イシス〜ピラミッド――6
「……っだぁ! またかよ!」
 フォルデは息を荒げながら苛立ちにまかせて消滅していくマミーの残骸に向けて何度も足を振り下ろした。ラグがわずかに苦笑する。
「まぁ、確かに鬱陶しいけどな。実入りも少ないし」
「いやいや、種の類はけっこう貴重な宝物だと思うぞ、俺としては」
「道具屋で売ったら200ゴールドにもならねぇじゃねぇか! 他の宝物も古代の遺跡にしちゃ安っぽすぎるし! その程度の宝物にいちいち番人だの罠だの仕掛けてんじゃねぇっつの、クソ!」
 苛立ちが収まらず、げしげしと床を蹴る。実際、古代の遺跡という言葉から想像していたよりはるかに実入りは少なかったのだ。
 古代の王墓というのだから、玄室の中はさぞかし宝物が山積しているのだろうとフォルデは思っていたのだが、予想は外れた(そもそも装飾などの雰囲気からして古代の王の墓場にしてはずいぶんと質素ではあったのだが)。宝物の代わりに並んでいたのは大量の棺と古ぼけた宝箱。
 それでも中には宝物があるだろうと宝箱を開けてみれば(しっかり罠も仕掛けられていた)、中にあるのはせいぜいが数百ゴールドの金品やら種やらで、しかも開けたとたん棺が開いて大量のミイラ男やらマミーやらが襲いかかってくる。報酬が労力に合わなさすぎると思うのは自分だけではないはずだ。
「だがまぁ、魔法の鍵が罠を解除するだけで手に入ったんだから収支としてはそう悪くないんじゃないか? あれは実際なかなかのお宝だぞ。魔法で閉じた扉も開けるんだから」
「ああ、さっきの祭壇にあったやつな……あれ、本気であんな仰々しく飾られるようなお宝なのか?」
 玄室に入るなりでーんと大きな祭壇の上に安置されていた鍵を思い出しながら問うと、ラグとロンは肩をすくめた。
「なかなかの宝ではあるが……ピラミッドの宝としてはやや貫禄不足の感は否めないな。古代遺跡ではたまに見つかるし」
「通常の商品流通経路では売れんしな。裏に流せば相当な高額で売れるんだが」
「ふーん……じゃ、やっぱ俺らを引っ掛けるための見せ景品ってわけか」
「それより、宝箱はこれで全部か? オーブという名前にふさわしいような宝物は見つからなかったようだが」
 あ、とフォルデは思い出した。自分たちの最優先目的はイエローオーブなのだ。宝箱漁りに夢中になって忘れてしまっていた。
「おいセオ、お前そのイエローオーブっつーのどういう形してっかとかどこにあるかとか知らねぇのか?」
「……え、はい。一応どういう形かとかは資料から書き写してあります。どこにあるかまでははっきりしたことはいえませんけど、文脈から判断すると玄室の最奥に置かれているんじゃないかと」
「本気で知ってんのかよ……っつかな、知ってんだったら早く言えよ!」
「ご、ごめんなさいっ、はっきり確定してなかったからっ、宝箱も調べておいた方がいいんじゃって思っちゃって……!」
「ふーん。ならいいけどな」
 そう言うとなぜかセオはきょとんとした顔をした。たぶん自分があっさり退いたので驚いたのだろうと見当はついたが(まぁ普段から自分はセオの少しでも卑屈な発言ごとに怒りまくっていたようなものだから当然だろう)、軽く額を小突くだけで流してやる。
 別にセオを甘やかすつもりはないが、自分も少しばかり考えるところがあったのだ。さっきのロンの発言について。
「一応罠調べるからな、俺の前に出るなよ」
 床やら壁やらに罠がないか慎重に調べながら少しずつ奥へと進む。こんなケチで性格の悪い王が造った玄室なのだから、どうせまだなにか妙な仕掛けがあるに決まっている。
「お……」
 奥へ奥へと歩くと、いつの間にか通路は階段になっていた。あれ? と思いつつも登っていくと、少しずつ視界に明るい光が差してくるのが見える。
 まさか、と思いながら螺旋階段を進むと、ぱっと視界が開けた。三百六十度四方に広がる高みから見下ろす砂漠の光景に、フォルデは思わず絶叫する。
