カザーブ〜ノアニール――5
「……ここ、のはずなんですけど……」
 エリサリが自分でも自信がなさそうに言った場所は、見るからにほの暗い洞窟だった。
「洞窟じゃねーか」
「えっと、泉はこの奥にあるんだそうです。洞窟の奥深くに。魔物や魔族に入り込まれないように何重にも封印をかけてあるって聞きました」
「ふぅん……けど……こんなこと言っちゃ悪いけど、正直エルフの聖地って感じじゃないね。むしろ……」
「瘴気を感じる」
 はっきりそう言ってやると、エリサリは困ったように笑った。
「ですよねぇ?」
「ですよねぇ?≠セと? 貴様それでも道案内か。そんな頼りないことでよく人を連れ回せたものだな」
「え、だ、だって確かにここのはずなんですもんーおかしいなとは私も思いますけど……」
「ロン。絡むのはよせ」
「ふん」
 鼻を鳴らす。別に絡んでいるつもりはない。不機嫌な自覚はあるが。
 この女、はっきり言ってどうにも気に入らない。
「……確かにここなんだよな? 間違いなく?」
「は、はいーたぶんー……」
「……とりあえず入ってみようぜ。こんなとこでくっちゃべってても始まらねぇ」
「そうだな……けどここまでと違ってこの洞窟、明らかに出そうだぞ、魔物。みんな、戦闘準備しとけよ……そうだ、エリサリさん。あなたは中までついてくるかい?」
「あ、はい。エルフの王女に関わる問題ですし、勇者さんの関わる問題でもありますし。それにここまできたらやっぱり気になるじゃないですか!」
「そうか……じゃあ、少し聞きたいんだけど。あなたは戦闘の経験はどれぐらい?」
「え? 戦いの経験ですか? そりゃもーこれでもかってくらい! 訓練は死ぬほど積まされましたし、実戦も……」
「死ぬほど?」
「いえ、私異端審問官になれたのが数ヶ月前なんで死ぬほどってほどじゃないですけど、二桁はいきます! あと三回で!」
「……七回、ね」
「はい!」
 笑顔でうなずくエリサリを見て、ロンは不機嫌の虫が疼くのを感じた。
 ああ、鬱陶しい、邪魔くさい、消えてほしい。
「そのくらいの経験は今回の探索行ですぐに積めると思うよ。……後方支援頼めるかな。呪文はどれくらい使える?」
「えっと、回復呪文ならホイミ、べホイミ、ベホマ。攻撃呪文ならメラ系が得意ですけど、イオ系もイオとイオラなら使えます」
「へえ! そりゃ大したもんだな。この辺の魔物なんて敵じゃないんじゃないか?」
「え、い、いやあそれほどでも〜。え、えへへへ」
「調子に乗るな。両手で数えられるほどしか実戦経験のない奴なんぞ俺は戦力として数えん」
「うぐっ」
「ロン! いい加減にしろよ。なにがそんなに気に入らないっていうんだ」
「珍しーな、お前がそんなにムキになるなんて」
「ロンさん……」
 ずっと難しい顔で黙り込んでいたセオにまで不安そうな目で見つめられ、ロンはため息をついた。確かにムキになっているかもしれない。こんなことは別に初めてではないというのに。居心地のいい時間が長すぎて忘れていた。こんなことではまずい、パーティ内の不和はこういうことをきっかけにして生まれてくるものなのに。
 ロンは真剣な顔になって、頭を下げた。
「悪かった。今後気をつける。だから俺をパーティから外すのは勘弁してくれ」
『…………』
「エリサリ殿、申し訳なかった。許していただきたい」
「あ、はい、いえ……」
 戸惑ったような雰囲気が流れるのにかまわず、ロンは鉄の爪を装着しなおしながら言った。
「隊列はどうする?」

「……ロン。お前どっか悪ぃのか?」
「は?」
