ロマリア〜アッサラーム――4
『いただきまーす!!』
 全員声を揃えて言うと、ガキどもはわっとテーブルの上の食事に手を群がらせた。フォルデはその旺盛な食欲にやや気圧されながら、とりあえずチキンシチューを一口口に含む。
「………うまい」
 思わず声が漏れる。ラグが作るアッサラーム風の料理(と聞かされていたもの)と同じように、香辛料がよく利いているがそれほど辛くはない。むしろどちらかというとあと口はさっぱりしている。トマトの酸味が舌に心地よく、それに、なんだか――
 柔らかくて、ほっとする味だ。
「そう? ありがとう。みんなが手伝ってくれたおかげね」
 テーブルの端でにっこり微笑むヒュダに、フォルデはなんだかむしょうに照れくさくなってがふがふと料理を口に運ぶ。アッサラーム風の丸く平べったいパンをかじると、小麦の優しい味が口の中に広がった。
 ……別に、だからどうというわけではないけれど。このおばさん――ヒュダは、人の心を楽にさせるのがうまいのだというのは、よくわかった。
 だけどそれにあっさり兜を脱ぐのは業腹で、フォルデは仏頂面でやたらと咀嚼を繰り返す。
「あー、兄ちゃん照れてるー」
「っ!?」
「照れ屋だー。大人なのに恥ずかしいのー?」
「やーい照れ屋、照れ屋、照れ屋ー」
 皿を叩いて囃す近くの子供たち。フォルデは思わずカッとして怒鳴った。
「うるせぇガキどもっ! 黙って食えっ!」
「怒鳴ったって怖くないよーだ」
「大人のくせにこんなことで怒ってカッコわりー」
「…………っ!」
「やーいやーい」
「やーいやーい」
 いつの間にか子供たち全員がわぁわぁと喚き、騒ぎ、皿を叩く。声が多すぎてなにを言っているのかよくわからないが、からかわれているのは確かなので怒鳴りつけようと口を開き――
 その瞬間に、ヒュダがぱんぱんと手を叩いた。
「ほらみんな、遊ぶのはご飯を食べてからにしなさい。それにお客さんなんだから、少しは手加減してあげること! わかった?」
『はーい!』
 子供たちはいっせいに叫んで、食事に戻った。なんだか納得のいかない仲裁の仕方だと思いはしたものの、もはや全員平然とした顔で食事をしているので怒鳴るわけにもいかない。フォルデはむすっとして確かババガヌージとかいう名前のサラダ――野菜の練り合わせを口に運んだ。ナスとピーマンの味が同時に口の中に広がる。ピーマンが嫌いなフォルデはうぇっと思ったが、ここで吐き出すわけにはいかないと必死に飲み下した。
 しかし、なんなのだろうこのガキどもの明るさは。フォルデも孤児で、盗賊ギルドに他の孤児たちと一緒に育てられていたが、こんなあっけらかんとした明るい食卓なんて、囲んだことはない。
 当たり前か、とフォルデは苦く笑った。盗賊ギルドは悪党たちの巣だ。暖かくて明るい食卓なんてものを、期待する方が間違っている。それに、ここには、ヒュダという母親≠ェいてくれるのだから。
「あら、フォルデくん、ババガヌージは嫌い?」
「っ!?」
 自分の思考の中に沈んでいたフォルデは、声をかけられてはっと顔を上げた。
「なっ、なんだよっ、急に」
「ババガヌージを食べてから食が進んでないみたいだったから。さっきまではいっぱい食べてくれてたのに」
 からかうような笑みを浮かべて言われ、フォルデは顔を赤らめた。このおばはん、どこまでわかって言ってるんだ?
