イシス〜ピラミッド――5
 ゆっくりと押すと、砂に吹き晒されて磨り減った扉は、押したままにゆっくりと開きがおん、と音を立てて壁にぶつかった。一瞬緊張するが、予想通り、すでに何人も侵入者を迎え入れた扉はなんの罠も仕掛けられてはおらず、フォルデは小さく息をつく。
 だが、緊張は解けてはいなかった。当たり前だ、これからようやく、王都イシスから二週間かけてたどり着いたグロフ王のピラミッドに侵入するのだから。
 ちょうど昇り始めた陽の光が目を刺す。魔物たちの活動を少しでも抑えるため、昨夜到着したにもかかわらず朝まで侵入するのを待ったのだ。
 目を眇めながら、ここまで案内してくれたイシスには多いという遺跡案内人に振り向いて言う。
「じゃあ、あんたらは先に戻ってろ」
「わかりました。お気をつけて、無事目的を達されることを祈っています。あなた方に太陽神ラーのお恵みがありますように!」
 言うや案内人たちはキメラの翼を放り投げて宙に消える。それを見届けてから、仲間たちを見回した。
「そんじゃ、入るぞ」
「ああ」
「了解」
「えと、はい」
 それぞれにうなずく仲間たちを従えて、フォルデはそろそろとピラミッドの中に足を踏み入れた。
 ピラミッドは聞いていた通り、扉の中にも砂が入り込んでいる、ひどく古びた空気の石造りの建物だった。四角垂の建築物の中に入っていくのだから当然だろうが、中はひどく暗い。フォルデの持っているカンテラと、セオの手元のレミーラで視界に不自由はなかったが。
 暗く狭い道を這うように中腰で進む。隊列は一列、フォルデ、ラグ、セオ、ロンの順番だ。遺跡探索としては常道の隊列だろう。
 足元の感覚を確かめながら、一歩一歩確実に進む。壁の感触も絶えず確かめる。遺跡案内人に散々聞かされていたのだ。
『グロフ王のピラミッドの中にはまだ生きた罠も残っています。すべて探索しつくされたわけではないというだけでなく、ピラミッドの罠は古代帝国時代の技術を活かした自動的に作動したあと待機状態に戻る、というものが多いので』
 そしてわかっている罠の位置の情報を高値で売りつけられた。フォルデとしては面白くなかったが、命は金で買えないというラグとロンの主張に逆らう気はなかったし、第一その程度の金なら魔物を倒して勇者の力によって手に入れたゴールドで充分まかなえたのだ。
 だから確実に罠がある場所は知っているが、かといってそれ以外の場所に罠がないとも言いきれない。フォルデは神経をすり減らすような心持でのろのろと歩いた。
 だが、疲れはするが、悪い気分ではなかった。それは自分のすべきこと、したいことが心からわかっているからだろう。
 ヴィスタリアの言葉を聞けたから。
 そう思ってから、フォルデは顔を赤らめて首を振った。こんな時に街で会った女のことなんか考えてどーすんだっ!
「おい、フォルデ、どうかしたか?」
「なんでもねぇっ!」
 反射的に怒鳴ってから、一回深呼吸をして振り向く。予想通りセオのびくついた顔が見えた。それにふん、と笑いかけてやってから(へちゃ、とセオはだらしなく顔を緩めた)、また少しずつ歩みを再開する。
 そう、自分はわかっている。あの今思い返してもやはり少しばかり恐ろしい、イシス女王に言葉を恵んでもらわなくたって。
「あなた方がピラミッドから戻られるまでに、私はあなた方になにを申し上げるべきか考えておきます」
星の試し≠フあとそんなことを言われて、自分たちは少し驚いた。この女王が『考える』などと口にするとは思わなかったのだ。どんなことでも瞬時に判断できてしまえそうなのに。
 その思いを読んだのか、女王は苦笑した。
「私が人でない力を持つのは確かですが、私の思考力は人間並みでしかありませんよ。あなた方の基を見ることはできました、その力のほども知りました。なればこそ、あなた方に道を示すためにはゆっくりと考えて言葉を導き出さねばならないのです」
 道を示す。自分にとっては無駄なことのように思えた。
 だって自分はもう道を決めている。女王に自分の基とやら――自分が孤児で、普通ではないのだと思い知らされた時のことを思い出してますます確信している。
 自分は、自分の力を世に示すために、孤児という境遇など自分は問題にしていないのだと世界中に宣言してやるために、世界を見返してやるために、魔王を倒す。セオと、仲間たちと共に。
 そしてそのついでに、セオのムカつく情けない根性を全力で叩き直してやるのだ。
「……っと」
