イシス〜ピラミッド――2
 無事イシスに到着し、報酬をもらって解散となった時、即座にエヴァはラグにしがみついた。
「ラグぅ……」
「駄目だ」
 言下に否定するラグに、エヴァは頬を膨らませる。
「まだなにも言ってないじゃない!」
「一緒に連れて行ってくれっていうんだろう? 駄目だ、断る。アッサラームに戻って傭兵ギルドで仕事をもらいなさい」
 セオは慌ててラグとエヴァを見比べた。どうしよう、喧嘩になってしまいそうな雰囲気だ。
「ラグ……いいでしょ? お願い、ちょっとでいいから。もうちょっとでいいから」
「駄目だ」
 ラグの言葉はあくまでにべもない。それに対しエヴァは泣きそうな顔と声で、ラグにしがみついて叫ぶ。
「ちょっとくらいいいじゃない! そりゃ、勇者のパーティに加われない以上いつかは足手まといになるのはわかってるけど……!」
「だったらそんなことを言うんじゃない。パーティを組むっていうのは冗談ごとじゃないんだ。背中を預けてもいい、と思えるほど信頼できなきゃ命懸けの冒険なんてできるわけがない」
「でもあたし頑張るもん! なにがあってもラグの背中を守れるくらい、本気で死ぬ気で」
「本気で死ぬ気で戦って、そのまま死なれたら迷惑するのはこっちなんだぞ。精神論でなんでも思い通りになると思ったら大間違いだ。いいかエヴァ、俺は今勇者のパーティにいるんだ。勇者の力がなけりゃ不可能なことをやろうとしてるんだぞ。そういう時に、お前の面倒をいちいち見てやる余力は、俺にはない」
 そうきっぱりと厳しい口調で言い放つラグを、エヴァは泣きそうな顔でしばし睨んだ。泣いてしまうんだろうか、どうしようどうしようと慌てるセオを尻目に、涙をこぼさないまま怒鳴る。
「あたし、負けないから。絶対ラグの隣に立てるくらい強い戦士になって、そんでもってラグがくらくらするくらいいい女になって、ラグの相棒にしてもらうんだから! ラグに文句言わせないくらいすごい女になってやるんだからね、覚えてなさいよっ!」
 声をわずかに濡らしながらそう叫び、なぜかきっとセオを睨みつけて、エヴァはくるりとこちらに背を向け走り去った。その背中を見ながら、ラグはため息をつきフォルデは面白くなさそうに鼻を鳴らしロンは肩をすくめる。
 セオはこの場合どういう反応が適切なのかわからず、あわあわとラグと遠くに消えていくエヴァの背中を見比べていたが、その奇態を見咎められるより先にロンが言った。
「さて、それじゃ無事イシスに着いて、報酬もたんまりせしめたということで、宿を探すとするか。ラグ、どこかお薦めの宿はないか?」
 その明るい口調に頬を緩め、ラグは「いいところがあるよ」と歩き出した。

 イシスはアーグリア大陸北部に在る、砂漠と宝石の国だ。国土のほとんどが砂漠という悪条件にもかかわらず、点在するオアシスで畑を耕し家畜を育て、食料の八割を自給でまかなっている。
 それはイシスの人口が少ないというせいもあるだろう。王都イシスの人口はわずか一万人、アリアハンの十分の一、ロマリアの二十分の一だ。そしてその半分以上が農業・牧畜業従事者で、巨大なオアシス周辺で街の隙間を縫うようにして農園・牧場を開いている。王都としてはかなり珍しい比率というべきだろう。
 そして、その残りの半分弱が商人と職人で、その九割が宝石・宝飾品関係の職についている。
 国土が砂漠という過酷な状況の中でイシスが国として認められているのは、それが大きい。イシスは世界一の宝石産出国なのだ。国土を取り巻くように並ぶプレーンナ山脈から、ダイヤにルビーにサファイアにエメラルド、きらびやかな宝石が山のように獲れる。金銀の鉱山もいくつもあり、イシスはそれらを輸出し代わりに少ない農地では入手不可能な食料や金属製品などを輸入する。
 他の国と比較すればいびつな形ではあるだろうが、イシスは確かに豊かな国ではあった。
 そして歴史の古い国でもある。この国の王家は古代帝国人の血を引くとすら言われ、それを裏付けるかのように古代遺跡も多い(アリアハンには及ばないが)。その関係かイシスは代々優秀な魔法使いを排出しており、これまでイシスを襲った外敵はみな砂漠の熱と魔術師ギルドの魔法の前に敗れ去ってきていた。
 街を歩くだけでも、その歴史と気候の特徴は感じ取れた。
「……やっぱり石造りの建物が、多いですね」
「まぁな。イシス周辺は石材が豊富だからな。それに石は熱を遮断するから」
「陽射しは変わらず厳しいから、昼はあまり人は外に出てこないけどね。北に巨大なオアシスがあるから、砂漠の他の場所よりははるかに過ごしいいよ」
