イシス〜ピラミッド――1
 さんさんと照りつける陽射し、というのを体験したことは何度もある。アリアハンは一年を通して温暖な気候だったが、夏にはそれなりに暑くなるし肌を焼く陽射しというべき強い光を浴びたことは当然、一度や二度ではない。
 だが、この陽射しはそういうものとは違う。まるで違う。質も量も桁が違う。
 頭に深々とフードをかぶった上マントで肌も鎧も見せないように隙間なくぴっちり体を覆っているので、マントの中は蒸し風呂のように暑かったが、肌を出すことはできない。暑い暑いと言って素肌をさらしていたフォルデの肌が、一時間も経たないうちに火傷したようになってしまったことはそれから二週間経った今でも鮮明に覚えている。
 もう砂漠の暑さは他の地域の暑さとはまったく別のものだと考えるしかなかった。痛みすら感じるほどの苛烈な陽射し。焼けるようなひどく乾燥した空気。体を休められるような場所のない、地平線のかなたまで続く砂の道。今は袋に入っている鉄の鎧を着ていたらとっくに歩けなくなっていただろう、革の鎧を身に着けていてすら蒸し風呂の中のような熱気と焼けた砂が歩くたびに足を取り、体力を消耗させる。おまけに夜は震えるほど寒くなり、寒暖の差に少しずつ疲労が蓄積していく。
 体が思うように動かず、気分の基準値が低くなっていて、なにをするにも力が入らない。なんでだろうかと考えていたら、ロンに「単にげんなりしてるだけだろう。ここまで厳しい旅程は初めてだからな」と言われ、そこでようやくそうか自分はげんなりしているのか、と気がついた。今までの旅程では疲れるというほど体力が削られたことがなかったので気付かなかったが、なるほど確かに言われてみれば自分はげんなりしている。
 フォルデもさすがにくたびれているようで、最近かなり元気がなかった。ラグとロンはさすがに旅慣れていて、平然とした様子で自分たちに稽古をつけてくれるけれども。
 その稽古も自分たちの体力をかんがみて、かなり手加減されているのがわかる程度のものだった。実際自分たちは隊商の護衛なのだから、いざという時にくたびれきっていては困るというのもあるだろうが。
 そう、今自分たちはムルシド氏の隊商と共に砂漠を越えている。本来冒険者が旅をする時はそのようにして金を稼ぎながら移動するのが普通だというのは知っていたが、これまで折りよく目的地に向かう人間が見付からなかったのでパーティの人間だけで旅をしてきた。それで特に不便も感じなかった。
 授業で砂漠越えは大量の水と荷運びをする動物、旅慣れた人間がいなければ難しい、と学んでいたのでそれに従って隊商と一緒に越えようと言ったのだけれども、セオはその授業の正しさを実感していた。これはさすがに、四人だけで旅をしていたらイシスまでたどり着けなかっただろう。そもそも水が普通の水袋では足りなさすぎる(見かけよりはるかに大量の水が入る魔法具なのだが)。
 商人ギルドギルド長のファイサルが、自分たちが砂漠越えをすると聞いた時、無限に水を作り出す魔宝珠を無償で貸与しようと言ってくれたのを、ラグたちの勧めもあり断ることにしたというせいもあるのだが。ファイサルにはあまり借りを作らないほうがいい、という点では全員の意見が一致したのだから、やむをえないだろう(アッサラームは砂漠ではないとはいえど水の貴重なこの地方で、その魔法具はそれこそ天井知らずの値がつくはずだ)。
 アッサラームを出る時も、大変だったのだから。

「勇者さま! どうぞ、これをお持ちくださいませ!」
 そう言ってひざまずくように頭を下げるファイサルに、セオは困惑した。護衛やら取り巻きやらを大量に連れてきているファイサルの背後に、山のような宝物、武器防具の類がうずたかく積み上げられていたからだ。
「あの……これは?」
「アッサラーム商人ギルドより勇者さまへの貢物でございます。少しでも魔王征伐のお役に立てばと」
「…………」
 セオはなんと答えるべきか戸惑いつつ仲間たちを見た。ラグは顔をしかめ、ロンは片眉を上げて肩をすくめ、フォルデは眉を寄せて苛立たしげな表情を作っている。
「あの……貢物、ってあの、俺たちこんなにもらっても使いきれないと思う、んですけど……」
「いやいやなにをおっしゃいますやら。道具袋を使えばこの程度簡単に持ち運べましょう? 必要になった時に取り出せばよいのですよ。こちらの品はゾンビキラー、不死系の魔物に特に効果のある武器です。こちらは大鋏。戦士にしか使いこなせぬ武器ですが、威力はすさまじいですぞ。こちらは鋼の鞭、一度に何人もの敵を薙ぎ払える強力な武器で――」
 セオは困り果てつつ、なんと答えるべきか考えた。確かにこれらは旅の助けにはなるだろうけれど、こんなにいちどきに武器やら道具やらをもらっても使いきれないし、なによりこの人に借りを作るのはまずい、とみんなで話し合って決めたのだ。
「あの……せっかくご用意していただいて申し訳ないんですけど、俺たち、本当にそんなことしていただけるほどのことしてませんし、旅もまだそんなに厳しくないですし……」
「いやいやなにをおっしゃる。武器防具のみならず旅に役立つ品物も揃えておるのですよ。せっかく用意したものを無駄にするわけにもいきませんし、どうぞ持っていって――」
「あらあら、ファイサルさんたら。またそんな。ファイサルさんほどの商売人が」
 にこにこしながらヒュダが割って入った。ファイサルがおそらくは反射的に一歩退く。
「ヒュ、ヒュダ殿……」
「セオくんがいらないって言ったくらいでうろたえるような商売人じゃないでしょう? どうとでも売れるようにしてあるでしょうに。そんなにムキになってセオくんにものを押し付けなくても、ちゃーんとセオくんたちは自分たちでなんとかできますよ。セオくんたちを信じて、他にもっと自分にしかできないことでお手伝いしましょう?」
「うううう……」
 脂汗を流しながらファイサルは黙る。この人は本当にヒュダさんが苦手なんだな、とセオは半ば感心しながら思った。ラグが笑いながらそう言った時は少し疑問だったのだが。こんなに優しい人をなんで苦手と思うのだろう。
