カザーブ〜ノアニール――6
「………あれ?」
 階段を下りている途中で、エリサリがふいに驚いたような声を上げた。
「どうか、しましたか?」
「いえ、あの……なんか、その……あれー?」
 困惑と驚愕を半々に混ぜ込んだような声を上げながら、足を止めてそこらをうろうろする。フォルデは思わず顔をしかめた。
「んだよ。なんか妙なもんでも見つけたのか?」
「えーと……あのー、ですね。なんかこのへん……不定時点侵食時空間との、境目になってるみたいなんですけど……」
 …………………………。
『は?』
 思わず声を揃えてしまった。また突然わけのわからないことを言い出した。セオは一人目を見開いてうなずいているが。
 この女は本当に変な女だ。異端審問官などと言っているが、言動はズレてるしエルフのくせに少しも偉ぶったところがないというかむしろ頼りないしそのくせ実力はあって神だなんだとわけのわからない理屈を振り回し。
 セオと普通に話している。
 別に、だからどうというわけではないし、妙な女ではあるが戦力としては頼もしいし。ムカつくというわけではないのだが。
 なんとなく、釈然としない。
「なんだよそりゃ。わけのわかんねーこと言ってねーで説明しろ」
「え、えとですね。簡単に言えば時空が歪んでるんです、このへん。人間さんたちの間でも御伽噺の形であったと思うんですけど、知りません? どっか不思議な場所に行ってて帰ったらものすごく時間が過ぎてた、みたいなの」
「……おい。まさかここもその類だというんじゃ――」
「ここは中≠フ方が時間の流れが早い型みたいですから帰ってきても時間はほとんど過ぎてないってことになるだけでしょうけど。なんだろう。どーしてエルフの聖地が……ちょっと待っててくださいね」
 そう言ってエリサリは少し自分たちから遠ざかると、なにやらぶつぶつと唱え始めた。「……システムデータベースにアクセス申請……不許可? 情報閲覧コマンド……受け付けない!? 私が新米だからなのかなぁ、曲がりなりにも異端審問官なのに……」などとぶつぶつと。
 その奇妙な姿をちろりと見てから目を逸らし、フォルデはラグを見た。ラグはさっき泉のところで休憩してから一言も喋っていない。セオの憂わしげで気遣わしげな視線もロンの面白がるような視線も完全無視だ。まったくもってあのお人よしらしくない。
 妙なことばっかりだ、とフォルデは眉根を寄せる。ロンもおかしいし(それはパーティ内に女がいるせいらしいとわかったけれども)ラグも変だし、エリサリはどこもかしこも怪しすぎる。そもそもエルフの聖地とやらになんでこうも魔物がうじゃうじゃいるのかというところからしておかしい、誰も言わないが。エルフの森への道中はまったくと言っていいほど魔物が出なかったというのに。
 ――ただ一人セオは、いつも通りムカつく甘ちゃんでふざけた台詞をぱかぱか吐いていたけれども。
 フォルデはじっと、なにを考えているのか泣きそうにすらなりながらラグを見つめるセオを見つめた。こいつは妙だと思わないのだろうか。
「おいセオ、フォルデがなにやら熱い視線で君のことを見つめているぞ。応えてやったらどうだ?」
「え?」
「っ! 阿呆かてめぇはっ! ただなんとなく見てただけだっつの!」
「そうなのか?」
「そうだっ」
 ったく調子取り戻してきやがって、とフォルデは顔をしかめた。この腐れ武闘家は普段と違っても調子が狂うが、普段は普段で頭にくる。
 セオがもの問いたげな視線でこちらを見つめてくる。ぎろりと睨んで「なんだよ」と凄むと、「あの……なんでもない、です……」と黙り込んでしまった。
 ムッとして怒鳴ってやろうと口を開くと、そこにちょうど遮るように声がした。
「気にすることはないと思うよ、セオ。あの顔はたぶん本当にたいしたことないことなんだろうから」
 ラグがセオに言いながら向けているその笑顔に、フォルデは驚いた。
「おい、ラグ。機嫌損ねてたんじゃねぇのか、お前?」
「……そこまで子供じゃないよ。まぁ……少し苛立って、その引っ込みがつかなくて黙ってたわけだから、大して変わらないかもしれないけどね」
 苦笑するその顔は、普段通りのお人よしで包容力のありそうなラグだった。ロンが飄々とした口調で言う。
「お前さんにしては珍しいな。なにかセオの言葉に嫌な思い出でも刺激されたか?」
「……まぁ、ね」
 ラグは再び苦笑して、セオに向き直る。