 宿屋に向かいながらそんなことを話す。だが、そうして話しながらもセオは気になってしょうがなかった。エヴァはあれからどうしたろう、ということと、そしてもうひとつ――フォルデのことが。
 フォルデはこちらを向いてくれない。話しかけてくれない。ときおり普通に話しかけてくれたりもするが、フォルデとしてはそれは意に染まぬことのようで、すぐ目を逸らしてしまう。
 それが始まったのは二週間前からだった。
『今のてめぇなんざ殴る価値もねぇ』
 フォルデはそう言った。
『てめぇがなに言ったのか、てめぇの考えてることがどんだけてめぇ勝手な独りよがりなのか、砂に頭突っ込んで考えやがれ』
 そう言われたから、必死になって考えた。休憩時間も移動時間も、食事中も自由になる時間すべてを使って。
 でも、わからなかった。
 自分の考え方は間違っているのだろうか。自分の考えなどまともに正しいことの方が珍しいとはわかっているけれど、どこが間違っているのか何度考えてもわからないのだ。
 フォルデは自分が世界を守りたいと言ったら怒って拳を振り上げた。自分などが世界を守ろうなどおこがましいということなのだろうか。それはわかっているけれど、自分のできることはこれくらいだから、せめてこれだけは頑張りたいと思っているのに。
 自分のようなクズ勇者が、本来なら人としての生存も許されない人間が、ただひとつできること。しなければならないと思ったこと。世界を守り戦うという自分のただひとつの存在意義を、フォルデは否定するのだろうか。
(そんなわけない)
 セオはきゅっと唇を噛み締める。フォルデはそんな人じゃない。セオの愚かさは認めても、セオが抱いた真実の感情を否定するような人ではない。
 ならば、フォルデはなにに怒ったというのか。
 ここでセオは先へ進めなくなってしまうのだ。世界を守り、幸福に導けたのならば自分はもう死んでいい――その思いのどこが間違っているのかさっぱりわからなくて。
 だって自分はそのためだけに在るのに。それができない自分など存在すら許してもらえないのに。
 フォルデがいうのだから実際に自分はどこかで間違っているのだろう。でも、それがどこなのかはさっぱりわからなかった。
 ラグの案内で他の建物同様石造りの宿屋に部屋を取り(この宿屋は四人一部屋だったので今回は一部屋になった)、これからの方針を話し合う。
「イエローオーブを探すということだったが。なにか当てはあるのか?」
「えっと、はい」
 セオはアリアハンで調べていたことを思い出しながら口を開いた。
「イエローオーブは、グロフ王の、ピラミッドの、玄室にあるはず、です」
「グロフ王の?」
「…………」
 フォルデがなにか言いたげに口を開き、なにも言わず閉じる。それを見咎めて、ロンがにっこり笑って言った。
「おや、どうしたフォルデ。いつものお前なら『ピラミッドぉ? なんだそりゃ』だの『グロフ王って誰だよ』ぐらいのことは言ってるだろうに」
「うっせぇてめぇにゃ関係ねーだろ黙れ腐れ武闘家っ!」
 怒鳴ってからフォルデはこちらを見た。思わずびくりとするセオに、ぼそりと言う。
「説明してみろよ」
「は、はいっ」
 どうして急に自分と話す気になってくれたのかはわからないが、セオは顔を緩ませながらフォルデの声に答えた。二週間さりげなく避け続けられていたのは(自分が悪いのだから仕方ないとわかってはいても)かなり堪えたのだから。
「ピラミッドっていうのは、イシスの、王家の墓なんです。古代の、ですけど」
「……はぁ? なんだよ古代って。古代帝国からイシスがあったとでもいうのかよ?」
「いえ、あの、イシスの国の成り立ちは、文章で残されてないので、はっきり、しないんですけど。ただ、古代帝国崩壊後の、現代の人間たちの祖が創り上げた旧い国々の中で、唯一血を現代まで残してるのがイシス、ってことになってるのは、確かです。考古学的に、ほぼ間違いなく」
「……それで?」
「古代イシスの王たちは、その絶大な権力を駆使して、自分たちの巨大な、墓を造り上げました。いつか復活する日を夢見て。主に四角錐の形をした、巨大な建造物。それがピラミッド、なんです」
「……つまり、王族が目立ちてーからだかなんだかな理由で立てたでけー墓なわけか。けっ、くっだらねぇ」
「はい。アリアハンで調べた、文献によると、イエローオーブはグロフ王という、古代イシス四代目の王が造ったピラミッドの玄室に安置されてる、はずです」
