ロマリア〜アリアハン――2
 セオは今にも泣きそうな顔でアリアハンの城内を歩いている。先導するアリアハンの侍従と話しているのはロマリアの外交官(新旧二人)だが、周囲をロマリア勢に囲まれているせいかどうかは知らないが、その先導する侍従からも周囲からもかなり痛い視線が投げかけられてくるのだ。
 一応セオの役目はロマリアの新しい外交官をアリアハン王に紹介すること、ということになっているから一緒に行かないわけにはいかないのだが。アリアハン王がどんな人間かは知らないが、謁見は荒れるだろうな、とラグは内心ため息をついた。
 ロマリア王の言い分は、こうだった。
「勇者セオ・レイリンバートルよ、そなたが我々に対し罪を犯したというのならば、そなたの罪悪感を軽くするためにも我らのために働いてはくれぬか。まず、アリアハンへの名誉大使として、アリアハン王へ新任の外交官を紹介してもらいたい。そしてそれが終わったならば、こちらへ戻ってきてアリアハン王の言葉を伝えてもらいたいのだ」
 考えるまでもなく無茶な言い分だ。アリアハンの人間がなぜロマリアの大使に?
 だが、セオは当然断ることはなく。
「それで、少しでも償いになるならやります」
 と言ってしまったのだ。
 そして今ここにいるわけなのだが――
「おい、ラグ」
 すすすっとロンが近寄ってきて耳打ちしてきた。ラグたちはロマリア勢に囲まれたセオより少し後ろを歩いているので、ロマリア勢にもアリアハンの人間にも声を小さくすれば聞かれる心配はない。
「なんだ?」
「気づいてたか? 周囲の視線」
「………あぁ」
 ラグはうなずく。周囲の空気に敏感な(かといって普段はなにをするわけでもないのだが)ロンはやはり気づいていたらしい。
 周囲から投げかけられる視線の鋭さ。それはもはや殺気と呼んでもよさそうなもので、自国の勇者に向けるにしてはあまりに乱暴なものだ。
「……いくらロマリアの人間と一緒にいたからって即これっていうのは。やっぱりセオの普段の印象がよほど最悪だったのかな」
「……なんの話だよ」
「フォルデ……」
 さすが盗賊というべきか、囁き声をしっかり聞きつけて近寄ってきたフォルデにラグたちは肩をすくめた。自国の王宮でも、いやそれだからこそか、王宮の中では王侯貴族嫌いのフォルデは不機嫌だ。
「セオはアリアハンの王宮内でよっぽど評判が悪かったんだろうなって話。この視線の痛さからしてわかるだろ?」
「……フン。たりめーじゃねーかんなの。あんなボケ勇者を勇者様ってあがめる奴、普通いねぇっての」
「そうだな。ま、どんな人間にも過去の人生はある。俺しかりお前しかり。セオもただ甘やかされて幸せに育ってきただけの坊ちゃん勇者じゃないってことだ」
「………フン」
 フォルデは鼻を鳴らして歩を早めた。肩は怒り、目は険しい。
 だが、視線はどこまでも一心にセオを追い、セオを睨んでくる周囲の人間にいちいちガンを飛ばし返していた。

「……セオ・レイリンバートルよ。どういうつもりだ?」
「ど……どういう、と、申します、と……?」
 アリアハン王は壮年のロマリア王と違い、もはや老年も半ばまで差し掛かっているかというほどの年だった。長々と伸ばした白髭を揺らし、ぎぬりと勇者を睨む。
 勇者はまた泣きそうになっていたが、フォルデは平気の平左だった。王に会うのも二人目なせいか、それともアリアハン王自身の威厳のせいか、まったく威圧感を感じない。
 それよりも、アリアハン王の苛立ち方が気にいらなかった。これまでに何度も見たことがある。あの目は、自分の所有物が反逆してきたと感じた時の目だ。
 部下が、使用人が、愛玩動物が。自分を攻撃してきた時の、飼い犬が手を噛んできた時の、生意気なという傲慢な立腹の視線。
 てめぇ何様のつもりだ、と苛立ちをこめて口の中で呟いた。
「そなた、ロマリアに尻尾を振って飼い犬に成り下がるつもりではあるまいな」
「え!? そ、な、なんで、ですか? 俺、全然、そんなつもり……」