 頭の中に描かれた地図の中で、罠があると示された場所に近づいているのを認識し、フォルデは足を止めた。懐から案内人から買ったピラミッド内の地図を出し、確認する。
「罠か?」
「ああ。っと……」
 自分でも調べて確認し、盗賊の道具の一つ、白墨を取り出して線を引く。
「こっから右通れ。こっから先踏むと落とし穴に落ちる」
 仲間たちがめいめいうなずくのを見てから、ゆっくりと歩き出す。落とし穴を避けた通路に罠があるとは思えないが、もちろん警戒は怠らない。
 そこを通り抜けてからもゆっくりと歩く。遺跡など考えてみればナジミの塔以来だったが(シャンパーニの塔は探索などできる状況ではなかった)、勘は錆びついてはいなかった。
 自分は冷静だ、とフォルデは思った。神経をすり減らしている自分を冷徹に観察している自分がいるのがわかる。頭の中がしっかり徹っている。こういう状態の時は盗みも失敗したことがない。
「止まれ。罠がある。ここ踏んだら壁からなんか飛び出てくるぞ」
 新しい罠を発見して足を止め、言葉を告げる。それに真剣な面持ちでうなずく仲間たちを見て、思わずにやりと笑みを浮かべた。
 自分が今調子がいいと感じるのは、実際悪い気分ではない。

 ラグは静かに歩を進めるフォルデの後ろを歩きながら、息をついていた。なんなのだろう、フォルデのこの落ち着きは。
 致死性の罠がごろごろしているだろうピラミッドでナジミの塔のように我を忘れられても困るが、なぜだろう、なぜかはわからないが自分は落ち着かなかった。フォルデはすぐ苛つき、怒鳴り、騒ぐのが常態だったからだろうか。
 この二週間ずっと、というわけではないが、フォルデはおおむね落ち着いていた。セオが卑屈さを見せた時にも怒鳴りはするものの、我を忘れて怒るということがあまりなかった。それどころか『謝りてーんだったらまずてめぇに誇り持てるようになりやがれ。自分も誇れねー奴に謝られても嬉しくねーんだよ』と諭したことさえあったのだ。
 別に、だからというわけではないだろうが。自分は対照的に、気持ちが落ち着かない。
 イシス女王の見せた、あの映像から引き出された自分の感情。ありありと蘇った、たまらない高揚と幸福感、そして背筋に刃を突きつけられているような恐怖感。
 別にいまさらそんなものを見たところで気分を害するような可愛らしい神経はしていない。自分はヒュダ母さんのためにある、その思いはいまさら揺らぎも傷つきもしない。
 だが、なぜか。ロンが星の試し≠ナ見せたあの惚れ惚れするような冴えた技を思い出すたび、この二週間の間にすっかり感じられなくなったロンの威圧感を想起させられるたび、妙に胸が冷えるのだ。自分がなにか間違いを見過ごしているような、そんな思いに囚われる。
 そんな気持ちなど、放り捨ててしまいたいのに。
「ちっ……おい、魔物が近づいてきやがるぜ。数は五、六体ってとこか」
「ほう、悪名高いピラミッドの中にしては遅いご到着だな」
「ふん、偉そうに言ってんじゃねぇよ。それだけでかい口叩いておきながらヘマしたら笑うぞ」
「俺が?」
 意外そうな顔をしてみせるロンににや、と面白がるような笑みを浮かべ(これも今までならありえないことだ)、フォルデはチェーンクロスと短剣を構える。ロンもすっとその隣に進み出た。自分も一番前へと移動する。狭い通路のことなので、セオは後詰についた。
 魔物たちの近づいてくる音は最初はかすかだったが、角を曲がったとたん大音量で押し寄せてきた。
「モハ、モハァッ……」
「ワハハハハハハハハハハッ!!」
 敵はミイラ男、大王蝦蟇、怪しい影にやかましい笑い声を立てながら近づいてくる笑い袋。どれもこの旅で出会うのは初めてだが、ミイラ男以外は今までにも倒したことがある。
 最初に動いたのはロンだった。星ふる腕輪は功績と戦力増強比を考え、ロンに与えられたのだ。目にも止まらぬといっていいほどの速さで笑い袋に近づき、鉄の爪を突き立てる。笑い袋は一撃で悲鳴を上げながら倒れた。
 ついでフォルデが短剣を振りかざし(場所が狭いせいかチェーンクロスは使わなかった)、大王ガマに斬りかかる。肉を斬り裂かれ呻き声を上げたものの、大王ガマはまだまだ元気だ。
 自分も続こうと鉄の斧を振り上げるが、それより大王ガマが奇妙な声を上げる方が早かった。「フワーン!」とでも表現したくなるようなその声は、空気を揺らしつつ周囲に広がり、ラグの頭に到達する。
 とたん、猛烈な眠気がラグを襲った。
 しまった、と思わず膝をつきながら思った。大王ガマはラリホーが使えたんだった!
