カザーブ〜ノアニール――3
「……美しい森ではあるが。さすがにこうもえんえん歩いていると飽きてくるな」
 ロンがぼそりと言った言葉に、ラグは苦笑して肩をすくめた。自分もそれには同感だ。
「つかよ、本気の本気のほんっとーに、エルフの結界抜けられるんだろうなぁ? これで結局迷わされて里にたどりつけませんでしたじゃ洒落にならねぇぞ」
「んー、たぶん大丈夫だと思うんだがなぁ……」
「……はい、たぶん、大丈夫だと思い、ます……」
「……ふん」
 エルフの里を目指してノアニールから西進すること一週間と少し。自分たちパーティはまだエルフの里にはたどりついていなかった。
 おそらくは単に場所がわからないだけなのだろうとは思う。一応木々に印を(エルフの不興を買わないようにロープで)つけておいたのだが、同じ場所を二度通る、ということはなかったからだ。
 だがこの深い森のどこにエルフの里があるかわからない以上、見つかるまでえんえん森の中をさまよい歩くしかない。狩人でも野伏でもないので野外活動は専門外ではあるものの、冒険者として積んだ経験は迷ってはいないと告げていたが。
「……あー、くそ。面倒くせぇ。なんで俺らがこんなとこ歩かなきゃならねーんだ。だいたいなんで俺らがロマリアの王さんの命令聞かなきゃなんねーんだよっ。そもそもエルフなんて奴らが偉そうに結界なんて張ってんのが悪ぃんだっ、あーくそムカつくムカつくムカつくムカつく」
「ほうほう、元気が有り余っているようだな。ならば稽古の時重りをもう少し増やしてみるか」
「ぐあ、やめろ馬鹿阿呆なこと言うんじゃねぇっ!」
「ロン……ほどほどにしておけよ」
 ラグは苦笑しつつ肩をすくめた。ロンが旅に支障が出るほどフォルデを痛めつけるとは思っていないが、こいつは唐突に(おそらくはその時の気分で)けっこうむちゃくちゃをやったりするので油断できない。
「ま、エルフは曲がりなりにも神の眷属とも言われる奴らだからな。偉そうなのは当たり前といえば当たり前だ」
「けんぞ……?」
「同じ一族、みたいな意味だよ」
「う、うっせぇ馬鹿んなことわかってんだよっ!」
 カッと顔を赤くして怒鳴ってから、フォルデは不審そうな顔になる。
「神の眷属、って。んだよそれ。神様って、人間とか世界とかを作った奴らだろ? そんなもんの同族が普通に存在確認されるわけねぇだろ。……つか、神様だなんだっつの、結局伝説だろ?」
「………ふむ」
 ロンは少し首を傾げた。そんな姿勢をとるとロンの渋いと言ってもよさそうな整った顔が存外子供っぽく見える。
「フォルデ。お前、この世界の神話をどのくらい知ってる?」
「は? えっと……世界を作った神様が古代帝国時代の人間を生意気だからってんで一回滅ぼして、新しく作り直したのが俺らの先祖……だってくらい」
「ふむ。ま、そんなもんだろうな」
「……んだよ。馬鹿にしてんのか?」
「いやいや予想通りだと納得しただけだ。……まぁここで神話について長々と講義するつもりもないので簡単に言うとな。まず、古代帝国時代は神の存在は否定されてたが、現在の学説では神は実在する、というのが定説になってる」
「は? なんで」
「神との交信を行ったと思われる聖職者たちの実例の多さのためだな、主に。一度に世界各地の何千人って聖職者に同じ、強烈な神威を持った文言が送られてきたりしたこともあるんだ。おまけに古代帝国時代の世界崩壊の記録にも神らしき存在と交信した人間がいた記録も残ってる。実在を疑う必要性もないだろう?」
「誰も会ったことねぇのにかよ? 学者ってのはのんきだな」
「それだけじゃない。理由の中には、神の手によると思われる遺跡やら道具やらが残されていること――セオの言ってたラーミアもそうだしな――と、エルフやホビットの存在があるんだ」
「は?」
「エルフ、特に寿命が存在しないといわれるエルフの王族たちとの交流の記録はほとんど残っていないが、古代帝国時代の記録にわずかに、エルフの王族が神から下された使命について人間の王族に語ってるってのがあるんだ。エルフは神の意を世界に示すために存在する、精霊と神のあわいの存在、妖精族であるとかなんとかな」
「………ふーん」
