ロマリア〜アッサラーム――2
 最初の印象は、『土埃がすごい街だな』だった。
 地理の勉強で読んだ本の内容を思い出す。アッサラームの街は創設当時から現在に至るまでずっと建物の建造に日乾し煉瓦を使っている。泥に藁を混ぜて天日で型に入れて乾かしたそれを、幾層にも積み重ねて大きな家を作り、崩れ落ちたところは泥を塗って修復して何百年も使うのだ。
「良質の石材が、この近辺には存在しないから、そういう文化が、発達したんですよね」
 順調に進んでいるように思えるのになかなか街に入れない、街に入る人の列に並びながらセオがそう言うと、ラグはわずかに苦笑した。
「文化っていうほどのことじゃないと思うけど。その理由の半分は日乾し煉瓦が安いからだしね」
「そう、なんですか……?」
「そう、アッサラーム人っていうのは基本的に強欲でけちんぼなんだ。他人を押しのけてうまい汁を吸おうと常に目を抜く生き馬を狙っている。他人に奪われれば喚いて文句をがなりたてるくせに自分が手に入れられれば神の思し召しと涼しい顔をしているような奴らさ。君も気をつけなきゃ駄目だよ」
「はぁ……」
「自分の故郷に大して、散々な言いようだな。そんなにここでひどい目に遭ったのか? 確かにお前のような奴は、ここでは生き辛かっただろうがな」
 話に入ってきたロンに、ラグはまた苦笑する。
「俺は別に。俺だってアッサラーム人さ。要領よく立ち回ってたよ、ガキの頃はね」
「今は違う、と? どうやって今のお前になったのか聞いてみたいもんだな」
 その問いに、ラグは笑っただけで返事をしなかった。

 第二印象は、『迷路のような街だな』だった。
 なかなか進まなかったのは検問があるからではなく単純に街に入る道が狭かったためらしい。街に入る前の市が異常なほど広かったので気づかなかったが。
 思いのほか高い土壁に開いた小さな道。そこを通り抜けると少しずつ広がっていくまっすぐ進む道と、暗く狭く幾重にも降り曲がってまともに視線が通らない路地に分かれる。
 ラグは迷いなくまっすぐその路地の方へと入っていった。右に曲がってすぐ左、と思えばまた右、小さな坂を上ったり下ったり、普通の人間ならあっという間に迷ってしまうであろう道を、ラグはすいすいと進んでいく。
「はぐれるなよ。ここではぐれたら再会は難しいぞ」
「……つか、なんでこんなに曲がりくねってんだよ。こんなんじゃ住んでる奴らだって不便じゃねぇのか?」
「一応外敵に備えるため、という名目はあるらしいけど。どっちかっていうと無計画な建造計画の賜物だな。人口の急増で建物が無計画に建て増しされて、通りがあちこちでごちゃごちゃくっついたりこんなに建物同士が密着したりしてるんだ」
「人口の急増って……そんなに人いるのかよ? さっきから見る人間なんてガキくらいじゃねぇか」
 確かにそうだった。さっきから行き会うのは遊び騒ぐ子供たちばかり。大人の姿は少しも見えない。
「この街は夜にならないとまともに目覚めない街なのさ。たいていの大人は昼に寝て夜に目覚める。この街は旅の商人たちとの取引とそいつらが落とす金で生きている街だ。宿屋は二十四時間営業だし商人たちと取引する商人たちは昼に活動するが、そいつらの住む場所はこういう裏路地じゃない。さっき見ただろう、どんどん広がっていってる明るい道。あの先さ」
「ちっ、結局金かよけったくそ悪ぃ……で、こーいうところに住んでる奴らはなんの仕事してんだよ」
「お前とご同業さ」
「へ?」
 フォルデはきょとんとした顔になった。そこにロンが笑みを含んだ声で言う。
「ラグ、盗賊だけじゃないだろう。商人もいるさ。たとえ女衒でも娼家の主でも商人には違いない」
「ぜげ……」
「……まぁ、な。女、博打、酒に薬。夜にそういうもので旅人や商人たちの財布の紐を緩めて、開いた財布から金をかっさらう。そういう風にして生きてるのさ、この街の奴らは」
 アッサラームに冠された二つ名は数多い。商人の街、旅人の街、歓楽都市。そして盗賊都市――治安が悪く、犯罪が日常茶飯事的に行われている街全体が貧民街のような場所だと聞いていた。
 そしてそれを肯定するような台詞を住んでいた人間から聞き、セオは泣きたくなった。そんな風にしなければ暮らしていけない人間が、ここにはたくさんいるのだ。
 自分などが嘆いたところでどうしようもないのはわかっているけれど、それはひどく悲しくやるせない事実だった。
