カザーブ〜ノアニール――7
 二度目のエルフの集落は、一度目よりいくぶん騒々しかった。エルフたち――どれも人形のように整った、そして似たような顔つきの少女たちが自分たちを遠巻きに見つめていたからだ。
「なにやってんだあいつら? うざってぇな」
 フォルデが睨むと、エルフたちはきゃーっと蜘蛛の子を散らすように逃げるが、すぐまた集まってきて遠巻きにこちらを見つめながらこそこそと話している。その姿はまるっきり、好奇心と恐怖の板ばさみになっている若い人間の少女たちそのものだ。
「まだ若い子たちなのかな。人間が珍しいのかも」
「じゃーなんで最初に俺たちが来た時出てこなかったんだよ」
「女王の差し金だろう。まだこちらがどんな人間かもわからんうちに、民を眼前にさらすのはまずいとでも思ったんじゃないか」
「今はいいってのか?」
「さてな。そこの異端審問官の存在も一役買っているかもしれんが」
「え、えぇ!? 私がですかぁ!? いやー、なんか照れますねぇ……」
「別に褒めてはいない」
 そんな掛け合いをしながら、ラグたちはエルフの集落を進む。いかに全員美少女とはいえ、遠巻きにひそひそなにやら囁かれているのはいい気持ちはしなかったが、完全無視よりはよほどマシだ。
 女王の住まいの前まで来ると、この前と同じ戦士の装束を身に着けた少女たちがきっとこちらを睨みつけて言う。
「お前たちが夢見るルビーを持ってきたというのはまことか」
「おう。てめぇらが十年探して見つけられなかったルビー、しっかり俺らが見つけてきてやったぜ」
 フォルデがふふんと馬鹿にするように笑みながら言うと、エルフたちは顔を赤くして怒鳴る。
「人間風情が偉そうな口を叩くな! 人間の小賢しい悪知恵は人間の方が見破りやすいというだけだろう!」
「人間などにそそのかされて、忌み子を産まされるとは……アンゼロット王女、おいたわしい……!」
「……君たち、アン王女がどうなったか知ってるのかい?」
「あ、それは私がトオーワルマ――遠く離れた場所の人と話が出来る呪文を使って報告しておきました。やっぱりエルフ族の一大事ですし」
「……ほう。なぜそれを我々に知らせなかった? 貴様、我々に含むところでもあるのか?」
「え、ち、違いますよー私はただわざわざ知らせるほどのことでもないかなって……!」
「エリサリさま! そのような汚らわしい人間たちと話してはなりません! こちらへ!」
「え、いやあの……もー何度も話しちゃってますし……それに人間も神がお創りになった存在には違いないんですから、人間っていうだけで汚らわしいとか言っちゃうのはどーかなー、と……」
「エリサリさま!」
「……お前さま付けされるような身分なのか?」
「え、そりゃまぁ、新米とはいえ異端審問官ですし」
「新米か。予想通りだな」
「人間風情が、エリサリさまに気安い口を利くな!」
「ふん。エルフ風情が偉そうな口叩いてんじゃねぇよ」
 フォルデが皮肉っぽく笑いながら言った言葉に、エルフたちはいきり立った。
「エルフ風情だと……!? 世界を食らう者が、何様のつもりだ!? 我らは神に仕える妖精族、貴様ら世界の恵みを浪費するしか能のない愚物どもに偉そうな口を叩かれる覚えはないわ!」
「ハ! 要するにてめぇらはそれだけしか誇れることがねぇんだな。てめぇらが人間より優れた種族だっつーよ」
「な……!?」
「神に仕えるお偉いてめぇらが結局なにやったよ。今世界は魔王が出てきて戦になるかもしれねぇんだぞ。そんな時にてめぇらがやったことは森ん中引きこもってただ待ってただけじゃねぇか。てめぇでやったことでもない、生まれしか誇れるもんがねぇんだろ? そんな奴らは最低のクズだ! 偉そうな口叩くんならなぁ、引きこもってねぇでなんでもいいからてめぇに誇れることやってからにしやがれ!」
「貴様………ッ!」
 激昂してエルフの少女戦士たちはさっと槍をフォルデに向けた。フォルデはわずかに眉をひそめたが、すぐに肩をそびやかして胸を張る。
「やろうってのか? やってみろよ。引きこもりが俺に傷をつけられるっつうならな!」
「フォルデ。いい加減にしろ」
 ごつん、と軽く頭に拳を落とす。フォルデは「ぎゃっ!」と呻いて頭を押さえしゃがみこんだ。
「………っ〜〜〜、ってぇな! なにしやがんだよ!」
「種族間の差別問題っていうのはそんなに簡単に片付くことじゃないんだ。腹が立ったからといってお前が偉そうにまくし立てていいもんでもない」
「………っけどなぁ!」