「で、その資料にかなりの信憑性があるってんで、現代の学説では神の存在、及びエルフが神に最も近しき種族であるということはほぼ定説なわけだ。理解したか?」
「……嘘くせー話だな」
 フォルデが半眼で言うと、ロンは笑って肩をすくめた。
「ま、学説ってのはどれもだいたいそんなもんだ。よくわからんからあーだこーだと学者連中が議論できるわけでな」
「嘘だと思うんならエルフの女王に聞いてみたらどうだ。せっかく会えるんだし」
 そう言うと、フォルデは顔をしかめる。
「冗談じゃねー。そんな偉そうな奴とまともに話なんざしたくねーよ」
「おやおや、臆病なことで」
「んだとっ!?」
「まぁまぁ、落ち着け二人とも……」
 いつものごとくそう二人の間に割って入ろうとする――と、セオがぎゅ、と突然自分の服の裾をつかんだ。
「……セオ? どうかしたのかい?」
 訊ねると、セオは真剣な顔で手を上げ、自分たちの進んでいた道なき道の奥を指し示す。
「―――エルフの集落です」
「!?」
 思わずばっとそちらの方を向く――そこには確かに、森の木陰に樹の間に間に、ひっそりと建っている建物の群れがあった。

 当初からの予定通りしっかり隊列を組みつつ、しかし武器に手はかけずに進む。警戒は必要だがエルフたちに警戒されては元も子もない。自分たちはエルフたちの情報が必要なのだから。
「………人がいねぇな」
「エルフだろ」
「だから、エルフが! どーいう意味で言ってんのかわかってんだろてめぇっ!?」
「むろんわかってはいるがこういうのはお約束だろう」
「二人とも、静かに。……気配は感じる。たぶん姿を消す魔法でも使ってるんだろう」
「こちらをそうも警戒してるということか? にしてはあっさり結界の中に入れてくれたものだが」
「……こちらに、うかつに、姿を見せれば殺される、と思ってるんだと、思います。たぶん出てくる時は、最大限の警戒を払って、出てくるはず、です」
 小さく言ったセオの口調から、セオが警戒態勢に入っていることをラグは理解した。エルフから身を守るためかエルフを傷つけないようにかは正直微妙だが、自分も気を抜くわけにはいかないなと改めて気を引き締める。
 木造の、大きさも使われている建築技術も山小屋程度の小屋と木々の間を通り抜けてラグたちは集落の中へと進んだ。こんな家でこんな寒い地方でよく寒くないなとちらりと思う。今は夏だからまだしも、冬になったらこんな家ではさぞ隙間風が冷たかろう。
 と、ふいに足音が聞こえた。反射的に身構えるラグたちの前に、革鎧と槍で武装した驚くほど美しい少女たちが二人、こちらの神経がちりちりするほど体中から警戒心をみなぎらせつつ木々の影から姿を現した。
 いや、少女ではない。ちょっと見た限りでは普通の少女だが、耳が大きく尖っている。しかも髪は翠色。人にはありえぬ色だ。
 つまり、これが――エルフ。
「……結界を破ったお前たちを女王様がお呼びだ」
「ついてこい」
 ぴりぴりした口調で言うと、ばっと踵を返してすたすたと歩み去っていく。
「……んだよ。偉そうな奴らだな」
「だからエルフが偉そうなのは当たり前だと言っただろう」
「そーいう問題じゃねぇだろっ。どーいう生まれだろうが実際に力もねぇのに偉そうにしてる奴らはムカつくんだよっ」
 ぶつぶつ言いながらもフォルデはすたすたとついてくる。自分たちも充分に警戒しつつエルフたちに遅れないよう歩を進めた。
 歩いていくと、木々の間に他の小屋よりわずかに大きな建物が建っていた。やはり木造の、建築技術もそう変わるわけではない建物だが。
 エルフたちは扉についている呼び鈴を鳴らすと、中へと入っていく。自分たちもあとへ続いた。
「女王様、奴らを連れてまいりました」
「――ご苦労でした」
 入った最初の部屋で、玉座のような場所に座っている女性を見て、ラグは思わず息を呑んだ。
 美しい――とてつもなく。ラグもこれだけ生きてきているのだから美しい女は方々で見てきてはいるが、ここまで美しい女は初めて見た。
 美しいというのは特徴がないということだ、と以前会った学者が言っていたが、そのひとつの証明がここにある、とラグは思った。瞳も、鼻も、口もすべてが平均的――黄金的な比率をもって平均的なのだ。大きすぎず小さすぎず、位置もこれ以上ない、というほど見事な位置に収まり、おまけに肌ときたら内側から輝いているのではないかと思うほど。
