カザーブ〜ノアニール――2
「……本気でみんな寝てるなぁ……よく立ったまま寝れるもんだ」
「つか……なにも食わねぇで十年って、普通死ぬんじゃねぇか?」
「あ、あの……そうじゃ、なくて……エルフたちの使った業は、たぶんラリホローマの拡大呪文式ですから、死んだりすることは……」
「……だっから使ったこともねぇ呪文の名前言われても俺はわけわかんねーんだっつーの!」
 ノアニール領主都、ノアニール―――そこは思ったよりもはるかに質素というか素朴というかな街だった。木造の、嵐が来れば壊れてしまうのではないかというような小さな建物ばかりだ。
 石造りの壮麗な建築が当然のように軒を連ねていたロマリアとはまるで違う。シャンパーニと張るほどの富裕な領地と聞いていたから、ロマリア以上の金持ちそうな街並みを想像していたのに。
 そう言うと、セオがおずおずと説明してきた。
「あの……ノアニールは、土壌が煉瓦を作るのに向いていないこともあって、伝統的に木造建築が普通、なんです。良質な木材の産地、ですし。家が小さいのは、寒い地方ですから、小さな家にしないと暖が、とれないので……その代わりに広い地下室を掘って空間と室温を確保、して、るんです……」
「………そーかよ」
 フォルデはふんと鼻を鳴らした。実際セオはこういう話になるとパーティメンバーの誰より博識だ――相当高度な教育を受けていることがうかがえて、ちょっと面白くない。
 だが、そんなことは実際どうでもいいことだった。今現在嫌が応にも注目せざるを得ないのは――
「しかしまぁ、実際不気味だな……街中の人間が立ったまま寝てるっていうのは」
 ――街全体の人間がすべて眠っているというこの異常な光景なのだから。

 カザーブから北上すること二週間。フォルデたちは思いのほか早くノアニールにたどり着いた。
 街の入り口で検問を行っていたが、ロマリア王に渡された書状を渡すとあからさまに態度が変わり(最初は立ち入り禁止だと木で鼻をくくるような態度だったにもかかわらず!)、へこへこしながら責任者のところに案内しようと言ってきた。だがセオは(毎度お馴染みなように卑屈なまでに)遠慮して場所だけ聞いて自分たちだけで向かうと言い、こちらとしてもそれは望むところだったので全員で街を見て回っているわけだ。
 ――もちろん、一番態度がでかかったくせに書状を見せたとたん一転して媚びへつらってきた一番気に入らない奴からは、腹いせに財布を頂戴しておいたけれども。
「ほどほどにしておけよ」
 気づかないセオの後ろでぽんぽんと財布を放り投げてほくそ笑んでいるフォルデに、ラグが小さく囁く。
「んだよ。言っとくけど俺は勇者様のパーティに入ってるからって生き方を変える気全然ねーからな」
 ぎっと睨んでやると、ラグは苦笑して肩をすくめる。
「別にそんなことは言わないが……俺としてはお前が捕まる危険を冒すのは嬉しくないんでな。その上盗んだことがバレればセオは責めはしないだろうが泣くだろうし。今のところ金には困ってないんだ、無理に街の盗賊でいようとすることもないんじゃないか?」
「……るっせー」
 フォルデはぼそっと呟いて、そっぽを向いた。
 職業選択の儀で『盗賊』を選択した人間の全てが盗みを働くわけではない。そのうち三分の一近くがトレジャーハンター――冒険者として生きる盗賊だ。遺跡荒らしやら潜入工作やら、冒険者のパーティの中で盗賊技能者として活躍する人間。
 フォルデは残りの三分の二の半分、街を根城に他者から金を奪うことで生計を得る盗賊だった(ちなみに残る三分の一は国家などに雇われている密偵だ)。どれも身につけられる技能は同じだが、生き方はまるで違う。
 フォルデは、自分の生き方を間違っていると思っているわけではない。自分には他に選択の余地がなかったのだから。第一この世知辛い世の中で、簡単に隙を見せる人間は食い物にされて当然。盗まれる方が悪い、そう思っていた。自分も危険を冒すのだから。