「うっせーなっ、ちゃんと食うよっ」
「はい、おりこうさん」
「あーっ、兄ちゃん偉そうだっ! ただ飯食ってるくせにー!」
「ごっ、ごめんな、さいっ」
「謝ってんじゃねぇセオっ! 手伝ったんだからいいだろーが黙って食えクソガキッ!」
 ぎゃあぎゃあ喚きながらする食事。こんな風に大勢で、互いに喋りながらする食事なんていうのは、初めてだった。
 ラグはいつもこんな飯を食ってたのか、とちらりと向かい隣のラグの様子をうかがうと、ラグはなぜか、ひどくぶすっとした顔で黙々と料理を口に運んでいる。
 ラグらしくねぇな、こんな時に。そう思ったが、ラグらしくないところはここに来てから何度も見ている。自分たちを追い返そうとしたり、セオが泣いても態度を変えなかったり。
 やっぱ、家族の方が大切ってことかよ。
 そう思うとなんだかひどく胸が冷えて苛立って、フォルデはまたがふがふと料理を口に運んだ。

「うぅーらぁっ!」
「きゃーあっははは!」
 最後の子供をぶいんと宙で一回転させて床に降ろし、フォルデはふーっと息を吐いた。
「もー一回っ! もう一回してよ兄ちゃん!」
「馬鹿言ってんじゃねぇこれで終わりだ終わりっ! セオに頼めセオにっ!」
「え、へ、あの、俺、ですか……?」
 そう言うセオもかなり息が荒い。夕食のあと、二人は揃って子供たちに引っ張られ、遊びの輪の中に強制的に叩き込まれたのだ。
 子供の相手なんてめったにしないので、かなりくたびれた。子供の体力というのは不屈のものがあるのだと知ったのは、いいことだったのか悪いことだったのか。
 ――自分はどうだったのだろうと、どうしても考えてしまう。子供の頃から毎日をほぼ盗賊の技術の修練に費やしてきて、ろくに他の子供と遊んだこともない自分は。
 フォルデは頭を振って、部屋の外へと向かった。
「あ、あの、フォルデさん……?」
「ちっと頭冷やしてくる。ガキどもの面倒頼むわ」
「あ……は、はい!」
「なんだよ兄ちゃん逃げるのかよー!」
「うっせ馬鹿ガキはとっとと寝ろとっとと!」
 部屋――居間の外は玄関で、それを通り抜ければ外だ。フォルデは外の方へと足を向けた。
 外はもう夜で、きれいな星空が見えていた。少し心が落ち着く。月も星空も、太陽も青空も、空はどこでも一緒だ。アリアハンのあの陰鬱な思い出しかない盗賊ギルドでも、旅の途中の野宿でも、ここアッサラームの暖かすぎるくらい暖かい家でも。
 いや、星空は違うのだったっけ。セオがこの前そんなことを言っていた。
 あまり長居はしたくないな、とフォルデは少し自分でも情けないと感じながらも思った。ここは暖かくて、優しい空気に満ちていて、にぎやかで。あんまり居心地がよくて、ずっとここにいたみたいに錯覚しそうになる。
 本当は自分はこんな場所、一度だって手に入れたことないのに。
 旅の途中ではこんなことを考えたことはなかった。居心地がいいのは――一緒にいて気持ちいいと思うのは、仲間たちも同じなのに。
 そうか、仲間だからだ。家族とは違う存在だからだ。腹も立つし、喧嘩もするけど、それでも一緒になにかをしようとしている奴らだからだ――
 珍しくそんなことをつらつらと考えていると、ふと道の向こうから声が聞こえた。
 なんだ? と首を傾げ、何の気なしにそちらに近寄る。忍び足になったのはもはや習性というほかない。別に盗み聞きしようと思って近づいたわけではないからだ。
 ――だから、近づいてみて仰天した。
「――なにが言いたいんだ、ロン?」
「だから何度も言っているだろう? お前が俺たちをここに呼びたがらなかったのは、ヒュダ殿が原因なんだろうって言ってるんだ」
 ラグと、ロン。
 二人が夜の人影もない街角で、ひどく険悪な雰囲気で言葉を交し合っている。
 フォルデは反射的に気配を殺して身を隠した。見つかるのはまずい。
 ラグとロンはその間も言葉を投げつけあう。
「――そんなことはどうでもいいことだろう?」
「俺たちには関係ない、と?」
「……そうだ。仲間だからってなにもかも明かしあわなくちゃならないって法はないはずだろう」
 フォルデは思わず息を呑んだ。そんな台詞――ラグには似合わない。
 あいつは、いつも、俺たちのことを大切にしていてくれたのに。
「まぁな。確かに誰にでも秘密はあるし、仲間だからこそそれを尊重しようというのもわかる」
「だったら――」
「だが、俺は聞きたい。だからこそ、お前に聞きたい。お前が俺たちをここに連れてきたがらなかったのは、お前の優先順位の中では俺たちよりもヒュダ殿が上位にいるということを、俺たちに知られたくないからじゃないのか?」
『――――!』
 フォルデは再び息を呑む。そうなのか、ラグ?