「なんで出口に出んだよーっ!」
「オーブと呼べそうなものはなかったな。おお、絶景絶景」
 ロンがフォルデの隣にまで進み出て、楽しげに周囲を見渡す。ラグが眉間に皺を寄せて訊ねてきた。
「隠し部屋とかそういうのはなかったのか?」
「ねぇよ。そっちの方だってかなり警戒して調べたんだぞ」
「調査の自信のほどは?」
「まず間違いねぇ」
「……ふむ。お前がそこまで言い切るとなると、まずないと考えてよさそうだな。……ピラミッドの中に戻ろう、火傷をする」
 全員中に戻って相談する。こういう展開は考えていなかった。
「セオ、君の調査ではイシスのグロフ王のピラミッドの中にイエローオーブがあるってことじゃなかったのかい?」
「は、はいっ、ごめん、なさいっ、ごめんなさ、ごめんなさいっ、俺のせいで」
「落ち着け。……誰かが先に入ったのか? それでイエローオーブだけ持ち出していったとか?」
「……その可能性はあるかもな。詳しく調べてみねぇとわかんねーけど、普通周りとの調整考えても宝物が置かれてそうな場所に空間があったりしたこと何度かあったし。罠が仕掛けてあるとこだけ無視して、宝を取ってったってオチかもしれねぇ」
「おいおい、じゃあどうなる? イエローオーブは現在所在不明ってことか?」
「……レイアムランドの、ラーミアの卵を安置している神殿に行けば、オーブの所在地はわかる、と思います、けど……」
「そこまで行くのがまず一苦労だな。……とりあえず、あまり気は進まんがアッサラームの御仁たちに裏世界の商品流通経路を洗ってもらうか?」
「それしかないだろうな……」
 それぞれため息をつきながらぞろぞろと元来た道を戻る。実質的に初めての古代遺跡探索だったが、そういう時に探していた宝物が見つからないというのは、確実に士気を下げるのだと身にしみてわかった。
「あークソ、骨折り損のくたびれ儲けってのはこのことだな」
「ごめんなさい……ごめんなさい、俺のせいで」
「誰もてめぇのせいとは言ってねぇだろ、いちいち卑屈になるんじゃねぇ」
 そんないつものごとき(だがいつもよりはいくぶん穏やかな)やり取りに、ロンが口を挟んだ。
「なら、少しは儲けを回収してみるか?」
「は?」
「このピラミッドには黄金の爪があると以前言っただろう。せっかくだから探してみるのはどうかと思うんだが。戦力増強にもつながるし、グロフ王のピラミッドの謎を完全に解いたとなれば冒険者として名も上がるぞ。どうだ?」
「……ったって、大勢が探してんのに今まで見つかんなかったんだろ? そう簡単に」
「ほほう、自信がないと?」
 からかうような言葉にカチンときて、フォルデはロンを睨んだ。
「ざけんなボケ、誰に向かってモノ言ってやがる。上等じゃねーか、ぜってー見つけててめぇに舐めててすいませんでしたっつわせたらぁ」
「ぜひそうしてくれ。……セオ、君にも頑張ってもらうぞ」
「へ、え、え?」
 うるうるに潤んでいる瞳をしばたたかせるセオに、ロンは笑う。
「君はこの中で一番このピラミッドの伝承に詳しい。ならば黄金の爪がどこに隠してあるかの見当もつきやすいだろう。君の頭の回転の速さで、ひとつ手がかりを見つけ出してくれ」
「え、で、でも、俺みたいなどうしようもないクズの言うことなんか」
 泣きそうな顔でそう言いかけて、セオは一瞬固まった。そしてそれから顔をうつむかせ、もう一度顔を上げて泣くのを必死に堪えているという顔で言う。
「はい」
 その言葉にフォルデはわずかに違和感を覚えたが、口には出さなかった。こいつの気持ちをいちいち勘ぐってたらきりがない。

 しっかりと命綱をつけながら腹ばいになってとん、とんと床の上を指でたどり、ここだ、と思った場所をぐいっと押す。とたんぼこっと床に穴が開き、フォルデはそのまま穴に落ちかけた。
 が、自分の意思で発動させた罠にわざわざ引っかかる馬鹿はいない。しっかり仲間に足首を握られて支えられていたので、ぐらぁと穴の中へよろめく程度ですんだ。