「それならばなぜロマリアの大使などになってアリアハンにやってきたこの戯け者が!」
「ひ!」
 びくん、と震える勇者の前に、ロマリアの外交官が一歩進み出る。
「よろしいですか、アリアハン王。――勇者セオ・レイリンバートル殿は我らロマリアの正義に感じ、協力することを約束してくださったのです。現在のところは、ね」
「……貴様……」
「聞けば、こちらでは彼をずいぶんと冷遇なさっている様子。そんな国よりは勇者である彼を尊敬し、労わらんとする国に添おうと思うのは人情では?」
「セオ・レイリンバートル! そなた我らを裏切る気か!? そなたあれだけ我が禄を食んでおきながらなお我の意に背くか! 主の命に従うことすらできぬか、この屑が!」
 怒鳴りながらと勇者を睨むアリアハン王に、勇者は瞳を潤ませた。顔面は蒼白、ひざまずいている手も足もがたがたと震え、今にも泣き出しそうな風情だ。
 だが、アリアハン王は勇者のそんな哀れっぽい姿にも斟酌しなかった。フォルデもしないだろうが、それとはまた違う気がした。
 フォルデだったら勇者が泣けば苛つくが、アリアハン王は――怒りそうな気がする。みっともない、しゃんとしろ、恥をかかせるな、と。
 ただ怒るのならそれに同調もできるが、なにか、アリアハン王のその怒り方は、フォルデとは圧倒的に違うのだ。
「答えよ、セオ・レイリンバートル! 貴様あれだけ我らに労苦を背負わせておきながら、期待を裏切っておきながら、さらになお裏切るというか、この無能、屑、役立たずの愚か者が!」
「そ……んな、こと………」
「臣下に背かれるは君主の不徳、とどこやらの賢者が申しておりましたな……」
「貴様! 不敬であるぞ、首を落とされたいか!」
「いえいえ、これは申し訳ありません。ただ勇者殿をあれだけ悪し様に罵っておきながら、当然のように勇者殿が命に従うと考えられるのはいかがなものかと。我らがロマリアは勇者の力を持つ人間にはそれなりの厚遇を持って報いさせていただきますゆえ」
 もはやセオがロマリアの勇者となったかのごとく語るロマリア外交官に、フォルデは顔をしかめた。
 アリアハン王がそう簡単に認めるとは思わない、今回は本格的な外交交渉の前の前段階というところだろう。だからこそロマリア王は必ず戻ってこいと言ったのだ。そうラグたちにフォルデは教わっていた。
 別にフォルデとしてはセオがアリアハンの勇者だろうがロマリアの勇者だろうが関係ない、しかし―――
「まぁ、よいではありませんか、陛下」
 謁見の間に居並んでいた貴族の一人が、ずかずかと前へ進み出た。
「このような屑勇者など、そばにいるだけ鬱陶しい、他の国が預かってくれるのならそれはそれでありがたいというもの。――今敵とすべきは魔物、それはロマリアもわかっていることでしょう。まぁ、ロマリアがこのような屑勇者にいつまで耐えられるかは存じませぬが?」
 その言葉に、周囲からくすくすと笑みが漏れた。
「まったくまったく」
「このような弱虫の勇者など、いてもいなくても戦力にさして違いがあるとも思えませぬ」
「いやむしろ足手まとい。いるだけ邪魔というものですよのぅ」
 周囲から次々と投げかけられる言葉にアリアハン王は一瞬同調するような嘲笑を浮かべたが、すぐに前に出た貴族を軽く睨む。
「しかしだなメルディン卿――」
「ああ、むろんどんなに鬱陶しい愚か者の勇者でも我らの国に生まれてきた以上は使ってやらねばなりませぬな。ですがなに、いざ戦力が必要ということになれば呼び戻せばいいのです。――アリアハンは彼奴の故郷なのですから」
「おお、そうか!」
 アリアハン王が顔を輝かせる。周囲からくっくっと楽しげな笑みがこぼれる。
 フォルデは最初、その貴族がなにを言いたいのかわからなかった。だがロマリア外交官には予想済みの台詞だったようで、薄笑いさえ浮かべて言い返す。