 ラグは好んで後ろ暗い生き方をせずともよいだろうと言いたいのだろう。だが――それは簡単に承服できることではなかった。自分には他に、戦う方法がなかったのだから。
 世間と。周囲の人間と。そして―――世界と。
 仏頂面で歩いていると、ラグは苦笑してぽんぽんとフォルデの頭を叩き(当然速攻振り払った)、セオに訊ねた。
「しかし、こんなにたくさんの人を外に放り出しておいて大丈夫なのかな? 健康を害されたりはしないのかい?」
「あ、それは、大丈夫だそう、です。なんでも、この街を覆うように、防護結界が張ってあるとかで……風雨とか、呪いとかはこの街の中には入ってきません。それに、ラリホローマの呪文は、人間を仮死状態にする呪文ですから、病気をしたりすることはない、ですし」
「ほう……通りで街に入ってから妙な感じがすると思った。結界が張ってあったんだな」
「……んだそりゃ。エルフが張ったのか?」
「たぶん、そうらしい、です」
「なんなんだエルフってのは。街一個眠らせといてその街を守るって? 思いっきり矛盾してんじゃねぇかよ」
「………………。そう、です、ね」
 セオはおもむろにうつむいてぼそぼそと答える。フォルデは顔をしかめた。
「んだよ。なんか言いてぇことあんならはっきり言いやがれ! 言う前からぐじぐじ悩んでんじゃねぇっ!」
「……ごめんなさい……悩んでる、わけじゃ、ないんですけど……」
 セオは弱々しい声で返す。だが弱々しいとはいえセオがフォルデの文句にはっきりした言葉を返すのは珍しく、フォルデは思わずラグと顔を見合わせた。
「……セオ。君、なにか考えてることでもあるのかい?」
「あの、考えてる、ってほどじゃ……大したことじゃ、ないですし、ただこうなんじゃないかな、って思うだけなんですけど……」
「だーっ、うぜぇ! だっからぐじぐじ悩んでんじゃねぇっつってんだろボケ!」
「う……ごめ……ごめんなさい……」
「フォルデ――」
「おいお前ら、領主の館が見えてきたぞ」
 フォルデたちはロンの指した方を向く。他の建物よりは大きいが、それでもやはり質素な感じのする館だ。
「……こりゃ、中も期待できそうにねーな」
「おい、フォルデ……」
「っせーな、別に盗りゃしねーよ。俺は火事場泥棒はしねぇ主義なんだ」
 ふん、と鼻を鳴らすフォルデにかまいもせず、ロンは扉についている呼び鈴を鳴らした。ちりちりり、と鈴が鳴る音が遠くに聞こえ、それからばたばたと慌てたように走る音がした、と思ったら大きく扉が開いた。
「どなたですかっ!」
 思いきり真剣味のこもった声で叫ぶ壮年の男――だがその視線は先頭に立っていたロンを見たとたんがっくりと地面に落とされた。
「………やはり、そんなわけはないか………」
「唐突だな。おまけになかなか無礼だ。俺たちは一応、ロマリア王からの勅使なんだがな?」
「……なんですって!?」
 男は驚愕を絵に描いたような顔で叫んだ。

 応接間に通されて、改めて話が始まった。男はノアニール侯の遠い親戚で、役人をしていたのだという。
「ノアニール侯のお言葉に従い、この十年ずっと、眠りについたノアニールの番人をしております……」
「十年も……それはさぞ、お寂しいことでしょうね」
「いえ……ノアニールから離れるよりはるかにマシです。ここには家族もおりますから……」
 そう苦笑して答える男の顔には、孤独な生を過ごしている人間に特有の面やつれがあった。
「……あんたはなんで助かったんだ? っていうか侯爵も無事だったんだよな?」
「エルフの呪いは……私を含む数人の役人と護衛を引きつれ侯爵が査察に出かけた間にかけられたのです。おそらくは……こちらの対応を迅速にさせるために」
「……ふむ。この十年間の調査の結果は?」
「……これを見てください」
 男は小さな水晶球を取り出し、かろんと卓の上に転がした。そして小さくなにやら唱える。
 すると、ぶわっ、と宙に人の顔が浮かび、フォルデは仰天してわずかに後ずさりした。
「レムオラの呪文を、魔化してあるんですね……」
 セオが独り言のように呟く。ラグもロンも当然のことのように平然としているので、俺だけ驚かされてたまるかとぐっと歯を食いしばって宙に浮かぶ顔を見つめた。