 セオと張るほどの美形などこの世にいるとは思えなかったのだが、世の中というのは広いものだ。思わず気圧されていると(フォルデは呆然としてあんぐり口を開けてその女性を見ていた)、エルフの女王は音楽的とすら言ってよさそうな声で冷たく、こちらを苛烈な瞳で睨みながら告げた。
「人間よ。あなた方世界を食らう者が、我々になにを求めてきたのです」
「…………」
 美人の冷たい声というのは迫力が半端ではない。ラグは周囲を見渡して、セオは泣きそうになりフォルデはまだ呆然としロンはなにが面白くないのか仏頂面をして黙っているのを確認し、仕方なく一歩前に進み出た。
「我々はロマリア王から依頼を受けて、ノアニールの呪いを解くべく行動している者たちです。呪いについてお話を窺いたく思い参りました」
「言葉はすでに送ったはず。あれ以上人間に話すことはありません」
 やたら棘のある言葉を睨みつけられながら言われる。こうなるとその美貌もこちらを威圧するためのものにしか見えなくなるから不思議だ。
「いえあの……ルビーと王女を連れてこい、という言葉はいただいたそうですが。なにか手がかりとかあったら教えていただきたいんですが?」
「そのようなものがあれば人間の手など借りず我々の手で捜索しています」
「いやあの、でもですね。こちらにとっては正直寝耳に水の話だったわけですし、そもそも本当に駆け落ちしたのかどうかすらわからないので。失礼を承知で言わせていただければ、逢引の最中に魔物に襲われて、ということもないとは言えないですし、詳しい話をお聞かせ願えればと――」
「―――っ人間風情がなにを偉そうに! エルフの王族ともあろうものがこの周辺にいる程度の魔物に倒されるものですか!」
 ぎきっと音がするかと思うほどの気迫で睨みつけられる。ラグは思わず小さくなりながら、ちらりと思った。
 あれ、これって、この人。
「……あの汚らわしい人間は、好奇心に任せて森の外へ出たアンをたぶらかしたのです。結婚の許しをくれ、と何度もここへやって来ました」
「……それで、あなたはそれをお許しにならなかったわけですね?」
「当然です! 汚らわしい人間ごときが、エルフの王族となど思い上がりもはなはだしい!」
 震える声で女王は怒鳴る――と、フォルデが据わった目で一歩前に出た。
「おい、ババァ。てめぇ、脳味噌沸いてんのか」
「なにを!」
「無礼な!」
 エルフの兵士たちがカッと顔を赤らめ武器を構える――だがエルフの女王はそれを制し、ひどく冷たい――けれど震える目でフォルデを睨みつけた。
「人間風情がよくも偉そうな口を叩いたものですね。本来ならばこの清らなるエルフの里に入ることすら許されぬ存在が」
「ざけんなババァ。清らだぁ? てめぇのそーいう偉っそうな態度、人間の腐れ貴族どもとそっくり同じだぜ。別に自分が大したことしたわけでもねーくせにただ自分の生まれだけででかい口叩いてるとことかな!」
「貴様……っ、侮辱するか!」
「人間などと我らを同列に扱うとは……!」
「おやめなさい!」
 今度は口に出していきりたつ兵士たちを制止し、女王はきっとフォルデを睨んだ。
「人間よ。あなたは我らの里に乗り込みまでして我らを侮辱するのが目的ですか。我らはそのような戯言に付き合うほど酔狂ではありませんよ」
「先に喧嘩売ったのはそっちだろうが! 自分の口棚に上げて偉そうに言うんじゃねぇ!」
 怒鳴ってから、フォルデは女王を睨んだ。
「俺の言いたいことはひとつだ。とっととノアニールの呪いを解きやがれ。てめぇの娘のしつけが悪いのが原因のくせして、他人にまで迷惑かけてんじゃねぇよ!」
「……人間が!」
 吐き出した言葉は、呪わしげな響きに満ちていた。
「アンをたぶらかしたのは人間であろう! それを棚に上げてよくも偉そうに……!」
「男と女の関係にどっちが悪いもあるかよ。騙されたんだとしても騙された方も甘いんだ。しっかり娘をしつけときゃあそんなことにゃならなかったんだよ!」