「我らがロマリアはロマリアを勇者殿の第二の故郷とすべく、努力を惜しみませんが? ご家族をこちらに呼び、共に暮らすことも視野に入れております」
「ふん、そこの屑勇者と違い、他のレイリンバートル家の人間はみなアリアハン王家に忠誠を誓うておる。二心持たぬことにかけてはオルテガにすら劣るものではないわ。そこの下衆は例外中の例外よ」
「ふむ……しかし現在彼らが生きる術は勇者の存在に頼ることのみ。生きる糧は誰にでも必要なものですよ」
 ぽんぽんと飛び交う会話を聞いて、頭の中で構築して、ようやく気づいた。
 ―――有事には人質に取る、と言っているのだ。勇者の家族を。
 周囲の貴族たちは平然と、当然のようにその提案を受け容れて、口々に勇者を罵り始める。
「まったく手間をかけさせてくれる。しょせんそなたには勇者として以外なんの価値もないのだから黙って飼われておればよかろうに」
『ごめんなさい。ごめんなさい、俺なんかが偉そうなこと言って』
「飼い犬に手を噛まれるとはこのことですなぁ。まったく恩知らずもはなはだしい、勇者というから目をかけてやっておったのに」
『おれ……なんかの、ため、に……フォル、デさんが……人を、傷つけ、たりしちゃ……駄目、です………』
「その期待を裏切ってばかりの屑ですからな、屑。オルテガの息子となど称すること自体オルテガに対する冒涜というもの、我らの役に立とうという気概も寸毫も持たぬ大うつけよ」
『俺を、殺さないでください。もう蘇れないくらい殺すのは、少しだけ待ってください。俺が魔王をなんとかするか、他の人が魔王をなんとかするまで。それまではどうか、お願いですから、俺を、生かしておいてください………!』
「―――うるせぇ」
『………は?』
 謁見の間の空気に、明確なひびが入った。
 それがどうした、どうでもいい。俺は今最高に、このクズ野郎どもを全員ぶっ殺してやりてぇくらいに腹が立ってるんだ。
「うるせぇっつってんだよこの抜け作ども。くだんねぇことぐだぐだ言い争ってんじゃねぇ」
「な……貴様! 確か盗賊であったな、盗賊風情が我らにそのような口を利いて……」
「俺ははなっから王侯貴族なんて奴らは大っ嫌ぇだったけどな――実際に会ってみて、想像してたのと大して変わらねぇってわかったぜ。いや、それよりはるかに最悪だ! てめぇら全員クズ野郎だ、ドブに顔突っ込んで死ねタコっ!」
「な……衛兵、奴を――」
 引きつった顔で衛兵に命じようとするアリアハン王に、フォルデははっと嘲笑を叩きつけた。
「へっ、やっぱりそうきたか。やっぱてめぇらはクズ野郎だ。このボケ勇者をはるかに下回るぜ!」
「な―――」
「このボケ勇者は、確かに頭は悪ぃし考え甘ぇしムカつく卑屈野郎だ。けどな! てめぇのやりてぇことをやるのに、労を惜しんだことはねぇんだよ!」
「な――――」
 そうだ。あいつは、自分のやりたいことをやるために、意志を通すために労を惜しんだことはない。
 あいつは努力してる。死ぬほどきついロンやラグの稽古も泣き言言わずにやってのけ、自分から稽古を願い出ることまでした。どんなに言っても頑固にカンダタを説得したいと主張し、傷つけられても殺されかけてもそれでも頑強に殺すことを忌避した。
 あいつは、このボケ勇者は、苛つくしムカつくし腹が立つけど。始終ぶん殴りたくて仕方なくさせるような奴だけど。少なくとも。
「てめぇらごときに悪く言われるような奴じゃねぇんだ! てめぇの屑っぷりに気づきもしねぇ奴が偉そうな口叩いてんじゃねぇよ!」
「貴様――――」
 衛兵たちがずいっと近寄ってくる。来るかっ、とフォルデは武器を探り、王の前ということで武装解除させられていたことを思い出しはっとする――そこにすっと、二人の影が進み出た。
 ラグとロン――自分の仲間だ。
「失礼仕った、陛下、貴族諸卿、外交官の方々。我らの仲間が無礼を働いた件、深くお詫び申し上げる」
「な……てめぇらっ、俺は悪いなんてちっとも――」
