ロマリア〜アリアハン――3
 ――――知られた。
 知られてしまった。自分の大切な、自分を仲間と呼んでくれた人たちに。
 死んでも知られたくなかったのに、知られてしまった。
 記憶の彼方に封じ込めておきたかったのに――
「あの子を殺して生き永らえておきながら! なぜなにひとつまともにできないのか! この愚か者、愚か者、愚か者が! 死になさい、今すぐ死んでその力をあの子に返しなさい、お前など本当は勇者などに生まれるはずではなかったのだから!」
 叫びながら何度も何度も母――ルミナは自分を殴りつける。鼻が折れ、骨が割れ、皮膚が肉が破れては焼け、血がだらだらと流れた。
 けれどそんなことはどうでもいい。いつものことだ。ホイミをかければすぐに治る、ずっとそうしてきた。
 そんなことよりずっと叫びたかったのは、ルミナに願いたかったのは。
『言わないでください』
 それだけだった。
『お願いですから言わないでください。この人たちの前で言わないでください』
 そう土下座して許しを請いたかった。それこそ殺されてもいいから願いたかった。
 だけど、自分にはそんな資格はないのだ。
「あなたなどに生きる資格などありません、あなたに勇者の力を持つ資格などありません、あなたに生まれてくる資格などありません、なのになぜあなたはこんなところに存在して―――」
「いい加減にしろこのクソババァっ!!」
 どんっ、と音がした。まぶたも腫れ上がってよく見えないが、これは――フォルデが、ルミナを突き飛ばしたのだろうか。
 セオは驚き、慌ててフォルデに駆け寄った。なんでフォルデがルミナを攻撃したのか? そんなことはありえないはずなのに。
「ぶぉ……るでさ……な、で……」
 唇も腫れ上がってまともに喋れない。ふらふらしながらも必死に凄まじい目でルミナを睨みつけているフォルデに顔を向けた。
「――セオ。ホイミ唱えられるかい?」
 その前にずいっと現れて、真剣な顔でこちらを見てきたのはラグだった。今までに見たことがないほど顔が厳しい。
 ああやっぱり俺の本性を知って怒ってるんだ――セオは泣きそうになりながらも首を振った。質問には答えなければ、自分には拒否する権利などないのだから。
「だべ……なん、でず……ごべ、なさ……」
「なら教会へ連れて行く。つかまって」
「! ぢが! どなえだれまず、でぼじちゃいげないんでず」
「………なんだって?」
 ラグの顔からすうっと表情が消えた。やっぱり本当に怒ってるんだ、と今すぐ死んで詫びたいような気持ちになりながらセオは言う。
「ばばうえにおごだれでるどきば……でいごうじちゃ、だべだがら……」
「……念のためもう一度聞いておく、セオ。君はお母さんに怒られている時は抵抗しちゃだめだから、怒られ終るまで火かき棒で顔を殴られても、ホイミしちゃ駄目だ――そう言っているのか?」
 セオは堪えきれず涙を一筋こぼしながらうなずく――それにラグは一度目を閉じてから、もう一度開く。――その瞳には間違いなく、今まで見たこともないほどの苛烈な怒りがあった。
「セオ。ホイミを唱えて」
「……え?」
「傷を回復するんだ。……早く。痕が残ったらどうするんだい」
「でぼ……」
「――セオ。俺を怒らせたくないのなら、言う通りにしてくれないか?」
 じ、と怒りに満ちたラグの目に震え上がり、セオはホイミを唱え始めた。
 母親に逆らってはいけない、自分には逆らう資格などないのだから。
 でもこの優しい人を怒らせてしまうのは、母親にどんな折檻を受けるよりも恐ろしい。
「……私のいのちは窓の硝子にとどまりて、たよりなき子供等のすすりなく唱歌をきいた=c……」
 みるみるうちに傷が治っていく。あっという間になにもなかったようにセオの顔は元通りになった――それはいつものことなのに、ラグはほ、と心底安心したような息をつく。
 なんでだろう――思わず目をぱちくりさせていると、ルミナの憎々しげな声がした。
「セオ! あなたという子は! 言われたことすらもちゃんと守れないのですか! 私が与えた傷は私の教育が終わるまで治してはならない、それが最低限の礼儀だとあれほど言っていたでしょう!」
「……ごめんなさ……」
「そこの頭の悪い中年女。お前さんがどんなくだらん人生を送ろうと俺の知ったことじゃないがな」