 それは二十歳前後の青年の顔だった。人のよさそうな、というか人のよさしかとりえがなさそうな朴訥茫洋とした顔で笑っている。
「これがエルフの女王の娘、アンと駆け落ちして逃げた男――リーマス・ウェインです」
「これはエルフの方から送りつけてこられたのか?」
「はい……この男と、そして――」
 また小さく何事か唱えると、映像が切り替わった。翠の髪、紅の瞳。耳の尖った絶世の美少女の映像に。
「エルフの女王の娘、アン。彼女、それに彼女たちが持ち去った夢見るルビーを返せ、とエルフたちは言ってきたのです」
「………それで?」
「我々はまずエルフの里に使者を送りつけました。なにせこちらにしてみれば寝耳に水の話ですし、なにせ街中が眠りについてしまっているのです、詳しい事情など調べようがありません」
「それは……そうですね」
「ですが使者はエルフの里にたどり着くことすらできませんでした。えんえん迷わされて気がつけば森の入り口に戻されていて」
「マヌーモの、呪文……」
 セオが小さく呟く。
「リーマスの氏素性は八方手を尽くして探し出しました。ですが彼と彼の家の人間の仕事は樵。他の街に親戚もなく、ノアニール周辺から離れることもなかったようで、彼を知る者がいない以上彼の行きそうな場所に心当たりがある者もいません」
「……………」
「こちらとしてはもう、勇者様におすがりするしか方法がないのです。どうか! どうか、ノアニールを救ってくださいませ!」
 男は土下座せんばかりの勢いで頭を下げる――ロンに向けて。
 態度がでかいからこいつが勇者と思ってんのか、とフォルデは呆れたが、セオは文句をつけることもなく当たり前のような顔でロンを見つめているし、ロンは涼しい顔でうなずいたりしている。
「まぁ任せておけ。勇者のパーティが力を貸す、と決めた以上この事件は解決したも同然だ」
「ははーっ! ありがとうございます!」
 ぺこぺこと頭を下げる男に、フォルデはけっとそっぽを向いて苛立ちを吐き出した。

「ったく、勇者様勇者様ってバッカじゃねーの、あいつ」
「まぁそう言うなよ。十年間家族とも話せず寂しい生を送ってきたんだ、助けてくれる人がいると思ったらすがってしまうのは当然さ」
「勇者様以外のパーティメンバーを無視しているのがムカつくんだろう、要するにお前は」
「……っ、別にそんなんじゃねーよっ!」
「ほほう」
 その夜、フォルデたちは領主の館に泊まることになった。久しぶりのベッドだ、泊めてくれるというのを断る理由はない。
 現在全員で一部屋に集まって今後の方針を相談中である。
「……けどよ。勇者ならエルフの村に入れんなら、なんでさっさと勇者呼んでこなかったんだよ」
「ロマリアに勇者がいなかったからだろう」
「んなこた聞いてる。だから他の国からだよ。他国に協力求めることだってできねぇわけじゃねぇんだろ? 今実際こいつに協力求めてるわけだしさ」
「他国に付け入る隙を与えたくなかったんだろう。勇者は国に属する存在だからな、正式に勇者を借り受けようと要請すればどうしても頼む側が相手の風下に立つと認めることになってしまう。セオに頼んだのは自国に引き入れようとしているのと――アリアハン王に知られずに、頭を下げずにすむからじゃないか?」
「…………」
 フォルデは無言で拳を握り締めた。そんなくだらねぇことでこの街の奴らは十年間も眠ったまんまだったのかよ。
 壮絶に気に食わない。面白くない。今度ロマリアに行ったら城からなにか宝物奪ってきてやる。
 エルフも同様に気に食わない。たかが娘が駆け落ちしたくらいでひとつの街を十年間も眠らせるなんて馬鹿の思考だ。エルフの宝物を盗んで街で高値で売りつけてやる。
「そういえばセオ。君はなにかこの事件で考えてることがあるんだったよな?」
「え!?」
 黙って話を聞いていたセオが仰天した顔になる。そしてそれからうっと泣きそうな顔に変わった。
「ごめんなさい……俺……そんな、大した、役に立つこと考えてたわけじゃ……」