「商人御用達の宿屋っていうのは半端じゃなく宿賃が高い。盗賊に狙われないためのギルドに収める保護料が込みの値段になってるからだ。保護料抜きの宿屋に泊まったらあっという間に街中の盗賊から狙われることになるんだ、嫌も応もない」
「……盗賊ギルドのお約束≠チてやつか」
「まぁな……この街は一応形式上はイシス領に所属してるけど、実質的には自治都市だ。支配者は盗賊ギルドと商人ギルド。商人ギルドがこの街の昼を、盗賊ギルドが夜を取り仕切ってるということになってる――その実水面下では凄まじい争いが繰り広げられてるけどな」
「ふーん……面白ぇじゃん。お貴族さまだの王族だのって奴らが威張りくさってねぇってのはいいな」
 少し嬉しげに笑うフォルデに、ラグは苦く笑んでみせる。
「ギルドがどれほど強欲で抜け目がなくて冷酷かってことを知ってもまだそんなことが言えたら俺はお前を尊敬するよ。……盗賊ギルドは規模と権力がでかい分腕利きも多いし、なにより掟破りには容赦がない。仕事をするにしろしないにしろ一応挨拶には行っといた方がいいな、俺としてはこの町のギルドにはあまり深入りしないことを勧めるが」
「うっせーな、んなこと言われねーでもわかってら」
「お前さんは商人ギルドに顔を出しといた方がいいんじゃないか? 傭兵ギルドの最大雇用主だろ、今は勇者と旅をしてるとはいえ繋ぎはつけといた方がいいぞ。情報も手に入るだろうし」
「……わかってる。わかってるよ」
 ラグはまた笑む。だがその奥歯は強く噛み締められていて、ただ苦い笑みとは言えないほど苦しげな感情を感じさせた。
 セオは少し戸惑ってラグを見上げる。ラグさんは、商人ギルドになにか思うところがあるんだろうか。

 ラグの案内した宿屋は、曲がりくねった路地裏の奥にあるかなり薄暗い家だった。扉の代わりに古びた布が出入り口にぶら下がっており、家の壁からはそばを歩くだけでぽろぽろと土がこぼれ落ちる。
「……しょぼい……つか、すっげー安っぽい宿だな。もーちょいマシなとこねーのかよ?」
「まったくまったく」
「お前らな……人の店に当たり前みたいな顔してケチつけるなよ」
「ご、ごめんなさいっ」
「セオ、君が謝ることは」
「そーだなんでテメェが謝るんだこのボケタコっ」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいーっ!」
「ま、どうせお前さんのことだから、客が少しも入らない貧乏宿をやってる昔の知り合いに少しでも金を落としてやろうって思ったんだろうがな」
「えぇっ!?」
「……そーなのかよ? ったく、信じらんねーお人よしだな」
「……別にそういうわけじゃないさ。俺の勝手な都合と、自己満足だよ」
 ラグは低く言って、布をまくり上げて中に入った。セオたちも慌ててそれに続く。
 中は思ったよりも土埃が少なかった。風がないせいか手入れをしているのか、使い込んだ様子の絨毯の上をラグは迷いなくすたすたと歩いていく。土埃を落とさなくていいのかな、と思ったが、ラグに少しも気にする様子がないので胸をドキドキさせながらもそのあとを追った。
 ラグは奥の扉代わりの布が下げてあるところまで来て、呼ばわった。
「ライラさん! ライラさん、いないんですか!」
「………はぁいぃ?」
 かなりのんびりとした返事が布の向こうから返ってくると、ラグは「入りますよ!」と大声を上げてから布をまくり上げて中に入った。セオたちは思わず顔を見合わせたが、とりあえずあとに続く。
 簡素で家具類がほとんどない部屋の中に、ひとつだけ残っている安楽椅子。その上にぼうっとした顔で座っていた老婆が、ラグの方を見たとたん目を輝かせた。
「ラグディオ! ラグディオじゃないかい! 帰ってきたんだねぇ!」
「えぇ、まぁ……といっても旅の途中にちょっと立ち寄っただけなんですけどね」
 苦笑気味に言うラグに、老婆――おそらくは彼女がライラだろう、興奮した様子でラグの手をつかんでまくしたてる。
「よく帰ってきてくれたよ、よく帰ってきたよ! あたしもヒュダもずっと待ってたんだよ! あんたときたらもう旅に出たっきりなかなか帰ってこないんだもの、いくら旅の傭兵だからって一年に一度しか帰ってこないなんてひどいじゃないかい、キメラの翼があるってのにさ!」
「すいません。……泊まりたいんですが、いいですか?」
「は? ヒュダのところに泊まればいいじゃないか」