「ああ、わかってる――あなた方も、少し考えてください。そうして意味もなく人を差別することが、なにを生み出すのか。人間だからエルフだからという理由で蔑み、遠ざけることになんの意味があるのか。出会った者をどれだけ傷つけるか。よく、考えてください」
 エルフたちはぐ、と言葉に詰まったようになった。顔を赤くして悔しげにこちらを睨む。きかん気の子供みたいだな、と苦笑していると――
「意味は、あります」
 そこにゆっくりと歩いてきたのは、エルフの女王だった。
「女王様!」
 エルフたちが次々とひざまずく。エリサリも同様だ。ラグは少し迷ったが、この前ひざまずかなかったのだからと立っていることに決めた。他の仲間たちも全員立っている。
「よい。――みなも、聞きなさい」
 エルフの女王はしゃんと背筋を伸ばして杖をゆっくりと掲げた。その顔は、相変わらず例えようもなく美しかったが、なんというか、張りがないというか――表情が空虚に見えた。
「人間が、昔エルフになにをしたか、知っていますか。人間たちよ」
「……エルフ狩りしたとか言ってたな。けど、そんなもん別に俺がやったわけじゃねぇ。俺らには全然関係ねぇだろうが」
「あります」
 きっぱりと女王は言い放った。
「あなたたちの遠い祖先が犯した愚行。それはいまだにエルフの心に影を落としている。私は今でも覚えています――人間たちがどれだけ残虐に、残酷に同胞たちを狩ったか。一度など目の前で友が生きたまま体を煮込まれていくのを見させられたことすらありました。たかだか数ヶ月人の命を延ばす、そのためだけに私の同胞は殺されていったのです。どれだけ、どれだけ人間たちを憎み、恨み、呪ったことか。我々が人間という種族を信用できなくなるのには、十分な理由ではありませんか?」
「……っだっからなぁ! それは……そりゃ、それはそのやった奴らが悪ぃだろうけど……んなの俺らがやったことじゃねぇだろ!? んなもんを俺らにまで押し付けんなっつの!」
「あなたたちは、違うというのですか?」
「は?」
 きょとんとするフォルデに、女王は高飛車に、けれど静かに、どこか虚ろな顔で言う。
「我々に高飛車な態度に出られて、エルフという種族そのものがみなそういう存在だと思い込まなかったといえるのですか? エルフという種族に、自分たちとは違う存在に、嫌悪感を抱き排斥したいという感情を抱かなかったと心の底から誓えると?」
「………っ、それは―――」
「それとこれとは話が違うだろう」
 ロンがぶっきらぼうな口調で割り込んできた。
「少なくとも我々はその行為が間違っていることを知っている。それまでのエルフとは異なる存在と出会った時にその過ちを正すことができる――だがあんたらは何度も説得に訪れたリーマスをも拒否したんだろう。その頑なさが愚かしいというんだ」
「愚か……愚かといいますか。けれど我らはそうしなければ、生きてこられなかったのですよ」
「………………」
 女王の高飛車な、けれどひどく冷たい口調に、自分たちは言葉を失った。
 この人の目にはいまだに自分たちに対する恐怖がある。けれどそれ以上に彼女の目に映るのは、虚無感。もうなにをしても無駄なのだと、全ては無意味だったのだと、思ってしまっている人の瞳――
「神よりこの世界の中で生きることを命ぜられた我らは、なんとしても生き延び続けねばなりません。神より下賜された宝物を守り、世界の調和を、安定を導くためになんとしても。だから一人たりとも人間に殺されるようなことがあってはならなかった。私はこれ以上同胞が死ぬところなど見たくはなかった。だから我らは結束し、一人たりとも森の外へは出ぬようにしなければならなかった。そのためには――我らの外に敵が必要だったのです」
「……それが、人間?」
 女王はゆっくりとうなずいた。
「人間を憎み、蔑み、遠ざけることで我らはお互いに対する結束を強めました。なにより私は人間が憎かった、できることならこの世界から消滅させたかったほどに。神の所業に口を挟むことは禁忌ゆえにできはしなかったけれども。その成果はありました。この千五百年、森の外に出るエルフは誰もいなかったのです――」
 その言葉をつむぐ瞬間、女王の瞳はひどく暗く翳った。
「アンを、除いて」
「………………」
「リーマスというあの若者が私の知っている人間とは違うということはわかっていました。けれど、それでも。私には堪えられなかった。私の友を、同胞を狩った人間と私の娘が婚姻を結ぶなど。なによりも誰よりも愛しんできた娘が、友の、同胞の仇と愛し合い、共に生きるなど――」
「っけど、それは!」