 いつの間にかラグと同じように自分の前に立っていたロンが、この人がこんな声を出せるのか、と思うほど冷たい声で告げる。
「セオは俺たちの仲間だ。お前さんの行いにどうこう文句をつける気はないがな、そんなことをしても無駄だから。――だが、俺たちの仲間にその迷惑な行動を押し付けようとするんなら、実力で排除させてもらうぞ」
「………セオ、なんです、この者たちは」
 凍りつくような声音でルミナが訊ねる。セオは泣きたい気持ちになりながらおそるおそる答えた。
「俺の……仲間たち、です………」
「なんという! オルテガの息子ともあろうものが、このような下賎の者たちを仲間にしようとは!」
 ルミナはぎっとセオを睨みつけて喚く。
「あなたは本当に価値のない子、愚かで無能で存在する資格すらない! 自らの力もどうしようもなく弱い上にこのような賤しい者たちを仲間などに――」
「……賤しく、ありません」
「……なんですって?」
 ルミナが信じられないというような顔で聞き返してきた。
 わかっている、自分に言い返す資格はない。ルミナに逆らう資格など少しもない。
 だけど――これだけは、神様だろうと譲れない。
「俺の、仲間は、賤しくなんかありません。みんな本当に優秀で、すごくて、優しい人たちです。俺は本当になんて言われても当然の奴ですけど、俺の仲間を悪く言うのは、やめてください」
「………あなたという子は………!」
 ルミナは火かき棒を振り上げる。セオが反応するより早く、ラグが一歩前に出てその腕をつかんだ。
「お、お放し!」
「……自分の仲間が目の前で、母親に火かき棒で殴られているのを見て平気なほど、俺は人でなしじゃないので」
 そう言ってぐい、とルミナの腕を下に下ろさせる。ルミナは必死に暴れるが、ラグは完全にルミナの動きを抑えこんでいた。からん、と取り落とされた火かき棒を、ロンが拾って取り上げる。
 ラグはルミナの動きを止めながら、じっとルミナを見つめた。
「奥さん。あなたはいつもこんな風に、セオを殴りつけてきたんですか? 日常的に?」
「それがどうしたというのです! この者には生きる資格などない、勇者の資格などない、その力をあの子に――」
「あの子というのが誰なのか、セオが兄弟を殺したというのがどういうことなのか、なぜあなたがそうも頑ななのか、あなたから聞く気はありません。なので、一言だけ言っておきます」
 ラグはじ、とルミナを見つめ、低く、静かに――だが、恐ろしいほどの怒りをこめた声で言う。
「子供に生きる資格がないなどと言う親に、子供を持つ資格はありません。それはよく覚えておいてください」
「なっ……」
「行くぞ、みんな。――悪かったねセオ、嫌な思いをさせて」
「え、いえ、そんな」
「――おい、ババァ。女で命拾いしたな。男だったら殺してるとこだぜ」
 フォルデはぎ、と渾身の力をこめてルミナを睨み、踵を返した。セオはラグに引っ張られながらあとに続く。
 ロンは、と思って頭を巡らせると、なぜかうずくまるルミナの前でにっこりと笑っているのが見えた。
 セオは思わず身を震わせる。ロンのその笑顔が、あまりに冷たく見えたからだ。
「――ロン。遊んでないで早く来い」
「ああ、今行く」
 そう微笑んでこちらに駆け寄ってきたロンは、いつものロンだった。セオは思わずほ、と息をつく。自分などにロンの表情をどうこう言う資格などないとわかっているから、なにも言いはしなかったが。
「……ほどほどにしておけよ。相手は女性だぞ」
「俺は男女差別をしない主義でな」
 そんな二人の会話はどういう意味か、ひどく気になりはしたけれども。

 アリアハンのちょっとだけ高級な宿に部屋を取り。セオの部屋に、他の人たちは集まってきた。
 ――糾弾の時が、やってきたのだ。
 全員集まり、真剣な、そして底に激烈な怒りがこもっていることがよくわかる顔でセオを見つめてきた。セオは思わず、ごくりと唾を飲み込む。
 まず、ラグが口火を切る。
「セオ。話を聞いても、いいかい」
「―――はい」
 セオは、静かに答えた。
 けれど心の中は嵐だった。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い。自分の罪を暴かれるのが、知られるのが、そして愛想を尽かされてしまうのが。
