アリアハン――2
「三人も仲間にできるなら、絶対全員加えた方がいい」
 ラグの主張により、セオとラグはルイーダの酒場に向かっていた。繁華街のど真ん中だけあって人通りが多いが、ラグは迷う様子もなく進んでいく。セオも必死にそのあとを追った。
 ルイーダの酒場――別名、冒険者ギルド。だがその名で呼ぶ人間はほとんどいない。王族ですらルイーダの酒場と呼ぶほどだ。
 アリアハンが冒険者の国と呼ばれる所以。それが、ルイーダの酒場である。
 冒険者はどこの国にもいる。ある時は古代文明の遺跡に潜る宝探し屋、ある時は厄介事を解決するなんでも屋。能力や目的は様々だが、共通しているのは我が身と装備、そして仲間だけを財産にそれぞれの目的を果たそうとする人間であること。
 アリアハンには伝統的に冒険者が多かった。多いと言ってもせいぜい都市部人口の百分の一程度だが、他国と比べれば倍以上。生息する魔物の弱さ、それに反する古代遺跡の多さに多くの冒険者がアリアハンに集まってきたのだろう。
 彼らを国家が管理することを思いついたのは、十一代前の国王だった。百五十年は昔の話になる。
 冒険者の中には国家に属する軍人や密偵よりさらに高い能力を持つ人間も多い。それらの人材を国家が把握しておくことは、国家の益になる。そう考えたためだと言われている。
 当時冒険者が最も多く集まると言われていた酒場通り。そこに国家が資金を投入し、冒険者たちのための施設を作り上げた。その計画を指揮していたのがルイーダという女性で、計画関係者の間でその施設はルイーダの酒場と呼ばれていた。それが定着し、今に至る。
 管理といってもさほど厳しいものではない。アリアハン国内の全ての冒険者に登録を義務付ける代わり、登録した冒険者にはルイーダの酒場に持ちこまれた依頼を斡旋する。
 他にも遺跡で見つけた宝物の買取、酒場に付属している格安の宿屋の提供、後援者や雇い主の紹介など冒険者の求めるものは全てルイーダの酒場でまかなわれるようになっている。
 この制度は王の予想以上の成果を上げた。国家が管理している冒険者相手ならどこも安心して依頼を持ちこめるし、裏切られても即座に報復措置が取れる。高名な冒険者をつかまえることも楽になるとあって、他国からも問い合わせがくるほどルイーダの店は繁盛し、むしろ最初は福利厚生施設の扱いだった酒場が、今では国家に利益を計上するものとなったのだ。
 冒険者にとってもこの制度ができたことは幸運だった。依頼を裏切れば登録を抹消されてしまうことから不良冒険者の淘汰にも繋がるし、良質な依頼人をつかまえるのも格段に容易になった。おまけに宝物も買い取ってくれる、安い宿屋にも泊まれる、とほぼいいことずくめなのだ。
 そして、ルイーダの酒場はあとひとつ、極めて重要な目的のためにも活用することができる。
 それが――勇者の供、あるいは仲間探し、ということなのだ。
 セオも、確かに勇者には違いないのだが――
「ら、ら、ラグさん」
 人ごみに流されそうになりながらも、セオは必死に言う。ラグがん? と振り返り、慌ててセオを人の山から救出した。
「ああ、すまんすまん、ここらへんに慣れてない子にはきついよな、この人ごみ。大丈夫かい?」
「は、い、大丈夫です……あの、それより」
「ん?」
 優しく微笑むラグ。その顔を見ると、セオは泣きたくなる。
 こんな自分に、どうしてこの人はこんなに優しく接してくれるのだろうか。
 嫌な顔をされたくない、嫌われたくない――でも、今言っておかないと機会がない。
「あの、あの、やっぱり、いいです。ダメです、仲間なんて」
 緊張のあまり回らない口で必死にそれだけ言い、言ってからああこの言い方じゃ伝わらない、と蒼白になって言葉を探すが、頭の中が真っ白になって固まってしまうセオ。
 その様子をラグは黙って見守り、安心させるように笑って軽く肩を叩き、言う。
「なんで? 君は仲間を三人も作れるんだから、連れていく方が絶対に有利だと思うけどな」
 その笑顔にまた申し訳なさで泣きそうになって、それでもいくぶん緊張がほぐれた。重い口を必死に動かす。
「あ、あの、それはそうですけど……俺みたいな奴と一緒に来てくれる人なんて、そんな人、ラグさんの他には、いないと思うんです。そんな、神様みたいに優しい人」
「……俺、褒められてるのかな?」
 苦笑するラグに、セオは勢いよく何度もうなずく。
「ラグさんは、すごくすごくすごく優しいです。神様みたいに、ううんそれよりずっと優しいです。だからまだ気にならないかもしれませんけど、他の人はきっと俺のこと、見てるだけで苛ついて、腹が立つと思うんです」
「……今までずっとそう言われてきたのか?」
 こくんとうなずいた。
「みんな、俺のこと見てるだけで苛々する、うっとうしい、顔を見せるなって言いました。一緒に旅をする人にまで、そんな思いをさせるわけにはいかないから……」
「だから、一人だけで旅立とうと?」
「………はい」
 情けなさと申し訳なさにまたじんわりと涙が浮かんでくるのを感じながら、セオはうつむく。
「ごめんなさい、ラグさん。せっかく一緒に来てくれるって言ってくれたのに、俺がこんな、情けないせいで……仲間は多い方が、ラグさんも、絶対安全になるのに……」
「ああ、そんなこと気にしなくていいから! ほら、泣かない泣かない」
「ぐ、ごめんな、ぐすっ、さいっ」