「………! そなたになにがわかるというのです! エルフの使命も在り様も、なにも知らぬ人間風情が!」
「へっ、さっきも言っただろーが。そーやってエルフだっつー生まれだけで偉いと思ってるとこ、人間の中でも最低の屑そっくりだぜ!」
「フォルデ……もうやめろ」
 ラグは顔を突き合わせて怒鳴りあう女王とフォルデの間に割って入って、フォルデを取り押さえた。こんな状態ではまとまる話もまとまらない。
「女王様、仲間の無礼をお詫びいたします。我々は一度引き上げますので、お互い落ち着いた頃またお話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「おいコラてめぇっ、俺はちっとも悪いなんて思っちゃいねぇぞっ!」
「………………」
 女王は無言でじっとこちらを睨んでいる。兵士たちも同様だ。こりゃ話は難航するぞ、と思いつつ、ラグは頭を下げて騒ぐフォルデを引っ張った。
「ほら、行くぞフォルデ」
「引っ張んなよ!」
「あの……ラグさん、ちょっと、いいですか?」
「え?」
 ずっと泣きそうな顔をしていると思っていたセオが、急に手を上げた。まだ泣きそうな顔はしているのだが、まぁそれは他人がいる時のセオの常態だからまぁいいとして。
 こんな攻撃的な相手に、セオはなにを言うことがあるのだろう。
 疑問に思いつつもすっとセオのために場所を空けると、セオは進み出て、泣きそうな顔で、震える声で、こちらを睨みつけるエルフたちに言った。
「エルフのみなさん。あなた方は、人間以外の存在が、ルビーを持っている可能性の方が高い、と思っているんじゃ、ないですか?」
「え?」
『………………!』
 セオのその言葉は、エルフたちの間に、驚くほどの衝撃を与えたようだった。
 驚愕の表情で固まる兵士たち、錫を取り落としかけるほど動転する女王。まるで恐ろしいものでも見るかのようにセオを見つめるエルフたちに、セオは泣きそうな顔を崩さないまま頭を下げた。
「ごめんなさい、勝手なことを言って。……あの、間違ってたら、おっしゃってください、すぐ考え直しますから」
「……間違っては、いません」
 軋むような声でそう言った女王に、セオはほっとしたような顔になってまた頭を下げる。
「はい。それじゃ、俺の方も俺なりに、全力を、尽くしてみます」
「…………」
 エルフたちは無言のまま、部屋を出る自分たちを見送った。

「あーったくんっだよあのクソボケども! えっらそーにしてるくせして大した宝も持ってやがらねぇし!」
「おい……お前エルフの集落で盗み働くつもりだったのか?」
「まったく、不愉快な奴らだったな。これだから女というやつは」
 心底不愉快そうにそう吐き捨てるロンに、ラグは少し眉を寄せた。
「ロン、お前女嫌いなのか?」
「ああ……いや、女だからといってことさらに嫌ってるつもりはないんだが。俺の前に出てくる女どもには阿呆が多い」
「それなら女がみんな阿呆みたいな言い方はよせよ」
「やれやれ。お前さん女性崇拝者か?」
「違う。俺は女を馬鹿にする男が嫌いなんだ」
「……お前に嫌われるのは切ないものがあるな。わかった悪かった、控えよう」
 片眉を上げてそう肩をすくめるロンに、小さくうなずく。
 どんなに言われてもこれだけは譲るつもりはなかった。自分はあの人を知っている、誰よりも強く、優しく、暖かいあの人のことを。
 だからあの人が属する性を悪く言われることには、我慢がならないのだ。
「あーくそ気分悪ぃ。種族丸ごと偉そうなんて最低だな。俺エルフっつー種族大っ嫌ぇになったぜ」
 心底腹立たしげに言うフォルデの言葉に、ラグはぽんぽんとなだめるように肩を叩いた。
「まぁまぁ。あの人たちにはあの人たちの言い分があるんだろう」
「どんな言い分だよっ」
「それは知らんが……ただ、なんていうか」
 ラグは思い出しながら少し首を傾げる。なんていうか、エルフの女王のあの態度は――
「なんだよ」
「いや……なんでも」
「なんだよ、変な奴。……ったくよー、だいたい兵士に女がなってるってとこからしておかしいんだよ。なにやってんだ男は、あー気分悪ぃ」
 フォルデの言葉に、ロンはまた片眉を上げた。
「知らんのか? エルフという種族には、女しかおらんのだぞ?」