 穴のふちから穴の中を見下ろす。下には巨大な剣がみっしりと山を作っている。もし落ちていればあれに串刺しになって一巻の終わり、ということになっていただろう。
 だが、フォルデの鋭敏な視覚はしっかりと、その剣山の脇にどこかへ続いていく通路があるのを見つけていた。
「……あった」
 そう言って立ち上がる。ふぅ、と安堵か困惑かわからないため息をつきながらラグが訊ねてきた。
「降りる方法あるか?」
「ねーこともねぇだろ。要はここの仕掛けを解除すりゃいいんだ。ちょっと待ってろ」
 フォルデは場所を移動して、罠の仕掛けを調べ始めた。
 まずどこを調べるかということになって、セオが調べるべきだと主張したのは地下だった。なんでも黄金の爪の伝承を調べていると黄金の爪は地下の隠し玄室にあると思われる、とか。
「地下ったって、それっぽい入り口なんてどこにもなかったぜ」
「たぶん、ピラミッドの外側に、隠し階段があるんだと、思います。ただ、そこはもう、砂で埋め尽くされてると思うので、中から探した方が早い、んじゃないかと」
「中って……なにか当てでもあるのかい?」
「えっと、その……」
 そしてセオが考えていた当てというのがこの落とし穴だった。普通なら罠の先に隠し玄室への通路を作るなんぞ考えられないことだが、死体蘇生術による番人の創造だのグロフ王の大地の底=冥界への傾倒だの理由を長々と述べられては反論する気にはなれず、とりあえず調べてみたところ、大当たりしたというわけだ。
 仕掛けをいじって落とし穴を開きっぱなしになるようにし、気休めではあるがくさびを挟んでおく。それから石の隙間にハンマーで釘を打ち込み、そこにロープを引っ掛けた。二、三度引っ張ってまず大丈夫だろうと目測をつけてから、最初に落とし穴の底へ降りる。
 剣を身軽に避けて脇道に入る。突き出している剣の中に大量の人骨が山積しているのが見えた。不意を打たれてここに落ちればああなるのは当然だろうが、穴のはじからロープをたらせばさして苦もなく剣を避けられる。
 とりあえず暗闇の中へ続いていく道の入り口近辺に罠がないか調べて、もう一度するすると上に登った。万が一に備えて仲間たちがへまをしないか見張っていなければならない。
 全員鎧を外して身軽になり(ピラミッドに入ってからはセオとラグは鉄の鎧を装着しなおしているのだ、さすがにそれではロープを伝って降りるのは難しいだろう)、まずは元から武闘着しか着ていないロンが降りてその場に待機。鎧をロープにくくりつけて部分ごとに下ろし、ロンに受け取らせてから人間が下に降りる。
 そのやり方で全員つつがなく地下へと降りることができた。と思った瞬間、こうこうと輝いていた灯りの一方がふいに消える。セオのレミーラの光が唐突に消滅したのだ。
「あ……」
「? おい、なんだよ、なんで急に灯り消すんだ?」
 セオはやや困惑したような顔でかぶりを振った。
「いえ、あの。俺が消したわけじゃなくて。たぶん……この地下の空間には、呪文封じの結界が張られてるんだと、思います」
「呪文封じ……? なんだそりゃ」
「ええと、つまり、この地下では魔法が使えないってことかい?」
「えと、はい。一応文献にもそういう記述が、あったんですけど、対応策らしい対応策思いつかなくて……俺の知識や、技術じゃ、ここまで強力な結界を壊すこと、できないので……ごめんなさい……」
「ふむ。まぁいいさ、今まで出てきた程度の敵なら呪文なしでもさして苦労はせんだろう。薬草もたっぷり買い込んであるしな」
「そうだな……よし、行くか」
 さっきと同様の隊列を組み、ランタンの頼りない光の中少しずつ前へと進む。当然のように魔物たちはうじゃうじゃと出てきたが、一度に出てくる数はそう多くないので対処はたやすかった。
 一応罠がないか注意して前へと進みつつ、フォルデはセオに訊ねた。