「嫌な態度だったね、ごめん、セオ」
「え、いえ、そんなっ! ラグさんの言ったことはひとつも間違ってないと思いますしっ、俺の方が甘ったれたことばっかり言ってて、本当に情けないなって思いますし……!」
「それがわかってんならどーして変えようとか思わねーんだよ」
 そう突っ込んでやると、セオはうっと涙をこぼして、しゃくりあげながら必死にぽそぽそと言った。
「ごめんなさい……俺、馬鹿で、至らなくって、本当に駄目で、それはわかってます、けど……俺の命を、どう使うか、使いたいかってことについては……嘘、ついてない、つもり、です……」
「…………言うじゃねぇか」
 こいつにしては、実際珍しい自己主張だ。フォルデのぼそりと言った一言に、セオはまた泣きそうになって頭を下げた。
「ご、ごめ、ごめんなさいっ、俺なんかが生意気な、偉そうなこと、言ってっ……!」
「別に悪いとは言ってねーよ。いーんじゃねーの」
「え……」
 セオが驚愕の表情で固まる。なに驚いてんだと顔をしかめるが、セオに対してまともに認めるような台詞を自分が言ったのはこれが初めてかもしれないということに気づいてますます顔をしかめた。
「――てめぇが甘ったれたことばっか言ってんのが悪ぃんだ」
「う……ごめ、ごめんなさ……」
「あーったくウゼェな泣くなボケ!」
「まぁあれだな、真実というのは人によってそれぞれ異なるというわけだ。それぞれ信じるものは違う、重要視するものが違うから当然生き様も違う。なにが真実で嘘かはその者次第。そこらへんを認めて大人になるわけだ、なぁラグ?」
「……皮肉か? 悪かったな、俺はガキで」
「るっせーな、ウザってーこと言ってんじゃねーよ。誰がなに言おうが俺は俺を曲げねーからな」
 それが正しいなんてウザったいことを言う気はないが、どんな状況だろうが自らを貫くのは、自分に課した誇りなのだから。
「まぁ、そこらへんも究極的には人それぞれってことなんだろうがな――エリサリさん、終わったかい?」
 ラグの声にエリサリの方を振り向いてみると、エリサリはひどく真剣な、緊張した表情でこちらを見ていた。ゆっくりと口を開いて言葉を紡ぐ。
「――はい。それで、少しお話があるんですけど」
「……なんだい?」
 今までで一番というほど緊迫した顔で、エリサリはきっとこちらを見つめ言った。
「ここには、たぶん魔族がいると思います。倒すのに、力を貸してほしいんです」

「データベースに類似した事件がないか検索……えと、魔法で時空の歪みの原因を調べてみますと、ですね。こんな風に強力な時空の歪みが起きるのは、本来なら神の御力じゃないとおかしいんですけど。でも、神がそのような御業を行ったという記録……話は、知りません。で、魔族が時空特異点につかまって、次元侵蝕固着を起こしてるんじゃないかと思うんです」
「じく……?」
「ああ、世界にはたまに時空が歪んでる地点があるんです。それは普通ならほとんど気づかない程度のわずかなものなんですけど、その地点に魔族とか、最下位の神様とか……世界を変える力のある精神体がはまり込んで抜け出せなくなると、周囲の世界を変質させてそのまま動けなくなっちゃうことがあるんです。これを次元侵蝕固着、っていいます。なんらかの外的要因がなければ、まずめったに起こらないことなんですけど」
「用語はどうでもいい。つまり、ここには魔族がいるんだな? それも高位の」
 エリサリは真剣な顔でうなずく。
「次元侵蝕固着を起こせるのはそれなりに世界に対して影響力を持つ存在だけです。ここはすでに魔化領域に入ってますから魔族で間違いはないはず。固着が進めば進むほど世界に対して力を使う分魔族そのものの力は落ちますから、弱くなってはいると思いますけどやっぱり高位魔族に私だけじゃ正直こころもとありません。だから……」
「手伝え、ってわけか」
「はい」
 こっくりとうなずくエリサリに、ラグとロンとフォルデは顔を見合わせる。
「どうする? 俺は引き受けてもいいと思うが」
「俺もかまわねぇぜ。今の俺らの力が魔族とやらにどれだけ通用するか、ちょうどいい腕試しだ」
「だがな、これは略式とはいえ仕事の依頼だろう? 無報酬はプロの冒険者として納得できんぞ」
「お前けっこう気まぐれでそういうのやりそうだけどな」
「それはそれ、これはこれだ」
「……やれやれ。どうだい、エリサリさん?」
