ロマリア〜アリアハン――1
 ――目が覚めた時に見えたのは、灰色の天井だった。
 ロマリア建築――といってもロマリアは領ごとにまるで違う国のように文化も違うので、あくまで王都近辺は、ということだが。ともかく王都周辺では基本的に煉瓦を用いた石造りの建築が普通なのだが、ロマリアの土壌と製法の関係でアリアハンとは異なり煉瓦の色は灰色に近いほど薄くなる。
 それを活かした純白の建築など、薄い色の建築物がロマリアでは盛んで、建築様式の典雅なことはエジンベアに次ぐ。特にロマリア建国時に建てられたロマリア城の美しさは世界でも有数と評判だ――そんなことをぼんやりと思い出し。
 それから一気に、意識を失う直前のことが頭の中に蘇ってきた。
「………あ………あ………」
 体ががくがくと――いや、それどころではない。ベッドそのものがぎしぎしと軋むほどに大きく震えだした。
「あ……あ……あ………!」
 ベッドから転げ落ちた。それでも体は震えるのをやめない。体が恐怖のあまり悲鳴をあげている。恐怖と、そして泣きそうになるような激情的な悲嘆のために。
 自分は………自分は、なんて、なんてことを………!
 がすっ、と頭を床に打ち付けた。足りない、こんなんじゃ全然足りない。申し訳ない、本当に申し訳ない、自分は本当になんてことをしてしまったんだ!?
 ぶわっと目から涙が流れ落ちた。次から次へと。もうもうもう、体中の水分が涙として出てしまえばいい。自分なんか本当に、一回どころか百回は死んでしまえばいいのに。
 説得したいってみんなに迷惑をかけて。カンダタ一味の人たちに勝手な考えを押しつけて。そのあげくに、カンダタ一味の人たちを、みんな、みんな殺―――
「あ………あ――――っ!」
 喉も張り裂けよとばかりに、全身を震わせて叫ぶ―――
「セオ。落ち着いて」
「ひ!」
 セオは硬直した。この声は―――
「……なにやってんだよ。てめぇはよ。騒ぐんじゃねぇよタコ」
「まぁ、まだ宵の口だから寝てる奴はいないだろうがな」
「ひ………!」
 自分の、仲間?
 さんざん迷惑をかけて、その期待にも応えられず、それどころか――
 傷つけてしまった、仲間。
「ご……ご……ごめんなさい………」
 セオは丸まって、頭を抱え込みたくなるのを必死に抑えて土下座した。顔なんかとても見れない、合わせる顔なんか全然ない。
 でも、でも、言わなくちゃ。少しでも謝らなくちゃ。自分なんかと一緒にいてくれる優しい人たちに、自分が本当に申し訳なく思っていることを少しでも伝えなくちゃ。
 もう、嫌われて、口も利いてくれなくなっていたとしても。
「ごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい、大口叩いてごめんなさい、なにもできなくてごめんなさい、逆らってごめんなさい、本当に本当にごめんなさい、殴るなり殺すなりどうとでもしてください、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい―――」
『………………』
 はぁ、とため息をつく音が聞こえ、セオの全身は凍りついた。呆れられてる。愛想を尽かされたんだ。当然だこんな奴、今までだってきっと本当は苛々して嫌っていただろうに―――
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい………!」
「セオ……」
 それでも、呆れられていたとしても嫌われていたとしても、自分には謝るしかできない、許しを請うことしか。未練がましいとわかっているけれど手放したくないと願わずにはいられない。
 だって、自分は、ようやく、やっとのことで。
 自分に存在することを許してくれる人に出会えたのだから。
 たとえ、本当は、心の底では。
 自分のことを嫌がっていたとしても。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい―――」
 目の前が暗くなる。心臓が鼓動を止める。体が固まって、動けなくなる。もうどうすればいいのかわからない、ただ謝るしかできない、どうしてこんな自分がオルテガの息子に、いやそれ以前にこの世に、生まれてきてしまったんだろう――
「セオ」
 ぽん、と肩に手が置かれて、セオはびくんとした。体中が恐怖で満たされる。自分の体ががくがくと震えているのがわかった。
 怖い。怖い怖い。殴られても殺されてもちっともかまわないけれど、怖くて怖くてたまらない。
 この優しい人たちに怒られるのが。嫌われるのが。愛想を尽かされるのが―――
「謝らなくて、いいから」
 なんだか、苦しそうな声だった。
 はっと目を見開いて顔を上げる。大丈夫なのだろうかどこか傷を負ってしまったのだろうか早く治さなければ――
 そのとたんラグがこちらを見ている瞳と目があって硬直する。
「セオ」
 ラグがそっと、セオの頭を撫でた。そのセオの頭を覆えてしまうほど大きな手で、優しく。
 セオはわけがわからずに硬直していた。なにをしているんだろう、ラグさんは。あれだけ迷惑をかけて、手間をかけて、結局なにもできなかった自分なんかに、なんで優しくしてくれるんだ?