『……はぁ?』
 思わずフォルデと声を揃えてしまった。それは自分も初耳だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それでどうやって繁殖するんだ?」
「繁殖の方法はエルフの秘儀らしいから詳しいことは知らんが。分裂というか、特殊な術法を用いて自分の分身を作り出すらしい」
「はぁー!? んだそりゃ。気色悪ぃ方法で増えんだな、あいつら」
「しかし……それで恋愛とかできるのか? 普通それなら男と恋愛なんて考えられないと思うんだが……アン王女が特殊だったのかな……?」
「ま、エルフの生態がどうなってるかなんてのはこの際どうでもいい。……セオ」
 ロンは何事か考えているように黙り込んでいるセオの肩を、ぽんと叩いた。
「は、はいっ!?」
「お前さんはなにか、ルビーの行方について考えがあるみたいだったな?」
「あ、そうだね。前に言ってた、考えてたことってそれかい?」
「え……あの」
 セオはとたんに泣きそうな顔になる。この子はいつもながら、自分が評価されるようなことに対してはひどく臆病だ。
「あの、本当に、大したことじゃないですし、みなさんにしてみればとっくのとうにわかってるみたいなことで、俺なんかに聞く必要なんか全然――」
「だーっ、うっぜぇな! どーでもいーからなに考えてたかさくさく言ってみろっ」
「はっ、はいっ!」
 セオはばっと気をつけの姿勢をとり、固まったような声で叫んだ。
「エルフが呪いをかけた理由のひとつには、人間たちが自分たちの里に攻めてくるのを警戒してっていうのがあるんじゃないかって、思ったんですっ」
『………はぁ?』
 フォルデとラグは思わず声を合わせた。どこからどうなってそういう結論が出たのかさっぱりわからない。
「おい、ちょっと待てよ。エルフの方が勝手に呪いかけたんだろ? ひとつの街丸ごと眠らせてんだぞ? こりゃもー喧嘩売ってるみたいなもんだろーがよ?」
「あの……エルフたちにしてみれば、ノアニールの街を眠らせたのは、緊急避難、だったんじゃないかって、思うん、です」
「緊急避難ン?」
「はい。あの……夢見るルビーは、エルフの宝重ですよね? だったらエルフたちは、魔法で場所がわかるようにしるし≠つけてたんじゃないかと思うんです、普通に考えて」
「……んなことできんのか?」
「……できるらしいな、魔法使いや賢者たちは」
「はい。なのにエルフたちは夢見るルビーの場所がわからない。つまりこれはしるし≠取り外された上で、探知防御の呪文をかけられたとしか思えない、わけですよね? それも、エルフ以上の魔法技術で」
「………確かに、そうなるね。それで?」
「えっと……それだけのことができるのは、魔族、ないしエルフたち自身。この二種類しかない、とエルフたちは考えると思うん、です」
「! 魔族!?」
 全員思わず立ち上がりかけた。魔族は人間だろうとエルフだろうと、神に造られしもの全てを滅ぼさんとするという生きとし生けるものすべての敵。自分たちの倒すべき魔王の、おそらくは眷属で配下。
 そんな奴が相手では、これまで考えていたのとはまるっきり話が違ってくる。
 セオは三人の反応にびくり、としつつも話を続ける。
「えっと……その、つまり、ですね。アン王女が自分で探知防御をかけた場合。でもこれはエルフたちとしてはあまり……なんていうか、考えたくない思考なはずですし、普通に考えて、年若い王女が、創世期から生きているとされる青の森≠フ女王のかけた呪文を防げるとは、思えません。あとは、魔族。逃げ出した二人が、魔族に襲われて、夢見るルビーを奪われてしまったんじゃないか、と考えると思うん、です」
「ちょ、ちょっと待てよ。じゃーなんでノアニールに呪いかけんだよ?」
「たぶん……保険、じゃないかと思います」
「保険? どーいう保険だよ?」
「えっと、まず、ひとつには。もし万一魔族にさらわれたのじゃない場合。もし万一アン王女が自力で探知防御をかけた場合。もし万一人間がしるし≠解除した場合――二人と夢見るルビーは人間の手に落ちた、と考える、と思うんです、エルフたちは」
「……うん、普通に考えればそうだろうね。それで?」