「え、えー? 報酬なんて要求するんですかぁ? 魔族は人の敵だし侵蝕固着を起こした魔族なんて世界を崩壊させる端緒にもなりかねないのに……」
「お前は俺たちに力を貸してくれと頼んだ。それは仕事の依頼だろう。俺たちは別にそんな奴放って帰ってもかまわないんだぞ? 魔族だなんだっていうのもお前の勘違いかもしれんしな」
「う、うー……わかりましたぁ……じゃ、この宝石でどうですか?」
 差し出された小粒のエメラルドをロンはしばしためつすがめつして、うなずく。
「まぁいいだろう。契約成立だ。俺はこの件においてはお前の私兵となろう」
「え、いえー別に私兵にならなくてもいいんですけど……あの、セオさんは、どうですか?」
「え………」
 セオははっとして顔を上げ、それから少し口ごもった。セオは別のことを考えていたからだ。――主にアンゼロット王女と、リーマス・ウェインについて。そして夢見るルビーについて。
 時空の歪み。この中の方が外よりも時間の流れが早い事実。ラグランの泉の力。エルフと人間。そして、ルビーの力。――もしかして、と考えれば考えるほど嫌な結論に達してしまう。
 その上に、魔族の存在――
 セオは改めて考えた。魔族。初めての魔族との出会いだ。試してみたいこと、聞きたいことが山とある。けれど魔族が人間にとってどれほど危険な存在かは文献で知っている。破壊と殺戮を友とする種族。
 ここの魔族がそれに当てはまるかどうかはわからないけれど――
「……あの。俺を……偵察に出して、もらえませんか」
「は?」
 エリサリがきょとんとした顔をする。
「あの、ですから、魔族とか、それに付き従う魔物とかが、いるかいないか……」
『…………』
 ガツン、とセオは脳天に拳骨を落とされた。思わず目から星を散らせるセオに、拳骨を落とした張本人のフォルデはぎろりと顔を睨んで言う。
「どーせまたてめぇ敵の魔族を説得できねーかどうかやってみるつもりなんだろ」
「う………」
「ざけんじゃねぇ、そんなもん認めるわきゃねーだろ。……てめぇも……なんだ、一応……その、戦力の物の数ぐらいにはなるんだ、勝手に先行されて勝手に死なれたら困るんだよ」
「……ごめんなさい……」
「『仲間が死ぬのを放っておくのは嫌だ』となぜ素直に言えんのか……」
「うっせぇ黙ってろ腐れ武闘家っ!」
「え?」
 きょとんとするセオに、ラグが苦笑気味に笑いかけてきた。
「単純な話だよ。大切な仲間が明らかに無謀な真似をしようとしたら止めるだろう? 無駄な死を増やしたくないって言ってた君が無駄に死んじゃったら意味ないよ」
「え、あ、う……ごめんなさい……」
「だっからそこでどーして泣いて謝んだよこのボケ!」
 怒鳴られても涙はなかなか止まらなかった。大切な仲間などと自分を言ってくれるのは嬉しい。たとえ冗談でも嬉しいたまらなく嬉しい。その中には真実の思いの欠片があると信じられるから。少しは自分を大切に思ってくれているのだと自惚れられるから。
 けれど――自分は、それでも、夢を見るのをやめられないのだ。この期に及んで、まだ、話し合いたいなどと思ってしまうのだ。
 それが甘ったれた考えだということは、わかっているのに。

「でぃっ!」
 バンパイアの首を鉄の斧でばっさりと一撃の下に斬り落とし、ラグはふぅと息をついた。
「魔物が多くなってきたな。種類は変わらないけど」
「高位魔族が固着を起こしている証ですよ」
 エリサリは緊張した面持ちでそううなずく。最初は戦闘ごとに強力な呪文を連発していたエリサリだが、魔族との戦いに備え魔法力を節約すると宣言し今では回復以外に呪文を使っていない。
「魔族が侵蝕固着を起こすと周囲の世界には少しずつ混沌が現出していき、魔物が増えます。そしてさらなる魔族とさらなる世界の崩壊を呼ぶ……ここは封印されてたみたいですからほとんど外には影響なかったですけど」
「封印?」
「え、とですね。封印というか、次元侵蝕を抑える力があるんです。次元侵蝕が外に広がらないようにしている……それがどこに由来するなのかはよくわからないんですけど……正直そこらの魔法使いじゃこんなことできないと思うんですけどねー」
「ふん……とりあえず魔族がいるのは本決まりなんだろう。余計なことを考えていると死ぬぞ」
「うう、別に余計なことってわけじゃ……」
 などと話しながら階段を降りる――と、そこは湖だった。