「傷は大丈夫かい?」
「え?」
「お前さんがひどく痛めつけられた上に攻撃の反動で体中ぼろぼろだったの覚えてないのか? ロマリアに戻ってきてから、あ、ここロマリアな。教会の僧侶に回復呪文をかけてもらったんだが。どこか体のおかしなところはないか? 傷は全部塞がってるみたいだが」
「…………!」
 セオは絶句した。それは、つまり、自分などのためにさらに迷惑をかけてしまった上にゴールドまで使わせてしまったということではないか?
「ごめんなさい………ごめんなさいごめんなさいごめん―――」
 がつっ。
「いい加減に黙りやがれ、このクソボケ野郎」
 顔を上げると、瞳を怒りで燃やしたフォルデと目が合った。ラグの隣で拳を握り締めている。
「てめぇはそれしか言うことねぇのか。なんのために俺らがてめぇを助けたのか、考えてみたらどうなんだ」
「え………?」
 そうだ、なんでだろう。なんでこの人たちは自分を助けてくれたんだろう。
 自分など死んだところで別にどうということもないだろうに。いやむしろ鬱陶しい奴が死んで喜ばしいことだろうに。仲間だと思っているとラグは言ったが、それはあの人が優しいからで、本当は普通よりずっと鬱陶しいと思っているに決まっているのに。
 第一自分が死んだところですぐ教会で生き返らせられるのに―――
 なんで、助けてくれたんだ?
 きょとんとしてラグとフォルデの顔を等分に見比べると、フォルデがぎりっと奥歯を噛み締める音が聞こえる。怒ってる、と泣きそうになったが、フォルデは自分を殴ってきはしなかった。
 その代わりに、言った。
「なんで、お前は、そうなんだ」
 セオは目を見開いた。―――なんだ?
 フォルデは、怒ってるのか? 苛立ってるのか? それを通り越して呆れてるのか?
 それ以外には考えられないのに、自分に対して抱く感情などその類のもの以外ありえないのに。
 なんだか―――悲しそうな顔に、見える?
「俺らをなんだと思ってんだ? 俺らがそんなに信用できないかよ」
「え―――」
 そんな、信用できないなんてそんな。そんなわけないじゃないか。自分はみんなの、ラグやロンやフォルデの言うことを、絶対だと思ってるのに。
「俺らはお前にとってなんなんだ? ご主人様かなにかかよ? ――少なくとも俺は、お前に従者にも奴隷にもなってくれっつった覚えはねぇよ」
「それは俺たちも同じだと思うが? 三ヶ月も一緒にいるんだからそれくらいはわかっておいてほしいんだがな」
「うるせぇ」
 セオは困惑した。妙に気が焦る。自分がフォルデの言うことをなにもわかっていないのではないかという気がする。
 フォルデが言いたいのは自分など奴隷にもする価値はない、ということだろうに――なんで言葉を受け止めきれていないような気がしてしまうのだろう?