「……だから、人間に攻め込まれないように、予防線を張ったんだと、思うんです」
『………はぁ?』
 三人は声を上げた。話の繋がりがまだ見えない。
 セオは真剣な顔で説明する。
「エルフの、結界の技術は、まだ研究しつくされたわけじゃないですけど、マヌーモ――森や霧とかにかけて、術者が選択した相手以外は、道に迷わせる呪文だろうという見当は、ついています。これは、相手の精神に働きかける幻覚の呪文。そして、夢見るルビーは――のぞきこめば心の奥にある夢を浮かび上がらせられるから、そう呼ばれているものの、本来は神から下された、大規模精神制御用の力を持つ道具です」
「……えっと……つまり、夢見るルビーがあればエルフの結界を通り抜けられる、ってわけかい?」
「はい」
 こっくりとうなずくセオ。
「ちょ、待てよ。だからってどーして即エルフんとこに攻め込むってことになるんだよ?」
「……エルフたちに、とってみれば――特にエルフの王族にとっては、古代帝国時代の、エルフ狩りは、まだひどく身近な出来事だと、思うんです。特にエルフの王族には寿命がない、ですし。創世記から生き続けていると聞きます、から」
「しかし……千五百年以上も前だぞ」
「エルフにしてみれば、一昔程度の話、です。それに今の人間の時代でも、始まったばかりの頃はまだ、エルフ狩りが行われてたって、聞きますし」
「ったく、ジイシキカジョーなんじゃねぇの、あいつら。あんなクソムカつく種族わざわざ狩る奴らなんてよっぽどの物好きだぜ」
「え?」
 セオはきょとんとした顔をして、それから暗い顔になって言った。
「あの……エルフが狩られた……嫌な言葉ですけど……のは、姿形の美しさやその珍しさからじゃ、ないんです。……その血肉が、不老長生の妙薬になるって、言われてるからなんです」
『……はぁ!?』
 再びラグとフォルデは声を上げた。ロンは知っていたのか渋い顔で黙っている。
「け、けど、それって迷信なんだろ?」
「……そうだったら、よかったん、ですけど」
「……まさか、本当に?」
「……はい。エルフの肉体を特殊な方法で煮込んで薬に調合すると、人間の老化を抑える薬になるっていうのは、本当みたいなん、です。今は、それは、世界中の国々が協定を結んで隠してます、けど」
『………………』
「だから、エルフは――今も、人間に対してものすごく警戒心を抱いてる、と思うん、です。人間に会えば、まず襲われる、と思ってるくらいに」
「……そうか。それでか」
 ラグはぽんと手を叩いた。フォルデが不審そうにラグを見る。
「は?」
「エルフの女王の態度だよ。……あの人、なんか俺には怯えてるみたいに見えたんだ。俺たちに」
「はぁ!? どこがだよあんなクソ偉そうな態度取っといて!」
「……お前、日常的に男に殴られてる女の態度って見たことあるか?」
「……いや。ねぇ、けど」
「いくつか型があるんだが。あれはそのひとつの型の典型だと思うんだ。気の強い、気位の高い女は、たいていそういう時ああいう風に攻撃的になる。――瞳をぴりぴりさせながらな」
「ラグさん、すごく詳しいんです、ね……」
「……まぁ、ね」
 ラグは肩をすくめた。それは正直、あんまり話したい話ではない。
「……えっと、話を戻します、と。エルフは、人間っていうのは、エルフに攻撃する機会があればすぐ攻め入ってくるものだと、思ってると、思うんです」
「だろうな。で?」
「はい……それで、ですね。人間がエルフの里に、攻め入るのだとしたら……ノアニールは絶好、というよりほぼ唯一の補給点に、なります。つまり、そこに結界を張って人の出入りを感知すれば、人間の動きはほぼ、察知できるんです」
「……ちょっと待て。つまりエルフは、人間の動きを察知する結界を張るためだけに、ノアニールを眠らせたっつーのかよ?」
「それと、人質、かと」
『人質?』
 全員思わず声を揃える。
「魔族が、ルビーを奪った場合。こっちの方が確率は高い、とエルフは読んでると、思うんですけど。……エルフは魔族の生息する、魔化領域ではまともに力を発揮できないので、魔族とまともにやりあうのは分が悪いです。つまり、ルビーを取り戻すには、人間の勇者の力に、頼るしかないわけです」