「さ、みんな。気をつけて行ってらっしゃい。いろいろ大変なことはあるだろうけれど、無理はしないでね。疲れたらいつでも帰っていらっしゃい」
「……つか、ラグ以外は別にあんたの家族じゃねーだろ……」
 ぶつぶつと言うフォルデに、ヒュダはあははっと笑いながらぱーんとフォルデの頭を叩いた。
「いってぇ!」
「細かいこと気にしないの! 帰る場所が増えるのは別に悪いことじゃないでしょう? あなたがそうしたいって願うなら、私はいつだってあなたと家族になってあげるわよ!」
「ばっ、なっ、なに言ってんだよ、ホントにあんたは……」
 フォルデは顔を赤くしてそっぽを向く。なんで赤くなってるんだろう、とセオは不思議に思った。フォルデが赤くなるのは別に珍しいことではないけれど。
「ラグ兄、にーちゃんたち、頑張れよー!」
「お土産いっぱい買ってきてね!」
「魔王倒したらご馳走してくれよなっ」
 一緒に見送りに来ていたラグの弟妹たちが騒ぐ。ラグは苦笑しつつもうなずいて、ロンは小さく笑みを佩き、フォルデはそっぽをむきつつ鼻を鳴らす。
「ヒュダ殿、しばしお暇させていただきます。またいずれ。少年少女諸君もな」
「……じゃーな」
 セオはなんと言えばいいのかわからなかったが、それでも必死に考えて深々と頭を下げた。
「みなさん、ヒュダさん、ありがとうございます。本当に本当に、ありがとうございます」
「にーちゃんなに礼言ってんのー?」
「別になんもしてないじゃん」
「ほら、みんな。お礼を言われた時はどうするの?」
「あ、そっか」
『どういたしましてっ!』
 そう叫ばれた時、セオは自分などに返礼をしてもらう申し訳なさで涙が出そうになるのを必死でこらえた。こんな時に泣いてはみんなに不快な思いをさせる。
「……母さん」
「ん、なに、ラグ?」
 にこにこしながら振り向くヒュダに、ラグはなにか言いたげに口を開き、しばしぱくぱくと動かして、結局閉じて苦笑した。どこか寂しげに。
「いや。……また会いにくるよ。四ヵ月後の誕生日に」
「うん。楽しみに待ってるわ」
 笑顔で言うヒュダに、ラグはまたちょっと苦笑してうなずいた。
「――セオ殿」
 ふいにすぐ近くで囁かれ、ラグのそんな様子をぼうっと見ていたセオは飛び上がりかけた。慌てて声のした方を向き、ほっとして表情を緩める。
「ザーイドさん……なにか、御用でしょうか?」
「御用というほどのものではないが、な」
 ザーイドはすっと自分に近寄る。ここまで近づいて気配がまるで感じ取れない。さすがは盗賊ギルドのギルドマスターだ。
 そして顔を間近に近づけて、小さく囁く。
「セオ殿。わしは、あんたのことを会う前から調べていた」
「……はい?」
「一度に三人を仲間にできるアリアハンの勇者。それだけでも調査する価値はあるしヒュダ殿の息子を仲間にしているというのも気になったからだ」
「……はぁ」
「あんたのアリアハンでの評価は最悪だった。オルテガの息子の名を汚す愚昧たる二代目。ロマリアでもさんざん失敗をして当初は駄目勇者と軽侮されていた」
「……はい」
 当然のことだ。自分は本当に無能で、愚かな、情けない、勇者の資格なんてまるでない人間なのだから。
「だが、あんたはカンダタを倒しノアニールの呪いを解いた。正直、外から得た情報だけではあんたという人間がつかみきれなかった」
「そんな、俺別につかまなきゃいけないほど大した人間じゃ」
「だが、あんたと相対して、ようやく少しわかったよ」
「……はい?」
 戸惑うセオを、ザーイドは静かな瞳で見つめる。その森閑とした湖水を思わせる恐ろしいほどの落ち着きに、なぜか少しセオは身震いをした。
「あんたがどこまでそのまま行くのか、そのままでいいのかはわしにはわからん。口を出せることでもない。だが、あんたは少なくとも仲間には恵まれている。仲間を大切にするのは、悪いことではないぞ」
「はぁ……」
「それだけだ。では、これからの旅の幸運を祈る」
 静かにそう言って、ザーイドはすっと踵を返した。その後姿をぼんやり見送っていると、辺りに声が響き渡る。
「ラグ、みんな! ムルシドさんがそろそろ出発するって! 急ごう!」
 その甲高い叫び声にラグはわずかに苦笑したようだったが、そんなこと歯牙にもかけず声の主である少女はラグに飛びつくようにして抱きついた。
「ラグっ、一緒に行こっ!」

「ラグっ、一緒に行こっ!」
 ふいに頭の中と同じ声が聞こえてきて、セオははっと我に返った。回想に集中していて周囲の様子が目に入っていなかったが、すでに隊商は足を止め、天幕を張って食事の準備をしている。慌ててセオはそちらに向かった、こういうところで少しでも手伝いをしなければ自分にはいる価値がない。
 ラグが少女に抱きつかれて、困った顔をしながら少女を連れて歩いている。仲がいいんだなぁ、と感心しながらセオはそのあとを追った。やっぱりラグはいろんな人に人気があるのだ、優しいから。
 このエヴァ・マッケンロイエルという少女には、特にのようだが。

「エ―――エヴァっ!?!?」
 そう叫んだラグに、少女――エヴァはたまらなく嬉しげな笑顔で抱きついた。
「うんっ、愛してるよラグーっv」
 唖然とするセオたちの前で、エヴァは愛しげにラグにすり寄る。
「あーん、ラグの匂い久しぶりーv 変わってないねっ、ラグぅv あたしはどうっ、ちょっと胸がおっきくなったと思わないっ?」
「エヴァ、エヴァ、頼むからちょっと離れてくれないか、な? 前に言ったと思うけど俺とお前はあくまで義兄妹であってそれなりに適切な距離というものが」
「んもうっ、ラグの意地悪っ! あたしずーっとラグに会いたかったんだよ? もう半年以上離れて暮らしてた恋人に、愛の言葉のひとつやふたつ囁いてもいいんじゃないのっ?」
「恋人っ!?」
 フォルデが素っ頓狂な声をあげる。セオも驚いていた。この少女は、本当にラグの恋人だというのだろうか?