「ラグさんっ!」
 セオが叫んで素早く自分の前に踊り出、ぼんやりとした手を突き出してくる怪しい影の攻撃を受けた。ぎゅっと思いきり体に力を入れて、怪しい影に斬り返す。
 早く立ち上がらなければ。ラグは必死にそう思うが、体に力が入らない。馬鹿な、この程度で、と思うがそれでも、どうしても立てないのだ。
 仲間たちは激しい戦いを繰り広げている。自分もそれに加わらなくては。自分の力がなくてはきっと、負けないまでも苦戦する。
『なんで苦戦しちゃいけないんだ?』
 そんな問いが頭の中に響き、一瞬ラグは硬直した。
『別に大切だともなんとも思ってないんだろう? 別にどうでもいい存在なんだろう? そんなもののためになんで危険を冒して戦わなきゃならないんだ?』
 馬鹿な、なにを考えている。仲間たちは大切な存在ではないか。共に魔王を倒す仲間、背を預ける存在。それがなんで。
『だってお前は一番大切なもの以外は、母親以外はどうでもいいんだろう?』
 ―――違う!
 違うはずなのに体は動かない。まどろんでいる時のような、動かせるはずなのに動かないもどかしい痺れが体全体を覆っている。今すぐ暴れ出したいほど手足には力が入っているのに、それが動作に変わらない。
 なんで、俺は、こんなところでなにをやってるんだ?
「おい!」
 体を揺らされてはっとした。魔物たちは全員倒されて、すでに死体も消滅している。セオが心配そうに顔をのぞきこんでいた。体を揺らしたのはフォルデだ。
「なにやってんだよ、ったく。あっさり呪文に引っかかりやがって、しっかりしろよな」
「あの、ラグ、さん。大丈夫、ですか?」
「……ああ……すまん、ヘマをしたな」
 のろのろとラグは立ち上がった。なにを考えているのだ、自分は。戦場でよけいなことを考えれば命に関わる。それは嫌というほど実感しているはずなのに。
「行こう。すまなかった」
 そうだ、自分が足を引っ張るわけにはいかない。曲がりなりにもこの中で一番レベルの高い、経験を積んだ戦士が。そんなことでは、役に立たないようでは、ヒュダに合わせる顔がない。ヒュダのために、自分はこのパーティにいなくてはならないのだから。
「おい、ラグ」
 また隊列を組んで進み始める時、ロンがすっと近づいて囁いてきた。
「本当に、大丈夫か?」
「……大丈夫だ。気にしないでくれ」
 そうだ。こんなことなど、自分にはいまさら気にするほどのことでもない。

「……おい。いー加減にしろよ」
 フォルデが半眼で睨みつつ言うと、ラグは困ったような顔で頭を下げた。
「すまん。どうかしてるな、俺は」
 その声が本当に途方に暮れていて、フォルデはため息をつく。こいつがこんなガキみたいなところを見せるなんて、思っていなかった。
 ラグはピラミッドに入ってからおかしかった。この二週間も元気とはいえなかったが、ピラミッドに入ってからは明らかに変だ。
 敵の呪文には真っ先にかかる、攻撃はしくじる(自分たちの移動している通路の狭さを考えず斧を振り上げて天井に刺したことさえあったのだ)、敵の攻撃もかわせない。さっきの戦闘では大王ガマの油に滑って転びそれを助けるためセオが呪文を使うことになった。こんな状態、普段のラグからは考えられない。
「どーしたんだよ。なんかあったのか?」
「いや、そういうわけじゃない。……なんでもないんだ」
 聞いてみてもこの調子。しかもこちらから微妙に目を逸らしながら。セオはおろおろし、ロンは肩をすくめる。ったくこの野郎、と顔をしかめた。
「おめーな! ふざけんなよ、どんな事情があるか知らねぇけどな、個人的な事情でパーティに迷惑かけんだったらその理由ぐらいは話すのが筋だろーが! うじうじ悩む暇があるならすぱっと相談するなりなんなりしてみやがれ!」
「…………」
 ラグは微妙に目を逸らしたまま沈黙する。ロンが面白そうな顔になった。
「おお、フォルデ、成長したな。まさかお前がラグに説教できるようになろうとは。大したものだ、お前が日々精進を怠らずにいた成果だな」
「うるせぇっ、てめぇ馬鹿にしてんのかっ!」
「まさか、心の底から感嘆している。そんなお前が愛おしいよ」