「謝ることもないから。君がどんな気持ちかは、俺よくわかるつもりだよ」
「ラグさん……」
 涙目でラグを見上げると、ラグは優しく笑って、それから表情を引き締め言った。
「君がどう思っているかはわかった。自分がどんな性格だと思っているかもな」
「はい……」
「俺は、君は決して悪い性格ではないと思うけど。でも一緒に旅する人間を選ぶ性格なのは確かだと思う」
「…………」
「でもな、それでも、ある意味ではだからこそ一度はルイーダの酒場に行くべきだと俺は思う。あそこには実に様々な性格をした奴らがいる。それぞれ違う生き方をしてきた奴らがいる。自分は誰にも好かれないって決めてしまうより、まずいろんな人と会ってどう思われているのか確かめていった方がいいよ」
「で、でも……」
「君はもっと世界を広げたほうがいい」
 ラグはそう笑ってセオの頭を撫でる。セオはぼんっと顔を赤くした。
 頭を撫でられたのなんて、ほとんど赤ん坊の頃以来だ。
 ラグはどうする? と訊ねるように顔をのぞきこんでくる。セオは申し訳ないやら恥ずかしいやらでほとんどわけがわからなくなりかけたが、それでも答えなくちゃと必死になって、こくん、とうなずいた。
「そうか」
 ラグは笑んで、もう一度頭を撫でる。セオは湧き上がる幸福感に泣きそうになった。
 どうしよう、自分なんかこんなことされる価値はないのに、嫌われて蔑まれるのが当然の奴なのに。
 ラグの手が、たまらなく、気持ちいい。
 ラグがくるりと背を向けて、こちらを振り向く。最初はどういう意味かわからなかったが、ラグが苦笑して手招きするに至ってようやく気づき顔がまた真っ赤になった。
 一緒に行こうって、言ってくれるんだ。
 心配させないようにと嬉し涙を堪えつつ、てててとあとを追いかける。ラグはセオの一歩先を歩きつつ、セオに話しかけてきた。
「どんな職業の奴を仲間にしたいとかあるか? パーティの基本は戦士・僧侶・魔法使いだから、あと二人ならやっぱり僧侶と魔法使い?」
「えっ、いえっ、あのっ」
 言っていいんだろうか、と迷ったが、聞かれてるんだから答えなくちゃいけない。セオはもし仲間を作るなら、とこっそり想像――というよりは夢想していたことを言った。
「できるなら、僧侶の人と、盗賊の人が」
「へえ、魔法使いじゃなくて盗賊か。理由聞いてもいいか?」
「はい……あの、僧侶もレベルを上げていけば攻撃魔法は使えるし、俺も使えます。それに鞭やブーメランみたいな武器もあるから、魔法使いが必要になるほど敵がいっぱい出てくる可能性とあんまり魔法力を使いたくない普段の戦闘で魔法使いが役に立つ可能性を考えると、魔法使いはいなくても大丈夫かなって……それよりも冒険のいろんな時に役立つ盗賊の人を仲間にした方がいいって思ったんです」
「僧侶を入れた理由は?」
「えっと、相手がこちらも傷を負うほど強くなってきたりしたら、回復役が一人じゃ心もとないなって思って」
「なるほどな……よく考えてるじゃないか」
 にっ、と笑ってそう言われ、セオは耳まで赤くなった。
 褒められてるんだろうか。
 いやまさかそんないくらラグさんだって自分なんかを褒めるはず、と思いつつ歩いていると、セオは自分より頭半分背が高い男とぶつかった。
「おっと、ごめんよ」
「ちょっと待った」
 すっとラグの手が伸びてきて、男の腕をつかまえた。
「……なんだよ」
 きっとラグを睨んだ男は、珍しいことに髪も瞳も銀色だった。腰にはダガー、着ているのは旅人の服らしき体に密着した上下、そしてその上に袖なし上着と半ズボン。いかにも俊敏そうな体躯の、盗賊風の青年だ。
 ラグは睨まれてもびくともせずに、低く迫力のある声で言った。
「今取ったものを返してもらおうか」
 ち、と男は舌打ちをして財布――セオの財布を差し出す。
「いかにも坊ちゃんって奴だから狙い目だと思ったんだがな。保護者が手ェ出してくるとは思わなかったぜ」
「当てが外れたな」
「あ、あのっ!」
 セオが必死に声を高くすると、二人ともセオの方を向いた。注目されてる、とセオは緊張したが、ここで退くわけにはいかないと必死に声を出す。
「あの、いいんです。俺のお金だったら、持っていってください。俺なんかの財布でよければ、差し上げます」
「な……」
「はぁ――――!?」
 口をあんぐりと開けるラグ。目をむく銀髪の男。セオはああ俺なんかに意見されて腹を立ててるんだ、と泣きそうになった。
 ラグが困惑した声で言う。
「君の金だからそうしたいと言うなら止められないが。これから旅をするのに金はいくらあっても困ることはないだろう? 君の財布の中には国王からの金が入ってるんじゃないのかい?」
「はい、五十ゴールド……でも、国王様には申し訳ないですけど、この人もきっとお金に困ってると思うんです。人のものを盗むくらいですから……たとえ盗賊でも、お金がいっぱいあるならわざわざ人のお金に手を出したりしないでしょう?」
「……それはまあ、そうかもしれんが……」
「だから、俺なんかの財布が必要なら、差し上げた方がいいと思うんです。俺なんかのお金で助けになるのなら、そうした方がいいって」
「……君がそう言うんなら、まあいいが……もしかして君、すられたことに気づいてたのか?」
「はい」
 こくんとうなずくと、ラグは苦笑して男の腕を放した。そして追い払うように手を振りながら言う。
「本人がこう言ってるんだ、見逃してやる。その財布を持ってとっとと行くんだな。もらった金でせいぜい数日の贅沢を楽しめばいいさ」