 それは、別に悪いことでも、おかしなことでもないんだろうけど。仲間より母親の方が大事というのは別に普通なんだろうけど。
 なんだろうけど――
「――だったらどうだっていうんだ」
 ぼそりと、押し出すような声で言うラグに、ロンは、こちらも押し出すように、低い声でラグを睨みつけながら言った。
「気に入らんな」
「気に入らん、だと?」
「ああ、壮絶に気に入らん」
「なにが気に入らないっていうんだ」
「なにもかもだ。お前がヒュダ殿を優先順位の第一位につけていること、それを俺たちに隠そうとしていること。そしてそれでよしとしている腐った根性。なにもかもが気に入らん」
「…………っ」
 ラグは怒気を籠めてロンを睨みつける。ロンはそれに勝る覇気をもってラグを睨み返した。
「母親を大切にするのは別に悪いとは言わん。仲間より母親が大切だというのもそれはそれでありだろう、面白くはないがな。ただ、気に入らんのはお前が優先順位を固定していることだ。絶対的第一位に自分の母親をつけてしまって、そこから動かす気がないということだ。それでは変化がない。変化がないということは――成長がない、ということだ」
「…………」
「それを隠すというのも苛つく。自分の醜さ、身勝手さを俺たちに隠して嘘をついて、それで果たして本当に仲間といえるのか。俺たちにきれいな部分だけを見せていい顔をしておきながら、心を許せなんぞと言えるのか? 少なくともお前は今までは、俺たちに対し誠実であろうとしてきたはずだ」
「…………」
「一番気に入らんのはお前が迷いを切り捨てていることだ。母親を優先順位の第一から動かさないこともそれを隠すことも、お前は最初に決めて、それでよしとしてしまっている。それが必ずしも正しくはないことをわかっているくせに、だ。その頑なな母親第一主義が猛烈に気に食わん」
「…………」
「そんなにも母の乳房が恋しいのならそれはそれでかまわん。気には入らんがな。だがそれならそれでお前は自分の愚かしさ、頑なさを仲間に明らかにするべきだし、自らの行為の是非を常に問い続けるべきじゃないのか。はっきり言って――」
 ロンはぎろりとラグを睨む。
「今のお前に背中を預けるのは耐え難い」
「…………」
 ラグは一瞬瞑目し――目を見開いて、言った。――今まで聞いたことがないほど冷たい声で。
「なら抜ければいい」
「――なんだと?」
「ならパーティを抜ければいい。俺に背中を預けて戦いたくないのなら」
「貴様……」
「俺の愚かさをセオやフォルデに言いたいのなら言えばいい。だがそれでも俺をパーティから追放するかどうか決めるのはセオだし、少なくとも俺はなにを言われようが自分からパーティを抜ける気はない」
「…………」
 ロンは厳しい目でラグを睨む。どっちも――真剣だ。
「お前は以前言っていたな。セオに惹かれる理由を。『苦しくて苦しくてたまらないって顔してるあの子を幸せにできたら嬉しいと思った』――そう言っていたと思ったが?」
「それが?」
「あの言葉には確かに本気があった。だから<pーティを抜けたくないのか? それとも母親のために勇者のパーティにいることが有用だと思ったからか?」
 ラグはわずかに苦笑する。――苦笑する声は普段と同じで、フォルデは視線との違和感にめまいがした。
「お前は――フォルデもセオも、よく言っていたな。俺のことを、お人よしだって」
「ああ。それが?」
「本当の俺はお人よしでもなんでもない。ただ、自分の利益のためにこずるく立ち回る小心者だよ。……そして俺の利益は、二十年前からずっと――ヒュダ母さんの笑顔だっていうだけなんだ」
「…………」
「俺はあの人に笑ってほしくて、話をした時に褒めてほしくて人に優しくすることを覚えた。俺のことを自慢の息子だと思ってほしいから、母さんの真似をして、人には優しく、困っている人には手を差し伸べ、苦しんでいる人がいたら救えるように尽力し、優しいお人よしのふりをするようになったんだ」
「…………」
「だから、セオを幸せにできたら嬉しい。ヒュダ母さんが喜んでくれるからだ。苦しんでいる子を救ったら、あの人が笑ってくれると思うからだ」
「…………」
「醜いのも愚かなのも承知の上だ。だが俺は自分が間違っていると認める気はないし、お前の理屈に従って行動する気もない。セオやフォルデに言いたいなら言ってもいいが、俺は必要とあらばいくらでも嘘をつくし、騙すぞ」
「…………」
「正しかろうが間違っていようが、そんなこと俺にはどうでもいい。俺の世界の根幹にいるのは、俺を世界にすくい上げてくれたのはヒュダ母さんだ。だから俺の行動は、人生はすべてヒュダ母さんのためにある」