「……ラグ。なんだ、それは」
 ロンが妙に不機嫌な声で言う。エヴァがきっとロンを睨んだ。
「それってなによそれって! あたしはね、ラグの恋人なの、愛人なの、未来の妻なの! 適当な扱いしないでよっ!」
「違うだろっ!」
 ラグらしからぬ大声で怒鳴ってから、ラグはエヴァを引き離した。しぶとく抱きつこうとするエヴァをその長い腕で遠ざけながら、ため息をつきつつ言う。
「この子はエヴァ・マッケンロイエル。俺の義妹だよ」
「ヒュダ殿の引き取った子供の一人か?」
「違うわよっ、そりゃヒュダ母さんには成人まで育ててもらったけど、あたしを救ってくれたのはラグだもん! ラグはあたしの王子様なんだから!」
「だからあれは成り行きだって何度も……」
「成り行きでもあたしを助けてくれたのはラグだもんっ! ラグがどんなに優しくてカッコよかったかあたし今でも覚えてる、あの時あたし絶対この人と結婚するって決めたんだからっ!」
「だからなぁ……」
 疲れ果てたという感じの声を出すラグ。セオとフォルデは困惑して顔を見合わせた。結局どういう関係なのかさっぱりわからない。
「あの……お二人は恋人、なんですか?」
「違うっ!」
「そうよ!」
 同時に叫ばれて、セオたちは困惑して眉を寄せる。
「どっちだよ?」
「だから違うんだって、この子が勝手に思い込んでるだけで――」
「勝手じゃないもん! 運命感じたんだもん! ラグだっていつかきっとあたしの方振り向いてくれるって感じたんだからっ!」
「だからな、エヴァ、それはたまたまお前が子供の頃に俺に助けられたからそう思い込んだだけで」
「運命じゃなくたってあたしは信じてるもん! ラグとあたしは将来絶対結婚するって! 運命ぐらい愛と根性で変えてやるって前に言ったじゃない!」
「エヴァ……」
 頭を押さえるラグ。抱きついてぐりぐりと頭を押し付けるエヴァ。それを困惑しつつ見つめるしかないセオたちに、踊り子たちがくすくす笑いを浮かべつつ囁いてきた。
「あのね、別に大した話じゃないのよ。エヴァが十二の時借金のかたに売り飛ばされそうになってたところをラグが助けて、それからずっとエヴァはラグに片思いしてるってだけの話」
「だけって……」
「この街じゃ大して珍しくもない話よ。ま、あの子の出身はエジンベアらしいけど。まぁ惚れた男を追いかけるために戦士にまでなるっていうのは少し珍しいけどね」
「………ほう?」
「まぁまぁ、二人ともそろそろ落ち着きなさい。仕事の話をしようじゃないか」
 ムルシドと呼ばれた男が前に出て言うと、ラグは真剣な顔になった。エヴァも不満そうな顔はしているもののラグから離れる。
「護衛の期間は明日の出発からイシスまで。予定としては二十日間。報酬は食事込みで一人千ゴールド、前払いはうち二百というところでどうかね?」
「足元を見ているな。二つ名を持つ20レベル越えの男に対しても千ゴールドとは」
「適正価格さ。あんたたちはイシスに向かってるんだろう? それに必要な足も水もわしらが用意するんだぞ?」
「それはそれ、これはこれだ。腕前に対して相応の報酬をもらうのは当然だと思うが?」
「いやいやアッサラームでの水の値段を考えたら……」
「待ってください、ムルシドさん」
 低く、ラグが口を開く。
「あなた、まさかエヴァも一緒に護衛として雇うとかおっしゃるんじゃないでしょうね?」
「いけないかね?」
 笑顔で言うムルシドに、ラグが怒鳴る。
「俺と一緒じゃこいつがまともに仕事しないのは明らかでしょう! それ知っててなんで」
「この子のお前さんへのあんまりにも熱い思いにほだされてねぇ」
「……本気で言ってるんですか」
「いや、実はヒュダさんに頼まれたんだ。最近エヴァちゃんが頑張ってるからご褒美にラグと会わせてやってくれないか、って」
 ラグはあんぐりと口を開け、頭を抱え、それから怒鳴った。
「あのねぇ! あの人が言ったのは単に引き合わせてくれってだけでしょうが! なにも同じ仕事請けさせろなんて」
「しょうがないだろ、この子があんまり頼むんだから。うちの娘と同じ年頃だしなぁ、これも功徳だと思って」
「本気で言ってるんですか」
「まぁ、それなりに。もちろんお前さんがこの子と一緒で気合が入るのも計算に入れてるよ」
「気合って……」
 悲痛な表情で呻くラグに、エヴァは嬉しげに抱きつく。
「愛の力だねっ! 一緒に仕事頑張ろ、ラグ!」
 その言葉にラグはなぜかがっくりとうなだれてしまった。

 愛の力というものなのかどうかは定かでないが、ラグは実際驚くほどに力を入れて仕事――隊商の護衛をしていた。たまに現れる(セオたちだけで旅しているときより格段に魔物と出会う確率は低かった)魔物や賊に対し、自分たちが口を挟む隙もないほど獅子奮迅の大暴れを見せる。
「あの、そんなに無理、なさらなくても、俺たちもちゃんとお手伝い、できますよ?」
 そう言うとラグははーっとため息をついて言う。
「それはわかってるけど。エヴァがね……あいつ俺の前だといつも浮ついてまともに仕事しないから。あいつが前に出てくる前に、さっさと片つけてやらないと」
「お前さ、それ過保護すぎんじゃね? あいつ一応職業戦士だろ? レベルいくつだっけ」
「5……この辺の魔物を一人で倒すにはかなり力不足なんだよ。俺は曲がりなりにもあいつの義兄として、あいつに目の前で死なれるわけにはいかないんだ」
 言われた時はラグの妹への思いに感嘆したが、今ではその言葉は少し違うように思っている。エヴァは確かに戦士としての技術は未熟なようだが(自分などが言えることではないとはわかっているが、他者との比較を行える程度にはセオはさまざまな戦士の技を見てきている)、攻めるべき時と退くべき時はわかっているように思えた。確かに張り切って仕事に望んでいるのは間違いないが、浮ついてまともに仕事をしないというのは違うような気がする。
「ラグーっ、早く早くぅ! 一緒にご飯食べよ? あのねっ、あたし今日ご飯作るの手伝ったの! 一緒に食べて、くれる?」
 はじけるような笑顔で顔をのぞきこむエヴァに、ラグは疲れたようなため息をつく。
「エヴァ……言っただろう。仕事の最中にいちゃつくのは士気も下がるし厄介事のもとになる」
「今は休憩時間でしょっ? あたし護衛の最中は真面目に仕事してたもん! ラグの顔ずっと見てたかったし、抱きつきたかったし、好きって言いたかったのにずっと我慢して周囲警戒してたもん! 休憩時間くらい一緒にいてくれたっていいじゃない!」
