ロマリア〜アッサラーム――7
「いやねぇ、ザーイドさんたら。そんなにおだてないでくださいな」
「なにをおっしゃるヒュダさん。あなたはまだまだお美しい。いや、これからいくつ年を重ねてもお美しいに違いないでしょうな。あなたは美しく年を重ねるということを知っておられる」
「もう、ザーイドさんったら本当にお上手なんだから。はい、シシタウクよ」
「ほう、これはうまそうな」
「ファイサルさん、食が進んでらっしゃらないようだけど、お口に合わないかしら?」
「は、いや、いえ、その、まぁ……おいしくいただいております……」
 のろのろとヤフネット(野菜入りラム肉のトマトシチュー)を口に運ぶファイサルに、ラグは内心笑った。やっぱりヒュダ母さんと相対した人間は、みんな彼女の調子に巻き込まれてしまうのだ。
 セオが商人ギルドと盗賊ギルド双方の頭との契約場所に選んだのは、ヒュダの住まうこの家だった。最初はヒュダが危険にさらされると思い反対したものの、盗賊ギルドからも商人ギルドからも中立で、かつヒュダとも引き合わせられる、よしみを通じさせておくにこしたことはないと(泣きそうになりながら)主張され、しぶしぶ受け入れたのだが。
 意外なことに盗賊ギルドの長がこれを喜んだ。なんでも盗賊ギルドの首長、ザーイドはかつてヒュダに命を助けられたことがあったらしい。もう三十年も前のことだそうだが。まだヒュダが一人目の子を育て始めたばかりの頃のことだ。
 敵対する勢力に襲撃され、たった一人で死にかけていた頃、通りがかったヒュダに助けられ、傷の手当をされ、立てるまで食事の面倒を見てくれたのだと言っていた。その後ヒュダのところから姿を消してからも、たまにこっそり様子を見に来て、子供が増えていくのを見守っていたらしい。
 自分と係わり合いになると敵対勢力に利用されるかもしれない、との思いから決して会って話をすることはなかったが、ずっとヒュダのことを気にかけており。その息子の一人が勇者のパーティに入ったと知り、勇者を傘下に加えようと画策する配下たちの動きを抑えようとしてくれていたらしい。
 結局ギルド幹部でギルドマスターの名を騙りすらした男、ヤクザーンがフォルデに手を出すのを止められなかったのだが(ヤクザーンはフォルデを犯罪者に落とすことで勇者に自分たちの庇護を求めさせるつもりだったらしい)。だがさすがはギルドマスター、秘匿されていたその情報を素早くつかみ、ヤクザーンがフォルデを送り出した後ヤクザーンを捕まえて、命令を破ったとして処罰を与えた。そして勇者と喧嘩してでもヤクザーンを守ろうとしたわけだ。
(昔気質の任侠)
 そんな言葉がぴったりに思えてラグは苦笑する。彼ならばファイサルとも全力でやりあって、セオにもヒュダにも害が及ばないようにしてくれるだろう。
 そう、セオが提案したのは――フォルデを傷つけられ切れた時に提案したのは、商人ギルドと盗賊ギルドのギルドマスター双方と同じ契約を結ぶことだった。
 1.アッサラームの盗賊ギルドと商人ギルドは誠意を持って勇者セオ・レイリンバートルの魔王征伐に協力すること。
 2.勇者セオ・レイリンバートルは双方を平等に自らの協力者として公認すること。
 3.ただし双方の要望には双方の意向を考慮した上で応えること。
 4.勇者セオ・レイリンバートルの仲間ラグディオ・ミルトスの家族に対しては双方ギルドとしては不干渉を貫くこと。ただしギルドマスター個人として協力することは推奨する。しかしヒュダの了承を得なければなにもしてはならない。