 思わず振り向いて聞き返すと、フォルデがそれなりに真剣な顔をして言ってくるのと目が合う。
「お前があんな風に真面目に謝るなんて今までなかったじゃねぇか。軽く言うのならなくはなかったけどよ。あんな真っ当に普通に……病気が頭にまで回ったとか、ねーのかよ」
「あのな……」
 そんな風に心配されるほど妙なことをしていただろうかと思わず眉間に刻まれた皺を揉み解しつつ、ロンは肩をすくめた。
「別に、そういうわけじゃない」
「じゃあどういうわけなんだ」
「ラグ。お前までか?」
「言う気がないのなら無理にとは言わないが。戦闘前に不安材料はなくしておいた方がいいからな」
 現在の隊列は前二人がラグと自分、真ん中にエリサリ、後方をセオとフォルデが固める布陣となっている。身の置き所がなさそうにどぎまぎとするエリサリはどうでもいいが、静かにこちらを見つめるラグと、わずかだが心配そうな色が視線に見えるフォルデと――なにを考えているのかひどく申し訳なさそうな、悲しそうな、切なそうな顔をしてこちらを見るセオに負けて、ロンは渋々口を開いた。
「俺は、女がパーティ内に入るというのが、どうにも好きになれないんだ」
『………はぁ?』
 声を合わせるラグとフォルデとエリサリ。セオも首を傾げる。言いたくないなーと思いながらもロンは先を続けた。
「俺は、この通りいい男だろう?」
「……自分で言うか」
「だから昔から女に言い寄られることが多かったんだが」
「自慢かよ」
「誰が。……昔からパーティ内に女がいると、必ずと言っていいほどその女に言い寄られて、それがきっかけでパーティ内に不和が走ってな。結局パーティは空中分解という羽目になって。だから俺は女がパーティ内にいるのは好かない。女嫌いというつもりもないんだが、正直女とみると警戒するところはあるしな」
「……うーん。まぁ、恋愛沙汰でパーティが解散っていうのは珍しくもない話だけど。だからって女がみんなそういう人間だと思うのは早計じゃないか?」
「ああ、それはわかってる――一応はな……」
 だからこそこんなことは言いたくなかったのだが。自分の数少ない、引け目のようなものなのだから。
「そうなんですか……でも大丈夫、心配ないです!」
 エリサリがどんっと胸を叩く。
「私、ロンさんに全然まったくこれっぽっちも好意を持ってませんから! ええ、少しも!」
「……そうか。まったくもってありがたいことだな。俺としても無駄に好かれるよりは嫌われた方がありがたい」
「え!? 別に嫌いというわけじゃ……あ、あ、今の言い方誤解されそうな言い方でした!? そういうわけじゃないんです特別な好意はっていう意味であって、ロンさんが嫌いとか好きになれないとか感じ悪いとかそーいう意味ではー!」
「別に言い訳する必要はない」
 俺もお前に好意を持つ理由は微塵も認めないしな――とは、言わないでおいた。それこそパーティ内に無駄に不和を生じさせる原因になる。
「……ロンさん………」
「ん? どうした、セオ?」
 セオの方を向いて笑いかけてやると、セオは少し困ったような、なんと言えばいいのか迷っているような、切なげな憂わしげな表情でロンを見つめ、それから決意の眼差しで頬を緩めて(たぶん必死に笑顔を作ろうとしたのだと思う)言った。
「……大丈夫です、から」
「ん?」
「そんなことで、パーティ解散とか、起きませんから……こんなに、優しい人たちが、そんなことでパーティ解散するなんて、絶対、ないです、から……」
「……………………」
 ロンは少し目を見開いてセオを見つめた。もしかしてこれは、セオが自分を慰めようとしてくれているのだろうか?