「で、その隠し玄室っつーのがここのどこにあるかはわかってんのかよ」
「えと、あの。一応文献の記述に当たってみたんですけど、はっきりとしたことは……一応、こうじゃないかな、って推論はあるんですけど」
「言ってみろよ」
「はい……黄金の爪関係の記述を総ざらえしてみると、ここの地下通路は北東、南東、北西、南西の四つの部分に分かれているみたいなんです。そしてグロフ王は自らの体を冥界により近い場所――太陽の届かない場所に置いておきたいと考えていた。このピラミッドがある位置は赤道よりやや北です。すなわち太陽の通り道は南。そして黄金の爪関連の記述の中に黄昏がうんぬんという記述が二十一個出てきています。なので、場所は北西部分の中の……はっきりとした位置までは記述されていなかったんですけど、聖歌とも考え合わせてみるとたぶんこの辺に隠し階段があるんじゃないかな、っていうのが」
「さすがだな、セオ。よくそこまで調べ上げたものだ。君がいなければとても見つけられなかっただろうな」
「え、いえっ! 俺はただ、そんな、大したことしたわけじゃなくて、たまたま、偶然……」
「謙遜することはないよ。俺も遺跡探索の経験は何度もあるけど、君ほどしっかり下調べをしている人間はいなかった。大したものだよ」
「いえっ、そんな、俺は本当に、ただ馬鹿だから」
 言いかけて急速に勢いを失い、か細い今にも泣きそうな声で「……はい」と呟く。また奇妙な違和感。そして焦燥感。こいつ、なんかまた馬鹿なこと考えてねぇだろうな?
 ともあれ魔物を蹴散らしつつ北西を目指して進む。どこから持ってきたのかごろごろと転がっている人骨を踏みしめながらなので、あまり気分はよくなかったがかまいはしない。
 なんとしても宝物を見つけてやるぜ、と気合を入れて北西部分に入り、フォルデは目を見開いた。
「どうした、フォルデ?」
「……おい。確か、隠し玄室っつーのに向かう階段は隠してあるんだったよな?」
「え、ええ、はい、そのはずですけど……?」
「出てるぜ。そこに」
「え!」
 驚いたように言ってフォルデの隣に出たセオが目を見開く。部屋のように形作られている正方形の中央よりやや南東よりに、しっかりと階段が見えていた。

 セオはぞくりと身を震わせた。ひどく嫌な考えが、頭をよぎったのだ。
「もう先を越されてたのかな? そういう話は聞かなかったけど」
「先っつーか、そんなに前のことじゃないと思うぜ。足跡が新しい。もしかしたら大して時間経ってねぇかも」
「ふむ。それなら急げば追いつけんこともないか? 遅れてやってきて横取りするような真似は俺の趣味ではないが」
「俺だって趣味じゃねぇよ。けど、ここまで来て手ぶらで帰るっつーのもなんだろ。行くだけ行ってみようぜ」
「……あのっ」
 必死に声を上げると、ラグもロンもフォルデもいっせいにこちらの方を向いた。
「どうした、セオ?」
「あのっ……急いで、奥へ、進み、ませんか。急いだ方がいい、と思う、んです」
「? なんで急にそんなこと」
「別にいいじゃねぇか、追いついて追いこしゃ宝物が手に入るんだぜ。とっとと行くにこしたこたねーだろ」
 フォルデは先に立って歩き出す。ラグは肩をすくめそのあとを追う。セオは必死に息を落ち着かせてそれに続いた。
 考えすぎという可能性の方がはるかに高い。むしろ妄想といった方が正しいのではと思うような想像だ。だが、もし、万が一、そういう状況に陥っていたとしたら――死んでも詫びきれない。
 階段を下りて長い通廊を歩く。この通路には骨どころか砂すらほとんど入っていなかった。清潔な石造りの空間。だがそこには、強烈なまでの死の匂いが漂っていた。
「足跡けっこーしっかりついてんな……ま、こんなとこで足跡隠す奴もいねーだろうけど」
「けっこう長いな、この通路。あちらさんはどこまで先行してるんだか」