 けれど、自分には抵抗する権利など存在しないのだ。
「セオ。君のお母さんは、いつからあんな風に君に暴力を振るうようになったんだい?」
「――………あの……八年、前、からです」
 額から冷や汗が流れ落ちた。聞くのなら早く聞いてほしい。遠まわしに聞かれればそれだけ苦しみが長くなる。
 いや、自分には苦しめないでくれと願う資格などないのだ。苦しまなければならないのだ。これから先の人生、永遠に―――
「なにか、きっかけはあったのかい?」
「――――」
 一瞬口ごもった。けれどそれは本当に一瞬だった。
 自分には、黙っている権利など存在しないのだから。罪はつまびらかにされ、責められねばならないのだから。
「―――俺が………兄、と呼ばれている人を、殺してしまったから、です」
『――――…………』
 しばしの沈黙。
 そしてそれをフォルデがきつい声で破った。
「なんでそういうことになったんだよ」
「え……?」
「お前に人殺す度胸なんてねぇだろ。カンダタですら殺さないでくれって頼んできた異常なくらいのお人よしが。――どんな理由があって自分の兄貴を殺したんだよ」
「…………」
 セオは泣きそうになった。それは違うのに。それを経験したから、それがどれだけひどいことか知ったから怖くなっただけなのに。――罪を背負ってからでは手遅れだったけれど。
「俺がいけないんです……俺のせいなんです」
「言い訳しろなんて言ってねぇ。俺らは理由を聞いてんだ」
「理由……なんて言えるほどのものじゃないんです、本当にくだらない喧嘩なんです、それなのに、俺は、あの人を、殺して―――」
「セオ………待ってくれ、セオ」
 ラグが首を振りながら言う。その顔は――なぜだろう、悲しげに見える。
「セオ、俺たちは君を糾弾したいわけでも裁きたいわけでもない。真実が知りたい――いや、客観的な真実だって俺たちにはどうでもいい。ただ、君にとってそれがどういうことだったのか知りたいんだ。……そのことは、まだ君を傷つけているんだろう?」
「………………」
 セオは潤んだ目をぱちくりさせた。なんでそんなことを知りたがるんだろう?
 自分がどんな思いをしたかなんて知ってなにになるというんだ? 自分はこの世で最低の罪人だというのに。
 ロンが薄い微笑みを浮かべながら、けれど瞳はひどく真剣に言葉を継ぐ。
「補足しとくとな、セオ。俺たちはそのことだけを知りたいんじゃないんだ」
「―――え?」
「なんでお前さんがそんなにいつも自分には価値がないと思いたがるのか。自分を最低の人間だと思いたがるのか。俺たちはそれが知りたいんだ。お前の罪が知りたいんじゃない、お前の苦しみ≠ェ知りたいんだ。――お前さんをわかりたいと思ってるわけだな、つまりは」
「………わ………?」
 わかりたい?
 なんだろう、なにを言っているんだろう。自分を、わかりたい? 理解したい? そんなことをしてなんの得が?
 自分なんかにそんなことをする価値はない。こんな人たちがそんなことをする必要はない。だって自分はこの世で一番価値がない最低の屑だから。
「俺の知りもしない人間をお前が何人殺そうが、俺はぶっちゃけどーでもいいんだよ」
 フォルデが吐き捨てるように言う。真剣な、心の底からの怒りをこめて。
「けど、お前がそれがどーしても気になるっつーんだったら言ってみろっつーだけだ。……聞くだけ聞いて、『だからなんだ』っつってやる、俺にはんなこと全然関係ねーことだからな」
「……フォ……」
「ま、そういうことだな。セオ、俺たちはお前さんが過去にしたことをどうこう言うほど狭量じゃない。今ここにいるお前さんを信用して、仲間にした。ただそれだけだ。それで仲間が昔のことで苦しんでるんだったら、じゃあ話を聞いて少しでも楽にしてやるかって、要するにそれだけのことなんだぞ」
「……ロ……」
「セオ。前にも言ったし、何度も言ったと思うけど」
 ラグはぽん、と、汚らわしい存在であるはずの自分の肩に手を置いて、真剣な瞳で、けれど優しく微笑んで言った。
「君は、俺たちの大切な仲間だ。君が信じられなくても、受け容れられなくても、俺は何度でも言うよ。―――君のことが、大切なんだ」
「………ラ………」