 たった数文の短い契約だったが、必要にして十分な条件は満たしていた。商人ギルドと盗賊ギルドの利益は基本的に対立する、ならば双方と契約を結んでしまえばどちらの要望も聞き入れずにすむ可能性が高い。
 単純といえば単純だが、あの状況でこれ以上有効な策は見つからなかっただろう。セオの頭の回転の早さには、実際頭が下がる。ヒュダたちの安全も確保してくれたのだから。公式の文書としてイシスとアリアハンにすら届けさせたのだ、反故にすることはどちらもできなかろう。
 そして今は契約が終わり、双方のギルドマスターにヒュダが『どうぞ夕飯を食べていってくださいな』と言って全員で食事しているところなのだが。
(……今回は、本当に、仲間みんなに迷惑をかけたな)
 内心で苦く思う。フォルデには一応礼と謝罪を行ったが、改めて言うべきかもしれない。セオにもロンにもきちんと告げるべきだろう。全員に自分のせいで、自分の街で迷惑をかけて申し訳なかったし自分の無力さが憤ろしい。なんというか――ひどく、口惜しかった。
 とりあえず、セオからだろう。自分の隣で身の置き所のなさそうな顔をしてヒュダの料理を口に運んでいるセオに、ラグは向き直り、頭を下げた。
「セオ」
「え、へ、はい?」
「ありがとうな、セオ」
「は、え、は? あの……ごめんなさい、なんで、お礼……?」
「ヒュダ母さんを助けてくれただろう?」
 ヒュダに聞こえない程度の声でそういうと、セオは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「だって、ラグさんの大切な人でしょう?」
「え……」
「仲間の大切な人を大切にするのは、当然だって、俺思うんですけど……変、ですか?」
 心底不思議そうな顔をするセオに、ラグはぎゅっと拳を握り締めて苦笑を作った。そうでもしなければこの子に土下座してしまいそうだったからだ。
 自分と違って、この子は本当にきれいだ。
「それに、俺、本当に大した役には立てて、ませんし……」
「セオ、そんなことは――」
「ああそうだ、ラグ? あなたたちイシスに向かう隊商を探してるとか言ってたわよね?」
「ああ、うん。そうだよ」
「あのね、ムルシドさん覚えてる? イシスとアッサラームをいったりきたりしてる隊商の人。あの人が護衛に来てくれるんだったら歓迎するって言ってたわよ」
「へぇ……話を聞いてみる価値はありそうだな」
「話を聞く気があるなら、今夜劇場≠フ楽屋で待ってるって。切符四人分もらってるわよ」
 その言葉にラグは眉間に皺を寄せた。
「またあそこかい? いくら俺たちが出入り自由の許可をもらってるからって、あそこは基本的に関係者以外立ち入り禁止だろうに。そんなに女の子に囲まれてやに下がりたいのかな」
「まぁ、あの人なりのあなたたちへのもてなしのつもりなんじゃない? あなたたちが全員男だって聞いたから」
「まいったな……俺はあそこあんまり好きじゃないって知らなかったっけ、あの人?」
「なんだよその劇場って。なんか妙なとこなのか?」
「妙っていうか……」
 セオと再会してからずっとセオをひどくもの言いたげな視線で見ていたフォルデが、ふいに口を挟んできた。どう説明すればいいかしばし迷い、結局肩をすくめて正直に言う。
「アッサラーム名物、ベリーダンスの劇場の老舗ハッサリーム劇場なんだよ。俺たちの言う劇場≠チてとこはね」
「………はぁ?」
 きょとんとするフォルデに、ラグは言う言葉に悩んで、結局苦笑するにとどめた。実際に見てみれば言わずとも知れるだろう。

 夜のアッサラームは昼とはまるで違う姿を見せる。昼の主役は商人たちだが、夜の主役は盗賊をはじめとする後ろ暗い商売をする者たちだ。