 見渡す限りというほどではないが、エルフの集落程度ならすっぽり入ってしまうのではないかと思うほどの面積にきらきらと輝く水が広がり(この洞窟はレミーラが固定化されていないのにもかかわらず)、そこに浮き島のように複雑な魔術的文様を描いたおそらくはミスリルのタイルで装飾された地面が乗っている。
 美しい景色だった。
「……ここが、ラグランの泉?」
「泉という大きさじゃないな。これはもう湖だろう」
「どーでもいーだろんなの。……ここが行き止まりなんだよな? 魔族っぽい奴なんて……いねーじゃねーか」
 フォルデの言葉に、エリサリは緊張の面持ちで顔を横に振る。
「いいえ。現出していないだけです。どんどん魔化領域の中心点に近づいてきてます」
 その通りだろう。セオ程度の貧弱な魔力の持ち主ですら、体中に魔@ヘの強烈な気配を感じる。
 魔族の気配というのはこういうものなのだろうか。悪意ではない、憎悪でもない。ただなにもかもが捻じ曲がり、狂い、歪んでいく気配――
 セオはぎゅっと、鋼鉄の剣を握り締めた。
「…………気合入れすぎてコケんじゃねーぞ」
 ぼそりとフォルデが言う。ひどく情けない声で、「はい」と言ってうなずいた。
 隊列は少しずつ湖の中央へと進む。幾柱もの柱が周りに立ちミスリルのタイルで魔法陣が描かれているそこには、人間の頭ぐらいの大きさの箱があった。
「……宝箱、か?」
「……その中です。魔族がいるのは」
『!』
 全員の顔が引き締まる。素早く作戦を確認した。
「まず、俺が宝箱を開ける。で、そのあと」
「さっき打ち合わせた要領で俺とラグが前に出る。ラグの方がやや後ろでな。お前の役目はわかってるな、フォルデ?」
「……俺は後方に回って魔族の注意をひきつけりゃいーんだろ。無理には攻撃しない、わかってるよ」
「ああ。俺たちの役目も究極的には盾とかく乱だ。勝負を決めるのは」
「私のメラゾーマですね。はい、大丈夫です。こういう時のために何度も訓練受けてきたんですから」
 セオがなにをするか――は当然のように省かれている。
 生きるか死ぬかの戦いにおいては、戦いにためらいを覚える者を戦力として数えるわけにはいかない、とラグとロンが声を揃えたのだ。当てにならない戦力を抱えるより、最初からいないものとして扱った方がいい、と。
 まったくその通りだ。自分は甘い。余裕をもって勝てる相手ならばまだしも、全力を尽くして戦わなければならない相手に自分など足手まといにしかならない。
「………………っ」
 セオはぎゅっと唇を噛み締めた。なにをいまさら辛がっているのか。自分は弱く、そしてそれ以上に覚悟のない甘ったれだ。仲間たちを守るだなどと偉そうなことを言える分際ではない。
 けれど、どうしても思ってしまう。この人たちを、この優しい人たちを守りたい。せめて盾になりとなれたなら、と。
 ――この期に及んで、今もまだ、魔族と話をする方法がないか必死に考えている、夢見すぎな愚か者のくせに。
「………開けるぞ」
 フォルデが宝箱を調べ、ゆっくりと蓋に手をかける。鍵はかかっていなかった。
 かた、と音がしてわずかに蓋が開く――
 その瞬間、なにかが猛烈な勢いで宙に飛び出してきた。
「っ!」
「フォルデさん!」
 フォルデはぎりぎりのところで飛び出してきたものをかわしたが、左腕がずっぱりと斬り裂かれていた。慌てて駆け寄ってホイミをかけようとするが、「引っ込んでろ!」と怒鳴ってフォルデはすぐ立ち上がる。
『モッグモッガジャッゴパォォッ!!!』
 その宙に飛び出したものは凄まじい速さで宙を舞う。ラグとロンが前に出てエリサリが呪文を唱え始めた。
 その飛び出したものは空中でぐるぐると数度回転し、ぴたりと静止した。対象の姿が網膜に像を結ぶ。
 それは、緑色の頭巾を被った人型の生き物だった。けれどそれは微塵も人がましい動作をせず、むしろ人の形をしていることを否定するように、狂ったように頭を振りながら宙を舞う。
「―――エビルマージ……!」
 一度だけアリアハンの、資料館で目にしたことがある。魔族の中でも一、二を争うほど多彩で強力な呪文を操ることができる種族。呪文戦闘に特化しながらも白兵戦闘も決して弱くはない。
 自分のレベルでは太刀打ちできないほどの強敵だ――エリサリのメラゾーマがなければ全滅の危険すらあるような。さすがにメラゾーマを食らえば一撃で落ちるだろうが――
 そこまで思考を追って、ようやくセオははっとした。エビルマージが使える呪文の中には――!