 その驚くべき事態に、ロンの顔はたまらなく緩んだ。満面の笑顔になって、爪をはめていない方の手でセオの頭を優しく撫でる。
「そうだな。ありがとう、セオ」
「え! いえっ、そんな! 俺はただっ、そう思ったことを言っただけでっ、こんなことみなさんわかってらっしゃったことだと思うしっ……」
 セオは真っ赤になって、どうすればいいのかわからないと顔に大きく書きながらうろたえる。可愛いなーと思いつつ頭を撫でる手を耳から顎へと下ろそうとしていると、ラグが叫んだ。
「……おい、話はあとにしろ。敵だ!」
「ち!」
 いいところで、と舌打ちしながらロンは魔物の気配のする方へと走った。余裕のある時に言ってくれればもっと念入りに可愛がってやったものを。珍しく素直に、セオを愛でたいという気持ちになっていたのだから。

「ゼディラエルメトステイホルシェクティヤ……=v
 エリサリが呪文を詠唱する。同時にフォルデが飛び出してマタンゴの群れにチェーンクロスを振るった。
「はぁっ!」
「フゥッ!」
 ロンは大きく跳躍して宙を舞うバンパイアの心臓に爪での一撃を加える。強力な一撃にバンパイアはあっさり灰になった。
「ギキーッ!」
 もう一匹のバンパイアがロンに爪を振るう――だがその程度の攻撃でロンが傷を負うことはない。あっさり受け流して拳での返し技を頭にくれた。
「ガルォンッ!」
 バリイドドッグの一匹がフォルデに飛びかかる――だがそれは走りこんだセオが止めた。内臓が半ば腐れ落ちた腐臭を放つ狼の牙を、剣を口の間に差し挟むことで巧みに無効化する。
「アネスディルエメルゲドースラン!=v
 エリサリの呪文が炸裂する。強烈な光の洪水が視界を満たした。バリイドドッグも、バンパイアの残りも、後方から近づいていた人食い蛾の群れも。すべてが光に飲み込まれ、消えていく。あとには味方以外なにも残らない、巻き添えの類はまったくなし。――さすがエルフというべきか、相当に強力かつ精密な呪文だ。
「……やれやれ、結局俺はまた出番なしか」
 ラグが苦笑する。動きの鈍い戦士であるラグは、めったにエリサリより素早く行動できないため、洞窟に入ってからまともに戦えていなかった。基本的にセオと共にエリサリの護衛役をしているとはいえ、職業戦士がそれでは忸怩たるものがあるのだろう。
「あのっ、でも、ラグさんがいてくれるって思うから、俺はエリサリさんを置いて、フォルデさんたちの、援護に入れるわけでっ……」
「ありがとう、セオ。……しかし、予想以上にすごいんだな、エルフの呪文っていうのは。どんな敵でもあっさり一撃だもんな」
「えへへ……そうですかぁ?」
 照れながらも嬉しそうに頭をかくエリサリに、フォルデもうなずいた。
「まぁな。確かにすげぇわな。呪文がすげぇのか? なんか、妙な言葉唱えてるもんな」
「ああ、オーダ++言語ですか? 人間の皆さんの間では古代語とか言われてる言語だと思ったんですけど……あ、知られてないのか、五百年ぐらい前に開発された言語だから」
「へー、エルフって言語の開発なんてしてるのか。研究熱心なんだね」
「え? え、あは、そうですねー、まぁ確かに」
 エリサリは笑って、それから小さく首をかしげた。
「あのー、ちょっと気になったんですけど、聞いてもよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
「セオさんって、どうして攻撃しないんですか? 他の人を攻撃から守る時とかには私より素早く動いてるのに」
『…………………』
 思わず、全員沈黙した。
 セオは今も自分からは決して攻撃しようとしない。仲間が危険に晒されれば最優先で守るが、それ以外の時は頑として攻撃しようとせず、防御か敵を追い払うかに徹している。
 最初のうちは怒っていたフォルデも、諦めたというか怒るのを忘れてきたというか、でなし崩しのうちにセオのその行動を許容するようになっていたのだが――
 確かに共に戦うパーティメンバーとしてはその行為は不適格に違いない。どう答えるか、と探り合うように互いを見つめるロン・ラグ・フォルデをよそに、セオは泣きそうな顔でエリサリに向き直り言った。