 そしてその中でもっとも華々しく、もっとも大手を振って場所を占めているのは夜の女――娼婦たちだった。たっぷりと塗られた白粉の香り、焚きしめられた香の香り。唇に引かれた紅が夜の灯明に照り映え、肌もあらわな衣装と相まって馬鹿な男どもを誘惑する。
 アッサラームの創設時から変わらないといわれている、歓楽都市の夜の光景だ。
「ねぇねぇお兄さ〜ん、あたしといいことしな〜い?」
「うわっ……ひ、ひっつくんじゃねぇよっ!」
「ぼくぅ、お姉さんがたのしーこと教えてあげよっかぁ」
「ご、ご、ご、ご、ごめ、ごめ、ごめ、ごめ」
「あらぁ、破壁≠フ兄さんじゃなぁい。久しぶりにウチの店に寄ってってよぉ、みんな待ってるんだからぁ」
「悪いな、今夜は用があるんだ――はいはいお前ら、こいつらは俺の連れなんで勘弁してやってくれな」
 適当に数枚のゴールド金貨を渡して娼婦たちを追っ払いながら、ラグは先頭に立って夜のアッサラームを進んだ。適当にかわさないと、この街ではろくに前に進めなくなる。
 セオとフォルデがまた物慣れない風情をかもし出して女たちのほり出された胸やら尻やらにいちいち赤くなって反応を示すので、いちいち呼び止められるのだ。
「しかし……セオにこういうところの経験がないのはわかってたけど、フォルデも意外にウブだったんだな」
「なっ……てめっ、馬鹿にしてんのか!?」
「いや、そういうわけじゃなくて……純粋に、感想として。だって盗賊だったら夜の歓楽街にだって慣れてるのが普通じゃないか。別に童貞ってわけでもないんだ……」
 言いかけてラグは口をつぐんだ。ひとつにはセオの前でそういうことを口にするのが申し訳ないような気がしたからで、もうひとつには(もっと大きい理由としては)フォルデがラグの言葉を耳にしたとたん真っ赤になってうつむいたからだ。
「……その。すまん。まさか、そういうことは考えてなくて……俺の周りは十代に入るかどうかって頃に済ますのが普通だったから……」
「………うっせーっ!!! いかにも気ぃ遣ってますみてーな言い方すんじゃねぇっ! そーいうのが一番ヤなんだよっ!!!」
「……すまん」
 顔をこれ以上ないほど真っ赤にして怒鳴るフォルデに、ラグは申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら頭を下げた。
「しかし……それならせっかくだから今日済ませておいたらどうだ? それなりに上質な店を紹介してやるくらいできるけど」
 きょとんとした顔をしているセオをおもんばかって小声で囁くと、フォルデはめいっぱい赤い仏頂面をしながら首を振る。
「いい。女と金でそーいうことすんの、なんかヤだし」
 ラグは唖然として口をあんぐり開けた。
「いや……しかし、だって……お前盗賊だろう? 明日をも知れない暮らししてたのに、悔いの残らないように女と一発ヤっておこうって気にはならなかった、っていうかならないのか?」
 フォルデは耳まで赤くしながらぎゃんぎゃん喚く。
「うっせーな! だからそーいうのがヤなんだよっ、通過儀礼みてーに済ましとくみてーなのっ! 俺はなんつーか……こう……自然に流れでヤりてーんだっ、女とヤって当たり前みてーな考え方ムカつくんだよっ!」
「…………」
 その自分とのあまりの思考の違いになんと言っていいかわからず立ち尽くすラグ。そこにぱん、ぱん、と拍手の音が響いた。
「いや、素晴らしいな、フォルデ。お前がそこまで真面目に性のことを考えていたとは。感心した、感服つかまつったぞ真剣に」
 うむうむとうなずきつつ手を打つロンに、フォルデは当然激昂した。
「うるせぇっ、馬鹿にしてんのかこの腐れ武闘家っ!」