「だーっ、うっぜぇな! てめぇが役に立つこと考えてるなんて誰も期待してねーよ!」
「ごめ……ごめんなさ……」
 涙ぐむセオにフォルデは思わず拳を握り締めた。本当に、このボケ勇者は。どうしてこうもすぐ泣くのだろう。
 こいつが泣くと。申し訳なくて申し訳なくてしょうがないという顔で泣くと。こちらは腹が立って、苛々してしょうがなくなるというのに。
「まぁ、落ち着け。……セオ、君はそれを話す気はあるのかい?」
 セオは目を潤ませながらも、困ったような顔をした。
「あの……っ、俺の考えてることなんて、本当にくだらないことですし……っ、俺なんかが馬鹿なこと言って、皆さんに先入観与えちゃったら……」
「だっからうぜぇこと言ってんじゃねぇって……!」
「それに……エルフたちと会ってみないと、なんともいえないこと、ですから。当て推量で、いろいろ言うのは、よくないんじゃないかな、って……」
「…………」
 そう言われるとそうかもしれないが。考えてることを話されないというのは、なんとなく面白くない。
 フォルデがむっとした顔をしていると、セオはう、としゃくりあげた。う、う、と目を潤ませながらしゃくりあげるその姿は、まるっきり子供だ。
「ああほらセオ、泣かないで、大丈夫だから。フォルデは怒ってるわけじゃなくて拗ねてるだけだから」
「勝手なこと言ってんじゃねぇボケっ!」
「やれやれ。……まぁ、方針は決まっているな。これから西へ、エルフの里へと向かい、詳しい話を聞く。それでいいな?」
「もし結界で迷わされたらどーすんだよ?」
「その時はその時――」
「……あの、それは、たぶん、ない、と思います」
 ぐすぐす鼻を鳴らしながら、セオが言う。フォルデは驚いて、セオを見つめた。
「なんでだよ? なんか知ってんのか、お前?」
「……大したことを、知ってるわけじゃ、ないですけど……エルフたちは、たぶん、こちらを里に引き入れると思うん、です。……たぶん、です、けど」
「だからなんでだって」
「……あの……えっと……それは……う……」
 またぐすぐすと泣き始めたセオを、ラグがぽんぽんと背中を叩いてなだめる。あーったくっ、と苛々と頭をがりがり掻いて、フォルデは立ち上がった。
「とにかく! エルフの里に向かう、ってことで決まりなんだな!?」
「そうなるな」
「……じゃー俺はちっと外出てくるぜ」
「火事場泥棒はしない主義じゃなかったのか?」
「ロン……」
「っせーなたりめーのこと言ってんじゃねーよ! 黙ってろボケ」
 ふんっと鼻を鳴らして、肩を怒らせながらフォルデは部屋を出て行った。

 火事場泥棒をする気はない。だが、この領主の館には人がいるのだから、火事場泥棒にはならないだろう。
 領主の館の中は豪奢なタペストリーや細工類で飾られ、渋好みではあったものの金のかかったつくりをしていた。探せば宝石類もどっさりあるに違いない。
 まぁ行きがけの駄賃に、ひとつふたつ拝借して悪いことはないだろう。
 この館に住んでいるのは責任者の役人と家政婦が二人――どちらも一階に住んでいる。自分たちのいる客間は二階。宝物庫はおそらく地下だ、三人とも寝静まっているようだから気配を殺して――
「フォルデ……さん!」
 泣きそうな必死な声で名前を呼ばれ、フォルデは思わず飛び上がりかかった。ばっと振り返って、予想通りそこにいたセオをぎっと睨みつける。
「んだよっ! いきなり名前呼ぶな!」
「……ごめんな……さい………!」
 ふえ、と顔が歪んで目にみるみるうちに涙がたまる。強烈な腹立ちが湧き上がって、フォルデはずかずかとセオに歩み寄り胸倉をつかんだ。
「謝ってんじゃねぇっ! てめぇはどうしてそういっつもすぐ謝りやがんだこのタコっ!」
「ごめんなさい……ごめんなさい………!」
「だっから謝るなつってんだろ何度も何度も何度も何度も! てめぇには学習能力っつーもんがついてねぇのかよっ!」
「ごめんなさいぃ……!」
「てめぇ人の話聞いてんのかーっ!」
 腹が立つ。腹が立つ腹が立つ腹が立つ腹が立つ!