「それじゃ……そのお金、できるなら、無駄遣いしない方がいいと思いますよ。あ……生意気言ってすいません」
 ぺこり、と頭を下げる――そこに、声がかかった。
「待てよ」
 顔を上げる。そこには男の、これ以上ないほどの怒りに燃えた瞳があった。
 ひ、と固まるセオにつかつかと近寄り、胸倉をつかみ上げる銀髪の男。
「ざけんじゃねぇぞ、コラ。言っとくけどな、この銀星のフォルデさまはな、これまで一度たりとも誰かに施しを受けたこたぁねぇんだ! 自分の力で、自分の身一つで、ここまで生きてきたんだよ!」
「子供の頃もか? 赤ん坊の頃も?」
 脇から言ってくるラグにう、と一瞬言葉に詰まるが、すぐぎろりと睨み言葉を返すフォルデ。
「少なくとも成人してからは一度もねぇっ!」
「……そりゃ本当なら大したもんだが。俺は誰にも世話をかけずに生きていける人間なんて今までお目にかかったことはないぞ?」
「俺をそこらへんのケチな盗賊と一緒にするな。ガキん頃にギルドに拾われて、ギルドの親方にその分の借金を返し終えてからは俺は誰の施しも受けず、助けも借りず、自分一人の力でやってきたんだ! それを……!」
 ぎっとセオを睨み、怒鳴る。
「すられたのに気づいてるくせに見逃して、捕まってもなお俺なんかのでよければあげますだぁ!? 舐めてんじゃねぇぞてめぇ、俺のプライドぶち壊して砂引っかけるような真似すんじゃねぇっ!」
「ご……ごめんな、さ……」
「しかも俺なんかのでよければってのはなんだ俺なんかってのは。それじゃあそんなてめぇに施しされる俺はそれこそ最低のクズ野郎じゃねーかっ! 人を馬鹿にするのもたいがいにしやがれてめぇっ!」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」
 セオは泣き出してしまった。申し訳ない。どうしてこうも自分は浅はかなんだろう。どうして人に迷惑かけるようなことばかりしてしまうんだろう。
 自分なんかに施しをされることが、相手の誇りを傷つけることぐらいわかっていたはずなのに。どうしてそんな簡単なことを忘れて、馬鹿をやってしまうんだろう。
 自分は本当に至らない、情けない、駄目な人間だ。
 申し訳なくて申し訳なくて、涙が止まらなかった。
「泣きゃそれですむと思ってんじゃねぇよ! 謝りゃいいってもんでもねぇんだぞこのタコ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「謝るなっつってんだろこのガキ……!」
「その辺にしておけ、銀星のフォルデ」
 ぐい、と太い腕がフォルデからセオを奪い取る。涙に濡れた顔で腕の主を見上げると、ラグの優しく力強い笑顔がこっちを向いているので、セオはかあっと耳まで赤くしてうつむいてしまった。
 ラグはフォルデの方を睨みつけて言う。
「お前のプライドは傷ついたかもしれないが。どちらが悪いかといえば、もともとこの子の財布をすろうとしたお前が悪いんだぞ。普段盗賊やってる分には気がつかないかもしれないが、人の金を盗るってのは基本的に間違ったことなんだ。それを無視して勝手なことを言うな」
「……っ」
「あ、あの、そんな、ラグさん、そんなこといいんです。俺なんかがあんなこと言ったのが悪いんです。そりゃ人のお金を盗るのはよくないことですけど、それでも持ってる人から少しでももらわなきゃ生きていかれない状況ってけっこうあると思いますし」
「………っ! てめぇが言ってんじゃねぇっ!」
「……! ご、ごめんなさいっ!」
「謝るなっつってんだろこのガキっ、あーくそもームカつくーっ!」
 だんだんだん! と石畳を踏み鳴らすフォルデ。セオはラグの腕の中でびくびくと体を震わせる。
 フォルデの様子をおそるおそるうかがっていると、フォルデはひとしきり荒れ狂ったあと、きっとセオを睨んできた。びくりと震えて縮こまるセオに、フォルデは言う。
「おい。そこのガキ」
「は、はい………?」
「お前らこれからルイーダの酒場に行くんだろ。盗賊仲間にしに行くんだよな?」
「え、いや、まだ決まったわけじゃ」
「行くんだよな!?」
「は、はいぃ………」
「俺たちの話を聞いてたのか?」
「聞こえちまったんだよ。……その仲間に、俺がなってやる」
「え、ええぇぇ!?」
 セオは仰天した。
「……へえ。なんでか理由を聞かせてくれるか?」
「俺はな、誰かに借りを作るのは真っ平ごめんなんだよ。特にこーいうムカつくぐらい恵まれたガキに引け目ができるなんて真っ平ごめんなんだ!」
「それだけ?」
「悪いか。これは俺のプライドなんだ。貸しは作っても借りは作らない、万一作ったら最優先で返す! それが俺の信条なんだよ。俺はそんじょそこらのこそ泥じゃない、自分の誇りは死んでも貫き通す!」
 きっとラグを睨むフォルデに、なにかを考えるようにラグはしばし腕を組んだ。
 そして言う。
「旅の最後までついてくる気はあるか?」
「……なんか目的のある旅に出るのか?」
「ああ」
「目的による。俺の信条に合うんだったら、最後までつきあってもいい」
「途中で怖気づかずに?」
「喧嘩売ってんのかおっさん。俺は銀星のフォルデだ。つきあうと決めたら逃げず裏切らず最後までとことんつきあってやるよ」
 ふむ、とラグはあごに手を当て、セオを見た。
「セオ。俺は彼が仲間でもいいんじゃないかと思うが、君はどう思う?」