「感服つかまつったと言ってるだろう。お前のそういう姿勢は尊いものだが、十代のころはどうしても性欲に流されてしまいがちなものだからな。盗賊という職業をやりながらその姿勢を貫いてくるとはもはやお前の禁欲性は聖職者を超えていると思うぞ、どこまで貫けるかわからんが、頑張れ、フォルデ」
「やかましいぃぃっ!」
「お前は遊んでそうだよな、実際」
 苦笑しながらラグが言うとロンは器用に片眉を上げた。
「まぁな。俺の恋の遍歴はちょっとすごいぞ? 聞いたらたぶん引くな、みんな」
「……お前女嫌いじゃなかったのかよ。女がパーティにいるの嫌いだっつってたじゃんか。女が寄ってきた時もなんか不機嫌な顔してたしよ」
「フォルデ、普通女嫌いだからって女遊びをしないわけじゃ――」
「別に女が嫌いなわけじゃない。男が好きなだけだ」
『………は?』
 その瞬間、ぴしりと音を立てて空気が凍った。
「……ロン、あの、さ。今……なんて言った?」
「『別に女が嫌いなわけじゃない、男が好きなだけだ』と言ったぞ?」
 面白がるように口の端を上げて問うロンに、ラグとフォルデはふるふる震えながら問う。
「じゃ、じゃあ、あの、さ。お前って、つまり、もしかして……」
「ホ……ホモ、なのか?」
 ロンはにっこり笑ってうなずいた。
「その通り」
『……………………』
 フォルデはすざっと音を立ててロンから距離を取った。ラグも態度に表しはしないが内心かなり引いていた。
 そんなことは当然、考えたこともなかったからだ。アッサラームにもその手の店はあるが、ラグは当たり前のように近づいたこともなかったからだ。当然のように頭の中から除外していた。ヒュダの家から自立したあとはどうか知らないが、家で暮らしている兄弟にもその手の店で働く者はいなかったし。
 表情に怯えが出てしまっていたのか、ロンがぷーっと子供のように頬を膨らませながら言った。
「なんだなんだ、傷つくなまったく。別にホモだからって誰彼かまわず襲いかかるわけではないんだぞ? 事実お前らはこの五ヶ月貞操は無事だったろうが」
「あ……」
「そ、そうだよなっ!?」
「そうそう。食ってやりたくなっても同意を得るまではとちゃんと我慢しただろう?」
『……………………』
 再び固まるラグとフォルデに、ロンはぶふーっと吹き出す。
「おっ……お前なっ、俺らからかってんのかっ!?」
「なんだ、自覚がなかったのか?」
「てめっ……」
「そっちの方がお前らにとってはいいだろうと思ったんだがな」
 にこりと笑ってそう言われ、ラグとフォルデは思わず沈黙した。
 確かにそうかもしれない。五ヶ月間旅をしてきた仲間が、大切だと思っていた仲間が。自分とまるで違う存在だったと認識するのは、なんというか、苦しいことだ。からかわれて怒って、冗談に紛れさせてしまうのが一番いいのかもしれない。
 だけど。
 だけど―――
「あの……みなさん、どうか、なさったんですか? なんで、言い争って……」
 状況がさっぱりわからない、という顔でセオが訊ねる。ラグは言葉に詰まった。この子になんと説明すればいいのだろう。
「おまっ……あのな……」
「俺がホモ――男に性的欲望を抱く男だと知ってラグとフォルデは引いてしまっているのだよ。冷たいと思わんかセオ? 俺はこんなにお前たちを愛しているのに」
 くすくす笑いながらセオの体に腕を絡みつかせるロン。ラグは(フォルデもたぶん)なんと言っていいのかわからず目を白黒させる。
「こっ……おま、あのな……」
「引くって、どうしてですか?」
 きょとん、とした子供のような顔で、セオはロンに訊ねる。