「いいから少し黙ってろ。――ですが、みなさん。我々は勇者の仲間です。これがどういうことか、おわかりになりますか?」
『…………!』
 周囲の空気が凍りついた。ロンがふ、と嘲笑を浮かべる。
「そう、我らは魔王に対する槍の一つ。世界を救うための命綱の一本。我らに刃を向けるは、この世に住まう人全てに刃を向けるも同じ」
「そういうわけなので少々の無礼はお見逃しいただきたい。――あなた方も、勇者に対してさんざん無礼というもおこがましい言葉を投げかけてきたのですから」
「将来的に我らがただ一人戦場で軍勢を相手取る者たちであることを、ゆめゆめお忘れなきよう。――では」
 そう言ってラグとロンはすたすたと歩き、フォルデと勇者を引っ張って、謁見の間から退出した。

「………はぁぁ〜、緊張した〜!」
 謁見の間から遠く離れてからそう言って脱力するラグに、フォルデがすかさず馬鹿にしたように言った。
「だっらしねぇな。あの程度の奴らに緊張したのかよ」
「それはお前が言える台詞じゃないぞ。お前の行動の後始末に、俺たちは命を張ってたんだからな。予想していたこととはいえ」
「は………? 命?」
 きょとんとするフォルデに、ロンは説明してやる。
「いいか、お前の言った台詞が基本的に不敬罪で牢屋行きか、さもなきゃ死刑だってことはわかるな?」
「……ああ。けど、んなもん逃げ出して見つからなきゃすむことだろ」
「勇者を連れててそんなことができるか。だいたいお前は官憲――組織の怖さを過小評価しすぎてるぞ。もし街や村に立ち寄れないなんてことになったら、補給のできなくなった俺たちは死ぬ。勇者の力である程度は大丈夫にしろな」
「けどよ、お前らさっきあいつらが勇者を敵に回すなんて馬鹿げてる、みたいなこと言ってたじゃねぇか」
「ああ、馬鹿げてる。だがアリアハン王が馬鹿げたことをしないなんて保証はどこにもない。各国に手を回して俺たちを『堕ちた勇者』――人の敵に回った勇者と認定するかもしれないんだ」
「う………」
「まぁ、そこまではまずやらないだろうとは思ったがな。そういう危険もあったってことだ」
「………けど!」
「ああ、わかってる。あいつらの言い草は俺も腹に据えかねたさ。だが――いつでも誰にでも噛みつきゃいいってもんじゃないってことは、覚えておくんだな」
「…………………わかった」
 ぼそり、と言ってそっぽを向くフォルデの頭を、ロンは軽く笑ってわしゃわしゃと撫でてやった。
「な……なにしやがるっ!」
 蹴ってくるのを軽々とかわし、涼しい顔で言ってやる。
「まぁ、一緒にいる間はフォローしてやるさ。言っただろう、突っ込んでいく若者の援護をするのが大人の仕事だってな」
「ガキ扱いすんなっ!」
「そういう台詞がまさにガキそのものだと思うんだが」
「うぐっ……」
「ま、とにかく、なんとか王を威圧できたようだし、フォルデがセオを大切に思っていることもはっきりしたし、よかったよかった」
「えぇ!?」
「はぁ!?」
 セオとフォルデが同時に声を上げる。セオは謁見の間を出た時から呆然とした顔でフォルデを見ていたり泣きそうな顔でうつむいたりと落ち着きがなかったのだが、顔を上げて愕然とした顔を見せた。
「そ、そんな……フォルデさんがそんな、俺を大切に思ってるなんて、そんなわけないです。俺みたいな、本当に、俺は、どんなことを言われてもしょうがない最低の人間なんです。こんなクズにいくら優しくてもフォルデさんが怒るなんてこと自体もったいないぐらいで、だからフォルデさんが俺なんかを大切に思うわけ――」
「………………」
 がつっ、とフォルデがセオの頭を殴った。さほど力は入っていなかったが。
「ごめんなさい………」
「うるせぇ黙ってろタコ」
 いつものセオの台詞。自分をとことんまで卑下する台詞。
 だが、その声は少し揺れていた。セオの心は、やはり今、揺らいでいる。
 それはアリアハンにいるせいか、カンダタとの戦いで人を殺したせいか。それとも――
「―――おい。セオ」