「ちょっと待て。オーブは確かもともとランシールにあったのが流出したものだろう? なんでそこまでしっかり居場所をたどれるんだ」
「フィリオ・ロッドシルトの記録によれば、レイアムランドの双子のエルフが、教えてくれた、そうです。その双子のエルフは、オーブの現在位置を、自由に知ることができる、んだそうです」
「なるほどな……確かにラーミアの卵を守っているというならそのくらいできて当然か。どうりでやたらはっきり居場所がわかっていたわけだ」
「ふん……つまり俺らは墓荒らしをやる羽目になるってわけか」
「嫌なのか? 正直お前が来てくれないと罠に対処ができなくて困ったことになりそうなんだが」
 ラグの言葉に、フォルデはふんと鼻を鳴らした。
「ざけんな。いまさらそんなもんでおたつくかよ。墓荒らしったってどーせ王族どもの見栄でできた墓なんだ、んなもん暴かれて当然だっつーの。王族どもがどんだけぎゃーすか喚こうがな。どーせ副葬品やらなんやらも一緒なんだろ、全部いただいて売り飛ばしてやる」
「さて、な」
「それは難しいかもしれないぞ?」
 ラグとロンが目を見合わせて肩をすくめるのに、フォルデはむっとした顔になった。
「んっだよ。言っとくけど俺はもうレベル13なんだぜ? 何百年も昔の古ぼけた罠なんぞにひっかかるかよ」
「ま、そういう心配もしてないわけじゃないが。それ以前にな」
「副葬品やらなんやらはもう奪われてるのが大半だろうからだよ」
「……は?」
 きょとんとした顔をするフォルデに、セオは必死に説明する。
「えっとですね、イシスでは、ピラミッドを盗掘するのは、合法なんです」
「……はぁ!?」
「現在のイシス王家は、古代イシスの圧政に、耐えかねて立ち上がった英雄と、それに協力した王の娘との、間に生まれた子供の子孫なん、です。それが八百年弱ぐらい昔のことで、その時英雄王は今後イシス王家はピラミッドを造らないことを宣言し、現在残っているすべてのピラミッドから、自由に宝物を奪う権利を、民に与えました。古代イシスと、今のイシスは違う、と民に示し、民意をつかみ、そして副葬品を回収してもらおうと、思ったみたいです。実はそれが冒険者の始まりだったんじゃないか、とか言われたりも、してるんですけど。ともかく、それからイシスの民は、ピラミッドの盗掘に熱狂しました」
「…………」
「もっとも、ほとんどが強い魔物と、罠に阻まれて途中で亡くなっちゃったんです、けど。でも、優秀な人たちも、ちゃんといて。現在では、ほとんどのピラミッドが、盗掘されつくしてる、っていいます」
「おい……じゃあ、オーブってのももう奪われてんじゃねぇのか? たいそうな宝物なんだろ?」
 顔をしかめるフォルデに、セオはこっくりとうなずいた。
「もちろん、可能性は、あります。でも、グロフ王のピラミッドは、まだ完全には盗掘されきってないってことでしたし、イエローオーブを玄室に封じたのは、神の使いが二百年前に行った所業、って双子のエルフは言ってたそう、ですし」
「神の使いィ? うさんくせぇ話だな」
「まぁ、つまりピラミッドの建造時からあったものじゃないから盗掘されていない可能性のほうが高いって言いたいんだろう、セオ?」
「は、はいっ」
「ま、盗まれていたら盗まれていたで、手がかりをつかむには現場に行かんわけにはいかんからな。どちらにしろピラミッドには行かねばならんわけだ……お、そういえばグロフ王のピラミッドといえば、黄金の爪の伝説がある場所じゃなかったか?」
「あ、はい!」
 フォルデが眉を寄せ、ラグが目をぱちくりさせた。
「なんだよ、黄金の爪って。なんかいかにも宝物ーっつー感じの名前だけど」
「確か……鉄の爪やパワーナックルを超える、武闘家最強の武器だったか?」
「いや、武闘家最強の武器といわれてるのは伝説中の伝説、ドラゴンクロウだ。黄金の爪というのはイシス黎明期に作られたといわれる、まぁちょこっと伝説? くらいの武器だな。ある日発見された黄金の輝きを持ちながらおそろしく強固な金属、黄金鋼。グロフ王は献上されたその金属を用い、気に入りの武闘家に使わせる爪を作らせた。その武闘家が死んだ時これを悼んだ王は、その爪を自らの肉体と共にピラミッドに葬るよう命じたという。倹約家の渋ちんでろくに副葬品を蓄えなかったグロフ王唯一のまともな副葬品として何人もの冒険者が捜し求めたが、いまだ発見されていない」
「ロンさん、くわしいですね……!」