「エヴァ……だからな。そもそも俺に対する感情そのものが間違ってるんだって何度も言ってるだろう? ただお前が子供の頃に助けたからっていう理由だけの刷り込みだって。お前ならもっと他に若くて男前の恋人がいくらでも作れるだろうに」
「あたしはラグがいいんだもんっ」
「だからな、エヴァ……」
 深々と息をついて、ラグがぐっとエヴァを見つめて言う。
「俺はその気持ちに応える気はない」
「…………っ」
 エヴァがラグの腕を放し、きっとラグを睨み上げた。その瞳は潤んでいて、今にも涙が零れ落ちそうだ。慌てておろおろと周囲を見回すが、フォルデは顔をしかめて、ロンは片眉を上げて見守っているだけだ。
 エヴァはラグを睨みながら、けれど瞳から涙をこぼすことはなく気迫のこもった声で言う。
「あたしは諦めないもん。ラグの恋人になって、結婚して、ずっと一緒に暮らすんだって、ラグに助けてもらった時に決めたんだもん! それからずーっとそのために頑張ってきたんだもん、簡単に諦めると思ったら大間違いなんだからっ!」
 叫んでエヴァは天幕の方へと駆け出していく。セオは困惑しつつロンとフォルデの様子をうかがった。ロンは無言で肩をすくめ、フォルデはしかめた顔のまますたすたとラグに歩み寄る。ラグが暗い顔でフォルデを見た。
「……フォルデ」
「ラグ、てめーな。てめーに惚れた女の始末くらいしっかりしろよ。今はまだ実害ないけど、このままいったらまずいことになっぞ」
「ああ……わかってる」
「てめーんっとにわかってんのかよ。てめーが無理して疲れていざっつー時に使い物になんなくなる可能性とかきっちり考えてんのか?」
「…………」
「んっとに、てめーは」
 舌打ちして、フォルデはラグの胸倉をぐいっとつかんだ。ラグの方がかなり背が高いので、少し背伸びするような格好になりながら。
「いーか、ラグ。心配しねーでも俺たちだってきっちりあの女の支援ぐらいしてやる。だからてめーはいつも通りに抜くとこ抜いて仕事して、あの女ときっちりケリつけろ」
「ケリつけるもなにも……俺はあの子に何度も気持ちには応えられないって言ってるんだぞ。これ以上どう言えっていうんだ」
「……んなこと知るかよ! けど、このまんまじゃ駄目だろ! 女泣かしたまんまで放っとくなんざ男として絶対」
「俺だって別にあの子を泣かせたいわけじゃない。だけど、あの子の気持ちに応えられないのは確かなんだ」
「ま、あんなお子ちゃまの求愛に本気で応えるほどお前さんはガキではないな。いろいろな意味で」
「いろいろって、どういう意味だよ」
「そのままの意味だが」
 ロンは肩をすくめて、歩き出す。
「行こう。飯を食いっぱぐれるぞ。ああそうそう、ラグ?」
「……なんだ?」
「女というのは男の腰が据わっているかどうかを敏感に見抜く生物だぞ。つけこむ隙があると思ったら逃さない、相手に執着してる間はな」
「…………」
「ま、肝に銘じておくことだ」

 ロンがなにを言いたいのか、セオにはよくわからなかった。
 歩哨に立ってさんさんと照りつける陽射しの中、セオは考える(授業で習った通り、砂漠で移動する時は夜から朝にかけて移動し、一番陽射しの強い昼から夕刻にかけて休むのだそうだ)。自分などがあの人の思考を追ったところで意味があるのか、とちらりと考えたが、自分なりに言葉の意味を考えるのは間違ったことではないはずだ。
 エヴァは本当に熱心にラグをかき口説いている。移動中や見張りをしている時は真面目に周囲を警戒しているが、それ以外の時間は常にラグにひっついていると言っていいだろう。
 すごいな、と素直に思った。どうしてあんなに真正面から、人を好きだと言えるんだろう。
 怖くないのだろうか。あんなにきっぱり拒否されて、どうしてそれでもひたむきに気持ちを表し続けられるのだろう。
 ラグもすごい。あんなにすごい勢いで好きだと言われて、どうしてああもしっかり拒否できるのだろう。自分だったらとてもあそこまできちんと気持ちを伝えることはできないと思う。
 ラグはエヴァの気持ちに応える気はないと言った。エヴァはそれでも諦めないと言った。この場合どうするのが一番いい解決法なんだろう?
 セオは蒸し暑いマントの下で、ため息をついた。感情の問題は正しい答えというのが存在しないから、難しい。
「セオ」
 声をかけられてセオははっとそちらを向いた。自分と同じように頭から布をかぶったラグが立っている。
「そろそろ交代の時間だよ。天幕の中に入って、休むといい」
「あ、はい」
 うなずいて、それから少し考えて、ラグを見上げた。
「あの……ラグ、さん。聞いても、いいですか?」
「……なにをだい?」
「どうして、エヴァさんの気持ちに応えるの、嫌なんですか?」
 ラグは目を見開いて意表を衝かれた、という顔をした。それから苦笑して肩をすくめ、問い返す。
「なんでそんなことを?」
「あ、あの、ごめんなさい、聞いちゃいけないことですか?」
「いや。ただなんでかなって」
 ラグの静かな声に励まされ、セオは説明した。
「あの、俺、全然未熟で、なんにもできてない奴で、だからこんなことを言うのはおこがましいって重々承知してはいるんですけど。ラグさんが、今、なんだかすごく大変そうに見えるから、少しでもそれを軽くするお手伝いができたらなって、思って。もちろん、俺なんかが、問題を解決する役に、立てるわけないと思いますけど、でもラグさんの気持ちと、エヴァさんの気持ちを聞いてみて、考えてみて、運よくなにか少しはものの役に立つこと、思いつくこともあるんじゃないかって、思ったんです。だから、すごく確率の低い話ですから、少しでも嫌だったら話さないで全然いいので――」
「いや。……別に嫌だってわけじゃないよ」
 ラグは苦笑し、セオを手招きした。
「座ろうか。こっちの日陰までおいで」
 幸い太陽は中天よりやや低く、天幕の脇にはわずかな影がある。セオとラグはその中に座り込んだ。
「セオ。君は誰かを好きになったことってあるかい?」
「ラグさんとロンさんとフォルデさんのことは、とっても、その。好きです」
 恥ずかしいと思いながら伏目がちに言った言葉に、ラグは一瞬ひどく困った顔をして、それから苦笑する。
「そういうことじゃなくて、恋愛感情で」
「あの……恋愛感情の好きと、そうじゃない好きって、どう区別するんですか?」
「そうだな……」
 ラグは視線を砂漠の彼方へと移した。そこにはどこまでも地平線が広がっている。