 ぼた、と涙が瞳からこぼれ落ちた。ぼたぼたぽたぽたと際限なく涙が瞳から流れていく。
 本当に、信じてもいいのだろうか。許されるのだろうか、そんなことが。思い込みではないと思っていいのだろうか。
 ――この優しい人たちが、自分を愛してくれていると思うことが。
 セオは思わず、泣き出してしまっていた。

「……その人は、正確には従兄弟なんです………」
 一度大泣きしたセオは、まだ少し濡れた声で話し始めた。
「ご両親――俺の父方の弟だって話でしたけど。その方たちが子供の頃に亡くなって。家に引き取られてきたんです。俺が生まれる、三年前に。その時五歳だったそうです」
「つまり、お前からは八つ年上ってことか」
 こくりとセオはうなずく。
「従兄弟は――ゼーマって言うんですけど、彼は明るくて……剣術も学問も優秀で、両親からすごく可愛がられてたんです。本当の息子みたいに……俺なんかよりずっと、オルテガの息子にふさわしいって」
「勇者だったのか、その子」
「いいえ……勇者では、なかったです」
「ふーん……で、お前さんは可愛がられなかったのか?」
 その言葉にセオはわずかに顔を歪める。
「俺は……本当に、駄目な息子でしたから。気が弱くて、臆病で、学問はまだしも、剣の腕はさっぱりで……いつもゼーマを見習え、ゼーマの方がよほど勇者にふさわしい、って言われてばっかりでした」
 八つ年上の男と子供を比べるとは……なにを考えているのだろう。
「ふむ。察するに、お前さんはそのゼーマって奴に相当いじめられてきたな」
「え!?」
 セオが仰天して目を見開く。信じられないと言いたげなその視線で、ロンの言葉が真実だとわかった。
「……なんで」
「なんでわかったか、か? 単純だ、さん付けしなかったからな。ただ比較されてきた程度じゃ、お前さんは尊敬こそすれ嫌いはしないだろう。それにもらわれっ子が実の子に辛く当たるのはお約束だしな。朝な夕なにこっそりいじめを受けてたんじゃないのか?」
「…………………………」
 セオはうつむく。その背中をラグは思わず、『言え』と祈るように見つめていた。
 言え、言ってくれ。そのゼーマという男が嫌いだと。憎んでいたと言ってくれ。
 君にも自分に対する理不尽に抵抗する意思はあるのだと、示してみせてくれ。
「………しょうがない、ことだったんです」
 だが長い沈黙のあとに発されたのは、そんな言葉だった。
「……なにがしょうがない」
「俺が馬鹿で、弱虫だったから、いじめられるのはしょうがないことなんです。俺が悪いんです。ゼーマは……悪く……悪く……」
「本当は悪いって思ってんだろうが」
 フォルデがぼそりと言う。どこか切なげな、頼りなげな声で。
「フォルデさ……」
「本当に悪いって思ってない奴だったらてめぇが口ごもるかよ。いい子ぶってんじゃねぇ。自分の思ってること口にしてみせろ。――しろよ、頼むから」
「………………」
 セオが目を見開く。ラグもフォルデがこんなことを言うとは、と驚いていたが、それよりも今はセオだ。
「セオ。君はどんなことをされてきたんだい?」
「……食事の中に、変なもの入れられたり……遊びに連れてってやるって言って遠くに連れて行かれて置いていかれたり……服を全部引き裂かれて、それを俺がやったって言われたり……稽古をつけてやるって言って立てなくなるぐらいまで殴られたり……」
「……そんなことをされても、自分が悪いっていうのかい?」
「だって……! みんなが言ったんです、お前がちゃんとできないから悪いんだ、お前が勝手に思い込んでるだけだ、お前が勇者にふさわしくないのがいけないんだ、って………!」
「セオ」
 ラグはぽん、と肩に手を置いてセオのきれいな瞳をのぞきこみながら言った。
「君は、悪くないよ」
「え……」
「たとえ百万人が君の方が悪いと言ったとしても、俺は、俺たちは言うよ。君は悪くない。悪いのはそのゼーマって男と、周りの人間の方だ」
「だ、だって………」
「だって?」
「悪いのは、俺です……だって……だって」
「だって?」
「………っだってそうじゃなきゃ俺があんなひどいことばっかり言われたりやられたりするはず―――」
 顔を歪めて、今にも涙をこぼしそうな顔でセオが漏らした言葉―――
 ラグはぎゅっとセオの腕をつかんだ。瞳をのぞきこみながら。