「…………」
 セオはうつむいた。ラグはそう考えてるんだろうな、とは思っていたが――でも自分には彼を仲間にはできない。
「駄目ですよ……そんなの、駄目です」
「んだと、コラ」
 フォルデがぎっと睨んでくるのに一瞬びくりとするが、きちんと説明しなきゃ、納得してもらわなきゃと必死に見返す。
「だって、フォルデさんは、俺みたいな奴のこと、嫌いでしょう?」
「……ああ、まあな」
「だったら一緒に旅なんかしちゃ、駄目ですよ。俺なんかと一緒にいたら、絶対嫌な気分になるに決まってます」
「俺を舐めてんのか、お前?」
 さらに睨まれて、セオは耐えきれず小さくなった。泣きそうになりつつ上目遣いで見上げると、フォルデは思いきり嫌そうに顔をしかめ、早口で言う。
「俺はそんなん承知で言ってんだよ。お前みたいな奴と一緒の旅なんて途中で苛々するのは日常茶飯事になるだろうけどな、それでもいいっつってんだ。お前に借りを作っちまうよりはお前と一緒に旅した方がマシなんだよ」
「…………」
 セオはちょっと考えて、それもそうかもしれないと思った。フォルデはプライドをなにより優先するタイプなのだろう。そんな人なら、確かに自分みたいな奴に借りを作るよりは嫌々でも一緒に旅をした方がいいと思うのかもしれない。
 どちらも不本意な二者択一。自分があんなことを言ったせいで申し訳ないな、と思ったが、フォルデが自分と旅をする方を選ぶと言うのなら自分なんぞが口を出していいことではない。
「それじゃ……あの、一緒に旅をするのが嫌になったらすぐ言ってもらって、すぐ抜けてもらう、っていうことで、本当に俺なんかと一緒に旅をしてもいいって思ってらっしゃるんだったら、あの、一緒に旅をして、もらえますか……?」
「あーっ! っとにうざったいなお前! こういう時はよろしくお願いしますでいいだろうが!」
「ご、ごめんなさいっ! あ、あの、よろしくお願いしますっ!」
「よろしくな、フォルデ」
「ああ」
 ラグがにっこり笑って差し出した手を、フォルデはぶっきらぼうに握った。それからじっと自分の方を見てくるので、きっと不本意な選択をさせたことを怒ってるんだ、と申し訳なくて頭を下げる。
「ごめんなさい……」
「なに謝ってんだお前はっ。そーいうとりあえず謝っときゃいいって安易な態度がムカつくんだよ!」
「ご、ごめんなさい」
「謝るなっつってんだろ! ……もういいっ!」
 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くフォルデに、ああまた怒らせてしまった、と泣きたくなった。
 苦笑しているラグに、フォルデがちらりと視線をやって聞く。
「で。その旅の目的ってのはなんなんだよ」
「ああ。魔王征伐だ」
「………は?」

 セオが勇者で、魔王を倒すために旅立つのだ、と聞かされたフォルデはあからさまに不審そう、というか信じていない顔をしたが、勇者の証であるセオの額のサークレットのことを説明すると半信半疑ながらも一応了解の意を伝えた。
 だが魔王征伐という目的についてはあっさり信じた様子で、「面白えじゃねえか」と言って笑ってみせる。
「魔王征伐、けっこうじゃねえか。まだ誰もやったことのないことを一度はやんなきゃなと思ってたんだ。意地でも成功させて、世界に銀星のフォルデの名を轟かせてやる」
「お前一人でやるんじゃないぞ」
「うるせえな、わかってるよ」
 それから三人で連れだってルイーダの酒場へ向かう。ほどなくしてルイーダの店――冒険者ギルドと名付けられた冒険者たちのための一角が見えてきた。
 ルイーダの酒場――というか、繁華街そのものにほとんど来たことがなかったセオは圧倒されてしまった。繁華街の人通りの多い地域のど真ん中で、通り一つがまるまる一つの建物になっている。
 二階家のその建物は半分近くが酒場になっているようだった。大きく開かれた扉から、セオのこれまでの人生には縁がなかった酔客たちの喚声が聞こえてくる。
 残りは半分が宿屋、もう半分が事務局、とセオは看板を見て判断した。その全てに冒険者らしき格好の人々が、ひっきりなしに出入りしている。
 冒険者たちの出会いと別れの酒場、ルイーダの店。これがそうなんだ、とセオはくらくらする頭の中で思った。
 ラグは真っ直ぐ酒場の方に向かう。フォルデがおい、と声をかけた。
「仲間を探すんだろ? 事務局の方じゃないのか?」
「お前、ルイーダの酒場には来たことがないのか?」
 逆に質問されて、フォルデはむすっとした顔で答えた。
「俺は冒険者ギルドには登録してねーからな。どっちかっていうと冒険者は商売敵だったし」
「生粋の都市の盗賊か」
「ああ……言っとくけど、だからって冒険者の盗賊に遺跡探索や戦闘能力が劣ってるわけじゃねーからな!」
「誰もそんなこと言ってないだろうが。……あのな、マダム・ルイーダは酒場の一番奥にいるんだ。ルイーダの酒場の創立当初から、そこがマダム・ルイーダ――冒険者ギルドのギルドマスターの指定席なのさ。そこで冒険者が飲んだくれたり喧嘩をおっぱじめたりするのを観察しながら冒険者に対する評価をつけて、冒険者に出会いと別れを導くんだそうだ。俺も一ヶ月前にアリアハンに来たばっかりだから、その話を聞いたのはごく最近だがね」
「ふーん……」
 フォルデが納得したように軽くうなずく。ラグもでは、とうなずいて、酒場の扉を開けた。