「ごめんなさい……俺、馬鹿で。甘ったれで、わがままで、覚悟がなくて、弱い、最低の人間で……」
「え、え?」
 突然卑屈発言を発しだしたセオに戸惑うエリサリに、セオは泣きそうな顔になりながら頭を下げた。
「俺、こっちの命を奪うつもりで、魔物が襲ってきても、魔物の命奪うの、嫌、なんです……魔物の方から、こっちを、襲ってきてるんだから、こっちも遠慮する必要は、ないって、わかってても……できるなら、手を、下したくないし、魔物たちにも、逃げてもらいたいって思うん、です……ごめんなさい……」
「え、えー? な……なんでそういう風に思うんですかぁ!?」
 エリサリは仰天した声を上げた。セオはう、と涙ぐんでひたすらにぺこぺこと頭を下げる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
「だって……魔物ですよ!? 神の創ったものじゃない命なんですよ!? どうしてそんな風に思うんですか!?」
「え?」
 セオはきょとんとした顔をした。ロンも思わず顔をしかめる。
 この女――さっきなにか、腹の立つことを言わなかったか。
 エリサリは動転した顔で続ける。
「だって、魔物は神が世界をお創りになられる時混沌から生まれてしまった予定外の存在なんですよ? 生命なんて呼べるものじゃないんですよ? そんなものを、どうして尊重しようとか、そういう風に思うんですか?」
「え……だって……」
 セオの方もわけがわからないという顔でエリサリを見やる。エリサリも混乱しきった顔で見返す。二人とも似たような表情を浮かべてはいるが、その間には決定的な差異があった。
 ラグは困ったような表情を浮かべている、どちらをどう説得したものか迷っているのだろう。フォルデは困惑した顔で二人を見ていた、自分でも自分の感情をどう説明したものかわからないのだろう。
 そしてロンは――口を開いたらむちゃくちゃにエリサリを罵ってしまいそうで黙っていた。
 しばしの沈黙のあと、ラグがおずおずと言う。
「あのさ……とりあえず、そこの泉で休憩しないか? 議論はそのあとでもできる……だろ?」

「うわ、なんだこの水? 触っただけでなんか……元気になったぞ?」
「えっと、ここはラグランの泉の湧き水を使用した魔術的儀式を行う場所ですから。この中心とラグランの泉は空間が繋がってるんです」
「……つまり、ラグランの泉ってのは触っただけで元気になるっていうことか?」
「えーとですね、正確には違います。体が完全な健康体になるんです。傷も治りますし魔法力も回復します。勇者の力を持っている人たちなら結界の張られた安全な場所で一晩休んだのと同じ効果だったと思いますよ?」
「へー……」
 話しているフォルデとエリサリを、セオは戸惑ったような、わけがわからないというような目で見つめていた。混乱――それが一番近い言葉だと思う。
 セオは、他人というのは基本的に間違えない存在だと考えているように感じられた。あの自分を異常なまでに虐待した母親でさえ、自分が弱く愚かなせいでこのようなことをするのだ、本当ならばこんなことをする人ではないのだ、と思い込んでいたように思える。
 なので、おそらくは好意すら持っていた人物が、自分とはまったく相反する価値観を持っていたということが、うまく受け容れられないのだろうとロンは思った。
 泣きそうな、けれどなにか言いたげな様子でエリサリを見つめるセオ。言っていいのか悪いのかわからない、そんな顔だ。エリサリもフォルデと話しながらもちらちらとセオの様子を窺っている。
 さて、どうするかな、とロンは内心呟いた。価値観がずれている相手と話しても話が噛み合わないのだからなにも益はないというのがロンの持論なのだが。
 ――と、ラグがすっとセオに近寄り、背中を押した。
「話しておいで」
「おい」
 目を眇めると、ラグは苦笑して肩をすくめた。
「どんなものだろうと、積んで悪い経験なんてないだろう?」
「不快な思いをしてまで積む必要のある経験ではあるまい」
「不快な思いね。俺はむしろセオにはそういうものこそが――こそがっていうほどじゃないかもしれないけど、重要だと思ってるんだ」