「ま、武闘家としてこれくらいはな。ついてに言うと、グロフ王のピラミッドが完全に盗掘されていないのは、まともな副葬品がそれくらいしかないと記録に残っているかららしいぞ。あとその武闘家というのは、王の愛人だったとかなんとか」
「そんな豆知識はいらねーっ!」
 喚くフォルデに、ロンはくっくと笑いながら(セオは傷ついているのではないかと心配になった)立ち上がる。
「さて、それでは今日はピラミッドの案内人を頼んでから早めに休んで。明日ピラミッドに向けて出発する、ということでいいな?」
「あ、のっ!」
 思わず叫んだセオに、三人の視線が集まった。反射的に小さくなるセオに、フォルデが舌打ちして言う。
「言いたいことがあんならとっとと言いやがれ」
「は、はい……あの、俺、明日ちょっと、行きたいところがあるんです」
『……行きたいところ?』
 三人が声を揃える。セオはこっくりうなずいた。
「どこだい、行きたいところって?」
「あの、行きたいところっていうか、会いたい人っていうか」
「ますます気になるな。誰だ、その会いたい人というのは」
「……イシスの勇者、エラーニア・フトメスさん、です」
「………はぁぁ?」

 エラーニアは生存が確認されている勇者の中で、もっともレベルが高い勇者なのだとセオは言う。
「その分お年も召してらっしゃって、今では現役を退いてらっしゃるということですけど、でも、まだイシス全軍を相手取って戦えるほどの実力の持ち主なんだって、聞いてます」
「ほう。ちなみにレベルはいくつだ?」
「58だそう、です」
「58!? そりゃまた桁外れだな。まるっきり人間外じゃないか。そりゃイシス全軍も相手取れるよなぁ……」
 そんな会話を思い出しながら、フォルデは一行の一番後ろでのろのろと歩いていた。
 一行の先頭では、セオが珍しく先に立って道案内をしている。なんでもアッサラームでルーラ便を使いイシスの勇者に会いたいという手紙を送り、それに対する諾の返事を受け取った時地図も同時にもらったのだそうだ。そしてイシスに着いた時改めて使者を送り、今日会う運びとなったのだそうだが。
 なんというか、面白くなかった。そんな風に面倒くさいやり取りを経なければ会うこともできないなんてその勇者とやらは相当な気取り屋としか思えないし、セオが珍しく自分から会いたいと言った人間がそんな勇者だということもすさまじく面白くない。セオの言う、「俺は本当にすごく未熟ですから、勇者としての先達の方から少しでも教えが得られたらって思うんです」という言葉に筋が通っている事は認めるにしても。
 それに。
 セオがちらりとこちらを見る。見返してやると、慌てて目をそらす。とたん心中から湧き上がる苛立ちに、フォルデは唇を噛んだ。
 こんな風に、こっちの顔色をやたらうかがうくせに、実際はこっちの言いたいことがちっともわかってないらしいのが、一番ムカつく。
「……あ、ここ、です」
 いかにも高級住宅地という感じの場所の、広い庭付きの、かなり大きな屋敷。そこでセオは足を止め、呼び鈴を鳴らした。
 なんとなく反感を抱く。フォルデは金持ちは基本的に嫌いだ。
 屋敷の扉が開いて、中から召使いらしいやたらぞろっとした服を着た女が顔を出した。セオとなにやらやり取りをして、軽く頭を下げ身を翻す。セオがそのあとについて歩き始めたので、自分たちもあとに続いた。
 中の調度品は思ったより質素だった。地味というか、今まで見てきた金持ちの館からするとさほど金がかかってない印象を受ける。ただ、趣味は悪くないように思えた。きらきらしくはないが、雰囲気は落ち着いて穏やかだ。
 召使いの女はしずしずと滑るように歩く。いくつもの廊下と部屋を通り抜けて、屋敷の中でも相当奥まった部分にある部屋に案内された。これまでのより幾分小さいその部屋は、どうやら個人的な客を迎えるための応接室らしく、調度品も屋敷の装飾も今までにも増して地味だった。
 だが、感じは悪くない。ふとそんなことを思い、思ったことになんとなく腹を立て、部屋の中をじろじろ物色していると、奥の扉が開いた。
「お待たせしてしまったかしら?」
 笑顔でそう言いやってきたのは、年老いた女だった。腰は曲がっていないが、顔は皺だらけだ。痩せたその体には、こちらを圧するような迫力やら気迫やらというようなものが微塵も感じ取れない。
 だが、その老女は微笑んで言った。
「私がかつてイシスの勇者だった、エラーニア・フトメスです。アリアハンの当代勇者、セオ・レイリンバートルさん。ご用というのはなにかしら?」
 このばあさんが、勇者?