 その声を聞いたとたん、セオはびくん、と震えた。おそるおそるといった感じに後ろを振り向く。
「……マルタ、さん………」
 マルタと呼ばれた兵士らしき男は、背後に二人舎弟らしき男を連れぎっとセオを睨み、それから嘲るように笑った。
「てめえ、偉そうに出て行って結局数ヶ月で戻ってきたのかよ。やっぱてめえに魔王征伐なんざ無理だったな!」
「…………ごめん、なさい」
 セオは顔をうつむけて、謝った。するとマルタの顔が一気にしかめられる。
「相っ変わらず謝りゃいいと思ってんだなこのクズ勇者。てめぇなんぞ旅に出ようが仲間がいようが魔王なんざ倒せるわきゃねぇんだよ。腕折っとくか、それとも足か? 家にたたっこんでやるからママに看病してもらうんだなこのクズ野郎!」
 そう怒鳴って一気に近づいてくる――その前に、フォルデが立った。傲然と胸をそびやかしながら。
「偉そうなこと抜かしてんじゃねぇよ、タコ」
「………なんだ、てめぇは」
「……どーでもいいだろ。それよりてめぇ目障りなんだよ、すっこんでろボケ」
「あぁ? 盗賊風情が舐めた口叩いてくれんじゃねぇか」
 マルタが眉を吊り上げて前に出る。盗賊風情と言ったということは、こいつにはセオの仲間についてそれなりの知識があるわけか、とかロンは観察しつつ思った。
「ハ、盗賊風情だ? そんな風に吼える奴に限って実力は大したことねぇんだよな」
「なんだと……やるかてめえ」
「面白ぇ、やれるもんならやってみやがれ」
「はいはい、そこまで」
 パンパンと手を叩いてラグが進み出た。
「そんなことをしなくてもどっちにどれだけの実力があるかなんてすぐわかるじゃないか。……マルタくんって言ったね。君のレベルはいくつ?」
「………6」
 仏頂面で言うマルタに、フォルデはぷっと吹き出した。
「俺が旅に出る前より3もレベル低いじゃねーか! そのくせ偉そうな口利いてやがったのか、ばっかでぇ!」
「……っ、なんだとてめえ………!」
「フォルデ。……ちなみにセオのレベルは現在15だよ。旅に出る前と変わらず、ね」
「!」
 マルタが愕然とした顔になる。そこにすかさずフォルデが囃し立てた。
「なんでぇ、てめぇこのボケが稽古の時人相手だとめちゃくちゃ手加減することもわかってなかったのかよ。それでよくもまぁあんな偉そうな口叩けるな?」
「……っ……てめぇっ………」
 フォルデはふん、と鼻を鳴らすと、ぎっとマルタを睨んで言った。
「てめぇも貴族どもと同じだ。このガキに偉そうなこと言う資格はねぇ、こいつがどんだけのことをやったのかもわからねぇてめぇにはな。――てめぇの方こそ国に引きこもってろ、タコ!」
「フォルデさ……」
「うるせぇボケ黙れ喋るな。……行くぞ」
 フォルデに引っ張られて時々マルタの方を振り返り頭を下げながらもセオは歩いていく。ラグもそれを追う。
 ロンはそれに続く前に、うなだれるマルタに歩み寄り囁いた。
「彼が気になるのはわかるが――それじゃ君の気持ちは通じんぞ」
「な―――」
「好きなら好きと、大切なら大切と言えばいい。……魔王征伐の旅なんて心配でいてもたってもいられない、と言えばな」
「なっ………馬鹿なことを言うな!」
 顔を真っ赤にして怒鳴り剣に手をかけるマルタに、ロンは飄々と笑って仲間たちのあとを追った。

「―――セオ殿」
「――セーガ将軍……!」
 城門前に立ついかにも歴戦の武人という感じの男を見て、セオが驚きの表情を浮かべた。
「……お久しぶりです」
「はい……あの、ごめんなさい、お気を遣わせてしまって……本当に申し訳ありません、もう会うことはないって言ってたのに……」
 セオが泣きそうな顔になる。それにセーガと呼ばれた男ははふ、とため息をついた。
「私が勝手にお会いしに来たまで。あなたが気に病む必要はありません」
「でも……俺があんまり不快な人間だったせいで、セーガさまに忘れさせてあげられなかったんですから、やっぱり俺のせいだって、思い……」