「セオ。君は知っておかなくちゃならない。世の中にはね、こちらが全然悪くなくても嫌なことをしてくる人間がいるんだ」
「………でも」
「何度でも言うよ。君のせいじゃない。君は悪くない。君がどんなに弱くて勇者らしくなかろうが、それを責めていじめてくるのは向こうの方が悪いんだ。……君は、全然悪くないよ」
「…………っ!」
 ぼろ、とセオの瞳から涙がこぼれ落ちた。ぽろぽろほろほろ、泣きながら漏らすように言葉を紡ぐ。
「お……っ、俺」
「うん」
「嫌だったんです……本当は。いじめられるのも、勇者としてふさわしくないとか、いろいろ言われるのも」
「うん」
「それで……毎日苦しくて。逃げ出したくて……だから書き始めたんです。ノートに。――こうなりたい自分っていうのを、小説仕立てにして」
「…………」
 ラグは黙って話を聞いた。セオが今必死に心のうちを告白しようとしているのはわかる、口を挟むわけにはいかない。
「楽しかった……あんなに楽しいって思ったの、きっと生まれて初めてだった。書いているうちに次はこうしよう、ああしようって物語を作り出すことがどんどん面白くなってきて。毎日をやり過ごすのが楽になってきて――時々、ほんの時々だけど、幸せだ、って感じられるようになってきて―――」
「…………うん」
「―――でも、そのノートを、書き始めてから半年経ったある日、ゼーマに見つかってしまったんです」
「…………」
 予想通りの展開だ。
 セオはどこか熱に浮かされたような口調で語り続ける。
「ゼーマは馬鹿にしたように笑いながらそのノートを燃やしました。楽しそうに、嘲り笑いながら。そして言ったんです、『思い上がるな』って。『お前なんかの人生に少しでも楽しいことがあると思ってるのか。お前は一生オルテガの息子にふさわしくない人間って言われながら不幸に生きていくしかできないんだよ』――って」
「…………」
「――そのあと、俺はゼーマを殴り殺しました。我を忘れて」
「…………」
 八歳の時ですでに十六歳の男を殴り殺せるほどの能力があったのか――と思わずラグは息をついたが、セオは早口で続けた。
「わかってます、俺が悪いんです。どんなに腹が立ったからって、どんなに大切だったからって、ノートを燃やされたくらいで人を殺すなんて絶対にしちゃいけないことです。――でも、その時は本当に、許せなかったんです」
「…………」
「その時の俺にとって、そのノートは喜びのすべてだった。幸せのすべてだった。それが目の前で奪われて、消滅させられてしまった時――目の前が真っ赤になりました。そのあとは、体が勝手に動いたんです」
「…………それで?」
「死んだゼーマを前に呆然としている俺の前に父と母がやってきて、俺に罰を与えました。それから、ゼーマを俺の仲間に加えてから、父が蘇生させました」
「………つまり、ゼーマって男は今も生きてるのかい?」
 驚いてラグが訊ねると、セオはうなずく。ラグは思わず額に手を当てた。あの母親の剣幕からして、どう考えても死んでいると思ったのに。
「でも、生き返ってからゼーマは人が変わったようになったんです。悪い仲間と遊び歩くようになって――っていうのは母から聞いた話ですけど。俺をいじめなくなった代わりに近所の子供をいじめるようになって。――そして俺に殺された一ヵ月後、家中の金品を持ち出して、姿を消しました」
「……そりゃまた」
「……それでなんで君の母親が君にあんな折檻をするようになるんだい」
「両親は、俺のせいだ、って思ったみたいなんです。俺がゼーマを殺したから、だからゼーマはショックで人が変わってしまったんだ、って」
「……だからって」
「ゼーマは、本当に両親に可愛がられてたんです。剣も学問も優秀で、誰からも慕われていたから。両親にとっても祖父にとっても一番のお気に入りで、お前の方がはるかにオルテガの息子としてふさわしいって。……それを俺が奪ったんだって。勇者としての力もゼーマにあった方がずっと有効に使えたのに、って怒りもあったんだと思います」
「…………」
「当然なんです。俺は両親にも祖父にも情けない、オルテガの息子としてふさわしくないってすごく嫌われてたし。馬鹿だ屑だっていっつも言われてたから。――当然なんです、それはわかってるんです」
「…………」