「………!」
 むわ、と漂ってくる強烈な酒の匂いにセオは息を呑んだ。煙草、料理、香――そんな種々雑多な匂いが渾然一体となった芳香が鼻を刺す。
 時刻はまだ夕方にもなっていないのに、酒場の中にはずいぶんと人がいた。町の広場ほどの広さがあるのではないかという店内に満たされたテーブルに、八割近くも人が入っている。
 そしてその人々の格好の個性豊かなことといったら! 冒険者の職業として認められているのは戦士・僧侶・魔法使い・武闘家・商人・盗賊・遊び人・賢者(そして勇者)の八職だけだというのに(勇者を入れれば九職だが)、同じ格好をした人がほとんどいない。
 戦士の武器ひとつとっても剣・斧・槍・メイス等々と様々だし、職業が違えば武装もまるっきり違う。そしてその様々な格好をした人間が、あちこちのテーブルで酒を飲んだり料理を食べたりカードや話をしたりしている。その圧倒的な人生の存在感に、セオは気が遠くなりかけた。
 ラグはそんな人の山の中を、時々こちらを気遣うように振り返りながらも迷わず奥へ奥へと進んでいく。セオとフォルデもそのあとに続いた。
 酒場の奥には大きなカウンターがひとつ。カウンターの中には何人もの男女が立ち働き、カウンターに座る客の相手をしているが、その一番右、階段に近い辺りに、一人なにもせず煙管を吹かしている女性の姿があった。
 髪は見事に真っ白だが、背筋はしゃんと伸びている。口元にはわずかに笑みが浮かんでいるが、視線は鋭く厳しい。顔や手に浮かぶ皺が彼女の生きてきた年月を感じさせる、迫力のある老婦人である。
 ラグは真っ直ぐその老婦人に近寄り、頭を下げた。
「こんにちは、マダム・ルイーダ」
「ほう、破壁≠ゥい。珍しいね、こんな時間に酒場に来るとは」
 老婦人がにやりといかにもしたたかな笑みを浮かべ言う。
「その二つ名はよしてくださいよ。呼ばれてるのは故郷でだけなんですから……ん?」
 ラグがフォルデの方を振り返る。フォルデがラグをつんつんとつついたのだ。
「どうした、フォルデ」
「なぁ、この婆さんが、ルイーダなわけ?」
「ああ。マダム・ルイーダの名を継いだ十三代目、ルイーダ・セネカ・ジオニスさんだ」
「…………」
 フォルデはあからさまにがっかりした顔をして、ぶつぶつと呟いた。
「詐欺だ。別に期待してたわけじゃねーけどさ、普通酒場の女主人っつったらもーちょい瑞々しいのが普通だろ。なにもこんな婆さんを雇わなくったってなぁ……」
「あんたみたいな若造に婆さん呼ばわりされる覚えはないよ、銀星のフォルデ」
 ルイーダのぴしゃりと言った一言に、フォルデはげっと呻いた。
「なんで俺の名前知ってんだよ……」
「あたしゃ伊達に冒険者ギルドのギルドマスターやってんじゃないんだよ、小僧。ギルドに登録してる二千人の冒険者に加えて街で目立つことやらかしそうな悪たれどもの名前と顔は全員頭の中に入ってんだ」
「どういう記憶力してんだ……」
「あんたがいつどんな盗みやらかしてどんなヘマしたかもあたしゃ全部知ってんだよ。あたしに口利く時ゃあそのことよっく考えてから喋るんだね」
「あー、はいはい、わかったわかりましたっ!」
 ったく冗談じゃないぜ妖怪みてえなババアだ、と口の中だけでフォルデは呟いたようだったが、即座にぎろりと睨まれてひきつった顔ですいませんと頭を下げる。
 それからルイーダはラグに向き直り、にっと笑って(肉食獣みたいな油断したら食いつかれそうな笑顔だ、とセオは思った)訊ねた。
「そんで。なんの用だい?」
「実は、仲間を探してるんですが」
「ふうん。そこの勇者さんのお仲間かい?」
「――――!?」
 セオは絶句して固まった。
「あ、ご存知でしたか?」
「当たり前だよ。オルテガ・レイリンバートルがいなくなった後の、ただ一人のアリアハンの勇者、セオ・レイリンバートル。名前も顔も性格も、評判も腕のほども知ってるよ。その子があんたと一緒に来るとは思わなかったけどね」
 言ってちろりとセオを見る。
「で、なんであんたじゃなくて破壁≠ェあたしと話してんだい。あんたの旅の仲間だろうが」
 セオはひきっ、と硬直したものの、聞かれてるんだ答えなくちゃ答えなくちゃ、と必死になって口を動かす。
「………ごめんなさい」
「お前な、またそれかよ」
「あたしは謝ってほしいんじゃなくて質問に答えてもらいたいんだけどね?」
 じろりと睨まれて、セオはうっと涙ぐみながらうつむいて言う。
「俺が馬鹿で……世間知らずで、どうしようもないクズだから……俺なんかと話したらみんな不快になるし、交渉もぐしゃぐしゃになっちゃうから、だからラグさんは話す役を買って出てくれたんだと、思います……」
 その言葉にルイーダは小さく口を開けて煙を吐き出してから、ふっと笑った。
「こりゃまた、聞きしに勝る卑屈っぷりだね」
「ごめんなさい……こんな人間が勇者で、ごめんなさい……」
「あたしゃ別にかまやしないよ。一緒に旅する人間がどうかは知らないけどね」
 うっ、とまた泣きそうになるセオを無視して、ルイーダはラグに話しかけた。
「で、今のこの子の仲間は、あんたとそっちの自称銀星なのかい?」
「自称ってのはなんだよ、自称ってのは! ちゃんと他人にも呼ばれてるっ」
「馬鹿だね、二つ名ってのは最低でも街一つの全員から呼ばれるぐらいじゃなくちゃ二つ名とは呼ばないんだよ。あんたをそう呼ぶのはあんたの知り合いぐらいだろうが」
「ぐぐぐぐ……」