「…………」
「――それだけだ。話が終わりなら、俺は家に戻る」
「………ラグ」
 こちらを振り向いて歩き出しかけたラグに(フォルデは慌てて身を隠した)、ロンが声をかける。
「なんだ」
「一応聞いておこう。なら、お前の$l生はどこにあるんだ?」
 ふ、とラグが小さく笑う。皮肉げに、嘲笑うように。ラグにちっとも似合わない笑みで。
「――俺の人生は本来なら八つで終わってるはずだったんだ。だから今の俺の生は、そのあとの俺の生はそれを拾ってくれた人のために使う――それだけさ」
 言って今度こそラグはこちらに歩いてくる。フォルデは反射的に大きく跳躍し、土煉瓦の壁にへばりついた。
「――出てこい、フォルデ。いるんだろう」
 ラグが家の中に姿を消してから声をかけられ、フォルデはうろたえて壁から落下する(当然、すたっと足から着地したが)。
「お……っ前なぁ、気づいてんなら……」
「これ以上先に声なんぞかけられなかっただろう。ラグは気づいてなかったみたいだし」
「…………」
 確かに。
 フォルデは渋々その言葉を受け容れ、じっと星空を見つめているロンの隣に並んだ。
 ロンはじっと星空を見つめて動かない。なにか言えってのかよ、なにを言えっつーんだよ、とフォルデは苛立った。
「――嫌なことを聞かせたな」
 ふいに言われて、フォルデはびくりとする。
「んだよ、ヤなことって」
「ラグが俺たちが考えていたほど俺たちを大切には思っていないこと、だな。主に」
 いつもの飄々とした声であっさり言うロン。んなこと言われたってどう答えりゃいいんだよ、とフォルデは小さく舌打ちした。
「別に……んなの別に大したこっちゃねーだろ。俺は別にあいつに大切だとか思ってほしいわけじゃねーし……」
「思ってもいないことを」
 ロンはくくっと小さく笑う。フォルデはそのいつも通りの余裕ぶった態度に苛立ってロンに脛蹴りを見舞ったが、あっさりかわされて蹴り返された。
「んっだよテメェ! そーいうお前こそ珍しくムキになっちまってよ、実はけっこう落ち込んでんじゃねぇの!? ラグが自分より母親の方が大事だったからってよ!」
「さて……な。自分では落ち込んでいる自覚はないが、面白くないのは確かだ」
「…………」
 あっさり答えられて、フォルデは勢いを失い口ごもった。ロンはじっと夜空を見つめ続けている。
「……あのよ」
「なんだ」
「ラグ……さ。あいつ、あれ本気で言ってたのかな」
「あれとは?」
「……セオのことだよ」
 ロンはふい、と視線をこちらに向けた。面白がるような目をしていたのでまたからかう気か、と身構えたが、意外にもロンは真面目な口調で言う。
「本気といえば本気だろうな。ただ、真実ではないと俺は思う」
「……意味わかんねぇんだけど」
「セオのことに限らず――ラグは確かに母親のことが最優先事項でそれ以外のことを切り捨てようとしているんだろう。だが、あいつが優しい人間であるのも、また確かなんだ」
「…………」
「ラグはたぶん、ヒュダ殿を絶対の優先事項と決めたことが、どこかで後ろめたいのではないかと思う。自分が間違いを犯しているのではと不安なんだ、本当はな。けれどヒュダ殿を万事に優先する、というのはあいつにとっては絶対の決め事。だから偽悪者のように振舞って、俺たちに自分を見放させようと思っているんだろう」
「…………」
「あいつはセオのことをいつも心配しているし、労わっているし、俺たちのことも仲間としてちゃんと認めている。だが=Aそれでもあいつはヒュダ殿を万事に優先させねばならないと決めているから、だから俺たちをヒュダ殿と会わせたくなかったんだと思う」
「どういうことだよ……」
「大切にしたいものを並べて比べて、嫌な気持ちになりたくなかったんだろう。つまり、俺たちとヒュダ殿が同時に崖からぶら下がって今にも落ちそうになっている時、どっちを助けるかという問題さ。ラグはそういう時、ヒュダ殿を選ぶと決めている。だがそんな選択、誰だってしたいわけがない。選ばなかった方――俺たちだって大切には違いないんだからな、ラグは」
 フォルデは顔をしかめながらしばらく考えて、それからロンを睨みつけた。
「おい、そこまでわかっててなんでラグにあそこまで言ったんだよ」
 ロンはにっこりと、優雅とすら言ってよさそうな笑みを浮かべる。……いつも通りの押し出し満点の笑みだ。
「面白くないのは確かだからな。ラグをつついてやりたくなったんだ。ちょっとくらいいじめてやったところで、本人も自分の非を、心の中では認めてるんだから問題ないだろう?」