 にっこり笑って両手を広げるロン。フォルデは迷わず足に蹴りを放ったが、あっさりさばかれて蹴り返された。
 それからロンはラグの方を向いて真剣な顔になる。
「フォルデの言う通りだと俺も思うぞ。お前らしくもない。個人的な事情やら感情やらで仲間を危険に晒すのはお前も忌避していたはずだろうが。自分だけで処理できるというなら口出しはできんが、今実際処理しきれなくなってるだろう。曲がりなりにも俺たちは仲間だ、パーティだ。それなら仲間が苦しんでいる時に力になるのは当然だし、頼れるところは頼ろうとするのも当然のことだと思うが?」
「…………」
 ラグはまた微妙に目をそらす。狙ってかどうかは知らないが、その先にセオが目を潤ませ、少し震えながら一歩進み出た。
「あの、ラグさん。俺、本当に、ろくに力になれないと思いますけど。なにを言われても、ろくな答え返せないと、思いますけど。でも、なに言われても、いいですから。殴ってもいいですし、傷つけてもいいですから、俺なんかでよければ好きに使っていいですから」
「おい、セオ、てめぇ」
「だから……元気になるお手伝い、俺じゃ、でき、ませんか? このままじゃ、ラグさん、怪我しちゃい、ます……」
 泣きそうな顔で言うセオに、フォルデは舌打ちした。こうも必死な顔をされるとどう怒鳴ったものか判断に困る。
 ラグもセオのこの言葉は効いたのだろう、ひどく困った顔でセオを見つめながら一歩後ずさりした。
「セオ、俺は――」
 がっこん。
 石の落ちる音がした。それも落下ではなく、もともとあったスペースにはっきりとした意図を持って滑り降りる、そんな音だ。盗賊ならどんな馬鹿でもわかる、仕掛けが動き出したという印の音。
 一瞬呆然として、それから怒鳴った。
「走れぇっ!」
 怒鳴って走り出す。こういう時は他人を気にしている余裕はない。他人を気にするという行為にかかる時間で自分の挙動が遅れれば自分がお陀仏だ。下手をすれば仲間を巻き込んで。そんなヘマしてたまるか。
 足音からすると全員即座に走ってついてきているらしかったが(ロンなど腕輪の効果で自分をあっさり追い抜いてしまった)、罠はいよいよ発動してきていた。左右の壁がずり、ずりずり、と自分たちを押し潰そうと迫ってくる。
 必死に走る。自分が少しでも遅れればラグやあの馬鹿勇者の動きが送れることになる。空間的に余裕がないしなにより、あの馬鹿どもは絶対に自分を気遣ってしまうはずだ。冗談じゃない。こんなところで死んで、死なれてたまるか!
 三度目の仕事で親方が見つかって全力疾走で逃げ出したのと張るくらい、もしかしたらそれ以上必死で走って、フォルデは通路を走り抜けた。ロンが数丈先で叫ぶ。
「急げ! こっちだ、もうすぐだ!」
 フォルデはその隣を全力で走り抜けて、そのまま数丈全力で走り、ぐるっと全速力で振り返った。
「セオ! ラグ!」
「大丈夫だ、二人とも無事だ。ラグはぎりぎりだったがな。ほれ」
 ロンが珍しく安堵の笑みを浮かべながら指差す。セオは荒い息をつきながらもある程度の余裕を持って通路を通り抜けており、フォルデの視線にへちゃ、と顔を緩めてみせた。ラグは本当にぎりぎりだったようで、膝をついて息をつくそのすぐ背後に石壁が閉じている。それどころか服の裾を挟まれてすらいたようだった。
 深く深く息をついて心底安堵し、それから強烈な怒りがやってきた。
「おい! ラグ!」
 つかつかと歩み寄り胸倉をつかむ。ラグは抵抗しなかった。
「てめぇ、なにやってんだ! 盗賊より前に出て罠に引っかかるなんざ阿呆の極みじゃねーか! てめぇ何年冒険者やってんだ、その頭は飾りかコラァ!!」
「フォ、フォルデさ、あの、おこ」
「これが怒らねぇでいられるかよ! 一歩間違えりゃ全滅してたんだぞ! ラグだって危うく死ぬとこだった! ちっとでも命惜しむ気があんなら下手打つんじゃねぇ、そんくらいのこともわかんねぇのかっ!」
「……悪かった」
 微妙に視線を逸らしながら言われる。その態度にますます頭に血が上った。
「なんっだよその態度! きっちり顔見て――」
「どうでもいいだろう!」
 唐突に怒鳴ったラグに、フォルデは思わず目をぱちくりさせた。ラグが、怒鳴った? しかも、体全体から苛つきを発散しながら?