「……酔狂な」
 顔をしかめたがラグは存外真剣な顔で見返してくる。本気で言ってるなこいつ、と思うとますます顔が渋くなった。
 セオはそんな自分たちの言い合いを困りまくった顔でおろおろしながら見ている。仕方ないここは俺が折れるか、と肩をすくめた。
「セオ。俺はどちらでもいいぞ。君があの女と話そうと、話さなかろうと」
「………………」
 セオは戸惑ったように自分とラグの顔を見比べて、それからなにを思ったのか泣きそうに顔を歪めながら頭を下げた。
「俺……ごめんなさい、エリサリさんと、話してきます。……こんなこと、言えるほど偉くないっていうのは、わかってるんですけど……話したいって、思うんです……」
「……じゃあ好きにするといい」
 そう言うとセオはなぜか顔を輝かせて(笑顔というほどではないが表情が明るくなったのは確かだ、こんなことでと苛立たしくなった)、ぺこりと頭を下げて言った。
「はい、行ってきます!」
 そしてたたたっとエリサリに近寄る。
 ラグは面白がるような顔でこちらを見ている。ぎろりと睨んでやると笑って肩をすくめた。
「なにがおかしい」
「いや……お前、珍しく負けたなと思って」
「言ってろ」

「エリサリさん。少し、お話をしても、いいですか?」
 セオは精一杯真剣な表情を作って言った。自分の真剣な表情というのは他の人に比べればひどく情けないものなのだが、それでも真剣に話をする時にはできるだけ表情もそれに合わせるのが当然の誠意だと思うから。
 エリサリは一瞬ぽっと顔を赤らめて、それから真剣な顔になりうなずいた。
「はい。……私も、セオさんとお話、したかったんです」
「…………」
 セオはうなずく。自分などと話をしたいなどとは本来誰も思わないだろうが、あれは別だ。あれは――思考の枠組みの違いを実感した瞬間の感情は、たとえ相手が自分などでも捨て置きにしてよいことではないと思う。
 知らなければ。自分は愚かで、無知で、どうしようもない存在であるけれども。そうであるからこそ、知らないままでいてはいけない。
 わかるようにしなければ。――他の存在のことを。
「エリサリ、さん……あなたは、魔物の、生命に、価値――意味って言ってもいい、ですけど、そういうものがない、と思ってるんですか?」
「はい。それが当然でしょう?」
 心の底から当然だと思っている顔でうなずく。
「どうして、ですか?」
「どうして魔物の生命に価値があると思うんですか?」
 聞き返されて、セオは即答した。それは自分にとっては確認するまでもないほど当たり前の事実だ。
「魔物の、生命の発生がどうあれ、今現在魔物は、この世界で生きてます。ちゃんと、生きてます。そういう存在を、意味がない、価値がないって言ってしまっちゃ、よくないんじゃないか、と……思います」
 自分などがこんなことを偉そうに言っていいのかどうか迷いもしたが、それでもこれは告げるべきことだと思う。自分の考えをきちんと伝えなければいけない、と思ったのだ。
「魔物の生にちゃんと≠ネんてものはありませんよ」
 エリサリはきっぱりと言い切る。
「いいですか、魔物っていうのは神のお創りになったものじゃないんです。神が世界を創造する時に混沌を制御しきれずにできた不純物なんです。本来世界にはあるべきじゃない存在なんです。そういうものなんです。だから機会があればできるだけ消滅させていくべきなんですよ」
「それ……それ、本当に、そうでしょうか……?」
「そうですよ? 当たり前じゃないですか!」
 当然のようにうなずくエリサリに、気圧されて泣きそうになりながらも必死に言う。
「本来世界にあるべきじゃないなんて……そんなこと、誰が決められるんですか……?」
「神ですよ?」
「神様がそう言ってるの、エリサリさんは聞いたんですか……?」
「ええ、もち――」
 と言いかけて、エリサリはあ、と口を開けて固まった。
「あ、あのあの、すいません、今のはなしにしてください。あの、すいません、今の言葉は言っちゃまずい言葉だったので、どうか忘れてくださいお願いしますごめんなさい」
「え、あ、はい……」