 ばきっ。フォルデがまたセオを殴った。
「うるせぇくだらねぇことばっか言ってんじゃねぇ。その前にすることがあんだろうが」
「え……あ!」
 セオはまたも顔面蒼白になった。震えながらセーガを指し、震える声で言う。
「……こちら、セーガ・アルマン将軍……アリアハン軍の実質的なトップの方……です」
「で? てめぇとはどういう関係の奴なんだ」
「え……あの、一応、ほんの少しですけど、剣を教わったことが……」
 ばきっ。またフォルデがセオを殴った。
「阿呆かてめぇはそれが一番最初に言わなきゃなんねぇこったろうが! 自分の師匠がわざわざ来てくれたっつーのに礼も言わねぇでぐだぐだ謝ってんじゃねぇ!」
「あ……ごめん……なさい………!」
「……てめぇはっ……!」
 フォルデが再び拳を振り上げたが、ラグはそれを止めた。動かない拳にぎっとフォルデはこちらを睨みつけたが、ラグは軽く微笑んでやる。
「せっかくセオに会いに来てくれた人の前で喧嘩することはないだろう? フォルデ」
「う……」
 黙りかけたところにロンが口を挟む。
「まぁしょうがないだろう、フォルデはセオが自分を軽んずるのが嫌で嫌でしょうがないんだからなぁ。セオがあんまり大切だから」
「え……」
「阿呆かてめぇは脳味噌頭に入ってんのか見当違いなことばっか抜かしてんじゃねぇっ!」
 などとぎゃあぎゃあ喚いていると、ふいにセーガがくくっ、と声を立てて笑った。
「セ……セーガさま?」
「……いや、失礼。……セオ殿、私はあなたの仲間たちに話があります。少し席を外してください」
「え………はい」
 またセーガの台詞に落ち込む原因を見つけ出したのか、セオはしょんぼりしながら城門の脇の小出口へと向かう。
 と、セーガがその背中に声をかけた。
「――セオ殿。いい仲間を、見つけられましたな」
 そう言われて振り向いた時のセオの顔は、見物だった。
 一瞬の呆けたような顔から、その美しい眉が、瞳が、唇が、顔全体がふわぁ、と緩んで、優しく暖かい、輝かんばかりの表情になってうなずいたのだ。
「―――はい!」
 そう言って駆け出していくセオをひどく優しい目で見つめてから(ラグもロンもフォルデも、思わずまじまじとその背中を視線で追ってしまったのだが)、セーガはこちらに振り向いた。
「――ラグ殿、ロン殿、フォルデ殿とお呼びしてよろしいか?」
「……いや……あなたのような方に敬語を使われるとかえって申し訳ないんですが」
「……呼び捨てでいい。ケツが痒くなる」
「俺は別にどっちでもいいがな」
「――では、ラグ、ロン、フォルデ。あなた方にひとつ、お聞きしたいことがある」
「なんでしょうか?」
 セーガは静かな瞳に、一瞬真剣な感情を滾らせてこちらを見た。
「あなた方は、セオ殿のことをどのように思っているのですか?」
『……………………』
 真正面から飛んできた質問。それにラグは、少し考えてからできる限り正直に答えた。
「――優しすぎるくらい優しい子だと思います。他者の幸せのためになんでもする……ただ、自分の命や存在にまったく価値を認めていないようなところがあって、そこはすごく心配ですが」
「可愛い子だな。すぐ泣くところとか。一見凄まじく気が弱いんだが、その実凄まじい頑固者だ。自分以外の存在が傷つくことはなにがあっても認めない、その代わり自分を傷つけようとする病的なまでの奉仕依存症だと思う」
「……馬鹿で阿呆で間抜けで泣き虫で、卑屈で甘ちゃんですぐ謝る現実見えてねぇどうしようもねぇボケ勇者だ。けど」
「――けど?」
「――あいつは、そんじょそこらの奴よりよっぽど、自分を曲げねぇ方法ってのを知ってる。それだけは、認めてやってもいい」
「………………」
 セーガは、小さく笑んだ。その笑みは優しげで、嬉しげだ。ラグは思わず自分も笑みながら言っていた。
「あなたは――セオと、いい師弟だったんでしょうね」
 だが、セーガはきっぱり首を振った。