「ええ、あの男には関係のないことだったでしょう。けれど、それでも私には我慢できませんでした。あの慟哭を――あの絶望をまったく知らぬげに、エルフがどれだけの血を流して人間から今の平和を勝ち取ったかを知らぬげに、私の娘と人間が共に生きるなど」
「…………」
 それは、正しい′セ葉ではなかったかもしれない。
 正しい間違っているで言えば間違いなく間違っているのだろう。けれど、彼女が虚ろな目で語る言葉は。
 闇より深い絶望を、自分たちに感じさせた。彼女にとっては、アン王女の行動がどれだけ呪わしく、どれだけ彼女が苦しんだかを、肌で感じさせたのだ。
「それだけではありません。私たちエルフとあなたたち人間、この二つの種族の間には隔たりがありすぎる。我らは精霊の声を聞き世界の調和を導く種族、あなた方人間は世界を食い荒らして繁栄を享受する種族。それぞれ見るところも感じ方も目指すところも、すべてがあまりにも違いすぎる。――子を成すことすらできない。幸せになれるとは思えませんでした」
「…………」
「私が間違っていたのかもしれません。私が許しさえすれば、あの二人はまだ生きて幸せに暮らしていたのかもしれません。けれど――何度請われても、私はきっと同じように答えたでしょう。否。私の娘と人間が共に生きるなど、絶対に許しませんと」
「――――…………」
「あんた……なぁ……」
 フォルデはなにか言いたげに口を開けて、そして結局なにも言わずに口を閉じた。ロンは感情の読み取りにくい無表情で肩をすくめる。ラグはといえば、たまらなくため息をつきたい気持ちになっていた。
 この女性が、哀れだった。虚ろな顔で、虚勢を張って、必死に泣くのを堪えているこの女性が。エルフの女王としての誇りか、人間への嫌悪感か。娘を亡くして、けれど自分が間違っていたとは言えないこの女性が。
 女王はすっと手を差し出す。
「アンの遺書と、夢見るルビーを」
「………はい」
 セオが袋からその二つを出して女王に渡した。女王は受け取って遺書を読み、うなずく。
「あなた方には礼を言わねばなりませんね。アンの遺書と夢見るルビーを見つけ届けてくれたこと、感謝します」
「………いえ」
「けれど私は人間が好きになったわけではありません。私は人間を憎むことをやめられないでしょう。これから先、未来永劫」
「…………」
 セオがたまらなく哀しそうな顔で女王を見つめる。女王は表情を変えず、懐からいくつかの袋と書状を取り出してセオに渡した。
「この袋の中に入っている粉を撒けばノアニールの人間たちは目覚めるでしょう。こちらはノアニールの領主に向けた詫びの書状とエルフの宝物です。ノアニールの領主に渡してください」
「………はい」
「さぁ、お行きなさい。そして、もう二度と、ここへは来ないでください」
 そう虚ろな、そして静かな表情で告げる女王に、セオは顔をくしゃくしゃにして、ひどく迷った表情をして、数度深呼吸をして、それから決然と口を開いた。
「ジヌディーヌ女王」
「……なんですか、人の勇者よ」
「あなたが、どんなに辛い思いをしてきたか、俺には想像することしか、できません。いいえ、たぶん想像すら、まともにできていないと、思います。あなたが人間を憎むのは、本当に無理のない、仕方ないことなんだと思います」
「…………」
「だけど――だけど。それでも俺は、わがままで偉そうでどうしようもなく思い上がった言葉だけど、あなたたちに人間を憎むのを、やめてほしいって思います。憎しみはなにも生まないなんて、偉そうな説教をする気はない、ですけど――人間を力の限り憎み続けるのは、あなたたちにとっても、きっと、辛いんじゃないかなって――」
「…………」
「偉そうなこといって、ごめんなさい。本当にあなたたちの気持ちを、わかってあげられなくてごめんなさい。でも、俺、エルフと人間の間に、争いが起こらないように、頑張りたいです。俺なんかの力じゃ、何の足しにもならないだろうけど。俺は、あなたたちが、人に殺されそうに、なったことを知ったら、絶対に飛んできます」
「…………!」
「俺なんかじゃ、本当に、なんの役にも、ものの役にも、立たないでしょうけど。それでも、精一杯、俺にできる全部で、あなたたちを守ります」
「――だから、あなたに感謝して人を許せというのですか」
「いいえ」
 セオは今にも泣き出しそうな顔で首を振る。
「憎んで、いいんです。恨んでいいんです。それを止めることは、誰にもできません。けれど、できるなら――」
 泣きそうな顔で、セオは必死に訴える。
