建物の三分の一は道場だ、と言われるほど武道が盛んな街なのだ。
 代々のカザーブ候も武道を奨励し、強い門派には莫大な助成金を出す。そしてその代わりに有事の戦力として働くことを約束させるのだ。
 つまりカザーブはロマリアでも有数、すなわち世界でも有数の軍事力を持つ都市という側面を持つ。あくまで遊軍の扱いなのだが、武闘家連合の機動力と戦闘力はロマリア国内でも一、二を争うと評判が高い。
 なので、基本的に荒々しい気風の土地なのだった。
「……変わってないな、この街は」
 道を行き交う逞しい人々を見て、十五年前に一度だけ訪れたときのことを思い出しながらロンが肩をすくめると、フォルデが眉を寄せて聞いてきた。
「お前この街に来たことあんのかよ? なんで?」
「ここは武闘家の聖地だからな。俺の師匠が修行がてらに連れてきてくれたんだ。まぁ聖地といっても、あくまで総元締めはダーマの方なんだが……ここにはそれなりにやる奴が多い。喧嘩するなよ、フォルデ」
「するかボケガキ扱いすんじゃねぇよタコ。……っと、おいコラボケ勇者! なに遅れてやがんだ!」
 苛立たしげに叫ぶフォルデに続いて振り向いてみると、セオはぼうっと見つめていたものから慌てて視線を逸らしたところのようだった。泣きそうな顔になって頭を下げる。
「ごめんなさい、俺、ぼーっとしてて……本当に本当にごめんなさい、俺なんかのせいで、ごめんなさい……!」
「うっせぇタコほいほい頭下げんじゃねぇそんな気力があんだったらちゃきちゃき歩け!」
「ごめんなさい……!」
「てめぇは人の話聞いてんの……!」
「セオ、さっきなにを見ていたんだ?」
 するりとフォルデとセオの間に割り込んで言うと、セオは泣きそうな顔になりながらも答えた。
「洞窟、を」
「どうくつぅ?」
 セオの視線の先にあるのは、街中に唐突に現れる――山中に街を築いたのだから当然だろうが――山肌に開かれている洞窟だった。出入り口を武闘家風の男二人組が直立不動で警護している。
「あぁ、修練場か。まぁ他の街では珍しいものではあるな」
「なんだよその修練場って」
「武闘家の聖地、カザーブ名物。要するに武闘家たちの訓練場だな。場所によって訓練の方法は変わるが、武闘家であれば門派を問わず使用できる。やたら広くて奥深く、奥に行けば行くほど課される修行は厳しくなる。そういうのが街中にいくつもあって広大な地下迷宮を成していて、最奥はどれも繋がっている。カザーブを武闘家の聖地とした偉大なる武闘家の英霊が眠る墓へな」
「墓? そんなとこで修行すんのかよ」
「いや。最奥までたどり着いた者には英霊から託宣が下されると言われている。まぁそこまでたどり着ける者はめったにいないが」
「け。眉唾だぜ」
「まぁな。霊がいるのは教会の共同墓地だし」
「……………………はっ?」
 フォルデが間抜けな声を上げた。セオが興味深げな顔で聞く。
「ロンさん、その霊さんと会われたこと、あるんですか?」
「まぁな。気のいい人ではあるんだが、いかんせん姿が骸骨というのがいただけない」
「え……幽霊って生前の姿で出てくるんだと思ってました」
「まぁたいていはそうなんだが、あの人はこっちの方が楽だと言ってめったに人の姿になら――」
 急にフォルデがすたすたと足を速めだした。セオはきょとんとしたが、ロンは当然にやりと笑って素早く後を追う。
「まぁそう急ぐなフォルデ、いい話をしてやろう。俺が故郷にいた頃会った霊の話なんだが――」
「うるせぇボケこの世に幽霊なんて存在しねぇんだ怖い怖いと思うからそう見えるだけなんだ」
「なにを言うんだこの世に未練を残した魂や魔力の加減で霊魂のまま世にとどまる例はいくらでもあるんだぞ? ぴちゃり、ぴちゃりと水をしたたらせながら毎日毎日少しずつ部屋に近づいてくる霊の話でなぁ」
「黙れタコ聞くとか言ってねぇだろてめぇは黙ってボケ勇者と仲良く話してろ」
「一日ごとに近くにある扉を開けて、『ここでもない……』『ここでもない……』と言いながら少しずつ部屋に近づいてきて」
「黙れっつってんだろアホボケ死ねバカっ!」
「ひた、ひた、ひた、と水に濡れた足音がゆっくりゆっくりと自分の部屋の前まで歩いてきて」
「うぎゃ――やめろバカ黙れ喋るななんも言うな――――っ!」
「みんな、あそこの宿はどうだ……って、お前ら何してるんだ?」

 宿でもさんざんフォルデをからかって(ラグにたしなめられセオに泣かれた)、当然フォルデと喧嘩になって勝利して。夕食を終えた自分たちは、部屋で作戦会議を開いていた。
 シャンパーニの塔まではあと一ヶ月あるが、今のうちから少しずつ対カンダタ用の作戦を立てていこう、ということになったからだ。
「まず、再確認するぞ。カンダタ一味はカンダタを入れて総勢三十六名。うち二十一人がレベル5以下の半人前だが、十人はレベル10程度の能力を持ち、幹部はレベル15から20、カンダタに至ってはレベル26だ」
 セオもフォルデも真剣な表情で話を聞いている。自分もここは真面目になっておくところだと判断し黙ってラグの話を聞いた。
「カンダタの職業は山賊――つまり盗賊より隠密・探索能力は低いが戦闘能力は高い。これだけのレベルの奴らと真正面から戦ったら、当然ながらこちらに勝ち目はない。回復役はセオしかいないんだからな。呪文戦力もないし。つまり、相手に力を発揮させないままに速攻で勝利する必要があるわけだ」