『%@*+$>&%$##!=x
「埃の低迷する道路の上に、彼らは憂鬱の日ざしを見る!=v
 セオが早口で唱えた呪文は一歩遅かった。エビルマージからぶわっと紫色の霧が放出されエリサリを包み込む。
 キシィィィ、と空間が軋むような音がした。無効化された余剰魔法力が時空を揺るがす音だ。遅れるもなにも意味などなかった、セオのマホトーンは抵抗された。そもそも効果的に呪文を構成するには、まだレベルが足りなかったのだ。
「! 呪文が……!」
「封じられたか、役立たずめ」
「そんなことを言ってる場合じゃ――」
 ラグは呪文を唱えるために動きを止めたエビルマージへ向けて、すっと腕を伸ばした。ロンは当然のようにその腕の上に飛び上がり、ラグと呼吸を合わせて跳ねる。
「――ないだろっ!」
「確かにな!」
 身軽な空中戦闘はまさに十八番であるだろう武闘家のロンは、ラグの腕力と自らの脚力をバネにして、自らの体を矢に見立てエビルマージへと突き刺した。普通の魔物なら、これで落ちる――
 だが弱っているとはいえエビルマージは、普通の魔物ではなかった。
『ショグシェグジャグジャェグリャァァッ!』
 様々な呪文を操る知能の高い魔族とは思えない、狂ったような悲鳴を上げてエビルマージは体をよじり自らに突き刺さったロンを振り飛ばす。ロンは軽く着地したが、エビルマージは体液をこぼしながらもまだまだ元気だった。
「んっのやろ!」
 フォルデがエビルマージの目のあるであろう点に正確にナイフを放り投げる。だがそのナイフは、覆面の上で弾かれて落ちた。フォルデは舌打ちしてチェーンクロスを振り回す――だがエビルマージは宙を舞ってそれを避けた。
 そしてすぅ、と大きく覆面の奥を膨らませる――
『ゴギャーガ!』
「―――――っ!」
 エビルマージの口から放たれた燃え盛る火炎は、大きく広がってラグとロンを包み込んだ。広角広範囲の高熱の炎、けれどラグはとっさにエリサリを突き飛ばして範囲から外し、自らは炎を受け、必死に転がって炎を消す。
 ほぼ同時に動いていたセオの身体にも同様に激痛が走る――けれど、フォルデは無事だ。間近に聞こえる健康な息遣いを確認し、自分などの小さな身体でもフォルデを庇えたのだ、と少しだけ安堵した。
「――セオッ! てめ……ッ!」
 耳元で叫ばれるフォルデの怒声もほとんど耳に入っていなかった。二秒でパーティの状況を見て取り、対応策を検討する。
 ラグとロンは炎をかわせはしなかったが死ぬほどの損害を受けてもいない。これまで幾多の戦いを超えてきた人間ならではの頑強さで、呼吸も鼓動も正常といっていい程度には動いている、まだまだ戦えるというつもりなのだろう、なにより普通に動いているし。
 けれど、早く手当てしなければ――もちろんどうなるかわからない。
 ――セオは、背中全面を覆う火傷の痛みを無視して、立ち上がった。
 仕方のないことなのだろう。歴史を紐解いてみても戦いは始まってしまうのはいつも突然で、お互いを尊重しあって終わらせるのはただ殺すのの数倍は手間がかかる。
 このエビルマージはおそらく、狂っている。魔族ということを差し引いても、話の通じるような相手ではない。それもわかっている。
 ――けれど。
「ごめんなさい……」
 セオは剣を握って呟いた。構えていた剣を槍投げの槍のように大きく引き、だっとエビルマージへ向け走り出す。
『バギュラジェノィラナンファシュゥー……』
「俺、あなたを――殺します」
 その瞬間の恐怖と気持ち悪さと今すぐ自分の首を切り落としたくなるような申し訳なさは、決して消えない――
「――せっ!」
 セオは鋼鉄の剣を槍投げの要領で投げた。当然投擲用の武器ではないのだから大した打撃にはならない、けれどセオは剣を投げる方法も修練していたので狙い通り一瞬相手の足を縫い止め動きを止めることはできた。
 そして、それで充分時間は足りる。
 セオは全身の力を足に込め、地面を蹴る。できる限りの速さで宝箱へと近づいた。それ≠ノ触れる。一瞬悪夢が流れ込んできて動きを止めるが、ただ漏れ出しただけの悪夢なら精神制御の技術で無効化できる、問題はない。エビルマージが鳴き声を上げて、こちらに向け呪文を唱え始める――