「今は仲間と一緒に旅をしているので。そういうわけにもいかないでしょう」
「はぁ……そういうもんかい?」
「お代はちゃんとお支払いしますので――」
「なに言ってんだい、あたしとあんたの仲じゃないか」
「いえ、こういうことはきっちりしておかないと」
「なに言ってんだい、あたしゃね――」
「そう躾けられていますので」
 そうラグがにこやかな笑顔で言うと、ライラは渋い顔をして黙り込み、それからまた笑ってうなずいた。
「わかったよ。あんたがそれを持ち出したら絶対に退かないことはよく知ってるからね」
「すいません」
「まぁいいさ。それよりヒュダのところにはもう行ったのかい?」
「いえ、これからです。すいませんが、仲間たちのことよろしくお願いできますか?」
「ああ、任しといで! あんたの仲間たちならあたしにとっても大切なお客さんさ。あんたたち、しっかり言うこと聞くんだよ?」
 最初椅子に座っていた時とは比べ物にならないほどいきいきとした瞳でそう言うライラに、セオたちは圧倒されつつもうなずき頭を下げた。

「ヒュダって誰だよ」
 部屋について荷物を置くなり、フォルデがそう訊ねてきた。
「お前が会ったことのない人間なのは確かだよ」
「んなことわかってんだよ! お前とどーいう関係なのかって聞いてんだよ」
「そんなこと聞いてどうするんだ」
「どうもしねぇけど……なんとなく」
 仏頂面で聞いてくるフォルデに苦笑する。フォルデは孤児だと聞いている。その寄る辺なさがそうさせるのだろうか、彼は素直に表しはしないが、仲間たちに対しどこか独占欲を持っているようなところがあった。友達に別の仲のいい友達がいると知って面白くない、というような心境なのだろう。十八にしては幼い、と言われてもしょうがないような感情だ。
 そういう感情には、自分も覚えがある。
 そう思うとフォルデを哀れと思わないでもないのだが、それでもラグはきっぱりと全員に言い放つ。
「俺の世界で一番愛している女性だよ」
「!」
「…………」
「え………?」
 仲間たちがそれぞれに衝撃を受けた表情を浮かべる。フォルデは愕然として、ロンはわずかに眉をひそめ、セオはぽかんと口を開けて。
 そんなに驚かれるほど俺は純に見えたのかな、と苦笑しつつもてきぱきと荷物の中から必要なものを取り出し、武器防具を身につけたまま立ち上がる。
「そういうわけで、俺はこれから最愛の女性のところに行って愛を語らうから邪魔しないでくれよな。明日の……そうだな、夕方には帰るから。それまで二人の面倒見ていてくれるか、ロン?」
「ああ、任せろ」
「じゃ」
 それだけ言って足早に部屋を出る。元気を取り戻した様子で掃除をしているライラに挨拶をして、早足で宿の出口を通り抜けた。
 一応何度かついてきている人間がいないか確認する。ああ言った以上セオがついてくるとは思わないが、ロンは面白がってつけてきたりしそうだ。それに盗賊に目をつけられていないかも気になった、あそこで盗賊と大立ち回りなんて冗談じゃない。
 何度も何度も気配を探り、誰もついてきていない、と確信できたら、自然に足が速まった。ほとんど駆けているかのような速さでアッサラームの狭い路地を通り抜ける。
 自然気がはやった。早くあの人に会いたい。一年に一度絶対に会うと決めている日にはまだ間があったけれど、こんなに近くにいるのだから会っておきたいと素直に思うのだ。――仲間たちには絶対に会わせたくなかったけれど。
 ちょうど苛烈な太陽が家の前のごく小さな広場に降り注いでいる頃だった。この家の辺りには昼間の一番暑い頃にだけ強烈な光が照りつける。光を浴びながらも元気に石蹴りをして遊んでいた子供たちが、ラグの方を見て歓声を上げた。
「ラグ兄!」
「ラグ兄だ!」
「お母さん、ラグ兄が帰ってきたよ!」
「ただいま、みんな」
 笑顔で手を上げて、家の中へ入っていこうとする――その寸前、ちょうど家の中から出てきた女性と鉢合わせした。
 白いものがだいぶん混じり始めた髪。陽に焼けてシミがぽつぽつと浮き、口元には笑い皺、顔全体もかなり皺ができている初老の女性。
 けれどラグには、世界の誰より美しく見えるその女性は、朗らかに、たまらなく美しく笑って言った。
「お帰りなさい、ラグ!」
 ラグも照れくさくなりながらも、心からの笑顔で言う。
「ただいま、ヒュダ母さん」

戻る  次へ
『君の物語を聞かせて』topへ