「正直、俺にもよくわかってるとは言いがたいところはあるかな。独占欲を抱くかとか性欲を抱くかとかそういう区別だって、時と場合でどうとでも変わりうるしね」
「そうなんですか」
「そう。だから俺は総合的に見て区別する。相手のことを独り占めにしたいって思ったり、性欲を抱いたり、幸せになってもらうだけじゃ不足で自分の手で幸せにしたいとかずっとそばにいてほしいとか。そういう感情を見渡してみて、これは恋愛感情なんじゃないかな、って思えた時に俺は恋をしてると考える」
「ラグさんは、そういう恋を、したことがあるんですか?」
「……さぁね。どうだったかな……」
 ラグは視線を地平線からずらさない。熱で揺らぐ景色を、じっと見つめ続ける。
「セオ。君はどうなんだい? 自分は恋をしてるって思ったことがあるかい」
「そういうことは……ない、です。よくわからない、ですけど」
 そもそも誰かを大好きだと自覚したこと自体、ラグたちが初めてなのだから。
 それまでは、誰かを好きだと思うことはできなかった。そんな資格はなかった。ただ自分などよりはるかに価値のある存在として、崇めるように接することしかできなかったのだ。
 人を好きになることを教えてくれたのは、ラグと、ロンと、フォルデだった。
 だからそれが恋愛感情でないとするなら、セオは恋愛感情を抱いたことがない。
 そのようなことを時々言葉に詰まりながら説明すると、ラグはまた困った顔をして、ぽんぽんとセオの頭を叩き言った。
「……エヴァも、似たようなものだと思うよ」
「え?」
「エヴァに何度も俺が言ってただろう? エヴァの気持ちは刷り込みだって。たまたま子供の頃俺に助けられたから、俺を好きだって思って、それがたまたま続いてるだけだって」
「はい」
「だから俺はそんなもの早く捨てた方がいいと思ってるんだ。子供の思い込みで人生を棒に振るなんて馬鹿げてる。あの子はもっとちゃんとした、いい男をいくらでも捕まえられるはずなんだ」
「ラグさんは、エヴァさんのこと、嫌いなんですか?」
 ラグはしばらく黙った。やはり相変わらずこちらに視線を向けないまま、地平線の彼方を見つめる。セオはなにかいけないことを言ってしまったのだろうかとおろおろとしたが、やがてラグは口を開いた。
「嫌いでは、ないんだよ。本当に」
「そうなんですか」
「ただ、怖い」
「……そうなんですか」
 深々とうなずくセオに、ラグはかまわず熱に浮かされたような口調で話し続ける。じっと揺らぐ地平線の彼方を見つめながら。
「あの子は本当に、なんていうか……体全体で好き! って言い続けるから。何度も何度も何度冷たくしても言い続けて、俺に愛を見せ付けてくれるから……正直、その圧倒的な愛の力が怖い。俺にはそんな価値ないのにって、そこまで好いてもらえるような人間じゃないのにって言いたくなるんだ。あの子と一緒にいると俺はいつも追い詰められる。あの子の圧倒的な愛の大洪水に少しでも値するような男にならなきゃって思っちまう。だからすごく疲れるんだ。あの子はいい子だし、嫌いといえるわけじゃないけれど――正直、憎んでしまいたいと思うことがある」
「そうなんですか……」
 セオが相槌を打つと、ラグははっと目を見張り、口を押さえた。それから笑顔になってセオの方を振り向く。
「ごめんね、変なこと言って。君にこんなこと言ったって困るだろうにね」
「え? なんでですか?」
「いや……他人のこんな話聞いたって気が重くなるだけじゃないか」
「困りません。気が重くもなりません。俺、ラグさんのお話聞けて、すごく嬉しいです」
 真剣な顔で言うセオに、ラグはまた困ったような顔をした。それから立ち上がる。
「セオ、そろそろ君は天幕の方へ行った方がいいよ。きちんと休まないと、今日もまた歩くことになるからね」
「あ、はい」
「……君のそういうところは、エヴァと少し似てると思うよ」
 ぼそっと言ってから、はっと口を塞ぐラグに、セオは驚いて口を開けた。
「似てない、ですよ? 俺、エヴァさんみたいにくじけない強さないし、あんなに勇気も根性もないですし……」
「いや、似てるよ。確かに表面上はだいぶ違うけれど」
 俺には、すごく似て思えるよ。
 なぜか悲しそうな笑みを浮かべながら、そう言ったラグにセオはなんと言えばいいかわからず「はぁ……」とうなずいた。

 自分たちパーティは自前の天幕の中で休んでいる。エヴァは別の女性用の天幕だ。天幕の中には余裕があるが、ラグは断固としてエヴァを天幕の中に入れることを拒否したし、それに全員反対を唱えなかった。他の人が反対しなかった理由は知らないが、セオとしてはラグの心情をおもんばかってというのが理由のすべてだ。
 分厚い天幕の裾をめくって中に入る。薄暗い天幕の中は、気温は決して低くはないのだろうが涼しさを感じさせた。
 アッサラームで買った肌掛けに包まろうと寝転がろうとした瞬間、声をかけられた。
「セオ」
「え……ロンさん、起こしちゃいました?」
「いや。君を待ってたんだ」
「え……?」
「もうちょっとこっちへ」
 ロンが寝転がりながら笑顔で手招きする。セオは素直に近寄った。なぜかは知らないがアッサラームからセオは絶対にロンと並んで寝ないようにされているのだが、ロンに招かれたのだからかまわないだろう。
 ロンの隣に寝転がると、ロンはなぜか苦笑した。
「君は、本当に警戒心がないな」
「? なんでロンさんを警戒しなきゃいけないんですか?」
「いや。俺としては警戒されない方が嬉しい」
「そうですよね!」
 セオは顔をだらしなく緩めた。自分などが考えるのはおこがましいことではあるだろうが、自分と仲間に共通点があると思えるのはとても嬉しい。
 ロンはくすっと笑う。
「君のそういうところは、本当に可愛いな」
「お、俺可愛くなんてないです」
「可愛いさ。食ってしまいたいほどだ」
 ふわり、と頬を撫でられて、セオは少し顔を赤らめた。少し恥ずかしい。
「こういうことを言うから、ラグやフォルデには警戒されるんだろうがな」
「? なんで、ですか?」
「襲われるんじゃないか、と思うからさ」
「ロンさんは俺たちを攻撃したりしないです!」
 ロンはくくっと笑った。なにがそんなに面白いのだろうか。
「いやそうじゃなくてな。俺はホモだから」
「はい」
「はい、か……だからな、つまりラグとフォルデは俺にいやらしいことをされるんじゃないかと心配しているわけだよ」
「え?」
 セオは目を丸くした。そんなことは今まで考えたことがないことだった。
「なんで心配するんですか?」