 フォルデは眉根を寄せた。セオも勇者らしくはなかったが、このばあさんも勇者と言われて想像する姿とはかけ離れている。そもそも女の勇者というのがフォルデには想定外だった。どこから見てもどこにでもいるような穏やかな老女。このばあさんが、本当に?
「勇者というのは見かけで決まるものではありませんよ」
「!?」
 突然自分に話しかけられてフォルデは仰天した。このばあさん、まさか心が読めるのか?
「別に心が読めるわけではありませんよ」
 エラーニアはころころと上品に笑う。
「今までに私を見てきた人の大半があなたのような顔をしてきたのでね、いやでもわかります。『これが本当の勇者?』という顔をね。まぁ、私は勇者を引退した人間ですから、無理もないのですけど」
「っ……」
 フォルデは唇を噛んだ。自分は(軽蔑している人間でもなければ)人に十把一絡げのその他大勢に分類されるのは大嫌いなのだが、事実同じことを考えてしまった以上なにも言えない。
「さて、セオさん。あなたはお手紙では、私からなにか話を聞きたい、ということでしたけれど?」
「……はい」
 セオが一歩前に進み出た。珍しくぎゅっと拳を握り締めて、真剣な面持ちだ。この婆さんにそんなに聞きたいことがあるのか、とフォルデは少し困惑した。年寄りの話というのは、やたら長くて実がないのが普通だろうに。
 だがセオはこの上なく真剣な、真摯な顔でエラーニアを見つめ、問うた。
「勇者というのは、どういうものを、いうんですか?」
「…………」
 エラーニアは微笑んだままセオを見ている。セオは堰を切ったようにまくし立てた。
「俺、本当に駄目な勇者なんです。人として、最低限できることも、ろくに、できないようなクズ勇者なんです。だから、少しでもマシに、なりたくて、勇者として立派とは、言わないまでも、少しは恥ずかしくない程度になれるよう、頑張りたくて」
『…………』
 フォルデは怒鳴りたくなるのを必死に堪えた。こいつはどうせ怒鳴ったって謝るだけでまともに考えやしねぇんだ。見当違いに思い込むばっかで、全然話が通じねぇ。
 だから、こいつ自身が気付くのを待つしかねぇ、そう決めたのだ。口出しはしない。
 それはそれとして苛つきは止められないが。
「でも勇者と、いうものはどういう人を指すのか、なぜ勇者は勇者として生まれるのか、なぜ勇者は勇者に選ばれるのか、そういうことを知っている人って、俺の周りには、いなかったん、です」
「あなたのご父君の勇者オルテガ殿は? あの方は世界最強と呼ばれた凄まじい勇者ですよ?」
 そうエラーニアが訊ねるとセオは一瞬表情を消した。だがすぐ真剣な顔に戻って首を振る。
「父には、聞けませんでしたから」
 なんなんださっきのは、変な奴。フォルデは胸の辺りをこすった。一瞬だったからよくわからなかったが、セオが顔から表情を消した瞬間、胸の辺りにぞわっと悪寒が走ったのだ。
「そうですか……つまり、勇者とはどうあるべきか、を知りたいのですね?」
 エラーニアは気にした風もなく微笑んでうなずき言う。セオはこっくりと、頑是ない子供のようにうなずいた。
「はい。世界で一番経験を積んだ勇者であるエラーニアさんに、少しでもお話を聞いて、今後に活かせたらと」
 殊勝な心がけ、ではある。だがフォルデにとってはそんなものはどうでもいいことだった。勇者としてだのなんだのという話はどうでもいい。だが今のセオが馬鹿で考え足らずなのは間違いなく、それがムカついて許せないことなのだ。なので、勇者がどうとかいう前にそれを修正するのが優先だろうと、フォルデはなんだか面白くなかった。