「俺が生きようが死のうがお前らには関係ないだろうっ、俺の人生に勝手に首を突っ込まないでくれ! たかだかパーティ組んでるってだけで、他人が俺の中に踏み込むな!」
 一瞬ぽかんとして、それから猛烈な怒りがやってきた。
「んっだぁその言い草は……!」
 と、自分とラグの間にひょい、と手が突き出された。ひらひらと舞う不思議な動きにフォルデたちが一瞬目をぱちくりさせると、ぱちん、と指を鳴らされる。
「落ち着け。お前ら」
「……ロン」
「どちらの気持ちもわからないじゃないがな。遺跡の奥で言い争いはまずいだろう」
『…………』
 確かに。その通りだ。
 フォルデが渋々とラグから手を離すと、ラグはそっぽを向く。それにまた腹立ちがぶり返してきて睨むと、間にロンが割って入って苦笑と半々の笑顔を浮かべた。
「まぁ、少し全員頭を冷やそう」

 ピラミッドに入ってから数刻経っていたこともあり、水やら軽食やらを胃に入れて休憩することにした。
 ロンはいつものごとく飄々とした顔で干し肉をしがんでおり、セオは真ん中でラグとフォルデを等分に眺めている。フォルデは徹底的にへそを曲げたようで、ラグに背を向けて水袋から水を飲んでいた。
 当然だろうな。あんなことを言ったんだから。
 ラグは自分も水を飲みながら、深く落ち込んで下を向いた。馬鹿だ。なんであんなことを言ったりしたんだろう。ガキじゃあるまいし、もっと当たり障りのない言い方がいくらでもあっただろうに。
 いや、言い方の問題ではない。あんなことを考えているということ自体まるで子供だ。母の膝で甘えているあの頃の自分そのものだ。自分と母、それ以外はみんな敵だったあの頃の自分。
 変わっていない。子供の頃から。当然かもしれない、自分はあの時の誓いをずっと守り続けているのだから。そうだ、自分は変わりたくないのだ。あの時の気持ちを忘れたくない。
 だからって、子供のように振舞っていいことには少しもならないのだけれど。
 は、と息をついていると、セオがそろそろと近寄ってきた。少しばかり警戒しながらそちらを向き、微笑みを作る。
「なんだい、セオ?」
「ラグさん……」
 セオは潤んだ目でしばしじっとラグを見つめると、頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
 唐突な言葉に驚いてセオを見つめる。なんだ、いったい?
「セオ、なんで君が謝ることがあるんだい」
「だって、あの。俺が変なこといったせいで、ラグさん、後ずさりして、罠を発動させちゃった、でしょう。本当に、本当にごめんなさい。俺なんかが言ったって、迷惑に、決まってるのに。ロンさんもフォルデさんもごめんなさい、俺のせいで。本当に……死ぬかも、しれなかったのに」
 困惑して見つめるラグに、セオは泣きながら土下座をした。
「ごめんなさい。いくら謝ってもすむことじゃないですけどっ、本当に、ごめんなさい。俺なんかのせいで、迷惑かけちゃって。償えることがあるなら、なんでもしますからっ、お願いしますっ……フォルデさんと、仲直り、してくだ、さい……」
「え……」
 ラグは思わず呆然とする。セオは泣きじゃくりながら、頭を床に擦りつけながら、必死に訴えた。
「ごめんなさい、俺なんかのせいでごめんなさい。俺、なんでもします。ラグさん、たちが仲直りっ、できる、なら、なんでも。だから、お願いします。喧嘩、しないでください。俺でできることなら、お腹かっさばいても、腕斬り落としても、ぜんぜんいいですからっ、お願い、です……」
 しばし空気が固まる。その間中ラグは呆然とセオの顔を見つめ続けていた。
 ふいに、フォルデが立ち上がる。つかつかとセオに近寄り、ばっこぉん! と音が立つほど全力で引っ叩いた。
「阿呆かてめーはぁぁっ! 俺らがンなことして喜べるとでも思ってんのかよっ! だいたいてめぇは人情の機微っつーもんがぜんっぜんわかってねぇ! 俺らがなんで喧嘩してたと思ってんだっ、てめぇが自分のせいだっつったってなんにも解決しねーんだよわかってんのかコラァッ!」
「ごめんなさい、ごめんなさいーっ!」
 泣きながら謝るセオ、怒鳴るフォルデ。それを呆然と見ながら、ラグはああ、懐かしい光景だな、などと馬鹿なことを思ってしまった。
「ほれほれ、そのへんにしておけ。怒鳴ったところで一朝一夕にこの子の性格が変わるわけでもないことぐらいお前もわかってるだろう、フォルデ」