「なんでときたか……ホモが身近にいたらたいていの男は心配するんじゃないか?」
「だって、ロンさんは絶対、俺たちが嫌だと思ったら、しないじゃないですか。心配することじゃ、ないでしょう? もしいやらしいことをするんなら、絶対合意の上で、するでしょう?」
「……そう思ってくれるのはありがたいんだがな」
 ロンは苦笑する風だった。
「正直ムラムラすることはあるぞ。君やラグやフォルデが隣で無防備に寝ているのを見て、抱きたいと思ったことは一度や二度じゃない」
「……あの、それは、俺に対しても、ですか?」
「もちろん」
 セオは少し顔を赤らめた。自分を抱きたいだなんて思う人がいるなんて考えたこともなかったし、大好きな人がそんな風に思ったというのは少し照れくさい。
「……なんでそこで照れるんだ? まったく君は……可愛いな」
「俺、可愛くなんてないです」
「はいはい。……君のように思ってくれと、ラグやフォルデに言うのは無理だとわかってはいるんだがな」
「それじゃ、ラグさんやフォルデさんに俺みたいに思ってほしいって思ってるみたいに聞こえちゃいます」
「半分は確かにそう思っている」
「えぇ!?」
 思わず身を起こしたセオに、ロンは薄く笑って天幕の天辺を見上げた。
「セオ。少し恥ずかしい話をしてもいいかな?」
「は、はい……」
 なんだかよくわからなかったが、セオは緊張して隣のロンを見つめた。今から、この人はとても大事な話をしようとしている。気がする。
 ロンは静かに口を開いた。
「俺は物心ついたころから男が好きだった。男しか性欲の対象にならなかった。もちろん恋愛の対象にもな。まぁ、思春期の始めの頃はぐじぐじと悩んだりもしたが、すぐ開き直った。俺はもともと悩むのが嫌いな質だったからな。特に隠しもしなかったし、昔はいい男がいればすぐ口説いてたから、俺の性癖はどこに行ってもすぐ周囲に知れた」
「はい……」
「そしてな。俺は人が異端というものについていかに厳しいか学んだんだよ」
「…………あ」
 思わずセオは声を上げた。異端。確かにロンの性癖は世間一般の価値観でいえば異端というものかもしれない。
 そのことは今まで考えたことがなかった。ロンや仲間たちはセオの目には本当になにもかもが見事に映ったから、世間から後ろ指を差されるようなことがあるなどという事態は想像の外にあったのだ。
 セオにはロンの性癖は人に悪く言われるようなものだとは思えないけれど――
「変態、気色悪い、近寄るな。それですむならいい方で、嫌がらせをされたりあからさまに差別されることもしょっちゅうだった。田舎町の辺りでバレたりすると、よってたかってゴミ投げつけられたり罵られたりな。そういう根性が気に食わなくて俺はどこでもあからさまに自分が男好きだと表してきた。少しでも気に入ればすぐ口説いたし少しでも機会があればすぐ男好きだと言った」
「……はい」
「それをやめたのは、冒険者としてパーティを組むようになってからだ」
 セオは小さく身を震わせた。何の気なしに聞けば普段通りの声。けれどロンの声の底には、確かに、寂しさや切なさに類するものがあるように思えたのだ。
「冒険者になってから四番目のパーティだった。そいつらと俺は妙にうまが合ってな。女のいない男だらけのパーティだったし。俺が男に欲情する男だってことを知っても、そいつらは態度を変えなかった。だから、俺は安心してた。そいつらと俺の間には絆があると、壊れないものがあると無邪気に信じてたんだ」
「…………」
「で、ちょっと好きだったその中の一人を口説いてみたら、殴られた。そして心底気色悪そうな、汚らわしいものを見る目で見られて怒鳴られた。『近寄るんじゃねぇこの変態の腐れホモ野郎!』ってな」
「…………!」
 セオは目を見張った。
 そんな、そんなのはおかしい。そんなことがあっていいはずがない。この人はこんなに優しくて、強くて、いい人なのに。その人たちにとってもきっと最高の仲間だっただろうに。そんな傷つける言葉を吐かれていいはずがない。
 名状しがたい、だがたまらなく熱い感情を体の底で渦巻かせるセオをよそに、ロンは淡々と続けた。
「つまりな、そいつらにとって俺の性癖は汚らわしいものだったんだ。ただ仲間ということになっているから無関心を装っただけで、受け容れられるものではなかったんだ。通常の男には俺という存在は受け容れてもらえない。それを知ってから、俺は少し控えめになった。性癖を隠しはしないが、あらわにもしないように」
「……ロン、さん」
「ずっとその調子で、どこに行っても自分の性癖を隠してやってきた。だから仲間に自分の性癖を明かすのは、実際しばらくぶりなんだ」
「ロンさん……」
「実は俺は怖がってるんだよ、セオ」
「え?」
 セオは驚いて口を開けた。渦巻く熱い感情が一時鎮まる。
 ロンはおどけた口調で、笑みを含んだ声で言った。
「俺は怖くて怖くてしょうがないんだ。仲間たちに拒絶されるのがな。本当は言うべきじゃなかったのかもしれんなんぞと男らしくないことを考えてしまう始末だ。実際勢いだったからな、あの時の告白は。自分も女好きのふりをして流すべきだったのかもしれんが、これから先もずっと君やラグたちに嘘をついていくのかと思ったら、発作的に言葉が口をついて出た」
「……すごく、普通に聞こえましたけど、ロンさんの言葉」
「そりゃ二十八年もホモをやって生きてきてるからな。ごまかすのもうまくなるさ」
「…………」
「告白すると、今も怖い。ラグやフォルデは表面には出していないが、出していないふりをしているが、ふとした時に拒否の色がのぞく。それを垣間見るたびにくよくよと考えてしまうんだ。やはり俺を普通の男が受け容れるのは無理なのじゃないか、仲間としての信頼を失ってしまうのじゃないかとな」
「……そんな」
「考えすぎと思うか? そんな程度で俺たちの絆は壊れはしないとでも? だがセオ、俺はこの十年間、そう信じるたびに裏切られてきたんだよ。慎重に時機をみて、できるだけ受け容れられるように話したつもりでも、話した相手もわかったふりをしてくれても、結局最後の最後には俺は拒絶されてきた。好意に応えるかどうかは別にしてもな。自分と違う存在は簡単には受け容れられない。白の森≠ナエルフが人間たちを受け容れられなかったように。――俺はずっと、その事実と相対してきたんだ」
「…………」
 セオは口をつぐんだ。なんと言うべきだろう。ロンのこの断固とした諦観の前に、自分などがなにを言える?