 だからむすっとして見詰め合うセオとエラーニアを睨んでいると、ふいにエラーニアがこちらに視線を移してくる。なんだ、と思いつつも睨むように見返すと、エラーニアはふいと視線をずらし今度はラグを見た。それからロンを。最後にまたセオに戻して微笑む。
「この方たちは、あなたの仲間?」
「え、はい、あの、そう、です」
 恥じらいながら言うセオに、エラーニアは笑顔のまま言った。
「では、世界とこの仲間たち、どちらが大切ですか?」
「………え?」
 きょとんとするセオ。だがエラーニアは言葉を緩めない。微笑みながら、厳しいとすら言える語調で繰り返す。
「あなたは世界とこの仲間たちどちらが大切ですか。そうですね、たとえ話をするならば、世界のすべての人々とこの仲間たちが大きな鳥籠に別々に閉じ込められています。その鳥かごは天秤にかけられており、片方を助ければもう片方は奈落の底へまっさかさま。そういう状況で、あなたはどちらを助けますか?」
「え……」
 セオは目をぱちくりさせる。フォルデは思わず頭に血が上った。
「おい、ババア! てめぇそんな趣味の悪い問答になんの意味があるってんだ、くだらねぇこと聞いてんじゃねぇっ!」
 エラーニアはちらりとフォルデを一瞥した。そしてその視線でフォルデは金縛りにあったように体が硬直してしまう。
 殺気、ではない。単に意識を一瞬こちらに向けただけだ。そしてその一瞬視線の圧力に、フォルデは体を固めさせられた。フォルデにはわかってしまったのだ。この婆さんは、その気になれば一瞬で俺を殺せる。
 息詰まるような空気の中、エラーニアはセオを見つめる。セオもエラーニアを見つめる。そしてエラーニアの意識の圧力を感じているのかいないのか、思いのほかあっさりと答えた。
「プカルーラで、天秤そのものを浮遊させて、安全な場所に移動させてから、避難してもらいます」
『……は?』
 ラグとフォルデは思わず声を揃えた。ロンは楽しげに笑んでいたが。
「おい、このババアの質問って、そういう意味じゃねぇんじゃねぇか?」
「え……? 俺、なにか、間違ったこと言っちゃいましたか!?」
「間違ってるっていうか……エラーニアさんはどうやって助けるか、じゃなくて仲間とその他の世界中の人間、極限状態でどっちを取るかってことを聞きたかったんだと思うよ。……そうですよね?」
「その通り。そして、セオさん、あなたは見事に期待に応えてくれたわ」
「……は?」
 エラーニアは笑みを深め、うなずきながら言った。
「それが、勇者の答えなのですよ」
「………はぁ?」
 困惑するフォルデたちをよそに、エラーニアはゆっくりと語り始める。
「勇者というのはね。世界を背負って戦う者のことをいうのです」
『…………』
 沈黙が下りた。なんだそりゃ? わけわかんねぇ、もっと具体的に言え。そういう感想は口に出せなかった。エラーニアの微笑みはこちらが動けなくなるほどの威厳と気迫がこもっていたのだ。
「勇者という存在がいつ生まれたのかははっきりとしていないわ。世界が創られたばかりの神代の時代に破壊神を倒した者がその始まりだとか。けれど、勇者はずっとどこかで生まれてきていた。一世代に全人類でわずか数人、人でなしの素質を持って」
『…………』
「勇者の力が本当は誰に与えられたものなのか、確証を持って言える人間はこの世にはいないわ。でも、引退するまで勇者として生きてきて、さまざまな勇者と会って、こうじゃないかな、と思えるようなことは考えついたの。私なりに確信を持って」
「どういう……ことですか」
「さっき言ったままです。勇者というものは、そう呼ばれる存在は、みんな世界を背負って戦っている」
「そりゃ、勇者がいなけりゃ魔王は倒せないですし……」
 エラーニアはかぶりを振った。