 それよりも早くセオは唱えていた。
「愛物どもの上にしも、我が輝く手を伸べなんとす!=v
 数文節からなるその呪文は、エビルマージの長々しい呪文よりも早く効果を発揮し、浄化の光を生み出し始め。
 呪文にこめた決死の願い相応に、強い効果を発揮してそれ≠清め――
 その瞬間、悲鳴も上げず囚われていた魔族は消滅していた。

「……な………」
 エリサリが呆然としたように声を上げる。セオはたたっと小走りでロンとラグの元に近づいた。
「私のいのちは窓の硝子にとどまりて……=v
 素早くホイミを唱えてほとんど身体の前面を覆いつくしている火傷を必死に癒す。ロンから先にしたのは、基本的にレベルが同じなら戦士の方が耐久力はある、というのが冒険者の常識で、それを裏切るような情報も今のところ入っていなかったからだ。
 ロンとラグにそれぞれ一回ホイミを唱えてとりあえずの応急処置をしてから、セオはエリサリに向き直った。
「エリサリさん、あの、魔法が使えるようになったら、ラグさんとロンさんを、癒してもらえ、ませんか」
「え、あ、はい!」
 慌ててエリサリが駆け寄ってきて回復呪文を唱える。自分とは比べ物にならない高度な呪文にセオは、ようやく小さく息がつけた。
「おいこらセオてめ――」
 フォルデが頭を怒気で加熱しながらセオの肩をぐいっと引っ張り――動きを止めた。
「……泣いてんじゃねーよ」
 ああ、やっぱり自分は泣いているんだ。セオは泣きながらひどく情けなく思った。
 泣いたところであの魔族が蘇るわけではないのに。自分の都合で命をひとつ消した、その事実は変わらないのに。なんて、情けない所業だろう。
 でも。けれど。自分がもっと強ければ、賢ければ聡明なら、防げたかもしれないのにと思うと――
「ごめんな、さいっ、ごめんなさいっ」
「だっからなに謝ってんだってーの……」
「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……」
 セオは何度もしゃくりあげながらひたすらに仲間たちに頭を下げ続けた。申し訳なくてたまらない。こんなことで、みんな飲み込んで堪えて戦っていることで、対処が遅れ、結果仲間たちに迷惑をかけた。傷つけた。
 首を掻っ切りたくなるほどに申し訳なくて、ひたすらに頭を下げ続けた。

 全員の傷が癒されてから、それでも泣き続けるセオをラグに任せ、フォルデとロン、それにエリサリは宝箱をのぞきこみ声を上げた。
「これ……夢見るルビー! アンゼロット王女たちが持ってるはずなのに……?」
「へー、これが夢見るルビーか。でっかいルビーだな……」
「盗るなよ」
「盗らねーよっ。……? なんだ、この紙」
「どれどれ。……これは、なんだ。エルフ語か? さっぱり読めん」
「見せてくださいー。……『お母様、先立つ不幸をお許しください…。わたしたちはエルフと人間。この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります。アン』………!?」
「おい……まさか、これ……遺書か!?」
 フォルデが震える声で言う。ラグがため息をつき、ロンが肩をすくめた。
「心中か。結ばれることかなわぬ男女が行き着く先としては、まぁよくある話だな」
「ロン! 茶化すな。茶化していいことじゃないだろうこういうことは」
「別に茶化してるわけじゃない。心の底から蔑んでるんだ。――いいか、たかだか親に反対された程度で親の大切なものを持ち出して、周り中巻き込んでひとつの街を眠らせて、それで勝手に死んでるんだぞ? こんな奴ら馬鹿にされて当然だと俺は思う」
「そういう問題じゃないだろ。生き死にの問題を事情をよく知りもしない他人がどうこう言うのはおかしいって言ってるんだ」
「ふん……ま、それはそれで正しいがな。事情を知っていようが親に反対された程度で心中するのは馬鹿としか言えんと思うぞ」
「……親に反対された、だけじゃ、ないと、思います」
『え?』
 話していたラグとロン、なにかを堪えるような顔をしていたフォルデ、困惑した顔のエリサリが声を揃えた。セオは一瞬怯えるが、それでも一度言い始めたことなのだから最後まで言わなければ、と続けた。