「…………お前な…………」
 フォルデは呆れて口を開け、結局なにも言わず肩をすくめて踵を返した。こいつになにを言ってもたぶん無駄だ。
 ロンはそのあとからすたすたついてくる。足音を殺しているわけでもないのに気配をうまく感じ取れないのはなぜだろうと思いながら振り向いて、フォルデはロンを睨んだ。
「んだよ、空見てんじゃねーのかよ」
「別に見たくて見てたわけじゃない。ただ、考えていたのさ」
「なにをだよ」
「俺がこんなに面白くない気分なのに、やはり空は変わらず美しいのだなぁ、とかそんなようなことをな」
「……わけわかんねぇ」
 ぼそりというと、ロンはなぜか、ひどく面白そうに笑った。

「ふわー……」
 みんなにアッサラームを案内してあげなさいよ、と朝食の席で(泊まる場所まで用意してもらうのもなんだろうとロンが言ったのでセオたちは昨夜はライラの宿に戻って眠り、翌朝ヒュダの家を訪ねて朝食をご馳走になってしまったのだ)ヒュダに提案され、自分たちは今昼のアッサラームで一番金を使わず暇を潰せる¥齒鰍ノ案内してもらうことになり。セオたちはその通りに足を踏み入れたのだが、セオは少しばかり圧倒されていた。
「にぎやかな、通りですね」
 セオが通りを見渡して言うと、ラグは笑った。
「にぎやかっていうか、騒々しいだけだけどね。でも、ここらの店はみんな盗賊ギルドの管轄化にあるから、裏の世界のとんでもないものが流通してたりする。育ちの悪い奴らが集まる通りだから、スリには気をつけるんだよ」
「はい」
 セオはもう一度通りを見渡す。『目抜き通り』というのだと教えてもらった通り――そこは他の街の市のような、けれどもそれよりはるかに猥雑な熱気に満ちていた。
 風に舞う砂塵に商品を吹き付けられるままにしている、露店というのも少しばかりはばかられるような気がする店。たいていは地面に古びた布を敷き、その上に実にさまざまな商品を値札を出さずに並べてあるだけの店がこの通りにはぎっしりと詰まっている。
 あまり高くはないと思われる、けれど異国情緒漂うなんて形容詞をつけたくなってしまいたくなるような香の香りと、叫んでいるような、遠くから響くような大声を使い強引ともとれそうな勢いで行われる呼び込みと、それに相応する数のさまざまな国のさまざまな衣服をまとった人々も。
「おお、お待ちしていましたわたしのともだち! どうぞ売っているものを見ていってください!」
「へ、え、え?」
 突然声をかけられてセオは目を白黒させる。声をかけてきたのは、いかにも商人という風貌のターバンを巻いた男だった。
「あ、あの……」
「おお、それをお買いになるとはお目が高い! 16000ゴールドですがお買いになりますね?」
「え、えぇ!?」
 品物をずいっと押し出されセオはおろおろとする。どうしよう、16000ゴールドなんて大金持ち歩いてない――
 と、そこにずいっとラグが割り込んできた。
「悪いが、この子は俺の連れなんだ」
 商人はその姿を一目見て舌打ちする。
「ち、破壁≠ゥ。帰ってやがったのかよ」
「まぁな。あんまりあこぎな商売するなよ」
「け、余計なお世話だぜ。……そういやお前、アリアハンの勇者のパーティメンバーになったっつぅ噂、マジもんか?」
 ラグはあからさまに顔をしかめて問い返す。
「どこでそれを?」
「どこでもなにも、半年近く前からここらはその話題で持ちきりだったぜ。勇者様のパーティに破壁≠ェ加わったってな! おまけにロマリア国王の依頼を受けて冠を取り返しただのノアニールの呪いを解いただの、派手に活動してるっていうじゃねぇか」
「……ああ、そりゃ知ってるよな……残り少ない勇者のパーティメンバーだもんな……」
 はぁ、とラグはため息をつきながら半ば独り言を言うように言う。セオはどうにも身の置き所がなくて、小さくごめんなさい、と頭を下げた。
「いや、謝らなくていいから。……行こう、セオ」
「あ、はい」
「おい、そんくらい教えてくれたっていいだろ? マジなのかよこの話? 勇者ってのはどこにいんだよ?」
「想像に任せるよ」
 背中から罵声を浴びせられながら、セオはラグに引っ張られて足早にその場を立ち去った。むろん人の壁に阻まれて流れるような移動とはいかなかったが、それでもあっというまにさっきの商人は見えなくなる。
「――おい、待てよ」
 すぐ後ろから声をかけられ、セオは首を後ろに向けた。そこには予想通りの人物二人が立っている。
「フォルデさん、ロンさん……」