「火ぃつけて全員焼き殺すとかはどうだ?」
「……古代遺跡だぞ? そう簡単に火はつかないよ」
「じゃあ煙で燻し出すとか」
「構造上無理だな。カンダタの居場所には出口がいくつもあるんだ、煙で燻してもまだ煙が来ていないところから脱出するだけだろう」
「……ってめーら人の意見にケチつけられるくらいなら自分はさぞ立派な意見持ってんだろうなぁ!?」
 ラグと目を見交わし合図しあって、ラグがまず口を開いた。
「そうだな、俺の意見は……」
「あ………あのっ」
 か細い、だが必死の思いをこめた声がした。――セオだ。
「どうしたんだい、セオ?」
 ラグは当然そう聞く。フォルデと自分もセオに視線を向けた(フォルデはぶすっとしながら)。
 セオはうっと涙ぐんだが、それでも震える唇を必死に動かして、言った。
「あの……俺に、カンダタさんと、話をする機会を、設けてくださいませんか」
『…………………』
「捕まえたあとにっていうことかい?」
「いえ、あの……捕まえる前に。戦う前に、俺にカンダタさんと話をさせてほしいんです。……投降するように、説得、したくて」
「………はぁぁ!?」
 ばっと立ち上がってセオにくってかかったのは当然フォルデだった。
「阿呆かてめぇ! 相手が説得に応じるような奴かどうかもわかんねぇのかっ、向こうはもう何十人も殺しまくってんだぞ、捕まれば当然死罪だ! そんな奴説得できるとでも本気で思ってやがんのかっ!」
「……ごめんなさい……ごめんなさい、でも………!」
 セオは必死を絵に描いたような顔でフォルデを見上げる。
「相手は、人、なんですよ? 俺たちと同じ、互いに守るべき同族なんですよ? そんな存在と戦って、傷つけあって、殺しあって、そんな、そんなの、よくない、です……」
「てめぇ脳味噌湧いてんのかまともにもの考えてんのか! 相手はこっちを殺す気でくんだぞ、こっちだって殺す気でいかなきゃこっちが殺されるに決まってんだろうがっ!」
「でも、でも、人殺しは、同族殺しは、一番避けなきゃ、全力で避けなきゃいけないことで、誰も、誰も、そんなこと本当はしたくないはずでっ、避けるために全力を尽くしたあとの最後の最後の手段にするべきだと、思っ……」
「甘いこと言ってんじゃねぇ世間知らずのクソガキが……!」
「二人とも。落ち着け」
 ラグが立ち上がって二人の間に割って入った。
「落ち着けってなぁ!」
「まず、フォルデ。人だろうがなんだろうが無駄な殺しは避けるっていうのは長生きするための鉄則だぞ。つまり、できるだけ殺すのを避けようとするというのは基本姿勢としては間違ってない。お前だってわかってるんだろ?」
「………っ………けど、こいつは!」
「ああ、わかってる――セオ。君の言うことも理解できるつもりだよ。俺も人殺しは嫌いだし、それを避けるために力を振り絞るのも当然のことだと思う。だけどね、セオ」
 セオの肩に手を置いてじっと目を見ながら言う。
「殺すことをためらうことは、自分を殺すことになる」
「…………」
 セオが少し呆然とした顔でラグを見る。
「でも……でも、人を殺すことは……」
「ああ、もちろん避けようとはする。だけどいざ戦場に立ったらためらいは死に繋がる。人であろうと魔物であろうと、敵は殺さなくちゃ生き残れない。――戦いの場では、殺さなければ生きられないっていうことが、本当にあるんだよ」
「でも……でも……」
「セオ。俺は君に死んでほしくない。だから、君の殺すことを避けようとする心は大切なものだと思うけど――その時になったら、ためらわないでほしい」
「だけど……!」
 ぼろぼろ涙をこぼしながら首を振るセオに、ラグは微笑んで言う。
「――こんなことを言っても本当に自分で納得しなくちゃなんの意味もないんだよね。だから、俺は君に覚悟を決めろとは言わない。そんなこと言えるほど偉い人間じゃないしね。でも、少しずつでいいから考えてみて。俺たちが君を守っていられるうちに。命を守るための、一瞬の選択の方法を」
「…………ごめん………なさい…………」
 セオは泣きながらうつむいた。こりゃこの子全然納得してないな、とロンは肩をすくめる。
 本来ならこんなおせっかいを焼くラグではないだろう。殺す覚悟なんて下衆なもの、わざわざ持てというほどこいつは悪趣味ではない。
 そういうものは、それぞれが戦いの中で否応なしに手に入れていくものなのだ。――自分の命を守るために。
 だがセオは、これまでずっと殺すことを避けてきた。魔物がどれだけ出ても自分の身を守るだけで、殺そうとはしなかった。
 これまではそれができるほど魔物との間に力の格差があった――しかしカンダタとの戦いは全力を出さねば死ぬことになるだろう。これまで通りにやっていてはセオの命が危ない――だからこんな無粋な真似をしているのだ。
 ――そしてたぶん、ラグも少しばかり不安なのだろう。
 セオは、自分の命が危険にさらされても、本当に殺されるという時になっても――相手を殺そうとはしないのではないか、と頭のどこかでちらつく思考のせいで。

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