 どんなことを言ってもくだらない慰めになりそうな気がして、セオは唇を噛んだ。
「だから、セオ。君には感謝しているんだ」
「……は?」
 セオは驚いて目を見開いた。自分などに、なんで?
「あの、なんで、ですか? 俺なにも、やってないと思うんですけど」
「本気で言ってるのか?」
「はぁ。はい」
 しばしの沈黙ののち、呆れの混じった笑みを含んだ声でロンは言う。
「それなら君は驚異的な鈍感だな。君は俺の性癖を、微塵も異端視せずに当然のように受け容れてくれただろう?」
「え、でもあれは別に、そんな大したことじゃ全然」
「それでも、俺は嬉しかった。たまらなく」
「…………」
 セオは再び口をつぐんだ。あれは深く考えてなかったからだの、そもそも俺はそんな感謝をされるような偉い存在じゃないですだの、余計な口を挟むことはロンの感情に砂をかけることのように感じた。自分などがそんなことをしてはいけない。
「だから、セオ。俺は君のためなら命のひとつやふたついつでも懸けるという心持になっている」
「……え?」
「俺は正直この旅に加わったのは気まぐれだった。単に面白そうだと思ったからだった。君がなかなかに可愛かったから、ちょっかいをかけて楽しんで、ついでに世界を救ってやるか程度の気持ちだった。――だが、俺は君に大きな借りができた。一生かかっても返せるかどうかおぼつかないほどの借りがな」
「か、借りってそんな」
「ああ、言い方は気にしないでくれ俺の性分だ。――セオ」
 ロンは一瞬ちらりとこちらに視線を合わせて微笑み、すぐ背を向け言った。
「俺は君を守り、君の信頼に応え、君のために戦うことを誓う。――それだけだ。おやすみ」
 セオは目をぱちくりさせて呆然とした。突然そんなことを言われても。自分にそんな価値は。そもそも自分は本当に大したことをしたわけでは。
 そう言わなければ、と口を開いたが、何度かぱくぱくさせて結局閉じた。ロンは真剣に言っていた。その良し悪しはともかく、心の底から大真面目に言っていた。
 そんな発言に、脇から勝手な感情でケチをつけるわけにはいかない。それはわかる。自分程度の奴でも、それくらいはわかる。
「……どうしよう……」
 セオは混乱しながら顔色を失った。どうしよう、どうすればいいんだろう。どうして自分にそんなことを言うんだろう。自分などそんなことを言ってもらえるほどの価値はないのに。どう考えても思い込みなのに。なんとかそれを正す方法はないだろうか? 自分などにそんな思いをかけて、裏切ってしまったら申し訳ない。
 けれど混乱しながらも、ロンの熱烈な言葉が、やはりぞくぞくするほど嬉しかった。

「セオ。起きろ、セオ。……っとと起きろっつってんだろ!」
 どん! と強い力で揺らされ、セオはばっと飛び起きる。どうやら考え事をしながら深く眠り込んでいたらしい。
「はいっすいませんっ、今すぐ見張り行きますっ!」
 そう叫んだセオに起こした相手、フォルデは一瞬きょとんとした顔になり、それからぷっと吹き出した。セオは思わずまじまじとフォルデの顔を見る。フォルデが自分に声を立てて笑うところというのは、もしかしたら初めて見たかもしれない。
「バカ。そんなんじゃねーよ」
「は、はい?」
「来な。夕暮れだぜ」
 それを聞いたとたんセオは状況を理解し、目を輝かせて立ち上がった。フォルデはふっと笑んで天幕を出て行く。
 セオもそれに続き天幕を出たとたん、茜色の光が目を刺した。遥か西の地平線、揺らぐ陽炎の先で太陽が地に沈み行こうとしている。
 隊商の人々も並んで見つめている。砂漠の夕焼け。少しずつ気温の下がってくる空気の中で、炎より明るく、けれど儚く燃える太陽は何度見ても心を動かされる。
 これから隊商は動き始める。一日の終わり、薔薇より紅い太陽が沈んでいく光景の中で砂漠を旅する人々は目覚め、活動を開始するのだ。
 世界一美しい光景だと隊商の人々が称する、一時の勝景を眺めながら。
 他の人々と同じように、砂漠の夕焼けに見とれるセオの横に立ち、同様に夕焼けを眺めながらフォルデが口を開いた。
「セオ」
「はい?」
 顔を向けると、なぜか顔をしかめられた。
「こっち見んな。夕焼け見てろ」
「え? は、はい」
 夕焼けの方に向き直る。フォルデは小さな、もう少し小さければ囁くようなと言ってよさそうな声で言った。
「セオ。お前、さ」
「はい」
「お前な」
「はい」
「……あー、だから、お前だよ」
「はい?」
 しばしあーうーと唸ってから(セオはフォルデを気にしつつも愚直にひたすら夕焼けを眺めている)、フォルデはおずおずと言った。
「お前、さ。俺が盗賊ギルドの薬で操られた時、必死になって、俺を助けよーとしてくれたん、だってな」
「え?」
「だっからこっち見んな! 夕焼け見てろっつってんだろ!」
「はいぃっ」
 慌てて夕焼けに向き直るセオに、フォルデはぽつぽつと、どこか切羽詰った声で言葉を連ねる。
「なんつーか。その、あれだ。俺としては、まぁ、別に頼んだわけじゃねーけど……っクソ違う、いいか俺はな。俺なりにだけどよ……なんつーか……別に俺一人でもどうとでも……あーっクソなってねーだろチクショウ! だからな、つまりだ、なんつーか……」
「はい」
 それからもしばし逡巡し苛立たしげな声になり頭をばりばりかきむしるというのを何度も繰り返してから、覚悟を決めた声でフォルデは言った。
「その。……セオ、ありがと、な」
「えっ!?」
 驚愕の表情で振り向いてから、フォルデの言葉を思いだし、さらにフォルデの顔が夕焼けのせいか真っ赤になっているのを見て、なにかいけないものを見てしまったような気になって慌てて夕焼けに視線を戻すセオ。その横顔へ向けてフォルデはぼそぼそと言う。
「もーいーっつの、言うことは言ったし……なんつーか、礼にしてはすんげー遅くなったけど、まー、機会うかがってたっつーか。いまさらな感じで言い出せなかったっつーか……カッコ悪ぃけど。ともかく、あれだ、感謝はしてる、わけだ。まー、一応。一応っつか、それなりっつか、だーもうっ、ともかく感謝してんだよいいかここまで!?」