「置いていかれたら寂しいだろう、ラグ? あの場から逃げたかったのはわかるが、せめて呼びかけるくらいしてくれ」
「……ああ――悪かった」
 ラグは肩をすくめてうなずく。その仕草を見て、セオはあれ、と思った。
 ラグが今、わずかに視線を逸らした。
 それは本当にごくわずかな動きでしかなかったが、セオは妙な胸騒ぎを感じ困惑顔になる。今のラグの表情には、確かにわずかな拒絶があった。
 喧嘩とかしたんだろうか。でもロンさんは普通だし。そもそも自分ごときが聞くべきことじゃないような気もするし。第一そんなことを聞いて不快に思われてしまったら、自分は絶対に泣いて謝ってしまうに違いない。
 でも、どうしたのか気になる。自分にできることはなにかないかって聞きたくなる。
 でもでも、自分なんかが口を出してかえってこじれさせちゃったら大変だし。
 でもでもでも、仲間が――そう、仲間が、自分を仲間と認めてくれている人が喧嘩しているというのは、やっぱりどうにも悲しいし。
 困った顔でまごまごするセオに、フォルデが声をかけた。
「おい、セオ」
「はっ、はいっ!」
「なにうろたえてんだよ……ちょっと耳貸せ」
 声をひそめて言われ、なぜかどきどきしながらフォルデのそばに近寄って少し背伸びをする――と、フォルデは真剣な声で囁いた。
「あとで理由話してやっから、もーちょいラグにひっついて街案内してもらってろ」
「え、へ? ……フォルデさんは案内してもらわないんですか?」
 囁き声で訊ねると、フォルデは人ごみの中で器用に肩をすくめた。
「一応してはもらうけどな、正直疲れそーで気が乗らねー」
「………疲れるって、なにが……ですか?」
「お前気づいてねぇのかよ。さっきからこの人ごみの中に何人スリがいるか。物乞いどもも一応隠してはいるけどすげぇ目でこっち見てるし。盗賊多いとは聞いてたけどこりゃ半端ねーぜ。そいつらに牽制だの妨害だのしてんだぜさっきから」
「え……! ご、ごめんなさい、俺全然気づかなくて、ごめ、ごめんな……」
「あーったくうざってーな泣くなボケ!」
「ごめん、ごめんなさい……ごめんなさい、本当に……助けてくださって、ありがとう、ございます……」
「……は?」
 フォルデは一瞬あっけに取られて、それからわずかに顔を赤くして仏頂面でセオの頭をくしゃくしゃにした。
「わひゃ!」
「少しは進歩したじゃねーか」
 え? どこが? と首を傾げるセオをよそに、フォルデは無言で話が終わるのを待っているラグとロンの方を向いた。
「おい、そろそろ俺別行動取るぜ。教えてもらったとこいってくる。待ち合わせは例の場所な」
「……わかった」
 別行動――そういえば、フォルデは今日盗賊ギルドに顔を出すといっていたが、それだろうか? 例の場所というのはどこだろう?
 疑問を顔に浮かべながらフォルデを見ると、フォルデはラグたちの方に顎をしゃくった。
「お前はなんにも考えねーであいつらについてってろ。財布スラれねぇよーに気ぃつけろよ。……それから、ラグのこと、頼んだ」
「え?」
 そう言うとフォルデは身を翻し、雑踏の中へ姿を消した。ラグを頼んだ? 自分が頼まれるならともかく、自分などにラグのなにを頼むことがあるというのだろう?
 困惑と少しばかりの混乱を感じながらセオはじっとラグを見つめる――するとラグはなぜか、ひどく痛そうな顔でセオを見つめ返し、それからすっと、目を逸らした。

『目抜き通り』からわずか通り数本隔てた場所。そこに盗賊ギルドの本部――の一部がある『常闇通り』がある。
 わざわざ一部≠ニいう理由はひとつ。この町の盗賊ギルドは本部をいくつかに分けているからだ。この通りにあるのはギルドの中でも窓口的な役目を果たしている場所だ、とここを教えてくれたラグは言っていた。
 なんでも仕事の関係で一度だけ訪れたことがあるとか言っていたが、とりあえず言われた通りの場所に行ってみようと思っていた。場所を移しているならまたその辺りで同業者から聞き出せばすむことだ。
 そう考えながらフォルデは目的の酒場――というにはあまりに営業努力をしなさすぎている店を見つけ、そっと扉を押す。中にいた数人のいかにもな筋者がじろりとこちらを睨んでくるが、フォルデが盗賊の符丁で挨拶をするとすぐ興味をなくしたように視線を逸らした。
 だが、その男たちの意識は間違いなくこちらに向いているとフォルデは感じた。それも相当な熱意をもって。
 なんでだ? と思ったものの問いただすわけにもいかない。フォルデはカウンターに近寄って煙管で煙草――というには甘すぎる匂いの、おそらくは軽い麻薬をふかしている男に声をかけた。