「俺は、しちゃいけないことをしたんです。殺すっていうのは、死ぬっていうのは本当に、本当にひどいことなのに、俺はそれをしてしまった。しかも、それだけじゃなくて――」
 セオの顔が大きく歪んだ。
「俺、完全に俺が悪いって思えなかったんです。殺したのに。命を奪ったのに。殴られても、殺されても、後悔するっていうほど気持ちが動かなかったんです、どこかでざまを見ろって思ってたんです。そんな――そんな汚らわしい人間、この世で一番最低だって、今まで父や母や祖父やゼーマが言ってたことは全部真実だったんだって思って、本当に、俺なんか、俺こそが、死んでしまえばいいのにって―――!?」
 セオの声は途中で止まった。――ラグが、セオをぎゅっと抱きしめたからだ。
 両の腕を背中に回して、優しく、けれどしっかりと。
「……ラ……グさ………?」
「セオ」
 フォルデとロンの視線がこちらに集中しているのを感じながらも、ラグはかまわず言った。
 哀れでならなかった。正しい間違っているでいえば確かに間違ったことをしたであろうこの子が。本当に生まれた時から辛い生を送ってきただろうに、それでも他者を責めずに自分を責めようとするこの子が。
「俺は、君を、許すよ」
「え…………?」
「確かに君は一時の感情で人を殺したんだろう。人としてしちゃいけないことをしたんだろう。でも、俺はそれを許す。少なくとも俺の前では、そのことを悪いと思わなくていいよ」
「な―――んで………」
 呆然とした口調に、ラグは少し笑って言う。
「そうだな、俺が君のことを好きで大切だから、っていうのは理由にならないかい?」
「え―――」
「俺だってこれまで褒められた生を送ってきたわけじゃない。人を殺したこともあるし人の人生をめちゃくちゃにしたことだってある。後悔した数なんて数え切れないほどさ」
「…………」
「でも、それでもさ。どんなに自分が悪い人間だと思っていてもさ。今、俺たちは生きているんだよ?」
「いき………?」
「そう。人の受け売りなんだけどね――『悪いことをしたと思うなら償えばいい。自分が嫌な人間だと思うなら直せばいい。償うのも直すのも、生きていなくちゃできない。そして生きてるんなら誰だって、幸せにならなきゃ嘘だ』ってね」
「幸せ………」
「そして幸せになるのに一番簡単な方法は、『誰か好きな人に自分の存在を認めて、好きだと言ってもらうこと』――だって。少しでも幸せになれたかな?」
「ラグさ……そんな、駄目です、俺なんかにそんなこと言っちゃ、俺にはそんな、そんな資格―――」
「資格がなくちゃ幸せになっちゃ駄目なのかい? じゃあ俺にも幸せになる権利はないってことになるな」
「そ、んな、そんなこと―――」
 どうすればいいのかわからない、と書いてある顔を必死に左右に振るセオ。その顔に向けラグは語りかけた。心からの言葉で。
「セオ、俺は君に、幸せになってほしいんだよ。君が好きだからだ。大切だからだ。価値も資格も関係ない、ただ君がそういう君だから生きて幸せになってほしいって思うんだ。そして君と一緒にいて、君が幸せになる手助けをしてあげたいと思う。――君にとってはそういう思いは、迷惑なことなのかい?」
「めいわ――そんな、でも、そんな、俺、そんな―――」
 ぱっかーん! といい音がして、セオがきゅっと顔をしかめた。――フォルデが殴ったのだ。
「おい、セオ」
「は、はい?」
 ラグは思わず目を見開いた。―――フォルデが、セオのことを、名前で呼んだ。
 フォルデはもちろん自覚しているのだろう、顔を赤くして苦虫を噛み潰したような顔で、おそらくはまったく気づいていないセオに言う。
「ぐだぐだくだらねぇこと気にしてんじゃねぇ。言っただろーが、俺らにとっちゃてめぇが過去に何人殺してようがどんなひでぇことしてようがどーでもいいことなんだよ」
「フォルデさ……」
「俺らはただ、今、ここにいるお前が俺らとちゃんとつきあえる奴ならそれでいい。パーティとして、背中預けられるくらい信頼できる奴ならな」
「……ごめんなさい……」
「なんで謝んだよっ、ここで! ……言っとくけどな。俺はお前のことすっげームカつくし苛々するしどーしよーもねぇ奴だと思っちゃいるけどな」
「ごめんな……」
「だから謝るなっつってんだろ! ……仲間だとは、思ってんだからな」