「――自分なんか奴隷にもする価値はない、って言われたんだと思ってる?」
 ラグに言い当てられて、反射的に飛び上がりかけた。怒られるんだろうかとびくびくしながらラグを見ると、ラグは静かな瞳でこちらを見つめている。いつも通りのラグだが――
 なんでだろう、ラグもまるで悲しんでいるように思える。口元は優しく微笑んでいるのに。向けられる視線がなんだか、たまらなく、切ない――
「セオ。どう言ったら、君は俺たちのことを信じてくれるのかな」
 信じる? そんな、自分がラグたちの言うことを疑うはずがないじゃないか。自分にとってラグたちの言葉は絶対なのに。
 そう言うべきなのに、声が詰まって言葉が出ない。ただふるふると首を振ったセオに、ラグはどこか切なげな、寂しげな視線のまま言った。
「セオ、相手の言うことを疑わないのと、信じるのは違うんだよ。セオ――君は俺たちの言う言葉に疑問を差し挟みはしていないだろうけど、本当に信じてもいないだろう?」
「そ―――」
 そんなことは――
 ない。ないはずだ。ないはずなのに、口が動かない。
 自分はラグたちの言葉を信じている。そう言えばいいだけなのに、なぜか、口がその言葉を発してくれない。
 信じてる。信じてるはずだ。だって自分にとってラグたちの言葉は、周囲の言葉は、世界の人々の言葉は絶対なんだから―――
「セオ。俺たちは君に、生きていてほしいって思ったんだよ。生き返れるのはわかっていたけど、傷ついてほしくないって思った。君が傷つけられているのを見て、本当に腹が立った。放っておけなかった。君のことが大切だから。――そう言っても、実際に行動しても、君は俺たちが信じられないのかい?」
 ――なにを言ってるんだろう。わからない。
 生きていてほしいって? 傷ついてほしくないって? 腹が立ったって? 大切だって?
 そんなわけない。そんな夢みたいな話は絶対にありえない。
 だって、自分は―――
『―――死んで償え!』
「!」
 セオは硬直した。
『―――この愚か者が!』
「ひ―――」
 雷に打たれたような衝撃が何度も自分の体を走る。手先が、体中が痺れて、動けなくなる。目の前がどんどん暗くなって、息ができなくなった。
『―――お前など生きる価値もない。なんでお前のような奴が生まれてきたのか―――』
 駄目だ、思い出すな――――!
「セオ? どうしたんだい?」
「大丈夫か、おい」
「なにやってんだよ、お前は!」
 仲間たちの声が遠くに聞こえる。――仲間? そんなものがいるのか? 自分などにそんな存在ができるのか?
 ―――できない、できるはずはない。
『―――お前など生きる価値もない。生まれてこなければよかったのだ! お前は―――』
 ………のだから。
(やめて)
 ………たのだから。
(やめてくれ、思い出したくないんだ!)
 ―――あの子を殺したのだから。
「あ………あ………あ、あ、あぁ、あ―――――っ!!!」
「セオ!?」
 体中が、魂が搾り取られて消えそうになる―――
 口から絶叫がほとばしり出た直後に、ばんっと部屋の扉が開いた。
「お客さん、勇者さん! 王様からの勅使が下に来てるよ!」
 ひどく興奮した様子の宿の主の声が、遠くに聞こえた。

 ロマリア王からの勅使は、自分が落ち着くまで一階の食堂で待たされることになった。また自分のせいで迷惑をかけてしまったのだ。
 それだけでも死にたくなるほど申し訳ないのに、身支度を整えて向かったロマリア王宮でも、もう今すぐ自分の首を切り落として差し出すべきではないかと思うほど身の置き所のない思いをさせられた。
 ぷっぱらっぷっぱらっぷっぱっぱっぱー、とトランペットが鳴り響く中、貴族らしき人たちが脇に集まっている謁見の間の中央の豪奢な絨毯が敷かれた道を歩かされ。
 満座の注目の中、儀式用の大きな黄金の冠を返還する儀式が行われた。
 ラグたちが昨日――自分はロマリアに戻ってきてから一日近く意識を失っていたのだ――ロマリア国王に報告(カンダタの盗んだ金品はすべて回収したこと、カンダタの一味はほぼ全滅させたがカンダタは取り逃がしたこと)をしたということは王宮へ向かう途上で聞いていたけれども。
 なんでこんなに大きな騒ぎになってるんだろう、ラグたちはいくら褒められてもよいけれども、自分にはそんな価値はないのに。
 体中が揉み絞られるように、たまらなく苦しい。
 そして儀式でロマリア王に冠を返還する役目が自分だということを告げられ、その苦しさは最高潮に達した。
「俺にそんな資格ないです、俺はなにもしてないです、むしろ迷惑かけたばっかりで」