「……そうなるな。つまり……ノアニールを眠らせておけば人間はルビーを返さざるを得ないから……?」
「はい。一挙両得を狙って、街を丸ごとひとつ、人質に取ったと思うんです」
「おい……ちょっと待てよ。街ひとつ眠らせられたら人間がエルフ攻めてくるとかいうことは考えなかったのかよ?」
 セオは小さく首を振った。その瞳には確かに明晰な思考の光が輝いている。
「エルフにしてみれば、ルビーが里の外に出た時点で、人間と戦争になることは、ある程度覚悟の上、なんです。エルフは人間をまったく、信用していませんから。……彼女たちが信用する人間は、勇者だけ、です」
「……まるで以前にもエルフと会ったことがあるような口ぶりだな」
 ロンの言葉に、セオは少し表情を翳らせた。
「会ったことはないですけど、エルフがどういう存在かは話に聞いていましたから。実際に会った――父に」
「……そうか」
 ラグはなんと言っていいかわからず、とりあえず小さくうなずいた。
 セオの父親――オルテガがどういう人間だったのか、セオにとってどういう存在だったのか詳しいことは聞いていない。聞けていない、というのが正しいか。どう聞いても傷つけてしまいそうで――こうも彼が卑屈になったのは少なからず父親の影響もあると思われるし、第一あの女を妻にするような男だ、世に言われているような英雄そのものとはどうしても思えない。
 セオの心の傷を癒すためには聞いた方がいいのだろうが、時期を見計らわなければ――そう再確認しつつ、ラグはセオの頭を撫でた。セオはきょとんとしたが、きょとんとしつつも照れくさそうにへちゃっと顔の表情を崩した。もう少し整えれば笑顔に見えなくもない。
「えっと、で、です、ね。エルフたちがそういう考えで、いる以上、ルビーを持ってこない限り呪いは解かれないだろうし、逆に言えばルビーさえ戻ってくればたぶんあっさり呪いを解いてくれると思う、んです。エルフたちも必要以上に、人間たちと敵対したくは、ないはずですから」
「なるほどな……とにもかくにもルビーを手に入れねばなんともならんというわけか」
「けど、そのルビーの手がかりがまるっきりねぇんだろ? もし魔族が持ってるにしたって魔族どもの持ってる宝物全部の中からルビー一個探すのは骨だぜ」
「ロマリア王の依頼を果たせるのはまだまだ先になりそうだな」
「ふ――む?」
 ロンがふいに、ぴたりと体の動きを止めた。どうしたのかと問いかけようとするラグたちを視線で制し、足音を殺してすすすっと流れるように移動する。
 そして――なにもないはずの宙に拳を突き出し、なにかを捕まえた。
「きゃっ!?」
 少女の悲鳴。驚いて反射的に武器を構えるラグたちにかまわず、ロンは低い声で告げた。
「さっきからつけていたな。何者だ。なぜ俺たちについてくる。とっとと姿を現せ。さもなければ首をへし折るぞ」
「わ、わわわっ、ちょ、ちょっと待ってください今姿見せますからぁっ!」
 そう澄んだ高い叫び声が響いた次の瞬間、ロンの腕の中に唐突に少女が現れた。
 美しい少女だった。髪は水のように澄んだ紺碧色、瞳は真紅。形の整った切れ長の眼は目尻に丸みがあって不思議な愛嬌を少女に与えている。鼻も唇も整っているのにどこか線が柔らかく、きつい印象がない。顔の造作自体はエルフのように隙がないのに(そして体型もエルフのように凹凸が少ないのに)、ずいぶん可愛らしい感じのするほわほわとした少女である。
 だがロンは少女のそんな可愛らしさになど目もくれず、冷たく言った。
「アリアハンでも俺たちをつけまわしていたな。何者だ」
「つっ、つけまわしてなんていないですよ! これも仕事なんですから!」
「仕事?」
 少女は表情をきりっとしたものに変え(それでもやや子供っぽい愛嬌は消えなかったが)、首根っこをつかまれながらも背筋を伸ばして告げる。
「私はエリサリ・フリクリ。主神ミトラに仕える異端審問官です」
 そう告げた瞬間、少女の髪がさらりと揺れて耳が飛び出――ラグは思わず目を見張った。
 耳が尖っている――エルフだ。

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