「海の果実売りが後宮の東宮に営業しに来たぜ」
 アリアハンの盗賊ギルドで教わった符丁のひとつ。これは『アリアハンの盗賊ギルドの者だ、アッサラームの盗賊ギルドに挨拶しに来た』と言っているのだ。
「…………」
 男は無言でカウンター脇の仕切り板を跳ね上げ、奥の扉を開ける。フォルデは小さく頭を下げて扉の中に入った。
 てっきりすぐ受付窓口があるものかと思っていたが、そこは廊下で男が一人立っていた。いかにも腕利きの盗賊、という風貌をしたその男は、フォルデに顎をしゃくって奥へと歩き出す。
「ついてこい」
 命令するな、とわずかにムッとしたが逆らうわけにもいかない。フォルデは鼻を鳴らしてそのあとを追い歩き出した。
「入れ」
 一番奥のどん詰まりの部屋の前で男は止まり、扉を指差す。フォルデはなにやらきな臭いことになってきやがったぜ、と内心舌打ちしながら中に入った。――心のどこかでは面白ぇ、と奮いたつ心もあったけれども。
 中にいたのは、また男が一人。ややでっぷりとした印象を受ける盗賊らしくない大柄な男だったが、視線はアリアハンの盗賊ギルド幹部に勝るとも劣らないほど鋭い。
 その男が、低い声で言った。
「アリアハンの盗賊、銀星のフォルデだな?」
「…………」
 やはり調べられていたか、と拳を握り締めながら、小さくうなずく。
 男もわずかにうなずいて、言葉を続けた。
「お前がアリアハンの勇者のパーティに入っているというのは、本当か」
「……それが?」
 ぶっきらぼうに答える。そんなことはフォルデにとってはさして重要ではない。フォルデはセオのパーティに入っているのであって勇者のパーティに入っているのではないのだ。第一、勇者の力とやらを実感したことはまだ一度もないのだから。確かに旅に出る前よりはレベルも上がっているが、それは自らの努力の積み重ねが大きいように思える。
 だが男にとってはセオが勇者という事実こそが重要なものらしく、勿体をつけるように重々しくうなずくと、言った。
「アッサラームのギルド長が命じる。銀星のフォルデ、アリアハンの勇者を篭絡して盗賊ギルドの配下にしろ」
「……はァ!?」
 フォルデは仰天して絶叫する。こいつ、今なに言いやがった。
「返事は?」
「な……っ、あんたなに言ってんだ! あいつは堅気だぞ!? ンな奴手下にしてギルドになんの得があるって……第一俺はアリアハンのギルドの人間だ! ここのギルドに命令される筋合いはねぇっ!」
 男は表情を変えないまま言い放つ。
「筋合いがあろうがなかろうが、お前には拒否する権利はない」
「ざけ……!」
 殴りかかろうとしてフォルデは硬直した。いつの間にか自分の首筋に、冷たい鋼の刃がぴたりと張りついている。
 まったく気配を感じないまま、後ろに立たれて刃を突きつけられた――この後ろに立ってる奴、達人だ。
「堅気の勇者を配下にしてなんの得があるか、とお前は言ったな」
 ゆったりと椅子の背もたれに背を預けながら、男は悠々とした口調で説明する。
「盗賊ギルドがどういう組織か、お前はわかっているか?」
「……わかってるさ。悪党共の巣だろ」
「その通り。そして悪党なら、自らの持てる勢力を常に伸ばそうとして当然だ。金、権力、なんでもいい。自らのもてる力をより強く、より大きくとな」
「…………」
「お前は今自分がどういう立場にいるか、まるでわかっていないとみえる」
「……どういうことだよ」
「アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルは現在勇者の中で随一の注目株なんだぞ。魔王を倒せる最有力候補として認められている。――アリアハンにいた頃は一度も試合に勝ったことのない、気も弱すぎる勇者として諦められていたんだろうが、すでに奴はカンダタ盗賊団を壊滅させ、ノアニールの呪いを解いている。しかも三人も仲間を連れて行けるんだ、このままいけば世界最強の勇者に成長するだろうと裏の世界ではすでに認められている。イシスの勇者はすでに年老いている、ポルトガの勇者は呪いをかけられて動けない、サマンオサの勇者は牢獄で、エジンベアの勇者はボンクラだ。――セオ・レイリンバートルしかいないのさ、魔王に勝てそうな勇者はな」
「…………」
 フォルデは目を見張った。世界最強? あの卑屈なガキが? まさか。
 それは確かに、フォルデも魔王を絶対自分たちの力で倒してやるのだ、と思っていたけれども――