 そんな会話を交わしつつ、フォルデとラグは前へと進んでいく。セオはひどくはやる感情を必死に抑えながら、ラグのすぐ後ろにぴったりついて歩いた。
 自分の勘違いならいい。思い過ごしなら。だけど、もし万が一そういう状況になっていたら。自分などが百回死んでも責任なんて取れない。
 自分などの命とは、比べ物にならないほどあの人の命は重いのに。もちろん自分などより価値のない人間など世界のどこにもいはしないだろうが、そんなことよりなによりも、あの人はラグの大切な人なのだから。
 長い通路を早足で二度曲がる。とたん、衝撃で脳の奥に火花が散った。
 曲がり角より十間先。上の玄室とはうって変わって豪奢な装飾やら金銀財宝やらに満ちている空間。古代の技の粋を尽くして作られたとおぼしき金色の棺。
 その前で、少女が一人戦っていた。革鎧に鋼の剣。腰にはまばゆい黄金に輝く爪。後ろで括った長いダークブロンドが飛び跳ねるたびに揺れる。剣さばき、身のこなし、間違いない、彼女は。
「え……」
 唖然とした声をラグが漏らすより早くセオは地面を蹴っていた。この隠し玄室にも呪文封じの結界は張られている。遠距離攻撃は不可能だ。
 少女は傷ついていた。砂漠ではいつも強い日差しに苛められていた白く美しい肌には大きな痣がいくつもできていて、手首を挫いたのか盾を持っている左腕はだらんと垂れ下がっている。十重二十重に魔物に囲まれ、殴られ肌を切り裂かれ骨を砕かれ、目にはいっぱいに涙を浮かべて、それでも必死に戦っている彼女。
 助けなければ。守らなければ。魔物たちを倒すなんて考えただけで泣きたくなるし、あの人は自分などに助けられるのは嫌かもしれないけれども、でも。
 あの人はラグの家族だ。ならば――すべきことはひとつ!
 セオはずだんっ! と音が立つほど全力で地面を蹴り、魔物たちの群れの中に踏み込んだ。幸い相手はマミーやミイラ男、普通の人間より体重は軽い。筋肉が千切れるほどに全力で踏み込めば突き飛ばす程度ならたやすかった。
 全身の力を込めて魔物たちを突き飛ばし、道を開ける。彼女――エヴァ・マッケンロイエルがこちらに気付きはっと目を見開いたが、セオはかまわず彼女に近寄り抱き上げた。
「ちょ、ちょっと!」
 エヴァは悲鳴を上げたが、セオは止まらなかった。自分などに触れられて嫌だと思うのはわかるし申し訳ないとも思うが、それでも自分はエヴァを助けなければならないのだ。
 盾を彼女の上に差しかけ、全力で走る。突き飛ばした魔物たちが寄ってきて次々に自分を殴る。鉄の鎧の上から衝撃が伝わってきてみしりと骨が悲鳴を上げる音が聞こえたが、そんなものは足を止める理由にはなりはしない。
 背中を、肩を、頭蓋を殴られる。痺れるような痛みが神経を駆け巡る。だがそれでもエヴァに向けられる攻撃は完全に防いでいる。それで果たすべき目的は十全。
『セオ!』
 ラグたちが叫び、武器を構える。自分に仲間と呼ぶように言ってくれた人たちが。
 この人たちを無駄な危険に晒すわけにはいかない。自分などが言うのはおこがましいとわかっているけれど、仲間なのだから。彼らに少しでも安全を確保しつつ、エヴァを無事ピラミッドから脱出させるには――
「お先に失礼しますっ!」
 叫びながらラグたちの横を走りぬけるセオに、一瞬遅れてついてくる気配。混乱したようなフォルデの声が通路に響いた。
「おいっ、なんで逃げる必要があんだよっ! ミイラぐれーなら楽勝で」
「というかセオ、君はなんでその女を抱き上げているんだ?」
「ごめんなさいっ、俺先に行きますっ!」
 セオは速度を上げる。足の筋肉が悲鳴を上げたが無視して全力で床を踏んだ。
 一瞬の間にできた仲間たちとの間の空間。その隙間に突然魔物の気配が湧き出る。自分の目の前にも次々魔物たちの姿がどこからともなく出現してくるのが見えた。呪いの効果だろう、と理解する。
「わっ、どっから出てきてんだこのっ」
「セオ! 待て!」