「私はセオ殿と、師弟になることすらできませんでした」
「え……」
「初めて会った時――セオ殿は十三歳でした。オルテガ殿が旅立ち、魔王という脅威に対抗するため次世代の勇者を育てよという使命が下り。私は勇んで訓練に臨みました」
 ラグは黙って先を促した。この男が自分の中に秘めていた言葉を外に出そうとしているのがわかったからだ。
「ですがその勇者というのはすぐにごめんなさいと謝り訓練の成果が上がらないと言っては申し訳ないと泣く、どうしようもなく情けない勇者でした。どれだけ必死になって訓練を施しても、彼は新兵どころか兵士見習いにすら勝てなかった。最初は私も苛立ち、ずいぶん彼に辛く当たったものです」
「…………」
「ですが。ある日、私が不覚にも高熱を出して寝込んだ時がありました」
 あの時は本当に焦った、とセーガは言う。セーガは独身、おまけに質実剛健な暮らしのため使用人もおらず、様子を見に来てくれるほど親しい朋友もおらず、このまま死ぬのではないかと思ったという。
「ですが、昼にもならないうちに――セオ殿が、様子を見に来てくれたのです」
 大家から鍵を借りて玄関扉を開け、中に入ってセーガの様子を見ると、セオはてきぱきと働き始めたのだという。医者を呼び、セーガの体を拭き、着替えさせ、氷嚢と食事を作ってとセーガの世話を焼いた。
「本当にこまごまと世話を焼いてくれて……私は彼に冷たく当たったのに、そんなこと気にもせず。私の熱が下がるまで、毎日……そのおかげで私は数日後には回復しました」
「…………」
「そして翌日、私はセオ殿に礼を言おうと会った時頭を下げようとしました。けれどその前にセオ殿に頭を下げられてしまったのです。『よけいなことをしてごめんなさい』――と」
 それからも一事が万事、その調子だったという。
「彼は……あの子は、私や、自分以外の人間にはどんなに冷たく当たられても全身全霊をもって優しくするくせに……褒め言葉を受け取ることができないんです。自分などにその価値はない、と頑強に拒んで。……あの子は私にいろいろと尽くしてくれたのに、彼は私には礼さえ言わせてくれませんでした」
「…………」
「よく見るとあの子は、本当に一生懸命、見えるところでも見えないところでも訓練していて。人と対した時に成果が出ないのは、彼が人を傷つけるのを怖がっているせいだとわかって……」
「…………」
「あの子は――いい子なんです」
 セーガはどこか切なげに、そう言った。
「本当に、いい子なんですよ………」

 城門を出たところで待っていたセオに、ラグが言葉を伝えた。
「セオ。セーガ将軍が、頼んでいたよ。セオをよろしく、って」
「え―――」
 セオは顔を真っ赤にした。お、喜ぶか? と思ったが、口から出た言葉はいかにもセオだった。
「セーガさまに――今度会ったら、ちゃんと、謝らなくちゃ………」
「阿呆か、てめぇは」
 フォルデが吐き捨てるように言った。思わずセオは小さくなったが、気にせずロンは笑う。
「まぁ要するに、気遣ったら謝られるより礼を言われるほうがたいていの人は嬉しいということだ。礼を言え礼を、セオ」
「え……」
「それより。――君の家はどこだ?」
 聞いたとたん―――
 セオの顔から、表情がすとん、と抜け落ちた。
 ロンは素早くその表情を観察する。衝撃、そして恐怖。この二つが強すぎて、感情が抜け落ちた顔だ。
 セオはのろのろと口を開き、言った。
「……行き、たいんですか?」
「ああ。ぜひとも行って、君の家族にお会いしたいな」
「セオ、頼むよ。君の家族に会ってみたいんだ」
「………とっとと案内しろよ」
 ロンとラグとフォルデは迫る。これは三人で相談して決めたことなのだ。
 ―――セオの過去を、知る必要がある、と。
 セオがああも自己を軽んずるのはなぜなのか。ああも卑屈なのはなぜなのか。
 そしてあの暴走。あのカンダタの配下たちを次々殺したあれ。その直接的な動機についてはだいたい見当がついてはいるが、なぜセオがあんなことをしたのかという理由自体はまったくわかっていない。