「っせぇなっ、わかってんだよそんくらいっ……」
「ま、それよりも、だ。この子にこんなことを言わせたのは誰か。わかるな、ラグ?」
「…………」
 ラグは深々と息を吸い込んだ。心からの謝意をもって頭を下げる。
「悪かった。俺のせいだ。二度とこんなヘマはしない。どうか、許してほしい」
「…………」
「………え………」
「………。あー、わかった俺も悪かったよっ! 言い過ぎた、とは思えねぇけど……こんなとこでいうことじゃなかった。悪かったっ!」
「いや。今回は俺がどこまでも悪い。怒られて当然だ。本当にすまなかった」
「……いいよ、もう」
 小さく笑いあってから、きょとんとしているセオに向き直り、頭を下げる。
「セオ、君のせいじゃない。君のせいだと思わせるようなことをして悪かった。どうか、許してほしい」
「っぅえ!? いっ、いえ、そんなっ、やっぱりあれ、俺のせいだと思いますしっ、俺なんか許すなんてことができるほど価値がある人間じゃないですしっ、本当に、そんな……」
「いや。俺は君に、許してほしいんだ。君に許してもらわないと気がすまない」
 真剣な顔で言うと、セオは真っ赤になって、困ったように周囲を見回し、泣きそうな顔で小さく小さく口を動かす。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。あの、あの……」
 いったん唾を飲み込んでから、ひどく申し訳なさそうに。
「………………、許し、ます」
 それからまた土下座する。
「ごめんなさいっ、偉そうなこと言って、本当に俺なんかがあんなこと言えた義理じゃないのに、ごめんなさいっ、ごめ」
「あーうっぜぇっ、こんなとこででかい声出すんじゃねーっ!」

「……さて、どうやらこの奥が玄室のようなんだが」
 じーっと扉を見つめて言うロンに、フォルデはぶっきらぼうに告げる。
「言っとくけどな、俺に開けろっつわれても無理だぞ」
「ほう。やる前から諦めるのか?」
「つかな。鍵穴のねぇ扉なんて開けようがねぇっつの!」
 フォルデの肩を怒らせながらの言葉に、ロンは軽く肩をすくめた。
「そこをなんとか本職の力で、というわけにはいかんわけだ」
「いくか!」
「ふむ。となると、どうするかな……」
 顎に手を当てて考え込む素振りをするロンに、フォルデもぶすっとした顔のまま考えた。
 目の前には岩でできた扉がある。だが鍵穴も、取っ手も、隙間もない。これではどうやっても開けようがない。
 扉を調べて仕掛けがあることはわかったのだが、その仕掛けが複雑かつ大規模すぎて読みきれない。どこか別の場所に仕掛けがあるらしいことはわかったのだが。
 だがそれがどこか、とフォルデは遺跡の地図を頭の中で動かしつつ考える。ロンも考えているようだ。当然ラグも腕組みをして考えている。セオは……
 目をつぶってなにかぶつぶつ呟いている?
「おい、セオ」
「えっ、は、はい!?」
 ハッと我に返ったような顔をして、フォルデの方を向く。
「お前、なんか思いついたことでもあんのか? なんかさっきっからぶつぶつ言ってっけど」
「いえ、あの、そうじゃなくて、考えてたっていうか、もしかしたらこうなんじゃないかな、って考えてたことなんですけど……」
「なんだよ。言ってみろよ」
「はい、あの、本当に当てにならない話なんですけど。もしかしたら、こんな見立てじゃないかと思うんです」
「……は? 見立て?」
 セオは背負い袋から紙を出した。そこにさらさらと文字と絵を書く。
「イシスにいた頃グロフ王のピラミッド関連の資料を総ざらえしてみたんですけど。グロフ王のピラミッドの伝承は大きく分けて二つあるようなんです。ひとつはおそらくは黄金の爪関連と思われるもの。隠し玄室に真のグロフ王の棺があって爪が一緒に入ってるとか、真の宝を暴いた者には呪いがかかるとか、グロフ王の恋人の武闘家の霊が地下に現れるとか、そういった類ですね。もうひとつは太陽関連の伝承。グロフ王のピラミッドの資料及び伝承には、しつこいほど何度も太陽の運行の話が出てくるんです。それも通常とは少し違う運行が」
 セオはインク壷を取り出し、筆につけた。