 ラグの叫び声が聞こえる。だがセオは足を止めず、むしろさらに足に力をこめて前方、魔物たちの群れへと突撃した。次々繰り出される攻撃をエヴァにだけには当てないように身体と盾で防ぎつつ、魔物たちの間を通り抜けて走る。
 がずっ、がづっ、ばきっ。かわしきれない敵の攻撃がセオに当たる。もとよりセオは身のこなしはさして軽いわけではない。これだけの数の敵の攻撃を完全に回避することは不可能だ。鉄の鎧の上からでも骨が折れそうな衝撃が身体を襲う。
 けれど、そんなことは問題ではない。
「ちょっと! 下ろして! 下ろしなさいよ! 私あなたに助けてくれなんて頼んでない!」
「ごめんなさいっ、でもこれが一番被害が少なくなる方法だと思うので!」
 魔物たちを突き倒し、蹴飛ばし、セオは前へ前へと進む。後ろの気配を探ってみると、後ろの魔物たちも仲間たちには目もくれず自分たちの方に向かってきているのが感じ取れほっとした。そうでなくてはこんなことをしている意味がない。
 地下室へ戻る階段を駆け上る。出口はわかっている、南西の端だ。そこまでたどりつければこちらの勝ち。どんなにぼろぼろになろうとも、それが自分ならなんの問題もない。ピラミッドの外に出れば爪の呪いは消えるはず、そこまで彼女を送り届けられればそれでいい。それまでもてば。
 がづっ。腕を殴られた。強烈な痛み。骨がイったかもしれない。にエヴァを取り落としそうになるが必死に堪えて走った。
 ぼがっ。背中を殴られた。背骨が砕けたかのような衝撃が襲ってくるが、まだ立って動けている、ならばなんの問題もない。
 殴られながら必死に走って、走って、逃げ出して、おそらくは階段に続いているのだろう細い通路が見えた瞬間、セオは息を呑んだ。
 その通路の前を、ミイラ男の大群が守っている。
「…………」
 セオはふぅ、と小さく息をついて、エヴァを下ろし(目をぱちくりされた)剣を握った。
「エヴァさん」
「な、なによ」
「俺がこれから突破口を開きます。俺の手を握って、ぴったりついてきてください。ピラミッドを抜けられさえすればキメラの翼ですぐ街に戻れるはずです」
 そう言って左手を差し出すと、エヴァは目を吊り上げて顔を赤くした。
「……っ、そんなことできるわけないでしょ!? ラグを置いて逃げるなんて」
「この大量の魔物たちは黄金の爪に付与された呪いが原因で出てきています。黄金の爪がピラミッドからなくなれば元に戻るはず」
「そんな……けど、だからって……そうよ、じゃああんたはどうするのよ。そんなぼろぼろの身体で突破口なんて開けるわけ」
「開きます」
 セオはきっぱりと言った。それは当然のことだ。しなければならないことがある、ならば全身全霊を振り絞ってやるしかない。そして成し遂げる。なんとしても、石にかじりついても、死んでも。そのくらいのことができなければ、自分の存在に意味がなくなってしまうのだから。
 エヴァが(完全に納得したかどうかは怪しいものの)左手をちゃんと握ってくれたので、セオはほっとした。今までで一番厚い敵の層、少しでも気を抜けば離れ離れになってしまうだろう、それではなんの意味もない。
 セオはすぅ、と息を吐き、「いきます」と呟いて走り出した。
 悲鳴を上げる足の筋肉を叱咤し、骨だかどこだかがみしみし泣き叫ぶ腕に全力で動けと命令し。セオは敵の群れの中に突っ込んだ。
 剣の平を振り回してミイラ男を無理やり押しやる。その隙間に自らの体をねじ込み、さらに次の敵を押しやる。
 相手がアンデッドだということはわかっているが、それでもセオは敵を傷つけるのは嫌だった。浄化させることができるならまだしも、アンデッドを倒すということは動けなくさせるということと同義だ。感覚は残っているのに四肢をばらばらにされて動くことができない。そんな状況、考えただけでぞっとする。
 それにアンデッドの生命なき命が苦しいものかどうかなど、誰も聞いてみたことがないのだから、自分などにそれを害する権利はない。