「アンゼロット王女と、リーマスさんは……自分たちの、間にある、種族の壁に、絶望したんだと――思います……」
「はぁ? なんだそりゃ」
「……どういうことだい? セオ」
「……アンゼロット王女と、リーマスさんは、子供を作ったんだと、思います……自分たちの、間に」
「……子供を作った? それならむしろ生きる希望を持ちそうなものだけど」
「普通なら、そうなんです、けど。エルフと人間の間の子供は、そういうの、難しいと、思います」
「なんでだよ?」
「――エルフと人間が子供を作ると、ほぼ十割の確率で、ものすごい畸形児が生まれるんです」
『――――』
「えぇっ!?」
 叫んだのはエリサリだった。知らなかったのかな、エルフなのに、と不思議に思いながら先を続ける。
「それも、普通の畸形じゃ、ありません。生きていくのが、不可能なほどの、とんでもない畸形なんです」
「……どんな?」
「俺の見た例で言うと……目にあたる場所から腕足が何本も生えている。首が背中の中央から何本も生えている。人間の部分が両腕しかなく、残りはただの肉の塊。他にも」
「いや、もういい。……君は、それを、どこで?」
「アリアハンの、勇者と王家の、人間以外、立ち入り禁止の資料館で、です。古代帝国の資料が、記憶させてある、記憶珠で……エルフと人間の交配実験の、記録です」
「―――――」
「十月十日、お腹の中で育つのを、生まれてくるのを心待ちにしていて、これで親たちも許してくれるのではないかという希望の証だった子供が、ようやく生まれてきてくれた子供が、そういう状態で、生きていくのもかなわない姿だったら、これから先もずっとずっと自分たちの間にはそういう子供しか生まれてこないのだと確認したら――その瞬間の、絶望は、自分を、消滅させたくなってしまうほどなんじゃないかって、思います」
『…………』
「もちろん、子供を作れないからって、夫婦でいちゃいけないってことは、ありません。それならそれで、よしとして、愛し合っていける関係を作っていこうと、落ち着けば思えたかもしれません。でも、周りに誰もいなくって、出産という大事業も二人だけでやって、世界に自分たちただ二人という心境で生まれてきた子供がそんな状態だったら、発作的に、そう思ってしまうことも、ありえるんじゃ、ないかって――」
「……なるほど、な。発作的なものか。どうりで遺書の字が乱れているわけだ……男の方の遺書もないしな」
「……けど……だからって」
「ああ、もちろんだからって死んでいいってわけじゃない。最悪の形で責任を放棄されて、ノアニールの住民は十年も眠り続けてるんだ――だが、まぁ、自分たちの希望だった子供が生きていられない状態だったとしたら、そりゃ絶望は深かろうなと思うと、な。責める気が失せた」
「…………」
「で、でも……時間はどうなるんですか? 子供が生まれるまでの時間は。十月十日って言ってましたけど、ジヌディーヌ女王は手紙を発見するとすぐここに来たんですよ? なのになにも発見できなかった、って記録には――」
 エリサリの発言に、セオはうなずく。それが不思議だった。この展開は駆け落ちの話を聞いた時からずっと考えていたことではあったが、そこがセオも疑問だったのだ。
「それなんですけど。エリサリさんのおかげで、わかりました」
「え、えぇ? 私ですかぁ?」
「はい。不定時点侵蝕時空間、って言ってましたよね? この洞窟の中は、時間の流れが早い、って」
「え、えー? つまり、時間の流れが早いからその間に子供が生めちゃった、ってことですか?」
「というか……アンゼロット王女と、リーマスさんが、そう望んだから、時空の歪みは生まれたんだと、思います」
「え……あ、そうか! 夢見るルビー!」
「は? なんでルビーがこんなとこで出てくんだよ?」
「夢見るルビーは、大規模精神制御の力を持つ、って言いましたよね? もっと詳しく言うと、夢見るルビーは、強大な精神の力をもって直接世界を変革する、神の力を行使できる神具だってことなん、です。大量の精神を、ひとつの目的に向けて、集中させることで、神に匹敵するほどの、力を生み出す。アンゼロット王女の、時間を稼ぎたいという強力な意思――それがラグランの泉の、時空を歪めた……」