「……さぁ? 俺はホモだからな、ホモを忌避する男の気持ちはわからん」
「忌避って、そんなわけないじゃないですか」
『………は?』
 思わず三人の声が揃う。
「だって、ラグさんもフォルデさんもロンさんも同じパーティメンバーでしょう? なのにそんな理由で忌避するわけないじゃないですか。男性が男性に性的欲望を抱くと、なにかいけないこととか、あるんですか?」
『…………』
 心底ロンの言っていることの意味がわからない、という顔で訊ねるセオ。それにフォルデは口を開きかけて閉じ、というのを繰り返し、ラグはなんと言えばいいのかわからず唇を噛む。
 ロンは、セオの言葉を聞いて一瞬目を閉じ、それからにっこり笑うとセオに抱きついた。
「わ!?」
「セオ、君は本当に可愛いな。俺は君のそういうところを愛してやまないよ」
「ふ、ふわ、ふわわわわわ……」
 顔を真っ赤にしてあふあふ言っているセオの頬に、ロンは嬉しげな笑顔のまま音を立ててキスをする。
「……ッコラてめぇなにやってやがんだ腐れ武闘家っ、男日照りだからってこいつにまで手ぇ出すんじゃねーっ!!!」
「男日照りとは失礼な。俺はしっかりやることはやっている。第一この程度で手を出したなんぞと言われるのは心外の極みで」
「どーしよーもねーことで威張ってんじゃねぇぇぇっ! この変態っ、こいつに手ぇ出したらぶっ殺すぞボケっ!」
「ほう。お前に手を出すのはいいのか?」
「……ってめぇ馬鹿かキショいこと言ってんじゃねぇそんなことしたら俺は舌噛んで死んでやるからなっ!」
「ひどいな。男同士もいいもんだぞ?」
「男同士がうんぬんとかいう以前にてめーが相手ってのがイヤだ!」
 街角で客を引く娼婦たちに面白そうに見守られながらぎゃんぎゃん騒ぐ自分のパーティメンバーたちに、ラグはなんと言うべきか考えつつしばし頭を押さえて、結局「ダンスの開演時間が近づいてるから、行こうか」と毒にも薬にもならないことを言った。

「ビビアンちゃ〜んっ!」
「ヒューヒューッ、こっち向いてぇ〜っ!」
「いいぞいいぞっ、もっと腰振れ〜!」
 淫靡で、かつ情熱的な雰囲気の音楽が流れる中、舞台で踊り子たちは舞い踊る。
 大きくスリットの入った、ほとんどは見えるぎりぎりまで丈を短くした薄絹で織られたスカート。胸を隠すのは同様にひどく薄い絹でできた胸当てだけ。近くに寄れば乳首すら透けて見える、腰を大きく振れば秘処すら見えてしまいそうな衣装。
 自分たちの体と魅力を売り物にして、それでも笑顔で踊り子たちは踊る。舞うことが楽しくてしょうがないとでも言うように。
 心中は決してそのように和やかなものでないとは、知っているけれど。
「…………。…………。…………」
「うわぁ……すごい、上手ですねぇ……」
 フォルデは顔を真っ赤にしながら最初はちらちらと、次第に食い入るように舞台を見ていた。天井知らずに誇り高いから女に安易に手を出せないだけで、女に興味がないわけではないのだろう。おまけにここはラグやヒュダたちのコネでもらったかぶりつきで見れる最前列だ、若い男としてはどうしたって視線が釘付けになってしまう。頭に血が上るのか、ときおり鼻の付け根を押さえていた。
 対してセオは顔をやや赤らめてはいたものの、女体の露出度よりもその踊り子としての技量に関心があるようだった。ベリーダンスを観にくる客としては極めて稀有な部類だ。娼婦たちに誘いをかけられた時はあんなにうろたえていたのにと思ったが、セオはたぶん自分などに○Z態が向けられていることに恐怖していたのだろうと見当をつける。自分もだいぶセオの思考に慣れてきたな、とラグは苦笑した。