「イシス王家の伝承においては、太陽は王と同一視されると見てまず間違いはありません。でも多くの資料を見ていってみると、グロフ王に関しては微妙に違和感があるんです。古代イシス王家の人間はみんなラーにより近づこうとするというか、死後はラーそのものとなると考える人間がほとんどだったんですけど……種族的な志向かもしれないんですけど、でもグロフ王はどうやらラー信仰をあくまで道具として扱っているというか、ラー、すなわち太陽を自らのしもべとみなしていた節が見受けられるんです。つまり、ここに出てくる太陽も道具の見立てなんじゃないか、って思えるんですよね」
 しゃっ、とセオは筆を走らせる。
「ラーはグロフ王の言葉を聞き、東方より黄昏の光を大地に降り注がせた∞グロフ王は再び祈った、するとラーは西方より暁の光を大地に降り注がせた∞ラーは西方より黄昏の光を降り注がせ、大地の下へと潜った∞グロフ王が死す時、ラーは願いに応じて東方より暁の光を大地に降り注がせた。そして墓所の扉は開いた=Bこれは文章の間隔は離れているものの特にあからさまですけど、他にも太陽は東方に黄昏をもたらしたのち、西方の暁をもたらした∞西方の黄昏がもたらされたのち、すぐに東方に暁がもたらされた=c…他にも数え上げたらきりがないほど、『東方・黄昏→西方・暁→西方・黄昏→東方・暁』の流れが出てくるんです」
『………………』
 立て板に水の口調で筆を動かしながら言うセオに、全員声も出ない。
「ただ、この黄昏やら暁やらという言葉なんですけど、これは方角を表しているんじゃないかと思うんですね。数えてみたら全資料の中でこの流れが出てくるところは二百八十六箇所あったんですけど、そのうち二十六箇所で東方の西方より≠ンたいに時間じゃなくて方角で表しているところがあったんです。黄昏は西方より≠ンたいにそれを暗示するような言葉も十一箇所ほどありました。そしてなによりイシス王家に口伝というか、口伝えで伝わっている聖歌があるんですけど、その百十八番にこういう歌があるんです。まんまるボタンは不思議なボタン、まんまるボタンで扉が開く、東の西から西の東へ、西の西から東の東へ=c…そのものずばりでしょう? つまり太陽をしもべとみなすことからも考えて、これはグロフ王のピラミッドの玄室の扉の開け方を示しているんじゃないかと思うんです」
『………………』
「では、東とはどこか。西とはどこか。前後の文章を調べてみると、この方角が出てくるあたりの文章は、そのすべてが太陽、というよりは円を暗示しているんです。太陽と円。この二つの象徴は近しいものであることは自明ですけど、ピラミッドの作り方というか、建造方法から連想してみると、ピラミッドには必ずある、東と西の至聖所。最初の東と西はこれを示しているんじゃないかと思うんです。グロフ王のピラミッドでいうなら、ここと、ここですね」
 セオはピラミッドの形に描いた図面に印をつける。
「太陽に祈りを捧げる場所。神官が太陽の運行を導く場所。円環を巡らせる場所です。そこに円、丸いボタンが二つあるのではないか。東西二つの至聖所に東西に。それを東の西、西の東、西の西、東の東、という順番で押せば扉を開けることができるのでは、と……あ、もちろんあくまで仮説ですし、俺の仮説なんて間違ってる可能性の方がずっと高いですけどっ、もしなにかの手がかりになればって……」
「……お前、さ」
「はい」
「それ、いつ調べたの?」
 まだ半ば呆然としながら訊ねたフォルデに、セオはきょとんとして答えた。
「え、イシスの魔術師ギルドに蔵書を調べに行くって、言いません、でしたっけ?」
「一日もしねーうちにんなこと調べ上げてきたっつーのか!?」
「え? ええ、はい。なにか、おかしいですか?」
 きょとんとした顔。どう説明したものか、とフォルデは頭をかき回した。
「おかしいっつーかさ……」
「セオ……それ、どこの本に書いてあったんだい?」
「え、書いてあったというか、蔵書の中にあるグロフ王ピラミッド関連の話がちょっとでも出てる本を総ざらえ、してみたんですけど」
「いったい何冊?」
「え、魔術師ギルドの蔵書が十三冊に、イシス王家の蔵書が二十一冊でしたから、計三十四冊でしたけど。すいません、俺できるだけ早く読んだつもりなんですけど、蔵書全部は読めなくて統計に載ってあるぐらいのを主に読んだので、正確さに欠ける部分があるかもしれないです……」
『………………』
 しばし無言でフォルデたちはセオを見つめた。こいつ、実は頭いいんじゃねぇかとは思ってたけど、マジめちゃくちゃ優秀なんじゃねぇか?