 どうしてこいつはこうなんだ。どうしてまともに自分と話をしようとしないんだ。
 自分だって、セオを泣かせたりしたいわけじゃ、全然―――
「……っ!」
 ぶるぶるぶる、とフォルデは大きく首を振った。そんなことはどーでもいい。
 フォルデは胸倉をつかまれながらぼろぼろ涙をこぼしているセオを睨みつけながら、落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせながら言う。
「……おい。お前、どーしてそういっつもいっつも謝んだよ」
「……ごめんなさい………」
「だっからあやま……っ」
 落ち着け落ち着け落ち着け! 怒鳴ったらまた同じことの繰り返しだ!
 ――自分だって、セオを傷つけたいとは、これまでずっと親や周囲に苦しめられてきたセオを傷つけたいとは、思わないのだから。
「……謝って、ほしいわけじゃ、ねぇ。……お前、前に言ってたよな。申し訳なくて謝らずにはいられない、とかなんとか」
「………はい」
「だっから……どーして申し訳ないとかいう話になんだよ。お前今なんか俺に悪いことしたか?」
「……いきなり、名前、呼んで、フォルデさんに不愉快な想い、させちゃい、ました……」
 フォルデは一瞬ぽかんと口を開け、そのあとぶっちーんと必死に堪えていた理性の線がぶち切れて怒鳴った。
「んなしょーもねーことで申し訳ないとか言ってんじゃねーっ! んなことどーでもいーこったろーが! んなしょーもねーことでやたらめったら謝る方がうぜぇしムカつくんだよボケっ!」
 セオの両の瞳から、ぶわっと涙がこぼれ落ちる。
「ごめんなさ……ごめんなさい……!」
「だっから謝るなって何度言やぁ……!」
 胸倉をつかみ上げかけ――我に返った。だから怒鳴ってはまずいのだ。怒鳴るとこいつはひたすらごめんなさいを繰り返すことしかしない。
 すー、はー、と深呼吸を繰り返し、必死に気持ちを落ち着かせて、気持ちセオの顔から目を逸らしながらセオに言った。
「……とにかく。俺は、すぐ怒鳴ったりすっかもしんねーけど。……別によっぽどのことされなきゃ、お前のこと、嫌いになったりしねーから……すぐ謝んの、やめろよ。そっちのが苛々する」
「……………………」
 セオはしばし、まじまじと自分を見つめ――またぶわ、と涙をこぼした。フォルデはぎょっとして思わずセオから手を放し一歩退く。
「な……なんで泣くんだよ!? 俺別に泣くようなこと言ってねぇだろ!?」
「ちが……ごめ、じゃな、ちが、あの、う、うう―――っ」
「だっからなんで泣くんだてめぇはっ!」
 うっくうっくとしゃくりあげながら、泣きじゃくりながら、セオは必死にフォルデを見る。なんだ、なにか言いてーことでもあんのか、とこちらも必死な顔で見つめ返すと、セオは泣きじゃくりながら言う。
「あり……あり、あり………ありが、とう、ございま、す………」
「…………………………は?」
 一瞬呆然としてから訊ね返すと、セオは泣きじゃくりながら言う。
「俺……なんかにっ、いっつも苛々してる、俺なんかにっ……嫌いに、なったり、しないとかっ、言ってくれて……本当に、ありがとう……ございます………」
「………………」
 フォルデはなんと言っていいかわからなくなって黙り込んだ。
 こいつ――なんなんだ、いったい。なんでこんなことで嬉し泣きするんだ? ただ嫌いにならないって言っただけで。
 こいつにとって、嫌われないっていうのは―――そんなに嬉しいことなんだろうか。