 ロンは、さして面白くもなさそうな顔で舞台を見ている。ときおり観客席にも視線を動かしているのは女を観て喜ぶ男たちを観察しているのだろうか。自分もこんなベリーダンスなどに興奮するほど若くはないが、ちらちらのぞく女たちの秘処を見ても顔色も変えないところをみると、男が好きというのは本当なのだな、と実感した。
 休憩時間がやってきた。会場中に投げキッスを送る踊り子たちを見送って、ラグはとりあえず自分の左隣にいたセオに声をかける。
「どうだい、セオ。ベリーダンスは気に入ったかい?」
「えと、はい、なんていうか、すごく情熱的な踊りですね。一生懸命練習してるんだろうなって、見てて思いました」
「そうだね。アッサラームにはベリーダンスの劇場がいくつもあって、練習なんてまともにやらせてくれないところもあるけど、この劇場は老舗だからさすがにそういうことはないからね。みっちり厳しい練習してるから」
「え……練習、やらせてくれないって。じゃあ、そういう劇場の踊り子さんたちは、どうやって踊り、覚えるんですか?」
 不思議そうな顔で聞いてきたセオにラグは内心自分の迂闊さに舌打ちした。セオにこんなことを言ってもどうしようもないだろうに。
 だが、口にしてしまったことは取り返しようがない。嘘をつくのも嫌だし、ラグは正直に言った。
「踊りなんかろくに見てない奴らしか来ないからね」
「え……」
「ベリーダンスっていうのはそもそもイシス王宮の後宮から始まったものなんだって知ってる? 王の妻たちが王を喜ばせるためにいやらしい踊りを見せようと創り出したって話。アッサラームではそれがもっと露骨になってる。とりあえず女の裸を見せておけば金は取れる、って感じにね。そして見に来た男どものうち金のある客は、目をつけた女を一夜金で買う。やってることは娼館とほとんど変わらない」
「…………」
 知らないうちに口調に嫌悪が滲んでいたことにはっとして、ラグは笑顔を作った。
「でも、この街では踊り子は女たちの憧れなんだよ。社会的にも尊敬されてる。ここみたいな老舗の劇場で踊るには本当に厳しい練習を乗り越えなきゃいけないし、才能もいる。ビビアンっていうのはここの踊り子でも一番の女に与えられる源氏名なんだけど、その名を得るためには踊りだけじゃなく会話も巧みでなきゃならないんだ。一晩で数万ゴールドを稼ぎ出す、踊りの技術に美貌、知性と教養にあふれた素晴らしい女性って憧れられているんだよ」
 けれど、結局は春をひさいで生きている女たちだ。
 だから自分はベリーダンスの劇場が苦手なのだ、とラグはわかっていた。自分の技術に誇りを持ちながら金で買われる女たち。妹や姉が踊り子に憧れ、ある者は本当に踊り子になってしまうのを見て胸が塞いだ。
 姉妹の中には自立すると言って娼婦に身を落とした者もいる。自分も男としてそういう場所を利用しているし、ベリーダンスを見て熱狂した頃もあった。
 だからこそ余計に寂しくなる。自分の属する男という性が呪わしくなる。自分の誰より愛する人の属する女という性が、この街ではまるで大事にされていないように思えて、どれだけ努力してもしょせん女は男の隷属物と言われているように思えて物悲しくなるのだ。
 その中で女たちはしたたかに生き、苦界を懸命に泳ぎ渡っているのだとわかってはいるけれども。
 自分は中途半端だな、とラグは苦く笑む。女を大事にしたいなら娼館になど行くべきではないし、早く嫁でももらってしまえばいいのだ。そしてその相手を心から大切にすればいい。
 けれどラグには物心ついた時から娼館に通うことは日常の一部だったし、そこで女たちと情を通わすことも、金を落としてやることも、このどうしようもない理不尽な世の中での男の務めのように思えたのも、また確かなのだ。