「はい。セオは三人まで仲間を作れるそうなので、あと一人仲間にしたいんです」
「それは知ってるよ。しっかし、ルイーダの酒場で探す人材が一人か……こりゃ荒れる人間も多いこったろうね」
「というと?」
「あんたも知ってるだろ、今フリーの冒険者どもがパーティも組まずやたらとここに溜まってるの。そいつらは勇者のお仲間にしてもらおうと思ってんのさ。今回の勇者は仲間を連れていけるってのはその筋じゃけっこう知られてたからね、いっちょ魔王を征伐して英雄になってやろうって奴はけっこう多いのさ」
「へぇ……俺は知らなかったですけどね」
「あんたはこの街に来てそう長くないからね。で? どんな人材か、ご要望は?」
「僧侶。性格は問わないけど、この子をむやみに傷つけない人を」
 そう言ってぽんとセオの頭を叩くラグ。
 セオが申し訳ないとは思いながらもぽうっと幸福感に満たされてラグを見上げている間に、ルイーダはカウンターの下から帳面を取り出してすさまじい勢いでめくり、目当てのページを探し当ててどんっとセオたちの前に開いてみせた。
「こいつはどうだい、リンドン・アーイエル。真面目で前向き、適度に固く適度に柔らかい。レベルも15とけっこう有能だよ」
「……すいません、そいつは駄目です」
「は? なんでだい」
「昨日、そいつが酔って女の子にしつこくつきまとってるところに行き当たりまして……つい、殴り倒しちまったってことが」
 ルイーダはちっと舌打ちし、新しい帳面を取り出してまたページをめくり始める。
「じゃあ、こいつはどうだい。エルメ・シーヴァ。レベルは6とさほど高くないけど、美人でいい子だよ」
「……なぁ、このエルメって普段は繁華街東の教会に勤めてたりする?」
「ああ、そうだけど……まさか今度はあんたが駄目だとか言うんじゃないだろうね」
 ルイーダに睨まれて、少しばかり小さくなるフォルデ。
「いや、その……ナンパして振られたんで、腹いせに財布をちょろっと……」
「……ったく、このボケナスが。盗むんだったらもっと金持ちから盗みな」
「わ、わかってるよっ」
「仕方ないね……じゃあ」
 ルイーダが新たな帳面をめくり始めた時、セオたちの後ろから胴間声がかけられた。
「おい、あんたら。勇者のパーティだって本当か?」
 セオがおそるおそる後ろを振り向くと、そこには筋骨隆々の戦士が立っていた。いかにも荒くれという感じの顔で、体格だけならラグよりいい。
 聞かれたことには答えなくちゃと(酒場中がしーんとしてそのやり取りに注目していることには気づかず)、セオはおそるおそるうなずき、言った。
「はい……」
 すると男はにやりと笑い、づかづかと自分の方に近づいてくる。びくんとして反射的にラグの後ろに隠れそうになったが、ダメだラグさんに迷惑がかかっちゃう、と必死に上を向いて戦士と対峙する。
「なぁ、あんたが勇者か?」
「は、い」
「頼りねぇなぁ、ちっちぇし。あんたみたいのが勇者なんて冗談かなんかとしか思えねえよ」
「ご、めんなさい」
「まぁ心配すんな。俺を仲間にしな。そうすりゃあんたはなんもしなくても俺が魔王を倒してやるよ」
「え、えぇ?」
 セオは困惑した。自分みたいな奴に仲間になってくれるという人がいたら喜んで受けるのが当然という気もするけれど。でもこの人も旅をしていればきっと自分に苛々するだろうし。それになによりパーティには戦士はラグがもう――
 と考え終わる前に、わっと酒場中から人が押し寄せた。
「おい勇者様よ、こんな奴相手にすんな! 言っとくが俺はもうレベル16だ、役に立つぜ」
「レベルが高くたって素質がなきゃどうしようもないだろ? 勇者さん、僕は魔王をこの手で倒してやりたいんです。仲間にしてください」
「経験のない勇者様と経験のない仲間でどうしようってんだタァコ! 勇者よぉ、俺を選ぶだろ? 俺ぁこれでも二十年冒険者やってんだぜ?」
「長くやってりゃいいってもんでもないわよ。勇者様ぁ、あたしを連れてきなよぉ。あんたを守ってあげるしいろいろ教えてあげるよぉ?」
「いやらしい声を出すな女狐め! 勇者殿、私を仲間にしてください。私は神に誓ってあなたへの忠誠を約束しましょう」
「あ、あの、えっとえっと」
 セオは誰から返事すればいいのかわからず混乱した。最初に話しかけてきた人は他の冒険者に押しやられてしまっているし、順番を飛ばすのは失礼な気がするし、かといって自分みたいな奴が聞かれたことに答えないのはもっと駄目だし。
 どうしようどうしようと考えて、どうしても思いつかず泣きそうになってうつむくと、ふいにぽんと肩に手が置かれた。
 驚いて見上げると、そこにはラグと同じくらい背の高い、黒髪を辮髪風にまとめた武闘家風の男が立っている。質素な稽古着姿のその男は、目を丸くするセオににっこりと微笑んでから、冒険者たちに向かい言った。
「仲間にしてほしいと言っておきながら勇者殿を困らせてどうする」
 その落ち着いた、けれど迫力のある声におしあいへしあいしていた冒険者たちは勢いを減じた。顔を見合わせ気まずげに黙りこむ。
 そこにその武闘家がさらりと言う。
「なにも先に話しかけた者を選ぶっていうことではないんだ。この中で一番役に立つ人間が選ばれればいい。そうではないか?」
「そ、そりゃそうだが……誰が決められるってんだそんなこと。俺たちだってみんな自分が一番役に立つと思うから志願してんじゃねぇか」