 半泣きになりながら訴えたのだが、手順を説明した侍従に、
「勇者であるあなたにお願いするように、と命を受けていますので」
 と怖い顔で主張され、泣きながらもセオはその役目を受け入れざるをえなかった。
 他の三人から離れ、一人冠を持って絨毯の道を歩く。今にも泣きそうになりながら。さっき少し泣いてしまったのに、今にも目から涙がこぼれ落ちそうだ。
 楽隊の演奏が高らかに響き渡る中、ロマリア王の前でセオは震える手で王冠を持ち上げた。どうしよう自分なんかがこんなことしていいんだろうか自分にはこんな風に偉そうに目立つ資格なんか少しもないのに――
 と、そんな思いで頭の中をぐるぐるさせていたら。
「あ………!」
 ごっとん。
 セオは王冠を、ロマリア王に渡す前に落っことした。
 おお、と観衆の貴族たちがざわめき、笑顔を浮かべていたロマリア王の目に苛立ちが浮かぶ――それに壮絶なまでの恐怖を感じて、セオはその場に土下座した。
「ごめんなさい………! 俺なんかがこんなに偉そうなことをやって、やっぱりこんな風に間抜けな失敗して、本当にごめんなさい! 好きなだけ罰与えてください、本当に本当にごめんなさい………!」
『……………………』
 もはや毎度お馴染みになってしまった苛立ちに満ちた沈黙。
 ああ、どうして本当に俺は、とセオは涙をこぼした。どうしてこんなこともちゃんとできないんだろう。期待されたことどころか、当然その程度誰でもできるだろうこともできないなんて。
 どんなに頑張っても失敗してしまう。今度こそ、今度こそと一生懸命になっても失敗してしまう。
 いつも人を苛立たせてきた。説得しようとして説得できなかった。
 また、人を、殺した。
 本当に、俺なんか。こんな人に迷惑をかけるだけの俺なんか。生まれてこなければよかったのに―――
「………うぉっほん」
 ロマリア王が咳払いをする。立ち上がり何事もなかったかのように儀式を続けることを要求しているのだということはわかった。
 わかっているけど体が動かなかった。たまらないほどの申し訳なさのせいで。なにをしても絶対に許してはもらえないだろうという思いのせいでどうすればいいかわからなくなる。
 自分の生きている価値など、勇者として持っている、ほんのわずかの魔王を倒せる可能性しかないというのに――こんなに迷惑をかけたら、自分はどう償えばいいのだろう。
 ふいに、セオの手に脂ぎった手が重ねられた。
「………勇者セオ・レイリンバートルよ。そなた、わしの代わりにロマリアを治めてみる気はないか?」
「え!?」
 セオは仰天した。そして恐怖した。
 なんでそんなことを言われるんだろう。ロマリアでは伝統的に(王位が他国に比べて軽いためか)、大きな働きに王位の一時的な譲渡によって報いるという慣わしがあるのは知っているけれども、自分にロマリア王が報いようなどと考えるはずはない。
 自分を罰しようということなのだろうか。自分が勇者としてふさわしくないから、少しの間国王として働かせ、悪いところを見つけて処刑しようということなのだろうか。
 自分には当然の処置かもしれない。そうして罰されるのが当然かもしれない。自分には勇者としてはおろか、生きていく資格さえないのだから。
(………でも………!)
 セオは再び土下座した。ぼろぼろ涙を流しながらも、全身全霊をこめて懇願するために。
「お願いです……それは、やめてください」
「勇者セオよ、お前は知らぬかもしれぬがな、ロマリアにおいては一時的に王位を譲ることはままあることで、わが国の玉座に座ることでそなたに我がロマリアの一員となってもらおうと――」
「俺を、殺さないでください。もう蘇れないくらい殺すのは、少しだけ待ってください」
「…………………は?」
 頭を床に擦り付けて、必死に必死に乞い願う。
「俺が魔王をなんとかするか、他の人が魔王をなんとかするまで。それまではどうか、お願いですから、俺を、生かしておいてください………!」
『………………………』
 沈黙。
 ああやっぱり俺なんかに意見されて腹を立てているんだ、と涙を流すセオに、長い長い間をおいてからロマリア王はなんともいわく言いがたい声で言った。
「では……勇者、セオ・レイリンバートル。そなたに二つ、使命を与えよう」
「………使命、ですか?」
 顔を上げると、ロマリア王はいくぶんほっとしたような表情でうなずく。
「そう。まずひとつは、そなたをアリアハンへの名誉大使に任じたい」
「………え?」
 セオは驚きで目を見張った。

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