「……ラグさんは、ベリーダンスって、お嫌い、なんですか?」
 セオが小首を傾げて訊ねる。ラグはなんと言っていいかわからず言葉に詰まったが、結局笑った。
「いや。だって、きれいだからね」
 そう、女たちが懸命になって、見えないところで努力を重ねて舞う踊りが、美しくないはずはない。
 そう答えるラグに、セオはふわ、と顔を緩めてうなずいた。
「そうですね!」
 ああ、とラグは苦笑した。この子は本当に、どこまで純粋なんだろう。
 ――ときおり、憎んでしまいたくなるほどに。

「みんな、お疲れさま。久しぶりに見たけど、よかったよ」
 楽屋に全員で顔を出してそう言うと、舞台衣装から普段着へ着替えていた踊り子たちがわっと集まってきた。
「きゃあ! ラグ兄さん! 久しぶりじゃない、いつ帰ったのよ!」
「舞台の上から見てたわよっ、あたしの踊りどうだったぁ?」
「ラグ兄さん久しぶりに一晩つきあってよぅ、あたしラグ兄さんだったらタダでもいいわよぉ?」
 半裸のあられもない格好できゃんきゃら騒ぐ踊り子たち。踊り子たちの大半はまだ二十歳にもなっていない小娘たちなのだ。
 そしてその小娘たちは、後ろについてきていた仲間たちを見てぎらりと目を輝かせた。
「あらっ! ラグ兄さんいい男連れてるじゃないっ! そちらが勇者のパーティってやつ!?」
「ね、ね、誰が勇者なの!?」
「この子だよ。……ほら、セオ」
「あ、あの、あの、はじめまして、その、セオ・レイリンバートル、です……」
 顔を真っ赤にしながら言うセオに、踊り子たちはわっと歓声を上げて押し寄せた。
「きゃーっ、かっわいーっ! なにこの子、すっごいキレーっ!」
「ねぇねぇ坊やぁ、お姉さんが手ほどきしてあげるから、一緒にいいこと、しなぁい?」
「ちょっとずるいわよっ、あたしが先に話しかけたんだからねっ!」
「う、え、へ、へぇぇ?」
 抱きつかれ、引き寄せられ、引っ張り合われ。混乱した顔でばたばた暴れるセオを、踊り子たちは笑顔でもてあそんでいる。女というのは男の美しい部分というのを敏感に嗅ぎ分けて反応するものだ、まして海千山千の踊り子たちにおいておや。普段は情けない表情をしているので気付かれにくいセオの顔貌の美しさに、踊り子たちは楽しげにむしゃぶりつく。
 フォルデは面白くなさそうな顔でその光景を見ていた。それは男としては自分以外の男が女に囲まれているのは面白くなかろう、と苦笑する。
 が、踊り子たちは当然フォルデも放ってはおかなかった。
「ねぇねぇラグ兄さん、こちらは? 勇者のお仲間? なかなかいい男じゃないのぉ」
「なっ……セオのついでみてぇに褒めてんじゃねぇ!」
「あーら拗ねちゃったのぉ? か〜わいい。お姉さんといいことして遊ばなぁい?」
「ほらほらぁ、こっち来てよぉ。わっ、もうこここんなに大きくしちゃって、わっかーい!」
「ちょ……おいっ、わっ、どこ触ってんだっ、やめっ、こらばかうわ――――っ!」
 南無、とラグはダーマ風に踊り子たちの群れの中で食われていくフォルデを拝んだ。流れによってはこのままうっかり童貞を卒業してしまうかもしれないが、その時はその時でいいだろう。童貞なんて後生大事に抱えてるものでもなし。
「ラグ兄さん、そちらの兄さんはなんていうのぉ? きゃっ、ちょっといい男じゃなーい」
「ああ、こいつはジンロンっていって……」
「すまんが踊り子のみなさん、俺は強力な呪いをかけられてる身の上でな。女に触れられると地獄の苦しみが体を襲うんだ。申し訳ないが触れないでくれないか」