 一人の戦士の言葉に、全員うんうんとうなずく。だが武闘家は動じなかった。むしろにっとどこか不穏に笑ってみせる。
「簡単だろう。俺たちは冒険者。冒険者は戦闘が仕事だ」
「………おい、まさか」
「戦って最後まで勝ち抜いた者を選べばいい」
「え、えええぇぇっ!?」
 一番大声で叫んだのはセオだった。ほとんど恐怖すら感じながら、必死に武闘家に言おうとする。
「だ、ダメです、そんなのダメです、やめてくださいそんなの。俺なんかの仲間になるためにみなさんが喧嘩するなんて、そんなの絶対ダメ……」
「まぁ黙って見ていなさい」
 武闘家はふ、とわずかに笑って、そっとセオの唇を指で塞ぐ。
「冒険者というのはほしいものは戦って勝ち取るものだ――その戦い方はいろいろだが、な」
「で、でもでも……!」
「……面白ぇ」
 一人の戦士の言葉に、空気がどんどん緊張していく。冒険者たちが武器を構え始めた。セオは泣きそうになっておろおろと周囲を見回すが、自分などの言葉に耳を貸してくれる人などいるはずもない。
 うっ、と思わず涙ぐむと、武闘家がくすりと笑う。
「君はいい子だな」
 えっ、と思わず武闘家を見やるのとほぼ同時に、戦いは始まった。

「……マダム・ルイーダ。いいんですか、止めなくて?」
「別にいいさ。ここじゃ喧嘩は日常茶飯事だし――後腐れなく『勇者の仲間』を決める方法としてはまあ悪くない」
「あいつら武器使ってるぜ? いいのかよ?」
「そこらへんは抜かりないさ。武器にも使い方は色々あるだろ? これは殺し合いじゃなく勇者の仲間を選ぶための喧嘩勝負だ。そこらへんがわかってない奴はたとえ勝ってもあたしが勇者の仲間だなんて認めない――まあ今のとこそういう奴らは即行で潰されてるみたいだけどね」
 ラグたちの話を聞きながらも、セオは泣きそうにはらはらしながら目の前の喧嘩を見守っていた。確かに全員本気でやりあってはいないのは見ればわかる、だが――
 顔を殴る蹴るは当たり前、手加減しているとはいえ呪文も飛ぶ、そんな喧嘩が自分が原因で起こっていると思うと、泣いて謝らずにはいられなくなってしまう。
 かといって自分などがこの人たちの喧嘩に口を出していいとも思えないし。どうすればいいんだ、どうすれば、と止めるに止められずやきもきしていると、目の前にすっとミルクの入ったマグが差し出された。
「………え?」
「お近づきの印に」
 マグを手にかすかに微笑を浮かべてそう言ってきたのは、先ほどの武闘家だ。言い出しっぺの彼は当然戦いの最も渦中にいたはずなのに、なぜか涼しい顔でミルクを差し出している。
 セオは慌てて首を振った。
「いただけません……」
「俺はミルクが嫌いでな。君が飲まないならこのミルクも金も無駄になってしまうんだが?」
「そんな……!」
 セオは恐怖すら感じて武闘家を見上げた。たぶん自分は今最高にみっともない顔をしているだろう。でもやっぱり自分なんかが誰かのご馳走になっちゃいけないと思うし。でもこの人の意志は尊重しなくちゃいけないとも思うし。でもでも自分なんかが誰かにお金を使わせるなんて絶対にあっちゃいけないことだと思うし。
 そんな相反する思考に板挟みになり、パニックに陥って今にも泣きそうになりながらすがるように武闘家を上目遣いに見つめると、武闘家はなぜかくすりと笑い、セオの頭を撫でた。
「………?」
 なぜ頭を撫でられたのかわからず見上げると、武闘家は相変わらず笑みを含んだ視線を投げかけつつ言う。
「やっぱり君は面白いな。俺の目は正しかった」
「………え………?」
 面白い、って。
 そんなこと言われたの初めてだ。生まれてから一度も、そんな形容詞が自分に投げかけられたことはない。いつもうっとうしい、ウザい、そんな風にしか言われなかったのに。
 呆然としていると、その武闘家は笑みを浮かべたままセオの頭をもう一撫でし、マグをセオの後ろのカウンター席に置いた。
「気が向いたら飲んでくれ。アンゴスチュラビターズ入りホットミルク。体が温まるぞ」
 そう言って背を向け軽く手を振って、乱闘に戻っていく。もう立っている人間は残りわずかだ。
 セオは呆然としながらもカウンターに向き、おそるおそるマグを取ってすすった。置いていった以上あの人は本当に自分で飲む気はないのだろうし、ミルクも料金も無駄にするわけには絶対にいかない。
 ミルクはほんのりと甘く、温かく、ぷんとよい匂いがした。

 残りは二人になっていた。あの武闘家といかにも屈強そうな戦士だ。
「斬魔<gールと無音<Wンロンか。好カードだな」
「え……ラグさん、あのお二人のこと、知ってるんですか?」
「ああ、二人とも有名人だからな。戦士の方がトール、あの大剣で二百を超える魔物を切り裂いてきたと言われてる。武闘家の方がジンロン、どんなに動いても音が聞こえないほどの技の持ち主だそうだ。確か、レベルは……」
「斬魔≠ェ23、無音≠ェ20だったね」
 横から口を出してきたルイーダに、フォルデが面白くもなさそうな声で言う。
「だったら戦士の方が勝ちで決まりじゃねえか。3もレベル差があるんだからな」
「…………」
「さて、そりゃあどうかね」
「なんでだよ。レベル差3だぞ? おまけに戦士の方は武器持ってんだぞ?」
「ったく、あんた本当に半人前だね。これまでの喧嘩ずっと見ててわかんないのかい」
「んだと?」
 ルイーダは煙管を口から放し、ふーっと煙をフォルデに向かい吹きつける。フォルデがゲホエホと咳きこんだ。