「そしてその仲間の中に、盗賊がいるということは俺たち盗賊ギルドにとっては非常に有利な事実だ。アリアハンのギルドもすでにその事実を利用して勢力を増すべく国家に働きかけている。――世界最強になる可能性を持つ人間を有するギルドとして、国家に対する発言力を強めていっている」
「な……」
「つまり、銀星のフォルデ。お前は俺たちにとっては希望の星なのさ。お前が魔王を倒してくれれば盗賊ギルドは世界中でより力を高めることができる」
「……希望の星に対する態度とは思えねぇけどな?」
 フォルデは嘲笑い、自分の首に突きつけられた刃を親指で指す。男は軽くうなずいた。
「俺たちアッサラームのギルドは、お前たちがこの街に来るのを知ってもっと早く手を打つことに決めたのさ。お前はたとえ勇者の仲間として世界最強になる可能性があろうと今はまだ未熟なガキだ。アリアハンの勇者もしかり。ならば、今のうちにお前らが俺たちに従わざるを得ないような切り札を握っておけば、世界最強の存在を従え俺たちはより勢力を増すことができる」
「切り札……?」
「盗賊ギルドには盗賊ギルドのやり方があるのを知ってるだろう?」
 フォルデはアリアハンにいた頃見てきた人を奴隷化するやり口を思いだし、吐き気をもよおして吐き捨てた。
「クソ野郎」
「ふん」
 男はわずかに口の端を上げただけで、フォルデの声の底の怒りを受け流した。
「盗賊が王侯貴族の真似をしようってのかよ……馬鹿じゃねぇのか。世界最強従えて、どんどん力増して、その次にはなにが来る。世界征服でもするつもりか? バカバカしい……その先にゃ戦争だの血で血を洗う殺し合いだのってくっだらねぇもんしかねぇんだぞ」
「ガキかてめぇは。俺たちは悪党だ。自分の勢力をでかくするのに手段を選ばないでなにが悪い」
「ざけんなッ! 盗賊が王侯貴族どもと同じ土俵でやりあってなんになるッ! 俺らはそういう奴らが気に食わねぇから、そんな奴らが決めたくだらねぇ決まりごとに乗っかりたくねぇから盗賊やってんじゃねぇのかよッ!」
 叫んで喉もとの刃を拳で跳ね上げ男に踊りかかろうとし――フォルデは背後の男に即座に取り押さえられた。関節を極められて床に押し付けられる。必死に暴れたが、そのたびに関節に激痛が走るばかりで体は少しも動かない。
「馬鹿だな、お前。誇りなんぞを後生大事に抱えてやがるのか? 盗賊の分際で」
 男は渾身の力を籠めて睨みつけるフォルデの視線を心地よさげに嘲笑う。
「盗賊ってのは、しょせん曲がったことをして飯を食ってる人間なんだよ。そんな奴らの誇りなんぞ結局はごまかしと気慰めだ。――俺は、お前らを使ってそんなもんが必要ねぇ世界に行ってやるのさ」
「ざけんなクソ野郎ッ、盗賊のクセして盗賊馬鹿にしてんじゃねぇっ! 自分を誇れねぇ人間なんぞクズだッ、てめぇみてぇなクズ野郎の言うことなんぞ誰が聞くかッ!」
「ふん。もう少し口の利き方に気をつけたらどうだ。お前、今の状況がわかってるか?」
 どん、と眼前に鋭い刃が突き立てられる。さすがにフォルデの体は一瞬びくりと震えた――だが、それを無理やり押さえ込んで男を殺意を籠めて睨みつけ言う。
「殺したきゃ殺しやがれ。拷問されようが殺されようが、俺は絶対てめぇなんぞには屈さねぇ」
 たとえ盗賊ギルドの幹部だろうとなんだろうと、こんなところでこんなクソ野郎に屈しては、今まで自分が貫き通してきたものがすべて無意味になってしまうのだから。
 それを受け容れるくらいなら――それこそ、死んだほうがマシだ。
 だが、男はまたも嘲笑を浮かべる。
「お前は本当に馬鹿なんだな。俺の言ったことを聞いてなかったのか? お前には魔王を倒してもらわなきゃ困るんだ――こんなところで死んでもらうわけにはいかないんだよ。……おい」
 男が声をあげると、奥の扉が開いてそこから何人もの屈強そうな男が入ってきた。手には大きな薬瓶、漏斗、布―――
 これからなにが始まろうとしているのかを悟り、フォルデは絶叫して暴れだした。だが背後から自分を押さえつけている奴の手は巧みで、フォルデがどんなに暴れようとフォルデの体を完全に極めて動かさない。
 ふいに体がぐいっと引き上げられた。必死に口を閉じて息をしないようにしようとするが、口元を薬をたっぷり浸した布で覆われ、鼻からどんどん腐った果実よりも甘い匂いのする空気が侵入し、フォルデの脳髄を少しずつ痺れさせてゆき――
 必死に耐えること数分、堪えきれずに意識を失う寸前頭に浮かんだのは三人の人間の名前だった。
 ラグ、ロン―――
 セオ。

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