「そういう問題ではないの。勇者はなぜ天に選ばれるのか。それは、その者の魂に深く刻み込まれているからですよ。世界を守りたい≠ニ」
「え……でも、世界を守りたいっていう人は、勇者じゃなくても、いっぱい……」
「いいえ。確かに世界を守るために力を尽くしているという人はいっぱいいるでしょう。だけど、その人たちのほとんどは、本当に心の底からこの世界を守りたいと思っているわけではないわ」
「でも……」
「その人たちのほとんどは、究極的には自分のために世界を守ろうとしているのですよ。自分の命や名誉、繁栄のため。あるいは愛のため――自分の愛する、大切な人たちを守るために」
『…………』
 全員、思わず目を見開いた。
「それが……いけないことだと? 自分の大切な人たちを守るために命を懸けるのは、いけないっていうんですか?」
 エラーニアは首を振る。
「いいえ。むしろとても立派なことだと思います。人が己の大切な人のために勇気を奮い起こす、とても尊いことだわ。けれど、その勇気は、勇者の持つ勇気とは質が違う」
「というと?」
「さっきも言ったでしょう。勇者とは、世界を背負って戦う者。世界に満ちる苦痛、悲嘆、不条理――それらすべてに対し全身全霊で異議を唱える者。世界に公然と存在する過ちに対し、『誰かがやらねばならない、過ちを正さねばならない。そしてその誰かは自分だ』と、命かけて魂かけて思い込んでいる者をいうのですよ」
『…………』
 フォルデは混乱した。どういう意味だ? ややこしくてよくわからない。
「……あの、すいません、よくわからないんですが。つまり、その……勇者っていうのは、この世界の人間すべてを救わなくちゃいけないって思い込んでる人間だっていうことですか?」
「そうね。近いです」
「はぁ!?」
 フォルデは思わず叫んだ。そんな馬鹿なことを大真面目に考えている奴がこの世にいるはず――
 そしてはっとした。
『世界に生きている人々や、動物や、植物や……できるなら魔物や魔族も。全部が幸福になれたら、世界を守ることができたら、俺はもう死んでいいなって……』
 セオのあの時の言葉は、そういう意味だというのか?
「より正確に言えば現実に、実際に救いたいと願い、それに自らの力すべてを振り絞る者。世界のすべての人々を、自分にとってなにより大切な存在であるかのように救わずにはいられない者。そういう言い方ならわかるかしら」
「……んだよ、それ。んなの無理に決まってんじゃねぇかっ!」
 フォルデは思わず怒鳴っていた。そんなわけがない、そんな人間がいるはずない。だってそれなら、勇者がみんなそんな奴なら、自分があんな場所であんな育ち方をしてあんな思いをしなくちゃいけないわけ――
 フォルデは頭を振って思考を止めさらに怒鳴った。俺はそんなことを考えなきゃならないほど弱くねぇ。
「世界中には何万って奴らが生きてんだぞっ、いっくら勇者だからってそいつらをいちいち守れるわけ」
「そう、守れない。勇者がどれだけ力を振り絞ろうとも、財のすべてを投げ打とうとも、不幸な人間はなくならないし人は死んでいきます。世界を守ろうとするのならそういった、自らの無力さと常に向き合わなければならなくなる」
「……そうだろ」
「でも、それでも世界を救おうとし続ける者が勇者なのですよ。冷たく容赦のない現実に何度打ちのめされても、世界のすべてを救いたいという希望を誰よりも強く持ち続け、そのために全力を振り絞る者。どうしようもない理不尽な現実を、どうしようもないで済ませずに断固として異を唱える者。それが勇者なのです」
『………………』
 フォルデは言葉を失い、思い出していた。カンダタたちとの戦い、自分がどんなに傷つけられても説得を諦めず人殺しを止めようとするセオ。あれは、そういうことだったのか?