「……大量の精神で神の力に代えるということだが。アンゼロット王女一人の力で、そんなことができるのか?」
「青の森≠フエルフの王族なら、夢見るルビーの使用法を、学んでいるはずです。精神の力も、普通のエルフより、ずっと強いはず、ですから」
「……なるほどな……」
「魔族がここに来たのが、偶然だったのか、なんらかの目的をもって訪れたのかは、わかりません。でも、確実にいえることは――さっきの魔族は、ルビーに残された、アンゼロット王女たちの、悪夢に囚われた、んです」
「悪夢に、囚われた……?」
「夢見るルビーは、のぞきこめば、強制的に、夢を見させられます。魔族に対しては、それは精神を支配されるのと、同義だったんです。魔族は、精神生命体らしい、ですから。そして、さっきの魔族は、この夢見るルビーの番人となり、ジヌディーヌ女王から、滅ぼされないように隠れ、やがて精神を崩壊させて、時空の歪みを連続させる、次元侵蝕固着を起こした……」
「なんでわかんだよ」
「……ルビーから漏れた、魔族の悪夢を、見ました、から」
「あの、封印についてはなにかわかりました?」
「いいえ……。それについては、魔族も知らなかった、みたいです」
「そうですか……。うーん、通りすがりの優秀な賢者か魔法使いでもいたのかなぁ……普通できないと思うんだけどなぁ……」
「……しかし、セオ。それはさっきルビーを手に取ってから考えたことじゃないな? 君の中には最初からあったんじゃないか、そういう考えが」
「……んだとぉ?」
 ぎろり、とフォルデに睨まれてセオは震え上がった。当たり前だ、自分などのせいで無駄な傷を負わされたのだから。
「ごめ……んな、さい……ごめんなさい……!」
「謝ってるっつーことは、そうなんだな?」
「はい……」
「ああ、だからルビーをニフラムで浄化すればルビーに精神を支配された魔族も消滅するんじゃないかって思ったんですね? それであの行動かー、セオさんって思い切りいいですねー」
「へ、え、え?」
 そんなことを言われるような価値のあることを自分はしていない。慌てるセオの胸倉をフォルデがつかんだ。
「おい。どーして言わなかった」
「……俺なんかの考え……間違ってる、可能性の方が、大きいし……俺なんかの考えを、下敷きに、行動したら、かえってみなさんが危なくなると、思って……」
「バッカかてめぇは! てめぇが言わなかったせいでこっちが危なくなる可能性とか考えねーのか! 事実今回はそうだったろうがっ」
「ごめ、ごめんなさい、でも、今回は本当に奇跡みたいな偶然でっ、俺なんかの考えが当たってること、普通はありえないと、思うからっ」
「あそこまできっちり考えといてなにふざけたこと抜かしてやがるこのヌケサク! てめぇはなぁっ……」
 情けないと思いながらもぼろぼろ涙を流し、殴られるのに備えて体を縮めながらフォルデを見る――するとフォルデはカッと顔を赤くして、どんとセオを突き離し、ぶっきらぼうに言った。
「いいから。今度からは考えたことは絶対ェ先に言っとけよ」
 セオは戸惑った。なんでこんなことを言うんだろう、この人は。
 自分などの考えを、役に立つものと思っているんだろうか。なんでそんなことを思うんだろう。ありえないのに、自分が役に立つことなど――
 そう思いながらも、なぜか胸がじんわりと熱くなる。調子に乗っちゃいけないそんなことありえない、そう思いながらも自分を認めてくれたのじゃないかと魔物と争いたくないという想いと同じように儚い夢を見る。
 なんだかたまらない思いで、ぽろ、ぽろ、と涙を落としながら、それでもこくんとうなずく。
「……はい……」
 それを見て、エリサリには顔を赤らめられ、ラグには困ったように照れたように笑われ、ロンはにやりと笑まれ、フォルデには顔を赤らめながら凄まじくしかめられてそんな顔してんじゃねぇと蹴りを入れられた。

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