「ふぅっ!」
 だんっ、と踏み込みながら目の前の敵を突き飛ばす。次々襲いくる攻撃。自分に与えられる攻撃は当たるにまかせた。エヴァに与えられる攻撃は必死に引っ張り間合いを外させてかわさせてもらう。
「ちょ……引っ張らないでよっ! やめてったら!」
「すいません、ごめんなさいっ、でも少し我慢してください!」
 ウンカのごとく次々集まってくるミイラ男たちを無理やり全力で押しやり、必死に前へ前へと進む。あと十間。あと九間。八間、七間、六間――
「きゃっ!」
 必死に自分について攻撃をかわしていたエヴァがなにかに足をとられたのか転んだ。周囲のミイラ男たちがいっせいにエヴァに向かい襲いかかる。
 考えるより先に体が動いていた。エヴァの背はセオと同程度、体格はセオの方がいい。だから。
「………!? ちょっと、なにを!」
 セオはエヴァに覆いかぶさって打撃を防ぐ盾になった。当然攻撃をかわすことはできない。ミイラ男たちの拳が次々セオに突き刺さった。
「離れなさいよ! 離れて! あなたなんかに助けてもらいたくなんかないんだから!」
「ごめんなさい……でも、俺には、この程度のことしかできないので……」
 仲間も、エヴァも、魔物たちも守ろうと考えたらこんなやり方しか思いつかなかったので。
「だから、助けられたなんて思われること、ないです。俺の行動なんかに、助けられたわけじゃ、全然、ないんです、から」
 自分はエヴァを完全に守るよりも、仲間たちの安全と魔物たちができるだけ傷つかないようにすることを優先した。そんな行動助けたなぞというにはふさわしくない。
「…………」
「ゲ、ホッ!」
 痛烈な一撃を食らって口から血を吐いた。内臓が傷ついたらしい。長くはもたないな、と考えて、必死に打開策を練る。
「ちょ……あなた、なに血吐いたりしてるのよ!?」
「ごめんなさい……」
 エヴァに攻撃がいかないようにしながら、ゆっくりと体を起こす。再度の突破は難しかろうが、けして不可能ではないはずだ。
「ねぇっ、ちょっと、あなたなに考えてるのよ! なんであたしのことそんなに必死になって守るわけ!? 別に助けてなんて頼んでないじゃない!」
「ごめんなさい……ご迷惑かもしれないとはわかっているんですけど、あなたは、ラグさんの大切な家族だし……そうじゃなくても、俺に少しでもできることがあるなら、全力で、守りたいって、思うから……」
「…………」
 呆然とするエヴァの肩をそっとつかむ。ここからさっきのように抱き上げて、どこまで傷つけずにいけるか。わからないがとにかくやってみるしかない。
「行き――」
 ドガッ! と壮絶な音がして、ミイラ男の群れの一角が吹っ飛んだ。
「!?」
 驚愕に反射的にそちらを向いて、セオは絶句した。あのミイラ男の群れの向こうで、鬼神のごとき強烈な攻撃でもってミイラ男たちを打ち倒しているあの姿は。
「ラグさん……!」
 叫んだ瞬間、ぎっと凄まじい眼光で睨まれた。思わず固まるセオを睨みながら、ラグは獅子奮迅の働きでミイラ男たちを片付けていった。
 薙ぎ払い、叩き潰し、ぶち割り、斬り倒し。ラグさんってここまで強かったのか、と呆然としてしまうほどの動きで、ラグは数分もしないうちにミイラ男の群れを片付けた。いつの間にかやってきていたロンとフォルデの力もあったが、凄まじいまでの働きだ。
 しばし呆然としていたものの、すぐにはっとしてセオは立ち上がりラグに向かい頭を下げた。
「あ、あのっ、ありがとうございますっ! 俺、なんとかエヴァさんを守ろうとしたんですけど、やっぱり俺なんかの力じゃうまくできなくて、ごめんなさい、本当に、ごめんなさ」
 ばぎっ。顔を上げたとたん、ラグの拳が飛んだ。
 セオは文字通り吹っ飛ぶ。手加減なし、容赦なしの一撃だった。奥歯が弾けるような感覚がセオを襲う。床に転がり、呆然とラグを見つめるセオに、ラグは低く言った。