 フォルデはしばしばりぼりと頭を掻き、ぎりぎりと奥歯を噛み締めて、「だーっ、くそっ!」と怒鳴ってから胸ポケットからぐいとハンカチを取り出した(いつも持ち歩いている、痕跡消し用の予備だ)。
「使え」
「…………あ、りがとう、ございます………」
 びっくりしたような顔でセオはそれをおそるおそる受け取り、涙を拭く。涙はあとからあとから流れ落ちていたが、ハンカチに吸われているうちに止まったようだった。
 思わずほっと息をつくと、セオはびくりと震えて、ぺこりと頭を下げる。
「あの、ハンカチ、ありがとう、ございました。ちゃんと、洗って、返しますから」
「あ? いーっつのんなもん。水浴びだってろくにできねーっつのにハンカチ洗ったってしょーがねーだろ」
「あの、でも、今日はここに泊まるわけですし、お風呂にも入りましたし、洗えるなら、洗った方がいいと思うし……」
 泣きそうな顔で見つめられ、フォルデははーっとため息をついて肩をすくめた。
「てめーがそーしてーっつーなら好きにしろよ」
「は、はいっ」
 セオがぱっと顔を輝かせる。涙に濡れた瞳がきらめいて、フォルデは一瞬どきりとしたが、すぐに仏頂面に戻ってふんと鼻を鳴らした。
「で。なんか用あったんじゃねーのかよ」
「は、はいっ。あの……っ、さっき……めそめそして、フォルデさん、苛々させちゃって……ごめん、なさい」
「は?」
 ぽかんとしたフォルデに、セオは顔面蒼白になった。
「あ、ごめ、じゃな、すいま、違う、えっと、あの、申し訳な、でもなくて………!」
「あーもーいいもーいい! 要するに! てめぇはさっきのことを謝りたかったんだな!?」
「は、はいっ!」
 はぁ、と気が抜けて思わずため息をつく。なんだか自分がとてつもなく馬鹿馬鹿しいことをしているような気になってきた。
 こいつ、本当になんなんだろう。どうしてこんな奴がいるんだろう。そして俺の仲間なんだろう。
 こんな奴今まで見たことない。会ったことも話に聞いたこともない。自分の、王侯貴族というわけでも英雄というわけでもない自分の言葉でこうも一喜一憂して、必死に誠実に対応しようとする。
 なんでこんな奴が勇者なんだろう。勇者っていうのは普通もっと偉そうなものじゃないのか?
 なぜかしゅんとしているセオの手を、フォルデはぐいと引っ張った。
「え……」
「おら、部屋戻んぞ。明日早ぇんだろ?」
「は、はいっ」
 ぐいぐい引っ張る自分にセオはぱたぱたとついてくる。ヒヨコみてぇ、と一瞬思って、そんなことを思った自分に腹が立った。
「……お前さ」
「は、はいっ」
「なんで、勇者やってんだ?」
「え、え?」
 言ってからなに言ってんだ俺は、と苛立ったが、セオははんなりと笑って、答えた。
「だって、俺にはそれしかできること、ありませんから」
「………ふーん」
 人によっては嫌味とも取れそうな言葉だったが、フォルデはぶっきらぼうに言って、すたすた歩を進めぐいぐいセオの手を引っ張った。ロンに『おお手繋ぎまでいったか。やるな』などと言われてはっとしてカッとしてぶち切れるまで。
 腹が立ってもおかしくない台詞だと思うのに、苛立ちは湧いてこなかった。その代わり胸がなんだか妙にうずうずして、ざわざわして、やたらに歩を進めた。
 それはセオにとって、勇者であるということが、自分にとっての盗みと同じように、世界に存在するための唯一の手段だということをなんとなく感じ取り、共感と切なさをおぼえたためだったのだが――フォルデがそれを自覚するのは、ずっとずーっと、ずっと先のことであった。

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