「でも……そんなんじゃ、そんな生き方をしてるんじゃ、長くは生きられない……」
「そのために勇者の能力はあるのですよ。私は、勇者の力は世界のために戦う者に世界が与えてくれた祝福だと思っています。魂の底から世界を救いたいと願う者に、世界を少しでもいい方向に導くために世界が与えた力だと。どうしようもない理不尽を、力技でどうにかするために世界が勇者を望み、力を与えたのだと。天に選ばれるとは、そういうことなのではないかと」
『…………』
「でも、だけど……そんな風にすべてを救おうとしていたら、自分の本当に大切な人を失ってしまうかもしれないじゃないですか。結局人間なんだから。大切なものをただひとつ選んで、それを全力で守るのでやっとでしょう、人間なんて? そんなんじゃ、なんのために力を磨き上げてるのかわからない……」
 エラーニアは小さく苦笑した。
「そこで、選ばないのが勇者なのですよ」
「え……」
「勇者も人間です、他の人より大切にしたいと思う存在も生きていれば生まれてくる。けれど、そこで選んで≠オまっては勇者ではないのです。どちらかを選び出すのではなく、その力で両方捨てずに救い上げる。そのために存在する勇者の力で磨き上げた、力と技を使って」
「…………」
「私は、駄目でした。選んでしまったのです、三十年前に」
『え……』
 エラーニアは顔に苦笑を浮かべたまま言葉を続ける。
「三十年前、私には娘がいました。まだ十歳にもならないような幼い娘です。その娘が街外れの農場へ行っている時に、イシスを魔物の大群が襲いました。私はイシス軍の総指揮官としてそれと戦いましたが、娘のいる場所へ魔物たちが向かったということを知り、我を忘れて助けに向かってしまったのです。イシス軍の指揮を放り出して」
「でも、それは親として当然の……」
「かもしれません。でも、そのせいでイシス軍は魔物に蹂躙され、大勢の兵が死にました。罰が当たったのでしょう、娘も死んでいました。……そして、私は勇者の力を失ったのです」
「そんな……!」
「世界は理不尽で、残酷です。それに負けてしまっては勇者ではない。理不尽な選択を肯んじてしまっては勇者ではないのです。私は世界に負け、その瞬間勇者であることをやめたのです」
「……勇者というのは、やめられるものなのですか?」
 エラーニアは真剣な顔になってうなずいた。
「勇者というのは、誤解されているようですが、そう生まれてくるものではありません。なる≠烽フなのです。血筋でも境遇でもなく、その者の魂が勇者であることを選択するのです。そうでなければ天には選ばれません。……私の魂は三十年前に堕ちました。だから天は、私から勇者の資格を奪ったのでしょう。……夫はなぜ最初に娘を助けなかったのかと私を責め、軍からも指揮を放棄した責任を問われ、私は公職から退きました。だから現役を引退したといわれるのですよ」
「でも、そんな……だからって、そんなのって」
 エラーニアは再び微笑みを浮かべた。いくぶん苦いものではあったが。
「くだらないことを言いました。……だから、セオさん。あなたは間違いなく勇者なのですよ。仲間と世界、双方を助けようとする。理不尽な選択に全身全霊、知恵と力のすべてを絞って立ち向かう。心配することはありません、あなたはあなたのまま生きていけばいいのです」
 セオは困惑した顔で首を振った。
「でも……俺、本当に駄目なんです。魔物ともろくに戦えないし」
「魔物と戦えないとは?」
「……どうしても魔物を倒す時、考えちゃうんです。この魔物たちにだって都合があっただろうに。もっと生きたかっただろうに。俺なんかが命を奪ってしまって本当にいいのか、って」
 エラーニアは、なぜか納得した顔でうなずいた。
「ああ……だから、あなたは三人もの仲間を連れていくことができるのですね」
「え?」
「……どういうことだよ?」
「セオさん、あなたは普通の勇者よりさらに世界の概念が広い。普通なら勇者の守りたいと願う世界は人間だけのものですが、あなたは魔物すら守るべき世界として受け容れているのです。だからあなたの勇者としての力はそこまで強いのですよ」
「え……で、でも、俺そんなすごい力があるわけじゃ。いつだってうじうじしてますし、考えてもしょうがないことばっかり考えちゃって、魔物を殺しちゃったりしたらすぐ泣いちゃうし」
「それが、あなたの力の源なのだと思いますよ」
「え……?」
 エラーニアは静かに、だが確信をもってセオに言う。
「セオさん。普通に考えるならばたとえ勇者でも、勇者だからこそ魔物は敵、倒さないわけにはいきません」
「……はい」
「けれどあなたはそれでいいのかと考える。常に自分に問いかけ、魔物も人間も救う方法がないかと模索する。その心が、魔物すら救おうとせずにはいられないあなたの広大無辺の心が、あなたの勇者の力の源です」
『…………』
「だから、あなたはそのままの自分であることを心がけなさい。常に自分は正しいのか、もっと多くの命を救える道はないか、問いかけ続けなさい。魔物を殺した時に涙を流せる人間でい続けなさい。それは普通の勇者よりはるかに険しい道ではあるでしょうが、他にあなたに道はないのです」
 私のように、勇者の力を失いたくなければ。
 エラーニアはそう、話を締めくくった。

戻る  次へ
『君の物語を聞かせて』topへ