「憎むのは、恨むのは、傷つけるのは。そうして実際にあなたたちを、傷つけようとした人たちと――」
 そしてふわり、とたまらなく優しく笑んで。
「このどうしようもなく、身の程知らずで、愚かな、俺で全部にしてもらえませんか。優しい、エルフの女王様」
 ――その瞬間の、エルフの女王の顔は、たぶん一生忘れられないだろうと思った。

 セオたちはノアニールまでの距離をルーラで飛んだ。呪いを解くすべが見つかった以上、急いだ方がいい、ということで意見が一致したからだ。
 セオのルーラにエリサリもついてきた。せっかくだから呪いを解くところまで見届けていきたいのだそうだ。
 なにがせっかくなのかはよくわからなかったが、セオとしては特に反発する心は起こらなかった。ラグもロンもフォルデも、特に文句を言わなかったのでそうなのだろう。
 ただし、その前に一人の男を預けられた。エルフの結界に迷い、ノアニールの人々と同様に眠りにつかされていた初老の男だ。話を聞いてみるとリーマスは彼の息子らしく、エルフの呪いを免れた彼は息子の行為でエルフたちが呪いをかけてきたのを気に病み、エルフたちに呪いを解くよう嘆願すべくやってきたということらしい。
 事情を知って泣き崩れる男に、セオはなんと言えばいいのかわからなかった。ただ、たまらなく哀しくて泣き出してしまっただけで。
 すべての人が哀れでならなかった。アンゼロット王女も、リーマス・ウェインも、ジヌディーヌ女王も、この老人も、ノアニールの人々も――夢見るルビーに捕らわれた魔族も。どうしようもないとわかっているけれど、自分などの力で救えると思いこんだのが思い上がりなのだと、よくわかっているけれど。
 ノアニールに着いた自分たちはまず領主の館へ向かった。そしてノアニールの番人をしている役人に事の次第を告げ、書状と宝物を渡す。
 役人は驚きもしたが、それ以上にノアニールの呪いが解けることが嬉しくてならないようだった。さっそく領主のいるノーザリアに人をやり、急を知らせると言う。
「けれど、その前に呪いを解いてはいただけませんか。この目で呪いが解けるところを確かめたいのです。ぬか喜びはごめんですからな」
「わかりました」
 セオはうなずいて、役人と共に外に出、それから気がついた。どのように撒けばいいのだろう。
「どうしたんだい、セオ?」
 固まったセオに気づいたか、ラグが声をかけてくる。セオは恥ずかしさについ声を潜めつつ聞く。
「あの……この粉、どうやって撒けばいいんでしょう。女王様に聞いてこなかったの思い出して……」
「あ……」
 ラグはあんぐりと口を開けた。ロンもフォルデも眉根を寄せる。エリサリがうーんと考え込むようにしながら首を傾げた(ちなみに耳は呪文で隠している)。
「私もよくは知りませんけど……この手の解呪キーはかけた呪文に反応するのが相場ですから、とりあえずちょっと手近な人に撒いてみたらどうでしょう?」
「なんだよ解呪キーって」
「え、えっと、呪文を解呪する鍵となる呪物のことですー」
「……わかりました」
 セオはまたうなずいて、道具袋から人々を目覚めさせる粉の入った袋を取り出した。とりあえず少し撒いてみようと袋に指を差し入れる。
 と、粉に指が触れた瞬間、袋の口が大きく開いた。そしてそこからゴォォオッ! と音を立てて、凄まじい勢いで粉が噴き出していく。
「…………!」
 呆然と見ているうちに粉は見る間に天高く上り、彼方からはらはらと、雪のように太陽の光を浴びて輝きながら降りてくる。それは空恐ろしいほどに美しい眺めだったけれど、セオにはひどく哀しいものに見えた。
 ――目覚めたのち、ノアニールの人々は苦しむことになるだろう。十年間の他都市との隔絶。世界情勢からの遅れ、昨日まで同い年だった人間が十年年を取っている重い現実。その間に息絶えた親戚なども相当の数に上るに違いない。二度と会えぬ断絶が、こんなところにも転がっているのだ。
 ――けれど、せめて、いつかは、とセオは考える。
 いつかはこんなことがないように、エルフと人間が手を取り合って、せめて争わずにすむようになるかもしれないと、希望を馳せることを許してほしいと思う。甘っちょろく、現実の見えていないたわごとなのだろうけれど、そのために自分も精一杯頑張るから。
 だから、祈りたい。ノアニールの人々が強く、十年の隔絶にも負けず、エルフを恨まず生きられるようにと。
 そう思って、セオは涙をぬぐった。

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