 それを知るには彼の過去――家族と会うのが一番だろう、と。だからこそアリアハンに向かえというロマリア王の言葉に首を振らなかったのだ。アリアハンに来たのはほとんどそれが目的のようなものだ。
 セオは、表情のない顔で、静かに、こくり、とうなずいた。
「―――わかりました」
 この表情からするとセオはよほどに家族と会うのが怖いらしい。彼特有の卑屈さのゆえか、それともなにか他に理由があるのか。
 ともあれセオは自分たちを、繁華街に程近い住宅街に案内した。ここら辺は基本的に庶民の集合住宅がほとんどだが、時折びっくりするような金持ちが邸宅を構えていたりもする――
 そして、レイリンバートル家の家は邸宅とまでは言わないまでも、大きな家だった。
 間取りはざっと五丈×十丈。もう少し大きいかもしれない。二階建て。中には二桁以上部屋があることは考えなくてもわかる。フォルデが「やっぱお坊ちゃんかよ」と小声で舌打ちするのが聞こえた。
 だがセオの耳にはフォルデのその言葉すら入っていないようだった。震える体で、表情のない顔で、すうっと手を伸ばしてノッカーを鳴らす。
 二度、三度繰り返すと、伝声管を通じていらえがあった。
『開いているわ。入りなさい』
 声を聞いたとたん、嫌な気分になった。この声は自分が一番嫌いな性格(の、ひとつ)を持つ女の声だ。
 自分が絶対的に正しく、その意に染まないものは全て間違っていると考えている女の。
 セオがふらふらと中に入るのに続いて、中に入る。中は王宮とはいかないまでも、それなりに豪勢だった。質実剛健な気風とはいえ、国の勇者なのだ、当然だろう。
 そして、ホールになっている玄関前の広々とした空間の奥に、その女がいた。
「帰ってきたのですね、セオ」
 低く、その女は言った。ブルネットの髪に青い瞳の、まぁ美人と言っていいだろう女だ。年はそれなりにとっているが。ざっと四十台の前半だろう。
「はい、母上」
 壊れた自鳴琴のような声音で、セオは言った。顔にも体にも表情というものがない。
「こちらに来なさい、セオ」
「はい、母上」
 セオは足早にそちらに向かう。俺らは無視かよとフォルデが呟いたが肘でつついて黙らせた。
 自分たちが注視する中、セオは女の前に立つ。女は背後のかまどから――そこにはまだ火が消えたばかりだろうことを思わせる匂いが漂っていた――火かき棒を取り出す。
「覚悟はできていますね?」
「はい、母上」
「よろしい―――」
 ばぎぃっ!
 セオの頭が勢いよく右に振れた。
 ロンは仰天した。ラグもフォルデも仰天しただろう。
 今、この女は、まだ熱い火かき棒で、セオの顔を殴った。
 女はすぐさま姿勢を元に戻すセオをその火かき棒で殴る。何度も何度も。
「あなたという子はあなたという子はあなたという子は! アリアハン王の前でなんという失礼なことを! 礼儀作法の授業を何度受けたと思っているのですか、それで! この! 体たらくとは! なんという無能! 無能! 無能!」
「ちょ、奥さ――」
「おい、ババァ――」
「セオ――」
 三人が全員思わず一歩踏み出すが、それでも女はセオを殴り続ける。セオの顔が何度も左右に振れ、上に下にと動く。じゅう、と肉の焼ける音がした。血の匂いもしてきた。――なのに、セオは何度殴られてもその場から一歩も動かない。
「なんであなたのような子が生まれてきたのか! オルテガの息子でありながら、この私の子でありながら! この屑、屑、屑! あなたに生きる価値などありません、あなたなどに存在する価値などありません、あなたのような子はさっさと死ぬべきなのです! あなたは――」
 ロンとフォルデが女に飛びかかる直前、女は叫んだ。
「あなたは自分の兄弟を殺したのだから!」

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