 なんなのだろう。エリサリは神託を受けたことがあるのだろうか? ――興味深い話ではあるが、忘れてくれと言われたのだから忘れなければなるまい。セオは別の方向から話を持っていくことにした。
「たとえ神様が、そう、決めていたとしても。今実際に、魔物は生きているんですよ。この世界に、存在してるんですよ。それが間違ってるって言われたら……魔物たちが、あんまり……あんまり……」
 セオはしばし言いよどんだ。甘っちょろい言葉、世間知らずの言葉、なにもわかっていない者の言葉。でもこれを言い表すのに他の言葉は思いつかなかった。
「可哀想、です……」
 必死の思いで言った言葉――それにエリサリは少し気圧されたようだったが、すぐに困ったような、苛立ったような表情で言ってくる。
「だから! その前提がおかしいんですよ。魔物は可哀想とか思うべき存在ではないんです。この世界から極力消滅させるべき存在なんです。可哀想とか思うのは間違ってるんです、そういう風に思うんだったらやめるよう努力すべきですよ」
「だって、魔物は生きて――」
「セオさん。害虫を放置していたら畑はめちゃくちゃになるでしょう? それと同じです。魔物は世界を食い荒らし、魔族の命に従って世界を滅ぼそうとする最悪の害虫です。むしろその邪悪な生を断ち切ってやることこそが慈悲というものじゃないですか?」
「そんな……! 慈悲、って……魔物だって殺されるのは嫌なはずです!」
「……まぁ、たぶん嫌なんでしょうけど……そういう問題じゃ……」
 途方に暮れたような顔をして言ってから、エリサリは咳払いをしてきっとセオを睨んだ。
「いいですか、魔物を放っておいたら世界がめちゃくちゃになっちゃうんですよ? セオさんの言っているのは、快楽殺人鬼を死刑にするのが可哀想だから無辜の人々に殺されろと言っているようなものじゃないですか?」
「…………!」
 セオは言葉に詰まるほどの衝撃を受けた。
 そうなのかもしれない。その通りなのだろう。エリサリの言っていることはきっと正しい。
 カンダタの時と同じように。ただ争わないことを訴えるだけでは、暴力を振るう相手を止めることはできないのだろう。
 けれど、でも。
「ごめんなさい……」
「え?」
「ごめんなさい、わがままだけど、本当にくだらない、わがままだけど……俺は、殺したくない、です……たとえ、快楽殺人鬼でも」
「な――」
「だって、殺したら……機会が、失われちゃうから」
「機会って……なんの、ですか?」
「全部です」
「全部……?」
「その快楽殺人鬼が人を殺すんじゃないことで、誰かを幸せにすることでああ幸せだなって思うことも、誰かを傷つけて申し訳なく思って仲直りして嬉しいなって思うことも、喜びも悲しみも愛も憎悪も幸福も不幸も心も世界も――全部が、消える……」
 その、恐怖。
 自分たちは他の存在の命を奪いながら生きている。それはしょうがないことかもしれない。
 でも、そのしょうがないことでさえ、自然の当然の摂理でさえ――命を奪うということは、殺し合うということは、たまらなく哀しいことなのに。自然の摂理だ当然の摂理だといったところで人の、魔物の、動物の、親が子が友が大切な存在が、命が奪われてしまう、食料だからしょうがないからという理由で殺される、その理不尽な哀しみは消えないのに。
 そして、殺される本人の、消える存在の恐怖は――それこそ、世界を崩壊させてしまうほど強いのに。
 相手を理解しさえすれば失わないですむ命が、無駄に失われる――それは、たまらなく嫌で、怖くて、哀しくて、辛くて――あるべきじゃないことだ。
「死ぬんです、消滅するんです。それがどんなに、どんなに怖いことか。長い時間をかけて受け容れられた死ならともかく、唐突に、理不尽に、他人に本来なら必要のない、無駄な死を与えられるっていうのは、本当に本当に、本当に本当に本当に本当に――容赦ないほど冷たくて、救いがない……」
 それを、自分は知っている。
 あの時、知った。――死を与えることの、死を与えられることの――凍りつくような恐怖。
「だから――少しでも命が、無駄に失われないように、できたらって思って……」