「言い訳があるなら、聞こうか」
「え……いいわ、け?」
「君が俺たちを放ってエヴァを連れて独断専行したことについて、なにか言い訳があるなら聞こう、と言っているんだよ」
「あ……!」
 セオは顔面蒼白になった。そうだ、考えてみればあれは確かに独断専行だった。自分は少しでも早く黄金の爪の呪いからエヴァを解放すること、ラグたちを呪いから逸らすこと、そして少しでも魔物たちの被害を減らすことしか考えていないで、ラグたちに相談することもなく彼らを放っていった。
 許されない、許されるはずのない過ちだ。独断専行。仲間たちを仲間たちと認めていないがごとき所業。自分一人で勝手に決めて勝手に行動した。そして結局仲間たちに助けてもらっている。愚かということすら馬鹿馬鹿しいほどの愚かな所業。
「ご……め、んな、さい」
 セオは土下座した。許されっこない、ここで殺されても仕方ないほど無礼なことを自分は彼らにした。殴られて当然、罰を与えられて当然、見捨てられて当然の愚かなことを。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 息が詰まる。呼吸ができない。体中が固まってどんどん小さくなっていく感じ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん」
「謝ってすむ問題だとでも?」
「なさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 謝ってすむ問題じゃない。それはわかっている。でもそれ以外になにができる? 殴られても蹴られても殺されてもいい、腕足を切り取られてしまってもかまわない、そんな思いを表すのに。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 自分などに生存など許されない。存在など本来なら許されない。そんな当然のことを再認識し、ますます謝るしかできなくなる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんな」
「いい加減にしろっ!」
 胸倉をつかみ上げられ、パァン! とセオの頬が鳴る。今度は平手だ。衝撃にびっくりして思わずぽかんと口を開けるセオに、ラグは怒りに満ちた言葉を投げつける。
「どうしてわからないんだ? 俺が嫌なのは君が結局最後のところで俺たちを信頼してないってことだよ! 背中を預けられる相手としてなんて少しも認めてない! 恵みを下さるご主人様みたいに伏し拝んで、そのくせ少しも信用してないじゃないか! 仲間に、パーティメンバーに、頼りも信じることもしないなんて、そんな、そんな――」
 ここまで言って、ラグは言葉に詰まり、まるで泣いているかのように顔を手で覆った。
「俺みたいなことをするのは、やめてくれ」
 セオは呆然とラグを見つめた。フォルデも、エヴァも似たような表情でラグを見つめている。ただ一人ロンだけは、いつも通りの静かな表情でラグをじっと見ていた。
 ラグさんみたいなこと? 馬鹿な、俺にラグさんみたいなことができるわけがない。ラグさんはいつも優しくて、強くて、真面目で――
 でも、今はこんなに辛そうだ。
 なにかしてあげたい。自分などでは助けにならないのはわかっているけれど、少しでもお返しができたなら。
 セオはどうしようどうしようと迷い、混乱し、わけがわからなくなりながらも、のろのろと立ち上がって、精一杯腕を伸ばして、ラグを抱きしめた。はるか昔、朧な記憶の中で、誰かにしてもらって安心したことを思い出して。
 自分などがやっても無駄なんじゃないかとか、かえって不愉快な思いをさせるんじゃないかとドキドキしながら行ったその抱擁に、ラグは応えはしなかったが拒絶もせず、ただかすかに呻くような声を漏らした。

戻る   次へ
『君の物語を聞かせて』topへ