「無音≠ヘ言い出しっぺなのにも関わらず、ほとんど怪我してないだろうが。巧みに気配を忍ばせて戦いを極力避けてんだ。斬魔≠フ方はずっと戦いの中心にいた。並外れたタフさで耐えてるけど、そうとう疲れてるはずさ」
「エホッ……けど武闘家と充分な装備をした戦士だったら、戦士の方が有利ってのがセオリーだろ」
「まぁね――けど、あたしは賭けるなら無音≠ノ賭けるね」
「なるほど。思いきりましたね」
「乗るかい?」
「いえ。俺も彼の方が勝つと思うので」
「…………」
 セオはドキドキしながら戦いを見守る。戦士――トールと武闘家――ジンロンは睨み合いからゆっくりと相互接近に移行しようとしているところだった。
 トールはぎっと睨みつけるが、ジンロンは柳に風と受け流し涼しい顔だ。腹を立てたのかぎゅっとトールは険しい顔になり、鞘つきの大剣を振り回してジンロンに突撃した。
「でやあぁぁっ!」
 真正面から真っ直ぐ斬り下ろす、けれんも加減もない全力の一撃――だが、その剣はジンロンに当たることはなかった。
 ジンロンはトールが大剣を振りかぶる一瞬前に動いて間合いを詰め、トールに密着していたのだ。
 ジンロンの手が一瞬で複雑に動く。振り下ろす力を巧みに利用し、腕を取り、肩を押さえ、飛びつくようにして一瞬で体勢を入れ替え――
 トールは腕を極められて、床に押しつけられていた。
 一瞬の静寂ののち、わっと酒場中が沸いた。見事なほどの『一本、勝負あり』だ。
 累々と積み重なっている気絶した冒険者たちの間を通り抜け、乱闘に参加しなかった人間たちが浴びせる歓声の中悠々とこちらに歩いてくるジンロン。セオがぼうっとジンロンを見上げると、ジンロンはふっと笑い、腕を組む。
「勝ち残ったのは、俺だが。俺を仲間にしてくれるのか、セオ・レイリンバートル?」
 セオはびくりとして、慌てて周囲を見回した。だがラグは微笑んで君に任す、と仕草で示してくるし、フォルデはそっぽを向いている。
 セオは困り果ててジンロンを見上げる。この人は本当に、自分なんかの仲間になりたいって思ってるんだろうか。
 この人だって自分といたら、苛つくに決まってるのに。
 でも今、この状況で『ダメです』なんて言ったら、自分が選別して仲間から外したように感じさせてしまわないだろうか。
 それはダメだ。この人に、自分にミルクをくれた優しいこの人に、いやな思いはさせたくない。
 仕方なく、セオはおずおずと言った。
「あの、少しでも俺のことが嫌になったら、すぐ言ってもらって、いつでも抜けてもらうってことなら……」
「……ほう。つまり俺を仲間にしてくれるわけだな?」
「………はい」
 その答えにジンロンは、ふ、と笑い、手を差し出してくる。
「嬉しいな。よろしく頼む、セオ」
「え、えと、はい」
 触っちゃっていいのかな、嫌な顔されないかな、とドキドキしつつセオはのろのろと手を上げて握手する。ジンロンは破顔して、力強くセオの手を上下に振った。
 今は触ってよかったんだ、とほっとしていると、フォルデがひどく不機嫌そうな声で苛々と言う。
「いいのかよ、僧侶じゃなくて」
「え、えと、その、ジンロンさんみたいに、俺の仲間になってもいいっていうような心の広い人ってめったにいないだろうから、俺は、僧侶じゃなくても、ジンロンさんの方がいいって思います、けど」
「………ふーん」
 ひどく不穏な声でそう言うフォルデ。なんだかわからないけど自分が怒らせてしまったんだ、とセオは泣きそうになった。
「ごめんなさい……フォルデさん……」
「わけわかってねーくせに謝んじゃねーこのボケッ!」
「まぁまぁまぁまぁ。なにはともあれ、パーティが無事結成できたんだ。ここは素直に喜ぼうじゃないか」
「ふむ。しかし、戦士に盗賊に武闘家に勇者か。恐ろしいほどに攻撃編成のパーティだな」
「ご、ごめんなさい……」
「君が謝ることはないんだって、だから。……マダム・ルイーダ、マグを四つ。セオ、酒は飲めるかい?」
「え……い、いいえ、飲んだことないです」
「そうか、ならセオの分は果汁で。いいですか、マダム・ルイーダ?」
「かまわないよ。特別にあたしが用意してやる。勇者のパーティの結成記念だからね」
 ルイーダの手が舞うように動いて手際よく準備を整える。あっという間に四つのマグにビールと果汁が満たされた。
 マグがそれぞれに配られる。緊張しながらセオがマグを受け取ると、ラグが大きくマグを掲げる。
「それじゃ、パーティの結成を祝ってと、冒険の――魔王征伐の成功を祈って、乾杯!」
「乾杯」
「……乾杯」
「か、か、乾杯っ!」
 他のみんなに習って、セオもマグを打ち合わせてから口をつけて果汁を飲んだ。なぜか周囲の人々はその様子を観察していたようで、わっと拍手が浴びせられた。
 セオはなんで拍手を浴びせられるのかわからず、混乱しながら思った。
 ――こんなことは、初めてだ。
 誰かと、マグを打ち合わせて、乾杯なんてするのは。
 たとえ一時のことだったとしても、この人たちは自分を仲間と呼んでくれる。
 ――この人たちを守ろう。
 マグを傾けるラグとフォルデとジンロンを見ながらそう思う。自分の全てをかけて、この優しい人たちを守ろう。
 それがせめてものお返しだから。
 セオは心から、そう誓った。

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