「え……そ、そうなの?」
「それじゃああんまり近寄るのも悪いわねぇ……」
 すごすご退散していく踊り子たちを見てから、ラグはロンに目をやった。
「……ロン」
「本当のことを話すのも面倒くさいからな。これが一番面倒が少ないだろう。俺は女嫌いではないにせよ、露出度の高い女に四方八方から迫られると吐き気がするんだ」
「……それは立派に女嫌いだと思うんだが……」
 ラグは小さく息をついて眉間を押さえた。ロンは外見は甘い風貌の色男だ。女もさぞたくさん寄ってくることだろう。
 もったいない、と素直に思い、それからいやこういう考え方がいけないんだよな、と思い直した。ロンにはロンの人生があり、過去があったのだろう。なぜ男を好むようになったのかはわからないが、ロンが好きで男を相手にしているなら自分が口を出していいことではない。
 ラグはすっと頭を下げた。
「すまなかったな……ロン」
 お前に怯えてしまって。お前を傷つけてしまって。お前に嫌な思いをさせてしまって。
 自分の勝手な事情で、心配を無視して。
 そういう思いをこめた、けれど根本的にはなんの解決にもなっていない一礼を、ロンは片眉を上げて受けた。
「どういたしまして」
「…………」
「……そんな顔をするな。なにもお前たちを困らせようと思って言ったわけじゃないんだ」
 ロンは軽やかに笑ってラグの髪をくしゃくしゃと乱す。子供扱いされているような気がしたが、苦笑しつつも甘んじて受けた。そのくらいの行為は黙って受け容れるべきだろう。自分はあの時、そしてロンの告白の時も、仲間を拒否する態度を見せてしまったのだから。
「おおラグ、来てくれたのか。今日の舞台はどうだったかね?」
「こんばんは支配人、いつも通りに素晴らしい舞台でしたよ」
 ラグが初めてこの劇場に来た時から支配人をやっている、壮年の男が笑顔でラグの肩を抱いた。背がラグよりだいぶ低いので背伸びしながら。この人には姉妹もラグ自身も何度もお世話になった。
「おおそうだ、ラグ。ムルシドさんが来ているぞ」
「おおラグ、久しぶりだな! 護衛の仕事を請けてくれるのか?」
 支配人よりいくぶん背の高い、けれど年齢は同じほどの男が楽屋に入ってくる。ラグとも旧知の、アッサラームでもそれなりの規模の隊商の隊長、ムルシドだ。ここは自分が交渉すべきだろうと前に出て頭を下げる。
「はい、お久しぶりですムルシドさん。詳しいお話を聞かせては――」
「ラグ――――――――っ!!!!」
 どぉん! と猛烈な勢いでなにかが自分の体に突進してきた。反射的に受け止めると、そのなにかは嬉しげに震えて自分の体に抱きついて体中をまさぐってくる。
「ラグ、ラグラグラグ、すっごいすっごい久しぶりーっ! やっと会えた、やっと会えたよぉ、ラグぅ……!!」
 背筋に思わず悪寒が走る。この声。この行動。この体。この匂い。
 まさか。まさかまさかまさかまさか!
「こら! ラグと話を終えるまで待っていろと言っただろう!」
「無理言わないでよムルシドさんっ、あたしラグにずーっとずっとずっと会いたかったんだよ? 一刻も早く会いたい抱きつきたいキスして好きだって言いたいって乙女心がわっかんないの!?」
「待て――待て待て待て待ってくれ」
 ラグは震える手でムルシドの方をむいていた顔を自分の方に向かせた。そこにあったのは予想通りの顔――
「エ―――エヴァっ!?!?」
 絶叫するラグに、少女――エヴァは満面の笑顔で抱きついた。
「うんっ、愛してるよラグーっv」

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