「……それじゃあ、セオの言う通りにやってみようか。他に方法もなさそうだし」
 ラグの言葉に、セオ以外の全員(フォルデはまだ驚きから抜け出しきれなかったものの)うなずいて、まずは東の至聖所とやらへ向かうべく移動を始めた。

 がごぉん! と音がした。は、と全員顔を見合わせ、慌てて玄室前の扉へと駆け戻る。
 石の扉は見事に開いていた。扉の奥にはいかにも宝物庫、という雰囲気の部屋があるのが見える。
「っしゃ!」
 フォルデがぐっと拳を握り締め、歓声を上げる。ラグも自然と顔が緩むのを感じていた。遺跡探索は初めてではないが、やはりこういう謎を解いて宝を手に入れるという状況には燃えるものがある。
 フォルデは興奮が冷めやらぬ様子で、ほっとしたように顔を緩めていたセオに駆け寄りばんばんと背中を叩く。
「やったじゃねぇかセオ、すげーじゃんお前!」
「え? へ、え、いえっ、そんなことはっ……」
「謙遜することはないよ。君がいなかったらこの扉を開けることはできなかった。お手柄だな、セオ」
「い、いえっ! 俺本当に、たまたま、調べたのに、載ってたんで、なんとなくまぐれで思いついただけですからっ……」
「ンだとコラ、それじゃ資料調べるなんてこと思いつかなかった俺らがバカみてーじゃねぇかっ」
「あ、へ、わ、ご、ごめんなさいっ! 俺なんかが偉そうな」
「セオ。君は自分の功績で遺跡の扉を開けられたことをどう思う?」
 ふいにロンが静かに言い、セオはびくっとしてからおずおずと答えた。
「……たまたま、まぐれでできたんだ、って思います」
「なら、もしこれが俺やラグやフォルデの功績でできたことだったら?」
「すごいなって思います! さすがみなさんだって、本当にすごいって」
 とたん目を輝かせるセオ。思わずラグは顔をしかめたが、ロンは静かな表情のまま続けて言う。
「では聞こう。君が君と俺たちで扱いを変えるのは、なぜだ?」
「え……」
 セオは困惑した顔をした。なにを問われているのかよくわからない、と書いてある顔でぽつぽつと言う。
「だって、俺は、最低の奴で、でも、みなさんは、すごい人ですし……」
「君は一度でも過去に過ちを犯した人間は、もうなにをしても認められたり褒められたりするべきではないと思っているわけか?」
「え……だ、だって……」
 セオはますます眉を寄せて困惑を表した。ロンにじっと見つめられて、のろのろとうつむき加減に言葉を紡ぐ。
「……俺は、本当に、いけないことをしたんです。悪意でもって、人を殺したんです。その罪は、絶対に消えないし……それに、俺は、まだ、思いきれてない、駄目な奴だし……魔物を殺すの、よくないんじゃないかとか思っちゃうし……みなさんの役に立ててない、足引っ張ってばかりのクズですし……」
「それと、君が今俺たちの旅に大きく貢献したことを評価しないのとどういった関係がある?」
「……え?」
 セオは目を見開いた。ロンは静かな、身に染み入るような声でセオに語りかける。
「君が今言ったことは価値ある行動を評価しない理由にはならない。君以外の人間が同じ境遇にいたら、君もそう言うと思うが?」
「で……でも」
「思うんだが。君は自分を最低の存在だと強引に定義づけようとしているんじゃないか?」
「!」
「事実を無理やり捻じ曲げてでも、そう思おうとしているように見える」
 セオは驚愕の表情を浮かべて、固まった。いやいやをするように首を振り、必死に言う。
「そんなの、ないです。そんなのじゃ、ないです……だって、俺は、本当に」
「君がそう思わなければ苦しい理由はだいたい想像がつく。だが、俺たちは君がどんなに主張しようと君を価値のない存在だとは思わないし、君が俺たちにしてくれることがあれば感謝するし、評価する。それは覚えておいてくれ」
 恐怖を感じているのではないかと思うほどひきつった顔で見つめるセオに最後はにこりと笑って言って、ロンは玄室の中へと入りかけ、ふと気付いたように声を上げた。
「おい、フォルデ! 念には念だ。玄室の中にも罠があるかもしれん、先行してくれんか」
「あ……お、おう!」
 少しばかり呆然としていたように見えるフォルデはだっとロンの前に出る。ラグは眉を寄せながらロンに歩み寄り、囁いた。
「おい、ロン。セオが自分を最低だと思わなければ苦しい理由っていうのはなんなんだ」
「おや、ラグ。お前まだ気付いていなかったのか?」
 片眉を上げて訊ねられ、ラグは渋面になる。
「もしかしたらこうかもしれない、って思うことはあるけどな」
「ならそれでいいだろう」
「確信はない。それに、セオの性格にどうもそぐわないような気がするし」
「俺はそれで正解だと思うがな。あの子は普通の人間じゃありえないくらいに優しい子だし、人類愛――というより世界愛か――に溢れているが、それでも人間には変わりないし、まだ十六歳の男の子なんだ」
「言葉遊びは苦手なんだ。言ってみてくれ」
 フォルデがこちらの会話に聞き耳を立てているのを知りつつ、ラグは囁く。ロンは肩をすくめて、あっさりと言った。
「自分を最低の存在だと思わないと、怖いんだろう。自分を虐げた奴らを憎んでしまいそうで」

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