「は、はいっ」
 最後の方で急に高くなった声にセオは応える。フォルデの顔は朱色に染まっていた。それを見ているとなぜかセオの顔は熱くなり、自然上気してきてしまう。
 視線を彷徨わせながら言っていたフォルデは、おもむろに顔を上げきっとセオを睨みつけた。
「こっから本題、っつかさっきのも本題には違いねぇけど、ともかく答え聞かなきゃなんねー話なんだけどよ」
「はい……」
「お前、どういう時必死になる?」
「え?」
 セオは目をぱちくりさせた。フォルデがなにを言いたいのか、よくわからない。
 フォルデは苛立たしげな顔で頭をかきむしり、セオを睨んだ。
「だからよ、お前がここは死ぬ気で頑張んねーと! って思う時はいつかって聞いてんだよ。あんだろ、お前にだって。……お前が俺のために必死になったっつー話聞いて、考えたんだけどよ」
「は、い……」
 必死になる時。どんな時だろう。謝る時はいつも必死だったような気もするけれど。
 ああそうだわかってるじゃないか、ああいう時に決まってる。あの時の心底からの死ぬ気に比してみれば、どんな日常の必死さも色あせる。
「ラグさんやロンさんやフォルデさんを、助けたいって思った時です」
 その答えにフォルデは舌打ちした。予想通りの、けれど嫌な結果に終わった時のような。
「自分のために必死になること、ねーのかよ」
「は?」
「お前、どーして人ばっかりなわけ?」
 フォルデはぎっと、セオの瞳を覗き込むようにして睨みつけた。どこか暗い瞳、けれどなんでだろう、なんだか悲しそうだ。
「人間誰だっててめーが一番可愛いもんだろ。なのになんでてめぇはそーなんだよ。どーして……どうして、自分のためになにかしようとか思えねぇんだ?」
 こちらを強い視線で睨みつける、真摯な瞳。セオは思わず背筋が震えた。なんだろう、フォルデの視線が怖い。なのに心地いい。痛みと紙一重の快感が、セオの体の底に触れる。
「お前にとって俺たちが大切らしいのはわかるよ。けどそれならそれで、自分だって大切にすんのが普通だろ。お前、まるで……自分にまるで価値がないって考えてるみてぇじゃねぇか」
「え……」
 セオは目を見開いた。なにをいまさら言っているんだろう?
 自分に存在価値がないのは当たり前のことじゃないか。自分は義兄を殺した人殺しだ。親にも価値を認められなかった人間だ。周囲からもずっと蔑まれていた人間だ。そんな人間に価値があるわけがない。持ってはいけない。
 今はただ、許してもらっているだけなのだから。ラグに、ロンに、フォルデに。仲間たちに。自分の大切な人たちに。この旅が終わるまでの存在を。つかの間の生きる幸福を。
 だから自らの存在は、すべて世界と、存在を許してくれた大切な人たちのために使う。
 そんなことは当たり前のことなのに。なんでこの人はこんなことを?
 そういった意味をこめた沈黙をどう判断したのか、フォルデは顔をしかめた。
「てめぇのそーいうとこ、死ぬほどムカつく」
「……ごめんなさい……」
「謝るなって何度言ったらわかんだよこのボケタコッ!」
 がん、と一発拳をくれてフォルデはセオを睨む。セオはよくわからないながらも申し訳なくなって顔を歪めながら見返す。
「てめぇはなんのために生きてる」
「え……」
「なんのためにこーして旅して飯食ってクソして寝て、ってやってんだよ。なにが楽しくて死なねぇで生きてんだよ? 言ってみやがれこのクソボケ野郎!」
 フォルデの苛烈な視線に焼かれ、背筋を震わせながらも必死に言う。
「世界と、みなさんのために……」
「……は?」
 セオの言葉に、フォルデはなぜか困惑したようだった。
「世界って、なんだよ」
「え? 世界って……世界ですけど」
「わけわかんねー。具体的に言え」
「えと、ですから……世界に生きている人々や、動物や、植物や……できるなら魔物や魔族も。全部が幸福になれたら、世界を守ることができたら、俺はもう死んでいいなって……」
「……っっっだ、そりゃあ!!」
 フォルデの顔が真っ赤に染まった。しまった怒らせてしまった、とセオが顔面蒼白になる。フォルデを怒らせたり、傷つけたり、嫌な気分にさせたりなんて、絶対したくなかったのに。
 自分の中で、たまらなく大切な人だから。
 フォルデが拳を振り上げた。殴られる、と瞳を閉じかけて、いや当然だ、自分はフォルデを怒らせてしまったのだから抵抗しちゃいけない、と必死に目を見開いて見つめる。
 だが、フォルデは拳を静かに下ろした。
「フォ、ルデ、さん?」
「今のてめぇなんざ殴る価値もねぇ」
 吐き捨てるように言うフォルデに、セオは固まった。
「てめぇがなに言ったのか、てめぇの考えてることがどんだけてめぇ勝手な独りよがりなのか、砂に頭突っ込んで考えやがれ」
 そう低く言い捨てて、フォルデは踵を返した。セオはそれを呆然と見守る。
 殴る価値もない、って、言われた。
 フォルデに。ただ三人、自分の存在を許してくれた人たちの一人に。
 怒らせた。どうしよう怒らせてしまった。嫌われてしまったかもしれない。自分など嫌って当然の存在だとは思うけど。思うけど。
 ざっ。
 さっきまで見事な夕焼けが輝いていたのに、にわかに一天掻き曇り豪雨が降り注いできた。いわゆるスコールだ。隊商の人々が走り回り、商品に雨よけを施す。
 独りよがりってなに? 自分勝手ってどういうこと? 自分などの思考はしょせん独りよがりなものにすぎないのはわかってる。だけど自分はそんなに悪いことを言ったのだろうか。おかしなことを言ったのだろうか。ずっと思ってきたことなのに。生きるのが苦しくて苦しくて、そんな時にいつも世界をそこに住む人々を見て、その美しさに泣きそうになりながら考えて、それでようやく立ち上がれた、自分にとっては希望を与えてくれた思考なのに。
 髪が濡れてきたのに我に返り、ああ隊商の人たちが大変だ、手伝わなくちゃと走り出しながら、頭の中ではこの問いがわんわん鳴っていた。
 ――俺の考え方って、間違ってるのかな?

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