 あんなものを誰にも味わわせちゃいけない。そのために力を尽くす、そのために自分は在るのだと、さもなくば在る理由がないのだと、そう思ってきたのだから。
 情けない甘ちゃんの戯言だと本当に思う――だけど、方法がないと諦めるべきではないと思った。自分などが探すなど思い上がりだと思うけれど、自分の全身全霊で、命懸けて魂懸けて捜し求めるべきではないかと思ったのだ。すべてがうまくいく方法を。
 この世界のどこかには、魔物も、人も、エルフもホビットも魔族ですら、争わないですむ方法があるのではないかと夢を見ているから。
 今は結局、殺すことから逃げて、夜に死んだ者たちを思い出して泣くことしかできていないけれども。
 けれど魔物の習性を必死に勉強して、魔物の避け方も学習してきた。それを使うことで、少しずつ遭遇率も減ってきているのだ。だからもっと自分が賢くなれれば、いつかはと夢を見てしまう。
 ――結局そんな方法がなくて、あるいは手に入れられず、自分の行為がまるっきり無駄だったとしても、別にかまわない。自分の生などそもそもが無駄なものなのだ、意味もなく終わったところで誰にも迷惑などかからない。
 だから、せめて。
「どんな屑みたいな奴だとしても、俺は勇者なんだから。そのために、頑張らなきゃって、思ったんです……」
 本当の本当は、魔王を倒そうとして旅立ったわけじゃなかった。そんなわがままなんて言っちゃ駄目だと迷っていたけれど、本当は魔王と話をしたかった。魔物や魔族と争わずにすむ方法を、話し合いたかった。向こうにそんな気など微塵もないのだろうということはわかっていた、そうでなければ世界に向けて宣戦布告などするはずがない。
 でも、理解しあおうともせず殺してしまうよりは。最初から敵だと決め付けて消してしまうよりは。あの恐怖の連鎖をいつまでも続けるよりは、自分のような愚か者でも、いや愚か者だからこそ始めなければと思ったのだ。
 失敗したところで、無駄に終わったところで、自分の生なのだからまったく問題はない。
「……てめ――」
「セオ。それは違う」
 ふいに脇から声を出されて、驚いてセオは振り向いた。
 戸惑いつつも苛立った顔で口を開いたのがフォルデ、それに反してきっぱりと口を開いたのがラグだった。ラグはじっと、セオを毅い、激しい――冷たいと言ってすらよさそうなほど苛烈な瞳で見つめている。
「セオ、それは違う。君は世の中には本当に悪い相手がいるってことをわかってない。世間の人々をただ苦しめることを喜びとする、他人の幸せを少しも願えない奴らが」
「ラグ、さ……?」
「そんな奴らは殺してしまった方がはるかに面倒が少ない。捕まえて牢に入れて改心するのを待つ? 冗談じゃない、そんな奴らはなにをしたって本当に改心なんてしやしない。涙ながらにもうしませんと言った次の日に笑って人を殺すんだ」
「…………」
「そんな奴らに対して、話し合うなんて馬鹿げてる。目の前の強姦をやめさせるには言葉じゃなくて力が必要なんだ。話し合うのはいい、安全な場所でまっとうな人間同士なら。だけどそれをこっちを殺そうと向かってくる相手にまで貫くのは――夢と現実の区別がつかない馬鹿の発想だ」
「………ごめん、なさい………」
 セオは涙ぐみそうになるのを堪えながら頭を下げた。本当にその通りなのだ。自分は甘ったれている。なにより今自分たちを殺そうと迫ってくる魔物たちへの対処を、仲間の人たちに任せているではないか。自分が殺すのは嫌なくせして、仲間の人たちが安全のために魔物を殺すのを黙認しているくせに。
 自分は本当に、至らない。
「あ、あのー……」
 エリサリがおずおずと口を開く。フォルデも戸惑ったような顔で手をさまよわせる。ロンがエリサリの言葉を遮って言った。
「おい、ラグ。どうかしたのか、お前」
「………別に」
「別にというには普段とあまりにセオに対する態度が違いすぎるぞ」
「………悪かった」
 感情のない声でそう答えると、ラグは立ち上がった。
「そろそろ行こう。――休憩はもうすんだだろう?」

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