「え……」
 セオが愕然とした顔になった。フォルデは顔を真っ赤にしてぐるんと後ろを向く。青いなぁとほほえましく思いながらも、やはり嬉しかった。フォルデがこんなことを口に出して言ってくれるなんて、思っていなかった。
「つまり、要するにこういうことだ」
 ロンがいつもの飄々とした笑みを浮かべ、セオの顔をのぞきこむ。
「俺たちはセオが過去にやらかしたことを知りました、けどやっぱり俺たちはセオが好きで、大切です、と。……お前さんとしてはどう思ってるんだ?」
「そ―――」
 なんと言おうとしたのか。それはわからなかった。
 セオのくしゃ、と大きく歪んだかと思うと――セオは泣き出したからだ。「うわーんっ!!」とものすごい大声で。子供のように。
 ラグは苦笑しながらセオを腕の中に抱きながら、ぽんぽんと背中を叩いてやった。父のように、母のように。子供を愛する時の親のように。

「……よく寝てやがる。んっとに、ガキみてぇ」
 フォルデが鼻で笑う。――だが、その瞳は優しかった。
「まぁ駄目な大人よりは子供の方が可愛らしかろう。子供なばっかりでもつまらんがな」
「つまるつまらんの問題じゃないだろ」
 ラグの笑みも穏やかだ。ロンはふふん、と肩をすくめて笑ってやった。
 さんざん泣いたあと活力が切れたようにセオは眠り込んでしまった。まぁここはセオの部屋なのだから寝かせるのに不都合はないけれども。
 そして今、残りのパーティメンバーはセオの寝顔を肴に軽く酒盛りをしているわけである。
「しかしまぁ、あの子のあの性格があんな過去によるものだとは思ってなかったな。半分くらいは生まれつきなんだろうが」
「んなことどーでもいーだろ。あいつがどんな過去持ってよーが俺らには関係ねぇ」
「まぁ、な。……そう簡単に乗り越えられることでもないだろうが、少なくともきっかけにはなったはずだ」
「しかし、勇者オルテガが家庭内でどういう存在だったのかは、セオの話ではいまいちわからなかったな。まぁろくなもんじゃないんだろうというのはわかったが、具体的にどんな奴なのかいまいち見えてこなかった。ちょっと楽しみにしてたんだが」
「阿呆か。んなもん知ってどーすんだよ」
「なんとなく楽しいじゃないか。英雄の素顔を知る、なんて」
「……セオも父親にコンプレックスを持ってるのかどうかはわからなかったが……そこらへんでまだ無意識的に言ってないことがある気はするな……」
「ふむ……ん?」
 ロンは片眉を跳ね上げた。
「どうした、ロン」
 ロンは口だけで『静かに』と言う。ラグもフォルデも口を閉じたので、ロンは音もなく立ち上がって窓の近くに立った。
 そして静かに窓の扉を開け――感じていた気配の主を見つけた。
「……不っ思議だなぁ、どーしてこの子が要注意人物になってるんだろ? そりゃ激情のあまり人殺してるかもしれないけど、いい子なのに。他にも注意するべき勇者はいるような気がするけどなぁ?」
 そんなことをぶつぶつ言いながら、窓の下で(ちなみにロンたちがいるのは二階だ)ノートになにやらメモを取っている少女を。
「は、駄目駄目、ヴィスさまに怒られちゃう。指令は指令、所見は所見だもんね。いっぱい勉強してようやく異端審問官になれたんだもん、頑張って正義を――」
「おい」
 声をかけると、少女はびっくぅ! と飛び上がり、ばっとこちらを見て、ぎょっとした顔をした。
「ジ、ジンロンっ!? なんであたしが見えるのっ!?」
「……俺の名前を知っているということは、俺たちを探っているということだな。どこの手の者だ」
「手、手の者ってそんな、人聞きの悪い。あたしはただ……」
「ただ、なんだ」
「え、えっとその、あのその。し、失礼しましたぁっ!」
 叫ぶやだっと凄まじい速さで走り去っていく。
 ち、と舌打ちしていると、後ろからラグとフォルデが声をかけてきた。
「おい、どうしたんだ? よく聞こえなかったんだが、誰かと話してたのか?」
「なんか女と話してたよな、声女だったし。知り合いか?」
「…………いや」
 ロンは首を振って、肩をすくめた。
「ただ、俺たちは案外あちこちから注目されてるのかもしれん、と思っただけさ」

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